8-5
「綴戯?何やら凄い音がしていたが大丈…夫じゃなかったな」
「おやまぁ…」
会議が終わったらしく揃って顔を出した七尾さん達は、心配の色を張り付けた二年生達に囲われながら床とお友達になっている私に憐れんだ視線を注いだ。
「皆さん…お疲れ様です…」
「ええまあ…貴女も、ね」
体も起こさずこんな状態で出迎えてしまって申し訳ないとは思いつつ、しかし全力でマラソン走りきったような疲労困憊具合に指一本動かすだけでもキツいので許して欲しい。
「一応カレーは…出来ているみたいだね。うん。美味しそうだ」
つい先程までコトコトと火を弱めて煮込んでいた鍋からはいまだ白い湯気が立ち上ぼり、食欲を誘う独特の薫りがその煙に乗って台所を隙間なく満たしているようだ。
料理の出来映えは鍋を覗き込んだ東雲兄妹の表情を見れば自信を持っても大丈夫そうだろう。しかし…
「ただカレーを作っていただけとは思えない有り様だな…」
「ほ、ほほ…族でも侵入したと言われた方がまだ納得出来ますでしょう?しょう?」
皆が口を揃えて言う通り、台所の様子は相当にカオスな状況だった。
ある程度片付けたとはいえそれでも尚残る痕跡が、あの騒がしさを空気中へ滲ませてありありと伝えてくるようである。
カレーはまぁ色々ありはしたけれどなんとかなったのだ。問題は最後の最後。
《にぎゃー!?虫!虫が出てきたにゃ!!》
あちらではマオちゃんが野菜から出てきた虫に取り乱して周辺ごと爪で切り刻み。
《わ!?なんすか!?》
そちらでは瀬切くんが何を入れたのかは想像つくけどお約束のように電子レンジを爆発させて。
《…あ》
仕上げに門倉くんが寝惚けたままドレッシングを取り出そうとして調味料の棚ごとひっくり返した。
付け合わせのサラダを作りたかっただけなのに、皆ラストスパートだと言わんばかりにやらかしてくれた訳である。こんな粘り強さは求めていない。
「すみませんにゃ…綴戯さん」
「結局お邪魔になっちゃったっすよね…」
「面目ないでぇす…」
先程までの跳ね踊るように活発だった火が消えてしまったようにしょぼしょぼと体を縮める三人に、私はよいしょと重い体を引き起こして順番にその頭を撫でた。
「気にしないで。私は皆が手伝ってくれて嬉しかったよ!ありがとう」
一人でやる筈だっただろう事を考えると皆の手があって助かったのは確かだし、何より、大変ではあれどとても楽しかったのも本当だから。
ぱっと表情が晴れた三人にわぁと抱きつかれ、また床とお友達になりそうだったところを七尾さんに支えられた。
私含めた四人分の体重にびくともしない片手の頼もしさよ。
「お前達散れ、散れ。綴戯、配膳は私達がやるから休んでいろ」
扉一枚隔てた食堂スペースを示されたものの、それは申し訳ないと難色を示す。
すると頭上から明に呆れを孕んだ盛大な溜め息が落ちてきた。
「僕らはもう手隙ですし、休めと言われたら素直に休めば良いんですよ。社畜ですか貴女」
言い方は嫌みたらしく笑顔も相変わらず胡散臭いが、言葉の端に滲むこちらへの気遣いというか心配は本物らしい。
意外だなと内心で独りごつと、クスクス笑う二つの声が鼓膜を擽った。
「僕らもタダ飯食らいにはなりたくないからね。任せておくれ」
「ほほほ、それに言ってありますでしょう?ね?今日は無理してはいけません。ね?」
こうも皆から言ってもらって尚意地を張るのは逆に失礼かと苦笑し、私はペコリと頭を下げる。
「…分かりました。お言葉に甘えさせていただ…」
言葉を言い切る前に木造のロッジ全体を揺るがすようなドドドドという音が台詞を掻き消した。
この、猛スピードで駆けているような音には覚えがあるぞ。
私は来るべき衝撃に備えてぐっと腹に力を入れるように心構えをする。
直後。
「いい匂いがしますーーーー!!」
やはり、と言うか…
バァン!と盛大に廊下へ繋がる扉を吹っ飛ばして現れたのは、ぐぅぐぅと獣のイビキのような音を奏でるお腹を携えた二菜ちゃんと彼女に引き摺られるように…いや、実際引き摺られてボロボロになっている至くんだった。
ガコンと床に落ちる扉に、背後の七尾さんからヒヤリとした冷気が漂ってくるのが恐ろしすぎて振り向けない。
「ふざけるなよ馬鹿突然部屋に押し入ってきたと思ったら小生ひっ掴んであげく引きずり回すとか何喧嘩売ってんのマジであり得ないし扉壊すとかもう馬鹿本当に馬鹿」
「ごめんってば!だって二菜お腹すいたんだもん!あと至くん馬鹿って言い過ぎ!」
「コレが馬鹿じゃなくて何が馬鹿なんだろうなァ熊ヶ峰?」
「「げ」」
いつの間にか四恩さんに私の支えをバトンタッチしていた七尾さんがゆらりと幽鬼のように二人の前に立ち、ご自慢の拳をゴチン!と振り下ろした。うっわ痛そう…
「扉を壊すんじゃねェって何度言やァわかンだよ!!ア"ァ"!?」
「っ"う"」
「待って待って痛い痛い小生完全に濡れ衣って言うか引き摺られた被害者なのに熊ヶ峰と一緒に殴られるのマジで納得いかないんですがどうですか」
「連帯責任だ!!」
七尾さんの剣幕に二年生達は、彼の視界から逃げるようにそそくさと私と四恩さんの後ろに隠れている。
トラブルメーカーでよく怒られるからか逃げスキルが高い。
「んふふ、毎年合宿の度にどこかしらの扉や窓を吹っ飛ばしていた人が今やそれを叱る側なんですから愉快なものですよね」
「こら、三神くん」
ちょっとそこ、彼の学生時代がそこかはとなく気になる情報を軽率にちらつかせるは止めていただきたい。聞きたくなっちゃうじゃないか。
頭に立派なコブをこさえながらも二菜ちゃんは痛みより食欲が勝ったのか、鼻を膨らませて空気をいっぱいにとりこんだと思ったらにへっとだらしなく頬を緩ませてじゅるりと涎を垂らした。
「この、二菜のお腹をダイレクトに刺激するスパイシーな薫りは…ズバリ!カレーですね!!」
「ふふっ正解。二菜ちゃんはカレー好き?」
「大好きですっ!!!」
ぐー!と彼女のお腹も同意するように音を鳴らし、あまりにも気の抜けるそれに皆どっと笑いに包まれる。
ご立腹だった七尾さんですら、やれやれと肩をすくめて仕方ないなと笑っていた。
「よくもまぁ今までぐっすりだったくせに寝起きで胃が絶好調なものだよねまあ小生もお腹はペコペコだけど」
「沢山作ったから、至くんも二菜ちゃんも沢山食べてくれると嬉しいな」
足りるかは分からないけどという不安をそっと飲み込みながらそう言えば、二人はビタッと面白いくらいに動きを止めて錆び付いた玩具のようにギギギギと顔を私に向ける。
「作った…?って、お、お姉さんが作ったんですか!?」
「え?うん。そうだよ。私と…」
「「「我々が作りました!」」」
「いやって言うかずっと気になってたんだけどなんでいるのお前ら」
二年生達がかくかくしかじかと語る経緯に二人は嫌そうに顔をしかめ、槝木を口々に罵った。
どうやら二人の担任になった事は無いらしいが五月雨さんは経験者らしく、彼女から色々聞いていたらしい。
「まぁとにかく!嫌なことも疲れもお姉さんカレーを食べて吹き飛ばしましょう!!」
「いやそんな大層な効果を期待されても…ただのカレーだよ?」
「大丈夫ですメイン製作者が綴戯さんってだけで生成アイテムに大幅なプラス値が付くんでたぶんエリクサー的な効力になっていると思います」
いくらなんでも大袈裟ではないだろうか。
あまりゲーム方面には詳しくはないけれど、確かエリクサーって錬金術では言わば万能薬的なアレだよね?
夏野菜と市販のカレールゥでどんな錬成をしたっていうのかな。
と、はしゃぐ二菜ちゃん達を七尾さんがパンパンと手を打ち鳴らして落ち着かせた。
「お前達、食いたいならいい加減夕食の準備にかかれ」
『了解!』
ささっと散開して各々準備を始めた皆に私もそっと混ざろうとしたけれど、にっこにこの笑顔を浮かべた四恩さんにあっさり連行される。四葉さん、いい笑顔で手を振らないで。
そうして、食堂の長椅子に大人しくしているようにと再三念を押されてぽつねんと座らされて暫く。
扉と壁を隔てていた喧騒は楽しげに並べられていく食器達と共にこちらまで足を伸ばし、私に寂しいと感じる隙すら与えないままあっという間に大人数の食卓が完成してしまった。
人数の力って凄い。
「先生!!門倉がコップ割りました!!」
「そういう熊ちゃん先輩だってぇ、さっきお皿一枚割ったの見てましたからねぇ」
そしてこのたかが数分でやらかす皆も凄い。
トラブルがやぁ!と諸手を上げてやって来ているのか、はたまたトラブルを一杯どうだい!と居酒屋よろしく呼び込んでしまっているのか…
「七尾先輩。何故紙皿と紙コップにしなかったんです。メンバー的に無理があるでしょう」
「私も今激しく後悔しているからそっとしておいてくれ」
取り敢えず片手で顔を覆い、肩をかくりと落としてしまっている七尾さんには強く生きて欲しい。
憐憫の視線を七尾さんに注ぐ三神の向かいでは、東雲兄妹が互いの皿を見下ろしながクスクスと嘲笑交じりの声を二重に奏でていた。
「ほほほ、兄さんは相変わらずカレーにらっきょうですか。ね?分かっていませんね」
「そういう四葉は福神漬けをどれだけ乗せれば気が済むのかな」
「はて?」
「ん?」
いや、滅茶苦茶些細な事で喧嘩するじゃん。
相手のを自分が食べる訳じゃないのだから別に良くないか?と思うのは私だけだろうか。
と言うか地味な喧嘩をするわりに、わざわざ四恩さんの隣に腰を下ろした四葉さんは何なのか。
「綴戯さん量はこのくらいで大丈夫ですかどうですか」
「あ、至くん!ありがとう大丈夫だよ」
コトリと私の前へ丁寧に盛り付けられたカレーが置かれ、私は彼へ笑いかけながらお礼を述べた。
五体満足なのに私の分まで任せてしまうなんてと眉が下がりそうになるが、当の至くんはゆるりとマスクをしていない口元を緩めてどこか嬉しそうに小さく頷いている。
「に"ゃ!?綴戯さんそれで足りるのですかにゃ!?」
「熊先輩の一口分くらいしかないっすよ!?」
「あはは…私、皆ほど動いてないし、胃も小さいからね」
一応標準的な量より少し少ない程度なんだけど…皆が皆皿いっぱいによそっているから余計少なく見えるのだろう。
ちなみに二菜ちゃんはどこにあったのかと問いたいくらいの大皿にお米をチャーハンよろしく半球状に盛り付け、周辺をなみなみとカレーで埋めている。大食いチャレンジかな。
「よし、全員揃ったな。では…いただきます」
『いただきます!!』
七尾さんの声に揃って唱和すれば、学生達はたちまちカレーをかき込み始め、幸せですと雄弁に語る顔をただただ素直に晒しながらむぐむぐと咀嚼を繰り返す。
大人達もまた張っていた気を緩めるように顔を綻ばせながら、学生ほどじゃないにしても手に持ったスプーンを止める間もなく動かしていた。
私もスプーンをきゅっと握り、眼前のカレーに目を向ける。
艶やかな白米の浜とそれにトロリと寄り添うカレーの海からは海霧のように湯気がもうもうと立ち込めて、早くおいでと銀製のスプーンを誘っているようだ。
うん。さすがは寮母さんチョイスの具材達。
質が良いからか調理後も見た目の彩りを欠くことなく浮かんでいる。
少しばかり不格好なものは最初にマオちゃんが刻んだやつかな。
「んーーーー!!美味しいですお姉さん!!今までで一番美味しいカレーですよ!!」
「あはは!大袈裟だなぁ。ありがとう二菜ちゃん」
「はい!!ではおかわり行ってきます!!」
「え"?」
ぴょんと跳ねていく彼女の手には確かに空の大皿があり、私は手に持ったスプーンを落としかける。
「やっば!熊先輩に食い尽くされるっすよ!」
「にゃー!?一大事にゃ!アタシ達も行くにゃ!」
「そうだねぇ。独り占めはさせないよぉ」
「焦るの遅すぎって言うか熊ヶ峰がいる時点で分かるでしょ短くもない付き合いなんだからさあ綴戯さんカレー滅茶苦茶美味しいですありがとうございます」
「あ、うん。口に合って、良かったよ」
嘘でしょ。絶対に足りないじゃん。
二菜ちゃんだけでなく、皆凄いハイペースでおかわりをしている。
いや、学生だけではない。
「三神。私の皿にオクラを入れるな」
「おやおや気のせいではないですか?きっと疲れているんですね。どうぞ、オクラでも食べて元気になってください」
「堂々と入れてきたな…そんなに嫌なら上手く避けてよそえばいいだろうに」
気安いやり取りを交わしながら食べ進める三神と七尾さんも先程おかわりに行ったのを私は確かに見ている。
「ふむ、コレは何か入れたりしたのかな」
「あ、はい。インスタントコーヒーを隠し味に」
「成る程。だから香ばしい風味があるのですね。ね?」
そして、興味深そうな顔をしながら味わうようにカレー…と大量のらっきょう&福神漬けを食べる四恩さんと四葉さんさえも、スラリとした見た目のわりにもう2杯目半ばだった。
尚、サラダなんて私の取り分以外影も形もよそったボウルすら既に見当たらない。
口々に美味しいと言ってもらえるのも、気持ちいいくらいに食べてくれるのも作り手としては胸にじんわり暖かいものが広がるような幸福感があるけれど…それ以上に食いっぷりへの衝撃がデカイ。
もしや能力者は総じて燃費が悪いのだろうか。
そんな事を考えていると不意に七尾さんと目が合い、彼は小さく首をかしげた。
「どうした綴戯?食べないのか?」
「あ!?いえ…」
いけない。皆の観察に夢中になりすぎて手が止まっていたみたいだ。
「…こんな大人数で食事なんて久しぶりで…胸が、詰まってしまって」
わいわいと賑やかでどこを見ても笑顔で溢れ、お腹も胸の内も暖かさでいっぱいに満たされる光景。
あぁ、そうだ。大学の学食で明日の予定や講義の話に花を咲かせながら、私達もこうして過ごしていたんだったね。
過去の私が当たり前に享受していて、今の私が失っていたもの。また1つ、取り戻せた気がする。
眩しさに目を細めても幸福が目を焼いてくる世界からそっと視線を外し、ライスとルゥのバランスも何も考えずにスプーンへ乗せたカレーをパクリと一口頬張った。
それはありきたりな味の筈なのに、何故か初めて食べた時くらいに美味しく感じて…
辛さとは違った痛みに人知れず涙が滲んだ。
『ごちそうさまでした!!』
さて、結論から言おう。足りなかった。
敵は二菜ちゃんだけではなく、皆平均4杯は平気な顔でペロリと食べるものだからお手上げである。
まぁ二年生達というイレギュラーもいたから余計だよね。
瀬切くんなんて6杯食べたし…水季さんは毎日大変じゃないのだろうか。
洗いものをすべくまとめた食器を持って行った私はしかし、気付けば手ぶらで何もせず踏み台にしていた椅子に腰掛けて皆の後ろ姿を見ていた。
魔法でも使われたかな…?
否、至くんにさっと食器を取られ、マオちゃんが椅子を用意し、ごく自然に四恩さんに導かれた結果である。
皆スマート過ぎやしないか。
動こうとすると背中に目でも付いているのか、食器を棚へ戻している四葉さんがにっこりしながら振り向くので私は大人しく座っていることにした。ホラーゲームかな。
と、流しをホイップクリームのような泡でいっぱいにしている二菜ちゃんと至くんの背に、布巾片手に調理台を拭いていたマオちゃんが何か思い付いたように言葉を投げる。
「にぇにぇ、先輩!花火あるんですよにぇ!?この後やりましょうにゃ!」
「いいっすね!!外も晴れてるし!」
「夏と言えば花火だよねぇ」
床を掃除していた瀬切くんやゴミをまとめていた門倉くんも彼女に賛同するようにわいわいと盛り上がり、それに眉を寄せた至くんが布巾で手を拭きながら溜め息をついた。
「いやいやいや何で初日からそんないかにもクライマックス感溢れるやつやっちゃうの別にいいけど」
「二菜は楽しければいつやってもオッケー!!」
「あ、良いんだ…」
何だかんだ言いつつ二人共後輩に優しい。元々の性格もあるだろうし、きっと祈ちゃんにお世話になっていた経験を自然と下の子達へ返しているんだろう。
先輩後輩ってきっとそういうものだよね。
「先生!良いっすか!?」
「構わんが山火事にだけはするなよ」
「久夜はやりましたからね。花火ではありませんが、旅行雑誌で見た京都の真似するとか言って松明振り回してました」
「アイツ馬鹿なの?」
それはあれか、大文字ってやつじゃないか。
成る程合宿のメニューをアイツの時代に合わせてわざわざ厳しくした理由が漸く分かった気がする。
おそらく、"何かやらかす前に疲れ果てて寝てくれ頼むから!!"という切実たる思いもあったのだろう。
「よし!そうと決まれば外にいくにゃ!」
「その前にこっち手伝ってくれないと小生達行けないし花火させないから」
「「「えー」」」
そういうところはきちんと甘やかさず接する至くんに小さく笑みをこぼし、私はカタンと音を鳴らしながら椅子から立ち上がる。
「二菜ちゃん、そっちにあるスポンジ貸してくれる?」
「え!?いえ!お姉さんは…」
「私も早く花火したい、じゃ理由にならないかな?」
まごつく彼女にそう言えば、ずるいですと口を尖らせながら渋々スポンジを渡してくれた。皆できちんとやり始めれば、カレーは汚れは多いものの大して食器は出ないのですぐに済むだろうから。
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どっぷりと日が暮れた夜の森はロッジ以外に人工の明かりなどなく、木々の隙間に見える空の断片から星明かりと月光が僅かに降り注ぐのみ。
そこには暗闇独特の恐ろしさとはまた別に、静けさの中で息を潜める生命の呼吸が感じられる気がして何となく落ち着かなかった。
ぎぃぎぃと鳴く虫の合間にどこかでホゥホゥと人を招くような梟の声が聞こえて、私はそっと森を見渡してみる。
「どうかしましたぁ?」
「うん。梟の声がして…見たことないから、どこかにいるなら見てみたいなって」
少し期待してみたけれど、残念ながらそれらしい姿は見当たらなかった。
「今時はそういう動物と触れ合えるカフェがありますでしょう。ね?」
「僕や四葉はあまり動物に好かれないから縁がないけどね」
「ほほほ?わたくしはそれほどでもありませんでしょう。ね?兄さんの方が余程ですよ。よ?」
「近付いた途端に犬も猫も逃げるのは一緒だろう」
意外だと言おうとして、そういえば中々に重度の束縛系兄妹だったと思い出す。
動物の本能的にこの人達はヤバいなと感じるのだろう。
「…でも、梟のカフェなんてあるんですかね?」
「あるらしい、とは聞いた事があるぞ。それと、『叡智の鳥籠』で飼われているらしいとも噂で聞く」
「どちらも久夜にでも頼めば行けるんじゃないですか」
「難易度よ」
自分のメンタル犠牲にしてまで見たい訳じゃないし、私は自然の中にいる姿を見てみたいだけだからね。
ロッジの敷地内。地面の土がむき出しになっている一帯に案内された私達は、水のたっぷり入ったバケツと大量の手持ち花火を置く。
風もほとんどないし、唐突だったけれど良い花火日和だ。
「三神さーん!火!火をください!」
「二菜ちゃん落ち着こっか。花火折れちゃうからね」
早速最初の一本を手に取った二菜ちゃんがそれをさながら木の棒のように振り回して三神を呼んだ。
そんな彼女に続くように二年生達も口々に火!火!火!と手拍を交えて繰り返し、そのアンコールでもせがまれているのか?と思うくらいの熱烈な呼び掛けに三神は自慢の笑顔の端をひくりと震わせる。
「…ライターか何かあるでしょう」
「忘れてきました!!」
さすが二菜ちゃん清々しい笑顔。満点。
「すみません三神さん花火はバッチリ持ってきたんですがそれ以外頭から抜けてましたしロッジにも何故かそういうものが無かったので」
「…それってもしやアイツのせいですか?」
「だろうな」
「ほほほ、三神さんが協力しない時はロッジのライターやマッチで悪戯していましたからね。ね?」
「担任の髪の毛燃やしたりね」
本当に話を聞く度に顔も名前も知らない担任さんに同情する。
と言うか、五月雨さんの時のエロ本といい幼稚なわりに質の悪い悪戯するんだよな。ヤな奴。
三神は上手く浮かべ損ねた笑顔を諦めるように片付けてため息を吐き、米神を抑えながら呟いた。
「どいつもこいつも…僕はユーティリティライターじゃ無いんですけどね」
いかにも不服そうな声を出しながらも、彼はすっと立てた人差し指からぼぅと人魂のような小さな火を生み出す。
「何だかんだ出してやるとこが三神だよな」
「ほほほ、ああいう子供っぽい相手なら尚更でしょう。しょう?」
「ふふっ、精神年齢的なものかな。子供好きの血が騒ぐんだろう」
「子供好き…」
あちらの"アイツ"の姿を思い出しながら、私はじっと彼を眺めた。
やはり本質は同じなのかな。
思えばあんなに狂っても尚大人は殺す子供は殺さない、と殺す対象をわざわざ選んでいたのは彼だけだった。
そのくらい…三神の子供好きは"アイツ"にすら残るくらい根強いという事なのだろう。
ほとんどない風に蕩揺するオレンジは私が知る色より余程穏やかで、これなら大丈夫そうだと一人詰めていた息を吐いてなんとなく心臓近くを撫でた。
「綴戯くん」
「怖くないですよ。アレは私を殺しませんから」
八の字を寄せて心配そうな声をかけた四恩さんへ私はスッキリと笑って見せて、風船を配る着ぐるみよろしく学生達に囲まれた三神へ視線を戻す。
「じゃあ早速着火しますかにゃ!」
「はーい!じゃあ二菜も!」
「俺も失礼するっす!」
色とりどりの花火を携えて躙り寄る彼女達に三神は慌てて後退して距離を取った。
「…?どうしたんでしょう。あ、二菜ちゃん達に女性嫌いの拒否反応が出ました?」
合宿中普通そうに見えていたから忘れがちだけど、三神は女性嫌いなんだよね。
私はこっちがダメだからそもそもあまり近寄らないけど。
「いや、学生や仲間にはそこまでじゃないよ」
「身の危険を感じただけだ」
身の危険?と首をかしげると、皆も私と同じような反応で三神を見ていた。
「あぁもう、蝋燭!!花火セットに蝋燭くらいは付いているでしょう!そのままやったら僕が花火で燃えますからね!?」
『あ』
そりゃそうだ。
気を取り直して、蝋燭に移された三神の炎がゆらりと揺れる。
小さな火に皆が花火の先を煙らせること一拍、二拍…次の瞬間、辺りはカッと閃光が弾けたような目映さに包まれた。
「…わぁ!」
光に慣れた目を開いて見れば、口からは感に堪える意味をなさない文字だけが漏れ出る。
きゃらきゃらとはしゃぐ声学生達の中心で、夜闇を引き裂く光がばちばちしゅうしゅうと音を発しながら彗星の尾のように流れて皆と一緒に地面を跳ねていた。
黄色に赤、緑と色とりどりに、時には色を変えながら皆の手元から噴き出すそれはさながら魔法みたい…なんて、少しロマンチックが過ぎるかな。
でもそう思ってしまうくらいに、私の心は童心に返ったようなこそばゆさを伴ってトクトクと跳ねているのだ。
「お姉さーん!早く一緒にやりましょう!」
「…うん!今行くね!」
近くにあった花火セットから特に何も考えずに…と言うか線香花火とか鼠花火以外は違いが分からないのだけれど、取り敢えず一本抜き取って皆の輪に加わる。
「にゃ!お姉さんの着火タイムだにゃ」
「よしっ皆風を防ぐっすよ!」
「任せてくださぁい」
「いやあの風吹いてないし、恥ずかしいんだけど…」
何故か見守られる感じになってしまった…
私は苦笑を溢しながらそうっと手持ち花火を蝋燭へと近付ける。
膨らんだ期待が手を震わせてしまいそうで、私はきゅうっと唇を結びながら背伸びしたがる子供のような澄まし顔を装った。
しかしそんなものは一瞬にして崩れ去る。
「ぅわ…!!」
『おぉ!』
ばちばちと火花が花のように咲き乱れるそれは皆のようなススキに似たものと違っていた。
その光につまらない考え事も言葉も全てが浚われて一緒に弾けていく。
たかが、市販品の花火一つ。
けれどそれがどうしようもなく綺麗で、瞬きを惜しみ煙が刺激するのも厭わずに目を開いて見続けた。
「貴女…なんて顔してるんですか」
「…え?」
かけられた声にはっと意識を戻すと、消えてしまった火を点け直しに来たらしい三神が呆れと何か別の色をマーブルにしたような顔でこちらを見ている。
「顔?」
「馬鹿みたいに剥き出しなんですよ」
何がだよと思いながら、作業の為かいつもより距離の近い彼の炎に似た瞳を覗き込んだ瞬間、私は言葉の意味を理解した。顔をあさっての方向に背け、空いている片手を頬を隠すように押し当てる。
だってその瞳の中には、恥ずかし気もなく逸楽を謳う…そう、いつかの日に祭りの屋台通りですれ違った子供達のような表情を浮かべる私がいたのだもの。
「ぷっ、あははははははは!」
花火のように弾けさせた笑いに皆がきょとんとするものの、これが笑わずにいられようか。
私ってば、学生よりはしゃいでやんの!
あぁおかしい!
誰が思う?あの絶望の先にこんな私がいるなんて。私は想像もしていなかったよ。
「…ふっ、楽しそうだな。綴戯」
「はい!久しぶりに火を綺麗だと思えました!」
「僕を見ながら言うの止めてもらえます?」
嫌そうな顔にしてやったりと笑っていると、すぅと消えてしまった花火に情趣やら物悲しさが交々と絡まったような感情が渦巻いた。
「あー終わっちゃった…わ!?」
落胆の声をポトリと落とせば突然ずいっと花火パックの一つを押し付けられて目を白黒させる。
見ればにたぁと真っ黒スマイルを浮かべる王子フェイスがそこにいた。
「何本でもやればいいでしょう。大盤振る舞いでいくらでも燃やしてあげますよ、貴女ごと」
「げっ」
「三神…お前なぁ」
どうやら先程の嫌みの仕返しをされたらしい。秒で返してくるとは恐れ入るな。
今目の前にいる三神はどこか"アイツ"を感じられて、心臓を一瞬握られたような感覚に忌避感を覚えた私は逃げるように二菜ちゃんと至くんの方に戻って行った。やっぱり苦手だこいつ。
「お姉さん!次はこれ!これやりましょう!レインボーらしいです!」
「小生はこのレーザーってやつが気になりますがどうでしょう」
「よし!欲張って両手持ちしようか!」
「「賛成!」」
新しく点けたのだろう先程とはまた違った花火の光を反射させる二人の瞳は、まるで万華鏡のようにキラリキラリと色を変えて煌めいている。ポジティブなビーズだけで作られたそれは、花火に負けず美しかった。
辺りを見渡せば、大人達はやたら真剣な面持ちで線香花火を持ち、誰が一番長く落とさずいられるかを競い合って…ちなみに七尾さんがぶっちぎりのビリで、四恩さんと四葉さんが花火に負けずバチバチと笑顔で睨み合いながら一位争いをしているよ。
二年生達はお約束のように大量のネズミ花火に火を点けて、きゃあきゃあ大騒ぎしながら逃げ惑い…いや門倉くんはほぼ全ヒットしているな。
マオちゃんが曲芸師のようにひらりくるりと避けていて凄いや。
「んー!楽しいですね!お姉さん!」
「ふふ!とっても!」
「小生も凄く楽しいですって言うか合宿が初めて楽しいと思えましたね」
「二菜も今まで合宿嫌いでしたけど、今回は滅茶苦茶最高です!」
「ならお前達、明日以降もそう言えるように頑張れよ。まだ今日は初日だからな」
「「ぐっ!!」」
そうか、くまの着ぐるみな四葉さんからはじまって物凄く濃い時間を過ごしたけれど…まだ初日なんだよねこれ。
基礎トレーニングだけの今日と違い、明日からは本格的な訓練らしいから二人も大変だろう。
今日はしゃぎ過ぎた疲れが残らなければ良いけど…
ちなみに明日はバーベキュー、三日目には外にテントを張って疑似キャンプを予定しているらしい。私への気づかいもあるが何より二菜ちゃんの赤点回避が相当な奇跡だったらしく、遠方へ出張中の学長からやりたいこと全部やらせて良しとお達しがあったみたい。
そう言えば私、学長さんに会ったこと無いけど…いつかきちんと挨拶したいものだ。
「あの綴戯さんなんかタコみたいな花火見つけたんですけどやりますかどうですか」
「二菜やりたい!!」
「お前に聞いてないんだけど」
本当にタコのイラストが書かれた花火に、こんなのもあるんだとしみじみ眺めていると、ネズミ花火乱舞を終えたらしいマオちゃんがごそごそと花火の入った袋をあさりながらあ、と声をあげる。
「打ち上げがあるにゃ!!」
『え!?』
不穏な単語に私含めた大人勢の顔が強張った。
打ち上げって、打ち上げ花火だよね?
あれってなにもない広い空き地か川辺や海辺でやるものであって…間違っても森のど真ん中でやるものじゃない気がするのだけど。
「なんと!!やるしかないっすね!!合歓!」
「がってぇん。着火しまぁす」
「待て待て待て!!!!」
状況を把握した七尾さんが制止の声をかけるも時既に遅し。
地面に置かれた打ち上げ花火の導火線をジジッと火が食べて行くように進み…
パァン!!!
と、森の木々より高くで大きな光の花が堂々と咲いたのだった。
「ほほほ、綴戯さんあちらに行きましょう。ね?」
「そうだね。危ないからおいで」
「え?」
思わず見とれていると苦笑気味な四葉さんと四恩さんにロッジの近くへ誘導され、『硬質化』された七尾さんの上衣を乗せられる。
何だ?と思ったけどすぐにその理由は分かった。
「ギャー!!火の粉!!」
「あっつ!!!滅茶苦茶降ってくるっすよ!?」
当然と言えば当然ながら、花火の後未だ火の気が残るその残骸が流星のように下へ落ちてきているのだ。これは危ない。
火傷するのもそうだけど下手したら森に引火するぞ。
「誰だよアレ買ってきたの小生店であんなの頼んでないぞ」
「二菜です!!!」
「馬鹿ホントに馬鹿」
「山火事にする気か大馬鹿者共!!!!」
結局学生達は全員拳骨を食らう羽目になり、説教後地面での一時間正座という罰を課されてこのイベントを終えることになったのだった。




