14章:孤児院
波乱の合宿を終え、気付けば既に暦に大きく記された数字は八月を示している。
真夏らしい猛暑が幅を利かせ、日差しは一際ギンギラと煌めきながら大地を容赦なく焼いていた。
アスファルトの少ない学園周辺にすら蜃気楼がゆらゆらと発生する程の気温である。
きっと東京なんかはここの比ではない暑さで街全体の景色が歪み、迂闊に外へ出ようものなら熱中症待ったなしの状態ではないだろうか。
実際職員寮で食事を食べに行く度に、食堂に備え付けられたテレビが注意報を流しているのを連日見かける。
元より進む温暖化で夏の平均気温は40℃を越えることがほとんどとなっており、毎年朝昼晩問わず熱中症による搬送者数や死亡者数が大きくニュースに取り上げられていた。危険意識を高めるためである。
今年も例に漏れず暴力的な暑さを印象付けるニュースばかりで、梅雨とは違った形で気が滅入ってしまう。
ちなみに、今日の気温は東京で47℃。
島の気温は知らないけれど、地球に殺されるとはよく言ったものだよね。
私にとって数年ぶりの酷暑。嬉しくない懐かしさもあるものだと苦笑が漏れる。
何せあちらは、雲の有無に関わらず空は灰色で薄暗い状態だったのだ。
争いの中様々な国が様々な兵器を使いすぎた事で空中に化学物質やら細かいゴミが無数に滞留し、そのまま落ちてこなくなったのである。
当然日差しが遮られている為に気温は高くならず、むしろ通年で寒いくらいだ。
正直四季すらもろくに無かった気がする。
それを考えれば…この暑さは世界が生きている証拠だ。喜び難いし、温暖化は止まってもらいたいところだが。
まぁどんなに暑い暑いと言っても学園の内部は空調がよく利いているので、私の城たる図書室は快適そのものなんだけどね。
本当にありがたい。
本音を言えばその安全地帯からお外になんか出たくないでござる、と引きこもりたいところだけれど…というか今日まではそうしていたよ。
しかし新書が仕入れられたと言われては、司書としておいていただいている以上仕事をしないワケにはいかない。
ということで、私は渋々ながら籠城していた図書室から出て職員室の方まで出向いた次第である。
こらそこ、たかが同じ建物内って言わない。
さすがに廊下まで空調完備ではないからこの僅か数十メートルがデスロードなんだよ。
一歩ごとに汗が噴き出してくるレベルなの。本当に勘弁して欲しい。
内心で暑さへの文句を転がしながら数冊の本を抱えていた私は、ふと中庭の前で足を止めた。
強い日差しは白んで見え、それを受け止めるのは生き生きした緑。
目線を上げればべっとりと絵の具をそのまま塗ったようにくっきりした青。
逆に目線を下げてみれば、誰かが水をやったのか水滴をくっつけながら光を乱反射させる花たち。
生の色彩を湛えたそれらは精彩を放ち、それが目にしみるようで思わずそっと細めた。
あぁ、眩しい。
夏という季節はこんなにも鮮やかであったのだと再確認させられる。図書室に籠っていた分余計にそう感じるのかもしれない。
すぅと肺にぬるい空気を満たせばそれはじんわり体に染み渡るようで…酷く穏やかな感覚を覚えた。
未だ夏休みなだけあって学生達の声は聞こえず、風に揺られて内緒話をする葉の音と合間に茶々をいれる小鳥達のチチチと楽しげな声、そして遠くの森から存在を主張するセミの大合唱。
そんな、いつもと同じようでいつも違う自然の音楽だけが流れていた。
まぁ…学生達と言っても、もうこの校舎には二人しか生徒はいないけれど。
その二人、二菜ちゃんと至くんは無理な戦いをして双方大怪我をこさえてしまったため、今は四恩さん監修の元自室にて軟禁中である。
怪我の状態を診察してそう決定を下した時の彼はそれはそれは素晴らしい笑顔だったけど…凄く怒ってたぞあれ。
経験者だからよく分かる。…嬉しくないことに、ね。
「…うっ。やば…」
少し景色を眺めていただけなのに、早くもクラクラしてきた。
うーん…夏、恐るべし。
なんて、感心している場合じゃない。
これで熱中症なんかになってみろ。倒れた瞬間私もあの笑顔の餌食になること間違いなしだ。
傷みのないピカピカの本を抱え直し、この貧弱極まりない体がダウンしてしまわないうちにと図書室への道を急いだ。
「…あれ?」
すっかり慣れた道を早足ですいすいと泳ぐように歩けば、目的地は直ぐに見えてきたのだけれど…どうやらお客さんが来ていたらしい。
扉の前には見慣れない白衣姿の女性…と思われる人物が立っていた。
ちなみに、濁しはしたけれど十中八九女性だ。
ちょっとその、四葉さんの件で疑い深くなってるだけで…
いや、別に私は性別がどうであろうと気にしないのだけど、間違っていたら失礼かなって。
若そうに見えるけれど、服装からして学生ではないのだろう。
私が知らないだけで四恩さんや四葉さん以外にも保健医がいたのだろうか。
と、まじまじと観察してしまったせいかその女性が視線に気付いたようにこちらへ顔を向け、ぱっとその表情を明るくさせた。
「あ!よかったデス!突然すみませんデス!わたし研究所の技術開発部所属、鑪小鹿といいますデス!綴戯栞里さんでお間違いないデス?」
「え、あ…はい。私が綴戯栞里で合ってます」
二菜ちゃんとはまた違った小動物感をまといながら、ハキハキと溌剌とした様子で挨拶をしてくれたその人に若干気圧されながら返事を返す。
私の肯定にホッとしたのか、彼女はそばかすの散った頬をふにゃりと緩めたのだった。
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「紅茶で大丈夫ですか?」
「はい!…あ!?いえ!あの、お構い無くデス!」
ひとまず立ち話もなんだし…というか廊下は普通に暑くて嫌なので、図書室へ招き入れた。
簡単に寮母さんから貰ったティーバッグで淹れた紅茶を二つカチャリと置きながら、私は談話スペースの長机を挟んで彼女と向き合う。
"研究所"というワードにいい思い出が無いので警戒していたけれど、少なくとも鑪さんから嫌な感じはしない…かな。
むしろ私の許可無く図書室に入ろうとせず、扉前で待っていてくれたあたり非常に好印象である。他の連中も見習え。
猫舌なのかふぅふぅと一生懸命ティーカップの中身を冷ましている鑪さんはミルクティー色のふわふわとした癖っ毛が遊ぶミディアムボブの髪に、キャロットオレンジとソナタの色彩を持つくりくりした大きな目を丸眼鏡で縁取った可愛らしい女性だ。
年齢は二十三歳とのこと。
年齢的に十三束の後輩にあたるのかと思ったら、実はそうではないらしい。
なんと彼女、学園に通ったことが無いのだそう。
物凄くド田舎…というか山中の集落で原始的な自給自足生活を営む家庭だった為、大人になるまで能力者とは何ぞや?という状態だったらしい。
周りの住民も能力者に疎く、外部から人が入ってくることも殆ど無いという望まずとも閉鎖的な環境により、怪異討伐にやってきた能力者に指摘されるまで自分も周りも全く気付かなかったようだ。
高校に行っていなかったのもまた一因だろう。
というか…もしや、一ノ世が作った私の設定って彼女からヒントを得たりしてない?
ようやくチビリと紅茶に口をつけた彼女は、少し口の中で香りを楽しんだ後にこくりと喉を鳴らしてほっこりと顔をほころばせた。
うん。可愛い。癒し枠に決定。
つられて私も頬を緩ませながら見つめていると、ハッとこちらの視線に気づいた鑪さんは気恥ずかしそうにうろりと目を泳がせる。
かと思えば、彷徨いた目が持参していたショルダーバックを視界に入れるやいなや、目的を思い出したのかあ!と声を上げて慌て出した。
落ち着きがないというか、忙しい人である。可愛いから良いけれど。
「すみませんデス!オラ…いえ、わたしついまったりしちゃって…!」
「気にしないでください。ゆっくりで大丈夫ですよ、鑪さん」
「あ!小鹿で良いデス!綴戯さんの方が年上と聞きましたデスから、敬語も不要デス!」
「そう…?わかった。なら、遠慮無く。小鹿ちゃんも楽に話して良いよ?」
何となく作ってるような話し方が気になってそう提案してみると、彼女はカップを両手で包みながらあうぅと悩ましげにうめいた。
そして、困ったように眉を下げながら笑う。
「私、意識しねど訛りがひどいんじゃ。ながなが聞き取ってもきやえのぐて」
「あー…」
成る程、訛りがガチなタイプだったようだ。
うまく聞き取れなかったけれど、様子から察するに意識して言葉遣いを直さないと相手に伝わらない…といったところか。
「こんな感じなので、お気遣いだけで大丈夫デス!自分でも直したいと思ってやってるのデス!」
にぱっと表情を輝かせる小鹿ちゃんは確かに口調を作ってはいるけれど、無理はしていないようだ。
ならば私がとやかく言うことでは無い。
それにしてもどこの訛りなのだろう。
私としては個性的で素敵だと思うけれど、仕事となると大変そうだ。
ただ、直すために意識しすぎて逆に口調が変になっちゃってる気もするけどね。
「それで、小鹿ちゃんはどうしてここに?」
「えっと、眼鏡の修理が終わりましたデス!なので、お届けに来たのデス」
眼鏡と聞いて得心がいった。
五月雨さんの一件で壊してしまった認識阻害眼鏡の修理を合宿前に頼んでいたんだっけ。
色々ありすぎてすっかり忘れていた。
「今回は強度も上げて欲しいとのご要望があったデス。なので、『修復』だけでなく調節もしてありますデス!遅くなってすみませんでしたデス!」
「え?それは、大丈夫だけど…強度って?」
当然私には『修復』の能力者に伝はないので、七尾さん経由でお願いをしたのだが…
強度を上げて欲しいという要望を彼に伝えたりはしていない筈だ。
そりゃ短期間に二回も壊していて申し訳ないし、もう少し頑丈だと良いのにと思わないではないけれど…思っただけで口には出していないぞ。"記録者"として断言出来る。
きょとんと私を見ていた小鹿ちゃんだったけど、直ぐに成る程と納得したような様子で苦笑した。
「一ノ世さんに"壊してばかりだから"と後から追加で頼まれたデスけど、あれは綴戯さんからのご依頼ではなかったのデスね」
「一ノ世が?…そ、そっか」
「えぇと、ご不要でしたデス?」
「ううん!正直ありがたいよ!短期間で立て続けに壊しちゃったのは本当だしね」
何故アイツがわざわざ?という疑問があるだけで、強化自体はとても助かる。
小鹿ちゃん曰く、急に研究所に来たかと思えば要件を言うだけ言って去っていったというから…アイツの考えはさっぱりわからない。
まぁ、追加注文にかかった代金は一ノ世の方で支払い済みらしいので、ありがたく受け取っておこう。
そのうち会えた時にでもお礼は言うつもりだ。
しかし…まさかコレをダシにまた変な頼み事をされたりはしないだろうな。トラブルに巻き込まれるのはしばらく遠慮したい。切実に。
「あ…あのぅ?」
「…あ!ごめんなさい!」
一ノ世というワードと考え事で、私は難しい顔をしていたのだろう。
恐る恐る覗き込んできた小鹿ちゃんのへちゃっとした顔に罪悪感が芽生え、慌てて誤魔化すように笑顔を張り付けた。
不機嫌というわけではないと伝わったらしく、ホッとしたように表情を和らげた彼女はおずおずと眼鏡の入ったケースをこちらへ差し出す。
「よかったらチェックをお願いしますデス」
「うん、わかった」
眼鏡を取り出しくるりくるりと角度を変えながら一通り眺めた私は、膝の上にきゅっと握った拳を乗せて見守っていた彼女に微笑んだ。
「凄くきれいだよ。"記録者"の目で見ても壊れる前と差がわからないくらいだし…うん、完璧だと思う」
「!!本当デスか!?ふへへ~!嬉しいデス!」
ふわっと頬を赤らめながら喜ぶ彼女は、興奮気味に身を乗り出してソナタの瞳を煌めかせる。
「あの!それ、僭越ながらわたしが『修復』をさせていただいたのデス!だからその、う、嬉しくなっちゃっ…て。す、すみませんデス、お見苦しいところを…」
だんだん気まずそうに萎んでいく言葉にクスクスと笑いをこぼし、恥ずかしさからか落ち着きなく揺らいでいる視線に目を合わせた。
「ありがとう、小鹿ちゃん。私もあなたに直してもらえて凄く嬉しいよ」
「ふへ!?つ、綴戯さぁん…!もう!な、オラば喜ばせら天才じゃか!!?」
「え?あ、うん???」
溶けたような表情でえへえへと喜んでいる彼女に何て言った?なんて聞けなかったので、とりあえずプラスな事を言われたのだろうと笑顔のまま流して眼鏡をかけてみる。
そして、変わることのないかけ心地にあれ?と首をかしげた。
「重さ…全然変わってないね?」
「ふへ?あ、はひ!そこはつけ心地重視で拘りましたデス!…って言ってたデスよ」
彼女が言うには、強化…というより改良を施したのは別の同僚らしく、今のはその人からの言葉らしい。
私の目をじぃっと見つめて満足そうにしている小鹿ちゃんを見るに、認識阻害の効果も大丈夫そうだ。
確認を終えた私は、眼鏡を外してケースへ戻す。
「改めて小鹿ちゃん、綺麗に直してくれてありがとう」
「いえ!わたしにはこのくらいしか出来ませんデスが…満足いただけて良かったデス!」
はにかんでそう答えた彼女は言葉もそれに乗る感情も凄く素直で…こんな少しの付き合いで分かったつもりにはなれないけれど、少なくとも純朴で可愛い人って印象を得たかな。
「今度は壊さないように大切にするね」
「え、あ、うーん…な、何度だって直しますデスから、いくらでも壊してもらっていいんデスが…むしろ、口実として、はい」
「?」
凄く小さくボソボソと紡がれた言葉を拾えず目を瞬かせると、彼女は何事もなかったようににぱっと笑った。
"あちら"ではその姿も名前も知らなかった彼女。
正直、会ったことがなくて良かったと思えるよ。
だって、こんなに可愛い彼女が人を殺す様子なんて…考えたくもない。
そういえば、小鹿ちゃんに限らず『修復』の能力者って『転移』や『記録者』同様見かけなかった気がする。
まぁ、あの世界で暴れていた連中にしてみれば『修復』する必要のあるものなんて無かっただろうし…どこかに隠れて見物してたってだけかもしれないけど。
そんな事を考えながら受け取りのサインを済ませて小鹿ちゃんに書類を返すと、何かを思い出したようにあ!と短く声を上げた。
「技術開発部の上司が綴戯さんに用があるそうなのデス!なので、後程こちらへ顔を出してもらっても良いデスか?今は研究室に籠っちゃってるので…夜でお願いしたいのデス」
「えっと、それは大丈夫だけど…」
確か研究所があるのは島の北…だったよね?
この前はお偉いさんに誘われたからか普通に行ったけれど、私だけでも入れるものなのだろうか?
島を案内して貰った時、七尾さんは用事なく案内できないと言っていた気がするんだよね。
こちらの不安を感じ取ったのか、やや慌てたように腰を浮かせた彼女は困り顔を張り付けて口を開く。
「ち、注射とかはありませんデス!ご安心を!」
「そこじゃないかな」
確かに好きではないけれど…子供じゃないんだからその理由でヤダヤダ行かない!とはならないぞ。
即座の否定にショックを受けてプルプルしている小鹿ちゃんは可愛いけれど、今の誘い文句でいけると思われていた私もなかなかショックだからね?
一応年上って知ってるんだよね?
「あ、あのぅ…では何がご不満デスか?」
「不満とかじゃなくて、私一人で北区に行って大丈夫なのか分からなくて…」
「あ!成る程!それならご心配なく!もちろんお迎えに伺いますデスよ!一緒に行きますデス」
「良かった。それなら安心かな。よろしくね、小鹿ちゃん」
北で働いている彼女と一緒というなら心配する必要はないだろう。
私から色好い返事がもらえてホッとしたのか、小鹿ちゃんは握っていた拳を解いて浮かせた腰を再び椅子へ落ち着かせた。
「ところでその、小鹿ちゃんの上司さんってどんな人なの?」
私にわざわざ用事があるなんて随分物好きというか変わっているというか…
「はい!だらしないおっさんデスが、噛みついたりしないので怖くないデスよ!」
「そ、そっか…」
むしろ噛みついてくるオッサンって何??変質者か犯罪者かな?
「捻木十機和っていうんデスよ!」
一瞬耳を疑ったが、確かに聞こえてしまったその名前。小鹿ちゃんに気付かれない程度に顔をひきつらせる。
聞き間違いでないとするなら、今彼女の口から出てきた名前には嫌というほど聞き覚えがあったから。
勿論、どこでと問われれば"あちら"でと答える。
突然の事で狼狽える私の目の前がノイズにまみれていき、程なくして"記録"が現実を食い潰した。
瞬けばそこにはもう小鹿ちゃんも本棚も無く、見たくもない舞台が幕を開けている。
鉄骨が剥き出しの崩落した建物。
散らばる硝子が灰色の海の合間に鈍く光り、その悪趣味な海の中では有名店の看板が座礁した船のように無惨に折れ曲がって打ち捨てられていた。
元々は沢山の人で賑わいを見せていた大型商業施設だが、今となっては寂れた廃墟。それが、久方ぶりの賑わいをみせている。
とはいえ、その賑やかさは楽しげな声ではなく…悲鳴によるものであったが。
その騒ぎの中心にいた捻木十機和という男は、いつもぶつぶつとよく分からない単語を呟く陰気な人物だった。
血を錆のように付けた数多の機械を従え、白衣をはためかせて狂ったように笑いながら一般人を虐殺していく姿はさながらマッドサイエンティストのそれである。
《あ"ぁ"ぁ"!人間っ!人間がいるっ!!不完全不十分不合理不条理不用不快不潔不可解、理解不能な人間が!!やめろ、俺っちの視界に入るな!!…ひひ、そうだ、そうだそうだ!不用品不良品はスクラップ!なぁ、そうだろ!?"アイツ"にそうしたように!!》
《やめ…!やめて、くれ!やめてくれよぉ!》
ウィン、ガシャンと機械らしい音を響かせて瓦礫の隙間から現れたのは、大小含め形状様々な銀色。
逃げ惑う人々を囲うその数は数えるだけで怖気が走る。
なにせ、十では足りないそれらは全て殺戮人形なのだから。
私を逃がさないよう関節の可動域も無視して雁字搦めにしているイソギンチャクのようなやつ、戦隊ものに出てきそうな人型ロボ、目玉のような球体、ライオンのような獣型…どれもこれも全て血を塗料代わりにしているイカれた代物だ。
《クッ…クソ!クソッ!!死んでたまるか!こんな鉄屑、壊してや…》
威勢の良い誰かの声はグチャリという音に置き換わり、誰もが息を飲んでその音の先を見つめている。
機械の腕に上半身を握られ、オイルのように血を滴らせならぷらぷらと揺れる"何か"を。
《不愉快だ。喋るなよな、肉だるまごときがさぁ》
不気味に反射した眼鏡の奥がどんな目だったのかは分からない。ただ、この曇天よりも淀んだ色だっただろう事は分かる。
"ソイツ"は乾いた血でパキパキになっている白衣を翻し、軽々と命を握り潰した機械の肩に腰かけて一言命令を告げるのだ。
《すべて、処分だ》
瞬間、無慈悲な鉄の擦れる音と篠突く雨のような悲鳴が溢れかえったその場所で、"ソイツ"は天を仰いで哄笑する。
《ひひ!ひははははは!!!見ろ!機械こそ至高!機械こそ崇高!これこそが完璧な存在なんだわ!人間なんていらねぇのよ!!》
《…ッな、ら…!お前だって、不要だろ!!》
《あ"?》
私は口を覆っていた触手を歯が砕けるのも厭わずに噛み砕き、血を飛ばしながら叫んだ。
あまりにも勝手な言い分に腹の底がグツリと熱を持つ。
その、機械達を操る"オマエ"だって…人間じゃないか。
《この、場で…一番不要なのは…!一番不快なのは!理解不能なのは…!っ、お前だ!!!》
コイツだけじゃない。
私にとって…いや、世界にとっては、能力者達こそがいらないものだった。
誰かの歩みも営みも、歴史すら全ていとも容易く踏みにじる。
どうして神様はこんな奴らを生んだのかと、いつか嘆く誰かが叫んでいた。激しく同感である。
《うるさい!うるさいうるさいうるさい!俺っちだって、俺っちだってこんな人間の体は嫌だ!!ひひ、でも、安心しろよ。そのうち…全部が終わるんだ。この世界は生まれ変わるんだよ!ひひっ、ひははははは!!》
意味の分からない事をほざき、狂ったように笑う"ソイツ"はしかし、急にふっと静かになった。
気付けば周りも嫌に静かで、錆び付いたようにぎこちなく首を動かせば…そこには目も当てられない惨状があるだけ。
生きているものなど、もう一人としていやしない。
《ひ、ぁ…あぁ…あああっ…!!》
あまりの光景に歯の根が合わず、ガチガチと不快な音が鼓膜を揺する。
ご丁寧に部位ごとにつまれた血塗れの山は、人体のバラ売り状態だ。
生首達がまた私を責める。
そこにいるだけの役立たず、と。
引きちぎられた腕が私を指差す。
見ているだけのお前も悪だ、と。
《そんな顔をしなさんな。直ぐにお前さんも混ぜてやるよ。ふぁ…ん、殺れ》
欠伸混じりのそんな軽い、軽すぎる言葉一つ。
私はいつの間にか周りを囲んでいた機械達に手を足を首を掴まれて…
ブ
チ
ッ
……
「…ぎ…ん?…綴戯さん?」
「…っ!?……ぅ…?」
控えめに揺さぶられる感覚とふわりと鼻を擽る甘い香りに赤く染まった視界がまともな色を取り戻し、惨たらしい世界は静謐な図書室へと戻っていく。
「ど、どうしましたデス…?空調効きすぎデス?こんなに、震えて…っ!?」
「…ふ…る……?…あ…」
泣きそうな顔をした誰かに言われるまま焦点の合わないようなボンヤリした視界に己の手を映せば、情けないほどガタガタと震える手が…震えることのできる手が、ちゃんと付いていた。
「な…泣いて!?あぅ、あぅ…っお、オラ悪りごどばしてまねんべが!?どへばいいだべ!?んだ、誰か人ばしんで…っ!」
「……こ、じか…ちゃん…?」
あまりにも耳なじみない訛り言葉が境界を失っていた私に強く存在を示し、"あちら"と乖離しているその情報が私を現実に引き戻す。
あぁ、クソ、また『開示』したのか。
ただでさえ本調子じゃないところに強烈な"記録"を食らったせいで、知らず涙が滲んでいた。
あわててそれを拭うと、グワシッと両肩を掴まれる。
「大丈てでじゃか!?顔色悪りじゃし!へずねだが!?」
「へぁ!?」
鼻が触れそうな勢いで覗き込まれた上に難解な訛りが鈍っている脳を直撃し、耳元で鉄砲でも撃たれたような驚きと混乱が襲った。ちょっと変な声でたよ。
「どこか痛みますだな?ほないだが?オラさ出来らごどはあるのすうだな?うぅ、何んぼするべし!?」
「だ、大丈夫!大丈夫だけど!ごめんなんて!?」
「んん…!どこか痛みますデスか?苦しいデスか?わたしに出来ることはありますデスか?」
大きな瞳に張った水の膜。私よりも痛そうな表情。必死にどうすればと悩む声。
すっ、と頭の靄が晴れていく。
あぁ…まいったな。小鹿ちゃんにかなり心配をかけてしまったみたいだ。物凄く心苦しい。
そりゃ、目の前で談笑していた人がいきなり苦しみ出したり泣き出したり、どう見ても普通じゃない様子になったら…たとえ他者に興味の薄い能力者だとしても驚くよね。
「平気だよ。ごめんね、少し取り乱したみたい」
「ほ、本当に大丈夫デス?少しどころじゃ…」
「えっと、たまに起こる発作…持病みたいなものだから!本当に大丈夫!」
「んだなしてすだな?だばいいじゃばって…」
…台詞はまったく分からなかったが、追求するつもりがないのは何となく分かる。
どう見ても納得はしていないけどね。物凄く不服そうだし。
でも、私が言わないだろうということを察して引いてくれたみたいだ。
「んん…!本当にびっくりしたデス。トキさんの話をしたら急に焦点が合わなくなって震えだしたデスから…あ!?もしかして、トキさんに何かされた前例があるデス!?」
「な、ないないない!!会った事ないから!」
"こっち"では、と心の中だけで付け加える。
捻木十機和という人物が元々はどのような人なのか私は知らない。
ただ、怖くないと力説してくれた小鹿ちゃんには悪いけれど…私にとっては滅茶苦茶怖い人だよ、その人は。
せめて一対一にならない事を祈りつつ、私は時計を確認して慌て出した小鹿ちゃんを眺める。
「わわわ!もうこんな時間デス!?すみません綴戯さん、わたしこれから仕事がありますデスので…失礼しますデス!」
「そっか…わかった。小鹿ちゃん、色々ありがとう。良かったまた遊びに来てね!」
「ふへ!?良いんデスか!?絶対来ますデス!」
つい口にしてしまった"また"の言葉に気付いて怯えた私とは対称的に、小鹿ちゃんはひどく嬉しそうにそれを受け取ってくれて…眩しさにそっと目を細めた。
ダメだな私。まだちゃんと整理がついてないみたいだ。
内心で自分のウジウジ具合に嘆息しながら、名の通り小鹿のような跳ねる足取りで帰っていく彼女をその場で見送りホッと一息…
つこうとしたところで、ガチャリと無遠慮に扉が開かれた。
忘れ物かと振り返った私の目に飛び込んできたのは癒し系の彼女…ではなく、朝から眩しすぎる金色の髪と王子フェイス。
「今のは…研究所に所属している『修復』の方ですか。図書室の備品か何か壊したんですか貴女」
「失礼な。合宿前に頼んでた眼鏡の受け渡し…っていうかノックくらいしてよ」
平然とした顔で何故?とのたまうエセ王子こと三神に青筋を立てながら睨み付けると、奴は一ミリも心が伴わない謝罪をしながらやれやれと両手を広げた。
「女性は相変わらず面倒ですね」
「性別問わず常識の範囲内でしょうが」
「そんな常識知りませんね」
「本気でまともな教職者を雇うべきだと思う」
小鹿ちゃんの使っていたカップを回収しつつ、呆れのあまり溢れるため息を隠すことなく空気に溶かす。
彼女がまともなのはきっと、長く一般人と生活していたからなんだろうな…
ところで、彼は一体何をしに来たのだろうか。
チラリと目を向けても三神は扉の前からこちらへ近づく様子は無く、何かを言おうとして悩んでいるみたいだった。
別に急かす必要もないのでそのまま放っておき、後で職員寮の流しを借りて洗うものをまとめ終えた私は新書の片付けに取りかかる。
貸出用書籍としての処理を一冊終えて、二冊目に手を伸ば…そうとしたところで考えがまとまったらしい三神が一歩踏み出し、私にまっすぐ視線を向けた。
「子供は好きですか」
そして、いつかと同じ問いを口にしたのである。




