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NO side A
「…ふむ。見事にバラけさせられましたね」
微かな木漏れ日が差し込むのみで頭上はすっかり葉に覆われた緑深い森の中。三上聖は顎に手を添えながら辺りを見渡し、そう呟いた。
ローブの三人組を学生達と追っていた筈が、気付けば見事に二人がはぐれて孤立させられている。尚、自分"が"はぐれたとは微塵も思っていない。
おそらく二人もまた孤立させられているのだろうと結論付け、それはそれで楽で良いかと酷く冷めた意見が心内で囁かれた。
彼に学生達への心配はあまりない。実力を信じてと言えたら良かったが、現実には単純にそこまで思うほど内に入れているわけではないという何とも澆薄な話である。
元より聖は親友たる一ノ世久夜に比べて仲間への思いは強くないタイプだ。
勿論彼にも気に入りはいるし、同期や関わりの深い先輩後輩は大切だと胸を張って言える。
それに、強くないだけで"守るべき、大切にすべき"という最低限の仲間意識はある為、学生が殺された悲しみも怒りも存在はしていた。
しかし、それだけだ。
感情は揺さぶられるが、自分が掻き立てられて行動を起こすほどの振幅にはなり得ない。
そもそも此度の学生達とは最近になって一人の女性…綴戯栞里の関係で関わるようになった程度の接点しかなく、ほとんど関係を持っていなかった。気にしろという方が難しい。
合宿なんて当然乗り気ではなく、引率という立場がなければ面倒を見る気すら起きなかっただろう。その程度である。
まぁ学生のうち一人の事は色々あって気に入りつつあり、弟子にするのも面白そうと考えてはいるが…ならば尚の事心配は要らないだろうと聖は結論付けた。既にスパルタな師の片鱗が出ているので該当生徒は逃げた方が良いかもしれない。
「何はともあれ、僕としては気兼ね無く戦えますので助かります」
「お前、何かヤな奴だし」
聖はにこりと定常通りの笑顔を浮かべて、木の上に立つ小さな人影…敵の姿を視界に入れた。
対する相手はそんな彼を嫌悪をのせた眼差しで射る。声からして年若い、どころか学生達より下の子供だろう。
「それで?そちらはどこのどなたですか。教えていただければ事が済んだ後お仲間も仲良く監獄に入れて差し上げますよ」
「言うわけないし。でも、礼儀として名前くらいは名乗ってやるし」
猫のように音もなく、しなやかな身のこなしで聖の前へ降り立った人影は邪魔だと言いたげにバサリとローブを脱ぎ捨てて姿を晒した。
くすんだ青の髪をおさげにした彼女は栞里よりも小柄で、所謂ジト目とでも言うのか半目になっている瞼の奥には辛子色に囲われた梅鼠の瞳が見える。
そしてその目の上にはちょこんと丸い眉が乗っていた。
「私は雫石まれ」
聖は笑顔の下で吐き気がするほどの嫌悪を滲ませる。
言葉にするのなら、よりによって女か…といったところか。
合宿メンバーに女性がいるという時点でただでさえギリギリな精神状態だったというのに…
追加で生理的に嫌いというか受け付けない存在を見るハメになった彼の機嫌は、ジェットコースターどころかフリーフォールレベルで最底辺まで落下したのである。むしろ地面にめり込んだ。
「お前の事は知ってるから名乗ら無くていいし。『炎』の能力者、三上ひじ…」
「名前呼ばないでくれます?」
食い気味に遮られ、まれと名乗った少女は中途半端に開きかけた口を閉じるのも忘れてきょとんと瞬いた。
「すみませんが、女性…貴女の声が気持ち悪くてうっかり吐いてしまいそうでして」
「…うっわ」
ぺったり張り付けた笑みのまま毒を吐く聖に、まれはぎゅっと麿眉を寄せて不機嫌をあらわにする。
口調こそ淡々としているが感情表現は豊からしい。
「会話の必要なし。ならさっさと終わらせるし。どうせお前は私に勝てないし」
年齢のわりに驕慢な態度でそうきっぱり断言すると、彼女の手には水が集まりはじめて一張の弓を形作る。
そして更に集まった水が矢となり、まれは神以て慣れた手つきでそれをつがえた。
聖はほぅ?と興味深そうに片眉を上げ、木漏れ日をチカチカと乱反射させるように煌めいていた髪を手袋に包まれた指で耳にかけると、そこに揺れるピアスから愛用の槍を顕現させる。
静寂がひとつ。
その一拍を置いた直後、二人が動いたのは同時だった。
水の矢と炎の槍がぶつかり合い、じゅうと辺りに水蒸気が立ち込める。しかしそれに構うこと無く、聖は『炎』の能力で作り出した炎球を続けざまにまれへと飛ばした。
再び矢をつがえる時間を与えない追撃。
けれどもまれの表情は僅かも揺らぎはしなかった。
「効かないし」
彼女がひらりと手を翻すと同時に地面から水が吹き上がったのである。
滝を逆再生したようなそれに阻まれた炎球は勢いに負けてしゅわっと消えてしまった。
あっさりと消された己の能力に、しかし聖の笑顔もまた崩れることなくくるりくるりと槍をふるう。
その度に次から次へとまれから放たれる水の矢が、ばしゃん、ばしゃんと打ち落とされるでもなく弾けていった。
彼女は軽々砕かれるそれにやはり分かりやすくムッとしながらも、追撃の手は緩めない。
さて、まれの顔をしかめさせたように傍から見ればただただ余裕そうに見える聖ではあるが、内心では彼もまた顔をしかめていた。
聖は分かりやすく言うなれば魔術師タイプであり、槍術も体術も得意ではない。むしろ不得手とも言えるだろう。
にもかかわらず、まれの放つ矢はどれもが急所をピンポイントで仕留めるだろう正確さで襲い来る。
つまり、流して良い攻撃が存在せず常に回避か迎撃が必要とされるのだ。
『炎』でどうにかするには相手の手数が多過ぎる為、一つ一つ処理するとなると能力の消費が馬鹿にならない。かといって一気に燃やし尽くしても相手は無尽蔵に矢を作り出せるのだから消耗戦になるのは必須。
結果、一番マシな手は自分が動くこと。
聖はそれがとにかく嫌だった。
本人を狙えれば良いのだろうが中途半端な火力では先程の二の舞になることは明らかで、しかし大技を打つには準備する時間が足りない。
そう、とにかく厄介なのは…年若い見た目にそぐわずまれ本人に全く隙がないという事なのだ。凄まじい集中力である。
「まったく、ここまで正確に狙ってくるとは…大した能力の精度です、ね!」
また一本。飛んで来た矢をばしゃりと弾き、槍を振るった後の隙を狙ったらしい次の一本…狙いは肝臓でタイミングも狙いも厭らしいそれを身をよじって躱す。
最後、頭を狙った三本目。
こればかりは体勢が整わず、やむなく『炎』で焼き消した。
聖は表情は変えぬままにそっと呼吸を整える。普通にキツイがそれをおくびにも出さない姿はさすがだろう。
しかし、躱しきれなかった二本目に掠められた脇腹からはじんわりと赤が滲んでいた。
「"能力"の精度…?」
聖の言葉を反芻したまれは、つがえていた矢を降ろしてさも心外ですと言わんばかりに口をへの字に曲げる。
そして弓矢は持ったまま腰に手を当て、水気でぬかるんだ地面を足先で泥が跳ねない程度に叩いた。
「超失礼だし。弓の腕は能力に頼らない"私の"実力だし。ハイハイより先に弓を触っていた私をなめんなし」
まれの生家は由緒正しい弓道の名門である。
一族に生まれた子は皆おしゃぶりではなく弓矢を与えられ、幼少の時分からそれはそれは厳しい指導を受ける。
勿論彼女も例外ではない。
筋が良く期待されていた彼女は、一人立ちが出来るようになった頃からずっと休む暇もなく矢を射続けていた。
それが変わったのは、人前では隠していた能力を親族の一人に見られた時。
不幸にもその人は能力者を唾棄している人物で、そこからどう伝わったのか実の両親から師範たる祖父母にまで罵詈雑言に叱責の嵐をぶつけられ、果ては恥さらしと怒鳴られながらの折檻が繰り返された。
そして、年齢的には小学三年生のある日。
薄汚い路地裏にボロ雑巾同然で捨てられたのである。
まれはおもむろに一本の矢を放つ。
それは聖に向けられたものではなく、ストンと軽い音を立てて一枚の葉を木の幹に縫い付ける。
彼女はひらりひらりと不規則に舞い散る葉を一瞬にして見極め、射抜いてみせたのだ。
成る程これなら人体の急所を的確に狙うくらい容易いことだろう。
「付け焼き刃のお前の槍術と違って、私は弓術を極め続けてきたんだし。甘く見るなし」
まだ幼い身に襲い来る怪異や暴漢を皮肉にも彼女を捨てた家から伝わった弓矢によって撃退しながら生き延び、やがてハロルドに拾われてからは理想の為に更に弓矢の腕を磨いてきた。
血は争えないとでも言うべきか。
家族と道を違えても尚、まれは正しく弓矢と共に生きていた。
ちなみに彼女の家族がどうなったかは想像に容易いことだ。
弓道の名門、雫石家。
それは一族もれなく全員が矢の的になったとある家の名である。
「…成る程。これは失礼しました…よ!!」
まれの話とパフォーマンスの間に練り上げた能力で彼女の足下に爆炎を起こす。ちなみに言うと、聖はまれの話など半分も聞いていなかった。
能力者とは興味関心の無い話に対する耐性がすこぶる低いのである。
「最低。やっぱりヤな奴だったし」
爆ぜる炎に顔をしかめながら上に…木の上に飛び乗った彼女の服は袖や裾が軽く焦げ、細い煙をたなびかせていた。
しかし、攻撃は終わらない。
聖が槍の石尖でトンと地面を叩くのを合図に、未だ燃え盛っていた炎はヘビのようにうねりながらまれを追う。
「…能力の精度イカれてんのはそっちだし。キモ」
うげっと嫌そうな顔をした彼女は先程の聖の発言を思い出す。
あれはこちらの能力を褒めたというより嫌味のつもりだったらしいと気付き、もう一度ヤな奴だと呟いた。
「…でも」
追尾する炎から逃れるように木から木へ忍者よろしく飛び移っていたまれは急にはたっと動きを止めると、その手に携えていた弓をぱしゃりとただの水に戻して手離す。
一見武器を放棄して戦意喪失したように見えるが、彼女の顔を見ればそれが間違いだと気付くだろう。
「それでもお前は、私に勝てないし」
浮かぶは自信。
臆面もなくそう言った彼女が手を頭上に掲げた瞬間、そこから能力が波のように広がっていき、空中に氷柱に似た棘が大量に現れたのである。勿論氷などではなく、すべてがとぷんと揺れる水製だ。
まさか、と聖が目を丸くする中彼女が手を振り下ろす。
それを合図に大量の棘が雨のごとく…否、雨の比ではないスピードでもって辺りに降り注いだ。
矢もそうであったが、高圧にされているらしい水の威力は馬鹿に出来ない。
枝をへし折り木を穿ち、岩…は砕けないが表面を削り、地面に穴を空けてはただの水に戻る。
聖の作り出した炎のヘビは頭に胴体尻尾の先まで次々に貫かれ、まれへ灼熱の顎門が開かれる前に沈下して消えてしまった。
「…攻撃範囲広すぎでしょう。何ですかソレ」
そんなことをぼやき、聖は思考をフル回転させながら己に向かう棘を冷静に対処していく。
上から下へ降るだけかと思いきやこの水棘、どうやら縦横無尽に飛ばせるらしい。
彼は頭上を『炎』で焼き払い、正面に見えたソレを炎纏う槍の突きで散らすと、そのまま槍をぐるりと回して背中で一回転。死角からの一撃も無事にしのいだ。
広範囲かつ全方位の攻撃。
そんなのは能力のコントロールと言う次元ではない。
少なくとも聖は己には出来ない芸当だと舌打ちをこぼしながら、だからこそ彼女の能力を疑った。
自惚れではなく剣を交えた客観的事実として、まれの能力が聖を上回っているとは思えないのである。ただし、弓術は別として。
とはいえ今は熟考している余裕はない為、一旦保留とした。大体そんな余裕があるなら既に勝負がついている。
物理では埒があかないと…単純に体力的な問題もあるが…悟った聖は槍の構えを解くと、数の暴力に応戦すべく意識を能力中心に切り替えて再び『炎』でヘビを作り出した。
先程と似ているがそれよりも色の白い炎はより高温であることを示している。
その段違いの温度は、水に貫かれんとしてもその手前か炎に触れた直後に蒸発させてしまう程。
そのヘビは周囲の空気を熱風に変える尾を振るい、焼却炉のような口を開けて水棘を飲み込んでいく。
もはや、正しく能力のぶつかり合いだった。
激しい水と炎による蒸発反応が繰り返され、森の中は霧が立ち込めているかのような水蒸気で溢れかえっている。
その滅茶苦茶な湿度と夏に加えて炎の熱さが加わったそこは、まるで赤道近くの熱帯雨林にでもいるようであった。
「…ッチ」
べとつく空気の気持ち悪さに聖は作り笑いをとうとう引っ込めて、忌々しげに舌を打つ。
今まで流麗だった槍捌きが乱雑になるくらいには、元より悪かった機嫌が悪化の一途をたどっていた。
それがいけなかったのか。
振り向きざまに弾いた水矢の対処が遅れ、その跳ねた飛沫を少しばかり浴びてしまった聖の顔が更にしかめっ面になっていく。
眉間に刻まれたシワを見る限り余程嫌だったらしい。
「ちぇ、鋭い奴だし」
「どうも。急所狙いのせいで矢より先に殺気が刺さりますからね」
「成る程。今後の参考にするし」
「おや。お生憎様。そんな機会はもう与えられませんよ」
聖は今まさに次の矢をつがえているだろうまれを視界に入れること無く炎の球をそちらへ打ち込むと、僅かによろめいた体を立て直しながら服の袖でぐいっと浴びた水を拭う。
ほぼ乾いていたが気分的に。
顔のパーツがキレイ系かつ整っているだけに、その男らしい姿には中々の違和感が付きまとった。
縦横無尽に飛び交うたくさんの水棘と、合間に飛んでくる一撃必殺の矢。
間合いを詰める隙も大規模な能力を練る暇も与えられない中、聖は戦いの最中に得られた情報から少しづつ打つ手を組み立てていく。
ここで焦ったり面倒になって下手にアクションを起こしたりしない辺り、聖は他の同期達や能力者とは思考回路が違っていた。
これが某親友や某色狂いの友人なら周辺を更地にする勢いで暴れる。間違い無く他のメンバーは巻き込まれて死ぬか、良くて重体だろう。
某見た目詐欺な友人は傷も致命傷も己の死すら恐れず直線で突っ込んでいく。他への被害は少ないが本人が危ないのは確かである。
それを思えば、しかと周囲の状況を考えながら相手の技や力を観察分析する聖や某先輩がどれ程地球環境や味方、ついでに敵に対して優しいことか。
しかし悲しいかな。その落ち着きというか冷静な判断力は能力者の社会では非常に貧乏くじでしかない。
何せ周りの大多数がフリーダムなのだから、比較的に理知的な彼らに尻拭いが向くのは必然であった。
閑話休題。
考える、というならまれも同じく。
木の上という視野の広さを生かしながら戦局を見ていた彼女は、襲い来る白炎のヘビを少しずつ水矢と水棘で削りながら聖を見下ろす。
水が地面でびしゃびしゃと跳ねる度にどことなく嫌そうな顔をしているのは気付いていた。
首をもたげていた疑問は、先程の顔に飛沫を浴びた時の様子から疑問は確信に変わる。
「考え事とは余裕ですね」
「…っ!?あづっ!!!」
どうやら思考に集中しすぎていたらしい。
彼女は足元の枝にぶつかって爆ぜた炎の球を避けきれずにバランスを崩し、今までいた木の上からぐらりとよろめいて落ちた。
「…ちっ」
しかし、まれは空中でまたしても猫のようにくるりと体勢を立て直すと、ぬかるんだ地面の泥を跳ね上げながらも見事に着地してみせる。
ただし片足の脛には酷い火傷を負っており、痛みと怒りをむき出しにした顔は大層歪んでいたが。
集中が切れたのか、はたまた別の要因か。
場を飛び回っていた水棘が急にピタリと動きを止め、ただの水に戻って今度こそ本物の雨のようにざぁと地に降り落ちていった。
「…なんです?いきなり」
聖自身は自分の頭上に炎柱を一度吹き上げ水を蒸発させたために濡れ鼠にはならずに済んだものの、周辺はそうもいかない。
元より昨夜の雨で良い状態とは言えない地面だったが、今は更に悪化して雨上がり直後のように水溜まりが前後左右大なり小なり好き勝手に生まれ、車や自転車が走ればタイヤが埋まるだろう程に足場も悪い。
さて、相手の動きが止まった今が好機…と、思わないでもない。
しかしあれだけの手数を用いて攻めを一途に興じてきたいうのに、突然今になって次の行動に移らず空白を作るまれを聖は当然のように怪しんだ。
とはいえ何もしないでお見合いをするつもりは更々なかったため、怪しみながらも様子見がてら炎の球を数発打ち込む。…と、まれの口元が待ってましたとつり上げられたのである。
「やっぱり。頭の回る奴だからこそ、動かないし」
「…!まさか!?」
聖が行動を起こすより、現状を見越していたまれの方が早かった。
彼の背後。
地面に寝そべっていた水溜まりからタコの足に似た触手状の何かが飛びだし、浮かせかけていた聖の左足にぐるりと巻き付いたのである。
能力の気配は感じ取れなかった。
だからこそ聖の反応が遅れたのだが。
この状況を狙ったということは、どうやらまれの行動はあえて聖を移動させないためのブラフだったらしい。
それに気付いて聖は忌々しげに口を歪めながら、すぐさま槍でソレを振り払う。
しかし丁度服と靴の隙間から水が入ってしまったのか、彼の足は防水加工のスーツをすり抜けてぐっしょりと濡れてしまっていた。
「…っく!」
次の瞬間聖の足は力でも抜けたかのようにかくりと折れ、泥の中に片膝をつく。
それを見てまれはにんまりと不敵に笑った。
「やっぱりだし」
彼女が再び弓と矢を手にしたのを見て、聖はすぐさま転がるようにしてその場から離れる。
その判断は正解であった。
的確に顔…いや、目があっただろう位置を通っていく矢を横目に、聖は水溜まりを全て焼き払ってしまおうと地面に炎をめぐらせる。
…が、一体どんなトリックか水溜まりだったものはすべて炎を避けるように空中へ飛びだし、大きな水玉となってふよりと漂っているではないか。
宇宙空間さながらの様子に聖はようやく合点がいき、唸るようにして呟いた。
「まさか…『水操作』ですか…!」
「正解だし。でも今更遅いし」
ぱちんとまれが水弓の弦を弾く。
すると浮かんでいた水玉からロープ状の水があちらこちらへ伸ばされ、聖の逃げ道を塞ぎながらいくつかが彼に襲いかかった。
相変わらず能力特有の気の流れというか気配のようなものは感じられず、元より体術的なセンスに欠ける聖は完全に目視による対応を余儀なくされる事になる。
槍で弾けど炎で消せど、水玉が次へ次へと無尽蔵に水縄を吐き出して前後左右から容赦なく襲いかかるのだ。
すべてを捌ききるというにはやはり…目だけでは限度があった。
「そこ!とったし…!」
「…っぐ!?」
とうとう処理しきれなかった一本が槍を持つ聖の左腕に巻き付きぎちりと締め付ける。
骨がきしみそうな程強い力ではあるが、その痛みより聖が気にしたのはじんわりと防水加工を浸透してくる水の方だった。
いくら防水といえども限度があり、それこそ縫い目の合間まではカバーしきれないのだ。
彼は小さく舌打ちを一つこぼすと、完全に水が浸みる前になんと自分の腕ごと炎で焼き払う。
確かに『炎』の能力者が己の炎で焼けたり火傷を負うことは無いが、あまりの思いきりの良さにまれは引いた。
とはいえ、自身は火傷しなくとも服は普通に焦げる。当たり前である。
能力上耐火処理もきちんとされてはいたが、さすがに通常よりはるかに温度の高い白炎を直接くらうには足りなかったようだ。
かろうじて形は保っているものの防水加工は完全に消えているだろう焦げスーツは、おそらく次の浸水は防げない。
いつしか聖は完全に防戦一方となってしまった。
それを高みの見物といった体で眺めていたまれは気を良くしたのか、得意気に鼻を鳴らしながら口を開く。
「冥土の土産がてら教えてやるし。私の能力は察しの通り『水操作』。『水』じゃないんだし。だからこそ雨上がりな今日のコンディションで負ける気はしないんだし」
「えぇ、そうでしょう、ね!…っ、ふ!さすがに驚きましたよ。はっ!…まさか、そんな珍しい能力者にお目にかかるとは…!」
迫る水のロープを、未だ力が入りにくいらしい片足を引き摺りながらも弾き、払い、『炎』で打ち落とし、焼き…聖は上がりそうな息を耐えながらそう声を荒げた。
『水』と『水操作』。
二つの能力は名こそ似ているが明確な違いを持つ。
『水』と呼ばれる能力は聖の『炎』と同じく能力をその性質へと転換させるもの。つまり能力そのものが水になる。
このタイプはほぼ確実に独立型。一撃の威力そのものは高いし使用する場所も選ばないが制御に難があり、能力消費を考えるとあまり広範囲をカバーするには適さない。
対して『水操作』はまず前提が違う。
こちらは能力が水に変わるのではなく、能力で水を操る力なのだ。
この能力は100%結界型。
自身の能力を張り巡らせたフィールドに水がある限り、それこそ自分の体の一部のように自在に操ることが出来る。
動かすのは勿論形を変えることだって粘土細工より簡単に行えるのが強みだ。
しかし強力故に欠点もある。
まずは威力の弱さ。これは結界型全てに言えることだが、独立型の威力には到底届かない。
対人と考えるならまぁそこそこな威力だが、怪異戦を想定するならかなり弱いと言えた。
とりあえず、単騎でやるなら長期戦になる覚悟が必要だ。
そしてもう一つの欠点は…欠点と呼べるか微妙だが、"操作"系はとにかく能力者の数が少ない。
少なくとも『学園』の管轄にはここ数十年は現れておらず、それこそ文献にあるだけの希少な能力だった。
同じ系統の『炎操作』や『風操作』もまた希少ではあるものの、こちらは一応現役の使い手が国内外に存在している。それでも一人か二人だが。
そんな希少な能力だからこそ頭から除外してはいたが、まれの能力が『水操作』であるならば成る程隙が無いと感じて当たり前だと聖は内心で納得した。
ついでに水が動く際に能力の気配を感じないのも同じく。
なにせ、初めから聖はまれの能力に満たされたフィールドに立たされていたのだから。
飽和状態のそこはすべてか彼女のテリトリー。故に隙が感じられないのは当然であり、水に水を混ぜても分からないのと同じで能力の動きも読めなかったという訳だ。
まんまと誘い込まれていた失態に臍を噛む暇も無く、疲弊の色をみせた一瞬の隙を突かれて再び水縄が聖の腕に巻き付いた。
それも、先程焦げて使い物にならなくなった服の方…左腕に。
「しまっ…!?くっ!!」
水はあっという間に浸透し、運動と己の能力で熱を持っていた彼の肌をしっとりと冷やしていく。
瞬間、足の時と同じように聖の腕からふっと力が抜け、持っていた槍をてらてらとした泥の上に落としてしまった。
抵抗の要であった武器を失えば後はもう坂道を転がるようなもの。
能力で対処をするより先に右足左足右腕果ては胴体に次々と巻き付かれた聖は、とうとうガクリと倒れ込んでしまった。
「『学園』の炎の能力者は制約持ち。知ってはいたけど…まさかお前だったとは、ついてるし」
「…ちっ」
まれは、というより後ろ暗い界隈では良く知られた話ではあるが、とにかく『学園』に籍を置く数人の『炎』の能力者…その中に、"水に触れると力が抜ける"という重い制約持ちがいることを事前に知っていたのである。
まさか一ノ世久夜と名を並べる実力者である聖がそうとは思わなかったが、彼の様子を見れば掌を指すが如く明白だった。
起き上がろうと腕に力を入れた聖の背に一本の矢が放たれ、ぱっと赤が舞う。
それに続くように手、足、肩、腿…
ろくに抵抗出来ない彼に対して、ここに来てわざと急所を外しながら矢を射る彼女は酒にでも酔ったような陶酔と恍惚の表情を浮かべていた。
意地なのだろう。聖は悲鳴を上げないようにしているが、矢が刺さる度にびくりと体は跳ね、じわじわとスーツからでも分かるくらいに赤い染みを体中に広げていく。
「あぁ…!私、強いし。私ってやっぱ強いし。私は優秀、私は上位、私は凄い…!」
「っふふ…随分、大きな口を、叩くものですね」
「はぁ?今良い気分なんだから、まんまと罠にはまった奴は黙ってろし。むしろ悲鳴をあげろし」
「…罠、ね。用意周到だった、ようで。制約まで調べて…」
「制約は偶然だし。でも、お前が私の相手になった事は偶然じゃないし」
曰く、まれ達三人は聖達がロッジに訪れた時から森に潜んで様子を窺っており、やって来たのが誰であるのかをチェックしていたらしい。
「お前や七尾晴樹、東雲四葉は有名だし。もし戦う事になった時に備えて、事前に有利を取れる奴に割り振られてたんだし。つまり、お前の相手は初めから私に決まってたし」
彼女はまた一本、矢を聖の背中へ打ち込む。
悔しくて声も出ないのか、それとも気力が尽きてしまったのか…
俯いてほとんど反応を示さなくなった彼をつまらなそうに見下ろし、しかし瞬きの間にその表情はガラリと色を変えた。
浮かぶは愉悦。優越感に溺れたように顔を蕩けさせたまれは、小柄な発展途上の体躯からは想像出来ないような高級な酒に似た背徳の色香を醸し出す。
豊満な体さえあれば、誰もが夜の蝶を連想したことだろう。
「一ノ世久夜と名を並べる実力者…って聞いたから期待してたのに、残念だし。相性悪くて御愁傷様だし」
彼女は聖が自分より格上だと知っている。
だからこそ、その格上が不様に泥をつけている事に堪らなく興奮し、自分が満たされていくのを感じていた。
しかし、人は満たされると貪欲に次を求めたがる。
膨れ上がった承認欲は、更に自分が優れている事を見せつけたいと彼女を突き動かしたのである。
「私の凄さ、冥土の土産にするし。光栄に思うし」
格上たる聖に、一応は尊敬している組織の長に、凄い、まいった、よくやった…そう思われたいと求める少女はその言葉を森に響かせた。
「瞳色反転『一撃必殺』」
くるりと彼女の瞳と瞳孔の色が入れ替わり、同時に周囲に満ちていた彼女の能力が霧散する。
浮いていた水玉も聖を拘束していた水縄もその形を失って地面や彼の上に降り注いだ。
何が起きたのかといえば、まれが展開していたフィールドが壊れたのである。
勿論それはわざとであり、彼女の瞳色反転には必要無い為余計な消費を削った結果だ。
まれが能力を手元に集中させる。すると驚くことにその能力は水に変わり、彼女の身長をゆうに越す巨大な弓と矢を形作ったではないか。
「私の瞳色反転は独立型への転換だし。パワー重視ってやつだし」
そう、これこそ彼女の瞳色反転。
『一撃必殺』は結界型の欠点たる"一撃の弱さ"を克服すべく作り上げられた、一時的に独立型の…つまりは『水』の能力に似た力を手に入れるものである。
その一撃はビル二棟程度なら豆腐のように貫通してみせる威力となり、まさに一撃必殺の名にふさわしい技なのだ。
呼吸の弱まっている聖へと狙いをつけ、まれは空いた両手で弓に矢をつがえるようなパントマイムを始めた。
するとその動きに連動するように巨大な弓矢がひとりでに動き、弓に矢がつがえられて水製の弦がキリキリと音を立てる。
やがて矢先がひたりと聖を捕らえ…
「これで終わりだし。…吹っ飛べ」
「はぁ…馬鹿馬鹿しい」
まれが矢から手を離す動作をしたのと聖が呟いたのは同時。
そして、聖の周りに青い炎が渦を巻いたのは矢が放たれたのと同時であった。
一瞬だ。
ただの一瞬にしてその炎は周囲の空気を焼き付くし、草木など火が着くより先に炭化して崩れ去る。
当然、聖を射殺さんと飛来した水の矢など炎に触れるより先に蒸発し、それだけでなく辺り一帯の水分を消し去った。
その、あまりにも暴力的な力の中心で聖は一人…平然と立っている。
熱風に喉を焼かれたまれが涙目で咳き込みながらその姿を視界に写し、驚愕に目を見開いて体を硬直させた。
そんな、バカな、とわなわな震える唇を一度ぎゅっと噛みしめ、咳の勢いに乗せるようにして彼女は叫ぶ。
「こほっ!…っ、な、なんでまだこんな力…!けほけほ!なんで、動けるし!だって…お前は…!げほ!」
「なんで、なんで、とうるさいですね。勝利を確信して油断するのは三流ですが、間違った情報を信じて目を曇らせるなど論外です。まったく愚かしい」
「間、違った…?こほっ!」
水分を失い頬でカサカサになった泥の跡を拭き取り、聖は対峙し始めのようにキラキラしたしかし胡散臭い作り笑顔を彼女へ向けた。
細めた目には侮蔑を、口元には嘲りを携えて真実を一つ口にする
「生憎、僕に制約はありません」
「…は?」
「騙されてくれてありがとうございました」
優雅に一礼をしてみせたその姿は王子然としていて、けれどもまれにはどこまでも狡猾な悪魔にしか見えなかった。
彼はまれのテリトリーに入ったその瞬間に何らかの能力の気配には気付いていたのだが、後でどうとでもなると自ら敵地のど真ん中まで進み出たのである。
しかし彼女の能力についてはさすがに予想外であり、隙が見当たらなかったことも本当の事だった。
だから聖は考えたのだ。
隙がないならつくってしまえ、と。
「貴女に限らず勝利を目の前にすると人は気が緩みますからね。弱みでも見せて乗らせてみたら…案の定あっさり釣れました」
「う、そ…嘘!?そんな、嘘だ!!」
「やれやれ、現実を見てくださいよ。久夜じゃありませんが…はー面倒くさ、ですね」
跳ねる水に顔をしかめたのも、水がかかって嫌がってみせたのも、水に触れて力が抜けたように振る舞ったのも…
すべてがすべて、ちりばめられた聖の演技。
服を焦がした事すらそこに攻撃を誘導させるために過ぎず、本来彼の『炎』はわざと指定しない限り能力者本人が身に付ける衣服も燃やさない。
そう、全部が隙を…否、今の状況を作り上げるための寸劇でしかなかった。恐ろしい話である。
「なら、なら!!その怪我は!?いくら私が急所を外していても、あれだけ矢を受けて無事なんて…!」
「あぁ、それですか。僕ね、貴女が思うよりずっと華奢なんですよね。とこぞの骨と皮しかなさそうな司書さんよりも細くて…元より脂肪や筋肉がつかない体質らしくて」
「…は?何だし、その全世界の女子を敵に回す体質…じゃなくて!それがなんだって言うんだし!」
青い炎によってカラカラに乾燥した空気の中に、やや掠れたまれの声が響く。
ひょい、と肩をすくめた聖は手慣れたようにスーツのボタンを外し、ペロリとめくってみせた。
そこにはベスト…ではなく、分厚い、警察の機動隊が着けているものに遜色ないくらい立派な防護服がきっちり着込まれているではないか。
その厚さを考えたら結界型の放った矢など貫通するとも思えず、更ににいえば血はただの仕込まれた血糊だと言うのだからたちが悪い。
「ついでに、シャツの下にはこれより薄くはありますが腕までカバー出来るタイプの特注品を着てますし、足も同様です」
「な…なんで、それで動けるし」
「慣れですね」
ふざけるなと言いたくなるまれの気持ちはもっともだが、聖は至極まじめに答えている。
普通なら重いだけでなく非常に動き難くてやってられないだろうが、彼はコレを日常でも常に身につけながら生活も訓練もしているのだ。
それを学生時代から続けていれば嫌でも慣れるだろう。
元々俊敏に動き回るタイプでもないので然したる問題にはならない。
尚、身につけ始めたきっかけが"見栄"であることは同期のみが知る秘密である。
"顔はプリンスだが体はプリンセスが心配するくらい細いね"とか、"オレサマこんな枝みたいなオス初めて見たのヨ"とか、ストレートに"ぶはっ!あっはははは!ほっっっっそ!!"とか散々な事を日々言われ、さすがに冷静な聖でもプッツンした結果たまたま覗いた通販サイトのミリタリー特集で防弾ベストをポチしたのが始まりだった。
それがエスカレートし、実用性を兼ね備えて今に至る。
「僕、怪我したくないんですよ。治療で体を見せたくないので」
「……」
「勿論、剥き出しの頭や首を狙われたらアクションを起こすつもりではありましたが、貴女は随分己の優位に酔っていたようで…わざと急所を外していただいてありがとうございました」
もはやまれは絶句する他なかった。
自分がすべての主導権を握っていたはずだったのに、蓋を開けてみれば勘違いも甚だしい。
ゲージに入れられて観察されていたラットは自分の方だったのだ。
しかも彼女のように事前にじっくり勝ち方を考えたのではなく、戦いの最中に策を組み上げたと言うのだから、その実力差は押して知るべし。
反撃したくとも周辺の水分を悉く奪われた今、まれの能力にはまともに攻撃する手段は残されておらず、瞳色反転にしても連発出来る技ではない。完全に手詰まりだった。
「なんだし…レベル差ありすぎだし…あいつめ、私なら勝てるとか嘘だったし…こんなん無理ゲーだし…」
戦意を喪失し、彼女は炭になった木に寄りかかってずるずると腰を落とす。
そして未だに聖の周りでうねる青い炎を睨み付け、次いで非難がましい目を彼本人へ向けた。
「最初からソレ出せばすぐ終わったのに、どうしてそうしなかったし」
「まじめな理由としてはここが森だから、ですね。どっかのアホノ世と違って山を丸裸にするのは憚られまして…僕の能力はとりわけコントロールが難しい暴れん坊なんです。『青炎』は特に」
山火事を起こさず、かつ彼女にダメージは与えても殺してしまわない程度となると相当規模を絞る必要があり、だからこそ能力を練る隙が必要だったのである。
さすがの聖でも一瞬でそこまで繊細なコントロールは不可能なのだ。
実のところ戦闘中使っていた通常の『炎』も緻密に威力が計算されていたのだが…それは当人のみぞ知る超人技だった。
「ほら自然は大事にしないとでしょう?…そうしないと報告書が面倒なんですよ。ペナルティもくらいますし。だから僕、森は嫌いですね」
「最初良いこと言うのかと思ったら、ただのクズだったし。…で?まじめじゃない理由は何なんだし」
どうせ逃げられやしないと開き直ったまれは、自分がここまで心身を打ちのめされるハメになった理由を問う。
これは彼女の勘だったが、上げて落とすという悪辣な策の根元には合理性とは別の何かが見えたのだ。
聖は炎をゆらゆら弄びながらお手本のような笑顔…ではなく、真顔で口を開く。
「ムカついたからです」
「…は?」
それは単純でありながら、しかし聖にはあまり結び付かない動機。少なくとも、一戦交えたまれはそう思った。
「そんなに…学生思いとは思わなかったし。意外だし」
「…っんふふ」
彼女の呟きに見当違いだと笑うものの、訂正などしない。
聖自身、己の感情に少しばかり戸惑っているのだ。
学生が、仲間が無惨に殺された怒りは勿論持ち得ている。
目の前に仇がいるのなら討ちとってやろうと思う程度には人間の心を捨てていないのだ。
しかしながら彼は…いや、彼の世代は特に仲間を失う経験が多過ぎて麻痺もしている自覚がある。
久夜は逆に敏感になってしまった側ではあるが。
そんな彼がいつにも増して苛立った理由は…
「…"こちら"であんな顔をされたのは、いえ、させられたのは…酷く不愉快です」
「え…?」
「なんでもありません。さて、いい加減捕縛させていただきますが…僕は女性に触りたくないので自分でやってくれます?」
「お前…本当にクズだし。頭とち狂ってるし」
脳裏に浮かんだのは先程見た栞里の顔。
初日に見せられた地獄の中で泣き叫んでいたのと同じ顔。
けれど聖は、そっと己に蓋をして隠したのであった。




