3章:ヒーロー
空の端に藍が混じり始めた、所謂逢魔が時。
しかし今この時ばかりは魑魅魍魎も裸足で住みかへ逃げ帰り、身を隠すことだろう。
そのくらい、斜陽に照らされる世界は気味の悪いものだった。
《どうしてお前は…世界を壊すの》
自分のものか他人のものか分からない血を拭いながら、一度私の命を奪った瓦礫から這い出る。
その出た先で崩落した建物の残骸に座り、どこかをぼんやり見つめていた背中に声をかけていた。
ソイツは無言。無反応。珍しい。
いつもなら怒声を浴びせられるか、ご自慢の拳で骨の数本持っていかれるのに。
小さく嘆息して、吐き気を必死に散らしながら前を見る。
まぁ既に吐きすぎて空っぽだけれど。
つい数時間前には、ここには1つの町が存在していた。
けどそれはもう跡形もない。
生き残りは…いないんだろうな。意外ときっちりしている奴だから。
埼玉県某所。
人口を考えたら死者は三十万人といったところか。
あぁ嫌だ。気持ち悪い。人の死をも記すこの力が気持ち悪くてたまらない。
弾け飛んだ誰かの目玉が、恨めしげに私を見た事すら鮮明に覚えてる。
今回もまた、何も出来やしなかった。
怯えて縮こまる青年を庇おうとして…私ごと殴られて二人まとめて御陀仏。
その次は崩れる建物から年若い夫婦を逃がそうとして、一緒に瓦礫に潰されて終わりだ。
まだ体が痛い。でも、心はもっと痛い。
なんでアイツは平気なのか。
そもそも、こんな風に暴れて一体何をしたいのか。
《どうして壊す、か》
風の音だけが煙を揺らし、悲鳴の残滓もない不気味な静寂にポツリと声が落ちる。
応えなど期待していなかった私は、顔には出さず驚いた。
《テメェは勘違いしてンな》
《勘違、い…?》
ジロリ、と光の灯らない瞳がこちらを睥睨する。
逆光で表情は見えなかったが、曇天のようにくすんだ灰色は今にも雨が降り出しそうな…不安定な色を宿していた。
《世界なんざ…"俺の世界"なんざ、とうの昔に壊れてンだよ。何も出来ねェままな》
ガツンと殴られた剥き出しの鉄骨が、まるで柔らかい針金のように折れ曲がる。
能力無しでこれとはやはり化け物じみているな。コイツ。
《だからもう、俺には何もない。他がどうなろうがそれはもう変わんねェ。ただな…》
あぁコイツは…手負いの獣みたいだ。
《俺から"世界"を奪ったモンは、根絶やしにしねェと気が済まねぇンだよ!!…ヒーローになれなかった俺含めてなァ!!》
血が滲む程握られた拳。
それは憂さ晴らしのように、未だ辛うじて形を残していた小さな家を吹き飛ばした。
衝撃で私の足元にコロコロと何かが転がってくる。
それは戦隊ヒーローのソフビ人形だ。子供のいた家だったのだろう。
アイツ個人の"世界"なんて知らない。
けど、こんなの、まるで逆恨みじゃないか。
問いを投げたのは私だけれど…なんだよ、やっぱり訳が分からない。
否、能力者の考えなんて分かりたくもない。
破壊音に背を向けて、私は"ソイツ"の理解を放棄した。
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こちらに来て、気付けば1週間以上が過ぎていた。
時間の流れを早いと思うのはいつ以来だろう。
「よいしょっと」
日影で虫干ししていた本を回収し、辞書か?と思うような分厚いそれを五冊程重ねて持ち上げる。
最初は三冊で腕が震えるくらい筋力が落ちていたけれど、リハビリの成果が出ているようだ。
少し嬉しくなって足を弾ませながら、チラリと学園の校庭の方に目を向ける。
私のいる中庭から渡り廊下を挟んだそこで、砂埃を巻き上げながら組み手をする人影にそっと笑みを溢した。
この時間なら確か二菜ちゃんと至くんの筈だ。
うん、今日も凄いな。私の目じゃ全然追えないや。
東京に行ったあの日から、私は少しでも二人を知る為になるべく話をするようになった。
というか、時間が空く度に向こうから図書室に来て沢山お話しをしてくれるから、私は専ら聞く専なんだけど。
でもおかげで色々な事が知れた。
例えば学園の事。
初等教育は本土、又は各個人で済ませる事になっていて、能力者としての教育が本格的に始まるのは一般人でいうところの中学生から。
『楽園』には中等部と高等部があって、二人は今高等3年生。
同級生は二菜ちゃんと至くんの二人だけらしい。
少なくない?
確かに、世界的に見ても能力者はまだ少数って聞くけどさ…
でも後々理由を聞いて、そんな単純な話じゃなかったと反省した。
二人しかいない理由は…"残らなかったから"。
〈最初は十人くらいいましたけど…その、皆死んじゃったり…〉
大人も子供も年齢問わず駆り出される怪異の討伐で命を落とす者は勿論の事、中には体が能力の負担に耐えられなくなってダメになってしまう者もいるのだそう。
他にも理由があるみたいだけれど…言葉を濁されてしまった。
とにかく、どんなに教師や大人達が気を付けても、一,二年経つ頃には大体どの学年も片手程度に減るのだそうだ。
何それ能力者って過酷すぎる。
そんな危険をおかしてまで怪異と戦う理由は何なのか?
…それも、聞いた。
〈そうしないと小生達危険視されて殺されるっていうか少なくとも穏やかには暮らせないんですよね〉
人間とは己と違う者を簡単には受け入れられない生き物だ。
"能力"と言う人外の力を持つ彼らを恐れる者など、探さずともいくらでもいる事だろう。
成る程彼らの持つ色彩豊かな瞳は…隠れて暮らすには厄介な代物だ。
〈それに、どのみち二菜達は戦わないと死んじゃいます!怪異は…能力者を好むので、バリバリムシャアってされちゃいますよぅ!〉
それは一般人の知らない話。
仮に同じ場所に一般人と能力者が両方いたとしたなら、怪異が襲うのは基本的に能力者一択なのだそう。
まぁ近くに能力者が居ないなら勿論話は別だろうけれど…
確かにこの前の目玉野郎にしたって、二菜ちゃん達に気付いてからは他の人なんて見向きもしなかったもんね。
クレープ屋の店員さんは…もしかしたら瞳に変化が現れないくらい力は弱くとも、何かしら能力があったのかも知れないと七尾さんは言っていた。
つまり、だ。能力者である以上はどのみち怪異との争いは避けられない。
奴らは何処にでも唐突に現れる。
予測不能で避けようがなく、戦えなければあの店員のように食われるだけ。
それならばいっそ、怪異という驚異を社会に自分たちの居場所を作る為の踏み台にしてしまおう、と考えた訳である。
簡単に言えば、一般人より能力者の方が怪異に狙われるという事実は伏せながら共通の敵に仕立て上げ、能力者は一般人の為に戦うから敵視しないでね!という共立の体制を築いたのだ。
ただ、それをとり決めた老害より若者の命が散っていくっていうのは気に食わないけど。
まぁ…それはどこの社会も同じかな。
一応報酬はちゃんと出るし、各種手当てもきちんとしているから皆溜飲を下げているみたい。なんか世知辛いね。
そうそう、その怪異だけど…どうやら色々な種類が居るらしい。
この前のような二足歩行の奴もいれば、虫のようだったり獣のようだったり不定形だったり…二菜ちゃん曰く取り敢えず全部可愛くないとのこと。
いや、可愛かったら倒しにくいからむしろ良いんじゃないかな。
形だけじゃなく強さもまちまちで、能力者達は大きく5つの等級に分けて区別しているようだ。
一ツ星。小さい上に知能が低く、ただ突っ込んでくるような雑魚。基本他の等級と群れている。
二ツ星。そこそこの大きさがあり、ある程度の知能や戦闘力を有するもの。この前の百々目鬼っぽいのはここ。
三ツ星。大きさ知能関係なく能力者の能力に近い力を有するもの。二菜ちゃん曰く一人じゃ厳しい。
四ツ星。強力な能力、又は複数の能力と高い知能を有するもの。至くん曰く死ぬ。
五ツ星。いわば災害。滅多に出ないけど、勝てるのはほんの一握り。
索敵系と鑑定系の能力者達が常にフル稼働で不審死等の情報を元に各地を探り、怪異が見つかり次第速やかに強さを調べ、等級の区別を元に適切な実力を持つ者に討伐を依頼する…というシステムが築かれているらしい。意外としっかりしてる。
調べるまでもない程怪異が弱いものだったり実力者が近くにいた場合は発見してそのまま討伐される事もあるみたいだけど、極力下調べ無しの戦闘は避けることになっているとか。
…なんか、ひと昔前の少年漫画にありそうな物語の世界にでも足を踏み入れた気分だよね。
私の知らないことだらけだ。
でも、どうしてだろう。
二人から聞く限り怪異自体は特段珍しい存在ではなく、低い等級なら毎日のように世界中で湧いて出るらしいのだけれど…やはり、私は"あっち"では一度たりとも見たことがないのだ。
そんなことあり得るのだろうか。
…何となく腑に落ちない。
「っと、いけない!」
色々情報を整理していたら足が止まっていた。
こんなにのんびりしていたら一生虫干しが終わらなくなってしまう。
あの図書室…思っていたより蔵書が多かったんだよね。
まさか壁全体に備え付けられていた本棚がスライド式で、奥に更に二層も棚があるなんて思わなかった。
私は本を抱え直し、図書室への道を急いだ。
「…あれ?七尾さん?」
何往復目かも分からないくらい行き来している中庭に人影を見つけて立ち止まる。
彼がこんな所にいるということは、今は休憩時間なのだろう。
何やら端末片手に険しい顔をしているけど…
締め切り間近で思い悩むサラリーマンにしか見えない。
缶コーヒーとかエナジードリンクあげたくなる。
「あの、こんにちは。七尾さん」
「…ん?あぁ、綴戯か」
控え目に声をかけると画面をなぞっていた瞳が私を捉えてパチリと瞬き、ふわりと優しく緩められた。
うーん…未だにあの日二菜ちゃん達を怒鳴っていた姿や己の"記録"が信じがたい。
人は見かけによらないって本当だ。
「どうだ。学園での暮らしは慣れてきたか?」
「はい。二菜ちゃんや至くんが助けてくれて、なんとか」
「それは良かった。アイツらも綴戯が来てから楽しそうだからな」
それは…凄く嬉しいな。
私も、二人が遊びに来てくれると楽しい。
"記録"による恐怖より先にそう思えるのだから、彼女達のパワーって凄いと思う。
と、まるで子供の成長を見るような顔で見られている事に気付き、慌ててにやついてしまう頬を抑えた。恥ずかしい。
「ははっ!…ところで、これは何をしてるんだ?最近良く見かけるが…」
日影を狙ってあちらこちらに広げられたシートの上。所狭しと立て並べられた本達を指差して、七尾さんは首をかしげる。
あぁ、見慣れない人からみたら確かに不思議な光景かな。
「虫干しと言って、日光で本についた虫を殺してるんです」
本当なら秋頃の乾燥した空気でやるのが望ましいけれど、贅沢は言っていられない。
ホコリだらけの本を開いた瞬間を思い出してゾワリと粟立った腕をさすり、遠い目をした。
精神衛生上一刻も早く何とかしなくては。
私の表情から何か察したのか、苦虫を噛み潰したような顔で七尾さんは口を開く。
「…頑張れよ」
「…ありがとうございます」
まだ干し途中の本のページをパラパラと捲って湿気を飛ばしながら、少し迷って言葉を紡ぐ。
「あの、何かお悩みですか…?」
口に出してから踏み込みすぎだろうか、と視線を下げる。
少しの沈黙が風通りの良い中庭に落ち、次いでふっと息を吐く音が聞こえた。
「あぁ…まぁな。少し、困ってる。よかったら聞いてくれるか?」
意外な返しにはたっと手を止める。
訊ねはしたけれど、まさか本当に相談してくれるなど思いもしなかったから。
「私で、良ければ」
これは…おそらく、本気で困ってるのだろうな。
ベンチの端に腰を落ち着けた七尾さん。
私はその反対側の端で立ったまま耳を傾ける。
距離感が若干遠いのは許して欲しい。
二菜ちゃんや至くん相手であっても、まだ近付くとフラッシュバックが襲うのだ。
だからこれ以上は…正直平静を保つのが辛くなってしまう。
そんな私の様子を咎めることもなく、彼は前を向いたまま口を開いた。
「実は、息子のことで…」
「え"!?お子さんいるんですか!?」
突然のカミングアウトに思わず話の腰を折ってしまった。
いや、だって…サラリーマンっぽいとは言ってるけれど、七尾さん若そうだし。
「ははは!いるぞ。今年で8歳になる」
しかも思ったより大きいお子さんだった。
今だって30まではいっていないのだろうから、結構な若さでお産まれになったのでは…?
「なんか…い、意外です」
「そう?センパイって昔イケイケだったからさ、別に意外じゃなくね?」
「げっ…!」
聞きたくもない声が乱入して、ゾワリと総毛立つ。
相変わらずコイツ相手だと身体の拒絶反応が数段凄い。
本の為に敷いておいたシートを気にもせずしゃかしゃかと踏み荒らしながら現れた声の主…一ノ世は、悪戯っ子のような顔でニヤついて七尾さんを見ていた。
そして、その隣には奴と対照的に癖のない金髪を風に靡かせ、貴公子然とした青年が笑っている。
が、爽やかな雰囲気を醸しながらも一ノ世同様シートを踏んでいる辺り御察しである。
おそらくコイツは…
「ふふっ、奥様と付き合い始めてからは落ち着きましたから…今は猫を被っていらっしゃいますし、意外に思われても仕方無いですよ」
「ばっ!!一ノ世!三神!!」
「ぶはっ!あっはははは!!何慌ててんのさセンパイ!ホントの事じゃん!」
ゲラゲラ、クフクフと笑う二人組をジトリと睨む。
三神…やっぱりそうか。
私の知るその人物がどういった者かを思い出し、そっと距離をとった。
どうでも良いけれど…一ノ世、シートはまだしも本は踏まないで欲しい。修理の技術までは持ってないのだから。
「この性悪どもが…!」
「センパイひっど!否定しないけどさ」
「おや、僕は否定させていただきますよ。良い子なので」
「あっはははは!!ないね!」
騒がしくなってしまった中庭に吐息を溢す。
心なしか花壇の花までげっそりして見えるよ。私の心情のせいだろうけど。
「なぁなぁ栞里ぃ。知ってる?」
「名前を呼ぶな」
うわ、最悪。ロックオンされた。
馴れ馴れしく近付いてくる一ノ世に顔をしかめて、今度は露骨に距離をとる。
頭を潰される"記録"が何パターンもちらついて吐きそうだ。
いい加減自分が私にとって最大のトラウマだって分かって欲しい。いや、わかっててやってるのだろうけど。
「七尾センパイって昔ゴリゴリの不良でさ、学園の備品破壊記録俺より凄いんだよ?驚きじゃね?」
「それでもお前よりはだいぶ好感が持てるから問題ないかな」
「は?何それ。君さ、俺の事どう思ってるわけ?"記録者"として言ってみ?」
「是。トラウマ。普通に嫌な奴。最底辺」
「はー…うっざ」
自分から聞いたくせに、何故不機嫌になるのか。
分かりきっていた解答だと思うけどな。
取り敢えずそのお綺麗な顔で口を尖らせるな。
「んっふふふふふ!!!成る程、聞いた通りの方ですね」
いつの間にか七尾さんの隣で大人しく私達の様子を見ていた彼が、見た目"だけ"は上品に笑っていた。
ソイツは音もなく一ノ世の隣に再び並び立って私に向き直ると、物腰柔らかく女性のように白い手を差し出す。
「初めまして新しい司書さん。僕は三神聖と申します。よろしくお願いしますね」
一歩、その紅い瞳が近付いた。
三神 聖。
その名前は、一ノ世の次くらいには嫌いだったのを覚えている。
ソイツの"記録"はいつだって残酷なまでに美しい灼熱と共にある。
いや、それだけじゃない。
《あ"ぁぁぁぁぁ!!!!た"す"け"て"!!!た"す"け"て"く"れ"!!》
《もう殺してくれ!!コロシテ!!!》
耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
命乞いなど生温いと言わんばかりの、死を望む慟哭。
《ふふふふふ!さぁ、生まれた事を後悔してください!生きていることを懺悔してください!その穢らわしい皮が、臓物が、魂が浄化されるまで!ずっと、ずっと!》
私の知る能力者の中でただ唯一、死ではなく苦しみを振り撒く事を至高とする男だ。
《おや、また貴女ですか?ふふふふふ!良いですよ!何度でも!何度だって浄化して差し上げます!》
《いやぁぁぁぁぁ!!!あつい!!あついあついあ"つ"い"!!!》
「…っ、う"!!」
耳の奥でごうと逆巻く炎の音が響き、世界がぐしゃぐしゃに歪む。
肉の焼け焦げた匂いが中庭に満ちていた筈の優しい世界を塗り替えた。
「綴戯!!」
「ヒュッ…ッ、ハッ!!」
まずい、まずいまずい!…気持ち、悪いっ!
落ち着け私。大丈夫。これは、"記録"で、今じゃない!!
「ぶはっ!!あっははははは!!ひじりんもさ、バッチリ拒否られてんじゃん!」
「おや、残念ですね。仲良くしたいだけなのですが」
白々しい微笑みが視界に入り、私は生理的な涙を堪えながら心底侮蔑の瞳でもってソイツを一瞥する。
「そんな気微塵も無いクセに、よく言う!相っ変わらず薄気味悪い…っ」
言葉と顔で飾られた外側と心の内が全く違う。コイツはいつもちぐはぐだった。
私が吐き捨てると、三神は穏やかな笑顔を張り付けていた顔を崩し、少し幼い仕草で目を丸くする。
「…成る程。貴女は知っているのでしたね。これは失礼しました」
そう言って次に浮かべたのは、胡散臭さの抜けた苦笑。
あれ…その表情は、知らない。
「この際ハッキリ言いますが…僕ね、女性が苦手なんですよ」
「は?」
風にさらさら遊ばれた金糸を耳にかけ、炎に似た色合いの瞳を細めた目にちらつかせながらことりと首をかしげた三神聖。
マジか。そんなアイドルが裸足で逃げ出しそうな顔でか。
…いや、だからこそ苦労をしたのかもしれないけれど。
取り敢えず気が紛れたおかげで少し落ち着いてきた。ありがたい。
「ま、俺も女って面倒くさって思うけどさ、ひじりん程じゃないね」
「嫌いすぎて蕁麻疹出たこともあるからな、三神は」
「うっわ生きにくそう」
「ええ、おかげさまで。まぁ仲間は理解がありますし、僕も慣れているので平気ですけどね」
若干ハイライトを消した目が冗談じゃないことを雄弁に語っている。
もういっそ整形するかフルフェイスヘルメットを被るしか無いのでは?
あと一ノ世、面倒って思うなら私にも近付かなくて良いのだけど。
「それでも仕事がありますし、外部の方との接触は避けられません。なので…普段から取り繕うクセがついているんですよ」
嫌悪感を隠せるように、接触を然り気無く回避できるように、御誘いを当たり障り無くお断りできるように。
なんか…"記録"と別方面の闇を知ってしまった気分だな。
「普通なら誰にもバレないのですがね…貴女には気付かれてしまいました」
「なんか…すみませんね」
「いえ。別世界とはいえ他ならぬ自分のせいなので仕方ありません」
それはまぁその通り。
私だって望んで気付いた訳でも、そもそも気付けるようになりたかった訳でもないから。
ただ…女性嫌い、か。
"アイツ"が嫌っていたのは、もはや性別云々で済む話じゃなかった筈だけれど。
常に笑顔の仮面が外れない気色悪いアイツが、穢らわしいと嫌悪していた存在は…
「まぁ貴女も僕が苦手なのでしょう?なら、お互い程よい距離でのお付き合いとしましょうか」
今度はその手が彼の身体の横から動くことはなく、互いの距離だって変わらないまま。
ただよろしくという旨だけが伝えられた。
どうやら私より先にあちらが線を引いたみたいだ。
ありがたい、けど…いや、いいか。
一応、彼の事も知りたいとは思う。
でも正直、今はまだ私にも向き合う余裕はない。
丸く収まったところで中庭の空気を吸い直す。
もう焦げ臭くないそれは、花壇の花と太陽の香りに戻っていた。
うん。話を聞いている間に随分落ち着けたようだ。
ほっと一息ついた後、視界の端で本を積み上げてタワーを作っていやがる一ノ世を睨んだ。
完全に飽きている。子供かお前は。
積み木じゃないんだぞ。
それまだ干してるやつだし、そもそも本で遊ばないで欲しい。
「ときに、司書さん。子供はお好きですか?」
「ぅえ?あ、一ノ世の話ですか?」
「んっふっ!!ふふふふふふふふふ!!!」
「は?ちょっと待ってどういう意味なのさ、それ」
「…っん…っっっ!」
「センパイ、堪えられてないしもういっそ笑えよ…!ひじりんは笑いすぎだけどさ!!」
意図せず腹を抱えて爆笑する大人を二名量産してしまった。申し訳ない。
でも今のはタイミングが悪くない?
取り敢えず、一ノ世。
お願いだから能力かけるのだけは止めて欲しい。折角治まった吐き気が再発する。
彼は私の顔色を見て、舌打ちと共に手を下ろしてくれた。
「んふ、す、すみません。子供というのは年齢的な話です」
「えと、それなら…はい」
「よかった。では、これらを是非"貴女の"蔵書にしてください」
そう言われて差し出されたのは大量の絵本。
え、まって滅茶苦茶意外なものが来た。
見た目貴公子の懐から出るには違和感が過ぎやしないか。
何だろう、絵本好きなのかな???まぁ人の趣味に口は出さないけど。
「あー…ハイハイ。君、誤解してるね。ひじりんさ、孤児院経営してんの」
孤児院…?三神聖が??
…あぁでも確かに、"アイツ"は子供だけは苦しめなかったな。いや、苦しめないだけで結局殺してはいたわけだけれど。
己の手に重ねられた可愛らしい表紙を見つめながら、孤児院と絵本の関連を考える。
「もしかして…読み聞かせ?」
「おや、頭が回りますね。ええ。その通りです。いつかお願いしたいと思いまして」
"貴女の"蔵書ってそう言うことか。よく見れば、どうやら絵本は一般的な図書館からの借り物らしい…"記録"しとけってことね。
レンタル品のコピーは犯罪と聞くので少しばかりの後ろめたさはあるけれど、どのみち私は見たものを否応なく記録してしまう存在なので不可抗力ということにしよう。
「…うん、わかった。本はいつ返せばいい?」
「ありがとうございます。一週間後までに七尾先輩を通して返却していただければ大丈夫です」
「あは!良かったじゃんひじりん。あ、そーだ!俺もさ、君に用事があったんだった」
「は?何??嫌だけど」
「あー…ハイハイ。君に拒否権ないから。んじゃ、これね」
抱えている本の上にヒラリと無造作に紙切れが置かれる。
見ればどこかの住所が書かれているみたいだけど…
「明日そこの本屋でさ、頼んでた本もらってきてよ。どうせ暇でしょ」
え、何で私が?まぁ確かに暇ではあるけれど…
彼は困惑する私の表情を見ながら、ひょいと肩をすくめた。
「店主が頑固ジジイでさ、郵送とかしてくんないの。はー…面倒くさ」
今の御時世で珍しいタイプの店主のようだ。
…でも結局それ、私が行く理由にはならないような。
と言うか良いのだろうか。私が外に行って、も…って、あぁ。
「…分かった」
「よろしくー。監視は適当な奴選んどくから。んじゃ、俺ら今から仕事だからさ」
「…お前ら二人で任務なのか?」
「ええ。お偉い方々の護衛に指名されてしまいまして」
「はー…面倒くさ」
ぶぅぶぅ文句を言いながら中庭を去っていく背中に、特大のため息を吐く。
…クソ!不器用かよ!!
わざわざ私に外出の理由をくれた、と。そう言うことなのだろう。
七尾さんも気付いているのか、嵐のようだったその背中を仕方ない奴だと言いたげに、クスクス笑って見送っている。
あ、そうだよ。七尾さん!
「すみません七尾さん、話を…」
カラーン コーン
無情にも、辺りに高すぎず低すぎない鐘の音が響き渡る。
どうやら休憩時間は終わりを告げたらしく、七尾さんが残念そうに眉を下げた。
「時間だな。すまない話は…また今度頼む」
なんてこと。
よりにもよって一ノ世達と関わっている内にタイミングを逃してしまった。ショック。
足早に校舎へ消えた背を暫く眺め、肩を落とす。
お子さんの話、聞きたかったのにな。
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埼玉県某所。
昨日一ノ世に言われた通り、私は注文されていた本の引き取りにやって来ていた。
「では、またお帰りの際に繋ぎまぁすね」
「は、はい。ありがとうございます」
「お気をつけてぇ」
二菜ちゃん達の後輩で、『転移』の能力者である門倉くんはひらひら手を振って消える。
『転移』の能力者は存外珍しくないらしい。
島にもそこそこ所属しているみたいだし、"あちら"でも数人は見かけた。まぁ行く先々で私を見つけて拉致るくらいだからね。
どこにでもひとっ飛びな便利な能力だと思われがちだがそうじゃなく、事前に設定したポイントしか繋げないという欠点がある。
つまり、戦闘では逃げる以外まったく使えない。
更に言えば、1度に設置しておけるポイント数は個人でそれぞれ決まっているのだそうだ。
だから能力者何人かで地区を分け合って全国を補っているみたい。
ちなみに門倉くんは、高等1年生ながら埼玉県,群馬県の全駅にポイントを持っている中々優秀な子らしいとは至くん談。
さて、そんな彼に目的地の最寄り駅まで送ってもらった私はキョロキョロと辺りを見渡した。
監視がいると聞いてるのに姿が見えない。
うーん…?まさか居ないという訳はないのだろうし、隠れているのかな。
少し待ってみたけど誰かが来る気配もないので、私は足を建物の外へと向ける。
平日の昼間ということもあってか、比較的人通りが穏やかだ。
朝夕とかはラッシュが凄いらしいけどね。ベッドタウンって言うんだっけ?こういう町。
メモ書きを片手に駅舎を出れば、都会とも田舎とも言い難い独特の街並みが迎えてくれた。
「おぉ、東京とはまた空気が違う…」
そう言えばここに来たのは初めてだな。
いや、まぁ…市区町村全部吹き飛んだ後なら来たことあるかもしれないけど。
"記録"を然程刺激されない土地に安堵しながら、一ノ世の綺麗とは言えないメモに視線を落とす。
「えっと…あっち、かな」
事前に周辺地図を"記録"しておいて良かった。
こう使えば便利なんだよね。この能力。
いざ、と小さく気合いを入れて足を踏み出す。
…なんだろう、はじめてのお使いをしている気分になってきた。わくわく。
指定された店は少し奥まった路地に建っていた。
寂れた外見はレトロで、古き良き駄菓子屋に近い雰囲気を感じる。
店名も何も無く、看板には"本"とだけ簡潔に記されていた。
無駄を一切省いたその潔さ、私は好きだよ。
カランとベルの鳴る手動の扉に身をくぐらせ、思わずほぅっと感嘆の息を吐く。
迷路のように立ち並ぶ本棚と、所狭しと詰め込まれた大量の書籍。
古本かは不明だが、中々に古い年代の本もちらほら見えた。
「凄い…!掘り出し物とか有りそう」
ミステリアスな雰囲気に包まれ本特有の香りに鼻を擽られながら、店内を見て回りたい欲をぐっと堪える。
取り敢えず、目的を果たさねば。
さて店主は何処だろうと首をかしげ、音楽1つ流れていない世界で微かに聞こえた音に耳を澄ませる。
「ページを捲る音…あっちかな」
本棚の間をかいくぐり、漸く辿り着いた店の最奥。
正面だけなら小ぢんまりとして見えていた店内だけれど、奥は意外にも広かった。
「あの、すみません」
「…」
姿勢良くカウンターに座りペラリペラリと洋書を捲っていた初老の男は、モノクルの奥で視線だけをこちらへ動かす。
わぁ…頑固ジジイって一ノ世が言っていたからどんな人かと思ってたのに。
バーのマスターって言われた方がしっくり来るような、グレーの髪を後ろに撫で付けたダンディーな人じゃないか。
アイツ、性格だけじゃなく目まで悪いのかな。
ふと、男の読んでいたページが目に入り、英語の文字列が記憶の扉を叩く。
「…あ、濃霧街探偵異聞奇譚の原文だ…」
「ほぅ」
つい呟いてしまった口を片手で隠す私を、店主さんは愉しそうに瞳を弧にして見ていた。
パタンと古びたハードカバーが閉じられ、彼はカウンターの上に組んだ手を置く。
「いらっしゃい、お嬢さん。何用かね」
「ヒェ」
うっわ低く落ち着いた声の色気って凄い。
ふるりと頭をふって切り替え、私は深呼吸を1つ。
そして"こう言えば通じる"と言われた台詞を音にした。
「一ノ世久夜の代理で参りました」
バキリ
うん??鳴ってはいけない音が響いたような気がするのだけど。
恐る恐る出所を確認すると、彼の手の下…立派なローズウッド製カウンターの一部にヒビが入っているではないか。
「驚かせてすまないね。どうにもその名前が嫌いなのだよ」
「あ、大丈夫です。私も嫌いですから」
一体ここで何をしたんだアイツは。
取り敢えず、店主の前では禁句であることは理解したよ。
「さて、本の受け取りだったね。…お嬢さん1人かね?」
「えっと…」
監視の人がいる、とは思うけど。
私の様子に小さく頷いた店主さんはおもむろにモノクルを外し、ぐるりと店内を見渡した。
「ふむ。そこにいるね。出て来たまえよ」
「…」
かたり、と店主さんが声をかけた本棚から音が鳴り、その影から見覚えのある人影がおずおずと顔を出す。
「え?至くん?」
「………」
彼はバレちゃった、と言いたげに苦笑した。
「どうして隠れていたの?全然気付かなかったよ」
こちらに背を向けてゴソゴソと作業をする店主さんを待ちながら、私は首をかしげる。
折角なら一緒に歩きたかったし、正直はじめてのお使い的な心情だったのを見られていたと思うと無性に恥ずかしい。
「いや小生だってもちろん綴戯さんに声かけたかったんですけど一ノ世さんに隠密訓練とか言われてて仕方なくって言うか一応ちゃんとやらないとあの人罰ゲームとか言って扱きに来るので」
拗ねたようにそう早口で告げる至くんは確かに不服そうだ。
そんな彼はついっと店主さんに視線を向け、僅かに固い声色で続ける。
「でも見つかるのは正直予想外って言うかそりゃ小生音と空気の揺れは消せても姿は消せませんがそれにしたってまさか…」
「一般人ではあるが私は感が鋭くてね。後はまぁ長年"そちら側"と取引をしている経験、それと年の功かな」
出来たよ、とカウンターに置かれた紙袋二つ。
どちらの中身も縁ギリギリまでみっちり本が積まれていた。お、重そう。
「それと、敏感にならないと…また店を荒らされかねないからね」
ヒヤリと店内の気温が下がった気がして身震いする。
店主さんからの怒気が凄いけど…泥棒にでも入られたのだろうか。
「彼奴…一ノ世久夜ときたら、知らぬ間に大事な蔵書を積み木にするわ売り物に落書きするわ本の中身をエロ本に差し替えるわ…こほん。とにかく、キリがないのだよ」
「「うっわぁ」」
普通にドン引きである。何やってんの本当に。
そりゃ名前聞いただけでうっかりカウンターにヒビ入れたくもなるだろう。
聞けば、わざわざ店主がいる時を見計らった上で気配を完全に消してイタズラに望むらしい。相変わらず性格が悪い。
「彼奴が学生の時に駄菓子屋か何かと間違えて来たのが運のつきだったよ。品揃えを気に入ったらしく、上客であるのが尚の事腹立たしいね」
駄菓子屋…アイツと同じ感性を持ってると知ってしまった私は今すぐ埋まりたい気分だ。
「いやいやいやそんなに嫌いならもういっそ頼まれた本なんて郵送とかしちゃえば良いと思うしそうすればここも安泰だと思うんですがどうですか」
「何故私があの悪ガキの為に手間をかけねばならないのかね。絶対にお断りだよ」
「うっわ拗れてる」
幼い子供のような純粋な瞳で全く意味が分かりませんって顔をした店主さんに頭痛がする。
成る程、頑固なのは理解できた。
「それに呼ぼうが呼ぶまいが来るときは来る」
「それはもはや怪異では…」
私達には内心で合掌することしかできなかった。
「まぁおかげで隠密には良い練習相手だったろう。私は本気で気配を消した彼奴に気付けるのだからね」
「一ノ世さんに鍛えられた一般人こわ精進します」
ペコリと礼をした至くんに笑みを溢し、私は紙袋を…
「む…」
「「…」」
店内に生暖かい沈黙が落ちる。
私はふぬっ、ふぬぬ、と何度か力を入れた後、至極真面目な顔を張り付けて至くんに向き直った。
「ごめんね…持ってもらえる、かな」
「ぶふっ!!!」
「…っ、くく!」
叶うなら今すぐ消えたい。
物凄く恥ずかしかった。
「じゃあね。またおいで」
まなじりに涙を浮かべたままの店主さんに見送られ、結局両方の紙袋を至くんに持ってもらったまま帰路に着く。
「…筋トレしようかな」
「いやいやいや綴戯さんのそれは所謂衰弱だから無理しなくていいと思うしマッチョになられたらちょっと悲しいです…っあ」
「さ、さすがにマッチョにはならな…あれ?」
隣にいた筈の彼が急に姿を消した。
困惑に目を泳がせる私の側を親子連れがのんびりと通り過ぎる。
「…」
「あ」
人の気配が無くなると、再び彼は現れる。
なんかそういうゲームみたいだけれど、訓練…なのだろうか。
じぃっと至くんを見つめれば、彼は観念したように口を開いた。
「すみません小生あまり一般人に見られるの好きじゃないって言うか今日は眼鏡もしてきてないので」
「え、あ!本当だ。ごめんね気付かなかったよ」
私は慣れてしまって何とも思わなくなっているけど、彼のモスグリーンの虹彩と山吹色の瞳はそりゃ目立つ。
ダメだな私。一応年上なのに、彼を全然気遣ってあげられてない。
いつも貰ってばかりで情けない限りだ。
二菜ちゃんも至くんも年相応のところは勿論あるけど、凄くしっかりしてるんだよね…
「…よし!私、頑張って年上っぽくなろう」
「いやそのままで十分だと思いますけど」
え?なんで?って首をかしげたら、全く同じように返された。解せない。
そんなやり取りをしていると、微かに後ろからタッタッと軽やかに駆ける音が聞こえてくる。
誰かが走ってきているみたい。
チラリと至くんを見ると、彼は申し訳なそうな顔をした後また居なくなった。
そして私の横をランドセルを背負う少年が走り抜けていく。
その横顔に既視感を感じてパチパチと瞬いたその時。
「っ、うわ!!!」
べしょりと中々痛々しい音を立てて、その子は目の前でスッ転んだ。
「…~~っぅ~!!!」
「え…あ、だだだだだ大丈夫!?」