9-4
真上に昇った太陽が雲の隙間から地をジリジリと焦がすように照りつける。
風の少ない森はただ静かで、チィチィと鳴く名も知らない鳥達だけが電池が切れて訓練場に倒れ込む二菜ちゃんと至くんをからかうようにあらあらまぁまぁとお喋りを交わしていた。
「まったく、だらしがないな」
「本当ですね」
屍状態の学生二人とはうって変わって、呆れを言葉に混ぜた七尾さんと三神は汗こそかいているもののけろりとした様子で二人を見下ろしている。
体力の差が…と言うよりは動きに無駄があるか否かの問題だと四葉さんは言っていたけれど、私にはどのみち分からない次元の話だね。
「二人とも、大丈夫?立てそう?」
「お、お姉さぁん…二菜、もうダメかも…」
「なら昼飯は抜きだな」
「元気いっぱいになりました!!」
七尾さんの一声でしゅばっと立ち上がった二菜ちゃんは疲れもどこ吹く風とすっ飛ばし、キラキラとその桜色の瞳…とついでにヨダレを煌めかせて空へと両手の拳をつき出していた。
欲望に忠実過ぎていっそ清々しい。
至くんはと目を向ければ彼も音も無くすくっと立ち上がっており、何事もなかったような顔をしているけど…きっと彼もそこそこにお腹が空いてるんだろうな。
「ロッジに帰って食べるんですか?」
クスッと小さく笑った後タオルを手渡しがてら七尾さんに尋ねると、彼は緩く頭を振った。
「いや、近くに川があってな。今日はそこで食べようと思っている」
「どうせ午後もここを使いますからね。移動も手間ですし…一々貴女を担いでいくのも手間ですから」
「うぐっ」
「こらこら三神さん」
ムカつくけれど反論出来ない。
皆は近所の公園感覚で来たみたいだけれど、私の足じゃ少なく見積もっても三十分はかかるだろう距離だ。
つまり移動の度に七尾さんのお荷物にならざるを得ない訳である。大変申し訳ない。
となると、近くの川という提案はもしやまた気を遣わせてしまったが故なのではないかと肩を落とす。
そんな私の背を、七尾さんは子供を励ますようにポンポンと優しく撫でた。暖かい手からは気にするなと言外に伝わってくる。
「川の方が気晴らしになるだろ。な?」
「その通りですよお姉さん!ささ!早速行きましょう!」
「小生達も行き帰りで無駄な体力使いたくはありませんのでロッジには帰りたくないっていうかぶっちゃけ小生はどこだろうとお昼が食べられるならオッケーなので行きましょう綴戯さん」
「あ、待って!」
二人に促されながら、私は歩き慣れない森へと足を踏み入れた。
あまり手入れされておらず道と呼べるのかも怪しい通路には雑草が繁り、そこかしこに木の根が顔を出している。
油断していたら転びそうだと気を付けながら少し歩くと、耳が確かに水の音を拾った。
近くとは言っていたけど…本当に近かったんだね。これなら至くんは終始音が聞こえていた事だろう。
迷わず進む背中を追いながら更に歩いて行くと木々の隙間からきらりきらり反射する光が見え、いっそう大きく聞こえるようになった川のせせらぎがおいでおいでと私を誘う。
誘われるがまま少しだけ足を早めれば、すぐに森の先が開けた。
「…わぁ!」
腹の底から感嘆の声がとびだす。
白っぽく丸い石がプロムナードのように敷き詰められた真ん中を、透明な鱗を持つ大蛇がくねりと体をくねらせながら這っているかのように神秘的な水の帯が横たわっていたのだ。
近付いてみれば、その透き通った腹の中では水の流れに逆らうように尾を揺らす魚達がゆらゆらと泳いでいる。
「きれい…」
たった三文字の言葉を絞り出すように呟いた。
感動に胸が詰まって、吸い込んだ空気を吐き出すことすら惜しいと思ってる自分が可笑しいや。
木と土と水の、地球の香り。体が実家にでも帰った時のように喜んでいる気がした。
「きゃはははは!!魚だ!魚がいるよ至くん!お姉さん!!」
そういえば、島には川は無いんだよね。
なら二人にはこの光景は新鮮だろう。
二菜ちゃんは見るからにはしゃいでいるし、至くんもずっとそわそわと靴の裏で砂利を転がしているみたいだから。
「こらお前ら、遊ぶなら昼飯の後にしろよ。じゃなきゃ私達だけで先に食べるてるからな」
「「はーい」」
それはそれは美しい回れ右で川辺に張り付いていた二人が戻ってきた。
いや変わり身早いな。実家にいたネコチャンを思い出すよ。
オモチャで楽しく遊んでいたクセに、缶詰をパカッと開けると一瞬でお皿の前にいるあの感じ。
まぁつまり二人とも可愛いって事が言いたいわけである。
昨日のようなシートは持って来ていないらしいので皆思い思いの石に腰を落ち着かせるも、三神は良い位置が見つからないのか笑みに影を落としてごそごそしていた。
「…座り心地悪いですね」
「文句言うな。綴戯を見習え」
「えっ私…!?」
いきなり向けられた話の矛先にすっとんきょうな声が出てしまったじゃないか。
私から一体何を見習えと言うのだろうかと頭を捻ると、皆の視線が私の座る石に集まっていることに気付いた。
それはただの石ころではなく、私が石の形を上手く組み合わせながら即席で作りあげた背の低いオブジェのような物である…って、あー、これか。
「ほほほ、器用なものですね。ね?」
「いや手慣れすぎでしょう…すぐ組み上げましたよね貴女」
「まぁ、ほら…"あっち"で培われちゃったからね。家具の代わりにしてたんだよ」
「は???」
注目されている視線を散らすべく、手慰みに足元の石を組み上げて同じような柱を拵えていく。
"アイツら"含め人が消えた"あちら"には、家具だ何だと呼べるくらいに形を残しているレベルものなどもはや存在していなかった。
別に今更地べたや瓦礫で座れない寝れない等と言うつもりは無いけれど、何年も一人で彷徨っているとまぁ暇な訳で…
退屈しのぎにパズル気分で弄り始め、いつの間にか無駄なスキルがバッチリ磨かれる結果になったのである。
「"記録"のお陰で石同士の形は覚えていられるでしょ?だから嵌まるだろう形はすぐ思い浮かぶし、後は見付けるだけだから意外と難しくないよ?」
二つ目のオブジェを作り終えながらそう言って川原に落としていた顔を上げると、何故か皆から生暖かい視線を送られている事に気付く。いや、約一名は呆れたと言いたげな視線だが。
「あの綴戯さん今度小生とソファ買いに行きましょうそうしましょうふっかふかで体が沈むやつ買ってあげます」
「じゃあじゃあ、二菜は人をダメにしちゃうクッションをあげますね!!」
「いや何で!?」
「ほほほ、ならわたくしは実家に頼んで最高級のベッドを御用意しましょうか。ね?」
「なら私はテーブルだな。やはり一枚板が良いだろう」
「要りません!!もらえません!!使えません!!」
一斉に私の家具を揃えようとしてくる皆を慌てて声を荒げながら止めた。冗談ではなく目が本気なんだけど!?
いくら二菜ちゃんと至くんの収入がリーマン越えでも学生の金で贅沢なんて私的にはアウトだし、四葉さんの実家チョイスなベッドなんて落ち着いて寝れるような金額じゃないだろうし、七尾さんのお金は全て大樹くんに使っていただきたい。
そもそも私は主張しない、しかし風韻を漂わせたアンティークが本達とひっそり息づく今の図書室が気に入っているのだから。
そう息巻けば皆は渋々と納得してくれたけど…本当に能力者のスイッチは分からない。
興味の対象に向ける熱量ホントに異次元だよね。
「貴女、病的に無欲ですね。本当に女性ですか?性別あってます?」
「世の女性にも私にも失礼だわ」
今まで静観していた三神に宇宙人ですか?と同じニュアンスで懐疑的な音を紡がれ、足元の小石をぶん投げた私は悪くないと思う。
当たらなかったけど。
さて、気を取り直して本日のお昼ご飯のご開帳である。
七尾さんと四葉さんがやたらデカイ風呂敷包みから取り出したのは巧緻な装飾があしらわれた五重の重箱×四であった。
重箱を見るとお正月やお花見が連想されるのに、視界に入るのは雪でも桜吹雪でもなく豊かな緑と川。どことなくミスマッチな感じがして面白く映る。
一段ずつ開けていくと、中にはずらりと石畳のように並べられたおむすびと色味まで繊細な重箱に映える和のおかずがみっちり敷き詰められていた。
今日は朝食といい寮母さんは和食推しの日らしい。
赤ジソ、ごましお、ちりめんじゃこ、ワカメに鮭フレーク、そしてシンプルな白…色とりどりのおむすびはどれもお米が嬉しそうに輝いていて、一粒一粒がしっかりと立っているのが見てとれた。
そんなおむすび達は形までしっかり揃っていて、もはや芸術品みたいですらある。
『いただきます!!』
合図もなく皆で唱和した後、私はまず赤ジソの散らされたおむすびを一つ手に取った。
ぱくりと一口食べた途端にじゅわっと唾液が増えるのを感じる。
これこれ、この鼻に抜けるシソの香りが堪らないんだよね。
お米の甘味とシソの風味が混ざるこの幸福感さえ感じるハーモニーは、昔母が弁当に入れてくれていた時から変わらない。
「ねぇ至くん!中身何だった!?」
「うるさいからボリューム落として小生のはタラコだったけど何中身違うのっていうかお前のは何ソレ肉?」
「もごもごもご!」
「聞いた小生が悪かったから食べながら喋んないで音が気持ち悪い」
ほうほう?白いおむすびはどうやら中身がランダムらしい。遊び心があるじゃん寮母さんナイス!
特に食べられないものもないし私も次は運試ししてみようかと思っていると、突然三神が声にならない叫びをあげてバターンと後ろに倒れた。
「「三神さーーん!?」」
「え、何!?何事!?」
思わず体が跳ね、勢いで蹴った石がカラカラと転がっていく。
見れば彼はちょっと文字化できない呻き声を上げながら口元をおさえ、ぼろぼろと涙を流しているではないか。何それちょっと面白…げふんげふん。
「えっと…嫌いなものでも入っていたんですかね?」
「ほほほ、いえどうやら…」
四葉さんが側に落ちていた食べ掛けの白むすびを拾い上げ、クフクフと酷く楽しそうな笑みを溢してその断面をこちらへ向けた。
白いご飯の中にみっちり詰まった若緑の…何これずんだ??
すん、とそれの香りを吸い込み、四葉さんは確信のこもった顔で頷く。
「わさびです。ね?」
「「ひぇ」」
「ロシアンルーレットかな???」
「そりゃ…まぁこうなるよな」
寮母さんの遊び心がちょっと想像を越えていた。相当な量…というかたぶん白米より多いぞこれ。バラエティーの芸人すら拒否るだろう。
ふわふわにこにこした顔でお玉が良く似合う風貌の寮母さんとて中身は能力者だと実感した。やることに容赦というか常識がないよね。
「ずびっ…っ…ぅ…ん"ん"…!」
もはや一人で水溜まりでも作れそうな勢いで泣く三神にさすがに同情した。
この人もしや不運体質か?まぁ、南無三である。
とりあえず彼の犠牲を胸に白むすびに向けようとしていた手はごましおへ進路変更することにしよう。ありがとう三神…強く生きろ。
「…おや?」
笑いを片付け損ねた顔のまま、四葉さんは何かに気付いたように重箱がくるまれていた風呂敷の一つを覗き込む。
「あれま、同じ包みで気付きませんでしたが…もう一つ重箱が中に残っていますね。ね?」
「いやいやいやもはや何が入ってるのか恐怖なんですけど中身全わさびとか出てきても不思議じゃないっていうかいっそ爆発の可能性すら視野に入ります」
「さすがに爆発はしないんじゃないかな…」
「九重落ち着け」
至くん的に無差別わさびテロは効いたらしく、警戒心剥き出しの野良猫チャン状態である。
気持ちは分かるけど、さすがに開けたらドカンはないと思う。
「ほほほ、熊ヶ峰さん用らしいですよ。よ?」
「え!?二菜に?本当ですか!?」
「よし熊ヶ峰開けろぶっちゃけ小生中身に興味はあるし熊ヶ峰用ならこっちに被害はないっていうか完全に食べ物だから安心でしょ」
「わぁ…手のひら高速で返した…」
「九重落ち着け」
逆立てていた毛を何事も無かったように寝かせ、彼は二菜ちゃんの隣でそわそわと重箱を覗き込んだ。
かくいう私もそして七尾さんも気になって、結局三神除いた皆で囲む形になる。
「では!いきますね!…わっしょい!!」
いや掛け声、と突っ込もうとして、私は中身に目を奪われた。
「おぉぉぉ!!」
「「「「うっわ」」」」
キラキラと目を輝かせる二菜ちゃんに反して、私達はもれなくドン引きである。
女子寮の寮母さんはやはりぶっ飛んでいるみたいだ。
私はお世話になるのが職員寮の寮母さんで良かったよ。
いくら二菜ちゃんの為に量を増やそうと思ってもさ…四角い重箱ぎっちぎちにどデカい三角のおにぎり一つを詰め込まなくてもいいと思うんだ。
いつぞやの数学…いや算数?のテストで見たような、図形の面積を求めなさいという問題に添えられてそうな見た目だった。
というか、ここまでするのならもういっそ普通にご飯を敷き詰めれば良いと思うのだけれど…おにぎりにしておく意味ある?拘りかな?
「これっくらいの♪お弁当箱に♪おにぎりおにぎりドン!とつーめてー♪きゃはは!」
当人はお気に召したようで至極上機嫌に歌を歌い始めた。
地味に的確な歌詞にアレンジしてるし。
そして二菜ちゃんは顔より大きいだろうそれを重箱から取り出して両手で持つと、かぱっと大きく口を開けてパクリ、またパクリとかぶり付いていった。
具まで遠いんじゃないかと思っていたけれど彼女の食べるスピードはすこぶる早くて、気付けばもうすでに艶やかな白米の合間に様々な色合いが覗き始めている。
「いやいやいやどうなってるのそれ色とりどりが過ぎるでしょ何が入ってるわけ」
「んぐ。…えっと、鮭いくら梅干し昆布おかかツナマヨ鶏そぼろ焼き肉玉子焼きエビ天からあげ…」
二菜ちゃんの口から呪文のように流れ出る具材の数々に目眩がしそうな私達へ、にこにこした口端にご飯粒を付けた可愛らしい口から止めの一言が紡がれた。
「それらがみーんな入ってます!!」
それは…果たして美味しいんだろうか。
間違い無く具材が白米という世界の中で群雄割拠の状態である。
どれが天下を統一するだろうか。なんて。
とりあえず、幸せそうに頬張る彼女に皆何も言えずに自分の取り分をパクリと齧ったのであった。
色々ありはしたものの重箱は全て綺麗さっぱり空になり…どうやら例のわさび入りは三神の一つだけだったらしい。引き運強いね。
私達の胃は約一名を除いて十分に満たされる事になった。
しかしその約一名たる二菜ちゃんは未だ物足りなそうな顔でお腹をさすさすと擦っている。
毎度の事ながら入っていった食べ物と本人のサイズが全く合っていないと思うのだけど…本当に彼女の胃袋はどうなってるのだろうか。
と、ぼんやりと川を眺めていた彼女はふといいことを思い付いたと言わんばかりにキュピーンと瞳を輝かせた。
「お姉さん!魚は好きですか!?」
「え、魚…?き、嫌いじゃないけど…」
唐突な質問に目を白黒させながらそう返せば、私の返答に良かったと満足気に笑ってぴょこんと立ち上がった二菜ちゃんはおもむろに川へ向かってスキップ一歩手前のようなうきうきした足取りで歩いていく。
そして皆が何だ何だと首をかしげて見守る中、彼女は川から頭を出している飛び石の上を軽々とうさぎのように跳ねて渡っていった。
「二菜ちゃん!危ないよ!」
「大丈夫ですよぅ!!きゃはは!!」
「ちょ、わかったから落ち着いて!?」
両足がギリギリ揃えられるくらいの石の上ではしゃぐ二菜ちゃんにヒヤヒヤするものの、さすがバランス感覚が良いのか全く危なげはない。
けど、濡れた石なんて滑りやすいんだからツルッと足を滑らせて…なんて可能性は十全にあるのだ。
もう一度きちんと注意して戻ってきてもらおうと思ったその時、彼女は川の丁度真ん中あたりまで渡ったところで動きを止めた。
そして止めどなく流れ行く水の乱反射の名かをじぃっと見つめていた二菜ちゃんの表情が、突然スイッチでも切り替えたかのようにガラリと変わる。
例えるなら…そう、狩人。
桜色の瞳をギンと開いた彼女は次の瞬間、バッシャアン!と派手な音と派手な飛沫を立てて川の中から何かを弾き飛ばしたではないか。
…私の方に。
「へぶっ!?」
「綴戯!?」
「綴戯さん!?」
「おやおや」
「あれま」
びたん!と私の顔面を強打してきたそれは生臭さを残して地面に落ち、びちびちと跳ね回っていた。端的に言おう、魚である。
うんうん、活きがいいね!じゃなくて!!
何で!?
私が一人脳内で騒いでいる間にも二菜ちゃんのハントは止まらない。
ばしゃん、ばしゃんと次々に川原へ飛ばされた魚達があちらこちらで跳ね回るという何とも不気味な光景を着々と作り上げる彼女を、七尾さん達は悟りでも開いたような平坦な目で眺めていた。いや、止めようよ。
「熊だな」
「ええ。間違いなく熊ですね」
「ほほほ、立派な熊ですね。ね?」
唯一至くんだけは頭を抱えて、身内の恥でも晒されたような羞恥やら呆れやらが入り交じった顔でため息を吐く。
「もうアイツ野生に帰した方が良いんじゃないですかいやそうしたら山の幸も海の幸ももれなく食らい尽くされそうですっていうか綴戯さんびしょ濡れじゃないですか大丈夫ですかそれ」
「あはは…」
力無く笑った揺れでパタパタと私の髪から水滴が地面に落ちた。
…そうなんだよね。
私最初の一発目に二菜ちゃんが魚と一緒に吹っ飛ばしてきた大量の水をもろに被って、川にでも入ったのかと思うくらいにずぶ濡れなんだよ。夏だから気持ちいくらいだけど…
『怪力』のパワー故にもはやあれは津波だった。
「ほほほ、確かに酷い有り様ですね。ね?」
「三神」
「はぁ、分かりましたよ。綴戯さん、火を焚きますから…大丈夫そうなら早く乾かした方が良いですよ」
渋々感は否めないものの本当にボッと火を出してくれた三神と彼から出た気遣いと取れる言葉に驚きつつ、私はこくりと唾を飲み込んだ。
怖くは、ある。当たり前だけど、熱気に混じる能力の気配は確かに私を幾度と無く焼いた力に相違無いから。
でも気遣いを無下にはしたくない。向こうだって嫌いな女性である私に対して我慢をしてくれている筈だから。
こっそり握った拳の中で掌に爪を突き立て、痛みで気を散らせながら私は揺らめく焔の暖かさに近付いた。そして…安堵する。
「…暖かいや」
焼け付く熱じゃなく、暖炉のように緊張が解れるような暖かさ。
あぁこの炎なら大丈夫だと判断した体が弛緩した。
「三神、ありが…っくしゅ!」
気を抜いた為かいきなり寒気が来た体をぶるりと震わせてくしゃみをすればまた水滴が舞い、しかし今度は地面に落ちる前にゆらりと湯気になって消える。
「綴戯さん大丈夫そうじゃないのでとりあえず小生のジャージで良かったら使いますかどうですか」
「いやいや、大丈夫だよ!夏とは言え至くんが冷えちゃうといけないから、ね?」
己のジャージに手をかけた至くんを宥めていると、たらふく遊んだ子犬のように喜色満面の笑みを携えた二菜ちゃんが満足気に川から戻り、辺りに散らばった魚を広い集め始めた。
「塩焼き、塩焼き♪きゃはは!沢山食べれるぞー!」
…どうやら少し物足りない、ではなく全然足りなかったみたいだね。
まぁ、午前中昨日の鬼ごっこより動いていただろうから仕方ないか。
と、三神の焚き火で体を暖めている私の元に、でっぷりと肉付きの良い白い腹をくねらせながら青灰の背を夏の日差しにキラリキラリと光らせる大小様々な魚を両手いっぱいに抱えた二菜ちゃんが軽い足取りでやってきた。
それさすがに生臭くない??大丈夫?
彼女は嬉しさを口元に湛えたままに私をじっと見つめ、さぞ不思議そうに目を丸くしながら小首を傾げる。
「お姉さん、どうしてそんなにびしょ濡れなんですか?風邪引いちゃいますよ!」
おっと、純粋な疑問と心配を込めた眼差しが突き刺さるぞ。
なんて良い子、と思いたいところだが騙されてはいけない。
「ほほほ、原因はあなたでございますでしょう。しょう?」
「え!?」
「はーもうお前一回沈んでこい」
二菜ちゃんは至くんに川へぶん投げられ、その後至くんと取っ組み合いに…
双方びしょ濡れになったのは言うまでもなく、二人は結局ロッジに戻って着替える羽目になった。
ついでに私の着替えもお願いしたよ。
二つ返事でオッケーしてくれた二人はやっぱり良い子だ。
落ち着きがない昼だったけど、まぁ楽しそうだったかったから二人の気分転換にはなったのかな?
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遠雷が聞こえたような気がして空を見上げるも白い雲間に覗く深い青空もギラつく太陽も健在で、確かに雲は増えてきたけれど今すぐ崩れる様子はない。
幻聴だったかと思うくらいに日差しは変わらず地面を焼き、濃い影をあちこちに遊ばせていた。
昼食休憩を終えて今から午後の日程が始まろうとしている。
ちなみに、二菜ちゃんが乱獲した魚達は時間の都合もあって食べきれず、半分程が夕食にでもということでロッジの冷蔵庫を圧迫する事になった。
私もヤマメっぽい魚を一尾食べたけどとても美味しかったよ。自然の恵みって素晴らしいね。
「午後は共同任務を想定したコンビネーションの訓練と疑似怪異を用いた戦闘訓練を行う」
盛り沢山だなと思ったのは私だけらしく、二菜ちゃんと至くんは分かりやすく顔をひきつらせてはいたものの、特に文句無く七尾さんと対峙する姿勢を取った。
そっか、これでもスケジュールを加減しているんだっけ…
そうなると例年のハードさは如何程だったのかと気になるところだけど、たぶん聞いても私じゃ月並みな感想しか吐けないのだろう。
だって程度が想像つかないし。
動き出した面々を横目に、私も自分の事をすべく気持ちを切り替えた。
と、つぅとこめかみに汗が伝い、それを拭こうとポケットのハンカチに手を伸ばす。
しかしコツリと指先に触れた布ではない感触にあ、と小さく声をこぼした。
「どうかしましたか。か?」
「え?あ、はい。それが…」
声が隣にいた四葉さんに届いたらしく、コトリと傾く美しい顏に合わせて緩く波打つ金糸が揺れる。
私はポケットからソレを取り出して手のひらに乗せた。
「はて?それはなんでしょう。しょう?」
「さっき川原にで拾ったんです」
キラリと光を反射したのは美しい装飾が施されたカフスボタン。
山の中に似つかわしくないソレは大方カラスにでも持ち去られてここまで来たのだろう。
被害者ドンマイと普段なら思うところだけれど…私は今、いけないと理解しているのにざまぁみろと思ってしまっていて少しばかりきまりが悪かった。
四葉さんの肩越しにやり取りを見ていた三神が、怪訝な顔で小さなソレをじっと眺めながら口を開く。
「そんな物拾ってどうするんです?気に入ったんですか?まぁ、女性は光り物好きですよね」
「いやいらないし、偏見凄いな…。ただ、持ち主に返した方が良いかと…」
思って、と最後まで言い切れずに言葉の尻がすぼみ、掠れて消える。
二人の顔が理解出来ないと雄弁に語っていた為だ。
その表情を見るに能力者には落とし物を拾うという親切心は無さそうである。不特定な他人への興味無いもんねこの人達。
でもこれ凄く高そう出し…何より私は知っている。
「大切なもの…だと、思うから」
そう言葉を続けると、はーと肺の空気を全て吐き出さんばかりの盛大なため息をつかれた。
四葉さんにまで呆れた顔をされてるし…人の落とし物拾ってこんな冷ややかな反応されたの初めてだわ。解せない。
「そんな、わざわざあなたが気にせずとも良いのではないでしょうか。ね?」
「四葉さんの言うとおりですね。一般人は落とし物を交番に届ける習性があるらしいと聞き齧っていましたが…まさか本当とは。他人の物なんてどうでも良いでしょうに」
結構な言われように魔法の言葉で流すことも出来ずにムッとなる。
いや別に私だっていつも落とし物届けるようなお人好しだったわけじゃないけれど…
この人らの落とした人の心を親切な誰かが交番にでも届けてくれないかな。一欠片でいいから。
「好き勝手言うけど、コレそっちの関係者の物じゃんか」
口を尖らせながらぼそりと呟いてから、我ながら子供っぽい拗ね方をしたなとじわりと恥ずかしさが滲む。
そんな私の台詞に虚を突かれたような顔をした四葉さんと三神は顔を見合わせた。
「失礼します。ね?」
ヒョイと四葉さんがカフスボタンをつまみ上げ、くるりくるりと回して傾けて裏返してと隅々まで観察を始める。
そんな鑑定士が査定でもするかのように見なくても良いと思う。拡大鏡でも懐からとりだしそうな勢いだ。
一通り見て観察を止めた四葉さんは、影を落としたような重い表情を携えながらカフスボタンを睨むように目を細めた。
「これ…わたくし達のバッジと同じような機構が組み込まれております。ね?しかし、作りが違います」
「作りが違う、ですか?確かに僕も見たことがない形状のものですが…」
三神が怪訝な顔で四葉さんからソレを受け取り先ほどの彼のようにじろじろと観察する。
バッジってあれだよね、一般人から姿を隠す為に皆が使ってる超小型の光学迷彩展開装置。
四葉さんの白衣の襟や三神のシャツの胸元に今もしっかり付いている指先くらいの大きさのそれは、島北の研究施設で作られて個別に支給される特別な物なのだそうだ。
あのサイズなのに静脈認証が搭載されて本人以外使用不可な上、使用履歴や使用地点の座標も本部に伝わるし残るとか。
厳しいと思うなかれ。透明になれる機械が無法にばらまかれてたら堪ったもんじゃないぞ。
しかし…
「…何で起動できるんですこれ」
私には良く分からないけれど、どうやら三神の物ではないにも関わらず使えているらしい。
「ふむ…やはりおかしいです。ね?ほら、わたくしにもできますでしょう。しょう?」
そして四葉さんも同様に。
「使用者を限定しないタイプなんて僕は知りませんよ。…試作品であればありえますけど」
「となると施設関係者の持ち物となりますね。ね?しかし…ふむ…」
納得いかないような四葉さんを横目に私は内心でひっそり首をかしげた。
《サァ!皆殺しダヨ!!劣等種など一匹残さず駆逐してあげるカラネ!Rejoice!皆一緒ならさみしくないデショ!!hahahaha!!!》
私の知る"アイツ"はそんな、研究ってタイプには見えなかったけれど…まぁ人は見かけによらないと言うし。
「四葉さん?」
「杞憂であれば結構。しかし…とにかく確認を取るべきでしょう。ね?」
口調はいつも通り穏やかながらどこか硬い四葉さんの声色に落ち着かなさを感じて、私は視線を爪先に落としながらざりざりと地面を擦った。
何となく雲行きが怪しいような気がして、どうして仲間だろう"アイツ"の持ち物でこんな事になってしまったのか…もしや私の勝手な行動は間違った選択だったのかもしれない。
あぁもう、この込み上げる不安感も砂に書かれた絵のように一撫でで消せたなら良いのに、なんて。
「綴戯さん」
「…っんぇ!?あ、はい!!」
油断していたところを呼ばれ、声がバカみたいにひっくり返った。恥ずかしい。
「あなた、持ち主をご存知な口振りでしたでしょう。しょう?」
「少なくとも、同じ物を大事に付けていた人であれば…"記録"にあります」
「研究施設所属の人物となると僕にはさっぱりですが…まぁ久夜なら分かるでしょう」
そのカフスボタンが量産品なのか特注品なのかは分からないから確実にとは言いきれないけれど、いつ見てもそれを身に付けていた奴なら私は確かに知っている。
「えっと、その人の名前はーーーーー」
名を告げても二人共ピンと来なかったようで、三神は表情を曇らせながらもカフスボタンを懐にしまいこんだ。
「やっぱり知りませんね。そもそも研究所の知り合いなんて一人しかいませんし」
「ほほほ、わたくしもあちらの皆さんには興味無いので…」
「いや一応仲間なんですよね…?」
そりゃ、東京の人間皆覚えろなんて言われたらふざけんなって話だろうけど、同じ会社の人間くらいなら部署跨いでも少しくらい知ってて良いのではなかろうか。
「とりあえず久夜に渡して確認を取らせます。持ち主が分かればそのまま渡すよう伝えますので、それで宜しいですね?」
「え、三神は交番のお巡りさんだった…?」
「誰がそんな世のため人のために働くものですか。却下」
「ごめんごめん。構わないどころかありがたい話だよ」
持ち主を探して、あまつさえ返してくれるというなら断る理由なんて私には無い。
まさか三神がそんな事をしてくれるとは…明日は雨?いや、雨は実際降りそうだけど。
ともあれ丸く収まりそうで良かった。変なトラブルの種を持ち込んだかと思ってヒヤヒヤしたよね。
「さて、無駄話はこの辺にして…貴女の訓練でも始めるとしましょう」
「はい!お願いします!」




