16-2
「やぁ、美しいレディ。こんなところで考え事かい?」
「…え?」
中性的な音で小っ恥ずかしい台詞を紡いでいながら、色気を感じさせないさっぱりとした声がさぁと吹き抜ける風の中で響く。
明らかに二菜ちゃんのものではない声色の持ち主へと顔を向けると、そこには…夏の日差しを浴びて煌めく銀髪を靡かせながら姿勢よく佇むすらりとした美丈夫がいた。
えーっと…どちらさま???
というか、今この人が私の事を美しいレディって言ったの??鏡で反射させてやろうか?
そんな声じゃなかったのは理解してるけど、皮肉かとむくれたくなる。
そんな大時化になった私に気付くことなく、その人はパチパチと瞬いた後にふわりと薔薇が舞いそうな笑みを浮かべた。
「あぁ、いきなり声をかけてしまってすまない。驚かせたかな。貴女が海に連れ去られるのではないかと心配になってしまったものだから…つい」
「…そ、そう…ですか」
わぁ、凄い。第一声といいよくもまぁこんなに歯の浮きそうな台詞をすらすらと述べられるものだ。絶対顔赤くなってるぞ私。違う方向で熱中症になりそうである。
三神とは別ベクトルで物語から飛び出して来たかのようなその人は、見事なまでに見た目と言動がマッチしていた。つまり、台詞全てが堂に入っている。
乙女ゲームか何かから出てきました???
というか、この人は何者なのだろうか。
一瞬ナンパという言葉が頭を過ったもののすぐさまその可能性を否定した。
だって…どう見てもこの人、わざわざナンパをする必要なんてないのだから。
涼やかな顔立ちは異国の風を感じさせるもので、長いまつ毛に縁取られた切れ長の目と整った細い眉、すっと通った高めの鼻、健康的な唇が完璧なバランスで配置されている。
モデルですと言われれば秒どころかコンマで納得するレベルだ。
爽やかな微笑みの中にちらつく歯は健康的な白い輝きを放ち、少し目立つ犬歯がチャームポイントのようにのぞいている。
さらさらした銀の髪は高い位置で一つに纏められており、少し強めの潮風に遊ばれて波しぶきのように煌めいていた。枝毛とかなさそう。
総計。文句無しの超高水準美形さんです。はい。
この人に美人と言われた私はたぶん家中の鏡を割って泣いていい。図書室には手鏡一つくらいしかないけど。
要するに、ナンパなどしなくても人なんてホイホイ寄ってくること間違いなしと言うことだ。
眼下に望む海水浴場にポイっと放り込んでおけば、男も女も関係なく釣り放題の選び放題だろう。
それこそ花に群がる虫の如く…いや、虫は失礼だな。"アイツ"がうつった。
ただ一つ私が気になっているのは…芸術的な顔にちょんと乗っかっているシルバーフレームの眼鏡である。
いや、さすがに考えすぎ…かな?
度が入っていないように見えるけど、ファッションやサングラスの可能性は十分にあるもんね。
「ふふっ、そんなに警戒しないでおくれ。実はボク…人を探していてね」
「人を…ですか?」
「あぁ。若い女性の二人組なんだけど…この辺りで見かけていないかい?」
人探しという言葉と本気で困っているのだと分かる声色に肩の力を少し抜いた。
正直警戒というか美形の輝きに気圧されてたというのが大半なんだけどね。
しかし…女性の二人組かぁ。
記憶を辿ってみたものの、私が見かけたのは家族連れが数組と男子のグループ。女性のグループもいたにはいたけれど…彼女達は六人だったし。
元々こちらの凪祇駅は利用者も多くはなかったので記憶違いは起こさないと思う。
念のためと"記録"を覗いてみても記憶と相違はない。
「うーん…私は見かけてないですね。すみません、お役に立てなくて…」
「いや、気にしないでおくれ。元はと言えば相手の顔を確認していなかったボクの落ち度さ」
「え、顔…知らないんですか!?失礼ながら、どうやって会うおつもりで…?」
「あぁ、駅で待ち合わせの予定だったんだ。言っては悪いけどあの駅は人も疎らだからね…見れば分かると思ったのさ」
それは、まあ確かにそうだ。
私達が見た限り空調もないあの駅を待ち合わせに使う人はいなかったし、そもそも想定されていないのか腰を落ちつけるためのベンチも壊れかけが一つ取り残されたようにあるだけだったから。
「けれど、用事がなかなか終わらなくてね…約束の時間を過ぎてしまったんだ。急いで駆けつけたはいいものの…もう移動してしまったのか見当たらないのさ。いや、女性を待たせてしまったボクが悪いんだけど」
「そう、だったんですね」
参った、とばつが悪そうに形のいい眉を下げるその人にかける言葉が見つからず、曖昧な相槌を返した。
確かに遅刻は良くないけれど、本気で悔いているのが分かってしまったから。
きっとずいぶん根が真面目な人なのだろう。
それにしても、顔も知らない相手と待ち合わせ…ネット上の知り合いとかのオフ会というやつだろうか。
今時珍しいとは言わないけれど、個人的には少し怖い繋がりだと思ってしまう。
「とりあえず、ボクはもう一度駅に引き返してみることにするよ。引き留めてすまなかったね」
「いえ!大丈夫です。実は私も人を探してて…お互い見つかると良いですね!」
「あぁ…ん??人を、探してる…?」
何故かきょとんとしたその人とすれ違うのと同じタイミングで、下の方から駆け上がってくる軽い足音が聞こえてきた。
だんだん近付いて来るそれに思わず表情が緩む。根拠はないけどこれはきっと…
「あ!!おねーさーん!!!まだこんなとこにいたんですね!!振り返ったらいなくてビックリしましたよぅ!!」
姿が見えないと思っていたけど、二菜ちゃんはどうやら景色に見惚れていた私を置いてさくさくと先へ進んでいたらしい。
今日はこっちに足をつけてからずっと落ち着きなかったもんね。
余程興奮しているらしい二菜ちゃんの徒歩は、私にとって徒競走くらいの速さだったに違いない。
そう思わせるほどにそわそわしている彼女へ今行くよと返事をしようとした私だったが、次の彼女の一言に喉を出かけた言葉が止まった。
「…あれ?あー!そちらにいるのはメイリーさんですか!?お久しぶりです!!」
「…え???」
無邪気に手を振る二菜ちゃんの視線の先をまさかという気持ちで辿ると、先程すれ違った美丈夫さんが目を丸くしてこちらを…私と二菜ちゃんを交互に見ているではないか。
おっと、これはもしかして…もしかする??
「あ、の…二菜ちゃんとお知り合い、ですか?」
「あ、あぁ…それはそうだけど……もしや貴女が綴戯栞里というお嬢さんかい?」
「わぁお…」
なるほど。話は繋がった。
探していた待ち合わせ相手とは恐らく私達の事であるらしい。
恐らく二菜ちゃんがいればすぐにわかったのだろうけれど、私と美人さんがお互い顔を知らなかったが故のすれ違いが起きていたのだ。
メイリーさんと呼ばれた美人さんは困惑をのせたままの視線で私を上から下まで観察し、更に困惑の色を深めている。いや、なんで?
「驚いたな…通話の感じからもっとキツそうな女性かと思っていたんだけれど…」
「通話…?」
「あ、あぁいや…すまない。こちらの話だ」
誤魔化すような笑顔に首をかしげながら、私は確認のために口を開いた。
「あの…監視の…」
「お姉さん?」
「んんっ、護衛の人…なんですよね?」
「あぁ、その通りだけど…何故言い間違えたのかな?」
「えっと…どうにもその、意識が薄いというか…」
すっと目を細めた美人さんだったが、しどろもどろになりながら目線を泳がせた私にすぐ棘を消して肩を震わせる。
「きひっ、成る程。彼はどうにも言葉が足りないというか誤解されやすいというか…心配が伝わってないらしいね。日頃の行いかな」
「???」
聞かせるつもりもなく呟かれたのだろう台詞はほとんど聞き取れなかったけれど、嘲笑に似た悪戯っぽい笑みの向く先は私ではなさそうだ。
まぁ、こちらが疑問を口にする前に元の爽やかスマイルで誤魔化されてしまったので真意はわからないが。
この人三神と同じように笑顔で武装しているタイプだね。
とはいえ三神と違って嫌みな感じではなく、そっと核心からそらすようなスマートなもの。例えるなら、自然と道路側から彼女を遠ざける彼氏みたいな…されたことないけど。
「さて、改めて自己紹介をさせておくれ。ボクはメイリー。メイリー・フランベルクだ。久夜に騙し討ちを食らった哀れな能力者さ。あぁ、貴女は気にしないでおくれ。アイツとは腐れ縁で、無茶苦茶なのは今更だからね」
すっと居住まいを正し、手袋に包まれた手を指まで揃えて胸に添えたその人…フランベルクさんは、今までとは違う人懐こさを感じさせる表情でにかっと白い歯を見せた。
とりあえず、溢れ出る紳士感が凄いことと一ノ世の被害者であることはよく分かったよ。
「えっとご存知とは思いますが、私は綴戯栞里です。その、フランベルクさん、よろしくおね…」
「ストップ。固いよ、レディ」
私も倣って挨拶をして頭を下げようとしたところで、とんと正面から添えられた手に止められる。
凪いだ声に困惑の眼差しを向けると、流れるような動作で片手をすくい取られた。
「気軽にメイリーと呼んでおくれ。折角の年が近しい同性なんだ。砕けて接してもらえると嬉しいな」
使い込まれた柔らかな皮手袋に包まれた指に握られて、私の手がゆっくり持ち上げられる。
そしてそこへフラ…メイリーの端正な顔が近付いたと思ったら…
チュ
「!?!?!??!」
指先を食むように唇が寄せられたではないか。
わぁ、ぷるぷるだぁ…じゃなくて!!!
「あ……え、…なんっ…!?」
「きゃはははは!お姉さん、真っ赤ですね!」
「おや?随分初な反応をしてくれるじゃないか」
からかうような目を向ける二人からプイッと顔を背け、キスされた手を抜き取って背に隠す。
あぁもう!どうせ初ですよ!!頬が熱いったらない!!
だいたい!あんな綺麗な人にあんなキザな挨拶 (?)されて照れないとかある??いくら私でもそこまで枯れてないわ!
というか…舞台でしか許されないような一連の動作を普段着でも着るかの如き自然さでこなすとは…相当な手練れとみた。
「それにしても、メイリーさんがお姉さんの護衛だったなんて…ビックリです!!」
「まぁ、護衛とは名ばかりで常に行動を共にするわけじゃないけどね。ボクはボクの好きにして良いって言われているから」
「それでもすっごく心強いですよ!!ね!お姉さんもそう思いますよね!?」
「え!?えぇと…」
「こらこらニナ。彼女に同意を求めてはいけないよ。何せ初対面なのだからね」
きょとりと瞬く二菜ちゃんの大きな目があ、そうでした!と雄弁に語っている。
目は口ほどにとはよく言うけれど、彼女の場合本当に言葉の通りというか…素直で大変可愛らしい。
「あのあの!メイリーさんは凄い人なんですよ!!一ノ世さん達に並ぶくらいの実力者なんです!そのままでも格好よくて強いんですけど、ガオーってオオカミにもなれちゃうんです!」
「…オオ、カミ……?」
開いた両手の指を軽く曲げてポーズをとる二菜ちゃんに、はたっと動きという動きを止める。
彼女の可愛さにやられて…ではなく、オオカミというか単語に思うところがあったからだ。
「大袈裟だよ、二菜」
「いえいえ!ほんっとーに強くて格好いいですよぅ!」
再びガオー!とポーズを取る二菜ちゃんを恥ずかしくも嬉しそうに目尻を下げながら撫でるその人を、私は改めてじっと見つめる。
正直、この人物に見覚えは無い。
けれど…メイリーと呼ばれていた巨大なオオカミを、私は知っていたのである。
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《……ゲホッ》
大部分が崩れ落ちているビルの残骸の中で、私はひゅうひゅうと嫌な呼吸音を発しながら倒れ込んでいた。
内臓がやられたのか、はたまた折れた肋骨が肺にでも刺さっているのか…
もはやどこもかしこも痛すぎて原因が分からないままに、コポリと血が口から溢れる。
指の一本動かす気力すら尽きて、背中に当たるコンクリートがじわじわ体温を奪っていく感覚に震えることしか出来なかった。
カラリ。
蹴飛ばされた小石が私に当たる。
その石がどこから来たかなどわざわざ探そうとする必要もなく…答えは、目の前に居た。
《君さ、何邪魔してくれてんの?おかげでさ、ガキ一匹逃がしちゃったじゃん》
底冷えする低く静かな声には音の端から端まで殺気がこもっていて、"アイツ"が酷くイラ立っている事をありありと伝えてくる。
そんな中で、私は僅かに口端を上げた。
そうか。あの子は逃げられたのか。
なりふり構わず"アイツ"にタックルした甲斐があったかな。ざまぁみろ。
《何その顔。ムカつく》
《……ぅ!》
大きな手に髪を掴まれて無理やり顔を持ち上げられると、憎い"ソイツ"の顔が鼻の先まで近付いた。
底のない沼のようにどろどろとした瞳は月と呼ぶにはあまりにも濁っていて…ただただ恐ろしい。
数秒か、数十秒か、数分か。
どのくらい互いの視線を合わせていたのか分からない程の緊張感の中、やがて私を見つめていた光のない黄金はつまらなそうに細められた。
《バカな奴。そんなに怯えるくらいなら何もしなきゃ良いのにさ。どうせあんなガキ、助けたってすぐに死ぬじゃん》
唇を噛んで押し黙る。
みっともなく震えてしまうだろう声を出したら、怯えているという指摘を肯定するようなものだから。
代わりにぐっと目に力を入れて"ソイツ"を睨み付ければ、まるでゴミでも棄てるようにポイっと手を離された。
《あのガキは近くにいた他の奴に追わせた。すぐ死体を連れ帰らせて君の行動の無意味さを教えてやるからさ、それまでは…》
《………がっ!!?》
風切り音を連れた足に横から蹴り飛ばされ、私の体は面白いくらいに軽々と吹っ飛ぶ。
土煙を巻き上げながら無様に転がった後、灰色の地面に鮮血を吐き散らした。
ひゅうとどこか空気が抜けるような喘鳴はいっそう悪化して、今ので完全に肺を傷付けたのだと悟る。
あぁ、もう"この"命は長くない。
…いや、この命だけで済む筈がない、か。
霞む視界にザリッと地を擦る革靴が映る。てらてら光って見えるのは革の艶出しか血化粧か。
《君さ、今からサンドバッグね。さて、何回死ぬかな。いや…何回殺そうかな?あっはははははは!! 》
あーあ。自業自得とはいえ、今日は随分と機嫌を損なってしまったらしい。
こうなると私は、"コイツ"の機嫌が上を向いて落ち着くまで殺され続けるのだ。
ヒーロー気取ってみた罰がこれだというのなら、まったくこの世の神とやらは信用ならない。いや、そもそもいないのかな。
無理やり目蓋をこじ開けた目は、ゆっくりと持ち上がる手を捉えた。
あぁ殺られる。まずは能力による圧死かと立てたくもない予想を立てて、せめて一思いにやってくれと願いながら…目をつむりかけた一瞬の事だった。
《……げっ》
《…え?》
パッと舞う血飛沫に、私は逆に目を見開くことになったのである。
だってその赤は…私のものではなかったから。
その出所はぱっくり裂けた"アイツ"の片腕。
何かが、"アイツ"を引き裂いた…?
もう片手で抑えても尚血を滴らせる傷口を信じられない気持ちで見つめる。
こんなに血を流す姿を見るのは初めてだ。
…何が起きているの?
《失礼》
《《…!?》》
ろくに働かない頭が疑問を繰り返していると、その答えは足音も立てずに目の前に…"アイツ"と私の間に降り立った。
《その、追っ手というのは…コレのことかな》
涼やかな清流のような声が聞こえたと同時に"コレ"と称して地面へ放られたのは…誰かの首である。
見開かれた生気の無い瞳を彩る色彩を見るに、能力者のもので間違いないだろう。
それを同じく確認した"アイツ"はギラリと瞳孔を開かせて、私を庇うように立つ"何か"を憎々しげに睨み付けた。
《メイリー……っ!!お前!!》
《やぁ旧友。少し見ないうちに下衆っぷりに磨きがかかったようだね。元気そうで何よりだ》
ふぁさっと視界で揺れたものをぎょっとしながら目で追いかける。
それは…尾。いつかに見た銀河に似た煌めきを放つ、美しく巨大な尾だ。
尾の先から持ち主を辿っていくと、それが人よりもずっと大きな獣…恐らくオオカミであると知る。
しかし…何故だろう。
私など一口で丸飲み出来そうな体躯を持つそれを、まったく恐ろしいと感じないのは。
ふとそのオオカミの理知的な瞳が私の方へ向き、優しく細められた。大丈夫か?と、気遣う色を乗せて。
久しく覚えのない感情を宿したそれに、嬉しさよりも困惑が私を支配する。
《な…ん、で……助け…?》
《レディ、ボクはちゃんと見ていたよ。その身を呈してあの子を守ろうとした貴女は…実に格好良かった。しかしどうか、ここから先はボクに譲ってはくれないかな》
先程から聞こえていた声が目の前のオオカミから発せられていたのだという事実に気付いて驚いたものの、"アイツ"の知り合いというのなら能力者なのだろうとあたりをつける。
私の敵なのか味方なのかははっきりしないけれど…"アイツ"の敵であることだけは、その憤懣やる方ない色を乗せて睨み付けている瞳が証明していた。
《ずっと、ずっとこのチャンスを待っていたよ。貴公が徹底的にボクを避けるものだから、寂しくて寂しくて…こうして迎えに来たのさ》
《っは!そりゃさ、メイリーに見つかるのは確実に面倒だって分かってたからね。君は絶対に…俺を許さないだろ》
《ふふっそうだね。…本当に元気そうでよかったよ。だって…ボクの手で殺してあげられるからね》
《へー?言うじゃん。じゃあさ、メイリー…学生時代の続きといこうか。確か、模擬戦の勝敗は俺が勝ち越しだったっけ》
《ムカつくくらいいつも通りだね、貴公は。……止めてあげるよ。旧友》
《…もう遅いんだよ。偽善者》
合図もなく、一人と一匹の姿がその場からかき消える。
次の瞬間には離れた所で土煙が上がり、そのまた次には辛うじて残っていたビルの残骸が遠くで吹き飛んだ。
次元の違う戦いである。
今まで見てきた一般人兵士との争いとはまるで様子の違う、ちゃんとした"戦い"。
成る程。誰かは一般人を"虫"と称するわけだね。
犠牲になった数多の人々は、無数の命は…同じ土俵にすら上がれていなかったのだ。
その場から動くことも出来ないまま能力者同士のぶつかり合いをぼんやりと眺める。
今までも一般人に味方してくれる能力者と反乱軍の能力者が争っている事は…能力者同士の戦いは確かにあった。
しかしこんなに激しい、所謂実力者同士の戦いだろうものは初めて見る。
何度だって思う。
能力者というものは恐ろしい。
ビリビリと肌を刺す殺気とそこかしこが破壊されていく轟音が撒き散らされる中、私の目は自然とあの美しいオオカミを探していた。
速すぎる動きに凡庸な目はおいていかれて、ほとんどその姿を捉えることは出来ないけれど…ふとした瞬間に見えるしなやかな動きだったり力強い爪撃だったり、獰猛な牙が光を反射するその様子すらも綺麗だと思ってしまったから。
だから、釘付けになってしまったのだ。
そこにはたしかな理性があって、"アイツ"をはじめとした能力者達のように中身のない暴力とはまるで違う。
真っ直ぐに気持ちをぶつけるような戦いは…"会話"だった。
そして今に関してだけは、"アイツ"も同じく"会話"を返しているのだろう。
味の消えたガムを噛んでいるかのように無味乾燥な破壊行動ではなく、見たことのないくらい感情的に力をふるっているように見えるから。
我ながら馬鹿馬鹿しいとは思うけれど、私はこの殺し合いに"喧嘩"という言葉を当てはめた。
当てはめたところで、現実はそんな青春の一ページを飾れる程お綺麗なものではないが。
両者共に引くことのない本気の攻防で、互いに互いを赤く染め上げていくだけだ。
どちらかの死まで止まらない舞踏は果たして、長かったのだろうか。それとも、短かったのだろうか。
時間という概念すら忘れさせるほど激しく幾度もぶつかり合った両者はやがて、肩で息をしながら動きを止めて対峙する。
満身創痍。
いつどちらが倒れてもおかしくないままに、二匹の獣は睨み合っていた。
素人目にも次で決まるのだと理解でき、自分の痛みも置き去りにしながら固唾を飲んで見守る。
オオカミの顔は背後にいる私には見えないけれど、"アイツ"の焦燥を孕む顔はよく見えた。
もしここで"アイツ"の命が摘まれたとしたら…この絶望は止まるのかな。
なんて、考えたのがいけなかったのだろうか。
不意に"アイツ"の目が私を捉え、背筋に酷い悪寒が走る。
ブツンと糸をちぎったようにあった筈の理性が消え、狂った化け物が嗤ったのだ。
視界から"アイツ"が消えて…
オオカミから焦った声がぐわんと聞こえて…
スローモーションのように流れていく世界の中で、ふわりと暖かい何かに包まれて…
それで…それで……
目の前を滝のように落ちていくアカを見た。
《……ぇ?》
《…ァ"…ガハッ……》
《…あはっ!あっはははははは!!》
のし掛かる何かに潰されそうになり、何が起こったのかとパニックになりかけながら隙間をぬって這い出ると…"アイツ"が狂ったように哄笑し始める。
ぼろぼろと、子供のように大粒の涙を流して…見間違えようもなく泣きながら。
《メイリーはさ、ホント馬っ鹿だなァ!!あっはははははは!!俺の!勝ちだ!!》
"アイツ"の…勝ち?
まさかと思いつつ、抜け出しきれなかった私の下半身にのし掛かる何かの方へ視線をずらす。
そうすれば…そこに倒れ伏す血塗れの巨体が視界を埋め尽くした。
《…え……ぁ…あぁ……な、なん…なんで…?》
待って。待ってよ。どうして…?
このオオカミは…あの瞬間何をした?
のし掛かった重みの正体がオオカミならば、その前に私を包み込んだ温もりも…だと、したら…答えなんて……
《メイリーはさ、君を庇ったんだ!!!死なない君を!!!》
《ぁ…ああ、あ…あああっ!!》
《君なんて無視してればあんな単純な攻撃を食らったりなんかしなかった!君なんて無視してれば…俺に勝てたかもしれなかったのにさ!あっはははははは!!いやぁ、まさか本当に庇うとはね!!》
能力を受けて体の半分くらいが見るも無惨にぐちゃぐちゃな状態になっている巨体は、それでもまだ浅く胸を上下させていた。
けれど、その度にこちらまで聞こえてくる喉の奥で血が転がる音は…命の灯火がもう長くはないことを嫌でも伝えてくる。
"どうして?"
その四文字が頭の中を埋め尽くした。
どうして私を庇ったの?
どうして私は庇われたの?
その理由も、そうしてもらう価値も資格も、その必要すらない私を、どうして?
答えを求めるように、私はやっとの思いで這い出してオオカミの顔の側まで体を引き摺る。
気配を感じたのかうっすらと開かれた瞳はしかし焦点が合っていなかったけれど、喘ぐような苦しみの中でどうしてか…ふわりと柔らかく細められたのが分かった。
《ぶ……じ…かい?》
《…っ!?ど…う、して…?どう、して…私を…!ケホッ…わた…し…は…!》
《変なの。メイリーも知ってたでしょ。コイツさ、死なないんだよ?メイリーと違ってさ!》
ゲラゲラと不愉快なBGMを背後に、その通りだと唇を容赦なく噛む。
噛みちぎって濃くなった口内の血の味も増えた痛みも気にならないくらい、私の心は波立っていた。
だって、おかしいじゃないか。
死なない私の為に、絶対ここで死ぬべきでなかっただろう存在が失われようとしている。
"アイツ"に届くかもしれない牙が消えようとしているのだ。
…私の、せいだ。私が、私が…ここにいたから、だから…
《……めん…い………ごめ…な、さい…っ》
自責の念に潰された心がみっともなく決壊し、叱られた幼子のようにぼろぼろと雫と謝罪を溢した。
胸元の服をしわくちゃになるくらいきつく握りしめ、血を吐くような思いで。
叶うならこの手が、役立たずな己の心臓を握り潰してしまえれば良かったのに。
けれどもオオカミはそんな私を見て…優しく目を瞬かせるのだ。
《ボク、が……守…り、たくて…した…こと、だよ…》
《…私っ…私には、そんな価値ない!!…何も、何も出来ない…のにっ…どうして…!どうして、私を…っ》
《…ははっ……好いた、子を…守りたいの、は……当然……だろう…?》
《…え?》
《はぁ!?》
何を言われたのか理解出来ず、ぼんやりと焦点の合わないスカイグレイを覗き込む。
"アイツ"が何も手出ししてこないのを良いことにその存在を意識の外へおいやって、私はただオオカミの掠れた言葉を拾い集めることに神経を集中させた。
《前…から…知って、いたんだ…っぅ"…何度も、何度も…貴女が…その、命を…かけて……誰か、の…死に…抗っていた…こと》
《そ、んな…どうして…?私は、キミを…見たことない、のに…》
《保護した人達から…聞、いたり……っ…見かけた、ことも……駆け…つけた時…い、つも…貴女は、死んで…しまっていた、けれど…ぅ"》
確かに私が殺されて生き返った後、暴れていた能力者が何故か死んでいた…なんて事が何度かあった。
それが…まさかこのオオカミが仇を取ってくれていたなんて。
《貴女、は…この…壊れきった世界で……ボクに、とっての…光…っ…だった。…"影"を、映し出してくれる……標の…光、だったんだ……支え…だった、んだよ…》
光と、言ってくれるのか。こんなちっぽけな私を。
その言葉をそっくりそのまま返したいと思った。
敵しかいない世界の中で私を守ろうとしてくれた。
よりにもよって能力者が、だ。
何も知らずに手を伸ばしたというならともかく、私を不死身と知った上で。
それを、そんな人を光と呼ばずに何が光だと言うの?
悲しみとは違う熱い涙がぼろぼろと先程までより勢いをまして流れていく。
目が、涙の通った頬が火傷しそうだ。
すぐ隣でジャリッと瓦礫を踏む音が聞こえても、人の気配を感じてもどうでもいい。
今だけは恐怖も絶望も忘れて…ただただ泣きたかった。
《はー…うっざ。そんな理由で命かけちゃうとかさ、メイリーってばホント馬鹿》
《き…ひひ……笑う、かい…?》
《…笑わないさ。笑うかよ。相っ変わらず何か決めたらなりふり構わず一直線だし、相っ変わらず…格好いい奴だわ》
《…そう…か……きひっ…すまな、い…貴公…を…止めて、あげら…れ…な……》
言葉が終わりきる前にふっとオオカミの気配が一気に遠退いた気がして、私は乱雑に涙を拭いながら紅に浮かぶスカイグレイの瞳を覗き込む。
…そこにはもう、オオカミはいなかった。
《…そこで謝るなよ……馬鹿》
湿り気を帯びた暗い呟きを最後に、私の体がふわりと浮いて吹っ飛ばされる。
腕を引っ張られたものの体に然したる衝撃がなかったことから、"アイツ"の能力で重力を軽減した上で投げられたらしいと理解できた。
そして、驚愕の事実に気付く。
どこかの瓦礫の上に落ちた私は、傍らに転がった薬瓶と遥か遠くの建物とも呼べない廃墟を…先程まで自分のいた場所を呆然と見比べていた。
《生か、された…?》
そう、私は"アイツ"に生かされた。
オオカミに救われたこの命を、生かされたのだ。
わざわざ薬まで寄越した上で。
それを証明するように、傷の悪化で命を落とすその時まで…"アイツ"や他の能力者に連れ回されたり殺されることは無かったのだから。
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それは地獄の中にあった小さな宝物のような"記録"。
私がすべての能力者を憎まずに済んだ一欠片の光。
もしかしたら、私が"こちら"に来た時"アイツら"と同じ姿をした彼ら彼女らに向き合おうと決心できたのは…この"記録"が心のどこかにあったからかもしれない。
すべての能力者が悪ではないのだと教えてくれたオオカミさんを、そして…
《…そこで謝るなよ……馬鹿》
あの時一瞬だけ見えた"アイツ"の顔を、破壊者ではなく普通の人間の顔で悲しむ姿を…私の心が覚えていたのだろう。
あの"記録"では最後までオオカミの姿をしていたから、私はその能力者本来の姿は知らない。
けれどこうして改めてメイリーを見れば、色彩は逆だけどスカイグレイと紅月の瞳も美しい銀糸もすこぶる既視感がある。
何より…清流を思わせる声が"記録"と同じだ。
だから、ストンと納得した。
あぁ、この人があのオオカミだったんだね。
いつもとは違う心痛を伴った『開示』がすっかり落ち着いたところで、胸が締め付けられるような悔恨の念と言葉で尽くせない謝意を噛み締める。
ふと、私ではないどこかにぼんやり視線をやっているメイリーが気になった。どうしてか彼女は言葉も発さず身動ぎもしないまま…まるで案山子のように立っている。
「あ、あの……?」
「…っ?」
困惑混じりに小さく声をかけると、彼女はパチリと瞬いて私へ焦点を結ぶ。
そして…緊張が不意に解けたかのようにふらりと体をよろめかせた。
「ちょ…!?大丈夫!?」
「あぁ…」
慌てて体を支えようとしたけれどその必要はなかったようで、彼女はすぐさま自分でバランスをとる。
うーん…この炎天下だし、熱中症か何かだろうか。
対処法を確認すべく図書室で読み込んだ医学書の"記録"を開…こうとしたところで、ガシリと思いっきり掴まれた手の痛みに意識をメイリーへ戻した。
「…何だ……今の、は」
「えっと、メイリー…?どうしたの?」
「どうして、ボクと久夜が………殺し合いを?」
「っ!?」
片手でぐしゃりと髪を乱しながら頭をおさえ、唇を震わせながら呟いた彼女に血が音をたてて引いていく感覚を覚える。
ぽつぽつと落とされた言葉の中に"殺し合い"という単語が聞こえてしまったから。
まさか…まさか私、あの"記録"を見せてしまったの…!?
そんな、どうして…?また能力の暴走?いや…違う。そんなはずはない。
後付けとはいえ自分の能力なのだから、さっきの『開示』が誰に向けたものなのかくらい分かってる。あれは…常の通り私に、私だけに向いていた筈だ。
勿論暴走なんてしていない。
なら、今メイリーから出た言葉は一体…
「…すまない、正直に答えてくれ。貴女は今…能力を使ったかい?」
強くはなくとも確かに力が乗せられた開示要求に是を返し、私は恐る恐る口を開く。
「是…ええと、自分に『開示』を…その、こればかりは制御出来なくて…トラウマとかを刺激されると勝手に」
「…成る程。ならば今のはこちらの問題かな。ボクは他の能力者より鋭敏でね…感覚に作用する能力の余波を受けてしまうことがあるんだよ。勿論、それなりに強いものに限るけど…」
「感覚に作用…って、うわぁ…」
『開示』は対象の五感に"記録"を伝える力。
それすなわち、感覚にバリバリ作用してしまう能力だった。
「うーん…おそらく貴女の力は余程強いのだろうね。まさかここまでハッキリ『開示』を共有してしまうとは…正直驚きだよ。覗き見をしてしまってすまなかったね」
ふるふると軽く頭を振って切り換えるように笑ったメイリーだけど、見るからにその顔色は悪い。私は自分を激しく責め立てたい気分だった。
自分の能力のクセに制御もろくに出来ず、そのせいでメイリーに"あんなもの"を見せてしまうなんて…最低以外の何物でもない。
そりゃ、私からすれば大切な"記録"だけどね?
本人からしたら自分と友人が殺し合うところを突然見せられたわけで…
しかも、果ては自分が酷い殺され方をする悪夢のようなワンシーン付き。
これはフィクションですと言われたとしても胸糞悪いこと間違いなしだ。
「…本音を言うと、今のは何だったのかと問い詰めたい」
「…っ、それは…当然、だよね」
「でも…そうだな…ちなみに聞くけれど、久夜は今のようなあり得ない『開示』の意味を知っているのかい?」
それを聞くということは…メイリーは初日に私の暴走をくらわなかった人なのか。なら、尚更混乱させてしまっただろう。
小さく頷いた私は、彼女の顔が見れないままに己の爪先をじっと見つめる。
断罪を待つ罪人とはこんな心地なのだろうか。
心臓は五月蝿いくらい拍動を刻んでいるのに、全身から血が引いたような寒さを感じる矛盾に身を震わせる。
けれど、そんな私に告げられた言葉はしかし…非を鳴らすものではなかった。
「ふむ、ならいい(・・・・)」
「…え?」
予想外に明るく軽く、おちゃらけた声。
思わず顔を上げれば、メイリーは自己紹介をした時のように人懐こい雰囲気をまといながら頬をかいて苦笑している。
「それよりも別の問題が出来てしまったみたいだからね」
ほら、とすらり長い指が示す方へつられるように視線を動かして…私は首をかしげた。
「…二菜、ちゃん……???」
ずいぶん静かだとは思っていたけれど…当然だ。
彼女がいない。あの桃色が、目の届く範囲には見当たらない。
え、嘘でしょいつの間に…
「ボクも意識がそれていたから気付かなかったんだけどね…どうやら置いていかれてしまったみたいだ」
「えぇぇ…」
二菜ちゃん…せめて一声かけてほしかったな…
いや、"記録"に飲まれていたせいで聞き逃したのか?
まぁどちらにせよ、彼女とはぐれてしまった現実は変わらないのだ。
やむなく借り物の端末を取り出して、通話画面から登録されている二菜ちゃんの名前をタップ…したのだけど…
〔プー、プー…只今電源が入っていないか電波が届かないところに…〕
「あちゃー…」
「おや、これはこれは…」
なかなかどうして不運が重なるものだ。
こうなったら二菜ちゃんが気付いて戻ってきてくれるのを待つしかないかな。
なにせ私は目的地たる二菜ちゃんの御実家を知らないからね。
下手に動いてもすれ違うだけだ。
こんなことなら事前に住所を聞いておくべきだったと思うけれど、所謂後の祭りというやつである。
しかし…待つにしてもこのままここにいたら熱射病で倒れかねないね。
とりあえず駅に戻るべきかと思考を巡らせていると、私の肩をメイリーがポンポンと叩いた。
「ここはボクに任せておくれ」
「…もしかして、二菜ちゃんの家を知ってるんですか?」
「いいや、知らない。しかしボクには…"コレ"があるからね」
コレ、と彼女が示したのは自身の鼻だ。
どういう事かと目を瞬かせると、メイリーは好青年じみた雰囲気から一変して悪童のような表情を見せ、パチンとウインクを披露したのである。
「オオカミは、鼻が良いのさ!」




