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12-5


NO side


「これはそう、昔々の…否、ある日ある時ある場所での拷問のお話」


そう、歌うように語り始めた綴戯栞里に誰もが声を出すことも出来ず、その場で根を張った木の如く立ち竦んでいた。


敵の親玉が彼女という人質から離れ、理由は不明ながら身動きがとれないという絶好のチャンスであるのに、だ。

頭では動くべきだと分かっていても心がそれを邪魔する。今は手を出すべきではないと。


その原因は栞里に他ならない。

普段のふわりとした日だまりを思わせる柔らかい空気は鳴りを潜め、触れたらこちらが灰になりそうな…もしくは体の芯まで凍てついてしまいそうな程の強烈なオーラを纏っていた。


九重至はその姿に怯えながらも、同時に酷く悲しみを覚える。そして彼女からこの感情を引き出させた相手がただ憎いと思った。

何故なら直感で分かってしまったから。

栞里が今、とても傷付いているのだと。

それを感じ取ったのは彼だけではないらしく、七尾晴樹や東雲四葉、あの三神聖でさえ自分が痛いような顔をして彼女を見つめていた。


至は今眠っている同期と後輩が心底羨ましいと思う。

きっと…ここから先に待つのは地獄だろうと想像出来たから。


お伽噺の口調ながら拷問という生々しいワードを交えて始まったそれは、"彼女"の物語。


「その日、私はハロルド・オルデバロンとその部下に拉致されて地下牢に転がされておりました」

「…what?何だその作り話ハ。キサマとオレは初対面ダロウ!」


"こちら"のハロルドからすれば、それはもっともな話。しかし栞里は彼の言葉に耳を貸すこと無く、暗闇の奥に目を向けた。

自然と、つられるように皆もそれを追う。

するとそこから鈍い足音を響かせながら何人もの人影が現れたではないか。

その先頭にいるのは…


《Hello!ご機嫌イカガ?一ノ世クンの"記録者"》

「…は?オ、レ…??」


寸分違わぬ己が自分に声をかけてきた事に、ハロルドは狂気も忘れて目を皿にする。

自分の持っている服や靴、同じ着こなし。袖にはつい先日彼が失くしたお気に入りのカフスボタンが存在を主張するようにキラリと光り、それらを身にまとう当人は声も口調も顔も浮かべる表情すら同じときたものだ。

他ならぬ自分だからこそ、ソレが己と同一であると嫌でも理解できてしまった。


《いっっっつも自害されるし一ノ世クンとこからお迎えが来てタイミング逃してたケド、今日こそは劣等種の隠れ家を教えてもらウヨ!折角だから人間らしいやり方デネ!あ!舌を噛みきるのは諦めテネ。『強化』させてあるから》


自害や舌を噛みきるという部分で突き刺さった視線から露骨に目を背けながら、栞里はペラリとページをめくる。

すると、"記録"のハロルドの横から不健康そうな別の能力者が下卑た笑みを携え、暗がりから染み出るようにゆっくりとあらわれた。

ハロルドにとって見覚えのあるその男は己の部下に間違いない。

何故彼まで?と覚えの無い"記録"への混乱が大きくなっていく。


"記録者"の『開示』に嘘は無い。

そう言われる理由すらも知っているハロルドにとってそれは絶対の事実…だというのに、当人に心当たりの欠片もないのだからそりゃ混乱もするだろう。


「"ソイツ"の部下はカチンと鳴らした冷たく無慈悲な金属でもって私の爪を挟みました。そして…」


ハロルドの側にしゃがんだ"記録"の幻影が彼の爪にペンチを当てたところでソレの質感と冷たさを感じ、違和感に気付いた。

しかしそれは、あまりにも遅すぎる気付きだったのである。


「まず手始めに」

《爪を一枚、貰っちゃオウ!》

栞里が呟き、"記録"のハロルドが台詞を繋ぎ、ペンチを持った幻影が動いた。


ブチッ


「…ぎっ!?あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


瞬間、ハロルドは余裕を湛えていた口から耳を聾する絶叫を迸らせた。

周囲の皆はその突然の豹変に何事かと目を白黒させ、少女に至っては驚きから短く悲鳴をもらす。


「な…ぐ…ぅ、っ何が…っ!?何が起キタ!?」


ハロルドは動かせぬ手を睨み付け、激痛が襲った左の人差し指を見る。

しかしそこには何て事無い、形の整った爪とスラリとした指があるだけ。

そう、"何ともない"のだ。


痛みを逃がすべくはっ、はっ、と犬に似た浅い呼吸を繰り返すハロルドをつまらなそうに見て、栞里は小首を傾げる。


「爪一枚で大袈裟だな。存外意気地無しなのか、お前」

「キ、キ…!キサマッ!!オレに何をシタ!?」


噛み付くような怒鳴り声に彼女はきょとんと目を瞬かせた後、倦んだような気色を纏ってじとりと半目になった瞳で彼を見下ろした。


「何をと言われても…"記録者"に出来ることなんて記録と開示しか無いんだけど」

「ふざけるナヨ!!なら、これは、この痛みは一体何だと…」

「だから、ただの『開示』」


青筋を立てるハロルドを遮るように短く答えた栞里が再びページを一枚めくる。

すると、また暗がりから別の人影が舞台に上がってきた。


《次はわたくしがやるわぁ》

「な……っ」


のんびりした声に彼が目を向ければ、豊満な体つきをした女がドレスを翻してヒールを鳴らす。

顔程の大きさがある出刃包丁をベロりと扇情的に舐めるその女もまた、ハロルドの知る者だった。


おほほ、と場違いな程朗らかに笑った女はしかし、その様相には似つかわしくない勢いと力でもってダァン!と出刃包丁を振り下ろしたのである。


「い"ぎっ、ぁ"あ、あ!!!!?」

《一枚一枚爪を剥ぐなんて面倒ですわぁ。この方が楽チンですぅ》


コンクリートの地面に刺さったそれは、ハロルドの指の第一関節を断つように鈍く光を反射させてそびえ立っていた。


見た目だけで言えば、包丁の幻影が彼の手をすり抜けているだけ。指がなくなったわけでも無ければ傷一つすらついていない。

しかし、ハロルドは確かに言葉に出来ない程の痛みを感じたのだ。ショックでびくりびくりと震わせる無傷な手の下には生暖かい血が広がっていた。


何かをされる度に走る痛み。

血のぬるりとした感触と鉄臭い香り。

全てが全て本物にしか思えないのに…目に映る現実はそれを否定する。

感覚の解離がもたらす気持ち悪さにハロルドは胃からせり上がってくるものを抑えきれず、絶叫の合間に吐き出した。


「開示とは」


異様な光景に静まり返る皆を置き去りに、栞里の声がポツリと落ちる。

決して大きな声ではないのに、どうしてかそれは酷く惹き付けられて…痛みに震えるハロルドの叫びすらもピタリと止めた。


「『開示』とはただ幻を"見せる"力じゃない。"記録者"がその身で、五感で感じ取ったものを"伝える"力なんだよね」

視たもの、聞いたものは勿論だが、匂いも触れた感触も食べた味も全て、"記録者"はその体をくまなく使って"記録"しているのである。


そしてそれは、"痛み"すら正確に写しとる。


『開示』はそうして得た情報のうち、視覚情報や聴覚情報は指定した空間に張り付け、他の感覚については対象の脳へ直接"記録"を流す力。

つまるところ…


「今お前の脳には私の体が"記録"した痛みが叩き込まれてる。お前が味わってるのは、過去私が経験したものとそっくりそのまま同じ…()()()()()だ」


ハロルドは理屈を理解することは出来た。しかし、やはり分からないのだ。

これが本物だとして、彼自身には全く覚えの無いこの"記録"はどうしたって説明がつかないではないか、と。


《ナァ、腹二穴ヲ開ケヨウ》

《そんなことよりー、足もらっていいー?コレクションに入れるー》

《いいじゃんいいじゃん!アレもコレも全部やっちゃおう!》


ページはどんどんめくれていき、人影が入れ替わり立ち替わりハロルドへ群がっていく。その度に聞くに耐えない絶叫が喉を潰す勢いで響き続けていた。

あまりにも陰惨な拷問…否、もはやただ玩具にされているだけか。


まるでエサとそれに群がる狼のようだ。


そんな光景を眺める栞里の顔は分厚い仮面に覆われていて感情が今一つ読み取れないが、体の横で真っ白になるくらい握り締められた手が答えなのだろう。


晴樹達大人は一度きつく目を閉じはしたものの、今は逸らすことなく真っ直ぐ"記録"を見据えて成り行きを見守る姿勢をとっていた。

今ならハロルドを捕らえられる、と動くものは誰一人いない。


さて彼ら大人達のようにいかないのは年若い少女…雫石まれである。

彼女にとってこの"記録"はあまりにも刺激が強すぎたのだ。


まれはもはや歯の根が合わず、健康そうな白い歯をガチガチと鳴らしながら震えの止まらない体を丸めて目と耳を塞いでいた。

恐らく殺しそのものには慣れていてもこういった拷問の類いを近くで見ることは無かったのだろう。

年齢のせいもあって仲間内では気遣われていたのだ。


同じく年若い学生である至もまたショックを受け、ただでさえ白かった肌から更に色が抜け落ちている。

まれと違うのは、彼は現在進行形で"記録"に弄ばれているハロルドの方ではなく栞里を見て、ただただ泣きそうな顔をしていた。


恐ろしいからではない。どちらかと言えば、悲しいや悔しいといった気持ちだろう。

それは、この『開示』の意味するところを正しく理解しているが故に。

これが過去栞里が受けた仕打ちの一つ、地獄の一端だと…理解しているが故に。


「『記録』の能力には確かに直接的な攻撃手段なんて存在しないよ。けれど…牙が無い、なんて錯覚もいいところだ」


彼女のそれは報復の牙。血をすすった赤黒い牙。


本来『記録』の能力者が行う『開示』の伝達率は、視覚と聴覚で基本十割。他の嗅覚等相手の脳へ流し込む情報はせいぜい四、五割が限界である。

しかし、栞里は自分でも意識しないままにその壁を越えさせたのだ。そもそも彼女は限界があるなど知らなかったが。


痛みを、怒りを、憎しみを、悲しみを…それらを空虚な滅びの世界の中で決して忘れぬようにと無意識に己へ『開示』し続けていた。


忘れるわけにはいかなかったのだ。

その負の感情こそが彼女を、彼女の心を生かすためのエネルギーだったのだから。


悪夢という形で見ていたそれは繰り返す度に精度を増していき、やがて彼女の預かり知らぬうちに全ての感覚を100%伝えられるものへと"完成"させられていたのである。


つまりこれは綴戯栞里といういち能力者が作り上げた力の結晶。

誰も指摘する者はおらず、彼女自身無知であったが為にその事実を知る者は本人含めてゼロであった。


しかし、今ならこう呼ばれるに相応しい。


「瞳色、反転…」


栞里の横顔を見て、聖は目を丸くしながら呟いた。

能力者にしてはあまり目立たなかった彼女の目は今や鮮やかな藤色が虹彩を彩り、何故か瞳は黒ではなくカナリアの羽に似た黄色が月のように浮かんでいる。

まるで一ノ世久夜のような瞳だ、と言ったら彼女はしわくちゃな顔をするだろうが、その通りであることは否定出来ない。


反転というより変色してしまってはいるが、栞里の能力自体イレギュラーに埋め込まれたものだ。多少様子が違っていようが、聖はそれを瞳色反転だと断言する。


「…やはりな。お前なら出来るんだろうと思っていた」


聖の隣ではどこか複雑な面持ちで晴樹がそっと呟く。

彼が予想していた通り、能力者が"世界"を思う気持ちに等しい激情を栞里は確かに持っていた。

それが負の感情であろうことも察してはいたが…やはり悲しいものだと晴樹は視線を落として息を吐く。


「私の中にある痛みは、死はまだまだこんなもんじゃない。こんな氷山の一角程度ぶつけても私の心はちっとも晴れたりしないけど…お前という芽を潰せるのならそれで良い。喜んで噛み付いてやる」


叩きつけられた憎悪に大の大人である晴樹や聖、四葉にも冷や汗が滲む。

未だに続く死なない程度の拷問とは名ばかりのリンチに、酷い眩暈までしてくる。

それを氷山の一角と言ってしまえる彼女の絶望を、自分達は全然理解できていなかったのだと痛感させられた。


「…あの男は、特大の地雷を踏み抜いたのですね。ね?」

「そりゃ地雷でしょうね。"世界を壊す"だなんて。…原因はそれだけじゃなさそうですけど」

「"同じ"って言ったか。まァ、何となく分かる気がするぜ。あの…"記録"の方を見りャ、な」


先刻まで戦っていたハロルドとまったく同じ気配を纏う"ソイツ"。

その、"まったく同じ"と感じる事こそ答えなのだろうと晴樹は察していた。


やがて一通りの痛ぶりが終わったのか、人影のすっかりはけた舞台には同じ顔をした二人だけが残されているのみ。

片や何が面白いのかニコニコと上機嫌に笑い、片やあまりの苦痛とショックに涙や鼻水のみならず下も…失禁してしまっているようだ。

鏡合わせよりも精巧な本人同士であるのにその姿は雲泥の差で、もはや滑稽を通り越して憐れである。


《さぁて、いい加減避難シェルターの場所を言う気になったカイ?もう嫌だロウ?楽になってしまおウヨ》


コツコツと丁寧に磨かれた革靴がコンクリートの床を鳴らし、"記録"のハロルドがハロルドへ…"当時の栞里"へ近付いてきた。

そうして目と鼻の先にしゃがんだ幻影がいつもと変わらない己の顔で首をかしげると、現実ではないと知りながらも千切れんばかりの勢いでハロルドは首を縦に振る。


しかしそんな彼とは裏腹に、その口は…当時の栞里はこう答えたのだ。


「《お断りだね》」


瞬間皆が息を飲み、現実の栞里を見る。

少しばかりばつが悪そうに瞳を揺らし、彼女は困ったように小さく笑った。

笑い事じゃない!と晴樹達の心の声は一つであったが、生憎とりあえず笑って誤魔化してしまおうと思っている栞里には届いていない。


ハロルドはと言うと、己の口をついて出た言葉が理解できない…否、理解したくないと脳が拒否したまま、絶望の色を宿してそろりと上を見る。


Whatever(あっそ).じゃあいつも通り死ぬまで頑張っテネ!hahahaha!》


皮肉な事に自分が恐ろしいと思った。

立場が逆ならば確かに同じ台詞を吐いたであろうと容易に想像出来たからこそ、余計に。

まだ終わらない苦痛を前に、ハロルドはたまらず栞里へ声を荒げた。


「キサマは…キサマは馬鹿ナノカ!?どうかしテル!!どうして言わナイ!?言って楽にならないンダ!!」

「…お前なら言うの?たったの一言で百を越える命が失われると分かっていて、それでも?」

「当たり前ダロ!?所詮他人じゃナイカ!!」

「…そう。そうだよね。そうなんだろうね…」


ハロルドの答えにはその場にいた他の全員が同意見だった。

避難シェルターという言葉から、彼女が守ろうとしているのが避難先でたまたま会っただけの、親しくもなければさしたる面識もない他人であることは容易に察しがつく。


彼らにしてみれば、そんな人々など道ですれ違った誰か程度に気に止めない。それを命がけで守ろうとするなど、正気の沙汰ではないのだ。


栞里も理解されないことは分かっていた。

理解してほしいとも思っていない。

だから彼女は自嘲気味に笑ってこう続ける。


「そうであれたなら…どれだけ楽だっただろう」

「綴戯…」

「綴戯、さん…」

「…損な人」


泣いてもいない彼女から悲痛な泣き声が聞こえてくるようで、晴樹や聖は苦虫を噛み潰したような顔をした。

四葉だけはただ眩しそうに目を細めて、華奢な栞里の背を眺めていたが。


「お前や皆のように一つ以外を切り捨てられたなら良かったんだけどね。私は…中途半端(普通すぎた)。でも…」


言葉を途切れさせて周りを見渡した彼女はどうしてか嬉しそうに固かった表情を解かすと、今度は自嘲とはまるで違う…誇らしげな様子で口端を上げた。


「私は、それでいい」


そう、栞里が宝物のように大切そうに呟くものだから。

自分達が伝えたこと、思ったことがどれ程彼女の中に響いていたのかを思わぬところで知ってしまった気がして、皆くすぐったそうに口をむずつかせることしか出来なかった。


そんな良い雰囲気の栞里達とはうって変わって、ハロルドは結局彼女の言葉も意図も分からぬままにカツンカツンと近付いてくる絶望の音に体を震わせる。


「やめ…!助ケテ!」


このまま続けば自分の精神が持たないと悟り、彼はとうとう恥を捨てて命乞いを口にした。

その裏には、人の為に命を投げ出すような甘ちゃんならば、これで自分を殺したりしないだろうという打算を込めて。

しかしそんな考えは…


「なぁ、もう許してクレ!助ケテ!頼ム!!」

「…そう言って伸ばされた手を、お前はどれ程手折ってきた」

「……っ…!」


己を見つめる瞳によって即座に壊される。

ピシャリとした口調もさることながら、口よりも雄弁にハロルドへの明確な殺意が込められた視線の冷たさに喉が萎縮して声が出なくなった。

殺気なんて嫌というほど浴びなれている筈なのに、だ。


そんなハロルドにとっても、底なし沼に引きずり込む亡霊のように怨嗟を纏う彼女の気配には怖気を震う。

それ程までに暗く深い殺気だったのだ。ただ鋭いだけより余程たちが悪い。


彼女は善人ではなかったのか、と先程綺麗事を吐いた者と同一人物とは思えない栞里の変わりようにハロルドが混乱していると、彼女が小首を傾げた。


「何?その意外そうな顔。虫も殺せない奴だとでも思った?」

思ったかどうか、など愚問だ。あぁ、当然彼はそう思っていた。

何せ、ハロルドが見てきた彼女は今現在の苛烈さとはかけ離れており、破壊されたロボットにすら涙を流すひ弱で情の深い女性であったのだから。


「都合の良い誤解をしてくれているようだけど、私…加害者にかける優しさなんてミリも無いんだよね」

「加害、者…?」

「そう。特にお前みたいに一般的の虐殺を企てたり、それこそ世界壊すなんてほざく輩は…その存在すら許したくないレベルだよ」


すっと真顔になった栞里はすこぶる軽い手付きでペラリとまた一枚ページをめくり、地獄へのカウントダウンを進める。


その途端に現れた巨大なエンマを引き摺る人影に彼女の本気を理解したハロルドが何かを叫ぶより先に、ソレがガツンと乱暴に口へ突っ込まれて目を見開いた。


鉄錆びの味と共にヒヤリとしたソレが舌を挟み…道具の用途を察してしまった彼は、とうとう恐怖のあまりブツンとヒューズが切れたように意識を飛ばしてしまったのである。


それを見届けて、栞里はパタンと本を閉じた。


すると先程までの陰湿な空間は夢だったかのように霧散して、当たり前の顔をした青空と太陽が一同の目を焼く。


「…綴戯、何故止め…」

「この先は、"死"ですから」


晴樹が言い切るよりも先にそう答えた栞里は別に、怖じ気づいたわけでもやっぱり殺せないと日和ったわけでもない。勿論進んで殺したいとも思っていないけれども。

彼女が"そう"しない理由はいつも同じ。


「あの子達を苦しめといて…死んで終わりなんて、許すものか」


噛み締めた歯の隙間から溢れたのだろう。

酷く恨みのこもった小さな呟きがそっと風に溶けて消える。

しかし近くにいる晴樹にはしっかり届いてしまった。


彼はぐっと奥歯を噛み締めて暴れそうな感情を鎮めた後、栞里をふわりと一撫でしてハロルドの拘束へ向かっていく。

撫でられた頭をおさえてパチリと幼く瞬いた彼女の横を珍しく素直に心配を表情に浮かべた聖が晴樹に続き、彼女はやがて緊張が切れたようにへたりと座り込んだ。


「綴戯さん!?どうしましたか大丈夫ですかどこか痛いのですかそれとも苦しかったりしますかどうですか」

「こらまだ途中なのに…と言っても聞きそうにありませんね。ね?」


いてもたってもいられないといった体で自分の怪我の治療などお構いなしに栞里へと駆け寄る至に四葉は苦笑を溢し、らしくないようにいそいそと立ち上がった己もまた殊の外気が急いているらしいと気付いてまた苦笑する。


近付いてみれば、栞里はその小さな体を可哀想なくらい震わせながら真っ青な顔で泣きじゃくっていた。


当然か、と四葉は独り言つ。


今までの"記録"は栞里がその身で体験したことに相違ない。その上で、彼女はこの後は"死"だと言った。

ならば栞里は間違いなくこの後殺されたのだろう。

玩具のように、意味もなく、尊厳すらもない死を味わったのだろう。

四葉は自分で想像しておいて、せり上がった不快感に思わず口を覆う。


ともあれこれは…この"記録"は彼女のトラウマをまんま抉っているようなものだ。

ならば今の『開示』はどれ程苦痛だったことだろうか。

だって、恐ろしくない筈がないのだ。

いくら自分へ『開示』をしているわけじゃないとしても、栞里はその痛みを"覚えている"のだから。


かける言葉が見つからずに立ち尽くす四葉の足下では、至が腕を伸ばしたり引っ込めたりと挙動不審な動きを繰り返している。

叶うならその震える体を抱き締めて落ち着かせてやりたいが、至はまだ自分が彼女に"認められて"いない事を理解していた。


何度かの葛藤の後、伸ばしかけた腕で己の胸元の服を握りしめることで衝動を抑える。

そんな至の気持ちは四葉にもよく理解出来ており、彼もまたもどかしさを感じていた。


この中で唯一彼女が触れられても平気らしい晴樹を心内で呼ぶことしか出来ず、どうしたら良いのかと狼狽えていたのも束の間。

不意に二人の横からするりと傷だらけの腕が伸び、栞里にそっと触れたではないか。

涙が流れ続ける頬をいたわるように撫でた存在に、栞里だけでなく至も四葉も驚いた。


「綴戯、さん…大…丈夫、ですよぉ」


いつから目覚めていたのか。

あの騒動中は栞里とハロルドに集中していたせいもあって定かではないが、その手の主は薄ぼんやりとまだ夢見の途中だろう眼をした門倉合歓その人だった。


起き上がるのもやっとの筈の彼は満足に動かない足を引き摺り、這いながら彼女を慰めようと動いたのだ。


「か、どくら…くん…?」

「泣か…な、いで…くださ……復…讐…あ、りがとう…ございま、した…」

「っ…!」


ふわふわと言葉を紡いだ彼はやはりというか直ぐに気を失い、栞里の体へ倒れ込む。

ぎょっとしながら受け止めた彼女は、その大きな体からゆったりした拍動と落ち着いた寝息が聞こえたところでホッと息を吐いた。

気付けば涙は止まっている。


「ありがとう、は私の台詞。…生きててくれてありがとう。門倉くん」


せっかく止まった涙を溢してしまわぬように気を付けながら、栞里は下手くそな笑顔を浮かべて慈しむように合歓を撫でた。

その慈愛に約二名は嫉妬をしつつ、それでも彼らはよくやったとの意を込めて合歓の頭をわしゃわしゃと鳥の巣にする。

やや乱暴なのはご愛嬌。まぁ合歓が起きる気配はなかったが。


ひとまずは落ち着きを取り戻した栞里は、能力を使ったせいかはたまた精神ダメージ故か…すこぶる重だるい気分のまま辺りを見渡してふと気付く。


「…あれ?一人足りなくないですか?」

「「え」」


四葉達が彼女の視線を辿ると、捕らえた敵が固まっていた場所には小柄な少女と大柄な男…()()いないではないか。


「ほほほ、本当ですね。ね?」


どうやら目を離した隙に細身の男…ロイウェル・クランクルムは逃げたらしい。

大方気を失ったフリでもしながら機を窺っていたのだろう。


「追いますかどうですか」

「いえ。必要ありませんよ」


至の問いに答えたのは、通信状態の戻ったらしい端末を弄る聖であった。

彼はメッセージの画面をスクロールしてニヤリと不敵に笑う。


「"猟犬(ハウンドドッグ)"が動いたそうですから」


至と栞里は首をかしげるものの、その言葉の意味を知る四葉と七尾は得心のいった顔で苦笑していた。


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