16-6
「へい、いらっしゃい!注文は?」
「えっと…」
今、私は海の家でかき氷を注文している。
ビーチバレーはどうなったかと言えば、結局あの後もサーブで破裂させスマッシュで破裂させ、とうとうレシーブですら破裂させ…と、もはやビーチボールは割るためにあるのだと常識がねじ曲がりそうな程破裂を繰り返した結果、あれだけあった予備が底をついた。
それと同時に二菜ちゃんも酸欠でダウンしたため、そのままお開きになったのである。
空気入れ、全て貸し出し中で借りられなかったんだよね…まぁこれだけ人がいるのだし仕方ないか。
あれだけの数を人力で膨らませ続けたらいくら能力者でもダウンもする訳で…二菜ちゃん、ホントお疲れ様です。
「はいよ!嬢ちゃん、おまちどお!」
「…あ、ありがとうございます!」
いけないいけない。回想に浸ってぼぅっとしてしまっていた。
メイリーはブルーハワイ。
私はレモン。
二菜ちゃんはストロベリー…ん?
一本欠けた前歯を見せてにっかり笑うおじさんからかき氷を受け取ってトレイに乗せていくと、一つだけやたらと大盛りなことに気付く。こんな注文してないけど…
「あの…」
「それ、ビーチバレーのもう一人のお嬢ちゃんにサービスだ。それ食べて元気になってくれや!」
「…ふふっ、ありがとうございます。きっと喜びます」
どうやらおじさんは先程までのビーチバレーを見ていたらしい。
ありがたい気遣いだが、何故二菜ちゃんのがストロベリーだと分かったのか…エスパーかな??
ともあれ、ペコリと軽く頭を下げてトレイを持った私は二人の姿を探した。
そういえば、かき氷のシロップって香り以外味はみんな同じらしいよね。初めて聞いたときは騙された気分になったものだ。
ふわふわの氷を彩る色彩を見てそんな豆知識を思い出していたのがいけなかったのだろう。
不意に、トンと誰かとぶつかってしまった。
危な、かき氷は無事だ…じゃなくて!
「す、すみません…!」
「んー?いいよいいよー」
「だってわざとだしぃー?」
は?わざと??わざとって言った???
聞き間違いかと訝しがりつつ下げていた頭を戻すと、程よく肌を焼いた男が三人にやにやと嫌な笑みを浮かべながら私を見下ろしていた。
品定めでもするように体をなぞる視線に謝罪の気持ちはすっかり吹き飛んだよね。何だコイツら。
「お、思ったよりイイわ」
「なー。近くで見るとフツーにカワイーじゃん」
「眼科に行った方がいいですね」
「秒で否定すんのウケる」
ゲラゲラと品性の欠片もない笑い声を上げ、照れてんの?と頓珍漢なことをのたまう連中に不機嫌さを前面に出しながら眉を寄せた。
もしやナンパではなかろうかと思い至ったところで、彼ら狙いに目星がついてため息を吐く。
「私をダシに"二人"と話したい…ってとこかな。直接行けよヘタレ。カッコ悪い」
「ひゅう、言うねぇー!」
わざと突き放すべく失礼な物言いをしたにも関わらず、男達は怒るでもなくゲラゲラ笑うだけ。
そんな彼らからふと鼻につくアルコールが香り、まさかお酒を飲んでいるのかとドン引いた。
溺れて死にたい自殺志願者か何かだろうか。
「マ、確かにぃ?オレとコイツはアンタのツレ目当てで声かけたけどぉー?なー?」
「そーそー。だってよぉ、高嶺の花っつーの?直接は声掛け辛いジャン?オレらシャイなんだわー!なんつって!」
「「ギャハハハハ!!!」」
「……へー」
笑って誤魔化してはいるけれど、視線を泳がせながらさっと頬に赤みが差すのを見咎める。
酒の勢いを借りてもいけなかったって訳ね。チキンかよ…だっさ。
まぁ、その気持ちは分からなくもない。
可愛い系の二菜ちゃんならまだしも、メイリーの方は尻込みするのが当然と言えるくらいに迫力ある美人さんだからね。
「あー、でもよぉ、コイツのお目当ては違うぜー」
「ほら、言っちまえって」
「そ、そうだな。お、俺は…君が…っ、君と!青春がしたい!!」
「「ひゅーう!!」」
「は???」
なんて?青春??この年で青春だと…??
なんと言うか…酔っぱらいテンション面倒くさいな。大学で見たことあるぞこういうノリ。
よし、適当に流してさっさと二人の所に戻ろう。
溶け始めたかき氷を眺めながらここから抜け出す隙を探っていた私だが、次の瞬間思考が止まる。何故なら…
「俺は…俺は!!貧乳フェチなんだぁぁぁぁ!!!」
「…あ"??」
「うっわ声ひっく…」
世迷い言を言っていた男がただでさえ赤かった顔を更に赤くして…爆弾発言をぶん投げてきたからである。
いやぁ、今聞き返したくも理解したくもない台詞が聞こえた気がするなぁ?
お仲間二人は私のド低音に若干引きながらも、言ったわコイツと空笑いしている。
笑い事じゃないんだけども?
「分かるんだ…誤魔化しててもな、俺には…隠せない!」
酒に酔ってるのか自分に酔ってるのかは知らないが、男の語りは止まらない。
誤魔化してるとか言うな。失礼過ぎるだろ。
運の悪いことにここは建物の影になっていて人目につきにくい上、身長のせいで男に囲まれた私の姿など見えやしない。
ただでさえ皆目先の楽しみに夢中なのだから尚更だ。
恍悦とした顔で私を舐めるように見る視線があまりにも気持ち悪くて、ぷつぷつと鳥肌がたってくる。
そして、耐えきれず一歩足を引いた瞬間…離れた分詰め寄ってきた男の目に覚悟が宿った。
「君は…理想だ!!」
「ひっ」
「理想の貧乳!貧乳!あぁ、好き…好きだ!!最高の絶壁なんだぁぁぁぁ!!!」
「…っ!うっるせぇぇぇぇ!!!連呼すんなぁぁぁぁぁ!!」
「がっ!?」
「「ひゅーう!!」」
とんでもねぇ告白をしながら腕を広げて抱きつこうとしてきた男をかわし、体勢を崩したそいつの頭に容赦なくトレーを振り下ろした私は悪くない。絶対悪くない。
メイリー、二菜ちゃん、かき氷ダメになったけど後で買い直すから許してね。
「最っ低!!悪かったな絶壁で!!!」
「ってて…いや、悪いとは言ってない!むしろ…イイ」
「口を閉じろ変態っ……ぐ!?」
「まーまー、そこまでにしてやってなー」
もう一発ぶん殴ろうと腕を振り上げた瞬間、他の男に手を捕まれてしまった。
トレイが手から滑り落ち、大した音も立てずに砂の上へ落ちる。
「いやー、見かけによらず手の早い子だわ。頭無事か?」
「ガンガンすっけど血は出てねーから平気だ」
「ヤれる?」
「余裕」
「だってさ。んじゃ取り敢えず一発ヤってみようぜ?これでもコイツ、めっちゃ上手いから。絶対ハマるって」
「お断りに、決まってるでしょ!!!」
言われている意味が分からないほど純真無垢じゃないし、今の体は生娘だが心は違う。
あんな世界にいたのだからそりゃ、そういう辱しめを受けることなんていくらでもあった。
まぁ『ソノヒ』時点では清らかな身だったから、どうせリセットでそのうち元に戻るんだけどね。
だからって大人しく従うわけがない。絶対お断りである。
最悪目の前で舌を噛み切って死んでやるくらいの決意はした。なめるなよ…トラウマ植え付けてやる。
「お前らがお楽しみの間にオレはグラマーなお姉さんを誘い出すかな。おたくの連れが倒れちまって介抱してる…とか言っときゃ簡単だろ」
「えーオレあのヤバい子ぉ?ムリムリ!面は可愛いけど、ビーチバレーお前も見てたっしょ?ゴリラってか化け物みたいな力してたじゃん。気持ち悪ぃ」
交わされた会話に、聞こえた台詞に、私の苛立ちは最高潮に達し…有り体に言えばプッツンと我慢の緒がキレた。
「訂正しろ、屑共が」
「「「は??」」」
怒りをそのまま言葉に乗せて叩きつけると同時にギロリと睨み付けると、二人が短い悲鳴をもらしながら半歩程後ろに下がる。
私を捕まえているもう一人も顔は見えずとも空気の変化を感じ取ったらしく、こちらが動けないよう更に腕を掴む力を強めてきた。
痛いなぁ。絶対にアザになるやつだよ…最低。
「…っ、メイリーをお前らごときが誘う?身の程を弁えろよ。私の恩人を、尊敬する人をその下卑た目に映すことすら度し難いんだけど」
「な…っ」
軋む骨に顔が歪みそうになるのを必死で隠し、明確な侮蔑にカッと顔を赤くする男達を無視しながら唾でも吐き捨てるような気持ちで言葉を続けていく。
「というか、二菜ちゃんが化け物?気持ち悪い?はぁ??お前らの目は節穴かよ。彼女は!可愛いだろうが!異論は認めない!!そんなことも分からない目なんて、くりぬいて魚のエサにでもしてしまえ!」
「トゥンク…」
「馬っ鹿おま…!新しい性癖開拓してる場合かよ!オレらナメられてんだぞ!」
「このアマ…調子乗りすぎだ、ろ!」
「…っぐ」
肩が外れそうな程乱暴に手を後ろに回され、がっつり拘束し直される。更に下から頬を鷲掴みにされ、思わず呻き声をもらした…その瞬間。
ヒヤリとした空気が…否、殺気が剥き出しの肌を撫でた。
私に向けられたものではない。これは男達にまとわりついているもので、彼らから顔色を奪っていくものだ。
そうと分かっても意に反して体がカタカタと震えてしまうのは…私がこの殺気を嫌というほど知っているからだった。
「何、してるんですか」
いつもは明るくキラキラしている声が、まるで深海から這い出た怪物のように暗く恐ろしく響く。
死んだ珊瑚よろしく白くなった男達は金縛りにでもあったように体を固まらせ、私はその隙に拘束から抜け出した。
そのタイミングを待っていたのか、私が離れた途端に腕を掴まえていた男が盛大に吹っ飛ぶ。原因は言わずもがな、だ。
「ゴミ虫さんの癖に、何お姉さんに触ってるんですか?」
数瞬前までは男が立っていたはずの場所で蹴りの姿勢を解いた二菜ちゃんである。
人懐こそうな笑顔を完全に消し去った顔にギラギラとした捕食者の瞳が光り、彼女はあまり人に見せるべきではないその目で腰を抜かす男達を睥睨した。
「ゴミ虫さんの癖に、お姉さんを傷付けようとしたんですか?」
「「ひっ」」
ゆらりと一歩踏み出した彼女が拳を握るのを見てさすがにこれはまずいと思った私は、二菜ちゃんと男達の間に体を滑り込ませる。
「に、二菜ちゃん、ありがとう!助かったよ!私は大丈夫だからその、もう…」
「お姉さん。すぐに虫さんを駆除するので、少し待っててくださいね」
ニコッといつも通りの顔で微笑まれ、声にもならない空気をこぼした時には既に彼女の姿は視界から消えていた。
どこに行ったか?なんてそんなの愚問だし、問うまでもなく答えが耳に届く。
「う"ぁ!?」
「ぐはっ!?」
「お"ぶ…っ」
案の定の鉄拳制裁…いや、もはやただの暴力だ。
ドカッ、バキッと生々しい音が海を楽しむ人々の声の中で鳴り響く。
同じ海にいる筈なのに凄まじく世界が解離していた。
しかし、さすがに騒ぎが聞こえたのか野次馬が寄ってきており、元となったナンパ騒動を知らない彼ら彼女らは容赦なく拳をふるう二菜ちゃんを見るや怯えた顔で口や目を覆う。
ヤバい、殺す気なのか、警察を呼んだ方が…
そうヒソヒソ囁き合う声がだんだん大きくなり、反対に顔が腫れ上がった男達の呻き声は小さくなっていった。
これ以上は世間的にも男達の命的にもヤバいぞ…スイカ割りになりかねない。
「二菜ちゃん!ね、もういいから!!ストップ!ストップ!!」
「…」
あ、ダメだこれ。完全に聞いていない…いや、聞こえていない。
相当腹に据えかねたようだ。
となると、無理矢理止めるしか手はないけれど…どう考えても私の力量では不可能である。
そう結論付けたら後は我ながら早かった。
すぐさま意識を切り替え、この場で唯一二菜ちゃんを止められるだろう人物の名を叫んだのだ。
「メイリー!!」
「…やれやれまったく、今になって呼ぶとはね。困ったお嬢さんだ」
「ひょわ!?」
耳元で囁くように返された返事にゾクリと甘い痺れが背を駆け、慌てて耳をおさえながら飛び退く。
振り向けば、したり顔の彼女がそこにいた。
いつの間に…気配も何もさっぱり分からなかったよ。
「ええと、メイリー…二菜ちゃんを…」
「あぁ、もう止めたよ」
「…え?」
まさかの過去形に目が点になる。
え、何、止めた…?そういえばやけに静かになっているような…
恐る恐る先程までは一方的な暴力が繰り広げられていた背後を振り返ると、気絶した二菜ちゃんと虫の息な男達がその身を砂浜に横たえていた。
男達の打撲傷はかなり酷いものだが、一応は全員存命であることに安堵の息を吐く。
それにしてもメイリー、仕事が早すぎでしょ。私が二菜ちゃん達から目を離したのなんてほんの少しだったと思うのだけど…
半ば呆然としながらもとりあえずメイリーにお礼をと思った私はしかし、ぴこんと強かに額を打ったデコピンに礼ではなく呻き声を上げる羽目になった。
何コレめっちゃ痛い。たぶん今までで一番痛いデコピンである。
「づぅぅ…め、メイリー?」
「あのね、シオリ。自分の窮地には助けを呼ばず、他人の為にはすぐに助けを呼ぶ…そういう姿勢はいただけないよ」
「で、でもそれは…私には命の危険がなかったからで…」
「でももだってもナシだ。そもそもその言い分だと命の危険まで我慢するつもりだったのかい?まったく…いつ頼ってくれるものかと様子を見ていたけれど…ここまでとは予想外だ。命云々の前に貴女は女性として危なかったんだよ?」
「そ、れは…」
「何より、だ。貴女が絡まれた時点ですぐに助けを求めてさえいれば、彼らがここまで苛烈な二菜の怒りを買うこともなかった…違うかな?」
至極まっとうな指摘に返す言葉が見つからず、口を一文字に結んで逃げるように視線を下げる。
まるで親に叱られた子供と同じだなと自嘲しつつ、己の浅はかさを恥じた。
メイリーの指摘通り、ここまで事を大きくしてしまった原因は…私だ。
「ふむ、貴女は人に頼るのが下手…というか、そもそも自分を蔑ろにするタイプみたいだね。四恩先生あたりの怒りを買って監禁されそうな性格だ」
「うぐっ…」
色々と図星である。
「忘れないでおくれ、シオリ。貴女は今、一人じゃないんだ。貴女を心配する人がちゃんといるんだよ」
「…はい」
「それに、だ。貴女に何かあったら…ボクは本気で久夜に怒られてしまうのだからね」
真剣な声から一変。少しおどけた口調で締めくくった彼女をそっとうかがうと、そこには確かな心配と慈愛に似た暖かさがあって…
あ…いつの間にかメイリーが、一歩私を内側に入れてくれている。
それを理解すると同時に、彼女が情を注いでくれた"私"を他でもない自分が蔑ろにしたのだという罪悪感がぶわりと襲ってきた。
「心配かけて、ごめんね。それと…助けてくれてありがとう」
だからこそ、口は自然と謝罪と感謝を紡いだのである。
「…よし。次はもっと早く頼っておくれよ。貴女は"頼る"という行為に早急に慣れた方が良さそうだからね」
「あ、はは…すぐには慣れそうにないけど、頑張るよ。でも、次がない方が嬉しいかな」
「ふふ!違いない。さて…」
すっかり私達の間に流れる空気が弛緩すると、周りのざわめきが耳に入る。
あ…ギャラリーの存在を忘れてた。ただでさえ二菜ちゃんの暴力で騒然としていた場が、メイリーの登場で更に混乱している。
そりゃ、とんでもない美人が大暴れしてる人物を容易く鎮めて見せたのだ。それどこの物語?って感じだよね。
「…もう海どころではなさそうだね。離れようか」
「そう、だね。目立っちゃったし、最悪警察が来そう…」
「きひっ!それは困る!ボクの上司の耳に入りでもしたら拳骨ものだ!」
ケラケラと笑いながら、メイリーはまるで羽でも持ち上げるかのように重力を感じさせない動きで二菜ちゃんを姫抱きすると…そのまま颯爽と人混みを割って歩き出した。
わぁ…オーラが凄すぎて人が勝手に道を譲ってく…
ナイスバディなお姉様の洗練された貴公子ムーブにあてられた人が数名立ち眩みを起こしていた。
うん、まぁ…気持ちはとても分かる。
「シオリ?どうかしたかい?」
「う、ううん!ごめん、すぐ行く」
そんな彼女の隣をおそれ多くも歩きながら、私達は海を後にしたのだった。
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「二菜のせいで…本当に、本当にすみませんでした!!」
「いやいや!二菜ちゃんのせいじゃないって!」
「やれやれ…貴女達は何回このやり取りを繰り返すんだい?」
あの後人目から逃げるように更衣室まで戻った私達は、併設されていたシャワーで海水を流して水着から普段着へと装いを戻し、砂浜からアスファルトへと歩く地面を変えている。
二菜ちゃんはシャワー中に意識を取り戻したらしく、カーテンを開けた瞬間目の前で見事な土下座を披露していた。普通にビックリしたし、他数人の利用客からの目が痛かったよね。
で、その時は当然すぐに頭を上げさせてシャワーに放り込んだんだけど…彼女の気が済まないのか、土下座はしないにしてもこうしてずっと謝りっぱなしなのである。
悪いのはナンパ野郎の方だとか、喧嘩腰になった私も迂闊だったとか、二菜ちゃんにはむしろ助けられたのだから気に病まないで欲しいとか…とにかく言葉を尽くしているのだが、二菜ちゃんは一向に己を許そうとしてくれなかった。
メイリーも困り顔だ。
「二菜、貴女は何をそんなに落ち込んでいるんだい?確かに予定より早めに切り上げることにはなってしまったけれど、ボクもシオリも十分楽しめたと思うよ」
「それは、そうです…けど…」
二菜ちゃんはチラリと私を見て泣きそうに顔を歪めた。
「二菜はお姉さんにいっっっっっぱい楽しんでほしかったのに、海でもビーチバレーでもさっきの騒ぎでも、みんな…迷惑しかかけてないなって気付いたんです……そしたらもう、申し訳なくて…っ」
どうやら二菜ちゃんの謝罪は先程の騒動だけに対するものではないらしい。
枯れた花…いや、雨に濡れたワンコのようにしょぼしょぼになってしまっている彼女はあまりにも痛ましくて…
パチン!
「っはわ!?」
だから、私は彼女の目の前で両手を打ち鳴らした。いわゆる猫だましというやつである。
思惑通り驚きで丸くなった桜色が影から引き上げられてこちらを映し、それを真っ直ぐ見つめ返しながら私は口を開いた。
「海の中…凄く綺麗だったって話したよね?私、実は潜水ってどうも下手くそで…だから、あの景色が見れたのは二菜ちゃんのうっかりのおかげ。そりゃビックリはしたけど…結果的に私は満足だったから問題なし!」
「え、あ…」
「ビーチバレーの時さ、二菜ちゃん私が取りやすい所にボール落としてくれてたでしょ?あんなにラリーが続いたのは初めてで嬉しかったんだ!あと、ビーチボール膨らませてる二菜ちゃんは一生懸命で可愛かった!」
「ちょ、お、お姉さん???」
「それと、二菜ちゃんがナンパ野郎共を蹴散らしてくれたおかげで体だけじゃなくて心も助けられた。あのね、助けてもらえて…嬉しかったよ。勿論、いくら相手が畜生以下とはいえやり過ぎたことは反省しなきゃだけど…それでも、私の為に触りたくもない下衆に拳をふるってくれた事にはお礼を言いたいな。ありがとう、二菜ちゃん」
至くんのように容赦ない文字数で思ってることを吐露すれば、案の定気圧されたように彼女は固まっている。
しかし数テンポ遅れながらも台詞をきちんと飲み込んでくれてはいるようで、じわじわと赤みが増していく顔はとても素直だ。
何か言いたくて、けれど言葉にはならなくてはくはくと口を開閉させる姿に頬を緩めつつ、私は一番伝えたいことを言葉にすべく喉を震わせた。
「…海、楽しかったね!二菜ちゃん」
「…っ!!…はい…っ、はい!!楽しかったです!!」
泣くのを堪えるような表情で眉を下げ、しかし瞳と口元には抑えきれていない歓喜をにじませて。
そんな、ごちゃごちゃした感情を一生懸命彼女なりにまとめて、二菜ちゃんは最終的に笑顔を見せてくれた。
楽しかったと返って来た言葉は力強く、嘘の欠片も感じない。…あぁ、良かった。本心だ。
私だけの気持ちじゃなかったことが嬉しくて、ただでさえ緩み気味だった顔が更に溶けるのを感じた。
と、クスクスと空気をくすぐるように悪戯っぽく、しかしどこか艶のある笑い声が響いてそちらへ顔を向ける。
「まったく、貴女もとんだ人たらしだね。ふふ!」
「え??人たらし…?何故…」
「きひっ!これはこれは、末恐ろしい!きひひ!」
メイリーは私の呟きで更にツボに入ったらしく、手で口元を隠しながらおかしそうに目を細めて肩を震わせた。
どうしてか二菜ちゃんも真面目ぶった顔で同意を示すように頷いている。解せない。
釈然としない思いを抱えながらじとっと二人を睨んだその時、急に彼女達は動きを止めた。
ストンと音が聞こえそうな程に消えた表情。
一瞬睨んだのが良くなかったのかと思ったけれど…肌を撫でるピリッとした空気は気分を害したのとはまた違うように感じる、かな。
「ーーーー!!!」
「ーーーー!」
「…ん?」
展開についていけず目を白黒させていると、不意にどこからか怒鳴り合うような声が聞こえてきた。
男女で言い争っているみたいだけど、トラブル…?
というかコレ、近付いてきてるような…
声の出所を探そうと視線を動かした刹那。
少し先の建物の隙間から、蹴飛ばされた空き缶と共に人が飛び出してきたではないか。
あれって、まさか…
「あー!もー!!しつっこいなぁ!!」
「…弌菜?」
「げっ…二菜!?…と、お姉様方!?え、海に行ったんじゃ…」
目を丸くして立ち止まったのはやはり、見間違いではなく弌菜ちゃんだった。
気まずそうに視線を揺らした彼女だったけれど、今しがた自分が飛び出してきた路地の方を見てすぐに顔をしかめる。
すると、引き摺るような足音を立てながら二人組の男が暗がりから染み出るように現れた。
「ヨォ、嬢ちゃん。オニゴッコはもう満足かぁ?」
「ちょーっと道案内頼んだだけで逃げるなんてつれねーよなぁー?」
「…何が道案内"だけ"だよ。ラブホ聞いといて」
弌菜ちゃんが転がした空き缶を踏み潰し、ニタァと嫌らしい笑みを浮かべる彼ら。
彼女がボソッと言い返した呟きも相まって嫌な予感をビンビンに感じた。
芸術作品か?と聞きたくなる奇抜な髪型と目に痛い緑と赤、だらしなく着崩された服装、じゃらじゃらと耳を埋め尽くさんばかりのピアス…
まぁ、好みは別として個性と見れるそれらにはまだ目を瞑れるけれど、問題なのはねっとりとした欲の乗った目だ。
うーん。デジャヴって言うのかな…さっき見たばっかな気がするぞ。
そうっと様子を伺うべく二菜ちゃんへ目を向けた私はすぐに視線をそらし、ですよねー!と叫んで空を仰ぎたくなった。
瞳孔をかっ開いて表情を削ぎ落とした彼女は…間違いなくさっきよりもご乱心である。
「つか、何そちらさん?友達ぃ?」
「いーね、いーね。皆でさ、一緒に楽しーことしようぜー。あ、お兄さんは帰ってイーヨ」
「おや、つれないね」
いやその人が一番の美人だけど…というツッコミを飲み込みつつ冷や汗をたらす。
これはもしかして、いやもしかしなくてもヤバイのではないだろうか。
何がって?当然…彼らの命が、だ。
そう思ったのはどうやら私だけではなかったらしい。
「ばっか!アンタ達死にたいの!?道案内なんてしないから、早くどっか行きなさいよウジ虫!!」
「あ"?ンだとコイツ…!」
あ、と気の抜けたメイリーの声が聞こえたのと私の横を風が通り抜けたのはほぼ同時で、瞬き一つの間に立っている男が一人減っていた。
「…は?ほぇ…?マサちん…??」
「弌菜に集る虫さん…もう一匹」
「…ぇ……?」
状況を飲み込めていない男の前にゆらりと立ち塞がったのはやはりというか二菜ちゃんで…
拳を振り上げるその様子がまるでスローモーションのように見える。
あれは、ダメだ。
あの一撃を打ち込まれたら…最悪男は死んでしまう。
そうは思っても、こんな時に限って私の口も喉も思うように言葉を生み出せず、あぁもうダメだと一瞬先の悲劇を想像して表情を歪ませることしか出来なかった。
しかし…その悲劇が現実になることは無かったのだけれど。
「止めなさい!!二菜!!」
ただ一言。弌菜ちゃんの発した一喝で、ピタリと二菜ちゃんが静止したからだ。
その拳が男の鼻先で止められたからだ。
それこそ、ビデオの停止ボタンでも押したかのように。
ギリギリまで殴る気満々だったその拳の勢いは、男のセットされていた髪をぶわりと乱した風が物語っている。もし止まっていなかったらと思うと…背筋が凍る思いだ。
良くて粉砕骨折は確実だっただろう。良くて、ね。
それは間近で感じ取っただろう男にも分かったらしく、彼は足をもつれさせ,無様に転んで転がりながら必死の形相でひぃこらと逃げていった。
ツンと鼻を刺激したアンモニア臭は気付かなかったことにしよう。メイリーは凄く嫌そうな顔してるけどね…
というか、お仲間まだ伸びたまんま置き去りじゃん…白状な奴である。
まぁ気を失ってはいるものの大事は無さそうだ。
上下している胸を確認して、私は知らず詰めていた息をそっと吐き出した。
「いやぁ、間一髪だったね」
「メイリー…止めてくれても良かったんじゃないかな」
「きひっ!勿論そのつもりではあったよ?少し考え事をしていて出遅れたけどね。それに、彼女を見てボクの出番はなさそうだと思ってね」
彼女、と言ったメイリーの視線の先には二菜ちゃんを厳しい目で睨む弌菜ちゃんがいる。
「二菜!ウチのいざこざに手を出すなっていつも言ってるよね!?」
「ご、ごめん…でも弌菜が…!」
「でももだってもない!!二菜のそれは過剰防衛になるからダメって何度言ったら分かるの?怒られるのウチやおばあちゃん達なんだよ?それに…今のは…っ、相手が死んだら、どうするつもりだったの」
「ご、めんなさい…」
あぁ…折角海の件から立ち直りかけた二菜ちゃんがまた萎れて…
たぶん、二菜ちゃんは私の時の怒りがまだ残ってたから余計に歯止めが効かなかったんじゃないかな。
絶対消化不良だったろうから…
腕を組みながら頬を膨らませていた弌菜ちゃんだけど、十二分に反省の色を見せている二菜ちゃんに溜飲が下がったのか、ふぅと一つのため息と共に怒気を散らした。
そして、枯れた花のごとく下がってしまっている薄桃色の頭を慰めるようになでる。
「ま…助かったよ。ありがと。あと、ちゃんとパンチ止められたのは…頑張ったじゃん」
「…!!えへ、えへへへへ!弌菜の為ならこのくらいなんてことないよ!それに、弌菜の声ならいつだって届くよ!聞き逃したりしないもん!」
数秒前の様子が嘘のような変わりように、私とメイリーは思わず顔を見合わせて吹き出した。それはチョロすぎるよ二菜ちゃん…!
うん、はち切れんばかりに振られているワンコの尻尾が見えるようだ。
「ふふ!これはこれは…二菜を止めるときに然程焦った様子がなかったものだから不思議だったのだけれど…成る程ね」
「…それが止めなかった理由?」
「まあね。しかし腑に落ちたよ。彼女は二菜の扱いにとても慣れている…さすがは生まれながらに共にある双子だね」
双子、か。
私の周りには居なかったから想像でしかないけれど、やっぱり特別な繋がりがあったり感じたりするのかな。
嬉しそうに抱きついている二菜ちゃんと迷惑そうな顔で抱擁から逃げようとする弌菜ちゃんを眺めながらふと思う。
特別、か。
《二菜を止めていいのは…"あの子"だけなんです》
そういえば"アイツ"にもいたな。特別な…"あの子"。
誰かに止めろと口に出される度に口癖のように言っていたその言葉。
今の二菜ちゃんを見て、ようやくストンと納得出来た。
そっか。"アイツ"にとって特別だった"あの子"は…弌菜ちゃんのことだったんだね。
…あれ?だとしたら、"特別"の意味も変わってくるんじゃないだろうか。
双子だからというだけではない重要な関係が、二菜ちゃんと弌菜ちゃんにはあるんじゃ…
だって、壊れてしまった"アイツ"が、壊れても尚叫んでいた存在なのだからそれはつまり…
「もう!少し優しくするとすぐ調子に乗る!ちゃんと反省してよね!」
「うぅ…だってぇ…弌菜のデレって貴重なんだもん」
「デレって言うの止めて。とにかく、ウチの喧嘩はウチが自分でケリつけるから…二菜は首突っ込まなくて良い」
「そんな!だって…だって、やっぱり心配だよ!確かに弌菜は護身術?使えるみたいだけど、男の人相手じゃ…」
「ヤバかったら逃げるくらいは出来るから。ってか、二菜止める方がよっぽど手間」
「うぐ…」
「だいたいさぁ…」
再び火がついてしまったらしいお説教に、私は考え事を中断して二人を見守る姿勢をとった。メイリーも面白そうに静観している。
弌菜ちゃん…ずいぶんと溜め込んでたんだね。
出るわ出るわ二菜ちゃんへの不満やら注意やら。
そろそろ可哀想になってきたから勘弁してあげてほしいな…なんて。
そんな私の願いは、思わぬ形で叶うこととなった。ただし、あまり良いとは言えない形で、だけれど。
「二菜、分かった?とにかく、話戻すけど今度からはウチの事は放っといてよね」
「うぅぅ…でも…」
きっかけは二菜ちゃんの放った一言だった。
「でも二菜は…弌菜のお姉ちゃんだから!だから、守ってあげたいの!」
「…っ!!」
健気でひた向きな一言。
妹を案じる姉の、ありふれた一言。
けれどその言葉に弌菜ちゃんは息をのみ、ピタリと口を閉ざしてしまった。
耳に痛い静寂とはまさにこの事かと思うくらいに、緊張の糸が張りつめた空気の中で誰もが無言を貫く。
それは時間にしてほんの数秒程度の事だった筈なのに…ひどく長く感じた。
「ウチは…」
凍り付いたような静をもたらしたのも弌菜ちゃんなら、破るのも彼女である。
いつの間にか顔に影が落ちるくらいに俯いていた弌菜ちゃんが、ぽつりと暗く重い声で呟いた。
「ウチは、二菜を姉と思ったことなんて…一度もない」
それは、残酷な拒絶である。
言われた本人だけでなくメイリーや私も面食らってしまい、こちらに背を向けて走り去る弌菜ちゃんを追うことも…声をかけることすら出来ないまま見送るだけだ。
揃って同じ方向を向いてぽけっと立ち尽くす私達三人の横を、怪訝な顔をした通行人がスーパーの袋片手に通り過ぎていった。
「…え、へへ…ダメダメですね二菜…また、弌菜を怒らせちゃいました」
よろよろと今にも足の力が抜けてしまいそうな様子で彼女は私達へ向き直る。
無理やり浮かべられた笑みは痛ましくて…どうにも直視できなかった。
「すみません…どうしてか二菜は、いつもこう、弌菜を怒らせちゃうみたいで…ダメなお姉ちゃんですよね」
「ふむ…ボクには二菜が至極まっとうな事を言っていたように思うけどね。どちらかと言えば妹君の方が分からないな」
メイリーの言うことはもっともだ。
二菜ちゃんは何も理不尽を告げたわけでも酷い言葉を使ったわけでもない…むしろ、端から見ても分かるくらいに弌菜ちゃんを思っての発言だった。
それなのに、どうして弌菜ちゃんはあんなことを言ったのだろう。
「…本心、なのかな」
「ん?シオリ、どうかしたかい?」
「ううん…どうして弌菜ちゃんはあんな言い方をしたのかなと思って…」
「さてね。ボク達が考えたところで分かりようがないさ。双子たる二菜でさえお手上げなのだからね。知るは本人のみ、というやつだよ」
メイリーは首を突っ込むつもりはないと言いたげな乾いた表情で肩をすくめてみせる。
とはいえ、本人にしか分からないというのはもっともだろう。
どうしてあの時の彼女が今の二菜ちゃんと同じように辛そうな、誰よりも傷付いた顔をしていたのか…その理由の答えなんて、彼女の中にしかないのだから。
「…さ!メイリーさん、お姉さん!家に、帰りましょう!疲れちゃいました!」
どうみても空元気な二菜ちゃんを心配しつつ、私はメイリーとその小さな背を追う。
遠退いていく潮騒はどうしてか、泣き声のように響いていた。




