2-3
茜に染まる空に、点々とカラス達の群れがシミを作る。
カァと鳴くそれらが懐かしくて、ついつい山に消えるまで見送ってしまう。
「お姉さーん!!」
元気な声にハッと意識を戻して振り返れば、熊ヶ峰さんがぴょこぴょこと跳ねていた。
その隣では九重さんがポチポチと端末を弄り…
そこでふと、人数が一人足りないことに気付く。
「あれ、七尾さんは?それに荷物も無くなってるけど…」
「えっと、荷物が多すぎるので先に送るみたいです!!七尾先生はその手続きに行きました!」
あぁ成る程…クレープ食べた後くらいから確かに滅茶苦茶買い物とかしたからね。
周りの人に二度見されるくらいには荷物が大量だった。
私に気を遣ってテンション高めだったせいもあるんだろうけど、そもそも二人共好奇心旺盛というか…
揃って"気になったなら買っちゃおう!"といった精神らしく、迷いひとつ無く会計していくんだよ。いっそ清々しい。
おかげで袋が増える増える…と言うか、よくそんなにお金あるね??
ちなみに私は最低限の衣類を少し買ったくらいかな。
後はほとんどが二人にプレゼントされたぬいぐるみとかだ。
ゲームセンターの店員さんが某絵画のようになっていたのを覚えている。すみませんでした。
「ねーねー至くん、何やってるの?」
待っているのに飽きたのか、熊ヶ峰さんは九重さんの弄る端末を覗き込んだ。
「………」
「きゃはっ!きゃはははは!!なにこれ凄く良い!!」
どうやら面白いものが見えたらしい。
きゃらきゃらと笑う熊ヶ峰さんに手招きされたので、私も少しの迷いの後近付いた。
距離を詰めるのを躊躇う私に気付いた九重さんは、マスクをずらしながら端末の画面をこちらに向ける。
そこには綺麗…というか、女の子達がするようにキッラキラの加工がされた写真が一枚。
「ぬいぐるみとか女性ブランドのショッパーとかぶら下げまくった見た目リーマンの先生とかマジで面白過ぎてついうっかり写真とったんですがどうです?」
「っぷ!!ふふ!」
成る程これは笑うしかないや。
画面に映されていたのは、ファンシーな柄のフレームやキラキラのエフェクト、ダメ押しに"今日のパパはぁと"とプリクラみたいな落書きに囲まれた…家族の荷物持ちしてます感が凄い七尾さん。
しかしそんな可愛らしい装飾でも隠せない苦労人オーラ、と言うか表情が死んでるせいでギャップしかない絵面である。
デコられた周囲と被写体の温度差で風邪引きそうだね。
と、熊ヶ峰さんがにこにこしながらおもむろに画面をちょんちょんとタップした。
直後現れる無機質な"投稿されました"の文字。
ん…投稿??
瞬間、九重さんがぎょっと目を見開いた。
「ちょっと馬鹿嘘でしょPwittrに写真の投稿とか小生のアカウントでやったら小生後で滅茶苦茶怒られるじゃん先生フォロワーに入ってるから確実に見つかるし最悪」
「あ!一ノ世さんが反応したよ!至くん!」
「ねぇ小生わりとピンチなんだけどどうしてくれるの一番最悪な人に見つかってるじゃんもう拡散待ったなしだよ小生への説教も待ったなしだよ」
七尾さん、強く生きて。
能力者達のSNS事情はいまいち分からないけど、一ノ世が面白がって拡散する未来は私でも容易に想像つく。
じぃっと画面を睨み付けていると、ポコンと聞き覚えのある通知が鳴る。
どうやら別のSNS…私も馴染みあるLOMEの個人メッセージらしい。
未だに言い争いをしている二人は気付いてないみたいだけど…
「わぁ…七尾さん、怒ってる」
"九重。後で職員室な"と絵文字も顔文字もないシンプルな文。逆に怖いやつだこれ。
後で校舎裏な、と同じニュアンスだよね。
取り敢えず九重さんに内心合掌を送ることにした。
すると、またポコンと通知。
「あ、二人共。七尾さんもう少しで終わるって」
「はい!分かりました!!」
「え何これ先生から個人メッセージ来てるじゃんうわっほらやっぱりだよ確実に怒ってるやつだこれというかなんで小生だけなの納得いかない絶対馬鹿も連れて逝ってやる」
再び睨み合った二人に苦笑を溢し、私は視線を街並みへと移す。
真っ赤な落陽がそこら中を染める様は、どうにも血を思い出してしまうせいか見ていて少し気持ち悪くなるけれど…でも、やっぱり綺麗だ。久しぶりにちゃんと見た気がする。
歩く人達とその足元にゆらゆら揺れる影法師が生を謳っていた。
「…っ」
とはいえ、私がこの街に抱くトラウマが消えることはないらしい。やはり度々視界にノイズは走るしその都度瓦礫と死体がちらついてしまう。
でも、この尊い景色を見るのを止めたくなかった。
だって目を離したら無くなってしまいそうで怖いから。
ふと、視線を動かした先に見覚えのある車を見かけ、おやと目を瞬かせる。
あの移動販売のクレープ屋だ。
どうやら日中とは場所を変えて売っていたみたい。確かに夕方なら、街中より大通りに近い方が帰る人に売り込めるものね。
まぁ今は店じまいの最中みたいだけど…
カァカァとカラスが鳴く。
夕方。この街。クレープ屋。
ポツリポツリと浮かぶ単語が何故だか引っかかる気がして、私は記憶の本棚を漁る。
"記録"の能力を得た日より昔の記憶は開示等を行えないけど…能力の副産物として得た記憶力のおかげで忘れることもない。
これは『ソノヒ』の話じゃない。確か、もっと前に、何か…
ミシリ、とどこかで音がした。
「「…!!」」
「っ!?」
それは本当に突然の事。
何の前触れもなく熊ヶ峰さんと九重さんが一瞬で顔色を変え、私を抱えて飛び退いたのだ。
今までと違う彼女達の表情といきなりの接触で私がパニックに陥り、思考停止した刹那。
ズドン、と。
クレープ屋のいた地面が、隕石でも落ちてきたのかと思う勢いで抉れた。
遅れてぶわりとこちらにまで衝撃が襲い、崩れる近隣のビル。悲鳴を上げて逃げ惑う人々。
それはトラウマをフラッシュバックさせるにはあまりに十分過ぎる光景だった。
「……ん!…姉さ…!!」
なんで。なんで。なんで…!!
一体何が起こっているの!!?
だってついさっきまで…普通に、平和だった筈なのに!
こんなのまるで…まるで…!!
「お姉さん!!」
「………!」
「ひ、ぁ…っ!?」
怖い気持ち悪い憎い嫌だ痛い触るな助けて殺さないで壊さないで嫌だイヤダいやだ!!!
「落ち着いてください!!二菜と至くんです!分かりますか!?」
カヒュッとおかしな呼吸が漏れる。苦しい。
あぁでも…私は死なないからいいや。
それより、これは誰?二菜?至?確か、恐ろしい能力者達の、名前…?
まって。違う、そうじゃない。彼女達は…
一時的に遠退いていた音がドッと戻り、私の名を呼ぶ声がハッキリと届いた。
「ハッ、ハッ…っ…熊ヶ峰、さん。九重さ、ん?」
「はい!!いきなりすみません!ただ緊急事態でして…!!」
背を二つの手に支えられながら地面に立つ。
緊急事態。潰されたクレープ屋。壊れた街。
本当に何が起きているというのだろう。
「よ!無事?」
ぐるぐるとまともに働かない頭で考えている間に、視界にまた別の人影が現れる。
あぁ、この声は知ってる。その姿も知ってる。
「いいい、一ノ世さん!?どうしてここに!?」
「なんかさ、こっちに"出た"っていうから来ちゃった。で?ソレ、大丈夫なわけ?」
一ノ世…?一ノ世、久夜?
ぐらぐら揺れる世界がソイツを中心にクリアになる。
「お前、が…」
「は?何?おーい?」
「お前が、また壊したのか!!!!」
パチンと何かが弾けたように、感情が爆発した。
怒りと憎悪で目の前が夕焼けとは別に真っ赤になる。脳が焼けているかのように頭が熱い。
ビクリと私に触れていた誰かの腕が震えた気がした。
しかしそれを気にする余裕もなく、負の感情がマグマのようにごぽごぽと湧き出ていく。
苦しい。これを言葉に乗せて吐き出せば楽になるのだろうか。
けれど、殺される覚悟で感情をぶちまけようとして…思い止まった。
だって、おかしい。
なんで"あの"一ノ世が、そんなポカンとした間抜け面をしてるんだろう。
そんな顔、知らない。
本当に…?
目の前にいるのは"敵"…だよね?
いや、まって、違う。コイツは、コイツは…?
ダメだ目が回る。立って、いられない。
「誰…?お前は、敵じゃな、い…?」
「はー…面倒くさ。俺は一ノ世久夜だよ。わかった?」
へたりと座り込んだ私を、ムダに端正な顔が覗き込む。
一ノ世久夜。あぁそうか。
コイツは"こっち"の一ノ世だ。
そいつは真っ直ぐに私と目を合わせて、再度口を開いた。
「あのさ、落ち着いてよね。"敵"は…あっち」
「あっ…ち…?」
すらりとした指先が示す先へ導かれるように目を向けると、抉れた地面の周辺がゆらゆら蜃気楼のように揺れていた。あれは…?
気になってそこに焦点を合わせた瞬間、今まで何もいなかった筈のその場所に…
【Gueeeeeeee!!!!】
怪物が、現れた。
例えるなら、妖怪の百目鬼のようなそれが二体。ギョロギョロと身体中の目玉がたえず動いている。
更によくよく見れば、4tトラックより大きいそれは"何か"をむしゃりむしゃりと食らっていた。
その口からでろりと垂れているのは…私達にクレープを渡してくれた優しい手の成れの果てだ。
ショック療法と言えばいいのか。
"記録"には引っ掛からない、しかし衝撃的な"現実"のおかげで深い沼の底から抜け出したように漸く意識がハッキリした。
「ヒィッ!な、ななな、何あれ!?」
「ぶはっ!!あっはははは!嘘でしょ一応は能力者のクセにさ、知らないわけ?…あれが、"怪異"だよ」
"怪異"…?
怪異って、あの、能力者が討伐してくれてるっていう…不可視の化け物の事?
え"!?これがそうなの!?気持ち悪っ!!
「し、知らない!!あんなもの…少なくとも私は、『ソノヒ』以降でも見たこと無い!!」
能力者にしか見えないとは聞いたことがあるけれど、私が能力者になってからも見たことなんてついぞ無かった。
どこかにはいたのかも知れない。
でも、私があの世界で"記録"したのは…人間同士の、一般人と能力者の争いだけだから。
"敵"はいつだって人間だったんだ。
「ほーん?まぁさ、アレが俺らの敵なわけ。理解した?」
そう言って、一ノ世は初めて見た"怪異"に取り乱す私を鼻で笑う。
いちいち人をイラつかせるな、本当。
「一ノ世!!」
怪異の呻き声を引き裂くように、どうやら帰ってきてくれたらしい七尾さんの声が響いた。
というか…凄い声量だな。
今までのスマートな印象と違いすぎて驚いたのだけど。
「はー…センパイおっそ。何してたのさ、荷物持ちのパパ~?」
「うるさい。悪かったな!」
うわ、分かってて言ってる。
そういえばあの写真に真っ先に反応してたんだっけ。
本当に人をおちょくるのが好きなんだなコイツは。
とりあえずニヤニヤすんな薄気味悪い。
七尾さんは私達をチラリと見てから、怪異に向き直る。
「一ノ世。一体任せて良いか」
「ほーん?一体でいいんだ?」
「熊ヶ峰と九重の実戦訓練になる」
「あー…ハイハイ。まぁ来ちゃったわけだしさ、仕事はするよ。はー…俺ってばいい子いい子」
自分でいい子って言うなよ。
あと、絶対にいい子じゃないだろお前。七尾さんの顔見てごらんよ。
何言ってんだコイツ?みたいな顔してるからね。
「じゃ、精々守ってもらえよ。オヒメサマ?」
馬鹿にしたように私へ言い捨てて、一ノ世は襟元についていたバッジをするりと撫でる。
そして散歩のような気軽さで無防備に怪異へと近付き…
「はい、あっち行くよー。退場退場」
まるでサッカーボールでも扱うように軽々と蹴っ飛ばした。
「っ!?」
「はわわわわわ!?さすがです!!」
一ノ世久夜。能力は『重力』。
重くして潰すも軽くして飛ばすも自由自在の強力な能力…だったかな。
その威力は文字通り身に沁みているのだけれど。
それはまぁいいとして…
「あの…被害地拡大してません?」
「あんの馬鹿…」
怪異が吹っ飛んだ先…向こうのビルが倒壊した。
これ、どっちが怪異だよ。
「あの!七尾先生!二菜達も行ってきますね!」
「最後の最後で仕事とかマジで萎えるけど楽しい時間に水を差されて滅茶苦茶イラつくから憂さ晴らしっていうか取り敢えず後悔させてくる」
ずっと私に添えられていた手が離れ、熊ヶ峰さんと九重さんが前に出る。
…あれ?一ノ世もだったけど、よく見たら二人の服にも同じバッジがついてる?
「先生!お姉さんの事、お願いします!!」
そして、これまた一ノ世と同じようにバッジをさっと撫で、彼女達は駆け出した。
思わずその後ろ姿に手を伸ばし…何も出来ないままそっと下ろす。
気の利いた言葉1つかけてあげられなかった自分が情けない。
「"怪異"…」
あぁそうか。
〈〔臨時ニュースです。先程ーーで怪異事件が発生しました。被害者はクレープ屋を営む…〕〉
漸く思い出した。『ソノヒ』の少し前に起きていたこの事件のこと。
「平気か?」
「え、あ、はい…一応」
いつの間にか傍らに立っていた七尾さんを見上げ、小さく頷く。
正直怪異は不気味だし、色々急すぎて状況が呑み込めていないけど…さっき恐慌状態に陥った反動か今は一周回って落ち着いている。
「あの、七尾さんは…」
「綴戯を1人には出来ないからな」
あぁそうか。私監視対象だっけ。
七尾さんは監視役だもの、目を離すわけにはいかないんだよね。
「…誤解しているな?私がここにいるのはお前を守るためだ」
「え…?」
守ると言われてパチパチと瞬く。
私を守る、なんて…そんな事言われるとは思わなかった。
視線をゆらゆら揺らしていると、七尾さんの瞳が厳しさの色を孕んで細められる。
「お前は、誰よりも自分を軽んじている」
「だって、それは…仕方ないじゃないですか」
私は死なないのだから。
「それでも…痛いだろう」
「…」
そりゃ痛いに決まってる。
痛覚も心も麻痺してなどくれなかったから。
いっそ壊れてくれたなら楽だったのに。
なんて…今更だけどね。
「…とにかく、私は逃げませんから熊ヶ峰さん達を」
「大丈夫だ。私の自慢の教え子達はあの程度には…負けないさ」
ふわりと浮かべられた自信たっぷりな笑みに目を丸くする。
それは今までの七尾さんの印象を覆すくらい、子供っぽい表情だった。
不思議。
表情1つで安心させられた、なんて。
これ以上何か言うのは…不粋かな。
そう思って開きかけた口をつぐみ、彼に倣って前を向く。
心境の変化故だろうか。さっきまで隣にいた二人の背中が凄く大きく見えた。
「お姉さんとのお出かけを邪魔する虫さんは潰します!!」
聞き覚えのあるような台詞を叫び、熊ヶ峰さんはマフラーをばさっと取り去る。
晒された細い首には…首輪?いや、チョーカー?
と、彼女がそのチョーカーらしき物に触れた瞬間…じゃらりと鎖の音が響いた。
「あ…」
瞬きの間に熊ヶ峰さんのチョーカーから鎖が伸び、その先には巨大な鉄球が転がっているではないか。
どうやらあのチョーカーは収納技術を搭載した品だったらしい。
箱型は近年たまに見かけるけど…随分個性的な形状にしたものだね。
熊ヶ峰さんが戦闘態勢をとった途端、怪異は目玉だらけの腕を彼女に叩き付ける。
またしても衝撃でぶわりと風がここまで届き、悲鳴が漏れそうになったけど…視界に映る小柄な姿に目を奪われた。
熊ヶ峰さんは鎖を持ち、巨大な鉄球と共に軽々と飛び上がっていたのだ。
そして重さなど感じないと言いたげにそれを振り回し…
「そぉーれ!!!」
【Gueeeeeeee!?】
先程の怪異の攻撃が可愛いと思えるくらいの勢いで、鉄球をその腕へ叩き付けた。
その様子に背中へ冷や汗が伝う。
そうだ。彼女、熊ヶ峰 二菜は『怪力』の能力者。
あの鉄球の威力は、よく知っているじゃないか。狂った笑顔の周りをどれ程の血飛沫と脳漿、肉片が飛び散っていたか…
《きゃはははは!!虫さん達はぐちゃぐちゃに死んでください!》
頭の奥で響く声にキツく目を閉じ、浮かびかけた情景を振り払う。
違う。今、彼女がその力を奮っている相手は人間じゃないでしょう?大丈夫。
だから、目を背けるな、私。
【Giiiiiieeeeeee!!!!】
彼女の攻撃を受けた怪異は、まるで怒ったように腹の底に響く咆哮をあげた。
びりびりと肌を刺す威圧感に顔をしかめる。
「わ!?」
「…熊ヶ峰さん!?」
叫び終えた怪異はその巨体からどばっと大量の腕を生やし、出鱈目に振り回し始めた。
いや、目だけじゃなくて腕まで大量とか気持ち悪すぎでしょ。
その1つが熊ヶ峰さんを掠め、小柄な体が宙を舞う。
「大丈夫だ」
無意識で駆け出しそうになった私を男らしい筋ばった手が制した。
一瞬チラリと七尾さんを仰ぎ見て、すぐに視線を戻す。
「わわ、危な…ふきゃっ!!もー!触らないでください!!」
離れた地面へすたっと猫のように着地した彼女は成る程無傷だった。
未だ迫る怪異の腕を振り回した鉄球で飛ばしながら、ぶぅぶぅと文句を言っている。
「よかった…」
七尾さんを疑った訳じゃないけれど、ホッとしたよ…
けれど、いくら『怪力』があるとは言え、得物があれだけ大きな鉄球だ。一撃は強いが、そう素早く振り回せる代物ではない。
対する怪異は大量の腕を鞭のようにしならせ、際限なく繰り出してくる。
手数という点では相性が悪いのだろう。
「はわわわ!?もぅ!数が多いよぉ!!」
避けて、鉄球で払っての繰り返し。熊ヶ峰さんに疲れは見えないけれど、本体までは辿り着けずキリがないみたいだ。でも…これって…
「手加減してる…?」
私の知る"アイツ"は確か、相手方の数も攻撃も関係ないと言わんばかりに叩き潰していた筈。
でも熊ヶ峰さんはそれをしていない。
「そりゃ、街中でアイツがやる気出したら怪異以上の被害が出るからな」
「けど、それじゃあ…」
「心配するな。もう一人、いるだろう」
あれ、そういえば…?
「あーもう本当に小生この能力嫌いなんだけど」
そんな声と共に、きゅいいいいいんと耳につく騒音が辺りに響き渡る。
途端、熊ヶ峰さんを貫かんと迫っていた無数の腕がすべて細切れにされ、ぼとぼとと雨のように地に落ちた。
【Guegeeeeeee!!!!!】
巨体を捩らせ痛みに吼える怪異の前に、いつの間にいたのか九重さんが猫背気味に立っているのが見える。
凄い!全然気付かなかったよ。
「マジで五月蝿くて頭痛くなるから能力使わせないでほしいんだけどっていうかお前の喚き声も滅茶苦茶に五月蝿いし何なのほんと」
…喋らなければ本当に忍者みたいなのにな。
ところで…彼の手にあるのって、ただの木の棒ではないだろうか?
「九重!武器はどうした」
「…」
ボロボロになって砕けてしまった木の棒を放り捨て、彼はチラリと私に視線を向ける。
その意図を察するのは…酷く簡単だった。
「大丈夫。大丈夫で、あってみせる」
だから私は覚悟を告げる。
九重さんの事、ちゃんと見るからって。
「…わかりました」
コクリと頷いた九重さんの背後に腕が迫る。
しかしそれらは…
ぎゅいいいいいいん
先程より鋭くけたたましい騒音に切り捨てられた。
振り向きざま、九重さんの手に握られていたのはソーチェーンの付いていない形だけのチェーンソー。代わりにガイドバーの縁はペーパーナイフのように刃は無いものの薄くなっている。
あらゆるものを高周波で振動させる事が出来る…そんな『振動』の能力をもつ彼には、それで十分なのだ。
《五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!喚く声も心臓も呼吸も全部五月蝿いんだよ!責めるな!小生を責めるな!!》
金切り声で叫ぶ"アイツ"はいつもあの音と共にチェーンソーを振り回し、生命の奏でる音すべてを消し去るまで暴れていた。
でも、九重さんが消す音は…怪異という存在の不協和音だけだ。
だから大丈夫。私の四肢は、削り切られたりしないでしょう?
深呼吸をして前を向けば、九重さんが私を見てホッとしたように瞳を緩ませる。
そんな彼の隣に熊ヶ峰さんが鉄球を引き摺りながらやって来た。
「至くん!!さっきはありがとう!!!」
「うっわ今その大音量でお礼言うとか空気読めなさすぎでしょ馬鹿かよいや馬鹿だったごめん」
「なんで馬鹿って言うの!?酷い!!」
いや、あの、お二人さん?
まだ怪異がいるのに言い争いは…
【Giiiiiieeeeeee!!】
「「五月蝿い!!」」
再び伸びてきた腕はあっという間に細切れ&粉砕され、その巨体に追い討ちと言わんばかりの鉄球がめり込んだ。
よろめいた怪異が背後のビルを破壊して、いつの間にか細切れになっていた隣の建物が雪崩のように降り注ぐ。
「馬鹿はほんと馬鹿だよね周辺への被害は最小限でとかいつも言われてるのにビル壊してどうするのこれ」
「そっくりそのまま返すよ!至くんだってあっちの建物まで刻んでるじゃん!二菜だけが悪いんじゃないもん!!」
「はぁ…アイツら…緊張感…」
補習決定と小さく聞こえた呟きに、私は二人へ合掌を送った。
「それにしても…こんなに派手に戦って、どうして一般人には気付かれないんでしょう」
怪異は勿論だけど、戦っている能力者の姿を見たって人も殆どいなかった筈だ。
そりゃ、一般人は怪異が現れたら即座に避難させられる筈だから、そもそも近くにはいないのだろうけれど…でもここまで、その、暴れているのに。
「あぁ、それは…コイツのおかげさ」
七尾さんはスーツの襟に光るバッジをトントンと指で示す。
「一般人には怪異が見えないだろう?それと同じように、これは能力者の姿を隠してくれるんだ」
曰く、光学迷彩の応用だとか。
見えない何か同士が戦い、周りを壊す…か。
成る程それはまさしく"怪異"…オカルトだね。
「それにしたって派手すぎでは」
「まぁある程度なら『修復』の能力者達が直してくれるからな。…ある程度なら」
「ある程度…」
私は言い争いながら戦う二人の方へ視線を戻し、顔をひきつらせる。
壊れたビルもひび割れた地面の面積も…確実に増えている。
「はぁ…すまない綴戯。少し待っていてくれ」
げっそりした様子でため息をつき、しゅるりとネクタイを解いた七尾さんはそれを空へ放る。
瞬間、ガチンとまるで鉄にでもなったかのように固まったそれをつかみ、彼は地面を蹴った。
ぶわりと風が遅れて私の髪を乱す。
え、七尾さん…??
慌てて怪異の方へ向き直り、ぎょっと目を剥く。
彼は数多の腕を潜り抜けて、既に巨体へ肉薄していた。
大量にある怪異の目が一斉にギョロリと七尾さんに向けられる。
次の瞬間には腕を叩きつけようとするが、彼の方が余程早かった。
「こっちだ。ウスノロ」
すぐさま怪異の頭上へ飛び上がった七尾さんはネクタイを剣か何かのように振りかぶり…その頭部へ叩き込んだのだ。
パァンと弾け飛んだ怪異が真っ黒な雨のように降り注ぎ、しかし地面や皆を濡らすことなく消え去っていく。
はじめから、何もなかったかのように。
終わった…?
力が抜けそうになった足をぐっと持ち直し、浅い呼吸を繰り返す。
頭では分かっていたけど、改めて能力者の強さを見せつけられた…
特に七尾さんの動きなんてド素人な私じゃ殆ど目で追えなかったよ。
「お姉さーん!」
「…」
返り血ではなく、砂埃にまみれた二人が私に手を振る。
そのままこちらへ駆け出そうとした一歩は、私の前に立ち塞がった広い背中に止められた。
私には少しよれたスーツしか見えないけれど、その向こうで熊ヶ峰さんと九重さんはさぁっと顔色を悪くしている。
そして七尾さんは、ふーと長い長いため息をついて…
「テメェらいい加減にしやがれ!!誰が頭下げると思ってンだよ!!ア"ァ"!?」
「「すみませんすみませんすみません!!!」」
ガツン、と殴られたような怒声が反響した。
「!?!?!????」
ちょ、え?なん、え??私の脳、見事にバグったんだけど。
七尾さん?今の七尾さんで合ってるの?
「ッざけんなよ!!ただでさえ徹夜続きなのに…どんだけ"俺"の仕事増やしゃ気が済むンだゴラァ!!」
「「すみませんすみませんすみません!!!」」
あぁ。そっかぁ…
どうやら私の"記録"は間違ってなかったみたいだ。
《テメェら全員生きてる価値なんざねェんだよ!!詫びて、死にさらせ!!》
あの、荒々しい鬼神がごとき姿は…彼の素って事なんだろう。
七尾晴樹。『硬質化』の能力者。
"あっち"では拳1つで戦っていた、破落戸のような人。
「………」
「あァん?何だよ九重。…綴戯?っは!?そうだった!つ、綴戯!!?」
しまったという顔をしながら瞳を泳がせる七尾さん。
とりあえず、こちらが悪いことをしたような気分になるくらい悲壮なオーラを背負うの止めてほしい。
今、"記録"の映像が視界にちらついているせいで余計に落差が酷い…
「すすすす、すまない。これは、その…!」
「あの!先生は昔拳をブイブイいわせていたやんちゃさんだったらしいんですけど、今は違うので!怖がらないであげてください!!」
「え、あ、そ、そうなんですね…?」
いや、意外な過去をそんな突然さらっと告げられても…情報処理が追い付かないんだよ熊ヶ峰さん。
ちょっと勘弁してほしい。
「…」
「いやマジかよ馬鹿ばっちりバラすじゃん先生真っ白になって放心してるしこれ後で小生にもとばっちり来るやつ」
とりあえず、二人とは全く違う角度から七尾さんの"記録"への恐怖心は薄まった気がする。
結果オーライ、なんだろうか。
正直、違う恐怖は若干芽生えたけど。
「…」
「ねぇどうすんの先生どんよりだよこれお前がとどめ刺したんだから何とかしてよこのままじゃキノコ生えそうだし」
「えぇ!?私!?せ、先生!大丈夫ですよ!二菜はそんな先生が好きですので!!」
「く、熊ヶ峰…!」
「嘘でしょ今の響いたの先生チョロインすぎじゃんどこ需要だよ」
「ふっ…ふふふ!」
「…綴戯?」
なんだろう。
わぁわぁと他愛ない話で盛り上がり、一喜一憂する目の前の皆が…もの凄く人間らしくて、面白くなってしまう。
そうだった。私もこうして、友達や家族と笑っていたんだっけ。
なぁんだ、能力者も、そういうところは変わらないんだね。
目の前を覆っていたフィルターが一枚剥がれたような、不思議な感覚だ。
急に笑った私をぽかんと見ていた三人に声をかけようと口を開こうとしたその時。
「…っ」
不意に物凄いプレッシャーが肌を刺した。
これ、間違いない。覚えがある…!
ほぼ反射的にその出所へ目をやって…我が目を疑う。
離れたところに立ち並んでいたビルが、三つほど一気に消えたのだ。
えぇ…これ、間違いなく私が覚えていた"あっち"のニュースより被害が大きくなってるじゃん。
今度は私を含めた四人で暫くぽかんと呆ける。
そして…
「あんの大馬鹿者…!!!」
七尾さんの怒号に耳をやられた。
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一ノ世side
「はー…つまんな」
適当なベンチに腰掛けながら、足元でピクピク動いている手をぐしゃりと踏み潰す。
だって目障りだしさ。所詮化け物だしさ、別に良いよな?
俺ってば今、すっごく機嫌が悪いんだよね。
「ホントさ、なんてタイミングで来てくれてんの」
あの女。綴戯栞里の外出許可が欲しいと四恩サンに言われた時、俺は二つ返事でオッケーを出した。
だってさ、丁度良いじゃん。
懐かしの東京を見せてやろうと思ったわけ。
で、それがアイツの知る東京じゃないって教えてやろうと思った。
変な期待を持つよりさ、さっさと現実見せてやった方が良いでしょ?
俺ってば優しー。
だからわざわざ場所を指定した。
ついでに、親友だったらしい女が遊びに来るって日も偶然知ったから日程を合わせてやった。
この俺がそこまでしたんだよ?偉くない?
懐かしい街に懐かしい人間。
確かに存在してるのに、未だアイツの中では幻か何かであろうソレ。
いい加減"こっち"に足をつけなよってさ、俺なりの忠告なんだよね。
さてどんな顔して楽しんでるかな?
そう想像しながら仕事サボって学園を彷徨いていた。そんな時だ。
急に怪異出現のアラートが鳴ったのは。
それ自体は別に珍しくもないさ。
怪異なんていつでもどこでも湧いて出るし。
けどさ、俺は場所を聞いた瞬間…一秒でも早く現場に飛ぶべく『転移』持ちの胸ぐらつかみに行ったよね。
だって…よりによってアイツのいる街に出るとか、聞いてないし。
【Gueeeeeeee!!!】
「あのさ、五月蝿いよ生ゴミ。それは効かないってば」
性懲りもなく伸ばしてくる無数の腕を全て重力で潰す。
メキリゴキリと鳴りながら地面にめり込むソレを無感情に眺めた。
はー…よっわ。なにこれ。
こんなの相手にする羽目になるとかさ、マジで最悪。
でももっと最悪なのは…
「俺ってば君のせいで怒鳴られたんだけどさ、どうしてくれんの?」
あー…今思い出してもムカつく。
あの瞬間、真っ向から叩き付けられた強烈な負の感情。
そのあまりの強さに、俺でさえ面食らった。
違う。そんな顔が、見たかった訳じゃない。
じゃあどんな顔を想像してたのかって聞かれると困るんだけど。
でもさ…"コレ"は違うってそう思ったわけ。
挙げ句、一瞬だけど誰?とか言われる始末。
いやさ、"記録"の俺と違うって認識されたのは良いけど…俺本人は未だまともに根付いてないってことじゃん。
気にくわない。あー…繊細なハートが傷付いた。
つーかさ、くま子と九重ずるくない?
アイツらだって俺と同じように、あの女のトラウマの筈じゃん。
なのにいつの間にか仲良さそうにしてるしさ、何なの?
あの二人に支えられながらこちらを睨む女の姿を思い出し、舌打ちする。
俺には敵意むき出しで怒鳴ったクセに。
はー…うっざ。
それもこれもぜぇんぶ…このザコのせいじゃん?
【Giiiiiieeeeeee】
「はー…面倒くさ。つーかさ、なんで俺がこんなつまんない奴相手にして、こんな思いしてんの?」
大体アイツもアイツでさ、何でも俺のせいにするとか酷くない?
あームカつく。決めた。絶対謝らせよ。
【Gueeegeeeee!!!】
「うるさいな。俺がさ、機嫌悪いの分かんない?はー…もういい。消えろ」
苛立ちをそのまま能力に乗せて、怪異の頭上へ一滴の墨汁のような黒点を浮かばせる。
瞬間、叫びを上げることすら許さずに、ソレは己の重力でもって周囲の建物ごと怪異を飲み込み、消えた。
すっかり見通しの良くなった更地でがりがりと頭をかく。
「やっば。やらかした」
絶対七尾センパイ怒るじゃん。はー…面倒くさ。