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10-4


泣き続ける空は結局落ち着くことなく、ゴロゴロとぐずるような雷の音はもう鳴らないものの雨はまだ降り続いている。

月を覆い隠す雲のせいでより一層暗い森は昼間見たものとは違い、手の平を返したように冷たく他人のように見えた。


ロッジの玄関先で建物からの薄明かりにぼんやり輪郭を写し出された木々を眺めながら、私は一人ふるりと身を震わせる。

夏とは言え山森の夜は少しばかり冷えるようで、指先が僅かに悴んでいた。


たっぷりと時間の限り遊んで門倉くん以外からも欠伸が出始めたのを見計らい、ヤダヤダまだ遊ぶと駄々をこねる二年生達に七尾さんがにっこり笑って…

「明日は合同訓練だが…そんなに元気が有り余っているなら練習メニュー倍にするか?」

そう告げたのがさっきのこと。

効果は抜群だ!と文字がポップするのが見えるくらいに狼狽えた面々は渋々ながら玄関先へと足を進め、今に至るというわけである。


立っているだけで足に跳ね飛んで来る雨の飛沫に舌打ちを鳴らして不機嫌を露にした三神が、張り付けた笑顔をそのままに七尾さんへ向き直って口を開いた。

「この雨では僕は送ってあげられませんので、お願いしても?」

「あぁ、そうだな。今日は私が送ろう」

皆が訳知り顔の中、私は一人はて?と瞳を瞬かせる。


雨だから嫌と言うなら分かるのだけど、"送っていけない"とまで言い張る強い言葉に違和感を感じたというか意外というか…そんなに雨が嫌いだったのだろうか。

不思議には思えどそれをわざわざ問うつもりはなく、私は疑問を口に出すことはしなかった。


「ふわぁ…やばぁ。僕、途中で寝落ちしそぉ」

言いつつまた大きな欠伸を溢す門倉くんは本当に眠そうで、ぶっちゃけ目が開いているかも怪しいレベルだ。


そんな彼に苦笑を溢してぺちぺち額を叩きながら、瀬切くんは良いことを思い付いたと言いたげに人差し指を立てる。

「そしたら七尾先生におんぶして運んでもらえば良くないっすか?」

「いや、道端に捨てていくぞ」

「えぇー…意地悪ぅ」

ぶぅぶぅと口を尖らせながら私にのすっとのし掛かる門倉くんに小さくうめき声を溢した。端的に重たい。

ただでさえ枕投げで酷使した足腰が悲鳴を上げている。


「こらー!門倉!お姉さんにのし掛かるの禁止ー!」

「うらやまけしからんって言うか綴戯さんを困らせるのはダメ絶対だし小生にシェイクされたくなかったら今すぐ離れた方が良いってか離れても明日シバくけど」

「にゃはは!九重先輩の心の狭さやっばいにゃ!」

至くんの言葉で門倉くんは瀬切くんへ文字通り乗り換え、瀬切くんからはぐぇっとカエルを潰したような声がした。


帰る間際となっても健在の騒がしさは物悲しい夜闇と纏わり付く湿気を払うようで、悪天候に沈んだ気持ちが軽くなったように感じる。さすがと言うべきか、やっぱり凄いや。


七尾さんにせっつかれながらロッジから足を離し、簡易な作りのビニール傘を携えた三人が雨の中でくるりとこちらへ振り返った。

「先輩!綴戯さん!明日もよろしくですにゃ!」

「訓練終わったら沢山遊ぶっすよ!」

「もぉ僕ら、泊まる気で来ますからねぇー」


「「「また明日!」」」


にぱっとそこだけ晴れているみたいに満開の笑顔を咲かせながらぶんぶんと振られる手に私と至くん、二菜ちゃんは顔を見合わせて誰からともなく笑い、同じように大きく手を振り返す。

「皆、気をつけて帰ってね!」

「きゃははは!明日は覚悟しとくよーに!」

「まぁ今日のうちにゆっくり休んどきなよ明日は泣かしてあげるから」

「綴戯さん以外台詞が物騒なんすけど…」


元気に泥を跳ね上げながら歩く背中が森の中へパクリと食べられたように消えたのを見送って、私達も今日のところはお開きになったのだった。



解散となって暫く。後輩達がいなくなって気が抜けたのだろう二人が疲労を滲ませながら早々に部屋へ帰っていったのに対し、私はといえば特に理由もなくロッジの中をうろうろと彷徨い歩いている。


私だって疲れていることに間違いはないのだけれど、どうにも眠気が家出をしたきり帰ってこないのだ。

昨日のように部屋で図書室を『開示』してみてもダメそうだったからこうして眠気が来るまで時間を潰しているのだけれど…

「…暇だ」

七尾さんは帰って来て早々に報告やら仕事があるからと疲れた顔で部屋に閉じ籠ってしまったし…帰りの道中も二年生達は相変わらずのテンションだったらしく、その相手をしていたのだろう七尾さんは窶れていた。お疲れ様です。


彼だけでなく三神も四葉さんもそれぞれやることがあるらしく、結局暇な大人は私一人というわけだ。

何か本でもあれば良かったのだけど、ロッジにある書物なんて周辺地域の観光案内くらいである。おかげさまで観光名所はバッチリ頭に入ったよ。使う機会ありそうにないけどね。


パタリと豊かな自然を閉じ込めた写真達が散りばめられている旅行雑誌を閉じ、少し行儀悪くも滑らかな一枚板のテーブルに上半身をべたりと横たえた。

柔らかな丸太の醸し出す木の温もりに包まれた談話スペースには酷く穏やかな時間が流れていて、図書室とはまた違った落ち着きを感じさせる。


停滞ではなく緩流。

泰然たる空気は静けさも相まってここだけ流れの違う別世界のような錯覚さえ引き起こす。

なんて、そもそも私自身が別世界のようなものだけれど。

"記録"の書物を読む気分でもなくうーん、と唸りながらテーブルの感触を堪能していた私にふと、悪魔がひっそり囁いた。


今なら"広域記録"の練習が出来るのでは?、と。


結局今日は怪異騒ぎのせいで有耶無耶になって終わってしまい、あの一回しか使っていない。

物足りない、とは言わないけれど…せっかく掴みかけた感覚を忘れたくないんだよね。

こういった経験なんかは"記録"出来るようなものではないから余計に。


私の身を案じて人目のあるところでと厳命されていることは重々理解しているつもりだけれど、こうも過保護にされると反抗したくなるのが人間というものだ。

…なんて、それは半分冗談である。

私は自分の身よりいつかの後悔を恐れる臆病者だ。今日みたいに少しでも役立つ時があるかも知れないなら尚更、私はコレをモノにしておきたい。


「よし、一回だけ…このロッジ内くらいの範囲なら大丈夫だよね?」

そうと心が決まれば私は早速立ち上がり、右見て左見て…オールクリア。異常無し。

私の目視など能力者の皆相手じゃ役立たずも良いところな気がするが、気分的な問題だ。


静かな室内にすぅはぁと緊張を散らす為の私の深呼吸が数度響いた。

発動させるための緊張感にプラスして後ろめたいという気持ちからくる背徳感もあるからか、いつも以上に心臓がバクバクしている。

至くんになら聞こえていそうなくらいだ。


落ち着いたところできゅっと唇を結んで目を閉じた。

「イメージ…イメージ…」

まずはただプレーンに膜を拡げる作業。

結界型の能力者はこの作業を普通の呼吸から腹式呼吸に変える程度の意識で本能的に行えるらしいけど、そんなもの備わっていない私にはきっちり意識しないと出来やしない。

…逆に無意識オートで日頃"記録"用の領域を張っていられる変な力なら備わってるけど。


シャボン玉イメージでゆっくりゆっくりと行われるそれは、本物のソレを膨らませるのであれば息継ぎが必要だろうペースでじわじわと膨らんでいった。

すっぽりとロッジを覆ったのを感じとり、そのまま膜の端を地面に縫い付けるようにして一秒二秒…きちんと安定している。


「…やった!上手くいっ…あ、ちょ、まっ…うぐっ!」

一人で成功させられた!と逆上がりが出来た子供の気分で調子に乗ったまま膜内に能力を発動した瞬間、身構えていなかった体を強烈な虚脱感が襲ってその場に膝をつく。

何がロッジ内程度なら大丈夫だろう、だ。数分前の自分を甘い!とぶん殴りたい気分である。


「こ、この範囲でも十分キツいじゃん…消費量エグすぎない?燃費わっっっっる」

一気に力が持っていかれたせいかガンガンする頭を押さえつつ独り言つ。

日中200m近く拡げてやった時と大差ない…というか、無駄な力が入ったのか今の方がキツいくらいだ。

広さに比例してない…というより、最低出力が既に重いのか?

ダメだ。どうやら私はまだこの能力の輪郭が掴めていないらしい。


これはまずいと己の体が警鐘を鳴らす中、しかしせっかく展開したのだからと庶民的な勿体ない精神が顔を出す。

どうせ既に消耗しているんだから、『索引』による消費も『開示』による消費も今更でしょ。展開するよりは疲れないし。


「さ、『索引(サーチ)』。対象"能力者"。…ヒット。四件…あれ?」

私を除けばここには二菜ちゃん、至くん、七尾さん、三神、四葉さん…能力者は五人いる筈なのだけど。

日中の怪異騒動があったためか、夜間の外出は禁止だと七尾さんが二年生を送り届ける間に三神と四葉さんが厳しく言っていたのにこれはどういう事だろう?

大人三人のうち誰かが哨戒に出かけた、とかならわかる。

しかしもし二菜ちゃんか至くんだったら…


私は逡巡した後、杞憂ならそれでいいと思いつつ己の中で洪水状態になっている"情報"をあさった。

「当たり前だけど皆部屋だよね。あれ?これは湯けむり…?アッ!ダメダメ!見ない!見ない!」

ページにもなりきらない紙切れから流れ込む映像をかき消しながら一人で騒ぎ、現実に帰る。"記録"の中にいなかったのは…


「う"…」

騒いだのがいけなかったのか、ぐらりと倒れそうになる。

何とか倒れ込むのは堪えたものの気が散ったせいでパチンと能力が弾けて霧散してしまった。

やっぱり上手くいかないものだ。


相変わらず"記録"も留めておけていないらしく、己の内にある書庫に溢れていた情報達は既に跡形もない。はい、失敗。

発動は出来たと言っても昨日から全然進歩していない事実に落ち込んでしまう。こんな調子じゃ実用段階までもっていくのはいつになるやら。

とはいえ反省会は後にしよう。

酷い頭痛と虚脱感に体が休息を訴えていた。


「…あれ?道、間違えた?」

今すぐ横になるべくふらつきながらも自室を目指していたつもりの私は、どういうわけか二階へ登るための階段ではなくお風呂場の前に立っているではないか。

うーん、重症。余程朦朧としていたらしい。

皆の忠告は素直に聞くべきだった。


というか何故お風呂だよ自分。覗いちゃったからか?いやでも湯けむりでほぼほぼ見えなかったというか、顔しか見てないからセーフだと思うんだよ。つるつるした白いお肌とか見てない見てない。

あれは不可抗力だったと因果を含めつつふるりと一度頭を振って気を持ち直し、踵を返…したところに私の背を叩く声が聞こえた。


「あらま、綴戯さん?どうなさったのでしょう。ね?」

ふわりといつも通りの柔らかい声。しかし、約束事を破った上にちょっとした覗き見をした後ろめたさがある私はギクリと肩を跳ねさせる。


そろりと振り返れば、お風呂上がりでやや上気した顔を白くすらりとした指を揃えた手でもってパタパタと扇ぐ四葉さんがきょとんとした顔で立っていた。


「顔色が悪いような気がしますね。ね?大丈夫でございますか?」

「ひぇ」

ずいと近付く美しい(かんばせ)につい変な声が漏れる。

いやね、今回は怖いとかじゃなくて…ものっ凄く色っぽいのだもの。とにかく心臓に悪すぎる。


しっとりと未だ水気を含んで濡れている髪も、その髪が張り付いているうっすら汗ばんだ肌も、ゆったりとしたスウェットの襟元から覗く鎖骨も、そこをつぅと滑り落ちていく髪から垂れた水滴も…全てか艶かしく、しかし触れたら火傷でもするような危うさすら感じ取れた。

妖美、と表すべきか。見たことはないけれど、花街にいる花魁とかはこんな雰囲気なのだろうか。なんて。


控えめに言って目に毒だし、今すぐ朱を注いだように赤くなっているだろう顔を隠してお休みなさいを置き土産に立ち去りたい。

…のだけど、私にはどうしても気になるというか無視できない事が一つある。


さてこのロッジ、露天風呂は無いものの大きな檜のお風呂が男湯女湯両方別々にバッチリ完備されている。

過去に何かしらトラブルがあったのかは存じないが、うっかりの対策…否、うっかりという言い訳の対策として大きく男・女と書かれた暖簾の他にも分かりやすく区別がされていた。


足元でいえばマットやスリッパ、脱衣所では散りばめられている色合いも用意されている衣類入れの籠も全て青系か赤系かの色合いで統一されているのである。それはもう、丸太以外のところは容赦なく。

私、最初プールか何かの更衣室と思ったからね。


では、それをふまえた上で四葉さんのすぐ後ろ…今しがた出てきたであろう空間を見てみようではないか。


まだ僅かに揺れる暖簾、入り口のマット、用意されているスリッパ…全て大きく分類すれば"青色"。どう見たって青だし、暖簾に至っては文字までしっかり書いてあった。

つまるところ…


「あ、の…四葉さん?今…男湯から出てきました?」

尋ねてからバカじゃないのかと自分を殴りたくなった。何故スルー出来なかった私。


ぱちりぱちりと瞬く四葉さんは後ろを振り向いて確認するとあぁと小さく頷いて、恥ずかしさの混ざった困り顔になってしまう。

それに間違えてしまっただけかとホッとしたのも束の間。


「バレちゃいましたね。ね?」

「なんて???」

いけない言葉が乱れてしまった。


冗談だと続く言葉を期待というかもはや願うような気持ちで四葉さんを見つめるも、その人はクスクスと悪戯っぽく笑うのみ。

否定の台詞はついぞその緩く弧を描く口から溢れてはくれなかった。


大混乱なまま、とりあえずお風呂場の前で立ち話はなんだろうということで再び談話ルームへと場所を移す。

体が冷えないようにと四葉さんが淹れてくれたホットミルクを両手で包み、私と四葉さんはテーブルで向かい合った。

窓の外は不思議なくらい静かになっていて、いつの間にかあれほど激しかった雨は空が眠ったようにすっかりと泣き止んでいる。


「騙していたようですみませんでした。ね?改めて…こほん。わたくしは東雲四葉。性別は歴とした男でございます。よ?」

一口ミルクを流して彼女…いや彼は、普段通り柔らかくはあれども少し低さと太さが増した声でそう紡いだ。


申し訳なさを孕む音に慌てて手を体の前でわたわたと振る。

「いえ!あの、気にしないでください。そりゃ驚きはしましたけど…」

「ほほほ、どうやら"そちら"のわたくしも女性の格好だったのですね。ね?」

ご明察。"アイツ"はいつも女物の衣服をまとっていた。

"あっち"では性別なんて気にする余裕も…気にする必要も興味すら無かったから見たままに判断していたよ。


話し方は変わらない四葉さんに無意識に緊張していたらし肩の力が抜け、首肯を返しながら私も一口ミルクに口をつける。

蜂蜜の優しい甘さがふんわりとしたミルクの中に溶け込んだそれは、すぐにでも微睡みに落とされそうなくらいに柔らかい味だった。


コトリ、と四葉さんのカップがテーブルに置かれ、彼は静かに口を開く。

「わたくしね、義兄と比べられるのが嫌だったのですよ。よ?」

「四恩さんと、ですか?」

「ええ。同じ事をしているとどうしても比べられますでしょう?しょう?だからわたくしは、常に義兄とは違う在り方を意識し続けていたのです」


四恩さんが文系科目が得意であれば四葉さんは理系科目を極め、四恩さんがダイビングを趣味にすれば四葉さんは登山を趣味にして、四恩さんが嫌いな食べ物を四葉さんは好物にして…

そして四恩さんが男であるのなら四葉さんは女に、という理屈らしかった。

利き手まで無理やり変えたと言うのだから徹底している。

分からない話ではなかったけれどさすが極端というか、そこまでする?ってくらいぶっ飛んでるよね。

複雑そうなお家だとは昨日の話で聞き齧っていたけれど、私が思うよりずっと四葉さんは義兄という立場である四恩さんを強く意識しているらしかった。


「それにほら、わたくし格好いいより可愛いが似合いますでしょう?ね?」

「それは、はい。めっちゃ可愛いし綺麗です」

真顔のまま即答した私に四葉さんは満足そうに、同時に嬉しそうにコロコロと笑う。

いつもより低い声のせいか普段より余程色っぽい音が鼓膜を擽って大変こそばゆかった。


「義兄はすこぶる優秀でありましてね。ね?だからわたくし自分の長所(武器)はとことん磨こうと思ったのたです。比べられるのが嫌いと言いながらも、その背に並びたかったのですよ。よ?」

伸ばす長所そこで良かったの?と思わないでもなかったけれど、その疑問はそっと飲み込んでおく。


ちなみに、一般人なら小学校に行ってるだろう歳…だいたい十歳くらいから女装スタイルが始まり、中等部が始まる前には完璧に確立されたらしい。

行動が早いというか、その歳にしてその考えに行き着くのが凄いと思った。


「えっと…四葉さんの性別って秘密にした方がいいんですかね?」

「まさか!皆は知っておりますよ。よ?わたくし隠すつもりがありませんもの」

四葉さんの女装はどうやら周知の事実らしい。そう言えば女性嫌いの筈の三神も普通に接していたっけ。

成る程女装だと知っていたから…本物の女性では無いからこそ出来る態度だったわけだ。


良家である家族の前でも堂々と女装していると言うのだから、本気で隠す気のないフルオープンだ。恐れ入る。

尚、会合など正式な場ではきちんとした男の格好で出席しているそうだ。


「しかし…」

マグカップの縁を撫でながら、四葉さんはどこか気まずそうに視線を泳がせる。

それは言葉を選んでいるように見えて、私は両手で包んだマグカップにふぅと息を吹きかけて湯気で遊びながらゆっくり彼の口が開くのを待った。


アナログ時計の秒針が一周走りカチと小さく長針が時間を刻んだ頃、四葉さんはふわふわしていた視線を私へ固定する。

「その…綴戯さんは、どう思いますでしょう。しょう?」

「…え?私ですか?」

「えぇ。今まで通り女性のわたくしと本来のわたくし。あなたにはどちらが魅力的に映るのか…気になってしまったのです。ね?」


意図の読めない質問に僅かに眉を八に寄せる。

本来、と言われてもきちんと見たことが無いから分からないけれど、たぶんどっちにしても魅力MAXだと思うぞ??

そんな高度なドングリの背比べをあろうことか私にジャッジしろとは何事か。

こちとらスーパーに並ぶ野菜のちょっとした目利きくらいしか出来ない一般の出だが?


「どちらのわたくしであるべきなのか、どちらである方が良いのか少し悩んでいるのですよ。よ?ですから参考までに。ね?」

私はうーん、と答えに悩みながら天井の木目をなぞる。

二択に悩むというよりは、そもそも答えが必要か?と問い返したい気分なのだけど。


こくりとまた一口ミルクの味を舌に転がして、私は彼と同じようにテーブルの上へ一度マグカップを座らせた。

そして、正面からその砂色の瞳を見つめながら口を開く。

「私は四葉さんが四葉さんであれるのなら…どちらでも良いと思います」

「ほほほ、どちらでも…ですか」

夕食の献立を何でも良いと返された母のように困惑と不服をちらつかせる声色に尻込みしそうだったけれど、私は私の意見を届けるべく音を続けた。


「だって、男だから四葉さんなワケでも女だから四葉さんなワケでも無いじゃないですか。少なくとも私にとって価値があるのは今ある"東雲四葉"という一人の能力者ですから…どちらでも同じです」

「…」


そりゃ、男女の切り替えで性格や考え方が違ってくる…所謂二重人格のような状態ならら話は違ったかも知れないけど、今対峙している四葉さんは結局いつもの四葉さんのままだしなぁ。

私が重視するのは"四葉さん"個人の心や考え方だ。

だって、何がきっかけで何を思って『ソノヒ』に至ったのかを私は知りたい。

知って…彼の、誰かの『ソノヒ』を壊したくて私は"ココにいる"んだ。

それこそ私が私に科した存在理由(生きる意味)


"あちら"では知れなかった彼らの生きた日常の断片でもって『ソノヒ』を切り崩し、壊して、嗤ってやるために。


と、まぁそれが理屈の話。

そういう可愛くない思考を抜きにして"個人的に仲良くなるならどうか?"と考えるとしたら…それこそ私は性別に頓着しないかな。


一緒に遊ぶとなるとグループ的に女性がそりゃ多かったけれど、普通に男性とも話してたし遊んでた。

相手に彼女さえいないなら愚痴や世間話聞きがてらファミレスやカフェにだって一緒に行けるタイプだからね、私って。

親友曰く、"完璧な友人"過ぎて彼氏彼女に発展しないのが私らしい。未だにそのレッテルは理解不能だが。


そもそも、私があえて四葉さんに関して二択で優劣を付けるのだとすればそれは、男だとか女とかの話ではなく…"四葉さん"であるか"アイツ"であるかって問題くらいなんだよね。答えなんて一択だけど。


以上が私の持論である。吐いた言葉の中身である。


さて、言いたいことを好きに言ってみたワケだけど…彼の質問に沿った答えになっていたかは甚だ疑問だな。ま、いっか。

言外に他に言うことはないと伝えるように私は四葉さんから視線を外し、再度ミルクに手を伸ばす。

こくりとミルクが私の喉を通る音だけがいやに静かになった空間に響いた気がした。


何も言わない四葉さんに気まずさを感じつつ白く揺れる水面からちらりと視線を上げると、彼はらしくない表情を浮かべて停止しているではないか。

呼吸しているかも不安になるくらい微動だにしないその様子は元の美人さも相まって精巧な人形にも見えるけれど、あまりにも人間らしいその…目の前で膨らんだ泡が突然弾けたかのように頓狂な、幼子が不思議に直面したような表情がそれを打ち消している。


「あ、あの…四葉さん…?」

「…えっ、あ…はい」

恐る恐る声をかけると金縛りが解けたみたいにびくりと体を揺らし、彼は誤魔化すような笑みを張り付けた。

「すみません私、嫌なこと言っちゃいました…?」

「いえ!そんな事は断じてございませんよ。よ?」

「本当に…?なら、いいんですけど…」

反応の悪さに引け腰になる私に、四葉さんは慌てた様子で椅子から腰を浮かせて否定を返す。


彼はばつが悪そうに目を泳がせながら小さな謝罪と共に座り直して、改めて口を開いた。

「わたくし、自分でも驚いてしまうくらいその、嬉しかったみたいでして…取り乱してしまいました。ね?」


へにゃりと笑うその顔には湯上がりのものとは違う赤みが差していて、成る程確かに照れが見える。

一連の挙動不審な態度の理由は分かったけれど、代わりにまた別の疑問がむくりと顔を出した。

私、そんな四葉さんレベルの美人を照れさせるような台詞を吐いただろうか?、と。


「ね、綴戯さん。わたくしはあなたにとって価値があるのですか?か?」

「え、そりゃありますよ」

逆にこんな美人さんに価値がないとかある?

全世界を敵に回したいのか?


それにしても気にするのが価値ってところが能力者らしいというか…まぁこの人達が他人と付き合う理由は仲間云々を除いたら興味や価値の有無らしいからね。

…文字に起こすと冷め具合が酷いな。

愛と勇気だけがフレンズって字面くらい酷い。


まだ二日程度の付き合いだけれど、彼には既にたくさん助けられて気遣ってもらっている。それに一緒に笑ったり訓練を見てもらったり…そんな、暖かい時間をもらっているのだから、四葉さんに価値がないなんてあり得る筈もないだろうに。

憎き"アイツ"ならまだしも。


「ほほほ、ありがとうございます」

「どう、いたしまして?」

そんな心底嬉しそうな顔をされる理由はやはりいまいち分からないけれど、私の口は反射的にありふれた言葉を返した。疑問系にはなったが。

まぁ失礼になってないならいいか。


「ふぁ…」


お喋りで気が抜けたのか能力を使った故の疲労が来たのか、それともホットミルクのおかげだろうか。

ぽかぽかした体は漸く睡眠を欲したように欠伸をこぼす。


「あらま、引き留めてしまったようですみませんでした。明日もありますし、早くお休みになった方が良いでしょう。ね?」

とろりと甘やかすような顔で笑った四葉さんは私の分のマグカップも持って立ち上がってしまった。

あ、と思っても一度眠気を自覚した体は鈍く、ワンテンポ遅れて伸ばした手はあっさりと空を切る。


「すみません…自分で…」

「ほほほ、良いのですよ。よ?その代わり…もう無断であの能力を使わないこと。自覚が無いようですけれど、あなたが思うより消耗しているようにお見受けしますよ。早くお部屋にお帰りなさい。ね?」

「う"」

あっさりとバレている事実に背へ冷たいものが走り、ふわふわしていた思考がすとんと地に足ついた。

四葉さん…笑顔が笑っていないという矛盾。こっわ。


曰く、私が日頃垂れ流しな無意識の能力は神経を研ぎ澄ましても全然察せないらしいのだけれど、意識して使った能力は不慣れ故に他の能力者より余程荒く、こちらは意識せずとも容易く察せるレベルらしい。

つまりロッジ内全員にバレていますありがとうございません。


「今は時間的に見逃しますけれど、明日のお説教は覚悟しておいてくださいね。ね?」

「はぁい…」

私の明日の予定にお説教がNew!と主張する文字の幻覚を伴いながら追加された瞬間であった。

約束事は守りましょう。


「では、お休みなさい綴戯さん。お話にお付き合いいただきありがとうございました。ね?」

「いえ、こちらこそ!…お休みなさい。四葉さん」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


四葉さんと別れ、眠気と明日への不安を引き摺りながら自室に戻った私はすぐに歯磨き等を済ませると、ボスンとベッドへ身を沈める。

このまま眠れるかと思ったけどやはりそわそわしてしまうので、昨日と同じく図書室を『開示』しながら私はゆっくりと眠りについた。


…筈だったのに。


ピリリ、ピリリ、ピリリ、ピリリ、ピリリ…


無遠慮な着信音が真っ暗な室内に響き、私は眠りの底から無理矢理引き上げられる。

煌々と光る端末の画面に示された時刻は二時と少し。

非常識な時間帯など知ったことかと白々しく羅列された数列はやはりというか昨夜と同じもので、私はばすんと布団を頭から被ってシャットアウトした。


ピリリ、ピリリ、ピリリ、ピリリ…

ピリリ、ピリリ、ピリリ、ピリリ…

ピリリ、ピリリ、ピリリ、ピリリ…


「あぁ!!もう!!!!」

あっさり諦めるだろうと思っていた私の予想を裏切るようにエンドレスで続く着信音に、先にこちらが折れる。普通にうるさい。

ただでさえ苛つく相手プラス叩き起こされた私の機嫌はマリアナ海溝にでも潜る勢いで落ちていて、端的に言えばとんでもなく不機嫌であった。


だからか、昨日のように即刻切ってしまおうと思うより先に文句を言ってやるという怒りが勝ったのである。

眠気ゆえのおかしなテンションでの決意だった。


〔やっほー!〕

タッチパネルが陥没するくらいの勢いで通話をタップすれば、思った通りの声が着信に負けない無遠慮さを伴って私の鼓膜を震わせたのである。


〔栞里ぃ、元気してる?ってかさ、出んの遅くね?〕

「ふざけんなよ安眠妨害の騒音野郎!」

〔はー…うっざ。あのさ、俺の声ってそこそこ良いと思うんだけど〕

「自分で言うな!!」

さすが時間をものともしない通常運転っぷりにうんざりしながら、行儀悪くも通話口で舌打ちをした。聞こえてしまえ。


深夜遅くかつ明らかに寝ていたであろう相手を叩き起こして尚コレって本当にあり得ない。

この時間に跋扈してるだろう魑魅魍魎でももう少し空気読むんじゃないだろうか。


まぁ幸いな事に眠すぎて若干ハイなおかげで恐怖心が留守にしているからか、普段のように気を張らずとも一ノ世と普通に話せている。

こうは言いたくないけれど、友人と電話してるくらいの気負いなさだ。何となく楽。すこぶる眠いけど。


「…で、何?またイタズラなわけ?…ふぁ」

〔ぶはっ!あっはははは!!ねむそー!〕

「切るわ」

〔あー…ハイハイ待ってごめんって。今日はさ、ちゃんと用事があんの〕

笑いの名残の中に真剣な音を混ぜた一ノ世に、まぁそうなんだろうなと息を吐く。

ちゃんとした理由無しにコイツがあんなに長くコールしてくるとはいまいち思えなかったからね。


嫌がらせだったり悪戯目的気まぐれな遊びであった場合、たとえ始めはノリノリであったとしても相手からのアクションがすぐ返ってこないなら一ノ世の興味は恐らくそんなに持続しない。

少なくとも私の知る"アイツ"はそういうタイプだ。


子供のように拷問まがいの事を楽しみ始めたと思ったら、叫び声が聞こえなくなったり相手が我慢していたりすると一瞬で表情を消して飽きた、つまんねぇと言って潰す奴だった。…嫌なこと思い出しちゃったな。


「はぁ…用事があるにしてもこの時間は無いでしょ。非常識だっての」

〔仕方ないじゃん。俺さ、今の今まで仕事してたワケ。つーかまだ残ってんだけどさ。今はブレイクタイムってやつ?はー…俺ってば働き者で超良い子〕

良い子がこんな時間に電話してきてたまるか。

ホントの良い子はグッスリお寝んねしてる時間だっての。

いい加減その単語が自分に無縁だってことに気付くべきだと思うぞ。


でも、と私の寝惚けた頭はひねくれた悪たれ口ではない言葉を弾き出す。

「…お疲れ様」

〔…え…?…あ…うん…〕


あれ?今自分は何て言った?と空転する思考に眉を寄せながら、しかしらしくないことを言ったような気はしたので、無かったことにするようにん"ん"っとオッサンっぽく喉を鳴らして誤魔化した。


〔…栞里さ、めっちゃ眠いんだ?いつもより素直じゃん。あっはは!かわいーとこあるね?〕

「うるさい忘れて空耳だ早く要件言わなきゃ切るぞ」

〔はー…面倒くさ。じゃあさ、栞里が寝落ちする前に済ませよっか〕

最初からそうしてくれと思いつつ、思いの外硬い声色に落ちそうな意識を何とか繋ぎ止めながら耳を澄ませる。


スピーカーの向こうからは一ノ世の息遣いの他にカラカラと引き出しを開ける音と、コロンと何かを机に転がしたような音が聞こえた。


〔栞里に聞きたいんだけどさ…ーーーーーー〕


正直その後の話は眠すぎて覚えていない。

"記録"でも見れば残っているだろうけど…まぁちゃんと受け答えは出来ていた筈だから別に良いだろう。

ただ…


〔…そっか。ふはっ!そっか!いやぁ栞里はさ、やっぱり最高だわ!〕

「うるさ…。もぅいい…?ちょ、限界」

〔ん。ありがとう。…おやすみ〕


やたらと優しくて甘い声が、最後に聞こえたのは覚えている。

もうその頃には意識なんてほぼ沈んでいて、夢か現かも定かではなかったけれど…不思議とハッキリ聞こえたのだ。


そしてそのまま、私は悪夢もなくグッスリと眠りについた。



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