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13-2


NO side


あれだけ主張していた夏の太陽もすっかり隠れ、風も絶えた夜。

逃げ場を失ったようにむわむわとたむろする熱された空気の中、人気も明かりもない道を駆けていく人影が一人。


速さに自信があるとはいえ、長距離長時間をただでさえ疲弊した体を酷使して移動していたその足では、一般的な成人男性のジョギング程度の速度が限界だった。


それでもその人物…ロイウェル・クランクルムは止まろとは思わない。否、止まれない。


「Shit!!クソ、クソ!!一体何だっていうんだよん!計算が…計画が全部狂って台無しだよん!!」

髪を振り乱し、いつもはきちんと整えられている服もヨレヨレにして汗を滲ませながら、彼はぐちゃぐちゃな心のままに叫ぶ。


その姿は、彼を知る者が見たら二度見三度身は免れない程酷く惨めでいっそ滑稽な有り様だった。

普段の飄々とした態度も余裕もあったものじゃない。

彼の姿は正しく敗走兵のそれであった。まぁ…文字通りの敗走をしているわけだが。


そんなボロボロヨレヨレの姿になるのは無理もない。

何せロイウェルは長野の山からここ、神奈川県までをほぼ足のみで走破しているのだから。

能力者の身体能力の高さがそれを可能にしているのだが、こんな無茶が出来ているのは脳内麻薬がドバドバで飽和状態だからだろう。


それはひとえに…恐怖故、だ。


長野にて三神聖達の手により捕縛されていた彼は、気絶したフリをしながら逃げ出す機会を虎視眈々と狙っていた。

勿論、自分一人で逃げ出すためではない。

元々はロイウェルの幼馴染み兼上司のハロルド・オルデバロンからの合図をまち、何か予期せぬトラブルが発生した際すぐに動けるようにと備えての事だったのだ。


交渉上優位に立っていたとはいえ、ハロルドも彼も慎重を煮詰めたような思考回路を持っている。

なので、あらゆる状況を想定して事前に決めていた事。その一つにすぎなかった。


しかし、見舞われたトラブルが彼の…いや、彼らの予想を遥かに上回った事が此度の計画を完膚なきまでに粉砕されるという結果をもたらしたのである。


「あんな…あんな"記録者"が…いてたまるかよん!!」


人質の致命的な人選ミス。

それがもたらしたのはトラブルどころではない、厄災の一欠片だった。


その人物に関するデータは無いに等しい。

唯一、一ノ世久夜のモノらしい事と彼に気に入られているらしいことは分かっていたが、その情報自体はあまり有益でもなかった上に眉唾物だからとスルーしていた。


今にしてみれば、信じれば良かったとロイウェルは心から後悔している。

そうすれば…()()一ノ世久夜が気に入るという人物が普通である筈がないと予防線を張れたのに、と。


"記録者"とは世界中どこの組織においても庇護対象とされており、それ故に世間知らずかつ甘ったれだ。

戦闘力など子供以下で、部屋に籠ってせっせと"記録"に励むだけのまさに籠の鳥状態。

だからこそ、彼ら彼女らはその身に傷を負うことも無ければ滅多に血を見ることもないのである。


だが、その認識を人質…綴戯栞里は嘲笑うように破り捨てた。


そもそもがおかしいと気付くべきだったのだ。

悲鳴一つ上げない事に、あの状況で平然と会話する声に、その寒気がするほど深く暗い瞳に、そこに宿る強さに。


その時点で既に普通の"記録者"ではあり得ない。

しかし、彼女が自然体過ぎるせいで疑問すら生まれなかった…というより、異質過ぎて彼女が"記録者"だと結びつかなかったのかもしれない。

なにせ、ロイウェルがそれを思い出したのは…栞里が『開示』を始めた後なのだから。


〈ねぇお前、死んだことはある?〉

その時にはもう、手遅れだったのだ。


〈ほら、良く見ておけよ、大嫌いなハロルド・オルデバロン。この"記録"は亡者の返礼であり、私からの純然たる復讐でもある〉

後ろ暗い事を生業とし、両手両足でも足りない命を奪ってきた彼でさえ、栞里の放つ気配に恐れを抱いた。


まさか過ぎる方向からの反撃にハロルドのみならずロイウェルも対応できぬまま、気付いた時にはハロルドへの無傷無血の異常過ぎる拷問が幕を開けていた次第である。

それはあまりにも信じがたい…しかし苦痛に塗りつぶされた声とぐしゃぐしゃな表情が嘘であることを否定した、それはそれは生々しい光景だった。


真実のみを携える"記録者(彼女)"が見せたのは、ハロルド本人すら知らないという痛みの"記録"。それを使った報復。

アレが"記録者"?冗談だろう?

何度だってロイウェルはそう繰り返す。


覚えていないのではなく()()()()"記録"であるという強烈な矛盾。

仮にアレが本当だったとしても、あんな扱いを受けた彼女が生きているなんてあり得ない。


現実と解離した"記録"による気持ち悪さと今まで聞いたこともないハロルドの悲痛な悲鳴によってもたらされたのは、明確な恐怖だった。


処理しきれない衝撃で動かなかった体はそれを自覚した瞬間、本能的な危機感に突き動かされるままロイウェルに逃亡を選択させたのである。


「いや…まだ、まだだよん…!『楽園』にいる協力者を…()()()()を使ってボスを取り戻せば…まだ、立て直せる筈だよん!!そうだ、そうだよん、その為にも…オレは捕まってられないんだよん!」


誰にともなく言い訳を唱え、幼馴染みや仲間を置いてきた後ろめたさに苛まれる己を無理矢理納得させながら、ロイウェルはただひたすら安全地帯であるアジトへの道を急いでいた。


自分達は負けてなどいないと念仏のように呟きつつ曲がった最後の曲がり角。

その先はひっそりと夜に溶けた古いコンテナヤードだった。

棄てられてから随分経つそこには、使われる事なく錆び付いた廃棄コンテナの山とそこかしこが崩れたボロボロの倉庫が建ち並んでいて…裏社会を題材にした映画にでも出てきそうなくらいに"いかにも"な光景である。


よくこれで怪しまれたり見つかったりしないものだと思うところだが、そこは当然技術的なカバーを入れて念入りに隠蔽を施してあった。

古すぎて現代の地図に記載はなく、伝で手に入れた軍事用の認識阻害装置を惜し気も無く使用している。

故に、衛星であってもここを捉えることはほぼ不可能であり、空からも地上からも"海の真っ只中"にしか見えないのだ。

海に向かって突撃してくる物好き…いや、無謀な輩がそうそういる筈もなく、だからこそ知ってる者以外はまず辿り着けない。


勿論その装置に甘えるだけでは無く情報管理も徹底させていたし、行動も常に慎重を極めさせていた。

出入りなどは特に厳しく、追手や発信器の有無を確認する事をトップから下っ端まで平等に義務付けているくらいである。


そうして長い間絶対的な安全地帯であり続けていたのがロイウェル達のアジトだった。


…が、しかし。月明かりすら雲が隠し、虫の声すら遠く静まり返ったコンテナヤード。

その中の一つ…屋根が全て落ちていて一番状態の悪い倉庫の手前で、ロイウェルは思わず急がせていた足を止める。

湿度を孕んだ熱気の気持ち悪さとは別に、言い表せない気味悪さを感じたのだ。


「やぁ、お疲れ様」


疲労で鈍っていた頭に響いた馴染みのない声による労い。

キリキリと嫌な音を立てながら、己の感覚が鋭くなっていくのがわかった。


(一体誰だ?)


仮にも組織のNo.2であり参謀を担っている彼は一応、イグニス社内の人員は全て把握している。とはいえ、声まで覚えられるかと問われれば答えは否だ。

ただロイウェルに対して軽口を叩けるのは今日行動を共にした面々くらいであり、下っ端が今のような気軽な言葉を吐くことはまずあり得ない。


(となると、残るは部外者か)

「どこの者だよん」

「いやぁ、アポも無くすまないね」


ここに平然と立ち入ったということと台詞からして手を組んでいる余所の組織の使いだろうと当たりをつけたロイウェルは、タイミングの悪さに内心で舌打ちをした。

現状を…ハロルドが捕まったという話を知られるのは非常にまずい。


しかし、とにかく帰ってもらおうと口を開きかけた彼の楽観的とも言える思い違いは…雲間から差し込んだ月明かりによって暴かれたのだった。


「…ヒュッ!?」

「ふむ、良い夜だ。良かったらボクと踊ってみるかい?」


キラキラと月明かりを集めて煌めく幻想的な銀色はさながら銀河のようであり、揺れる体に合わせてサラリと揺れる一本一本が繊細な芸術品のよう。よく手入れされていることが容易に見てとれる。


その銀に縁取られた(かんばせ)は好青年と呼ぶに相応しく、涼やかで整ったこれまた芸術品のような美しさ…であったが、ただ一点が全てを台無しにしていた。


目、だ。


薄い色彩の中に浮かぶ鮮やかな紅月が、あたかも獲物を前にした獣のようにギラついた獰猛な光を放っていたのである。

そんなチグハグな特徴を持つ者を、ロイウェルは一人だけ知っていた。



「"猟犬(ハウンドドッグ)"……っ!!」

「おや?ボクをご存知かな?きひっ!光栄な事だね」


貴族…いや、騎士のようにスラリと立つその人物が、そんなお綺麗な枠に収まるものでは無いことを彼は嫌というほど知っていたのである。

何故なら、その人物…メイリー・フランベルクはロイウェル達のように一般人に危害を加えている後ろ暗い能力者にとって、天敵と称されるに相応しい危険人物であるのだから。


分かりやすく言ってしまえばロイウェルとメイリーは犯罪者と警察。

その警察がここに…自分達のテリトリーに立っているのは何故か、など愚にも付かない問いだろう。

まぁ、そうと分かっていてもロイウェルは現実を受け入れられなかったのだが。


「な…んで、お前が…ここに…っ」

「おかしな事を聞く。説明は不要の筈だが…まさかボクがお茶をしに来たとでも思うのかい?きひひっ馬鹿馬鹿しい!」

「…っ!!」


バッとフラッシュがたかれたような閃光が彼の視界を満たすように襲う。

とっさに腕で顔をガードしたロイウェルが白む世界に目を慣らしながら恐る恐る顔を上げれば、メイリーの後ろには存在感たっぷりに並んだ大型のライトが四つ。全てが彼をまっすぐ照らすように向いているのは言うまでもない。


そして、そのライトの足元には見知った顔ぶれ達が全員ロープや鎖でグルグル巻きにされた状態で転がされている。


「何で…何で、何で何で何で!ここがバレたんだよん!!お前らがウチの情報操作に踊らされているのは知ってたよん!なのに、何で今になっていきなり…!」

「あぁ、その節は世話になったね。おかげで貴公達に辿り着く事が叶わず随分苦労させられたものだよ」


ひょいと肩をすくめて苦笑するメイリーの言葉に嘘はない。

つい最近…どころか昨日まではこのアジトの場所など影の端すら掴めてはいなかったのだから。


数多くの組織を摘発している彼女から言わせても、ロイウェル達の情報管理や隠蔽は素直に感心するくらいには素晴らしいものだった。


『楽園』にひそむ内通者や他の関わりある組織の者も彼らの所在を知る者はほとんどおらず、いても知らされていた住所は全て偽物。

恐らく、易々と捕らえられる程度の組織や人物には一切門扉を開かなかったのだろう。


表会社(フロント)であるイグニス社との関係すら誰も知らなかったくらいであり、その徹底ぶりがうかがえる。

勘付いていたのはメイリーくらいだ。彼女は確固たる根拠が無くとも鼻と勘がずば抜けていたので。


「正直ボクも驚いているよ。ここに来るまでは半信半疑ですらあったんだ。まったく…久夜の"記録者"は一体何者なんだか」


久夜と聞いてすぐさま一ノ世久夜に結び付いたロイウェルは、その"記録者"としてハッキリと栞里の姿を脳裏に描き出した。

それはもう、鮮明に。

あの時僅かに見たその藤色が思い出された彼は、頭をかきむしるように乱しながら叫ぶ。


「また…!!また、そいつか!!!」


吹けば飛びそうな、仲間内で一番小さな雫石まれより細っちょろく見えたひ弱そうな女性一人。

そんな彼女にここまであらゆる盤面を狂わされるなど、昨日の…いや、今朝の自分でさえ夢にも思わなかった。

覚める悪夢なら、どれ程良かったことだろう。


「ふむ、"また"…?きひっ、もしや貴公達のトップを捕らえた事にも"記録者"が一枚噛んでいるのかな?」


興味深いと目を細めたメイリーに、ロイウェルは一枚どころか十枚噛んでるわ!と喚き散らしたい気分である。

無論、彼にそんな軽口を言う余裕は無いが。


「まぁそれは後程じっくり聞くとしよう。そろそろ…狩りといこうか」


僅かに俯いた事で影に塗りつぶされた顔に、弧を描く瞳だけが見える。

ロイウェルは背を駆け上がった怖気に弾かれるように踵を返した。


中心たるハロルドが捕らえられ、アジトも制圧された以上逃げても無駄なことは分かっていたが、それでもアレに捕まってはいけないと本能が理性を食い潰したのだ。


「おや、鬼ごっこかい?きひっ!きひひっ!いいね、ボクはとても好きだよ!しかし…なめられたものだな。猟犬(ボク) から逃げられるとお思いかい?」


必死の形相で恥も外聞も無く走るロイウェルの背にぶつけられる声は大層嗜虐的で、ライトの付近で待機していたメイリーの部下達はどっちが悪役だよとドン引きの目で上司を見つめている。

一部の面子はキラキラと尊敬の眼差しを送っているが、彼女のこの面は是非とも見倣わないで欲しいと仲間達は思った。普通に怖いので。


「悪いけど…」

「…っ、がは!?」

「ボクも忙しい身でね。あまり遊んではあげられないんだ」


ちっとも悪びれていない謝罪と共に瞬時にロイウェルとの距離を詰めたメイリーは、その横っ腹に鋭い蹴りを入れて吹っ飛ばす。

見た目に似合わぬ程豪快な一撃は容赦なく彼の内側でゴキリと嫌な音を誘発した。


『加速』を使えば逃げられたのだろう。

こう言ってはなんだが、"人型"のメイリーは特筆するほど速いわけではないのだ。

能力さえ使えば確実にロイウェルに軍配が上がる。

しかし、溜め込んだ疲労とここまでに酷使し続けた能力は完全にガス欠を起こしていた。


吹っ飛んだ先ではただでさえボロボロの倉庫が衝撃を殺しきれずに倒壊するも、どうやら本人はまだ動けるらしい。

口端から血を流しながらも、ただ"逃げなくては"という思考に支配されたロイウェルは痛みを置き去りにして体勢を整える。そして、どこにそんな力が残っていたのかと思う勢いで元来た道を駆け戻っていった。


「ひゅう、タフだね」

メイリーは口笛を短く響かせながら愉しげに呟き、追いかけるでもなくその背を見送る。

そんな彼女にぎょっとしたのは周りの部下達だ。


「た、隊長!?まさか、逃がすおつもりですか!?」

「まさか!いやなに、無理矢理連れてきてしまったものだから…"彼"にも美味しい獲物をお裾分けするべきかと思ってね」


カラカラと笑う彼女の、夜目が効いた視界の先。そこには、木の上を滑るように移動するふさふさの尾が見えていた。


それから流れた静寂の時は時間にして恐らく一分にも満たないものだっただろう。

ほどなくして、静まった空間を引き裂くような悲鳴と共にバラバラとけたたましい銃声…恐らく機関銃の類いだろう発砲音が響いた。

…かと思えば、逃げた筈のロイウェルが逆再生どころではない勢いでメイリー達の方へ吹っ飛んできて、風圧で彼女の髪を揺らしながらライトの一つをへし折ったではないか。


あまりの展開の早さに呆然としていたメイリーの部下達は、はっと気が付いてロイウェルを縛り上げようと…思って取り出した縄をそっとしまった。

倒れ伏したその姿は、小さく上下する胸を見つめても尚生きているのかと問いたくなるほど真っ赤に染まっていたからである。

どう見ても逃げる逃げないの話ではない。生か死かギリギリのところだ。


「おいおい、あまりはしゃがないでおくれ。独断で動いているせいで弁償費用は全額ボクの負担になるんだからね」

「うっさいのヨ。余計な気を回したお前が悪いのヨ」


えっまた許可無しですか!?とか、ヤバイこの人死にそう!!などとわぁわぁ騒いでいる後方には目もくれず、メイリーは前方の暗がりから現れた人影へ親しげに目を緩めた。


ライトの明かりの中へ足を踏み入れたのは、独特な色気を纏った長身の男。

銀から黄金へのグラデーションを持つ髪とぴょこんと立った三角のケモミミを頭に乗せ、物言いたげに光るヘーゼルと明るいレッドのオッドアイはじとりとメイリーを睨んでいる。


機関銃に『変化』させていた片腕をパッと戻して不機嫌そうに両腕を組んだその人物は、稲荷田八丸だった。


彼は五月雨の家で起きた一騒動を裏から糸引いていた存在が気になり、しばらく単独で調べていた。

その矢先にメイリーの方で犯人の目処がたったらしいと聞いたものだから、ならば後は任せるかと島へ帰る事にしたのである。


しかし、久方ぶりにのんびりしようと足取り軽く歩いていたところで運悪くメイリーに出会してしまったのである。

そこからは早かった。あれよあれよと言う間に身柄を確保されてここに連れてこられ、今一つ状況を理解出来ないままこのアジトでの大捕物に付き合わされたのだ。


そりゃ、機嫌も悪くなる。

彼のふさふさの尾は内心をそのまま写しているかのようで、苛立たしげにバッサバッサと揺れていた。


「それらしいこと言って、何オレサマに尻拭いさせてるのヨ。追うのはお得意のクセに」

「いやいや!そんなつもりじゃないさ。貴公だって暴れたいだろうと思ってね。…まぁ、役不足だったみたいだが」

辛うじて生きているらしいロイウェルを冷たく睨み、しかしそれは一瞬で元の表情の中に隠される。


「とにかく、だ。貴公も少なからず思うところはあるだろう?何せ彼らこそが五月雨にちょっかいを出した連中なのだから」

「は???」


爽やかな笑顔によってもたらされた事実に八丸は色違いの目をパチパチと瞬かせ、その意味を飲み込んだと同時に深く深くため息を吐いて米神に手を添えた。


「聞いてないのヨ」

「おや?そうだったかな?」


きょとんと目を丸くしたメイリーには純粋に驚きの色が見え、どうやら悪気があったわけでない事は見てとれる。

彼女はスラリとした人差し指を立てると、それを顎に添えながら口を開いた。


「ほら、この前会った時にきな臭い会社の事は話しただろう?」

「あぁ…あの封蝋の。覚えてるのヨ」

「その社長とこちらが要注意人物としてマークしていた男が同一人物であることが"ある人"の証言で発覚してね。ちょうどそいつらを狩りに行くところに貴公に会ったものだから、一枚噛ませるべきかと思った次第さ。貴公は五月雨の件を気にしていたからね」

「はぁ…先に説明をするのヨ」

「ははっ!すまない!急いでいたものでね」

「どーせ忘れてただけのクセによく言うのヨ」


メイリーはしっかり者ではあるのだが、ひとたび狩りのスイッチが入ると猪の如く突っ走る。

そういう時の彼女は一ノ世並に視界から周囲の存在を消し去るため、報・連・相という概念を頭の中に置き去りにして来るのだ。


それでしょっちゅう上司に怒られてはいるのだが、彼女には反省も無ければ改善する気もない。

如何せん、結果が付いてきてしまうのだ。

突っ走ったおかげで捕まえることが出来た者もいれば、高飛びを阻止できたことも度々ある。


勿論、上の判断を仰がないのは大問題だ。大問題なのだが、それを切り捨てる潔さがあるからこそメイリーは絶対にタイミングを逃さなかった。

活躍度ランキングというものがあるのなら、メイリーの名は配属されてから不動の一位だろう事は仲間内でも納得の事実である。


これではろくに処分も出来やしない。

彼女の上司は苦労しているのだろうなと八丸は他人事のように思いつつ、御愁傷様だと音にはせずに転がした。


「それにしても、前に聞いた時は随分手こずってたみたいなのに…すごい急展開なのヨ」

「…だよね。ボクもそう思うさ。あぁ、貴公なら分かるよね。久夜の"記録者"って何者なんだい?」

「シオリ?…あぁ成る程。"ある人"ってシオリの事だったのヨ?納得」


その名一つで八丸が全てを悟った顔をして笑う。流石だと認めるように。同時にどうしようもない悲しみに似た感情を織り混ぜて。

そんな彼にメイリーは少なからず衝撃を受けた。


「久夜もだったが、珍しく貴公も感情を表に出して見せるじゃないか。随分気を許しているんだね」

「まぁね。メイリーも接してみたら分かるのヨ。シオリはめっちゃ面白くて良い子だから」

「ふむ、貴公が手放しでそう言うとは…尚更興味がそそられるものだ」


稲荷田八丸という男は本土での地方外交の他、"遊び"の事もあって比較的他人との関わりが多い人物である。

そのせいもあって一見人懐こいように見える彼は、その実警戒心が人一倍強かった。

対一般人のみならず同じ『楽園』所属の能力者相手であったとしても信用するしないの見極めが厳しいタイプなのである。


その彼が何の含みもなく"面白くて良い子"と称したのだ。驚きもする。

キビキビと動く部下達によって担架へ乗せられていくロイウェルを眺めながら、メイリーは昨日の夜中に聞いたその声を思い返した。


〈〔ふざけんなよ安眠妨害の騒音野郎!!〕〉

その、とんでもない暴言から始まった会話。

メイリーはそれを久夜に引き留められながら聞いていた。

すこぶる楽しそうな顔でその言葉を受け止めた同期に、それはもう驚きながら。


〈はー…うっざ。あのさ、俺の声ってそこそこイケてると思うんだけど〉

どう?と聞きたげな顔で覗き込んできた久夜に、メイリーはうわぁと隠しもせずに引いた。

そりゃ悪いとは思わないけれどと考えながら、栞里の自分で言うなというツッコミに全面的同意を示す。


それにしても、とメイリーは口端を僅かに上げつつ、面白くなりそうな通話を聞き逃さないように久夜の隣まで移動した。

彼にここまで強く出れる女性というものは珍しいどころか、彼女の知る限り初めてだ。

そんなワクワクするような刺激が、メイリーの精神を一人の大人から学生時代の悪童へと引き戻したのである。


〈〔…で、何?また悪戯なわけ?…ふぁ〕〉

〈ぶはっ!あっはははは!!ねむそー!〉


あまりに無防備で呂律の怪しいふにゃふにゃした声に、思わずメイリーもクスクスと笑ってしまう。

幸いにも久夜が盛大に笑っているおかげで栞里に気付かれることはなかったが。


いくら非常識が服を着て歩いているような久夜とて、悪戯電話で寝ている女性を叩き起こすような真似はしないだろうと思っていたメイリーは知らない。

この深夜コールが二日連続で行われた凶行であり、一回目が正真正銘の悪戯だった事を。彼女は栞里の"また"という台詞を聞き逃していた。


〈俺さ、今の今まで仕事してたワケ。つーかまだ残ってんだけどさ。今はブレイクタイムってやつ?はー…俺ってば働き者で超良い子〉

見るからに上機嫌な久夜が本題そっちのけで仕事の愚痴を溢し始め、メイリーは苦笑を溢すと同時に自分も便乗したくてウズウズしてくる。しかし、そんな事をすれば彼の機嫌を損ねるだろうことは想像に容易いため、この件が終わったら休暇でも申請しようと計画を立てることで気をまぎらわせた。

…そんな時だ。


〈〔…お疲れ様〕〉


それは優しく甘い響きをもって鼓膜を震わせ、思わずテレビ通話でもないのに端末の画面を凝視してしまう。

言葉の端から端まで気持ちが詰まった一言だった。

社交辞令でも挨拶の一欠片でもなく純粋に他人を気遣う言葉は、能力者同士だとかなり貴重と言えるだろう。


それは疲れた心と体に容赦なく沁み、母親かと思うくらいの柔らかさに自分が言われたわけでなくともメイリーは気恥ずかしさを覚える。

そして、言われた当人はどうなのかとちらりと見たところで目玉が落ちるのではないかと思うくらいに眼をかっ開いた。


〈…え…?…あ…うん…〉


メイリーがおやおやぁ?と色めき立つ。

それはそうだろう。何せあの、唯我独尊の人でなしが…照れているのだから。

久夜は彼女の視線にハッと気付いて顔を背けるも、赤く染まった耳を見てメイリーは更に顔をにやけさせていく。

今更隠したところで、彼女の目に焼き付いたひどく穏やかに喜びを噛み締めた甘い表情は消せやしないのだ。


〈貴公もそんな、普通の男みたいな顔が出来たのだね〉


うるさいと言わんばかりにかけられた『重力』に呻き声を堪えつつ、メイリーは少しばかり安心した。

久夜はどうにも力と心が他の者より人間離れしている為、怖かったのだ。

いつか手の届かないところに一人で行ってしまいそうな…そんな危うさがあるから。

そんな彼が今ばかりはとても近いところにいるようで、友として嬉しかった。


〈…栞里さ、めっちゃ眠いんだ?いつもより素直じゃん。あっはは!かわいーとこあるね?〉

メイリーは声だけ必死に平静を装う彼の可愛らしさを通話の向こうにも見せてやりたいものだと笑う。

しかしそんな穏やかな思いは…


〈じゃあさ、栞里が寝落ちする前に済ませよっか〉


ぐんと真剣みを帯びた彼の声ですぐさま引っ込めることとなった。

どうやら本題らしいと悟ったメイリーが耳に神経を集中させる。


〈聞きたいんだけどさ…ひじりんに渡したカフスボタンあったでしょ〉


カフスボタンというワードに、メイリーはようやく通話の向こう側にいるのが彼の言う"記録者"であると理解した。

あのハロルドを名指ししたという重要人物。彼女の目が興奮を如実に表して、丸く広がりながら端末へ視線が注がれる。


〈〔あぁ…うん。持ち主には返せた?〕〉

〈あー…ハイハイ。人は分かったんだけどさ、家が分かんないんだよね。栞里、知ってたりしない?〉

〈久夜…?何を言って…〉

〈しぃっ〉

〈〔家…?仲間のクセに把握してないの?…まぁでも、お前とはしょっちゅう喧嘩してたっぽいし…仲悪い奴に家は教えないか〕〉

〈あっはははは!喧嘩…!喧嘩ね。そりゃさ、すっっっごく仲悪いから!〉


久夜にサイレントを言いつけられたメイリーはただただ怪訝な顔で会話を見守っていた。

何を言っているのか理解できないのだ。

何せ、そのままとらえるなら何の冗談か?と耳を疑うような内容なのだから。


久夜とハロルドを仲間と称するなど正気の沙汰とは思えない。

敵も敵…久夜は存在を認識していないだろうが、嫌がらせのように『楽園』の能力者達を死体にしてくるような奴を冗談でも仲間などと言う筈がないのだ。そもそも面識すらない。

寝ぼけておかしな事を言っているのかとも思ったが、それにしては口調がハッキリしている。眠そうではあるが。


メイリーが混乱するのは当然で、栞里が話す内容は"あちら"の"記録"に沿ったもの。

栞里がこちらへやって来たあの日『楽園』にいなかった彼女には…栞里の出自を知らない彼女には頓珍漢な話にしか聞こえない。

まぁ、プラスして栞里が勘違いしているせいで余計にややこしいことになっているのだが。


メイリーはそっと久夜をうかがう。

彼も彼で何故勘違いを正さないのか。

それを尋ねようとしたが、開きかけた口から音が漏れることはなかった。


一見すれば久夜は、不快な会話内容に怒っているように見えたが…そうではない。

苦々し気にギラつく満月に灯った激情は少なくとも会話の向こう側には向いていなかった。長い付き合いのメイリーにはそれが分かったのである。


〈…ね、メイリー。捕まえた後でさ、組織のトップって奴に一回会わせてよ〉

成る程矛先はそちらかと納得したメイリーだったが、久夜のおねだりにはキッパリと首を横に振る。


こののし掛かるような殺気を考えると会わせたが最後。

この男は間違いなく敵のトップたるハロルド・オルデバロンを殺すだろうと容易に想像できたからだ。

個人としては死んでもいいとは思うが、情報を搾り取るまでは一応死なれては困る存在であるので。


〈〔ふぁ…まぁ何でもいいや。家…家かぁ…んー〕〉


おねだりを却下されて拗ねたように尖った口も、ふわふわした栞里の声ですぐにほころぶ。

メイリーもこれは確かに可愛いと表情を緩めつつ、久夜の興味がハロルド抹殺から逸れたこと感謝した。


〈こら、栞里。まだ寝るなって。ま、知らないならいいけどさ〉

〈〔ん…いや、知ってる。えぇと…幾つかあった気がするけど…〕〉


ペラリペラリと紙の擦れるような音が入り、"記録者"が『開示』しているのだと理解したメイリーは自然と背筋が伸びる。

状況にはついていけないが、彼女が"記録者"である以上『開示』される情報に嘘はないのだから。


〈〔あった…えっと、神奈川県昔方濱(むかしべはま)市45-3にあるコンテナヤード跡地…だって〕〉


急ぎデータベースへアクセスして確認をとり始めたメイリーだが、久夜からの視線にすぐさま首を横に振る。


〈"該当なし(ノーマーク)"だ。少なくとも我々は今告げられた住所に関して一切の調査をしていないし、欠片の疑いも持っていなかったことになる。…本当に、ここなのかい?〉


"記録者"の『開示』を疑うなどタブー中のタブーだ。

久夜は栞里の情報が疑われているのが面白くないらしく、幼子のように分かりやすい顔をして拗ねている。

しかしそれでも、メイリーはぽっと出の情報を鵜呑みには出来なかった。


と、彼女の声を拾ったのか、栞里がむにゃむにゃと欠伸を噛み殺したような声でそれに答える。

聞きなれない、明らかに久夜の声でないことには気付かずに。


〈〔そりゃあ…自慢げだったし…ふぁ、ついぞ誰にも見つからなかったってね…。確か…軍事用の…認識阻害使ってる、とか…でも、"記録"は…確かだよ。連れていかれた時…倒れた…電柱、見、て…〕〉

〈ん。大丈夫。信じるからさ。でも…そっか。ふはっ!そっか!あっはははは!栞里ってばやっぱ最高!!!〉

〈〔うるさい…うぅ…もぅ、いい?けっこー、ヤバイ…落ちそ…〕〉

〈…いいよ。ありがと、栞里。おやすみ〉


もたらされた情報の大きさにショート寸前だったメイリーは、友人の今まで見たことも聞いたこともない甘ったるい声と表情に止めを刺された。


〈…何だそれは、誰だ貴公〉

〈何?何の話してんの?〉

〈あれで無自覚ときたか…重症だな〉

〈はー…うっざ。意味分かんない。とりあえずさ、場所分かったんだから準備とかしてさっさと行ってきなよ〉

〈ハイハイ〉


シッシッと手を払う久夜に、そもそも呼び止めたのはそちらのクセにと思わないでもないが、彼の勝手気ままは今更だ。

まぁ、メイリーもメイリーで居ても立ってもいられなくなり、感謝の礼もそこそこに駆け出していったのだが。

その瞳に獲物の影を写して獰猛にギラつかせながら。


…と、そんなあれこれがあって今に至るわけだ。


「なぁ八丸。久夜と彼女の関係はどうなっているんだい?あの気に入りよう…同じ女性としては彼女に同情しかしないのだけど」

「少なくとも、シオリは普通に嫌ってるのヨ」


うわぁと顔に出るのを隠しもせず、メイリーは会ったことの無い栞里に両手を合わせる。

同期だからこそ一ノ世久夜と言う人物がいかに面倒なのかを知っているのだ。その上でコメントするのなら、あんな男に気に入られるなど憐れ以外の何者でもない、といったところか。


そんな会話をしていると仕事用の端末が震えたのを感じる。通話であることを伝える震え方のパターンにメイリーは何事かと取り出して…笑顔でピシリと固まった。


「…ん?メイリー、出なくていいのヨ?…あぁ、そういう…」


いつまでも通話ボタンを押そうとしない彼女を不審に思って着信の相手を覗き見た八丸は、表示された文字に遠い目をしながらそっと視線を外す。


登録名は…"上司"。


大方、また彼女の独断専行に対する雷だろうと当たりをつけて離れようとした八丸だったが、むんず!とデリケートな尾を掴まれて悲鳴を上げた。


「いっっっっだぁ!?何するのヨ、メイリー!!」

「なぁ八丸、ボクと貴公の仲だ。どうだろう?此度の件は貴公の要請にボクがやむ無く応えたというかたちにすれば…雷は二分されるのではないかな」

「されないのヨ!!というかされるとしても絶対に嫌なのヨ!!」

「そこを何とか…っあ!?」


端末を手に持ったままだったのがいけなかったのだろう。

勢い余ってピッと通話ボタンがタップされてしまった…その直後。


〔くぅおらぁメイリー・フランベルクゥゥゥゥゥゥゥ!!!!お前、またやりやがったなぁぁぁぁぁぁ!!!!!〕

「きゃうん!!」

「うるっせぇのヨ!!」


怒髪天を衝いた凄まじい声が静かな夜を切り裂いて、星がそれを笑うようにちらちらと瞬いていた。

月は素知らぬ様子で雲に顔を隠して辺りはまた暗くなったものの、わぁわぁと言い合う声やそれを宥める声が昼間の蝉時雨のように場を賑やかす。

寂しくない闇の中、一同は祭りの後に似た余韻に浸りながら撤収作業を進めたのだった。


尚、結局メイリーは尻尾を丸めた犬のように情けない様子になりながら、上司へ報告すべく一人とぼとぼ帰っていったとか。


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