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11-2


「二年生、まだ来ませんね。ね?」


ピッピィと外から聞こえたウォーミングアップ終了の合図を聞きながら、私は四葉さんからの許しを得て正座を崩す。

ロッジに掛かるアナログの時計を見れば、長針と短針が指し示す時刻は朝食からかれこれ一時間以上は経っているらしかった。


同時に私の正座も同じ時間経過しているわけで、どうりで足がビリビリに痺れている筈だ。

早いと言うなかれ。『ソノヒ』以降瓦礫を旅する生活だった私にとって、きちっと長時間正座するなんて数年ぶりなのだから。

まぁ元々得意ではなかったのも一因だけど。


そも、この正座の罰は説教を終えてから二年生が合流するまでという予定だったのだけど…四葉さん曰く、七尾さんの予想では三十分程度で終わる筈だったらしい。

大幅なオーバーというか倍になってしまったのね。

そのため、もういいだろうとお許しが出た次第である。ありがたい。


ちなみに一緒に説教を共にした至くんは頭蓋骨陥没を本気で心配するくらいのげんこつを一撃くらい、三分間程床とキッスをしていた。

思わずその屍に手を合わせたよね。強く生きて。

七尾さんの容赦の無さもビックリではあるが、アレを食らって無事である至くんも中々恐ろしい。

私なら放送事故状態でモザイク必須な惨事になるぞ。

人体の神秘かな?


「…う"」

「ほほほ、ゆっくりで良いのですよ。よ?」

痺れた足に呻き声をあげると、四葉さんが手で隠した口の中でコロコロと笑みを転がした。

良家だと聞く彼の家では正座なんて日常だろうし、この醜態は珍しいのかもしれない。


それにしても、こうも痺れると足がきちんと床を踏めているかすら怪しいものだ。

うっかりしたら転びそうだし、最悪変な角度で足をついてとんでもない捻り方をするんだよね…尚、経験談である。


壁につく手を支えにして生まれたての小鹿のようにふらふら立ち上がりつつ外を見やる。

木枠に嵌め込まれたガラスの向こうでは、既に汗だくの二菜ちゃんと至くんが木陰で身を涼めながら小休止をとっているのが見えた。


…確かに、見える範囲にあの元気っ子達の気配はないね。


そうっとそうっと痺れを散らしながら玄関に向けて歩いていると、目的地の扉がガチャリと開いて七尾さんが顔を出す。

「四葉さん、ありがとうございました。綴戯、すまなかったな。ここまで長引かせるつもりはなかったんだが…」

「いえ!ちゃんと罪に応じた罰ですよ。私はそう思ってますから、気にしないで下さい」

「そうか…。しかし、自分達から提案しておいて遅刻とは…ったくよォ」


若干ガラが悪くなりつつ腕を組む彼に続くように外へ出た私は、端末とにらめっこを始めた二人のもとへゆっくりと歩を進めた。

ゆっくりだよ、ゆっくり。


「…あ!お姉さーん!」

「二菜ちゃん、至くん。ウォーミングアップお疲れ様」

「えへへー!ありがとうございます!なんか疲れが吹っ飛びました!」

「熊ヶ峰と同意見です綴戯さんの言葉で一気に回復しますっていうかそちらは今までずっと正座だったんですよね足は大丈夫ですかどうですか」

「あはは…まだ少し痺れてるよ。でもそのうち治るから大丈夫」

そう言って心配そうに足をチラチラと見る至くんを安心させるように微笑む。

正直、罰というには可愛すぎるくらいだからそんな顔しないでほしいかな。なんとなくいたたまれない。

そこでふと、特に意味があったわけでもなく二人が見ている端末に視線を落とした。


「そうだ!あの、お姉さん!これ見てくださいよぅ!」

私の視線に気付いたのか、二菜ちゃんが画面を皆に見せるための空間表示モードに切り変える。

フォン、と軽い起動音が鳴った。直後端末のすぐ上に表れた画面に映っているのは、どうやらメッセージアプリのやり取りらしい。

持ち主の許可もあることだし、私は二人の側にしゃがみながら遠慮なく桜色の爪に示された青い画面を目でなぞった。


二年生三人組、二菜ちゃん、至くんの五人で登録されているグループでは、学生らしい勉学の話から他愛ないだらだらした会話、クスリとしてしまうやりとり、ありがちなスタンプの応酬等が飛び交っている。

私も昔お世話になったアプリだからか、その画面に懐かしさが込み上げてくるね。


いやしかし、皆反応早いな??一分のうちに詰め込まれた会話量を考えると…ほとんど秒で返してない?

自分の端末捌きが遅いとは思っていないけど、周りが早すぎたせいか私は文字を打っている間に置いていかれるタイプだった。

たぶん二菜ちゃん達のグループに入っても同じ轍を踏む。そのくらい皆も早い。


だからこそ、テンポの早いやりとりが今日になって滞っている事実が…嫌に目についた。

今日の日付、朝食の頃だろう時間にもうすぐあちらの合宿所を出る由の書き込みとそれに追従するスタンプが三人から投稿されている。


しかしその後二菜ちゃん達が了解を示した後から三人の気配はなく、時間を置いて送られたまだ来ないのか?と尋ねる文だけがポツリと取り残されたまま…未だ返信は来ていなかった。

既読すらもついていない。


「端末を見てないのかな…?」

移動中というならあり得ない話ではないだろう。

こんな森で余所見なんてして走ったら木にぶつかってしまうだろうから。


けど…そうだとしたら既にこちらへ到着していてもおかしくない筈だ。

あの三人なら遅く見積もっても二十分あれば着くそうだから…いや、私としてはそんな短時間で隣の山から来れるとかそもそも現実味が無いけどね。


「むむむ、こんなの珍し過ぎます!誰か一人の既読すら付かないなんて本当に変です!」

「瀬切は元々微妙ですけどマオはチェックだけでも直ぐにするタイプですし門倉に関しては特に暇さえあれば弄るくらいには端末依存症気味なので気付くと思うんですけど」

この全員集合のグループだけでなく三人それぞれの個人宛にもメッセージを送っているらしいが、結果は同じだった。


私は自分の端末を持っていないしアプリでやりとりを交わしたことがないから、三人のメッセージ事情は分からない。

それでも、二人の話を聞く限り確かにおかしいらしいと違和感を感じることは出来た。


背中に氷でも入れられたような、痛いくらいの寒気が襲う。

私は今まで無視しようとしていたこの気味悪さに突き動かされるように立ち上がり、七尾さん達の方へ足を向けた。


彼らも難しい顔をしながら端末を弄っているあたり、マオちゃん達か担任の槝木にでもコンタクトを取ろうとしているのだろう。

見たところ結果は芳しくないようだけど。


「どうですか、七尾先輩」

「ダメだな。通話も全く繋がらない。まぁ、元々槝木はこちらを無視してくることがままあるが…」

相変わらずガキみたいだ。使えない大人め。

内心であの嫌みたらしい顔に唾を吐き捨てながら、私はざわざわと落ち着かない胸中を抑えようと胸の前で両手を握りしめ、深呼吸を繰り返した。


「あの、様子を見に行ったりは…しない、ですか?」

「それで入れ違いになったら面倒でしょう」

三神の言うこともよく分かる。

待ち合わせですれ違いを起こすのは確かに面倒この上ないのだ。

遅刻常習犯の親友を持っていた私には身に覚えのある話である。

特にどちらかが端末を忘れて連絡がつかない時なんて全然合流出来なくて、漸く出会えた時にはお互い疲労困憊だったっけ。


でも、と私は引かずに続ける。

「二菜ちゃんと至くんも三人と連絡が取れないみたい。全員ダメなんておかしいし、その、心配は勿論なんだけど気持ち悪い、というか…えっと」


上手く言い表せない事にもどかしさを感じながら両手に込める力を強くする。

この、底の見えない暗い沼に少しずつ沈んでいくような焦燥と恐怖と気味悪さがない交ぜになった感覚が伝わってほしいのに…語彙力が足りなかった。


と、そんな私をじっと見つめていた四葉さんが一つ頷いて口を開く。

「…ここで額をつき合わせていても時間の無駄であるのは確かでございましょう。しょう?ならばもう皆で行ってみるのが手っ取り早いですよ。よ?」

「…ふむ。そう、ですね。また槝木が何かやらかしていないとも限らない。道すがら会えればそれでよし。トラブルで足止めでもされていたなら、奴らを拾ってそのままあちらの訓練場を使えばいいだけだろう」


七尾さんが二菜ちゃん達を召集すべく呼び掛けたのを横目に、汗ばんだ手をもう一度握り直した。

足の痺れはすっかり取れたけど、まだ地に足がきちんと付いてないみたいでふわふわする。

そわそわ落ち着かない私が目につくのか、三神が眉間に軽くシワを寄せながらため息をついた。


「貴女、少し落ち着いてください。というか、体調が悪そうですけど…大丈夫なんですか」

「うっ…ごめん。体調は平気だけど、ただ何か凄く嫌な感じが…うなじにずっと息を吹き掛けられているみたいな気持ち悪さがあるんだよね」

「例えが生々しいです。ね?」


本調子とは言えないし邪魔になりそうなら留守番でも良いとは思っていたけれど、七尾さんは一緒の方が都合がいいと言う。

目の届く所にいてくれないと困る、との事だが…監視目的と言うより心配されている為らしいのは表情を見れば明らかだった。

昨日の怪異で彼の保護者的な何かを刺激してしまったらしい。

絶対連れていくと意思を宿した目力がすごかったよね。


「…まぁ一人で変に動かれるよりはましですかね」

「ほほほ、綴戯さんならあの子達が心配なあまり森に突入しそうですもの。ね?」

「皆の中で私って何歳なんでしょうか??」

皆は納得したようだけれど私は色々納得いかないまま、二年生の合宿所に全員でお邪魔する事に決定した。


「熊ヶ峰、九重は遅れるなよ」

「「はい!」」

「では、向かうぞ」


ロッジの敷地に短いやり取りだけを残して、私達は森の中へ足を踏み入れる。


周囲の景色がびゅんびゅんと飛んでいき、うっかりしていたら目が回りそうではあるけれど…体幹が怪物レベルなのか七尾さんの背中は全く揺れを感じさせないファーストクラスであった。


そう、私は七尾さんの広い背に身を預けている。

自力はそもそも不可能というか選択肢にすら上がらず、どう私を運搬するかという話に彼が少しも悩まず出した答えがこれである。圧倒的パパ力。


提案されたら全力拒否する所存ではあるが、こういうシチュエーションの定番はお姫様抱っこではないのだろうか。

いや、腕にお尻を乗せるいわゆる子供抱きじゃ無かっただけましだと思うべきだね。うん。

そんな風に考えて気を紛らわせながら、私は七尾さんのシャツを握り締めてくしゃりとシワを作る。


どうか、何事もありませんように。なんて。

そう願ってしまう時点で私は、きっと自分にも見えないような心の奥底で何かを感じ取っていたのだろうけれど。


蟬時雨の降りやまぬ深い深い森。

時短のためだと遊歩道から外れた獣道にすらなっていない茂みの道中は鬱蒼としており、枝葉の隙間から見える空は青く光っているのに地上は不思議なくらいに暗い。


見知らぬ怪物ように、森はただそこに在った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


目的地へ辿り着く為に要した時間は恐らく十分にも満たない。

その事実に私一人だけが驚愕していた。

隣とは言え連山で森続きだから、足があれば辿り着けるのは確かにそうだけど…距離的にはだいぶある筈だぞ?

途中にワープゲートがあったと言われた方がまだ納得できた。


これで息の一つも切れていないのだから能力者の身体能力が未知数過ぎるよね。

もはや能力を抜きにしても一般人に勝ち目はないのではと思えてくる。


ゆっくりと屈んだ七尾さんに降ろしてもらい地に足ついた私は、私達が泊まっている合宿所と造りのさほど変わらないロッジを見上げた。


こちらを囲う森からは相変わらずセミ達の命がジイジイ、ミンミンと響いている筈なのに、何故かこの空間だけはぽっかりと隔離でもされているみたいに音が遠い気がして…否、足を踏み入れた途端に"遠退いた"気がして首をかしげる。


気圧で耳がおかしくなったのだろうか。

そりゃ、山だからあり得なくもないけれど…


「…っ!」

私の思考を中断させるように強めの風が吹く。

ざぁざぁとざわめく木々からは何故か歓迎されていない気配を感じ、そのうすら寒さに真夏の太陽の下で七分丈の袖から出た腕を擦った。

音の事といい、ここは森から拒絶されてるみたいな場所だ。なんて


「…静かですね。人の気配がありませんし、やはり入れ違いにでもなりましたか」

「それにしたって静か過ぎるような気がします。ね?」

「むむむ、至くん!何か聞こえるー?」

「なんだろコレ耳に膜が張ってるような水の中みたいな感じがして上手く聞こえないっていうか出来の悪い断音装置使われてるみたいだね」

「断音装置、だと…?」


一般に断音装置と言うと、機械から半径何メートルかの音を外に出さない為に使用されるものであり、防音室や会議室とかで使われる小規模のものだ。

音の振動を遮断する膜を張るらしいけど、一般人の技術力ではせいぜい一部屋分が限界。

でも確か…能力者側にはかなり広範囲をカバー出来る技術があるとかないとか"あちら"で聞いた気がする。


「至くん至くん、出来が悪いってどういう事?」

「不具合かわざとなのかは知らないけど膜じゃなくて範囲内全部に音の振動抑制が作動してるせいで音を外に出さないっていうか範囲内の音そのものを抑制してるよコレしかも抑制の度合いもわりと低いと思う」

あぁ、成る程。だから音が遠い気がするのか。しかも効果が弱いから違和感程度の認識で済んでいる、と。

音全てとなると使用者にまで影響があるだろうし、その上効果が低いなんて…至くんが出来の悪いと表現するのももっともだね。


「そんな粗悪品、あの研究施設の連中が世に出しますかね」

「どっちにしろ断音装置を作動させているとしたら普通じゃない」

「ほほほ、獣避けで目的で使う者はいますけど。ね?」

辺りを警戒しながら玄関に近付く皆を咄嗟に止めたくなって、伸ばしかけた手を握りこむ。

警鐘鳴り響く頭が扉を開けてはいけない、開けてしまったら…と訴えていたのだ。


伝えるべきか?いやでも、自分でももて余しているこの感覚をなんと伝えればいいのだろう。

ぐるぐると私が思考を散らかしている間にも…といっても実際には僅かな時間であるが、とうとう扉の前まで辿り着いてしまった。

やはりロッジは不自然なくらいシン、と佇んでいて、学芸会に使う張りぼてを想像するくらい無機質だ。


「皆、慎重に…」

「おーい!二年ー!皆いるー?」

七尾さんの忠告が終わるより先に二菜ちゃんが扉へと声を張り上げてしまい、ベシン!と中々の音を立てて至くんに叩かれた。


「馬っ鹿お前本当あり得ないんだけど何の為に警戒してると思ってんの馬鹿」

「ごめんってば!でもほら!やっぱり誰もいないってわかったし、早く確認して合流しようよ!」

叩かれた頭をおさえつつ、皆のため息を背負いながら二菜ちゃんが軽くノブを捻ったその時。


鍵がかかっていなかったという事実より先に脳が認識したのは…酷い臭い。

けどそれに顔をしかめる暇は無かった。

捻っただけで彼女が押しも引きもしなかった扉はどうしてか独りでにこちら側へ開き…どさり、と何かが倒れたのである。


「…ひっ」


血が一気に沸騰したような、はたまた一気に凍りついたような、そんなショックが体を襲った。

私は呼吸も忘れてソレを見る。

ビシャッと跳ねて二菜ちゃんの足を染めた赤黒い水が奥から奥から溢れて水溜まりを広げ、その中に落ちていたのは人の…


人の、胴体。それと…


「…槝、木?」


倒れた拍子に玄関の段差から転がり落ちて、一番後ろにいた私の足元でがらんどうの瞳を虚空に向けた…首。


それは、鮮烈なまでの死だった。


「…っ!!急いで中を確認する!!警戒を決して怠るな!!」

「「はい!!」」

狼狽える私と違い七尾さんは…いや、二菜ちゃんや至くんといった学生すら動揺を抑え込んで前を向く。

その強い背中に、同じく強い目をした三神と四葉さんが迷わず続いた。


残されたのは弱い私。足元の死を見つめたまま自問する。

このまま立ち尽くすのか?、と。

「…ふざけるな」


行きたくないと叫び散らす己を黙らせるようにブツリと唇を噛めば、にじりよっていた"あちら"を見せるノイズもかき消える。

そして、鉛のついたような足を無理矢理動かして私も皆へと続いてロッジへ足を踏み入れた。


血の飛び散った廊下は奥へ進むほどに酷い有り様となり、所々についた傷が争いを物語る。

やがて私達のロッジでは談話ルームに当たる、娯楽室とプレートが掲げられた扉を開けたその瞬間…


「ひっ」


悲鳴をあげたのは果たして誰だっただろう。私か二菜ちゃんか、いや他の誰かだったかもしれない。

どうして外まで漏れてこなかったのか不思議なくらいの血臭が立ち込めるそこは、元々の色など分からないくらいにただただ赤かった。


床や絨毯は当然、壊れた椅子にも割れた丸テーブルにも、ビリヤード台や卓球台、壁もそこに嵌め込まれたダーツマシンにも、天井にすらも飛び散りへばりついた血は人一人分では到底足りないだろうと思う程の量である。


その光景に、まるで"おかえり"と言われた気がして…ぐわんと頭の中が回った。

心のどこかで高をくくっていたのかもしれない。

もう、こんな光景は見なくても済むんじゃないかって。


馬鹿だな私。本当に大馬鹿者だよ。


「マ、オちゃん…瀬切く、ん…?」

「綴戯さん!来てはいけません!!」


響いた四葉さんの声よりもずっと近いところ…私の中の地獄から、忘れるなと私の声がした。


壁に背を預けたマオちゃんは首が半分斬られたままぶら下がっていて、お腹にはぽっかりと大穴が空いている。その空洞からは未だにぴたりぴたりと雨垂れのように血が滴っていた。


瀬切くんはバラバラにされている。

首はマオちゃんの近くに転がっていて、ビリヤード台に足、ダーツマシンの下に胴、そして…カウンターテーブルの上に手。婚約指輪を薬指にはめた、手だ。


なんで、どうして、どうしてこんな、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで…!!


久しぶりに世界がぐちゃぐちゃのノイズにまみれていく。さっきは何とか耐えたけど、これはさすがに無理だよ。

目なんかそらせる筈もないじゃないか。


どうして、なんで、なんでこの子達は、こんな死を迎えなきゃいけなかった?なんで、どうして…っ…ねぇ、どうして!?


同じ言葉に埋め尽くされた思考はカラカラと空転し、この場所がどこなのか現実がどこなのかすら見失っていく。

瓦礫、丸太、テーブル、鉄骨、彼女の死体、彼の死体、誰かの死体、赤、赤、赤…


「嫌だ、嫌だ、どうして、なんで、こんなの、違う、違う、違う?違わない?…あ、れ?」

むせ返る程の血と死の香りが腹の中をつつき回す。吐き気を抑えながら、もはや広がる光景が本物か否か理解ができないくらいに私は混乱していた。

そんな思考の片隅で、酷く平坦な自分の声が呟く。


あぁでも、私は…知っていたじゃないか。

人はあまりにも呆気なく失われることを。

私は"あちら"で痛いほど経験した筈でしょう?


今更ながら理解した。

朝から私が感じていたのは、誰かが撒き散らしていた死を呼ぶ気配だったのだろう。


ふと、瞬きすら忘れてしまった私の視界を覆い隠すように、大きくて暖かい手が包み込んだ。

じんわりとした命の温度に沈みかけていた…いや、離れかけていた何かが繋ぎ止められる。


「綴戯。落ち着いて、ゆっくり息をしろ」

すって、はいて、と声と共に撫でられる背に合わせれば、生臭く抜ける香りに相変わらず吐き気がするものの強ばった体が解けていくのを感じた。


そっか、私呼吸をおかしくしてたのか。

飛びかけた意識を繋ぎ止め前後を忘れていた自分を落ち着かせれば、皆が一様に痛みを堪えるように私を見ていたことに初めて気付く。

こんな状況で皆だって辛いだろうに、私の心配をさせてしまったという事実が不甲斐なくて…申し訳なかった。


「…もう、大丈夫です。七尾さん」

「しかし…」

「このまま部屋から出た方が良いのではありませんか。か?」

言外に見ない方がいいと私を彼女達の死から遠ざけようと提言してくれた四葉さんにゆっくり、しかしきっぱりと首を振ることで応える。


「そんな事をしたら…もう、向き合えません」

ここで逃げるなんてマオちゃん達から逃げるのと同じだ。今それをしたら私は彼女達に合わせる顔を失うし、何より私が私を一生許せなくなる。


深呼吸をして再び私は視界に地獄を写した。

震える足を一歩ずつ踏み出し、マオちゃんの側にしゃがんだ私は無造作に放り出された彼女の手を握る。

もう握り返してはくれないそれはボロボロで、いつも綺麗に整えられていた爪も割れていた。

冷たくて少しだけ硬い手を二度三度と諦め悪く握った後ふっと足から力が抜けて、まだ乾いていない血溜まりにビシャリと座り込む。


薄く開いたままの彼女の瞳は元の色と似ても似つかないくらい濁っていて、もうあのキラキラした光に満たされることは無いのだと如実に語っていた。

私の頭は未だにぐちゃぐちゃで、けれどそんな中で一つだけストンと理解する。


〈〈〈また明日!〉〉〉

あぁ、あの約束が果たされる日は…もう、もう……来ないんだね。


「…っあ……あぁ…っ!あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


今になって漸く、私の心に頭が追い付いた。

ショックで吹き飛んでいた負の感情が溢れて止まらない。

ぼろぼろと大粒の涙と絶叫を世界に溢しながらも、私の能力は勝手にこの絶望を"記録"するのだ。してしまうのだ。

過去は消せないと刻み付けるように。


溢れた水は決して盆には返らない。

それと同じように失った命も返ることはない。

もう私は、この子達と笑えないんだ。

全部全部全部、溢れ落ちてしまったから。


二人の死に顔はどこまでも苦痛を訴えていて、血で汚れた頬には涙の痕が幾線も引かれていた。

余程辛かったんだろう。苦しかったんだろう。痛かったんだろう。

助けてあげられなくてごめん、ごめんね。

咽び泣く喉を通して言葉にならない謝罪を紡ぐ。

この子達のこんな表情は知らないままでいたかった…笑顔だけを"記録"していたかったというのは、我が儘だろうか。


音の鈍る世界はしかし、哀しみを鈍らせてはくれなかったよ。


……


ひとしきり泣き、パンパンに膨れ上がった感情を吐き出した心に少しばかりの隙間が開いた。

おかげで冷静さを取り戻しつつある頭が、ふと疑問を浮かべる。

きょろりと地獄絵図を改めて見渡して…やはりと口を開いた。


「門倉くんは、どこ?」


私がそう呟くと、近くにいた四葉さんが答えるより先にこちらへ駆け寄るパシャパシャとした足音に皆の注意が向く。

つられて目を向ければいつの間に部屋を出ていたのか、周囲の確認に行っていたらしい二菜ちゃんと彼女が跳ね上げる血飛沫を嫌そうに避ける三神が戻って来るところだった。


「うー!ダメです!門倉みつかりません!!」

「代わりに、久夜がつけたらしい護衛の死体はありましたけどね。かなりいたぶられているので見ない方がいいですよ」


一ノ世が付けた人は皆槝木が外してしまったのでは?と思ったけれど…どうやらその人は自主的に戻って来ていて、こっそり付いていたらしい。

それが、その結果が苦痛の果ての死だなんて…やるせないなんて言葉じゃ足りはしないくらいに胸が痛む。


「ああ、それと…かなり強い通信妨害もされています。ここでは応援も呼べませんし、そもそもまともに端末が動きませんね」

「ほほほ、随分計画的ですね。ね?」


そっか、だから…

マオちゃんのポケットからはみ出た端末をそっと抜き取れば、画面の割れたそこには"たすけて"の四文字の上に無情にもエラー表示がされていた。


それにしても、門倉くんが見つからないとはどういう事だろう。

もしかしてと希望を持ってもいいのだろうか。

彼は生きてるかもしれない、と…

そう思ったのは私だけではなかった。


「九重」

「分かってます探します探してますけどその前に…お客人が」

「…!全員下がれ!!」

至くんが何か言い切るより先に、悲しみの表情から戦場の顔へとパチリと切り替えた七尾さんが動く。

それと同時に部屋の一辺が吹っ飛んだ。


外と繋がった視界に舞う砂と、キィンと高い音をたてながら七尾さんの腕で弾けた水飛沫。

私達は皆を庇うように立ち塞がった彼のおかげで無事だったけど…攻撃されたのは明確だ。

つまり彼の向こうには…"敵"がいる。


突然の状況変化に目を白黒させながらも、私の体はマオちゃんの物言わぬ骸を守るように動いていた。

これ以上傷つけるなんて、絶対に許せなかったから。


「…っち!防がれたし」

「奇襲は完璧だったのよん。随分いい"耳"を持ってる奴がいたものだよん」

軽く土を踏む音と共に聞きなれない声が耳朶を打つ。

一番後ろから皆の背の先に目を凝らすと、ぽっかり開いた壁の向こうには逆光とフードで顔は見えないものの、ローブを着た三人組が影のように佇んでいるのが見えた。


そのうち一番小柄な人物の手に握られた弓と矢はどう見たって透き通る水で出来ており、七尾さんの腕に弾かれたものはこれかと理解する。

それと同時にこの三人組が恐らくは能力者であることも。


「援軍か。早すぎる」

「でもま、考えようによっちゃ好都合だよん!Things are loo(運が向いてきた)king up!」

大柄な一人は静かにこちらを睥睨し、細身のもう一人はおちゃらけた様子で体を揺らしてケタケタと笑う。

能力者…のわりにはこちらもあちらも敵意が凄い。


仲間、とは口が裂けても言えそうにない雰囲気に、私は一人驚きを隠せずにいた。

だって…能力者同士は皆仲間なのだと思っていたから。

少数だからそういう意識が強いとずっと思っていたし、少なくとも私の知る能力者は…四恩さんのような一握りの良心を除いて皆"同じ"だった。


"一ノ世久夜"と変わらない破壊者だったもの。


「何者ですか」

「教えると思うのん?『学園(エスクエラ)』の犬ども」

「…あぁ成る程。ご親切にどうも」

うん。仲間じゃない。絶対。

今の僅かな問答を終えた途端に三神から背筋の凍るような殺気が吹き出したからだ。

百歩譲って仲間じゃないにしても、こんな分かりやすく対立する事があるなんて思いもしなかったよ。


けど、普段冷静そうに物事を俯瞰してるアイツがここまで感情をむき出しにして敵だと言っているのだ。

冗談じゃないことくらい私でも分かる。


「テメェらか。コイツらを殺ったのは」

「そうだ」

「…っ!!」

短い肯定にぶわりと血が一気に回り出す。

目の前が真っ赤になりそうなのを必死に抑え込み、ぎりっと奥歯をすり減らした。


「正直困ってたんだよん。学生達ってば()()()()()()()()()()()…結局アタリがココともう一ヶ所だけとか、こっちの予定狂いまくりだよん」

「学生一網打尽計画(仮)とか言いつつ、成果がショボすぎだし」

「他の奴らも居場所を呟いてくれれば楽だったな」

「でも!コイツらは超良い子だよん!合宿場所が変わってなくて助かったよん!」


あぁ、そっか。そうだったんだ。

今になって漸く一ノ世の意図が理解できた。

全学年の急な合宿地の変更なんて突拍子もない事をアイツが強行した理由は別に気まぐれでもなんでもなくて、コイツらみたいな"敵"を警戒していたからだったのか。


耳元に心臓があるんじゃないかと思う程はっきりした拍動を聞きながら、きつく噛み締めていた奥歯を引き剥がしながら声を絞り出す。

「な、んで。…なんで、こんな!」

「なんで、ね。玄関にいた奴は逃げようとしたからだ」

「最低だし。アレはガキに見向きもせず見捨てたし」


玄関の、と聞いて浮かんだのは槝木の死に顔。

死体蹴りをしたいわけじゃないけど、私も二年生の担任だった彼を許せない気持ちでいっぱいだ。

怪異をけしかけてきたのも勿論だけど…


〈合宿場所が変わってなくて助かったよん〉

その言葉から察するに、マオちゃん達は槝木のつまらない意地だか対抗心だかに巻き込まれて命を落としたようなものじゃないか。


死なんて生温いと思うくらいに私は憤っているけど、ぶつける先のない虚しさに歯噛みした。

もし槝木が一ノ世に従ってくれていたら、なんてたらればがよぎり、私はきつく目を閉じる。


知っているだろう綴戯栞里。ソレは意味のない思考だ。

悔やんでも怒ってもどうしたって二人が戻ることはない。だからそれは後だ。

私が今考えべきは…


「…聞こえた」

小さな呟きに、私含めた学園側全員がピクリと体を揺らして顔つきを僅かにだが変えた。


「で、そこらに転がってる学生共は、仲間になるのを断ったから仕方なくだし」

「そーそー!こっちも嫌だったんだよん?でも皆反抗的でさぁ…直ぐに首を縦に振ってくれればあんな痛い思いをする事も、死ぬこともなかったのん」

やれやれと肩をすくめたローブの言葉が理解が出来ない。何を言ってるんだ…?

仲間にならなかったから?そんな勝手な理由で彼女達は殺されたと言うのか。

こんな酷い仕打ちを受けたと言うのか…!


「強情だった」

「馬鹿だし。死か服従かわざわざ選ばせてやったのに。命より大切なものとかあるわけないし。愚か者ってやつだし」

「そ!自業自得!死ぬって運命を選んだのは、他ならないソイツらなんだよん。賢くない話だよん」


心が痛くて、苦しくて、何より理不尽への怒りがごぽりとマグマの如く腹底に溜まり、火山が噴火する直前のようにジリジリとそれが押し上げてくるようだった。


「ふざけるなよ…っ!」

これ以上マオちゃんや瀬切くんが軽んじられるのは許せない。

今にも飛びかかって畜生以下の薄汚れた口を縫い付けてやりたいけれど、私にそんな力はないのだ。

それが…一番に腹立たしい。


「んー?何怒ってるんだよん?まぁいいや。で、オマエらはどうするのん?勿論ウチの仲間になってくれるよねん?」

「断るなら同じ目にあってもらうだけだ」

「元々『学園』の戦力を削ぎたいだけだから、私はどっちでもいいし」

三人の言葉に誰かがゆらりと一歩前に出る。喜色ばむローブ共と彼を見比べたこちらの面々は、この後を予想して示し合わせてもいないのに揃って一歩下がった。


「戯れ言は、もう終いですか」

「「「…は?」」」


その、一歩前に出た彼…三神は好青年というか王子然とした皮を自ら剥いで打ち捨てる。

"あちら"の彼よりも理知的なままに、しかし"あちら"の彼のように凄まじい怒気を撒き散らして…その感情を具現化したような炎が大蛇のようにうねりながらローブ共を飲み込んだ。

しかしそれはすぐに、パシャンと水の弾けた音によって消火されてしまう。


「これはこれは…残念だよん」

「交渉決裂だし」

「愚かだな……っ!?」

平然と立ったままの連中の元へ、じゃらりと鎖の音を響かせながら追撃の鉄球が振り下ろされた。


衝撃で立ち込める土煙を吹き飛ばすように再び鉄球がゴゥンと鈍い音と共に振り回され、その中心で二菜ちゃんが鬼もかくやな表情で吼える。


「うるさいんですよ…虫けら共が!!全員潰してやります!!」


外に逃げたローブを追うように彼女もまた壁の穴から飛び出し、その後ろをチェーンソーを構えた至くんも続こうとして、思い出したようにこちらへ振り向いた。


「門倉の声は裏からしましたがとても弱々しいのでどうかお願いします」

それだけ告げて、彼もまた外の土を蹴って連中の消えた森へ駆けていく。


声をかける暇もなかった。

けれど去り際に至くんの山吹色がこちらを向いて、どこか頼もしい色を宿しながらゆるく細められたから…私はただ彼の無事を信じてその背を見送ることにする。


「七尾先輩。ここは僕が行きますので、そちらは門倉を」

「了解。頼んだ」

簡単なやり取りを交わし、七尾さんと三神は別々の方向を向いた。一人は外へ、一人は内へ。


そう、至くんが"聞こえた"と口にした瞬間から皆は二手に別れるタイミングを探していたのだ。

だからこそ明らかに誘い出そうとしている三人組に罠を承知でついて行ったのだろう。

二菜ちゃんは…衝動的に動いただけかもしれないけど。


「綴戯、四葉さん。門倉を探すぞ。こちらのロッジには裏に倉庫があった筈だ」

そこに彼がいるかもしれない。

それを聞いて、私は己の手を握り締める。

門倉くんだけでも助けたい。これ以上奪われてたまるものか。


私を抱えようと伸ばされた七尾さんの手に少しだけ待ったをかけ、私はマオちゃんと瀬切くんの血でガビガビになってしまった髪をそっと撫でた。


「ごめんね。少しだけ待ってて。きっと門倉くんを助けて見せるから、そうしたら…一緒に帰ろうね」

願うように呟いて、私は前を向く。


「すみません、お待たせしました。…行きましょう」


溢れた涙の残りが血溜まりに落ちて消えた。




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