13章:鎮魂歌
私達が荷物をまとめ、予定より一日早い帰還となったのは夏の日も傾いて木々が季節を先走ったように紅に染まる時分だった。
カナカナとどこかでヒグラシが寂しそうに鳴いている。
その声を聞きながら、私は随分久しぶりな気がする『楽園』の風景に実家の敷居をくぐる心境で深呼吸を一つ。
ただいま。
空気に溶かすようそっと呟いて、差し込む斜陽の眩しさに腫れぼったくなった目蓋を少し落とした。
これは今さら冷やしても無駄だろうなと思いつつ、泣きすぎて痛む頭を押さえるべく米神に手を添える。
あの後、二年生のロッジに戻ってきた私達はスーツやらつなぎやら白衣やら、統一感の欠片もない服装に身を包んだ数名の能力者達に出迎えられた。
その時丁度外に敷かれたシートの上に運び出されていたマオちゃんと瀬切くんに会うことが出来たのだけど…
顔を綺麗にされて眠るように横たわる二人に、一度枷が壊れたばかりの私の心は悲しみを塞き止めることが出来ず再び感情を吐き出してしまったのだ。
既に一回泣きじゃくったくせに、まだちっとも整理できていなかったらしい。
更に間が悪いというか、森から回収されたマリアンヌさんまでやってきてしまったものだから…もう私の感情は収拾がつかなくなってしまった。
生まれたての赤子より酷い様で泣きじゃくる私を、皆はどう思ったのだろうね。
何も言いわず、しかしどこかに立ち去るつもりもないまま私が落ち着くのを待っていてくれたけれど…呆れられていないことを願う。
というか、本部の見知らぬ人達が沢山いたのに恥ずかしい事この上ない。
そんなわけで、帰りが遅くなった原因は私です。本当に申し訳ない。
「はわわ!帰ってきましたね!お姉さん、落ち着きましたか?」
「うん、大丈夫。ごめんね二菜ちゃん、みっともないとこ見せちゃって…」
「いえ全然!二菜はどんなお姉さんも好きなので!」
「なんて良い子…っ!!」
ずっと眠っていた二菜ちゃんは私が大号泣している最中に起きたらしく、寝起き早々驚かせてしまったのだ。
何が何だか分からない顔で、それでも私の危機だと思ったらしい彼女は鉄球を構え…たところで至くんに落ち着け、とひっぱたかれていた。
スパァン!と良い音がしていたけど…二菜ちゃん絶対痛かったよね。私のせいでごめんよ…
そう言えば、眠りの原因を本人に聞いてみたのだけど何とビックリ。瞳色反転の反動だったのだそう。
七尾さんもいつの間に習得したのかと驚いていた。
二菜ちゃん曰く…
〈ここでやらなきゃって思ったら出来ました!〉
とのこと。可愛らしく笑ってたけど、本番に強すぎでしょ。
まぁ、付き合いの長い至くんはコイツはそういう奴ですと悟り顔だったけど。
話を戻すと、彼女の瞳色反転は"力の前借り"によって一時的なパワーアップをするものらしく、"前借り"であるが故に使用した力の分動けなくなってしまうらしい。
物凄く聞き覚えのあるワードに顔をひきつらせた私は悪くない。
力の前借り…"前借り"、ね。もしかしなくてもあの時の話かと聞いてみたらあっさり肯定されて大正解。
喜びにくいわ。
〈お姉さんのおかげです!〉
そう輝く笑顔で感謝を述べられた私は、力になれて嬉しいやら変な入れ知恵をしてしまった罪悪感やらで複雑だった。
至くんといい二菜ちゃんといい、瞳色反転の習得はおめでたいけど何で私の話を参考にしちゃうかな?素直すぎでしょ。
「お姉さん?やっぱり体調悪いですか?」
「え?ううん!大丈夫!少し考え事をしてただけだよ」
「綴戯さん無理しないで下さい辛くなったらすぐに担架もって来ますのでお気軽に声をかけてくださいね」
「あはは…気持ちだけ受け取っておくね」
思い返しているうちに歩きが遅くなっていたらしい私を、数歩先にいた二菜ちゃんと至くんが心配そうに見つめている。
慌てて返事を返し、二人に並ぶべく進めた足は急がせたつもりなのに亀のようにのっそりしたものだった。
どうやら、ただでさえ瀕死状態の体力だったところにギャン泣きが止めになったらしい。
足は重いし体はダルいし何より猛烈に眠い。
しかし、そんな甘っちょろい不調は…
「イヤァァァァァァァ!!!!!!」
学園に辿り着いた瞬間響いた空気を引き裂くような慟哭によって、忘却の彼方へと吹っ飛ばされた。
「この、声…」
「中等部の方からだな」
「あー!せんせー!?まってくださいよぅ!?」
「ちょバカお前まで着いて行くなってあぁもう行ったし綴戯さん行けますかどうですか」
「大丈夫!…行こう」
聞き間違いで無いのなら今の悲鳴の主は"彼女"だろう。
その理由の意味するところを考えて、背を悪寒が撫でていく。
けれど、怖じ気づいている暇はない。体が重いなんて言っていられない。
私は自分を叱咤して、あまり馴染みの無い方向へと足を進めた。
高等部の校舎と職員寮を抜け、高等部と対になるように立つ同じ造りの校舎を抜けた先。
校庭に近付くにつれ、幾人もの能力者達が集まっているのが見えた。
校舎と同じく高等部と造りの変わらない校庭の真ん中には、普段なら無いだろうブルーシートがしかれている。
どうやら皆はそれを囲んでおり、どこか重い空気を背負って立っていた。
何故か、と聞けるほど鈍感ではない。
ブルーシートなんて定番を持ち出している辺りで察しはつく。
ごくりと生唾を飲み込み、意を決して進んだ先で見たのは…覚悟していたものよりも悲痛な光景だったけれど。
がさごそした大きなブルーシートは海と呼ぶには人工的すぎる青色をしていて、その上にはマオちゃん瀬切くんの他、槝木や名前も知らない引率者含め合計十三人もの遺体が横たわっていたのである。
「…っ、あぁ…なんて事でしょう。しょう…」
一足先に学園へ戻っていた四葉さんと三神も人混みの中にいて、四葉さんの方は特にこの光景にショックを受けているようだった。
三神は…平気そうな顔をしているけれど、握った拳は微かに震えている。
なんて、同じように震えている私も人のことは言えない。
「こ…れ、は…?」
「中等部の三年…ですよね…」
「ちょっと聞いてきましたけど死亡推定時刻からしてどうやら小生達というか二年生達が襲われるより前に引率担任含めて全滅していたらしいです」
まさか過ぎる事実に声も出せないまま、呆然と遺体を見つめる。
きちんと接したことはなかった。それでも…元気な顔を見たことがなかった訳じゃない。
中等部三年の五人も、担任の先生も…引率者の人達はさすがに知らない顔ではあったけど。
こんな形で会いたくはなかった。
けど、そのショックを上回るくらいに私の心を締め付けているのは…瀬切くんの遺体の側で崩れ落ちるようにして踞っている少女の姿だ。
「水季、さん…」
水季クレアちゃん。学年に彼女一人しかいない為に合宿不参加だった瀬切くんの恋人。
ついこの間両思いになれて幸せ一杯だった二人がこんなに早く、こんなに残酷な形で引き裂かれるだなんて…誰が想像出来たことだろう。
「至くん…クレア、大丈夫かな」
「…」
あの記念すべき日を、彼女達が幸せそうに報告してくれた日知る二人も痛みをこらえるように顔を歪ませ、二菜ちゃんはまるですがるように至くんの服をぎゅっと握りしめた。
至くんは彼女の問いに答えることなく沈黙を選び、服を掴む手を自分の手で包みながらひどく小さく見える水季さんの背をじっと見つめている。
それはまるで…焼き付けるように。
「な、んでっ…!?どうしてなん!!どう、してぇ…っ、与武、与武ぅ!与、武…なして、返事してくれへんのや。…や…イヤや、イヤ、イヤイヤイヤイヤイヤ!!!」
「み、水季さ…っわ!?」
「…くっ、まずい!熊ヶ峰!九重!私の後ろに!」
壊れたオーディオプレーヤーのようぶつぶつと言葉を繰り返す彼女に近寄ろうとしたが、危機迫った顔をした七尾さんに腕を引かれ瞬きの間に背に庇われた。
そんな私に続くように、二菜ちゃんと至くんも呼ばれるがまま私の両脇を固めるようにやって来て…何事かと口を開こうとした、刹那。
「…っ!?」
あまりに暴力的な力の気配が叩きつけられ、声は音になることなく喉奥で行き場をなくす。
その凄まじい力の源は…水季さんだった。
「イヤァァァァァァァ!!!嫌や!嫌!!うちから与武を奪わんといて!!!」
硝子を引っ掻くような悲鳴が上がると共に彼女の能力たる『水』が大波のように押し寄せ、周囲にいた者達を飲み込んでいく。
『硬質化』、それも一瞬ながら瞳色反転までした七尾さんが防波堤になってくれたおかげで私達は無事だけど…
跳ねた水はそこから凍り付いてしまうんじゃないかと思うくらい冷たくて、きっと彼女の心の温度なのだろうと思うと胸が握り潰されるような感覚を覚えた。
同じような絶望は"あちら"で何度も見てきたけれど、思えば親しくしていた人のこんな慟哭は初めてだ。
…こんなにも痛いものなんだね。
やがて水流がおさまった後恐る恐る七尾さんの影から顔を出すと、校庭は一面土砂降りの後のように水浸し状態。それだけで力の規模がどれ程大きかったかうかがい知れた。
他の能力者達はさすがと言うべきか、各々自力であの水を防いだらしく流されたり怪我を負ったも者は一人もいない。
幸いにもブルーシートの上は能力の範囲外だったのか、遺体が水に濡れた様子はなかった。
そして水季さんは未だ同じ場所で生気を失ったような白い顔をしたままうつむいている。
正直、あれが水季さんだなんてこの目で見ても信じられない。
確かに彼女で間違いないのに、何か目に見えない深いところが違っているような…いや、変わってしまったような感じがするのだ。
それが恐ろしくて、そっと己の体を抱き締めた。
「間違いない、な」
ふと、今まで静かに彼女を見つめていた七尾さんがポツリと独白を落とす。
「七尾さん…?」
「あの、お姉さん。パーティーの事、覚えてますよね」
「え?…うん、勿論。忘れようもないし、忘れるつもりもないから」
「そこで、あの…クレア言った告白の返事、なんですけど…」
瀬切くんの告白に対する水季さんの返事なら、"記録"に頼る必要もなくしっかりと覚えている。
〈うちにとってはもう、与武は"世界"やねんけど…それはアカン…かな、って…〉
"世界"に匹敵するくらい愛していますという、プロポーズ級の返事なのだと皆はしゃいでいた。後日二人はお揃いの指輪を買ったらしく、左手の薬指を見せながら"婚約者"だと自慢気に笑っていたっけ。
しかし、それがいったいどうしたというのだろう?それを二菜ちゃんに尋ねようとして、彼女の大きな目から涙がこぼれ落ちていることに気付く。
「に、二菜ちゃん!?どうしたの…?」
「そ、れ…その、言葉…っ」
彼女はぐっと一度唇を噛み、吐き出すようにして苦し気に続きを紡いだ。
「比喩でも何でもなく、て…本当だったんです、きっと…っ!」
「比喩じゃ、ない…?」
ならば、そうだと言うのなら…
瀬切くんは彼女、の…
「そうだ。水季の"世界"は…瀬切だったらしい」
「そんな…そんな…っ!!」
「能力者であれば感覚で…本能で分かる。水季が"世界"を失った、と」
「…」(コクリ)
どこまでも残酷な現実が、急に目の前に現れた壁のように立ち塞がる。
半端者の私では分かれない何かを、七尾さんも二菜ちゃんも至くんも…他の皆も感じとったのだろう。
だからこそ、水季さんへ憐れみ視線が注がれていたのだ。
「水季はもう…」
「可哀想に」
「ありゃダメだな…」
「これで高等部は…」
ざわざわ、ひそひそ。
蝉時雨にとって変わるかのようなざわめきの中でも、水季さんはそんなもの聞こえていないかのようにただただ電池の切れた玩具のようにそこにいた。
"世界"を失う。
その感覚を私が正しく理解することは出来ない。
確かに分かった事は…これが、彼女の『ソノヒ』になってしまったのだと言う事実だけ。
と、誰かが彼女にそっと近づき、だらりと投げ出された腕を掴む。
「水季、移動しよう。な?」
「…っ!…とむ、あとむ…あとむ、あとむ、アトム与武…!!!!」
「わ!?こら!暴れるなっ!?」
立たせようとしたのだろう。青年が彼女の腕を引いた、その瞬間。
再び水季さんは叫びだし、グラリと能力が揺らぐ気配がした。
「アトムあとむ、与武あとむ…あぁ!嫌や!!離してぇな!」
そして、譫言のように瀬切くんを呼びながら身をよじった彼女は、その細い体のどこにそんな力があるのかと思うくらいに軽々と青年を吹っ飛ばす。
解放された水季さんの周りには濃密な能力の気配が漂い、いつまたあの大波が来てもおかしくない。
「まずいな。暴走している」
「ぼ、暴走…!?」
「はわわ!お姉さん、ここから離れましょう!『廃人』になるとストッパーが無くなって…すっっっっごく力が強くなっちゃうんです!」
「理性も無くなりますからただの災害みたいなもんですけどねっていうかこのままじゃあの連中が来そうで怖いんですけど」
「とにかく避難を…綴戯?」
分からない単語があったり至くんが何かに怯えているのが不思議だったりしたけれど、私の注意はただ一人…水季さんにだけ向いていた。
彼女から逃げる者、彼女を止めるべく攻撃しようと構える者、彼女に暴言を吐く者。
私が"あちら"で見てきた光景にそっくりで吐き気がする。
"あちら"の一般人と能力者を見ているみたいだ。
けれど、一つだけ決定的に違う。
違うからこそ、私は真っ直ぐ水季さんが見れる。見ていられる。
そして、吐き気を催すほど気持ち悪いと思う嫌悪感を彼女ではなく周りへ移した。
どうして誰も…誰も…水季さんを見てくれないの?
だって、彼女は…泣いているのに。
気が付いたら私の足は勝手に動いていた。
背後から三人の驚いたような声がするし、周りからは三神や四葉さん、四恩さんもいるのかな。聞き覚えのある彼らの声が私に下がるよう強く言っている。
それでも誰一人私を無理やり引き戻そうとしないのは…彼女の能力が私を攻撃しようとしないからだろう。
当たり前だよ。だって、彼女は水季さんなのだから。
「アトムあとむアトム…与武アトムあとむ!!あぁ、あぁぁぁ…!!」
私は未だ取り乱す彼女の正面に回り、震えるその体を…迷い無く抱き締めた。
びくりと水季さんの肩が震え、能力の流れが私に向いたのを感じる。それでも私は離れるつもりも止まるつもりもなく、そっと硝子細工にでも触れるようにしながら背中を擦った。
だって、泣いているんだよ。
誰よりも苦しそうに、泣き慣れないのか下手くそに。
「つ…づりぎ…は、ん?」
「水季さん」
暫く撫で続け、やがてしゃくり上げていた体が落ち着いた頃。
水季さんはすっかり濁ってしまった瞳に私を写し、ぼんやりした声で私の名前を呼ぶ。
そうされたら、今度は私の方がダメだった。
彼女の瞳の奥を見たその時に、もう…分かってしまったから。
水季さんは、もう戻ってこない。
「…っ、水季さん…ごめ…っ…ごめんね…ごめ、なさいっ…!!」
何に対する謝罪なのか自分でもはっきりしないままに、それでも一度滑り落ちた言葉は止まってくれずにポロポロと口から溢れていく。
今の私はその言葉しか持ち合わせていなかったのだ。
あぁ、そうか。私は後悔していたんだ。
誰よりも早く気付けていた筈なのに。朝のあの嫌な気配をスルーせず、七尾さん達に相談出来ていたら…何か変わったかもしれない、と。
彼女の大切な"世界"が失われずに済んだかもしれない、と。
いや、もしかしたら…この事件さえ私というイレギュラーが運命をねじ曲げた代償だったのかもしれない。
いくつものたらればが浮かんでは、棘となって心に刺さっていく。
「つづり、ぎ…はん」
「…っ」
不意に、自分を責めるように謝罪を繰り返す私を水季さんがぎこちなく抱き返してくれた。
そして、私を真似るようにたどたどしい手付きで背を擦る。
「ど…したん…?なし、て…つづ、りぎはん…が…謝る、ん…?……あぁ…そうや…あんな、綴戯…はん」
夢心地の童女のようにふわふわした口調には感情が伴っておらず、ただただ無機質に響くだけ。
いつものような明るさもハキハキとした元気もないそれにひたすら痛みを感じつつ、私はなぁに?と静かに尋ね返す。
「うちと与武は…な……将来、カフェ…開きたかったん、よ…。綴戯はんが…教えて、くれた…見してくれた、本土の……お洒落なカフェ…に、あこがれてん。…そ、ん…でな…お客はん、一号は…綴戯はんに、しよ…思っとったん…」
水季さんは一度口を閉じ、ともすれば私の背骨が軋みそうなくらい強く抱き締めた。
そのまま密着した彼女は、丁度耳元の位置で続く言葉を囁いたのである。
「ごめんなぁ…もう…それ…叶え、られへん…のや……ごめん、なぁ…」
それは、叶うことのない未来予想図。
先程の私と入れ替わったみたいに譫言でごめん、ごめんと繰り返す水季さんに、ただただ涙をこぼすことしか出来なかった。
ここで無責任に、瀬切くんの分まで夢を叶えて…なんて言葉が言えたならどれほど良かっただろう。
けれど、それは無理な話だから。
能力者である彼女に、"世界"を失ってしまった彼女にそんな未来の選択肢はない。
私には分からないけれど、私の中の何かが…恐らく能力者としての感覚がそう伝えてくるのだ。
「…あぁ…もう、バイバイ…せな…ね」
「…え、水季さ…っ」
そっと体を離した水季さんを引き留めようとした手は、いつの間にか彼女を囲うように待機していた人達を見て固まってしまう。
スーツ…ではない。
どこかの軍属を思わせるカッチリした服に将校が被るようなサービス・キャップを被った数名の能力者。
今まで出会ってきた人達とは違う厳しさを着こんだ彼らに、立ち上がった体は自然と水季さんを庇うように前に出た。
「失礼」
本当に生きた人間から出たのかと疑うくらい固く色のない声が静かに、しかし凄まじい存在感を伴って静まった校庭におちる。
同時に、怪しい集団から一人が前に出て私とその後ろの水季さんへじぃっと視線を注いだ。
あまりにも冷たいそれに怯みそうになったものの、不思議と害意の類いは感じられない。だからこそ、真っ直ぐに見返すことが出来た。
すると、その深雪に埋まる湖氷を思わせるアルパインブルーの瞳が驚いたように丸くなる。
しかしそれは幻のように一瞬でかき消え、その男性は水季さんに視線を固定した。
「水季クレア。『廃人』化及び暴走したと連絡が入ったが…真か」
「…」
聞いているのかいないのか、ぼんやりしたままの彼女に男は目を細めて腰に下げられた剣に手を添える。
かちりと鳴ったそれから覗く銀が私の頭にけたたましい警鐘を響かせた。
本物の、死の気配…殺気だ。
「あの…!た、確かに彼女は取り乱しましたけど…この通り今は落ち着いていますし、誰も傷付けてはいません。"記録者"として断言します」
軍服の人々や他の能力者からぎょっとしたような視線を集めながら、私は失礼を承知で声を上げて男を睨み付ける。
「…"記録者"?」
「一ノ世に…一ノ世久夜に確認を取れば分かります」
「久夜?…あぁ、君、いやあなたは久夜の…成る程」
一ノ世の名前を出した途端、今まで氷像のようだった男にほんの少し人間味が現れた気がした。
というか、成る程って何。
もう私はアイツのって事で通ってるの…?
すこぶる不本意であれど訂正するのもややこしくなるため、今は大人しく飲み込んだ。
すこぶる不本意だけど。
男は顎に手を添えて少し何かを考える素振りを見せた後、一つ頷いて剣から手を離す。
そしてピシッと姿勢を正したかと思いきや、それはそれは綺麗な一礼を私へ向けて披露したのである。
「お騒がせして申し訳ない。しかし決まりですので、水季クレアの身はこちらで預からせていただきます」
どうしてと詰め寄りそうになった私を他でもない水季さんが腕を引いて止めた。
驚いて振り向くと、彼女は光のない硝子玉のような瞳を緩ませて儚く笑う。
「…いいんよ…これ、は…決まり…やから」
聞こえるか聞こえないかギリギリの声でありがとうと残して水季さんはゆっくり立ち上がり、覚束無い足取りでふらふらと軍服集団の方に歩いていく。
生気の無い表情も相まって、まるで幽霊のようだ。
彼女は少し進んでから振り向き、瀬切くんの亡骸を焼き付けるように見つめると、最後と言わんばかりにゆっくり噛み締めるように音を紡いだ。
「愛しとる」
その言葉に、私は弾かれるように動く。
瀬切くんには一緒に眠らせてあげられなくて申し訳ないけれど…"アレ"は水季さんが持っていくべきだ。
安置された瀬切くんの遺体。バラバラにされた四肢のうち目的の部位を見つけて"ソレ"を拝借し…
「水季さん!」
私は彼女を呼び止める。
「ちょっと君!?」
「まちなさい!」
「…っ、お願いします!通して下さい!」
軍服集団に四方を囲われた水季さんに近付こうとした私だけれど、すぐに控えていた人達に道を塞がれ、更に肩も掴まれて止められてしまった。
ならせめてこれだけでも渡してもらおうと握りしめた手を差し出…そうとしたところで、再び空気がぐんと冷えたのを肌で感じとる。
「無礼者」
「…っ」
決して大きな声ではないのに心臓を鷲掴みにされるようなプレッシャーが押し寄せ、びくりと体を硬くした拍子に冷や汗が背を伝った。
しかし、カツカツと歩み寄った男が手を伸ばしたのは私ではなく、肩をつかんできた軍服の人の方だった。
なんと彼は私に乗っていた手をつかみあげ、その氷のような視線を同僚だろう能力者に突き刺しているではないか。
それはもう一人の…私の前に立ち塞がっていた者にも等しく注がれている。
「その方をお通ししろ」
「「し、失礼しました!!!」」
「え!?あ、ありがとうございます…!」
さっぱり展開が理解できなかったけれど、今はそんなことどうだっていい。
私は助け舟を出してくれた男性に礼を述べ、直角に頭を下げて震えている人達を横目に水季さんへ駆け寄った。
「つづりぎ…はん…?」
「水季さん。あの…これを」
「…え…?」
だらりと下がっていた彼女の手をとり、少し強引に"ソレ"を握らせる。
水季さんはぼんやりと握ったままの手を眺めていたけれど、やがてそれを少しづつ開き…目を丸くした。
「こ、れ…っ!!」
「勝手にごめんね。でも…ずっと一緒にいてほしかったから」
手の上にちょこんと乗ったシルバー…瀬切くんの婚約指輪を水季さんは胸に抱き締めて、再びぼろぼろと涙を溢れさせる。
これはいつもの自分勝手。私がそうしたかっただけの押し付けだけど…どうやら間違ってはいなかったようだ。
だって、指輪に口付けた彼女の淀んだ瞳の中にほんの一滴程度ではあれど絶望以外の色が見えたから。
「ずっと…ずっと、一緒や…与武」
愛情の色。
瞳だけじゃない。色を失っていた声も、瀬切くんの名前を呼ぶその時だけはまるで宝物を抱くように響いていた。
他の全てを排したように指輪だけを見つめながら、水季さんは軍服集団に連れられて学園から去っていく。
今日だけで私は何人の"大切"を失っただろう。
もっと一緒に遊びたかったよ、マオちゃん。
結婚式を見たかったよ、瀬切くん。
いつかの未来にカフェに行きたかったよ、水季さん。
また愚痴を聞いてあげたかったよ、マリアンヌさん。
どうして、こうも命は溢れるのかな。あぁ、やっぱり世界は残酷だ。
そんなこと…痛い程知っていたのに。今までの優しさで忘れていたよ。
「…さようなら」
消えた背中に呟いたのは、大嫌いな五文字の言葉だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
校庭に集まっていた人達はすっかり散って、残ったのは別れの時を終えた遺体を運ぶ人達と顔見知りくらい。
その遺体も最後の一人が今しがた運ばれて、がさがさと耳障りな音と共にブルーシートが畳まれ始めているけれど。
私はと言えばただ沈んだ気持ちのまま、ぼんやりとベンチに座ってその作業を見つめていた。
二菜ちゃん達や七尾さん達が残っているのは十中八九私のせいだろう。
いい加減帰らないと。そう思っても中々腰が上げられない。
「女王。そろそろ帰らないと体に障りますが」
「…え?」
不意に横からかけられた声に驚き、ぎゅんと顔をそちらへむける。
水底にいるようにぼやけていた視覚と聴覚が機能を取り戻し、直立不動のその人物を正しく認識した。
「な、なんでここに!?」
「ふむ、夏とはいえこの時間ともなれば冷えるな。風邪を召されるやも…」
「心配してくれてありがとうございます…って、そうじゃなくて!」
彫刻のように表情も姿勢も微動だにしないその人は、先程いた軍服集団のリーダーっぽい男性である。
水季さん達と一緒に行ったのでは無かったのか。
というか最初この人私をなんて呼んだ??
「違うのか」
「はい。どうしてあなたがここにいるのかを聞きたくてですね…」
全く質問に沿わない答えが返ってきた事に悶々としながら再度チャレンジしてみると、彼はあぁと何か納得した顔で小さく頷いた。
良かった、通じたらしい。
「アイツは少しひねくれてはいますが、悪い奴ではない」
「ん??えっと、何です?アイツ??」
「あぁそうだ…この前かくれんぼをやりたがっていたな。よかったら遊んでやって欲しい」
「ちょ、ちょっと待っ…」
「久夜と仲良くしていただき、感謝してもしたりないくらいだ」
「なんて????今の話全部一ノ世の話ですか!?」
「では女王。私はそろそろ御前を失礼させていただきます」
「ちょっっっっっと!!?」
私をぬいぐるみや置物か何かだと思っているのか?と問いたいくらいに一方的に喋ったその人は、言いたいことを言って颯爽と立ち去っていく。
こちらは何故ここにいるのかという簡単な疑問一つ解消されていないのだけど。
きちんと目は合っていて、私という存在は認識されていた筈なのに…一切話が噛み合わなかったぞ。私の存在屈折でもした?
水季さんの件でいっぱいいっぱいだったところに更に追い討ちをかけられて処理落ちしていると、やや離れて様子を見ていた七尾さん達が苦笑を伴ってやってきた。
「綴戯、あの人はいつもあんな感じでな」
「えっと…結局なんで居たんですかね、あの人」
「お前の様子が心配だから暫く見ていると言って…本当にさっきまでずっと見てたな。…ずっと」
そっと七尾さんが目線を逸らし、その口元はひきつっている。
端から見てどんな様子だったのか如実に語っていた。
これは気に掛けてもらって感謝すべきなのか、初対面の他人にガン見されていたという通報案件なのか…本当になんだったんだあの人。
「というか、貴女よくアレと普通に話せますよね」
「いや、話というには一方的だったけどね??」
皮肉かと思いつつ返したけれど、どうやら今のは三神の本音だったらしい。
私をからかう事もせず、自分なら一方的すら無理だとため息混じりに呟いた。
とりあえず、その珍獣を見るような目はやめろ。
別に気難しい感じでもないし、話が噛み合わないことを除けば比較的物腰丁寧でまともだったから別に話し難さは感じなかったぞ…ただし会話噛み合わないけど。
それともプレッシャー的な問題かな?確かに社会の窓どころか開けられるとこ全部開いてるぜってくらいに容赦なく能力か何かが漏れてたけど…別に殺意とかじゃないからね。
"あちら"の一ノ世達を前にした時より軽いものだ…というか、私は多分殺意以外に関しては皆よりはるかに鈍感だから。
「ふふっ、彼は世ノ守零人。一ノ世くんの親戚筋で、現最強の力を持つ能力者だよ」
「うげっ、一ノ世の親戚ぃ…?」
いかにも苦手だと表情に出している三神をクスクスと笑いながら、四恩さんが衝撃の情報を提供してきた。
あの一ノ世の親戚…
それだけで苦手意識が湧くのは単純だし失礼だろうけれど許して欲しい。
「一ノ世さんよりずっと強いらしいです!二菜初めて会いましたけど…出来ればもう会いたくないですね!」
「小生も同感です一ノ世さんも人外極めてますけどあの人はチートというか自然災害みたいなものらしいですよ会って納得しました」
「ふむ…その様子だと、知らなかったみたいだね」
四恩さんのお察しの通り、私の"記録"に世ノ守という人物は存在しなかった。
"一ノ世より強い最強"だなんて大層な肩書きがあるのなら、どちら側だったとしても目立たない筈がないというのに。
しかし何度頭の中の書庫を探してみても、ノーヒットという答えしか出てこない。
ならば考えるだけ無駄そうだと悟り、早々に思考を切り替えた。
「ほほほ、しかし彼が出てくるなんて珍しいこともありますね。ね?」
「どうやら本土で一騒動起きているみたいでね。捕まった能力者の処遇やら何やらで随分バタついているみたいだよ」
「ああ成る程。そういえば彼女が暴れているんでしたね。どうりで世ノ守さん以外は下っ端だったわけです」
「人手不足か。まぁそうでもなきゃ来ないだろうが…」
「そんなにその、世ノ守さんってレアキャラ何ですか?」
「んくく、レアキャラか…そうだね。彼は少し特殊なお偉いさんなんだ」
四恩さん曰く、件の世ノ守さんという人物と軍服の皆さんは、一般人的に言えば看守に近い存在らしい。
正確には、島内で罪を犯した能力者を捕まえる警察的なものと捕まえた能力者の管理監視をする看守的なものを足して二で割ったような組織であり、仲間内では"秩序の番人"と呼ばれるそうだ。
そのトップが世ノ守さんであり、存在による抑止力とあるやんごとなき理由によってほとんど持ち場から離れないとか。
成る程だからレアキャラなんだね。
「というか、やんごとなき理由とは…?」
「ほほほ。彼、能力が強すぎるせいもあって調節が下手なのですよ。よ?」
「あんなプレッシャー垂れ流しで歩かれたら普通に迷惑なんですよ」
「まぁ、そうでなくとも"断罪者"が歩いてたら皆身構えてしまうからな」
身も蓋もない理由だった。
ちなみに、"断罪者"というのは世ノ守の物騒極まりない通り名らしい。
時に罪人をその手にかけるから…だそうだ。
それを聞いて先程連れていかれた水季さんが頭に浮かぶ。
「…水季さんは、罪人…なんですか?」
確かに能力で皆を襲ってしまったけど、彼女は気が動転していただけで…傷付ける意志があったわけではないのに。
「いや、それとはまた別だ。…"ああ"なった能力者は例外なく施設に移されるのが規則でな」
「施設…?」
「…もう普通の生活は送れないからね。言い方は悪いけど…管理するしかないんだ」
「放っておいたら餓死するか自害しますからね」
「…っ」
「三神…」
「オブラートに包んでも仕方ないでしょう」
いくつめかの残酷な現実を突き付けられ、目眩がしそうだった。
今日だけでどれだけ見たくないものを、知りたくないことを"記録"しただろう。
そうか、能力者にとって"世界"を失うのは…生きる意味を失うのと同義なんだ。
だから"生かす"為に保護をする、というのが施設の目的。
けれど、私はひっそりと眉を寄せる。
確かに食事すら取らず衰弱していく仲間を、自ら命を絶とうとする仲間を見殺しには出来ないだろうけれど…
果たして、それは正しいのだろうか。
…"アイツら"もその施設の中で『ソノヒ』まで生かされていたのだろうか。
なら…生きる意味も活力も失って、それでも死を許されず無理やり意思と関係なく生かされた時、人は、心は何にすがるだろう。
私は、答えの一つを確かに知っている。
だからこそ…水季さんの消えた森の先を再び見つめ、身勝手な願いを胸の内で呟いた。
…どうか彼女が、憎しみに沈みませんように、と。
「…さて、皆。今更になるけれど…おかえり。よく、帰って来てくれたね。お疲れ様」
お通夜のように辛気臭くなりかけた空気を散らすように四恩さんがパチンと手を叩き、一人一人の顔を見てから噛み締めるようにそう言った。
心配したと、安心したと雄弁に語る瞳は母を思い出させる暖かさに満ちていて、私達は互いに目を合わせて気恥ずかしさを共有しつつ口を開く。
「ご心配をおかけしました」
「まったく、とんだ合宿でしたよ」
「ほほほ、わたくしも久しぶりに疲れましたね。ね?」
「二菜もクッタクタです!!」
「…」(コクリ、コクリ)
口々に返す皆は何故か真っ先に浮かぶだろう言葉を避けるようで、そして何故か最後に私を見る。
理由は分からなかったけれど、皆が私にその言葉を言わせたいらしいことは察せた。
それを拒否する理由もないので、私は乗せられるままにその言葉を転がす。
「…ただいま。四恩さん」
『ただいま』
まってましたと後に続く皆につい笑みが溢れた。
心底嬉しそうに言葉を受け取った四恩さんを見つめ、"ただいま"の重さをこんなにも実感したのは初めてかもしれないなと思う。
頭の上ではいつの間にか気が早い星々が幾つか瞬いていて、朱と藍の境目がぼやけて混じる空の真ん中でチラチラと存在を主張していた。
中でもとりわけ明るい星が3つ、見守るように瞬いて見えたのは…私の都合の良い錯覚だろうか。
…それでも良い。
私は校舎へ向かう皆の背を追いながら、その空に小さく手を振った。
瞬間、どこか優しい風が夏のそれとは違った暖かさをまとって頬を撫でた気がする。




