16-7
熊ヶ峰side
毎回、毎回、分かっていることだった。
私はどうしてもここに…弌菜の近くに帰ってくると余裕がなくなっちゃって、普段なら我慢できる些細なことに関しても自分の感情がコントロール出来なくなってしまう。
だからいつも問題を起こして、じーちゃんとばーちゃんに困った顔をさせちゃって、そして弌菜には怒られて…その度に落ち込んで苦しくなるんだ。
今日もやっちゃったな…
馬鹿な私は同じ事を繰り返してばかり。どんよりと気分が沈む。
けれど、家に着くなり見慣れた長靴が玄関に並んでいるのを見つけて、私はホッと胸を撫で下ろした。
今の自分では大切な客人をもてなすなんてとても出来そうになかったけど…じーちゃんとばーちゃんがいるなら、そこは安心できる。
「あれ?もしかして二菜ちゃんのお家の人、帰ってきてるのかな?」
さすが記憶力の良いお姉さんは行きとは違う玄関の様子に気付いたみたい。
「はい!そうみたいです!あの、あの、是非お二人を紹介させてください!」
「勿論さ。こちらとしても世話になるのだから挨拶をさせてもらいたしね」
勿論と言いつつその目が平淡な感情を映しているのは分かっている。でも、それは仕方のないこと。
至くんや五月雨先輩もそうだったし、自分が逆の立場だったならたぶん…同じような目をしてたと思うから。
でも、お姉さんは今までの皆とは全然違うんだ。
緊張と期待を混ぜ込んでそわそわと揺れる、今は焦げ茶色をした瞳。
それだけでも表情豊かで、小さい頃カラリコロリと回した万華鏡を思い出す。
あぁ、やっぱりお姉さんは可愛いなぁ。暖かいなぁ。好きだなぁ。
自慢の家族に自慢の仲間と素敵な人を紹介出来るなんて、嬉しさで足が弾んじゃうや。
何度注意してみても施錠されない玄関の戸をガラッガタッと開けて、いつもの癖でポイポイとサンダルを脱ぎ捨てた。
「あっ!こら、二菜ちゃん!」
「おやおや、はしたない」
後ろでお姉さん達の声が聞こえてやっちゃったと思いつつ、はやる気持ちは抑えられない。
心の中だけで平謝りをしてそのまま居間に向かえば、防音性なんてこれっぽっちもない壁の向こうからご長寿番組の軽快な音声が響いていた。
「じーちゃん!ばーちゃん!ただいま!!」
二人分の足音を背後に聞きながら思いっきり引き戸を開けると、湯呑みを持ってテーブルを囲う私の家族が驚いた様子もなく穏やかな目でこちらを見ながら苦笑する。
「これこれ、まぁた戸を壊す気かいの。もちっと静かに開けいと何度言えば…」
「まぁまぁお父さん。お小言より先に言うことがありますよ」
「む、それはそうじゃの。…おかえりさん、二菜や」
「ほほっ、おかえんなさい。二菜ちゃんが元気そうでばぁは安心したよ。それと…」
ばーちゃんの目が私の後ろ…お姉さん達に向いたのを察して、私は胸を張って鼻息を荒くしながら二人をじゃじゃんと示した。
気分はゲストを調子よく紹介する司会者だ。
「こちら、二菜がお世話になっている司書のお姉さん…栞里さんと、学園でずっと上の先輩であるメイリーさんです!!」
「まぁまぁ!いらっしゃい。二菜がお世話になっているようで…遠いところからわざわざありがとうねぇ」
「良くきたのお。何もないところじゃが、ゆっくりしていきんさい」
くしゃっとわたあめが溶けるような二人の笑顔に肩の力を抜いたお姉さんが、私の横から一歩前に出てとてもキレイな礼をひとつ。
はわわ、なんか、スッゴク大人っぽい!いつものお姉さんも良いけど、しゃんとしたお姉さんも良い!どんな雰囲気でも素敵だなぁ!
でもでも、どうしてそんなに畏まってるのかな…?
「初めまして。学園で司書をしています、綴戯栞里と申します。本日はお招きいただきありがとうございます。あの、こちらつまらぬものですが…」
そう言ってどこか有名どころのお菓子詰め合わせをじーちゃんへ差し出した。
その行動に全員が虚を突かれてポカンとした顔をさらしちゃったよ。
「…え?あれ??わ、私もしかして何か失礼を…!?」
「いんやいんや!こんなに丁寧な挨拶をしてくれるとは思わなくてのお!たまげたわい!」
「ほほっ、能力者にもきちんとした人がいたのねぇ。安心したわぁ」
「あー…」
顔をひきつらせながらこちらを見るお姉さんに何となく気まずさを感じ、私とメイリーさんは揃って明後日の方向に目をそらす。
すみませんお姉さん…能力者にその、挨拶的な発想はありませんでした。
至くんも五月雨先輩も家に来たときは、じーちゃんとばーちゃんにぼそっと一言「どうも」って言って終わりだし…私も気にしたこと無かったから。
だって、友達の家族…しかも一般人だなんて興味が引かれるものじゃないって分かってる。言っちゃえば私以外の皆にとっては動いて喋るマネキンみたいなものだもん。
じーちゃんとばーちゃんは能力者は"そういうもの"なんだなと理解を示してくれていた。
だからこそ余計にお姉さんの態度に驚いたんじゃないかな。さすがお姉さん!
「えぇと…申し遅れました。ボクはメイリー・フランベルク。主な仕事は警備関係で、今日は彼女の護衛として参りました」
「ほう、警備とな…こんな別嬪さんが見回りなんぞしとったら、悪人も腰を抜かすじゃろうて」
「ふふっ、確かに腰が抜けてしまう方もいますね」
「そうじゃろそうじゃろ!かはは!」
じーちゃん騙されてるなぁ。あとそのノリは恥ずかしいからやめて!
メイリーさんを見て腰を抜かすのは綺麗だからというより…たぶん、怖いからだよね。
仕事を実際に見たことがなくても彼女を表す異名…"猟犬"の噂は良く耳にする。残虐にして狂気的な紅眼の怪物だって。
初めて会った時は想像とずいぶん違う雰囲気でビックリしたっけ。
「いやぁ、見れば見るほど…かぁちゃんの若い頃にそっくりじゃ」
「何言ってるんですか。メイリーさんの方がよっぽど綺麗でしょうにねぇ。嫌だわ、この人ってば老眼かしらねぇ」
「もー!二人とも!会話が年寄りくさいよぅ!!」
「そりゃそうじゃ!正真正銘のじじばばじゃからのお!かはは!」
「まぁまぁお父さん、からかうのもほどほどにしてあげてくださいな」
羞恥で頬を熱くしながらメイリーさんに謝罪すると、さわやかな笑顔で気にしていないと言ってくれました。
はわわ、大人です…カッコいい…
メイリーさんのイケメン力にやられていると、彼女は唐突に荒れ気味で血管の浮いたばーちゃんの手を優しく取り…なんと、川の水が流れていくような自然さでその指先にき…き…!?はわわわわ!!!
「似ている、というのなら…将来貴女のように素敵なマダムになれるかもしれないのですね。とても光栄です」
「まぁ!まぁまぁ!お上手ねぇ!飴ちゃん…いえ、羊羹あったかしら!?大福もあげちゃいましょうねぇ!」
ぽっと乙女のような顔になったばーちゃんの気持ちはよぅく分かるけど、嬉しいからってお茶菓子を貢ぐのは止めて欲しい…
メイリーさんとのミスマッチ感が凄いよぅ。
「かはは!こりゃあ、罪作りなお人じゃのぉ」
じーちゃん、ほけほけ笑ってるとばーちゃん取られるよ?
「ところで、綴戯さんは司書さんって言ったかしら?」
赤く色づいた頬に手を当てながら、メイリーさんの前にお茶菓子タワーを築いて満足したらしいばーちゃんは話のターゲットをお姉さんに変える。
「はい。まだ入りたてで、新米も良いとこですけれど…」
「…おん?そういや、司書さんっていやぁ最近二菜がいつも通話で話して…」
「わー!わーーー!!!」
「そうそう。どんな人かしらと思ってましたけど…そう、あなたなのねぇ!」
「え?ええと…?」
はわわわわわ!!!?何で言っちゃうの二人とも!!
もう!じーちゃんもばーちゃんも、この近所の人は皆そうだけど…どうしてこう、すぐにお話拡散させちゃうのかなぁ!!
いたたまれなくなって、思わず両手で顔を覆う。
「えと!その、これは…っす、すみません!!二菜、お姉さんの素敵なとことか一緒にいて楽しかったこととか色々…ついついじーちゃん達にお話したくなって、聞いてほしくて、それで…!か、勝手にすみませんでした!!嫌わないでください!!」
「ま、まってまって二菜ちゃん!大丈夫だから!だから…顔を上げて?」
穏やかな声に促されて下げた頭を上げつつ指の隙間から覗いてみれば、すごく優しい顔ではにかみながら目元を赤らめるお姉さんが私を見ていた。
はわわ…!そんな可愛い顔…反則です!!
「少し恥ずかしくはあるけど…凄く嬉しいな」
「ほ、本当に…?気持ち悪くないですか、二菜…」
「まさか!だって、家族に話したくなるくらい私との時間を楽しいって思ってもらえてるって事でしょ?それって嬉しいし、光栄だし…だから気持ち悪いなんて思うわけないよ」
あぁ、本当にこの人は…綺麗だ。弌菜以外の人で、ここまでキラキラして見えるのはお姉さんだけだよ。
遠くの海が反射するようにちかちかして、目が眩んでしまいそう。
思えば、初めて保健室で会ったあの時からそうだった。
あの時は表情も暗くて拒絶もされたけど、そんなもの関係無いくらいに目を奪われたんだっけ。少しニュアンスは違うけど、一目惚れって言っていいかな。
あ!勿論拒絶されたのは悲しかったけどね。
穏やかそうなその人は私と至くんを見た瞬間怯えと共にさざ波立ち、やがて嵐のごとく大波を立てて距離を隔てようとしていた。
そんな姿を見て、海みたいだって思ったんだ。
産まれた時から弌菜とはまた別の形でそばにあったもの。
その深くにゾッとするような暗闇を…あの"記録"で見てしまった絶望の深海をはらみながら、それでもあの人は普通の人間を水面に映してそこにいた。
惹かれない方がおかしいよね。
優しいのに残酷で、美しいのに恐ろしい。
そしてなにより…底知れない。
そんな海を重ねたその時から、お姉さんは弌菜とはまた違う"特別"になったんだ。
弌菜と海を見る度にそう思っていたように、好きだなって何度でも思う。
今みたいに笑うと波間に光が弾けるみたいで綺麗だ、とか。
船に海面を乱されたかと思いきや、
あっという間にひっくり返して沈めてみせる恐ろしさ、とか。
全てを押し流すような強い強い海流を持っていて凄い、とか。
知れば知るほど魅せられていくんだ。
だからお気に入りから大好きな人まで転がっていくのはあっという間だった。
はぁ…弌菜とお姉さんが並んでいる所なんてもう、尊さで泣きそうになったんだから!
これを見れただけでも誘って良かったと思ったもん。過去の私グッジョブ!
更に更にお姉さんの水着姿まで見れた!後で至くん達に自慢してやるんだー!
でも、お姉さんの水着は素敵な思い出だけど…海の思い出は、ちょっとだけ苦いものになっちゃったかな。
主に、というか、全部自業自得だけど…
調子に乗って立てた大波がお姉さんを沈めてしまった時は怖かったな…
私の海が本物の海に持っていかれちゃうかと思ったから。大反省も大反省だよ…
ビーチバレーは私の肺活量トレーニングみたいになっちゃってたし…
まぁ、一番の大反省は…虫さんがお姉さんに群がっているのを見たときに自制が利かなくなっちゃったことだけど。
〈えーオレあのヤバい子ぉ?ムリムリ!面は可愛いけど、ビーチバレーお前も見てたっしょ?ゴリラってか化け物みたいな力してたじゃん。気持ち悪ぃ〉
割りまくったビーチボールの残骸を片付けている最中に、どこかからか聞こえてきた言葉。
すぐに私の事だって分かったよ。
でも同時に、だから何?って思った。
あんな風に言われるのはもう慣れっこだし、虫のさざめきで乱れるような心は持ってない。毎度五月蝿く鳴いてるなぁって思うくらいかな。
けど、続く声が私の無関心を覆した。
〈訂正しろ、屑共が〉
はっと顔を上げて声の主を探し、持っていたビーチボールの残骸もそれを入れるカバンもみんな邪魔だと放り捨てる。
どこ…どこ…!一体どこから…あ、見つけた…!!
人目につかない建物の影で、目的の人物は見つかった。勿論すぐに駆け寄ろうと思ったよ?
でも、出来なかったんだ…続くお姉さんの言葉のせいで。
〈二菜ちゃんが化け物?気持ち悪い?はぁ??お前らの目は節穴かよ。彼女は!可愛いだろうが!異論は認めない!!〉
はわわわわわ!!?お、お姉さーーん!!
あまりに熱烈な言葉が脳を揺らし、その場にへたり込んだのは…仕方ないことだよね?ね!?
だってだって、私の為に怒ってくれているだけじゃなく、あんな力一杯可愛いなんて言われたらさぁ!もぅ!嬉しくないわけないじゃん!
でも、そんな天国は束の間だった。
私が頭の中でパレードしてる隙に、あの虫さん共はあろうことか嫌がるお姉さんに触れやがったのだ。
腹が立った。
私ですら触れられないあの人に触れる、小汚ない害虫に。
…許せなかった。
だから凄く危なかったんだ。
メイリーさんが止めてくれなかったら…私、絶対にあの虫さん達を殺ってたもん。
虫退治したことに後悔はないけど、そのせいで海が台無しになったのは本当に本当に反省している。
…私はいつもそうだ。
弌菜と一緒の時も虫さんが彼女に群がるのが許せなくて、私はそれを退治して…でも、やり過ぎだって怒られる。
そのせいもあり、人の多く集まるシーズン真っ盛りの海やお祭りに行く事はどんどん減っていったんだ。
今じゃ、もう…ね。
私じゃ私を止められない。
ううん…私だけじゃない。
きっとお姉さんの事だから、やり過ぎになる前に止めようとしてくれたことだろう。
けど、波の音が,砂浜が,この場所がその声を全部吸い取ってしまったように届かなくて…私は自分の暴性を止められなかったんだ。
こんなの呆れられて当然だし、怖がられる事も覚悟した。それなのに…
〈海、楽しかったね!二菜ちゃん〉
あなたはそうやって笑うんだもん。
敵わないなぁって思ったよ。
キラキラ、チカチカ…眩しくて困ってしまう。
どうしてそんなに綺麗であれるのだろう。
暗く深い底を持ちながら、どうして…?
不思議で、奇妙で、また惹かれるんだ。
あーあ、そんな…心から楽しいって顔をされちゃったら、ごめんなさいなんて飲み込むしかないじゃんか。ぐぬぬ、強引なところも好き!
「二菜ちゃん…?どうかした?」
「……はっ!?」
「急に黙り込んだかと思えば随分しまりのない顔になっていたけれど…きひっ、何を考えていたんだい?」
「なっ!?ななななななな何も!?あ!あーあー、強いて言えば晩御飯楽しみだなー、なんて!!」
苦し紛れにそう言ったけど、まだ日も高いのに何言ってるの私…!!
意地汚いって思われるじゃん!!バカバカバカ!
ほら!メイリーさんは呆れ顔だし、お姉さんも苦笑いしてるよぅ!!!
「まぁったく、帰ってくるなりすぐ飯の話しか。二菜らしいのお」
「はうぅ…」
「ほほ、こりゃばぁも張りきらないといけないねぇ」
居間がほんわりと和やかな空気で満たされる中、私は恥ずかしさに身を縮めた。
そこで、ふと何かを思い出したように手を叩いたばーちゃんがこちらへ目を向ける。
「そういえば二菜ちゃん、弌菜ちゃんには会ったかい?」
「え?」
「あの子、珍しく海に行ってくるって言って出て行ったんだけど…行き違いにでもなったのかねぇ」
その言葉にさっき会った弌菜の事を思い出す。
〈げっ…二菜!?…と、お姉様方!?え、海に行ったんじゃ…〉
あの時…弌菜は海に行こうとしていたの?
どうして、なんて聞くだけ野暮だ。
だって…家を出る前に声をかけたのは、他ならぬ私だもん。
〈弌菜!海に行ってくるね!〉
〈あっそ〉
〈気が向いたら弌菜も来てね!一緒に、遊ぼう!!〉
〈…はぁ。いいから、早く行きなよ。あの人らに迷惑かけないようにね〉
ダメ元だったけど…弌菜はちゃんと来てくれようとした。一緒に遊ぼうとしてくれた。
それなのに私のせいで海は早々にお開きになっちゃったから…だから弌菜は私達に会った時、少しだけ残念そうな目をしたんだね。
弌菜を怒らせちゃったことといい…最低だな、私。
これじゃああんな風に言われても仕方ないや。
「…二菜の顔を見るに、まぁた喧嘩しよったか」
「うぐ…」
「まぁまぁ、あなた達はいつもそうねぇ」
困り顔で立ち上がったばーちゃんは台所の方へ消えていき、じーちゃんも庭弄りをしてくると言って腰を叩きながら出ていった。
三人だけになった居間では、旧型のテレビがしょうもないニュースをペラペラと吐き出している。
「そうだ、二菜。一つ気になっていたことを聞いてもいいかい?」
「…え?あ、はい!何でしょう!」
自己嫌悪でどんよりしていた己を叱咤し、曲がっていた背をピンと伸ばしてメイリーさんに向き直る。
黙っていると弌菜の事をぐるぐると止めどなく考えてしまうから、話題を振ってもらえたのはありがたかった。
「先程家の表札を見たのだけれど…"鳥羽添"というのは祖父母の旧姓かい?」
「いえ!二菜と弌菜も現役で鳥羽添ですよ!」
「…あれ?でも二菜ちゃんは…」
「二菜の"熊ヶ峰"はえっと、うーん…?源氏名?みたいなものなんです!少しでも家族に迷惑がかからないようにと思って…」
「あ…もしかして、巻き込まないようにってこと?」
「はい!その通りです!」
私達の苗字は一般人の中でも珍しいものらしい。
それはもう、調べれば一発でうちの家系に結び付くくらいには。
だからこそ、昔じーちゃんとばーちゃんが少し得意気に話していたのを思い出した時…私はその苗字を隠した。
能力者の家族だと目をつけられてしまわぬように。
同じような理由で苗字を変える能力者は少なくないんだって。
とはいえ、本気で調べられたらあっさりバレちゃうくらいにはささやかな抵抗ではあるけどね。
それでも…ほんの少しでもあの子を危険から遠ざけられるなら、私はかまわなかった。
弌菜と違う姓を名乗る寂しさも辛さも飲み込めるくらい、あの子の平穏を願っていたから。
「じゃあ、"熊ヶ峰"って苗字は二菜ちゃんが考えたの?」
「はい!…と言いたいところですが、実はちゃあんと元ネタがあります!」
「へぇ?では、尊敬する人とか偉人と呼ばれるような先達からとったのかい?」
私は少し考えてから首を横に振る。
確かに尊敬…というか憧れはあるけど、偉人とかそういうものじゃない。
というか、そもそも…人じゃない。
強いて言うなら熊ヶ峰…いや、"くまがみね"は、二菜にとっての英雄の名前だ。
「お姉さんは"力で解決☆くまがみね!"って知ってますか?」
「えーと…聞いたことある、かな。一時期"ヤベェ子供向け番組"ってネット話題になってたような…確か、教育テレビて放送されてたアニメだよね?」
「ヤバい、というのは分かりませんが…たぶんそれで合ってます!!」
"力で解決☆くまがみね!"は、一匹の熊と一羽の鳥が一緒に旅をしながら困っている人や動物を助けていく…というアニメだ。
その主人公である熊の名前こそがタイトルにもある"くまがみね"なんだ。
「"くまがみね"はムッキムキで力自慢のくまさんなんですよ!どんな困り事でも物理的にムキッと解決しちゃうんです!」
「きひひ、もう既に"ヤバい"の片鱗は感じるよ」
「まぁ、実際ぶっ飛んでるみたいだから…」
うーん?そんなに変な内容だったかなぁ?
普通に王道なアニメだと思うんだけど…
「ちなみに、どんな話なんだい?少しばかり興味がわいたよ」
「はい!あのですね…」
……
"くまがみね"はトアール森のスーパーで週六勤務に勤しむ真面目で心優しく、ちょっぴり皆より力の強いくまさんです。
「スーパーで週六勤務の熊…」
「メイリー、たぶんここでつっこんでたらキリがないよ。二菜ちゃん、続けて」
「はい!」
けれど"くまがみね"はちょっぴりお馬鹿さんなところもあって、考えるより先に体が動いちゃうタイプの脳筋さん。
そのせいで第一話冒頭にて第n回万引き犯現代アート展をうっかりスーパーの壁で開催してしまった"くまがみね"は、怒ったところなんて見たこと無いと噂のうさ吉店長を怒らせてしまいます。そしてとうとう…
〔毎回毎回騒ぎを起こして店も壊して…!このままじゃウチの評判に関わる!君はクビだ!!〕
と、解雇宣言をされてしまいました。
しょんぼりと帰路に着く"くまがみね"を森の仲間達は遠巻きに見つめながら、ヒソヒソ、コソコソと鳴き声を交わします。
〔ほら見ろ、またあいつだ〕
〔乱暴者の"くまがみね"だ〕
〔おぉ、怖い怖い〕
〔挽き肉にされるぞ〕
〔団子にされるぞ〕
いつもの事と言えばいつもの事でしたが、職も失ってさすがに居づらくなってしまった"くまがみね"は穴蔵の家に籠りがちになってしまいます。
そんなある日、久方ぶりに森の外れを散歩していた"くまがみね"は暴漢に襲われている人間を見かけました。
〔おら!大人しくしてろ!!〕
〔嫌!誰か…誰か助けて!!〕
とっさに茂みに隠れてしまった"くまがみね"でしたが、心優しい熊は我慢ならず…暴漢を近くの崖でうっかり化石風アートにして、襲われていた人間を助けたんです。
すると、また怖がられるだろうだろうと背を向けた"くまがみね"に襲われていた人間…可愛らしい少女は叫びました。
〔優しいくまさん!ありがとう!!〕
その声はまるで、天使のラッパのように"くまがみね"に響いたのです。
"くまがみね"は少女が去った後も日が暮れるまでぼぅっとめり込んだ暴漢を眺めていました。
そして、やがて月が顔を覗かせた頃…閃いたのです。
そうだ。この有り余る力で彼女のように困ってる人を助けよう、と。
思い立ったが吉日。
すぐに旅支度を整えた"くまがみね"は、日が昇ると共に森を出ることに決めました。
そうして世話になった森の皆に挨拶をし、そこでちょっとしたトラブルに見舞われながらも"トリトウさん"というお供ができ…一匹と一羽のお助けの旅が始まるのです。
「…と、いうのがお話の始まりです!それでそれで、"くまがみね"達の前にはいっっっつも他者を不幸にして喜ぶ狐と狸の二人組…オ・ジャーマが立ち塞がるんですけど、何があっても"くまがみね"はムキッと乗り越えちゃうんですよー!!」
「二菜ちゃん、どうどう…」
「ふむ、成る程…大筋だけ聞くと、ありがちと言えばありがちな物語かな?」
「そうだね。噂だとその、"お助け"の部分が斬新らしいけど…」
「そうでもないですよ?例えば17話でオ・ジャーマに唆されたフォレストマフィア同士の抗争を大木一本で話し合い(物理)して止めた話しはかっこ良かったですし、31話でオ・ジャーマに引っ越しを邪魔された親子の為に家ごと持っていくという機転を利かせて手伝った時なんて見てて優しい気持ちになれました!
」
「「…ん???」」
「66話で登山インストラクターのお手伝いした時なんか、オ・ジャーマが降らせた落石の雨をすべて拳一つで打ち落としたんです!アレには痺れましたね!でもその後山が噴火しちゃって…十人もの登山者をひょいっと担いで下山していくシーンなんて感動ものでしたよ!あとあと、感動と言えば忘れちゃいけない伝説の125話!オ・ジャーマの悪戯で海へ捨てられてしまった婚約指輪を探してあげるために、"くまがみね"が一撃で海を割ったあの話っ!!あれはもうボロ泣きしちゃいました!二菜のオススメです!」
「ストップストップ二菜ちゃん!ちょっと落ち着かせて情報が多い!」
まだまだ語り足りないけど…お姉さんが言うなら仕方ない。一回口を閉じて少し乾いた喉を潤そう。
うーん!なんか、久しぶりに"くまがみね"の話ができてスッキリしたなぁ!
昔は何時間だって時間を忘れて弌菜と語り明かしていたけど…今はすっかり相手にしてもらえなくなっちゃったから。
…もう弌菜は"くまがみね"が好きじゃ無いのかも、なんて。
それは凄く…凄く、寂しいや。
子供っぽい。
いつかの弌菜に、そう言って突き放された事を思い出す。
お姉さん達もやっぱり子供っぽいって思ってるかな。
「な、んと言うか…うん。とても物理的というか、ゴリ押しだね…」
「題名通りの"力は正義"だね…でも、ふふっ!」
急に笑い出したお姉さんに虚を突かれ、ついつい瞬きを繰り返す。
笑うとは言っても決して馬鹿にするようなものではなく、ただ純粋に立ち昇るそれは無垢な泡みたいだ。
メイリーさんも不思議そうな顔をする中、お姉さんはごめんねと眦に浮かんだ涙を指の腹で払いながら綺麗な藤の中に私をまっすぐ映し込む。
「二菜ちゃんから、本当に"くまがみね"が好きなんだって気持ちが伝わってきたの。それがちょっとくすぐったくて。それに、楽しそうに生き生きと話すものだから…引き込まれちゃったな。ちゃんと見てみたくなったよ」
「確かに。話術はともかくとして、二菜の熱量はひしひしと伝わってきたね。ボクも少し興味が湧いたよ」
「はわわ!で、でしたら今度上映会をしましょう!!全話バッチリ揃ってますので!!お菓子と飲み物並べてわーっと一気見しましょう!!」
「おや、それは楽しそうだ。是非とも誘っておくれ」
「私も!よかったら二菜ちゃんの解説付きで!」
「きゃは!任せてください!寝かせませんよぅ!」
「きひっ!御手柔らかに」
胸がぽかぽかする。
私の好きなものを理解しようとしてくれているお姉さんが新鮮で、嬉しい。
メイリーさんの言葉はほぼ社交辞令で、能力者らしい渇きが根本にあるけれど…お姉さんのそれは笑っちゃうくらい分かりやすく本物だから余計に。
「それで、話を戻すけれど…二菜はそのアニメとやらから"熊ヶ峰"という苗字をとったということかな」
「はい!"くまがみね"は…二菜の憧れなんです!」
"くまがみね"の境遇は、どこか私と重なって見えていたから。
小さい頃は自分の能力である『怪力』を上手く制御出来ず、沢山の物を壊したし沢山の人を傷付けてしまった。
それで周りから怖がられたり、弌菜達に沢山沢山迷惑をかけちゃったり…それが嫌で外に出ない方が良いんじゃないかと思ったこともある。
そんな私に"くまがみね"を教えてくれたのは他でもない…弌菜だった。
〈二菜は"くまがみね"そっくり!〉
と、私にそっくりな笑顔を浮かべながら見せてくれたあのアニメが、今でも私の道標になっている。
小さな一羽の理解者に支えられて、強すぎる力で人助けをする熊。
あぁ、いいな、こうなりたいなってストンと心に入り込んだんだよ。
隣で"くまがみね"ってカッコいいでしょ?と笑った彼女の為に、"そう"なりたいと望んだんだ。
「憧れの存在を苗字に、かぁ…なんか素敵だね」
「ふむ、ボクも嫌いじゃないね。ロマンチストな女性は美しいものさ。…ところで、やはり妹君も"くまがみね"とやらが好きなのかい?」
「そ…う、ですね。…好き……でしたよ」
そもそも教えてくれた張本人だもん。嫌いな筈はない。
昔…まだ仲が良かった頃はいつも弌菜と並んでテレビの前に座り、あのアニメに揃って目を輝かせていた。
私達はずっとずっとファンだったんだ。
ごっこ遊びを毎日のようにして、グッズだって多くはないお小遣いをやりくりして買って集めて、お揃いのキーホルダーを鞄に揺らして…でも、今は…
「でしたって……」
「はいはい、スイカが切れたからねぇ。皆でお食べ」
空気が悪くなってしまう前に来てくれたばーちゃんにホッと息を吐く。助かった…
ばーちゃんの手をとって感謝と共に指先へリップ音だけのキスを送っているメイリーさんの隣。心配そうに瞳を揺らす優しい人に、何ともないと笑って見せる。
その海面が凪ぐことはなかったけど、お姉さんは私の意を汲んでくれたのか何も言わずにその視線をばーちゃんの方へ移して感謝の言葉を紡いでいた。
〔…市は依然として手掛かりの無い行方不明者の捜索を続けていくそうです。では次は特集です。夏休みの思い出作りにピッタリ!明日から期間限定でオープン予定のレトロ博物館!あの頃の思い出が……〕
いつの間に番組が切り替わっていたのか、古くさいテレビは大喜利ではなく少しラフなニュース番組になっている。
あの頃…あの頃、か。
戻りたいな。
これは我が儘な願いなんだろうか…ねぇ、弌菜?あなたには迷惑な願いなのかな?
でもね、私…それでもあなたと一緒に笑っていたいよ。
一人にしないでと泣き叫びそうな自分から目を背けて見ないフリをし、私は一番大きなスイカをとってかぶりついた。
ちょっとだけ、いつもより塩が効いている気がしたよ。




