16-4
元は立派であったと思われる大破した門をくぐり、荒々しい足取りの弌菜ちゃんとたんこぶをこさえた二菜ちゃんに通されたのは風情溢れる木造の古民家だった。
都会では中々お目にかかれない規模の広く大きな庭。
趣のある岩やどっしりと根を張る松などが自然な無秩序さを感じさせながらも見映えよく配置されており、小さめだが人差し指くらいの金魚が数匹悠々と泳ぐ池もあるではないか。
木々は枝まできちんと整えられ、落ち葉や雑草は見当たらず、池に張られた水も濁りなく綺麗だ。
とても丁寧に手入れされているのが分かり、私は感嘆の息を溢した。本当に凄いや。
祖父母の家にもこういう庭はあったけど…ここまで立派じゃなかったし、生えてるのが植えた花なのか雑草なのか分からないといった状態だったと思う。
どれ程の手間暇をかければこんなに立派な庭を維持できるのか…私じゃとても想像がつかないな。
そんな庭に目を奪われながら歩いていればあっという間に玄関前で、ガラガラと少しばかりつっかえながら引き戸が開かれた。
「ただいま」
「ただいまー!!ささ、お姉さん達もどうぞどうぞ!!あ、スリッパこれ使ってくださいね!!」
「ありがとう二菜ちゃん。お邪魔します」
「ふむ…?お邪魔します」
私を見て不思議そうに瞬き、取って付けたように挨拶をしたメイリーに内心でため息をつく。
そうだよね、まともそうに見えて一ノ世の同期だもんね…そんな気はしてた。
能力者よ、最低限のマナーはちゃんと教育すべきだぞ。
気を取り直して足を進めようとしたところで、視界に入ったものにびくりと体を震わせた。
「シオリ…?どう…あぁ、あれかい」
「きゃははは!お姉さん、大丈夫ですよぅ!それ、ただの甲冑ですから!」
そう、目線の先…玄関の真っ正面にはこれまた立派な甲冑と兜が飾られていたのである。
照明に照らされて黒光りする金属と血管のように編まれた赤い糸。
中身などない筈なのに、正座してる誰かが空っぽな兜の奥から睨んでいるような気がしてきてしまう。
そのくらい精巧なものだった。
し、心臓に悪い…っ
「まぁ、いきなり目の前にあったら驚くよね」
「ふむ…これは本物なのかい?」
「まさかまさかー!じぃちゃんは貰い物のレプリカって言ってましたよ!」
「そ、そうなんだ…良くできてるね」
「確かに。ウチでもたまにビビるし。まぁ防犯には役立ってるんじゃない?」
うん、夜中にこれを見たら逃げるね。
そもそも玄関から堂々と出入りする泥棒が今のご時世にいるのか分からないけども…
そんなドッキリを乗り越えて、私とメイリーは玄関から続く廊下の床板をきしませた。
聞いたところ二菜ちゃんと弌菜ちゃんは早くに両親を亡くし、この家の持ち主である母方の祖父母に育てられたのだそうだ。
挨拶をと思ったけれど、どうやら今は二人揃って留守にしているらしい。
たぶん畑やってると教えてくれた弌菜ちゃんの言葉から察するに、元気で活発なご夫婦のようだ。
家主不在なら仕方ないと挨拶は先延ばしにし、通された居間で大人しく尻を座布団に預ける。
人様の家というのはそわそわして落ち着かないものだと思っていたけれど…ここは逆だ。とても落ち着く。
昔よく遊びに行っていた祖母の家を思い出しつつ、懐かしさの滲む深い木造の香りを肺に満たした。
古き良き、と言うのかな。
旧型の厚みがあるテレビに懐かしの白熱灯。こたつがついたローテーブルの天板には籠いっぱいにお煎餅やお豆さんといったお菓子が詰め込まれている。あ、ゼリー菓子もある。懐かしいなぁ。
通りから離れているせいか車の音はなく、聞こえるのは自然の音と時計の音だけ。
あぁ、そっか。祖母の家に似ているのは確かだけど…この時間の流れがゆったりと停滞したかのような雰囲気は、図書室のそれとも似ているんだ。
だからこそこんなに落ち着くんだね。きっと。
と、奥の部屋に向かう弌菜ちゃんについていった筈の二菜ちゃんがしょんと肩を落としながら戻ってきた。
台所での作業を手伝おうとして追い返されたらしい。
そして、彼女はおもむろに私とメイリーの前に腰を下ろすと…突然頭をテーブルに打ち付ける勢いでガバッと下げたではないか。
「すみませんでしたっ!!道中のこと、弌菜から聞きました。二菜…お二人をおいていってしまって…っ」
虚をつかれて一瞬何の事かと思ってしまったけれど、弌菜ちゃんと出会ったきっかけを思い出して苦笑する。
「…頭を上げて、二菜ちゃん。確かに二菜ちゃんがいなくなってて驚いたし、困ったのも本当だよ。でも別に怒ってはないし、こうして何事もなく合流出来たから大丈夫。それに…ボーっとしてた私達にも非はあるからね」
「そうだね。シオリの言う通り、周りを見ていなかったのはお互い様だ。…しかし」
一度ふつっと音の響きを飲み込むように切ったメイリーが目を伏せる。
途端、ピンと張った空気に私と二菜ちゃんの背が自然と伸びた。
「ボクをおいていくのは構わないさ。けれど、護衛の対象となっているシオリをおいていくのは…いくら彼女が気にしていないとはいえとても褒められたものじゃないよ、二菜」
「うぐっ」
「貴女には彼女を連れ出した責任があることを忘れてはいけない」
「そ…れ、は………その、通りです…」
厳しさをはらんだ口調と冷気すら感じそうな鋭い視線に咎められ、伸びた筈の背がみるみるうちに萎んでいく。
でもそんな…私の事で責任なんて感じてほしくはないよ。
そう思って口を開きかけたところで、今度は私がメイリーの視線に縫い止められて閉口する。
紅い月は甘やかすな、と告げていた。
「シオリ、貴女の優しさは美徳だし、当事者たる貴女が望まぬ責を彼女に強いているボクは勝手だろう。しかし、理解してほしい。貴女の感情や思いに関係なく、何かあれば久夜は二菜を罰する…という事をね。それが任せた上司と任された部下のけじめだ」
「…あ」
真剣なメイリーの言葉に反発も不満も飲み込むしかなくなってしまう。
ただただ正論だったから。
正式な任務でないとしても、二菜ちゃんが一ノ世に"頼んで"私を連れ出す許可をもらった事は事実。
その時点で既に、彼女は責任を背負っていたんだ。
つまるところこれは私の意思云々の問題ではなく、頼まれたことに取り組む姿勢の問題なのである。
もしこれが要人警護の依頼であったとするなら、対象から離れるという行為をした二菜ちゃんの取り組み方は成る程許されていいはずがないもんね。
メイリーの厳しさはつまり、そういうことだ。
彼女は正しく二菜ちゃんの為に厳しい言葉を投げ掛けていたわけ、か。
一番自覚が無かったのは…結局私だ。
二菜ちゃんが叱られないようにと思うのなら、私も…守られる側も気を付けなきゃいけなかったのに。
落ち込んだ私の頭を、メイリーがあやすように撫でた。
「うぅ…本当にすみませんでした。二菜、弌菜に会えると思ったらつい舞い上がっちゃって…いてもたってもいられなくなっちゃっ……」
ゴンッ!と乱暴に置かれたグラスが二菜ちゃんの台詞を遮る。
跳ねた中身で濡れた手を辿れば、お盆に人数分のグラスをのせた弌菜ちゃんがひどく苛立たし気な様子で二菜ちゃんを見下ろしている。
睨み付ける眼光は冷たく、鋭い。二菜ちゃんが彼女に向ける親愛を含む視線との温度差で風邪を引きそうだ。
「あのさ、ウチを理由にしないでくれる?二菜自身の問題じゃん。ってか、自分で誘っときながら案内すっぽかして置き去りにするとかあり得ないんだけど。わざわざ来てくれた二人に失礼って分かんないの?」
「うぐっ」
「ふむ、妹君はなかなかに厳しい人のようだ」
「厳しいってか…常識的なこと言っただけでしょ」
常識的と紡がれた言葉には諦念が混ざっていた。
もしかしたら彼女は一般人と能力者の精神的な差を感じ取っているのかもしれない。
ちなみに、私は常識という言葉の響きに密かに感動した。
「はぁ…人様に迷惑かけただけじゃなく門まで壊すし…二菜さ、どんだけおじいちゃんとおばあちゃんに迷惑掛ければ気が済むの?いい加減にしてよ」
わぁ…辛辣。
弌菜ちゃん、最初に私達が声かけた時くらい刺々しい。いや、それ以上かも。
ちょんちょん、と肩をつつかれたのを感じて目だけで振り返る。
すると、メイリーがこそっと体を寄せてきた。
わぁ、すこぶるいい匂いがする …じゃなくて!
「二菜は家族仲が悪いというのかい?」
「いや、私も知らないけど…そこは私よりメイリーの方が詳しいんじゃないの?」
「ふむ…確かに共に過ごした時間は貴女より長いけど、興味が無かったからね」
「はぁ…そう。うーん…仲が悪いかは、難しいところじゃないかな」
「…と、いうと?」
初見な家庭の事情なんて知らないし、弌菜ちゃんのことも二菜ちゃんのこともちゃんと分かっていない。だから確信というものは無いけれど…
「…目」
「目?」
「弌菜ちゃんの目が、気になるかな。"嫌い"とは違うように見えて…」
怒りだとか苛立ちは分かりやすいくらい表に出ていたけど、その奥では色々な感情がごった返しているようだった。
もしかしたら、本人でも感情の整理がついてないんじゃないかな。
「成る程…難しいんだね。感情というものは」
「いや、何目線…」
小声でやり取りしつついまだ勢い衰えずに続く弌菜ちゃんの口撃を聞き流していると、言われっぱなしだった二菜ちゃんがガタン!と机を揺らしながら立ち上がった。
そして、らしくないくらい目尻をぐっとつり上げる。
「迷惑迷惑迷惑って…迷惑かけてるのは弌菜もでしょう!!聞いたよ?昨日も家に帰ってこなかったんだって?」
「それは、友達んとこに泊まったから…」
「連絡もなしに?じーちゃんもばーちゃんもすっごく心配してたんだよ!?弌菜こそちゃんと分かってるの!?」
「そ、れは…!」
あー…もしかして私達が弌菜ちゃんに会ったのって、朝帰りの途中だったのかな。
いくら高校生とはいえ、まだ保護者の庇護下にいる年頃…所謂子供には違いないのだ。
無断で外泊などされたらそりゃ気が気じゃないに決まってる。
なにせ、世の中は決して安全ではないのだから。
それは弌菜ちゃんも分かっているのか、彼女は反論の言葉を飲み込んで気まずそうに視線をそらした。
「とにかく!家にはちゃんと帰ってこないとダメだよ!!じーちゃんたちは勿論、二菜だって弌菜がしんぱ…」
「っ、うるっさいな!!!」
ここだとばかりに畳み掛けた二菜ちゃんだったが、叩きつけるような拒絶が彼女を襲い勢いが止まる。
「確かに…確かにさ!おじいちゃんとおばあちゃんには心配も迷惑もかけてるよ!!分かってんの、そんなことくらい!!でも、二菜には関係無いじゃん!!自分はいっつも家にいないクセして、何偉そうな事いってんの!?」
「酷い!酷い言い方だよ!関係あるに決まってるじゃん!!だって…二菜は弌菜のお姉ちゃんなんだから!!」
「…っ!!何が…!何が、"お姉ちゃん"だよ!!二菜なんて…!」
「はい、ストップ」
「「…っ」」
言い争いがヒートアップしてきてそろそろヤバそうだと思った私は、ペシンと二人のおでこを軽くはたいて水を差す。
虚を突かれて呆けた二菜ちゃんと苛立ちのままに私を睨む弌菜ちゃんの視線を受け止めながら、人差し指をすっと下へ向けた。
「座って」
「…っ!はいっ!!」
「…」
しゅばっと素早く座った二菜ちゃんに対して弌菜ちゃんはしぶしぶといった様子だけれど、大人しく従ってはくれるようだ。
二人が腰を下ろしたのを確認して、私はただ一言唱えた。
「『開示』」
どこからともなく現れた本が傍らに浮かぶ。
それはひとりでにページをパラパラとめくり始め、居間の風景は変わらぬままに睨み合う二人の姿を…その"記録"を本人達の後ろに映し出した。
「え!?な…何これ、ウチ!?なんで…!?」
あ、そっか。私の能力を知っている二菜ちゃんとメイリーは平然としているけれど、さすがに何も知らない弌菜ちゃんは驚かせてしまったみたい。
いくら無害な能力とはいえ、いきなり使うのはダメだったね。反省。
「驚かせてごめんね、弌菜ちゃん。これは私の能力で、"記録"した映像を映してるだけだから大丈夫だよ」
「…ビデオみたいなもん?あ、ホントだ触れない」
無害だと伝えた途端に手を伸ばして"記録"の自分に触れようとするあたり、度胸があるというか好奇心が旺盛というか…
ともあれ、弌菜ちゃんが警戒を解き、二菜ちゃん共々何がしたいのか?と視線で問いかけてきたところで…本題に入ろうか。
私はペラリとページをめくり、"記録"の再生を開始した。
《…二菜さ、どんだけおじいちゃんとおばあちゃんに迷惑掛ければ気が済むの?いい加減にしてよ》
《迷惑迷惑迷惑って…迷惑かけてるのは弌菜もでしょう!!》
《二菜には関係無いじゃん!!自分はいっつも家にいないクセして、何偉そうな事いってんの!?》
《酷い!酷い言い方だよ!関係あるに決まってるじゃん!!》
「「っ」」
「おやおや、これは…」
目の前に映し出されていく自分達の言い争う姿。
それを見せつけられた二人はといえば…顔を熟れたトマトのように真っ赤にしてどんどん小さくしぼんでいく。
うんうん。そうだよね。恥ずかしいよね、こんなの。
メイリーは私の思惑をいち早く察してくれたのか、水の足りない葉の如くしおしおになった彼女達と仁王立ちの私を見比べながら容赦ないねと小さく笑った。
口を挟む気はないのか、そのまま傍観の姿勢を貫いている。
やがて私は二,三度ループした"記録"を止め、それと同時に二人へこう尋ねた。
「これを見せるために、私やメイリーを招いてくれたのかな?」
「「……違います」」
「そうだよね。ケンカするなとは言わないから、もう少し周りを見ること。ね?」
「「はい…」」
気まずさと羞恥ですっかり背を丸めてしまった二人にもういいよと努めて優しく声をかけ、羽毛が落ちてきたくらいの軽さで一度だけそれぞれの頭を撫でる。
本当はわしゃわしゃにしたい気持ちはあるんだけど…ね。
自分の不甲斐なさに呆れながら二菜ちゃんを撫でた方の手をきつく握りしめ、気を紛らわせるように早くも汗をかいているグラスに口をつけた。あ、レモン水だ。
「…お姉さん、お姉様ゴメン。お客の前であんなの…失礼だったよね。ウチ、部屋で頭冷やしてくる」
まっすぐ私とメイリーに体を向けて頭を下げ、弌菜ちゃんは居間を後にする。
去り際に、頭を抱えて真っ赤になっている二菜ちゃんへ冷ややかな視線を送りながら。
「…二菜、凄い顔になっているよ」
「え、や、あ…すみません、あの…ごめんなさいとか恥ずかしいとかお姉さんに触れてもらえたのが嬉しいとか色々ごちゃーっとしちゃって…!」
「そうかそうか。まったくシオリは罪な人だ。さ、二菜、深呼吸ー」
「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ……」
うーん…撫でるのは余計だったかな。無駄に混乱させちゃったみたいだ。
とりあえずメイリー、私をにまにました顔で見るのはやめて欲しい。罪な人ってなにさ。
深呼吸を数度繰り返して感情のとっ散らかった顔がようやっと落ち着いた頃、二菜ちゃんは小さく頭を下げた。
「重ね重ねすみませんでした、お姉さん」
「大丈夫だよ。私の方こそ二人の間に水を差しちゃってごめんね。…いつも、こんな感じなの?」
そう尋ねてみると、顔を上げた彼女は少し迷うように瞳を揺らし…コクリと、どことなく不本意そうな様子で頷く。
「…でも、昔の弌菜はあんな感じじゃなくて…当たり前みたいにいつもに一緒にいたんですよ」
「ふむ、あの刺々しさを見たあとではまるで想像つかないね」
「です、よね…。でも確かに、弌菜は隣にいたんです。二菜が変なことをしちゃってもしょうがないなって笑ってくれて、何が悪かったのか教えてくれました。それに、二菜の失敗を止められなかった自分も悪いからって…一緒に叱られてくれたりもしたんです…でも…」
二菜ちゃんは弌菜ちゃんの消えた襖の向こうを寂寞が滲む顔でじっと見つめ、辛そうに唇を噛んだ。
二人の関係が捻れ始めたのは中学に上がってからの事…二菜ちゃんが本土から『楽園』に移り住んだ頃だという。
『楽園』に慣れるまでの一,二ヶ月は別として、二菜ちゃんは週末や長期の休みが取れる度に小まめに帰省をしていたそうだ。
だからこそ、その変化をすぐに感じ取ったらしい。
まず、一緒にいることを避けるようになったという。
買い物に誘っても一人で行けと断られ、用事があるからと家を空け、しまいには友人の所に泊まると言ったっきり二菜ちゃんが帰るまで顔を合わせない…なんて事もあったとか。
何があったのかを尋ねてもはぐらかされ、関係ないの一点張り。
だから二菜ちゃんはどうすることも出来ないまま、ただただ困惑するしかなかったそうだ。
そりゃそうだよね。
少し前まで当たり前のように手を繋いだり隣を歩いていた存在からの突然の拒絶。混乱はもっともだし、何よりショックだったことだろう。
どうすればいいのか分からない状況が続き、気まずさ故次第に帰省の頻度を減らしてしまったという彼女を誰が責められるのか。
次いで、弌菜ちゃんはどんどん素行が悪くなっていたそうだ。
元は品行方正という言葉の見本のようだったという彼女は、いつしか学校からの呼び出し常習犯になっていたらしい。
服装は乱れ、髪は染め、メイクは派手になり、学校はサボるし先生の注意も右から左へ快速急行。
今となっては昔の面影などすっかりなりを潜め、別人のように変わってしまったという。
「ほほう…?それはあれかい、噂に聞く反抗期ってやつかな?」
「じーちゃんとばーちゃんに相談した時は、そうじゃないかって言ってましたけど…」
「まぁ、分かりやすくグレてはいるよね」
問題なのは"そう"なったきっかけだろう。
タイミング的には二菜ちゃんと離れた寂しさからって考えるのが自然だけど…どうなんだろう。
でも、二菜ちゃんは一応ちゃんと帰ってきていたみたいだし…
とにかく、二菜ちゃんもご夫婦の尽力も虚しく、関係改善の兆しが無いまま今に至るとのことだ。
「ただその…気になることはあるんです」
「「気になること?」」
「はい。中学の終わり頃から弌菜…あんまり良くない人達と一緒にいるって噂になってるみたいで…」
「ふむ?"良くない人達"とは随分抽象的な言い方だね」
「えっと、グループ?サークル?二菜も詳しくはないんですけど…ガラの悪い人達の集まりがあるみたいです。その中に弌菜もいるのを見たって、学校の人が言ってました」
「うーん…国際手配されているような犯罪組織がこの辺りを根城にしている、などという話は聞いていないのだけど…」
「いやいやいや…メイリー、スケール大き過ぎだから!」
最初に出てくる可能性が一足どころか二,三足飛んでいる。
いきなり国際的な犯罪組織が出て来てたまるか。
まぁ、朝帰りの件といいメイリーが出会い頭に嗅ぎとったタバコ等の匂いといい…あまりほめられたオトモダチで無いことは確かだろう。
現実的にかんがえて、不良グループとかその辺かな。
「二菜、心配で心配で…せめて危ないことだけはしないでって弌菜に注意とかしてるんですけど、結局今みたいな言い争いになって終わっちゃうんです」
あぁ、成る程。二菜ちゃんが先程見せた怒りは心配の裏返しだったんだね。
ここまで心を砕いてくれて、突き放しても側にいようと手を伸ばしてくれる家族の存在がどれ程貴重なことか…きっと弌菜ちゃんはまだちゃんと分かっていない。
少し意地悪な言い方をすれば、弌菜ちゃんは二菜ちゃんの優しさに甘えてるんだと思う。
そうじゃなきゃ、この二人の関係はとっくに壊れている筈だから。
側にあるものの大切さは気付き難いものだ。
私だって家族を失ってから思い知ったから、偉そうなことは言えないけれど。
とはいえ…弌菜ちゃんばかりが悪いわけでもないだろう。
「ねぇ、二菜ちゃん。二菜ちゃんの心配も思いも間違ってない。でも…やっぱり弌菜ちゃんにも考えはあるだろうから、ただ押し付けるだけじゃダメだと思う」
「う…そう、ですよね…」
弌菜ちゃんには弌菜ちゃんなりに譲れない何かがある。
二菜ちゃんへ反抗するに至った明確な理由を、彼女は持っている筈だ。
だって、ただの反抗期と言うには…弌菜ちゃんはちぐはぐに見えるから。
口では二菜ちゃんに嫌いと言いつつ瞳には複雑な色を宿していた彼女。
〈酷い!酷い言い方だよ!関係あるに決まってるじゃん!!だって…二菜は弌菜のお姉ちゃんなんだから!!
〈…っ!!何が…!何が、"お姉ちゃん"だよ!!二菜なんて…!〉
そんな彼女があの時見せた、酷く傷付いた表情…血の涙でも流すんじゃないかとさえ思えた悲憤の表情。
どうして分かってくれないのか…そう、聞こえた気がしたんだ。
迷子になったところを助けられたのは私達だったけど…どうやら彼女本人も、ちょっとした迷子みたい。
「…よしっ!」
パチン、と小気味良い音に意識を思考の海から浮上させると、二菜ちゃんはどこかスッキリした顔で笑みを浮かべていた。
頬がうっすらと赤くなっているところを見るに、さっきの音はおそらく頬を叩いた音だったみたいだ。結構強く叩いたね…
「もう大丈夫です!!お姉さん達に相談できて、ちょっと気が楽になりました!」
「あまり役には立てなかったけど…そう言ってもらえて良かった。抱え込みすぎないようにね?」
「えへへ、そうします。あの、色々とありがとうございました!」
「どういたしまして。"お姉さん"してる二菜ちゃんが見れて新鮮だったよ」
「ふむ。妹の為にしかったり悩んだりする二菜は、確かにいつもより大人びていたね」
「はわわわわ!?わ、忘れてください!!なんか、その、恥ずかしいですっ!!」
「残念、永久保存版です」
「きひひ!さすがは"記録者"だ!」
「ぐぬぬ…!」
面白いくらい真っ赤に染まった二菜ちゃんに、私とメイリーは顔を見合わせて吹き出した。
本当に二菜ちゃんにの素直さは可愛いよね。
「もー!笑わないでくださいよぅ!…あ!そうだ海!海に行きましょう!!のんびりしてると日が暮れちゃいますからね!ね!そうしましょう!」
照れ隠しで話題をそらそうとしているのはバレバレだけど、必死な彼女に免じて流されてあげるとしようか。
元々海には行く予定だったしね。
…あれ?ところでメイリーは水着とか持ってきているのだろうか?
そう思ってちらりと視線を送ると、聡い彼女はウインクと共に指で丸をつくって答えをくれた。心配は要らなそうだ。
どちらかと言えばスマートなウインクのカッコ良さに撃ち抜かれた私の心臓の方が心配である。不整脈起こしそう。
「…こほん。ここから海って近いの?」
「近いですよ!地元民の抜け道…ご近所さんのお庭をちょちょっと通らせてもらえば十分ちょっとで着きます!」
「ふむ、ならば着替えてから向かうのかな?」
「いえ!海の近くに無料の更衣室がありますから、そこで着替えます!」
「そっか。…ちょっとホッとした」
正直、水着で街を歩くとなると…いくら距離が短かろうが羞恥で死ぬところだった。
なにせ突然のお誘いだったから水着を着るための体作りなんて一切出来てないんだよ!?
ボディライン?なにそれ美味しいの?状態のお腹や、水着の紐がうっすら肉に埋まるような背中…水に浸かってしまえばもうどうでも良いけれど、陸地で晒すのは普通にキツい。
二人に見られるのですら恥ずかしいのに!!
「心配せずとも貴女に群がる羽虫はボクが千切って散らしてご覧にいれるよ」
「そうですよ!まとめて二菜達が潰すので安心してください!」
「そこは心配してないから、散らすのも潰すのもやめてね」
片手を胸に、もう片手を腰に差してある得物に添えて優美に微笑むメイリーにも、可愛らしく両拳を握って、しかし可愛らしくない勢いでもってシャドーボクシングをしながら笑う二菜ちゃんにも不安しかない。
二人ともオーバーキルってご存知?
そもそもの大前提として、この美少女と麗人が一緒にいる状態で私にナンパする奇特な者などいるはずがないのだが。
「よぅし!善は急げですね!早速海に行きましょう!!えいえい、おー!!!」
「何故その掛け声…」
空元気だろうけれど、なんとかいつもの調子に立て直した彼女へ苦笑をこぼし、私達は居間から飛び出していったその小さな背を追ったのだった。




