7-6
今年中に七章を終わらせようと思い、連投しております。
次回はまた10日の予定ですが、途中で人物紹介その2が入ると思います。
読者の皆様、今年は大変お世話になりました。
来年もまたよろしくお願い致します。
良いお年を。 R3,12/31
NO side
夜の街。分かりやすくカテゴライズするならばそう呼ばれるであろう某所のネオン街は今日も眠りを忘却の彼方へ押し流し、背徳的で淫靡な空気を煙のように燻らせていた。
客引きと遊び人の行き交う大通りは月が昇る限り賑わい続け、しかし太陽の訪れと共にゴーストのように消えていくのだろう。
まぁそんな蜃気楼に似た世界は、ほんの僅かに道を逸れただけですぐさまどうしようもなく薄汚れた現実の姿に戻ってしまうのだが。
ちかちかと切れかけの電灯がちらつき、カラスの漁った後のゴミが散乱するとてもじゃないが綺麗とは言えない路地裏。
少し空を見上げれば大通りのネオンが届くくらいには近いのに、この場所はあちらの夢とはまるで別世界のようにかけ離れている。
そんな暗がりに、男と女が一人ずつ。
今時監視カメラすら設置されないこの場所は、犯罪にも逢瀬にももってこいだった。
まぁ彼らはそんな疚しい真似をしているわけではなかったが。
「ふむ。情報はこれで全部なのヨ?」
淀んだ暗がりに光る色違いの双眼をゆったりと瞬かせ、稲荷田八丸はペロリペロリと手渡された書類の束を捲っていく。
「えぇ、私が調べられた分は全てになりますわ。これ以上深入りするには…私では力不足かと」
「そうね。万が一先に勘づかれたら面倒なのヨ。…これは思いの他厄介そうなのヨ」
三角の耳とふさふさの尾を気落ちするようにへしょりと垂らし、全く手掛かりが無いことを告げる書類を僅かにくしゃっと歪めた。
五月雨祈の実家へとちょっかいをかけた存在とあわよくばそのバックを引きずり出せればと思い探っているものの、どうにも結果が芳しくない。空振りばかりだ。
「とにかくありがとうなのヨ。んじゃオレサマはこれで。また頼むのヨ」
「待って。時間、あるのでしょう?」
踵を返そうとした八丸がピタリと立ち止まる。
先程までの仕事モードと呼ぶべきかっちりした態度をとぷりと欲の蜜壺に沈めるように、女は甘ったるい言葉を転がした。
「ふむ、どうしたのヨ?」
「…私…まだ…報告し忘れてることも…あるかもしれないわよ?」
するりと蛇のようなしなやかさと妖艶さでもって、女は八丸のうなじへ腕をまわす。
それに微かに目を細め、うっそり笑った彼は女の耳元へ口を寄せて吐息混じりの声を注いだ。
「おや、悪い子なのヨ。なら…少しお仕置きが必要なのヨ。苛めてあげたら…思い出すかな?」
「…っん、そう…ね。あなたに…ぁ…可愛がってもらえたなら…きっと…ダメ?」
「いや?お望みとあらば、オレサマは喜んでお相手するのヨ」
「なら…壊れるくらい、激しく、暴いて」
「ふむふむ今回は尋問プレイね。お安い御用なのヨ。お仕事のお礼にたっぷり啼かせてあげるのヨ」
契約成立とばかりに二人の唇が触れる寸前、かつん、とひび割れ気味のアスファルトを硬いヒールが叩く音が妖しい雰囲気を引き裂くように響いた。
「やぁ、そこな罪な男」
酷く気安く、しかしすっと真っ直ぐな線が入っているかのように凛として届くハスキーな声に八丸はむっと眉を寄せる。
声をかけたわりにそんな彼など歯牙にもかけない様子で、その人物は一つに結った長い銀髪を鈍い灯りに光らせながら真っ直ぐ女へと体を向けた。
「申し訳ないお嬢さん。こいつを少しばかり貸してはくれないかな?なぁに、すぐに貴女へお返しすると約束しよう」
驚きで目を白黒させる女性の手を下から掬い上げるようにとり、まるで騎士がするようにその手の甲へ触れそうなほど口を寄せ上目遣いに微笑む。
ぼん、と赤くなった女を初だなんだと冷やかすことなど誰もできないだろうくらいには、その様は洗練されていて魅惑的だった。
「も、勿論ですわ!警邏隊長様!!どうぞいくらでももって行ってくださいな!!」
「ちょっと」
「ふふ。感謝するよ、お嬢さん。要らないから後でちゃんと返すけどね」
「おいこら」
あわあわと先程まで男を誘惑していたとは思えない、子供のような落ち着きのなさで走り去る女を清廉な笑みで見送り、さて、と漸くその人…メイリー・フランベルクは八丸の方へ体を向ける。
「貴公は相変わらずだね、八丸」
「そっくりそのまま返すのヨ、メイリー」
二人はすっと互いに片手を僅かに上げ、パチンと軽い調子のハイタッチを交わした。
彼らの、というか主にメイリーが好む学生時代からの挨拶だ。理由は謎だが。
「その、女グセの悪さはどうにかならないものかな。お嬢さん方が可哀想だ」
「オレサマはオスとして求められるままに相手してるだけなのヨ。その気も無いくせに女タラシなメイリーの方がたちが悪いのヨ」
この場に何も知らない第三者がいたならどっちもどっち、所謂ドングリの背比べだろうと罵るところだろうが、残念ながら路地裏にはにゃあと鳴く猫しかいない。
メイリーはくつくつと笑みをこぼし、何も疚しいことなどないと胸を張った。
「いいのさ。だってボクは女だからね」
八丸よりは低いものの、170cmを越えるモデル体型にスラリとした体躯を包む軍服風の制服。
高い位置で纏められた銀髪はきらきらと僅かな光すら反射して、くっきりした顔立ちに浮かぶスカイグレイとワインレッドで彩られた目はすっと涼やか。
そんな、三神聖とは別ベクトルで物語から飛び出したような容姿を持つメイリーは歴とした女性であった。
八丸は言い合うだけ無駄かとため息をつき、姿勢良く佇む彼女をジトリと見やる。
「それで?この前はあっさりフッてくれたくせにオレサマに何用なのヨ」
「やだな忙しいのは本当さ。ただ、偶々近くにいてね。何せ"こういう"場所は我々にとって絶好の狩り場だ」
そう言ってにやりと歪んだ顔は凛とした騎士というより狂戦士のようなギラつきを帯び、嫌でも彼女が見た目通りではないことを教えてくれる。
彼女の異名は猟犬。獲物を探して食らいつく事に関しては一流なのだ。
「ただ貴公がいるなんて珍しいと思ってね」
「オレサマだって好きでこんなとこに来たわけじゃないのヨ」
「だろうね。貴公はわざわざ女性を漁る必要はないし、香水の匂いもこの腐った路地裏の空気も嫌いだろう。大方先程のお嬢さんの縄張りってところかな」
「そう。情報収集の為にこの辺を拠点にしてるらしいのヨ。この件が終わったらまた移るらしいけど」
「調査や索敵の子達は大変だね。我々は帰るべき正式な"巣"があるから困らないが」
ひょいと肩をすくめて一ノ世久夜にこき使われる面々への憐れみを見せたのは一瞬で、すぐに切り替えたメイリーは八丸を覗き込むように一歩距離を詰める。
「さて、折角会えたのだから挨拶がてら情報交換でもどうかな。今なら手は貸せずとも頭は貸せるからね」
「それは魅力的なお誘いなのヨ。実は今お手上げ状態なのヨ」
八丸はぱっと表情を明るくして、今しがた手に入った情報の書類をバサッと容赦なくメイリーへ付き出した。
指2本分の厚さはあるだろうソレにひくりと笑みをひきつらせると、彼女は失敗したなという表情を隠しもせずに紙束を受けとる。
「…ほぅ、良く調べられているね。確か、五月雨の家が狙われた件を調べているんだったかな」
「そうなのヨ。どうにもやり方が気になってね」
薬物による精神汚染そのものに関しては八丸が特に思うところはなかったが、問題なのは的確過ぎる相手と文面だ。
いくら本土に身を置いているとはいえ、祈が能力者であることを知る者などそうそういやしない。
島住みを拒否する代わりに周りにも本人にも厳しく規制をかけているのだから当然だ。
そして祈の両親の様子から察するに、娘が能力者だと他者に漏らすどころか悟られるような振る舞いすらしなかった筈。
ならばもっとも考えられるのは…
「情報の漏洩、か」
「文面も多少の誇張や偽りはあったけど…能力者しか知り得ない内容も綴られていたのヨ」
「ふむ、特にこれは問題だね…"あなた方はそんな化け物の世界なのです。あぁおぞましい!"、か」
能力者各個人の"世界"など、近しいものが会話や態度で察することはあれど外部の者が易々手に入れられる情報ではない。
現にメイリーと八丸のように短くない付き合いで気の置けない友人であっても、互いの"世界"を正しく理解はしていないし話してもいないのだから。
最大の弱点を大々的に晒す能力者などそういないという話だ。
「もし…というかさすがにただの出任せだろうけど、本当に家族がイノリの"世界"だと知っていたとして…"世界"って単語をそのままストレートに使う時点で差出人が能力者なのは確定だし大問題なのヨ」
「一般人向けに訳さない辺りが能力者だよね。おそらく"世界"の意味が伝わらないと察していない。となると…正式な教育の抜けた奴。野良だ」
学園で学んでいさえすれば"世界"の概念が能力者にしか無いことなど確実に知っている筈。その言葉を一般人にそのまま使うことはない。まして脅迫目的なら意味の伝わらない言葉など尚更使わないだろう。
ふと、書類を捲るメイリーの手が止まる。
それは件の手紙について…ではなく、手紙が入れられていた封筒について記された写真付きの報告書。
大した手掛かりにもならず目ぼしい内容もない為八丸は一読して流したが、どうやらメイリーには違うものが見えたらしい。
「この封蝋…」
彼女は書類を一度八丸へ押し付けるように返すと、懐から使い込まれた革貼りの手帳を取り出した。
ピラピラ捲られていく質の良い紙にはびっちりと文字が敷き詰められており、その海の中を爪の先まで整った指が泳いでいく。
「封蝋がどうしたのヨ。それ、印璽も含めて市販の量産品らしいけど」
「そうだ。しかし、その販売元の会社が問題なのさ」
ああ見つけた、と瞳を緩めたメイリーが八丸へ手帳を開いて見せると、あまりの文字数の多さに彼の表情が渋柿をそのまま食べたかのようにぎゅむっと歪み、口で説明してくれと意思を込めてそっと手帳を遠ざけた。
「…表向きは海外からの輸入品を売る小さな会社だ。しかし、その裏には…"あちら側"の悪習に染まった奴が率いる能力者集団がいる。…と思われる」
呆れながらもメイリーがきちんと説明してくれたその内容に、八丸の瞳がすぅっと険を帯びる。
「その話、確かなのヨ?」
「いや、まだ裏も何も取れてないボクの勘。ボク個人としては確信に近いが…生憎奴らもかくれんぼが上手くてね。"我々が"動ける程の確証はないから、必死で証拠を集めている最中だよ」
メイリーの所属は言わば能力者側の警察組織だ。仲間である筈の存在へ"罪"というレッテルを貼る重い権利を持つ以上、いくら隊長を賜る彼女でも個人の判断だけで動く事は認められていない。
「しかし…まさかそちらともつながるなんて、ね」
だが、忘れるべからず。彼女は八丸の同期。
つまり、七尾晴樹が以前問題児どもとひと括りにした世代にして、あの久夜の同期を勤めた1人なのだ。
犬歯の覗く口がにたりと歪む。
興奮に開いたワインレッドは物語に出てくるような狂気が詰め込まれた紅い月のようで、その下で獰猛な獣が今にも踊りだそうとしていた。
「きひっ、実に食らいつきがいのある獲物じゃないか。あぁ、そそるなぁ」
「また謹慎食らっても知らないのヨ」
「なに、証拠なんて現場からいくらでも発掘出来るじゃないか。ボクはね、"待て"が嫌いなんだよ」
この、優美で洗練された騎士もかくやな女性はその実、見てくれに似合わないほど好戦的で短気なのだ。単身だろうが証拠不十分だろうが勝手に突撃して勝利と証拠をもぎ取ってくる。順番が滅茶苦茶だ。
それで幾度となく謹慎処分を食らったものの、有り余る功績が彼女を隊長足らしめているのだ。
勘が鋭いというか鼻が利くというか…突撃が失敗だった事が一度もない、というのも理由の1つだろう。
しかし、とメイリーは表情をしゅんと曇らせ困ったように苦笑をこぼす。
「…今は任されている件が山積みだ。さすがにすぐには行けそうにないね」
「最近本当忙しそうなのヨ。全然本部に帰れてないみたいなのヨ」
「そうなんだよ。どうにも野良犬共が活発化していてね。七尾先輩の件だって破落戸連中に情報を横流しした能力者が原因だったんだ」
「それもなのヨ!?」
「ああ。けど、証言は取れても連中はその能力者の姿すら知らなくてね。情報が足りな過ぎてボクもその野良の検討がつかないんだ。情けないけど現状じゃお手上げだよ」
厳しく細められた彼女の瞳を見つめ、八丸は考え込むように顎に手を添える。
きな臭いとは思っていたが自分が思うより事態は深刻かもしれないと眉間にシワを寄せ、小さく舌打ちをこぼした。
「何かとんでもないものが水面下で動いているみたいで気味が悪いのヨ」
「それには同感だね」
メイリーは表情らしい表情を波が引くようにさぁっと消して、ただただ真剣な眼差しだけを八丸へ注ぐ。
「合宿、本当に気を付けた方がいい」
それは八丸にもよく理解出来る忠告だった。
個人にしろ組織にしろ学園側を狙う何かが動いているのはもう明白であり、どこかからの情報漏洩も疑わざるを得ない。
この様子では合宿地がバレる可能性は十二分にあり得るし、いくら実力のある教師が付くとは言え学生が危険だ。
直前の合宿地変更も考えた方が良いかと八丸が考えを巡らせていると、メイリーがあ、と小さく声を上げた。
「学生と言えば、1つ気になる話があってね。これに関しては本当に噂に過ぎないんだが…」
酷く言いにくそうな様子で言葉を選ぶように口をもごもごとうごかした後、彼女は潜めた声で八丸に耳打ちする。
「学園の生徒らしき能力者が一般人に手を出しているらしい」
「はぁ!?そ、それ、確かなのヨ!?」
ぎょっと目を剥いた彼に小さく否定のジェスチャーを返し、メイリーは珍しく煮え切らない顔で頬をかいた。
「いやあくまでも噂でしかない。捕まえた能力者からたまたま聞いた程度のね。しかも制服を着ていたってだけで顔も見ていないそうだ」
「…頭痛くなってきたのヨ」
「本当にね。分かっただろう、ボクが今どれ程苦労しているか」
活発化する敵対能力者達と度重なる情報漏洩、真偽不明な噂に水面下で動く何かへの警戒…成る程メイリーが忙しくて当然である。
怪異事件の処理をする部署より件数自体は少なくとも、厄介さのレベルが違う。
「ところで、話は変わるけど…香水でもつけているのかい?八丸」
「は?オレサマの鼻はデリケートなのヨ。そんなものつけるわけないのヨ」
「うーん…そうだよね」
「メイリー程鼻が良いわけじゃないからオレサマには分からないけど、どっかのメスのが移っただけだと思うのヨ」
「しかしこの香りは…いや、さすがに気のせいか。すまないね。忘れてくれ」
気になりはしたが彼女がこう言う時は追及しても無駄だと知っていたため、八丸はやや不服そうに鼻を鳴らすだけに留めた。
先程の学生の話は必要性を感じた為伝えたのだろうが、本来彼女は己が自信を持っていない事柄を口にするのがすこぶる嫌いなのだから。
「さて、少しのんびりしすぎたかな。まだやることは山積みだし、今日も帰れそうにないや。ひとまず久夜には色々報告入れとこうかな…」
端末を取り出そうとする彼女の手を八丸はそっと止め、苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振る。
「今日はヒサヤに連絡しない方がいいのヨ。めっっっちゃくちゃに機嫌悪いから」
「ふむ…?彼の気分屋はよく知り得ているが…わざわざ貴公が警告するレベル、ということかな?」
「そ。マジギレなのヨ。オレサマ、電話越しなのに"うるさい"の四文字で死を隣に感じたのヨ」
「それはそれは…一体何があったのやら。ともあれ、忠告感謝するよ」
「こちらこそ。ありがとうなのヨ」
そう軽い調子で別れた八丸は、後日久夜がお偉いさんの屋敷で大暴れしたと聞いて寿命が縮むかと思うくらい驚愕したし、その理由と経緯を聞いて不機嫌の原因を察する事になるのだが…今はまだ知らなかった。
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ある日の夜遅く。
一ノ世久夜はとある男とその所有する"記録者"の前でドカリと横柄に椅子へ腰掛け、行儀悪く足を組んで彼らを睥睨していた。
「一ノ世くん、一体これは何の真似かね!こんな時間に急に訪ねてきたと思えば…!」
男が青筋をたてながらギロリと久夜の隣を見れば、そこには常にニコニコと薄気味悪く笑みを浮かべる"狂犬"…十三束従道がぱっかり開いた目でもって男の一挙一動を見つめている。
彼は所属こそ索敵部隊だが、その実力は相性さえ悪くないなら四ツ星と単騎で渡り合えるレベルではあるのだ。
久夜の来訪自体穏やかじゃないのに、その上従道までいるとなれば…男は怒りの裏側でひっそり冷や汗を流す。
そして、ただならぬ雰囲気に怯えて男の服をぎゅうっと掴む"記録者"に悪態をつきたくなった。
何故部屋から出てきた、と。
こんな場に"記録者"がいるなど不都合でしかない。
「はー…面倒くさ。だってさ、アポ取ったら逃げるじゃん」
「くっ…!君の行動は毎度目に余る!この無礼は比嘉崎様にしっかり伝えさせていただく!厳しい処分も覚悟したまえ!」
「ッハ!覚悟すんのはさ…お前だろ。十三束」
「ハイハイ!お任せあれッス!」
久夜に名前を呼ばれ、上機嫌な十三束は満面の笑みでばさりと数枚の書類を男の前のテーブルに落とす。
怪訝そうに文面を眺めた男はそこに記された内容に窪んだ目をぎょっと剥き、一枚、また一枚と手に取って確認していく。
今の彼の心境はただ1つ…
「何故?って思ってるでしょ」
「…っ!!」
図星を言い当てられ、男は血の気の引いた顔で久夜を見やる。
にたりと裂けた彼の口はさも愉快だと男を嘲笑い、しかしその月のように丸く開かれた瞳孔からはそこはかとない怒りが見て取れた。
久夜の側によくいる従道でさえうわ、と思うくらいには彼の機嫌は最悪なのである。
「ぶはっ!あっはははは!そんだけ派手に横領、研究や能力者のデータを横流ししといてさ、むしろよくバレないなんて思ったね?」
「ち、違う!!これは何かの間違いだ!!」
「ひっ!」
ゲラゲラ笑う久夜に、男は書類を握り潰しながらダァン!とテーブルを殴り付ける。
それに驚いた"記録者"が短く悲鳴を上げて男から手を離した。
刺すような空気に可哀想なくらいガタガタ震える"記録者"へ久夜は酷くつまらなそうな視線を送り、彼女の存在を思い出した男は優しげな表情を取り繕う余裕もないまま低く言い渡す。
「アイ、部屋に帰っていなさい」
「いーや、いいよ。ここにいなよ。つーか、今は誰一人退出させるつもりないからさ」
「な…守られるべき"記録者"がこんなに怯えているんだぞ!?」
守られるべき"記録者"、と聞いて久夜の機嫌は更に急降下していく。
彼の脳裏によぎるその"守られるべき存在"が目の前の男のせいで苦しんだというのに何を言っているのか、と。
「話を逸らすなよ。で?何か弁明とかあるわけ?」
「弁明も何もこんなもの出鱈目だ!!
「はー…うっざ。わざわざ任務サボって裏取りまでしてやったのにさ、往生際悪くない?ひじりんもめっちゃ怒ってるよ?」
「三神先輩が怒ってるのは100%どっかのアホな先輩に任務押し付けられたからッスけどね!!」
従道を無言のまま『重力』で潰し、久夜はダルそうにわしわしと己の群青色の癖っ毛をかき乱す。
そして彼はすっと"記録者"を指差した。
「開示要求でもするつもりかね!?」
「あー…面倒くさ。『叡智の鳥籠』に所属もしくは所属経験のある"記録者"への無理な開示要求は禁止…だっけ?やんないよ。"断罪者"の世話にはなりたくないしさ」
能力者の保有する色々な…本当に色々な情報が保管されている『叡智の鳥籠』は管理者という肩書きを持つの久夜ですら正式な手続きに加えて閲覧制限がかかるような場所だ。
その場所で暮らしていた"記録者"からの情報開示にだって制限がついて当たり前…とはいえ"記録者"は制約を無視できないので代わりの処置がとられている。
その一つが、相手が誰であろうと"記録者"へ望まぬ『開示』を強要した場合は厳罰対象である、というものだ。
下手をすれば一生牢獄もあり得る。
しかし、その規則は…栞里を守ってはくれない。
何故なら彼女は『叡智の鳥籠』に所属した経験のない、言わば対象外だからだ。
それが分かっているからこそ男は栞里に情報を開示させようとしたのだから。
「つーか、そんな必要無いんだよね。もう知ってるんだしさ。…そいつのパソコンにデータあるでしょ」
「…あ、あれはゲーム用だと聞いている!な?アイ」
「そ、そう!オンラインゲーム用にカスタムしてあってー。何なら確認しても良いよー?他には何にも入ってないからねー」
「ほーん?十三束さ、何か知ってる?」
「登録者以外が近付くと中身が切り替わるシステムが本土にあるッスよ!」
「あー…ハイハイ。だから"あんな風"に画面開いたままでそのまま放置されてたんだ?自信満々じゃん」
「堂々としてる方が怪しまれないッスからね!」
「…っ!?」
今度は"記録者"が驚愕に目を見開く。
彼女はかなりデジタル面に強く、内外のセキュリティは完璧を自負していたのだ。
特に外側に施したのは、部屋に張り巡らされたありとあらゆるセンサーによる防衛策であり、本土の重要機関が最近好んで使うシステムを盗んで得た最上級のセキュリティである。
それが従道の言ったシステム。
登録者以外の人、物、果ては犬猫鳥鼠などの動物に至るまで、何かの接近を察知した瞬間に内部データが丸ごと切り替わる仕組みだ。
それにより完全に別物のパソコンに成り代わる為、データ抜き取りが不可能なだけでなくウイルスを入れたとしてもまるで無意味なのだとか。
データ自体は登録者の持つ特殊なチップに瞬間転送されているため、また戻すなり新しいパソコンに移すなりすればすべて元通りだ。
ハッキングには対応出来ないが、そちらはまた別で彼女なりに完璧なプログラムを組んでいるし、侵入された形跡だってなかった。
自分が足跡消しを得意とするからこそ、逆に見破るのも得意なのである。
「まぁ作業中にさ、別の"記録者"招いた馬鹿が悪いよね」
彼女は別の"記録者"と聞いて浮かんだ人物にきょとんと瞬き、次いで耐えきれないといった様子で吹き出した。
「あはは!あり得なーい!騙されないよー!それ、ハッタリでしょー?悪い冗談だなー」
「…そうだ。貴様の"記録者"が何だというのかね。あんな、こう言っては何だが通り一遍の能力者程度が」
「ほーん?」
馬鹿にするようにせせら笑った男と"記録者"は余裕を取り戻したように表情を解していく。
どうやら久夜が決定的な証拠を掴んではいないのだと思い至ったらしい。
男は鼻を鳴らし、乗り出していた身をソファの背もたれへ沈めながら口を開く。
「悪いがね、あの部屋は"記録者"の部屋だから監視させて貰っていたんだ。しかし、アイのパソコンに近付くどころかその場から大きく動いた者すらいなかったよ。…私達が退出した時でもね」
「そー、そー」
そう、それは絶対。
システムの為に張り巡らせた映像、熱、赤外線、空気の揺らぎすらも感知できる研究施設用の超高性能センサーが事実を物語っている。
システムの為だけでなく勿論防犯目的もある為、何か動きがあれば逐一知らせが入るようになっているのだから。
彼女のパソコンはネットカフェの一室のように壁と本棚にきっちり囲まれており、栞里や他二人の位置からは配線だらけの後部しか見えていなかった。
画面を見るには動かない限り不可能の筈で、それならばセキュリティに引っ掛からない筈がないのである。
しかしそれは…
「ぶはっ!あっはははは!!君らさ、アイツのことなめすぎ」
栞里が、"普通の記録者"だったらの話だが。
彼女は呼吸と同じように第三者の視点を"記録"してしまう特異者だ。
普通ならあり得ないが、無意識下でやってのけるほど自然なそれはもはや能力の発動などという揺らぎすら生じさせず、感覚が鋭い能力者にも察知は出来やしない。
そしてその力の何が恐ろしいかと言えば…時に、"彼女には見えていないもの"すらも"記録"するという点である。
あの『開示』中、物珍しさと好奇心で"記録"の中を歩き回っていた久夜がそれを見付けたのはまったくの偶然でしかないが、彼は飄々とした顔の裏側で二重の意味で震えたものだ。
最高に面白く、最高に恐ろしい、と。
まぁ、男にしてみればこの上ない不運だったと言う他無い。
たかが"記録者"、たかが小娘と手を出した相手が最悪だっただけの話だ。
久夜は思う。だから言っただろう、と。
彼女は易々と御せる子犬ちゃんではなく地獄の猛犬だと。
まぁあの時言った相手はこの男ではなくその上司だが。
彼はうっそりと底冷えする笑みを浮かべながらピラリと一枚の書類を見せつける。
その書類こそ、久夜が全て知っているのだと告げる決定打となった。
内容自体は最初に突き付けられた書類にも書かれているような物だったが、問題だったのは…その正確さ。
「う、うそ…!!こんな、あり得ない!?」
何が正確かと言えばその紙面に描かれたパソコンを模したイラストの中身だ。
"記録者"だからこそ分かる。分かってしまったのだ。
あの時、どうせ誰も近付けやしないという慢心の元に作業中のまま放置していたパソコン。
その画面の中で止まっていた誰に何のデータを送りいくら貰ったかの取引のリストの中身どころかその資料の書きかけ具合も、別窓で開かれていた依頼で盗む予定だったデータリストの中身とその窓の位置も、本部から彼の管轄に所属する能力者へ振り分けられていた筈の金の横領記録を開こうとファイルに合わせられたポインタも…
全て写真かと思うくらい…いや、イラスト自体はさほど上手くもないが、そのくらい内容が完璧だったのだ。
ここまで突き付けられたらもう反論の余地もない。
「あ、あたしの技術は最高の筈だったのに…こんな、あっさり…」
彼女は他の"記録者"がせっせと様々な資料を"記録"する様をつまらないと嘲笑い、ゲーム好きが転じて得たパソコンスキルを駆使してひたすらにハッキング技術を磨いていた。
構造数式数列暗号その他全て必要な知識は何億通りだろうと"記録"出来るのだから後は手を動かすだけ、と。
彼女にとっては所謂ヌルゲーだったのだ。
まぁ、だからこそ作業中に放置なんて油断をしていたわけだが。
いや、今までは運が良かっただけでそもそも慎重を要する作業など向かなかったのかもしれない。
いくら技術があろうと、彼女には…いや、ぬるま湯で育った"記録者"には警戒心というものがまともに存在しないのだから。
「…わ、私じゃない!!全てこの子が勝手にやったことだ!!」
「ま、主人!?そんな…!!違う!っ、"記録者"として開示する!!全て主人の指示だ!!」
「な!?なんて事を…!!この恩知らずめが!!」
「はいはーい、うるさいッスよ!」
言い争いを始めた二人を制するように従道がパンパンと鳴らす。
「何でも良いけどさ、もう上には提出済みだから」
唖然とする二人へ御愁傷様と久夜が呟くのと、部屋の扉が開いたのはほぼ同時だった。
「失礼する」
カツン、と土足で上がり込んだ軍靴が床を叩いた瞬間、まるで冬が形をもって現れたかのような冷気が部屋に満ちる。
悲鳴も上げられないくらい濃厚なその圧と気配が能力によるものではなく存在による圧だというのだから、その男はあまりにも異常だった。
"断罪者"。皆恐れと共に彼をそう呼ぶ。
能力者における規則の番人にして、現最強の能力者…世ノ守零人。
普段は牢獄の看守長を担っているが、刑罰の執行人でもある彼はこうして罪人の元へと足を運ぶこともあった。
明かりすら吸い込みそうな漆黒の短髪に、凍てつくようなスノーホワイトに囲われたアルパインブルーの瞳は端正な顔で鋭く光っている。
「あー…うっざ。兄さんさ、マジで色々抑えてくんない?弱い奴ショック死するからさ」
「む。すまない」
「そんなんだからかくれんぼもろくに出来ないんでしょ未だに。だから島からも出られな…」
「かくれんぼか。懐かしいな。またやるか」
「え、何?話通じてないの?つーかこの年でやるわけないでしょ」
付け加えるなら、年はやや離れているが久夜の親戚の兄ちゃんであった。
今までの緊張感を台無しにするような気の抜けた会話が交わされるが、それでも室内の空気は未だ電気でも帯びているかのようにビリビリ肌を撫でるのだから恐ろしい。
「はー…面倒くさ。さっさと仕事してさ、持ち場に帰んなよ」
「そうだな。久しぶりに会えて嬉しいぞ」
「ハイハイどうも」
「夕飯でもどうだ」
「だからさ、話聞いてんの?」
あちらは会えて嬉しいなどと言うが、正直もう一生会いたくないわと内心で溢すくらいには久夜は彼が苦手であった。
何が嫌いかと言えば…
「さて、松ヶ崎重成。貴様の牢獄送りが決まった」
「そ、そんな!どうか!どうか容赦を!わ、私は小さな君の面倒だって見てあげていたじゃないか!?」
「貴様が誰であれ、島の秩序を乱す者を俺は許容しない」
「…っ!」
その狂った堅物さである。
彼の"世界"は大多数の察するところであり、言わば"秩序を守るという信念"こそが零人のすべて。
故に、罪を犯そうものなら家族も友人もいたことはないが恋人や子供すらも一切の情無く手にかけるような冷血なのだ。事実彼は父に値する人物を刑に基づいて物理的に切り捨てている。
まぁ普通に接するだけなら先程のように軽口は交わせるが、色々やらかしがちな久夜にとっては要注意人物に他ならない。
とは言え、零人が出てくるレベルの案件など普通はそうないのだが。
それこそ仲間内での殺傷沙汰や一般人の殺害という余程の事がなければ彼は管理する牢獄から動きはしない。
正直久夜は顔に出さずとも零人の登場にかなり驚いていた。てっきり下っ端が来ると思っていたから。
男の流したデータはぱっと見た感じ大したものじゃない…それこそバッチなど道具関連の技術資料がほとんどだったのだが、どうやら流した先がよろしくなかったらしい。
久夜は興味が無かったのでよく知らないが、大方上が恐れる所属不明の能力者にでも渡したのだろうとあたりをつけた。
あまりの恐怖で白目を剥いてしまった男を引きずる零人を見ながら久夜はふと思う。
"あちら"の自分は一体どうやって彼を下したのだろうか、と。
もし『ソノヒ』とやらを起こすなら間違い無く零人は敵になる。それは絶対だ。
それでも栞里の世界では一ノ世達が反乱に成功しているということは、何らかの形で彼を攻略しているのだろう事は察せられる。
しかし、悔しながら久夜には彼に真っ向勝負にしろ何にしろ勝てるようなビジョンは浮かばなかった。
「"記録者"は後程『叡智の鳥籠』から迎えが来る。それまで下手な真似はしないことだ」
「っひ、ぁ…っ…ぅあ…!!」
「だから、怖いんだってば」
「む」
目の前で百鬼夜行でも目撃したかのように顔を真っ白に青ざめさせ、魂まで震わせる勢いで震えていた"記録者"は視線が外されたと同時に下手くそな呼吸をしながら蹲る。
「すまない」
ちなみにこの男、細胞の1つも動かす気が無いと言わんばかりに表情は変わらないがこれでそこそこ落ち込んでいる。
零人検定一級(不本意)の久夜くらいにしか分からないだろう。
零人はその顔でじっと久夜を見つめ、わずかに首をかしげながら薄い唇を開いた。
「しかし、珍しい事をしたな」
「は?何がさ」
「では俺はこれで。協力感謝する」
「だからさ!ちゃんと会話のキャッチボールしろってば!!」
久夜に言われるあたり相当であるが、当の零人はどこ吹く風といった様子で颯爽と立ち去っていく。
「チッ!マイペース野郎め」
「ふはは!それ、扉に跳ね返ってそっくりそのまま帰ってくるッスよ!!」
「あ"?」
「いった!!何で叩くんスか!?」
久夜は再度舌打ちを溢し、緊張の糸が切れたのか赤子のように泣きじゃくり始めた"記録者"を見下ろした。
そこには当然哀れみなんて物はなく、むしろ一切の感情が浮かばないような無機質な瞳がぽっかり開いているだけ。
「俺さ、別に君らの悪事なんてどうでも良かったんだよね」
そう、零人が言ったように久夜がこんな真似をするなんてシンプルに槍が降りそうなくらい珍しいどころか、いつもなら絶対にしない。
仮にこの事実を知ったとして、告発なんて面倒な事はしたくないしそこまでの興味もないのだ。
組織の不利益も親しくもない連中の金回りも久夜にとっては塵芥と同義。
そんな彼が今回動いたのは…
「けどさ。君らは"アイツ"を傷付けた」
己の死すら覚悟して抗った栞里の為に他ならない。
彼女は自分の為だと言い張ったが、こうも言ったのだ。
"勿論皆に世話になってるって恩もある"、と。
それが本音だったかどうかなんて愚問だ。
あの場にいた者なら皆分かるくらいには栞里はただ真っ直ぐに怒っていたから。
久夜とその仲間に不利益が無いようにと、僅かだろうが確かに思って彼女は命をかけたのだ。よりによって"彼女"が。
それに報いないなんて事はいくら人でなしでも出来なかった。
「だからさ、あー…そう、地獄。地獄に落としてやろうと思ったわけ」
「そ…んな…」
…なんて、久夜は自分の行動に理由をつけて目を背けた訳だが、本当の理由は酷く単純明快。
彼自身驚くくらいに栞里が一度死んだという事実が深く突き刺さり、理性を抉ってきたからに他ならなかった。
本人はその現実に蓋をしているが。
久夜はくぁ、と飽きたように欠伸を溢して自分もさっさと帰るべく踵を返し、ふと扉の前で立ち止まって背中越しに声をかける。
「ねぇ"記録者"。興味本位で聞くけどさ、君ならあの男の為に開示の拒否なんて出来る?」
「…は?そんな、の…誰の為だって出来るわけないよ…それ、内臓潰されるんだよ?あたしじゃなくなって…無理って、言うし」
「だろうね。あっはははは!!」
久夜は何故か突然上機嫌に笑い、そのまま振り返りもせずに立ち去っていった。
「先輩とうとう狂ったッスか?気持ち悪いッスよ!…っぐえ!?」
雲で月の見えない夜道に、しかし二つの満月がどこまでも愉快そうに爛々と輝いている。
闇に隠された狂相を見るものは幸いにもおらず、しかしだからこそ彼に指摘出来る者も居なかった。
(そう、あれもこれも…"俺の記録者"にしか出来ないんだよ。弁えろ、通り一遍の能力者風情が)
その根付き始めた執着を久夜はまだ自覚していない。彼がそれに気付くのはもっとずっと先の話だった。




