10-5
東雲side
入れ直したコーヒーをコトリとテーブルに置き、どうせ誰の目にも触れないだろう事をいいことに行儀悪くどさりと椅子に腰かける。
そしてわたくしは、深く吐いた息を木造の呼吸に混ぜ込みました。
片肘を天板に立てて頬を支えながら先程まで彼女…綴戯さんのいた席を瞳でなぞり、空いているもう片手の指でコツコツとテーブルを弾きます。
わたくし東雲四葉は東雲家に生まれた期待の能力者。
この世に生まれ落ち、砂に似た色の瞳を開いて晒し出したその瞬間から決められた次期当主の肩書きを背負う者です。
そんなわたくしが"女装をする"という事に対して、いくら他人に興味がない能力者とてそれはどうのか?と爪の欠片程度の常識を引っ張り出してくるらしく、基本はあまりいい顔はされないのですけれど…
成る程彼女には然したる問題ではなかったようですね。ね?
わざわざ隠す必要はなかったみたいです。
心配が杞憂に終わってなによりでございます。ね?
だってわたくし、綴戯さんには嫌われたくありませんでしたから。
わたくしの女装は趣味ではなく己を守る術であります。
産まれた時より己の前を歩いていた優秀な義兄と比べられたくないが故に纏った皮衣なのですよ。
わたくしは義兄と比べられるのがそれはそれは嫌い…ええもう大嫌いでして、ありとあらゆる好みや得意を義兄と違うようにして生きております。
しかしただ一つだけ変えられなかったものがありまして…
所謂、異性に関する好みというものだけは血の繋がりなど無いにも関わらず、本物の兄弟どころか双子もかくやというくらいに似通っているのですよ。よ?
不思議でございましょう?しょう?
さすがにこの問題については好き嫌いを無理矢理曲げてもわたくしに利がありませんので諦めております。
好きなタイプは勿論、閉じ込めたい束縛したい自分が全てを管理してあげたいという愛し方願望もそっくりです。
自分で言うのも何ですけれど、よくもまぁこんなアブノーマルな性癖が被ったものです。ね?
そんなわたくしが義兄が目をかけている彼女に心惹かれたのはいわば必然というものでした。
初めて見かけたのはあの"記録"を見た日。
そして、初めて接触したのは傷だらけになって帰って来たという彼女の『回復』を頼まれた日でございます。
一方的ではありましたけどその衝撃は未だに忘れられませんね。ね?
心配と期待をない交ぜにしながら高等部の保健室までやって来たわたくしの第一声は、義兄以外に聞かれたら二度見不可避なものでした。
〈…は?ドチャクソ可愛いかよ〉
〈四葉…〉
良家としては恥じ入るべき言葉遣いで、久方ぶりに男としての素の声を出しましたよね。ほほほ。
けれど、その時目の当たりにした彼女はタイプのど真ん中を射抜くような有り様だったのですから仕方ありませんでしょう。しょう?
こう言うと大概お付き合いをしている相手から別れ話を切り出されるのですけれど、わたくしも義兄も物理的・精神的に傷だらけの子や弱っているような子にそこはかとなくトキメキます。
保健医の性ですかね。え、違う?あらま。
だってそういった子の方がわたくし達好みに出来るのですよ。よ?
傷口や弱った心に付け込んで、甘い毒を流し込んでしまえば…ほほほ。
依存とは良い言葉でございましょう。しょう?
元々初日の能力暴走でその姿と過去を知った時から心がドキドキと痛んでおりましたけれど、本物の姿は想像以上ですね。ね?
百聞は一見にしかずとでも言うのでしょうか。成る程写真と現実には差があるのだという事実を噛み締めたような気がしましたよ。よ?
あぁ、わたくしの『回復』でいつまでもいくらでも痛みを取り去って差し上げたなら、あなたはわたくしを欲してくださるでしょうか。
とは言え、"あの光景"はわたくしの性癖の許容範囲を逸脱するくらいに凄惨だったと言いますか…あまりにも救いが無さすぎてさすがのわたくしもメンタルをやられましてね。
どうにも積極的に動くことは躊躇われました。
認識されるのを恐れる、だなんてわたくし初めてでしたよ。よ?
しかしそれも仕方がないでしょう。しょう? 控えめに言ってもあの世界は酷すぎますもの。
わたくしの好むように傷だらけは傷だらけでしょうけれど、付け入る隙間すら傷に侵されていて…アレでは入り込むなんて出来そうにありませんでしたよ。よ?
当然嫌われたくはありませんし、恐らくですか近付けばこちらも浅くない傷を負うような気さえしましてね。
なのでわたくしは性急に距離を詰める選択肢は捨て、彼女が落ち着くまでは近付かないように努めることと致しました。
そんな我慢が出来たのはひとえに、義兄は"アレ"を見ていないのだという優越感があったからですけれど。ね?
そうして来るチャンスが此度の合宿でございます。
正直、起きている彼女と接するというだけで緊張でドキドキでしたよ。
義兄曰く最初の頃よりは精神が安定しているみたいなので、下手をしなければ出会い頭に拒絶されたりはしないだろうと言われてはおりましたけれど…
それでも心配だったわたくしは端末で女性が好きな物をそれはもう真剣に調べ直しまして、テディベアを見た瞬間に天啓が降りてきたのです。
そうだ、熊になりましょう。
さすがに種族は変えられませんので適当に見繕った着ぐるみという形ではありますが、むしろ可愛らしくて丁度いい。
可愛いは正義と言いますでしょう。しょう?
名前に熊とつく学生と仲が良いと聞きましたしきっと上手くいく筈、と頓珍漢な事を考えた当時のわたくしは寝不足にプラスして徹夜しておりました。
まぁ結果は見事不審者扱いされましたけど。ね?女性とはいつだって難しい生き物です。
わたくし、合宿の間は熊スタイルを覚悟しておりましたし名前も"くまさん"で通すつもりだったのですけれど…義兄に本名を呼ばれた上顔を見せろと言われてしまいまして、息苦しい被り物の中で額に皺を寄せました。
危惧していた通りわたくしの名前を聞いて震えるその姿にゾクゾクはしましたし、その甘い痺れのまま飲み込んだ生唾を甘露と錯覚する程でしたけれど、やはり現実はそれでは済みません。ね?
想像していた以上に彼女の体が発する拒絶反応に悲しさを感じましたよ。
きっと時期尚早だったのでしょう。しょう?
しかしそう思って身を引こうと…正体はバレてしまいましたがせめて見た目だけは怖がらせないようやはり熊のまま合宿を過ごそうと決意したわたくしを、他でもない彼女が引き留めました。
そしてあろうことか正面からわたくしを…東雲四葉を見ようとしたのです。
〈きちんと向かい合わせてください。私、"こちら"では逃げたくないんです。お願いします〉
おや?と思ったのは確かでしたけれどわたくしは拒絶ではない言葉に浮かれておりまして、疑問は頭の隅に追いやりました。
何より…
〈大丈夫そうです。私は、ご存知でしょうが綴戯栞里といいます。あの…以前『回復』で傷を治していただいたみたいで…遅くなりましたがありがとうございました〉
いくら技術の進歩で快適に改良されつつあるとはいえやはり暑苦しく視界も悪い着ぐるみを脱ぎ捨てたわたくしの目を真っ直ぐ見つめ、優しく笑うその表情に思考を持っていかれて考え事をする余裕は吹き飛びましたよ。よ?
だってまさか、こんな風に笑いかけてもらえるとは…
いきなりすぎます。心の準備というものがありますでしょう。しょう?
ついでに、改めて見た彼女がどこに目をやってもあまりにも脆そうで、気が気ではありませんでしたよね。ね?
わたくし、"アレ"でも現実でも傷だらけのところしか見ておりませんでしたけれど…小さくて、細くて、傷が無くとも心配せずにはいられない弱々しさ。
何故コレで生きていられるのかと生命の神秘を見ている気分でした。ね?
成る程義兄がべったりしたがる訳です。
あの人はどちらかと言えば心の衰弱より身体の衰弱の方が先に気になるタイプでしょうから。
わたくし達は同じく束縛系と言われる性癖ではありますが、その最たる願望は少しばかり違っております。
わたくしはとにかく依存が欲しいタイプでございます。わたくしだけを見てわたくしだけを求めてもらえると満足感を得られるのですよ。よ?
義兄は依存は依存でも庇護欲が強いと言うのでしょうか。相手の生活を一から十まで自分が管理して、その健やかな生を真綿でぐるぐる巻きにして守りたい人ですね。ね?
ちなみに、義兄の方が穏やかに見えますでしょう?しょう?
けれど現実はあちらの方が恐ろしいですから誤解の無きようお願い致します。
いえ庇護下の者はまだ生活力を粉々にされてお人形さんになる程度で安全でしょうけれど、その外が被害甚大になるのですよあの人。
"世界"でもない存在の為に一族郎党を社会的に抹消してくる人がどこにいますか。
理由は二つ。お相手の逃げ道を潰す事と、その一族が幼少期のお相手を虐げていた為らしいですよ。よ?
まぁ能力者のお気に入りに向ける情を考えれば分からなくも無いですが、何が理解不能かと言えば…そのお相手とはその直後くらいにあっさり別れてるんですよね。およそ一週間後くらいでしたか。
そね程度の、遊びの範疇の人間の為によくもまあそこまで…わたくしは義兄がよく分かりません。
とりあえず綴戯さんがこちらでは天涯孤独である意味良かったと思いますね。ね?可哀想ではありますが。
さて、義兄の話は置いておきましょう。闇しかありません。
わたくしは晴れて人の身で合宿を共にする事を許されたわけですが…近くで見る彼女は予想とはどこか違っていました。
例えばそう、新しい能力を試した時。
〈手札の一つならいざって時に使えないのは…困ります〉
穏やかで美しい藤色をしたその瞳に焼かれるかと思いました。
例えばそう、学生達と手をつないだ時。
〈見て?今日はね、震えていないでしょう?だからもう少しだけ、私の"訓練"に付き合ってくれないかな?〉
その身体を強張らせている緊張と滲む汗を覆い隠して笑っておりました。
例えばそう、義兄から話を聞いた時。
〈彼女は、一度死んだそうだよ。彼女は自分の思いを完遂するためなら死すら通過点にしてしまうんだ〉
その身に宿る狂気を知ってしまいました。
僅か二日に満たない付き合いの中で、ふとわたくしは初日の対面時に感じた違和感が明確な形を伴ってその正体を現した事に気づきます。
はて?彼女…弱くありませんね?ね?
むしろべらぼうにメンタルお強くない?
いえ、一概に強いとは言えないでしょう。
意識的か無意識かは分かりませんけれど、わたくしに対する怯えは肌で感じます。
三神さんに対しても勿論そうで、学生達にすらまだ心を許せていない様子。
それでも彼女は逃げ出さない。
立ち向かうだけの強さが、確かにあの小さな身体に詰まっているのでしょうね。ね?
その姿はまるで、上品な着物を着てしゃんと佇むように…凛としていて美しい。
わたくしが思い描いていた、剥き出しの身体に包帯をぐるぐると巻き付けたような弱々しい存在ではありませんでしたよ。よ?
しかしその着物は虚勢であり、中の身体は包帯では追い付かないほどの深い傷と流れ出るおびただしい血が覆っているのも分かるのです。分かるからこそ、より美しい。
あれは手負いの獣ですね。ね?
痛みを隠すよう平静を装いながら、しかし傷に触れる相手へは容赦なく牙を剥く…強くて弱い獣です。
〈私は、知ってほしくありません〉
あの瞬間。わたくしの能力で人を殺める方法を聞いた時の彼女といったら。
こちらとしては軽い気持ちだったのですよ。よ?
義兄よりはずっと少ないですがわたくしにも暗殺者はやってきますし、自衛目的が1/3程度。
残りは、能力の手数が増えればわたくしという能力者の価値が少しでも高められるという打算。
しかし綴戯さんはそんなわたくしを真っ向から否定し、拒絶しました。
その瞳に見えた仄暗い焔は灼熱という言葉でもまだ足りないくらいの熱量を孕んでおりまして、わたくしゾクゾクいたしましたよ。よ?
おかげさまで別の扉を開いてしまった気がします。
わたくしは元来、甘い毒に侵しやすい従順な方が閉じ込めやすくて好ましいのですけれど…
あの矛盾にまみれた強くて弱い獣を手懐けられたなら、あの瞳を塞いで心がわたくしだけを向いたのなら、それはなんと背徳的で甘美なことでしょう。しょう?
しかし困りましたね。ね?
いつものようなやり方では、閉じ込めてドロドロに甘やかしたところで絶対に靡いてくれませんよあれ。
かといって恐怖で縛っては…元よりトラウマがとんでもないのにそんな真似をしたら心を手折ってしまいますでしょう。しょう?
いつもならそれで良かったのです。
別に相手の心が跡形なく砕けても、それを自分好みに修復する愛し方をするのがわたくしですもの。
しかし、それでは意味がないのです。
今日、今、さっき…わたくしはあのままの彼女が欲しいと、思ってしまったのですから。
アナログ時計の音だけが時間の流れを教えてくれる静かすぎる談話ルームに意識を浮上させ、男にしては喉仏の出ていない喉を動かしながらこの時間に飲むにはあまり相応しくは無いでしょう飲み物を流し込みました。
そのままほぅと息を吐けば、鼻に抜けるコーヒーの香りと舌を転がる苦味にスッキリしたような気がします。ね?
しかし思いに耽っていた頭が刺激されると…思い出されるのは未だ耳に残る彼女の台詞。
それを反芻して、両手で顔を覆いながら天井を仰ぎました。
あぁもう、せっかくそれらしく格好付けて落ち着いた大人を演出してみましたけれど、ダメです。落ち着けません。ね?
愛し方だ何だと偉そうに語ったわたくしですが、わたくしは所詮能力者。
それも生粋の島生まれ島育ちの純粋なそれです。
そんなわたくしの言う"愛"には一般人が"愛する"と聞いて想像する甘く熱いものなどなく、己の欲を満たしたり癒しを得るような…アレです愛玩を愛でる感覚しかないのです。よ?
なので勿論綴戯さんに対する気持ちもその程度の認識…の、筈でしたのに。
〈今まで通り女性のわたくしと本来のわたくし。あなたにはどちらが魅力的に映るのか…気になってしまったのです。ね?〉
からかうだけの意地悪な言葉でした。
顔を作って雰囲気を作って、あたかも本当に悩んでいるように見せかけて…
感性が一般人に近いのだという彼女が、わたくしの正体を知った上でどんな反応を返してくれるのだろう、と。
好奇心。ええ、好奇心でしょう。しょう?
しかし、わたくしは知らなかったのですよ。
好奇心は猫をも殺すという言葉の意味を。ね?
〈私は四葉さんが四葉さんであれるのなら…どちらでも良いと思います。だって、男だから四葉さんなワケでも女だから四葉さんなワケでも無いじゃないですか。少なくとも私にとって価値があるのは今ある"東雲四葉"という一人の能力者ですから…どちらでも同じです〉
小さな口から紡がれたその、綺麗事のような台詞。
他の人間に言われていたならよそ行きの笑顔で"ありがとうございます"の十文字と、少しばかりのからかいを交えて記憶の隅に捨てるような…そんな陳腐な文字の羅列、音の羅列でしょう。しょう?
しかしわたくしは一切己を取り繕えぬままに彼女を眺める事しか出来なかったのですよ。よ?
その身に宿す凄惨な経験から恐らく誰よりもわたくし達能力者を警戒し、その中身を見ようと…見極めようとしているだろう綴戯さん。
そんな彼女からただただ真っ直ぐ気取った様子もなくするりするりと出た言葉に、わたくしはチェリーボーイと揶揄されても文句は言えないような初な反応を…えぇ、全力で照れてしまった訳でございます。ね?
あぁ、良い年して恥ずかしいったらありません。
けれど仕方がないでしょう。しょう?
能力者のように興味を示さぬが故の"どちらでもいい"とはわけが違う、温度と感情を伴った生きた言葉で言われたそれはつまり…わたくしという存在への全肯定なのですから。
〈価値があるのは今ある"東雲四葉"という一人の能力者です〉
そして恐らく彼女曰くの"あちら"側へ堕ちたなら直ぐ様翻るだろう認識の、その勝手さと冷酷さがまたたまりません。
それに、彼女が意図せず使ったであろう"価値がある"という言葉は、わたくしにとっては殺し文句なのです。
一番好きなその言葉を身内以外から言われたのは初めてなのですよ。よ?
照れるなと言う方が無理というもの。
まぁ上層部などからは役に立つだのその能力の価値は大きいだの言われたことがありますけれど、あんなモノはノーカウントでお願いします。ね?
耄碌した老害の骨密度と同じくらいスカスカな言葉にはそもそも価値がありませんから、内容だって価値が無いのと同義でございますでしょう。しょう?
「はぁ…綴戯さんは不思議な方ですね。ね?わたくし含め、どうしてこうも惹かれるのやら」
なんて、気を散らす為に空気に溶かした問いの答えは分かっていますが。
能力者に接する上で一番難しいのは"一歩目"だとは天才たる義兄の受け売りですけれど、全くもってその通りでしょう。しょう?
興味の"無"を"有"に変えるのですから、かなりのエネルギーが必要に決まっています。
その点彼女の一歩目はとんでもない。
あれに…"アレ"に勝るインパクトなどありませんでしょうね。ね?
きっかけを踏み出せば、あとは転がり落ちるのが能力者です。
勿論踏み出した結果つまらない、合わない、やっぱ興味ないなんて事はザラにありますが、彼女と接してそう思うものは少ないと思いますよ。よ?
なにせ、マンネリ化していた日常をただ一人で容易く塗り替えてみせる人ですから。
彼女の存在は平穏に見えてその実嵐そのものでしょう。しょう?
まさしく台風の目なのです。
今まで相対してきた人間とはまるで違う…知らない匂いを運ぶ異国じみた風に子供達は惹かれ、わたくし達大人も興味を抱き、三神さんなどはその違いのおかげで異性相手なのに気安さを滲ませていますでしょう。
しかしそれだけではなく、最悪の状況を吹き飛ばすような強い暴風でもって七尾さんや五月雨さんは救われました。
そして一ノ世くんは…あれの心情はわたくしにもよく分かりませんけれど、きっと今吹き荒れる風に心かき乱されている最中な気がします。ね?
とにかく、わたくし含めて数ヶ月前とはまるで別人に見えるのですよ。
彼女はその小さな身体に似合わぬエネルギーでもってわたくし達を確かに変えていくのです。
変化の善し悪しなんてわたくし達能力者には大した問題ではなく、ただただ楽しいとだけ。ほほほ、それで十分なのですよ。よ?
それこそがわたくし達の求める刺激ですもの。
綴戯さんが加わった風景は見たことのない色を写し出します。
彼女は控え目なふりをして、己の持つ自分だけの絵の具を容赦なく塗っていくのですよ。よ?
〈私は私の為に綺麗事を吐くし勝手に手だって出すし貸すし首も突っ込む。そういう、自己中心的な人間だよ!〉
あぁ、なんて面白い人でしょうね。ね?
近くにいると何やら気分も良いですし…あぁ、それならもしかして綴戯さんはーーかも知れませんね。それはそれで一層面白いですけど。
ともあれ、あの子を手放すなんて勿体無くて出来やしませんよ。よ?
「はぁ…あわよくばわたくしのカゴに閉じ込めておきたいものですけど。ね?」
実行するには彼女は好かれ過ぎています。人目が多くて出来やしませんでしょう。しょう?
人望とは厄介ですね。
それに、あの一ノ世さんの気に入りに手を出すのは愚策が過ぎます。
東雲家ごとぺしゃんこにされますよ。よ?
物理的にも社会的にも。
あそこの血脈は分家含めどうしてああも人間性がアレなのでしょうね。ね?おお怖い。
「ほほほ、そも、彼女にカゴは…似合いませんね」
綴戯さんはきっとカゴに入れたところで血塗れになりながらも抉じ開けて出ていくタイプです。
まぁその抵抗を想像しますと…その姿もまた可愛らしいだろうなと思ってしまうのですが。
とまれかくまれ、あの既にズタズタな羽が導く先には大変興味がありますし、わたくしの欲はひとまず沈めておきましょう。ひとまず、ね。ほほほ。
しかし…厄介な性分なわたくしにまで興味を持たれるとは御愁傷様でございます。ね?
義兄といい一ノ世さんといい、可哀想な人だ。本当に。
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NO side
「あ"ー最悪!何だっタノ、あの梟!!」
草木もすっかり寝静まった深更に、場違いな音量の声が遠慮の欠片もなく反響した。
星も月も地上の事など知らぬ存ぜぬと言いたげによそよそしい光を鈍く発し、雨も降っていない地面にぬらりと揺れた水溜まりの中で冷たく煌めいている。
声の主は酷く苛立たしげな様子でその赤黒い夜空を躊躇無くばちゃんと踏み荒し、上質そうな靴に包まれた足へ鉄錆び臭い水が…否、血が弾けて跳ねて張り付いた。
その飛沫を心底嫌そうに避けながら、傍らにいた細身の男はやれやれと肩をすくめてみせる。
「何回同じ話してるのよん。Gone senile?」
「ボケてなイサ!ここに来てからは五回ダネ!その前は…」
「あー、いいよん。悪かったよん。けどさぁ、もう諦めろよん」
キッパリした顔で指折り数えだした男をうんざりした様子で止めると、彼はいかにも拗ねていますと言った様子で口を尖らせた。
「酷いナァ!あれは一番のお気に入りだったんダヨ!?一点もので億は下らないんだカラ!」
「なら"姿隠し"より先にGPSでも付けとけよん」
月明かりに晒されて暗闇の中一層浮き立つ白銀の髪。所々が返り血で黒く斑になったそれをわしゃわしゃとかき乱しながら、男は呆れを隠さない細身の男に意地悪と言ってぶすくれる。
そして足先に触れたナニカをサッカーボールのように蹴っ飛ばし、特大のため息を吐きながら手を頭の後ろに組んだ。
「あーあ…皆冷たイシ、本当に最悪ダヨ」
「バカ言ってんなし。最悪なのは先手打たれてるって事実の方だし」
生きているのは男二人だけの場に足音少なく人影が三つ増える。
一番小柄な少女もまた白銀のように苛立ちを露に語気を強め、丸っこい眉をぎゅむっと真ん中へ寄せながら吐き捨てた。
その横に並んだ一番大柄でがたいの良い男が肩に担いでいた人影をさながら荷物のように地面へ放ると、ビチャッと湿った音と共に蛙でも握り潰したみたいな汚い呻き声が発せられる。
「…ヒィッ!?」
もぞりと暗く不鮮明な地面で身動いだその人は不幸な事に、視界が悪い中にも関わらず己の前に打ち捨てられたモノを視認してしまった。
「あぁ…ひっ…あぁぁぁぁ!?…っう"、オ"エ…!」
あまりの衝撃に喉をひきつらせ、入ってもいない胃の中身をぶちまけたその人を責められる人などいるものか。
何せその人物の目の前には、卵型チョコの中に入ったおまけのように…開封したばかりの組み立て式フィギュアのようにパーツがバラバラになっている人だったものが、血溜まりの中無惨に無慈悲に捨てられていたのだから。
地面の色が元は何色だったかも不確かなくらい文字通りな血の海の中には、果たして何人分のパーツが浮かんでいると言うのだろう。
白銀の男が持つほとんどが血に覆われて黒く変色した剣が僅かな銀をチカリと反射したことに、その人はビクリと身体を震わせて涙も悲鳴も引っ込めて目を見開く。
次が…否、最後が自分であることなど言葉が無くとも嫌でも分かり、口をついて出たのは…
「た…たす、助けてくれ!!頼む!!な…何でも、何でもするから!!」
あまりにも無様で軽薄な命乞いの言葉だった。
それをまじまじと色のない顔で見つめ、白銀は薄い唇を開く。
「ふーん?何でもカァ…なら考えてあげてもイイヨ!!」
特徴的な形状をした血塗れの愛剣を拭きもせずに鞘へともどし、男はにぱっと朗らかに笑った。
この場に不釣り合いな笑みはどう考えてみても狂っているだろうに、その人はそこに希望を見出だしてしまうくらいには追い詰められていたのだろう。
僅かに光を取り戻した瞳に小さな少女がきっも、と呟いた。
何をお願いするかと頭を悩ませる男に代わり、細身の男がそれならばと前に出る。
「じゃあ聞くよん。他の連中の居場所を教えるよん」
放たれた温度のない声によって紡がれた質問に、その人はさぁっと顔を青ざめさせて転がる死体と目の前の男を忙しなく見比べた。
そしてヒリついた喉を必死に動かし、カラカラに乾いた口からすがるような音を溢す。
「…し、知らない!!俺は知らないんだ!本当だ!嘘なんかじゃない!!」
それは言葉通り嘘でもなんでもない本当の事だった。
しかし、明らかに相手方が望まぬだろう返答でもあるだろう。仲間を庇っているのだろうと言われても仕方がない。
この絶望の気配漂う森を何食わぬ顔をして吹き抜ける夜風に乗りながら鼻腔を犯す刺激臭が死を突きつけてくるようで…その人はただひたすらに信じてくれと言葉を重ねて叫び続けた。
「い、ぃ、一ノ世が…!アイツが全部変えちまったんだ!!俺…俺は、ここへの変更すら知らされてなかった!だから…!モガ!?」
他の奴らの行き先なんて尚更知りようがない、と。そう続けようとしたその人はしかし、口を何かに塞がれて言葉を途切れさせる。
薄明かりにぼんやり写り唇に触れるそれは人の手のひらに似ているが、ジャリジャリとした感触から察するに恐らく砂だった。
なんだこれはと白銀を見て、その酷くつまらないモノを見るような瞳にその人は目を見開く。
「ボス」
「haha!イイヨ!!」
それはあまりにも軽い死刑執行の合図であった。
そして、その人が己に下された判決を理解するより先に…その身体を背後から何かが穿ったのである。
「コプ…が…ぁ"…かはっ」
「時間の無駄だったし」
新たな血溜まりにどしゃりと沈むそれを蔑んだ眼で見下ろして、少女は眠そうに欠伸を溢した。
「つーか、ここの連中弱すぎだし」
「餓鬼は発展途上だ。仕方ない」
「付いてた大人もパッとしなかったよん。トッカンコウジってヤツ?本当にギリギリで人員を動かしたみたいだよん」
細身の男はポチポチと端末を弄り、今いる地点の地図にチェックマークをつける。
その地図には他にも日本のあちこちに印がついていた。大半はバツ印であったが。
そして、別窓で協力者からのメールを開く。
「でもま、そのギリギリの足掻きで翻弄されてんのは事実だよん。どっかから漏れたかコイツが裏切ったか…正直どっちも可能性は低いけど、とにかく腹立たしいよん」
地名が無機質なゴシック体で並べられているそれには、現在地以外の全てにバツが付けられ横線によって消されていた。
一緒に画面を覗き込んでいた大柄な男は腕を組んで疲れたように息を吐く。
「ハズレばかりだ。こうも空振りだらけだとうんざりする」
「本っ当ダヨネ!楽しくないし、ノリ悪くてお誘いしても誰も仲間になってくれなイシ!」
「ボスの人望無いのが悪いし」
「エ"、オレのせいナノ!?」
ガックリと項垂れた男はわーと白銀の髪をかき混ぜ、子供のように地団駄を踏んだ。
足が地を踏む度にビチャリ、グチャリと嫌な音が鳴る。
「あ、今殺した奴に仲間になれって言えば良かったんじゃないのん?」
「エー?雑魚過ぎて壁にしかならなイシ、何より仲間売って自分助かろうとする奴は…チョットネ?ほら、信用問題デショ?」
「そういう選択迫っといてよく言うし」
「本音の後に建前を付けたな」
男は呆れた視線を一身に受けながら、けれどもそれを気にした様子もなく自分が一番不幸だと言わんばかりの被害者の面を被って空を仰いだ。
「あぁ!嘘を掴まされルシ、少年少女には拒否されルシ、大事な物は梟ごときに奪われルシ…散々ダヨ!!」
「まだそれ引き摺ってるのかよん。いっそ感心するよん」
「本当に酷いナァ!…デモ」
ろくな光の差さない闇夜の中で趣味の悪いカーペットをピシャンピシャンと跳ねさせながら、白銀の男は踊るような足取りでゆらゆらくるりと足を運ぶ。
微かな月明かりに浮かんだ狂相はゾッとするほど美しく、同時にゾッとするほど恐ろしかった。
「次の行き先は期待して良さそうダヨ!」
次、と細身の男がメールのリストを見やれば、それは一番下に書かれたここから近くの住所である。
「自信満々だな」
「そう言えばさっき"アイツ"と会ってたし」
"アイツ"と聞いて常々顔を隠す変わり者の協力者を思い出し、細身の男と大柄の男はあぁと納得したような顔で小さく頷いた。
「"ソコ"になら確実に学園の奴ら、いるっテサ!ヤッタネ!」
楽しみでたまらないと純粋な子供のように明け透けな瞳に疑いの色はなく、仮にその情報に信憑性がなかったとしてもここまでご機嫌な男を止める術など三人には無い。
短くない付き合いの一人は勿論、長くも短くもない二人ですらそれはよく分かっていることだった。
とはいえ今回は情報源が情報源。
学園内部に関する事であれば最も信のおける人物からのタレコミなので、白銀の男以外の皆も疑うつもりは無かった。まぁ丸ごと鵜呑みにするつもりもないが。
「それで、襲撃はいつだ。定石通り明日の夜中か?」
「…イヤ、次が最後のターゲットだし、気分変えちゃオウ!」
「うげぇ、嫌な予感をビシバシ感じるよん。…で、具体的には?」
よくぞ聞いてくれましたと胸を張った男は、乾きつつある赤黒い血がカサカサとひび割れながら張り付く指をビシッと夜空へ向けて突き立てる。
「朝イチの清々しい時間に…死出のモーニングコールといこうじゃなイカ!」
「目覚めてすぐおやすみなさいだな」
「くふ、そうなるかは向こうの態度次第だよん」
どんな無茶振りが来るのかと身構えていたが、思ったよりはまともそうだと二人が肩の力をほぅっと抜いた。
しかし、少女だけはムッスリした顔で白銀の男を見ながら小さな口を開く。
「目的地ってどこだし」
「ん?これは…隣の県の山ダネ!」
「決行はいつの朝だし」
「haha!もう日付変わってるカラ…今日の、ダネ!今から全力ダッシュダヨ!」
「「え"!?」」
すっかり油断していた男達はまさかの発言にぱかっと顎を外す勢いで口を開け、馬鹿みたいに呆けた。
まさか朝イチというのがそんなに直近だとは思わなかったのである。
月は既に頂上から傾き始めているというのに、今から朝と呼べる時間までに己の足でもって県を跨ごうと言うのだこの男は。
つまるところ、徹夜覚悟の強行軍だ。
「あり得ないし…鬼だし」
「アハッ!ごめンネ!成長に悪影響になっちゃウネ!」
「うっさいし。そう思うなら撤回しろし」
「ヤダ♪」
徹夜をしても翌日のパフォーマンスを下げない所謂ドーピング剤はあるものの、それとこれとは話が別である。
恨みがましい目であっけらかんと笑う男を睨み付けていた少女だが、その笑顔が一ミリも動かないのを見てガックリと項垂れた。
こうなってはもうテコでも動かないのだ、この男は。
彼女の薄い肩に慰めるように大きな手がぽん、と乗った。
「おぶってやる」
「…そうして」
「hahahaha!イヤ実際すぐ動かなきゃまずいんだヨネ!」
「まぁ確かに…Bossの言うとおりではあるよん。明日にはここの騒ぎを嗅ぎつけられるよん。早いうちに済ませて帰るのがベストだよん」
細身の男に尤もな事を言われて、少女もそれ以上の文句は言えない。
自分達の安全を取るならば短期決戦が望ましいのは火を見るより明らかなのだから。
そして、話はまとまったようだと一つ満足そうに頷いた男は、にたりとお伽噺に出てくる案内猫のようにこの先の未知が楽しみでしょうがないと口を三日月に歪め、見た者の身を凍らせる狂気をポケットティッシュでも配るように気安く振り撒いた。
「サァ!狩りに行コウ!一ノ世クンへのラブレターは多い方が良いカラネ!」
「どーせまたフラれるんだよん。Bad to give up」
「死体をラブレターとか言ってる時点でお察しだし」
「まぁ何だ。頑張れ」
「アハッ!皆冷たイネ!北極海クライ!」
「人でなしって言いたいのん?そっくりそのまま返すよん。Fucking boss」
そんな軽口を残しながらびちゃびちゃと血でぬかるんだ地面を踏み荒し、血と泥にまみれた屍のパーツを小石のように蹴飛ばしながら四人組は夜闇に溶ける。
後に残った耳に痛い程の静寂とむわりとした夏の熱気に混じる饐えた死の香りの中、リィと物悲しい虫がどこかで哭いた。




