7-3
「「うっわぁ」」
「まぁ…」
あの悪夢の乗り物再びに気力その他色々持っていかれ、北側の風景を"記録"する余裕もなかった私が七尾さんと祈ちゃんに支えられながら案内されたのは…祈ちゃんの家ほどではないにしてもそこそこの豪邸だった。
「すまないね。普段は本部住みなものだからあまり此方には顔を出せず少々散らかっているのだが…おい、早急に持てなしの用意をしたまえ」
「はっ」
「あ!食事等は御遠慮させてください!」
「ふむ、そうかね?なら茶と菓子を」
「かしこまりました」
執事らしき人がてきぱきと動くのをつい物珍しく観察しながら、私はあることに気付いて七尾さんの袖をちょいちょいと引く。
「あの人…一般人ですか?」
あまりハッキリ見えたわけではないけれど、彼の瞳は日本人ならば特段珍しくもないブラウンだったように思う。
しかし店をあんなシステムにしてまで頑なに一般人を入れようとしない徹底ぶりなのに、家という個人の懐に入れるなんて考えにくいような…
七尾さんはチラッと彼を確認してああ、と少し複雑そうな表情を浮かべた。
「いや、あれでも一応は能力者なんだ」
「…瞳を隠してるんですか?」
「そ…そうではなくて、力が弱すぎて瞳の色までは変わらないレベルの人なん、です」
そういえば、東京に行った時怪異に襲われたクレープ屋の人に関して七尾さんが同じような事を言っていたのを思い出す。
能力者として任務をこなせる実力は無く、しかし一般人に紛れようとも怪異に狙われやすいためすぐに食われかねない。
というか実際、自分がそうだと知らぬまま食われている人がかなりいる事は怪異事件の事後調査で分かっているらしい。
私は二人の説明を聞きながら、体質的にはかなりの貧乏くじだなと思った。
身を守る術はないのに怪異にはご馳走とか…嫌な言い方をすれば体の良いエサだ。
しかしそういう、能力者未満の人達は少なくないのだそう。
むしろ、私が関わりを持っている彼ら彼女らのようなまともな能力者と比べたら圧倒的に多いと言えるらしいのだから驚きだ。
「運良く自分で人と違うと気付いたとか、他の能力者に見つけ出された連中はアイツのようなお偉方のハウスキーパーになったり…ほとんどは索敵の補佐に回ったりしているんだ。…あそこは本当に人手が足りないからな」
「索敵って事は怪異は見えるんですね…」
やはり力の強さで見え方に差違はあるらしいが、能力者である以上は見えないと言うことはないみたいである。それはそれで難儀な話だよね。
「何か、見えても何も出来ないっていうのは…私みたいな感じですね」
自嘲気味にそう溢すと二人はまるで何を言っているのか分からないといった表情で私を見ていた。
あれ、私変なこと言ったかな?言ってないよね?
ただ客観的事実を述べた筈、なのだけど…
昔近所にいたワンコと遊ぶべく投げたボールがいつまでも返って来なかった時のような…どうすればいいか分からないような感情のまま首をかしげると、二人は揃って乾いた笑みを溢しながら無い無いとジェスチャーで否定を返した。
「綴戯とは比べようもないさ。連中は力が弱い事を理由にして自分からは何かを成そうとか動こうとしない。いけ好かない奴らばかりだからな」
「つ…綴戯さんの方がずっと素晴らしい、です。か…彼らは弱いわりに精神構造は能力者側なので面倒といいますか、生に執着を持つ人ばかりで小狡いので嫌、です」
凄い言われようだ。
二人曰く、仲間として見るにはそのあり方がどうにも好きにはなれないらしい。
ちなみに仲間フィルターが無ければ背景と雑草との答えをいただいたけど、本当能力者の思考回路って容赦ないよね。
というか、精神面が能力者とか怪異に狙われる云々を抜きにしたって一般社会には馴染めないやつじゃないか。
西側の店員には何故使わないのかと疑問だったけど、中身が能力者だからやっぱり難しいって事のかな。
いや、索敵方面へ人員を割くのに手一杯なだけか。
執事やメイドの真似事が出来るのは祈ちゃんが言った"生への執着"による強者への服従ってところだろうとは予想がつくけれど。
ちなみに、普通の能力者のような"世界"に例えるレベルの執着は基本持たないらしい。
それにしたって体質のみならず精神構造まで難ありとは…
「お客様方?いかがされましたか」
「ぅえ!?いえ、なんでもありません」
「…?左様でございますか。では、此方へ…」
いけないいけない。
聞き及んだ情報だけで片寄った判断するのは失礼だよね。情報はあくまでも情報で割りきらないと。
"記録者"として真実は己の目で持って"記録"しなくては…なんて、そんな殊勝な事を言うつもりは全然無いんだけどね。
私は小さく頭を振って気持ちを切り替え、笑みを張り付け直して執事さんの後に続いていく。
案内されるがままに通された部屋は豪奢な客間…ではなく、ぬいぐるみと本で溢れ返ったやたらファンシーな部屋であった。
本棚やベッドなどは勿論一目で分かるくらいには立派な代物な筈なのだけど、星柄のポップな壁紙の違和感とか私より巨大なテディベアとかが容赦なく視覚を邪魔してくる。
大画面の埋め込み型テレビには大量のケーブルが伸びて最新からレトロまで幅広いゲーム機が繋がっているし、素人目にも絶対魔改造されてるだろうと思われる厳ついパソコンもアンティークな机のシルエットなど知ったことかと言わんばかりに置かれていた。
突然の異空間に私だけでなく祈ちゃんも七尾さんも言葉をなくす中、元凶たる男がにこやかにこちらへと手招きをする。
「まずは紹介しよう。私の"記録者"、アイだ」
手のひらで示された男の向かいのソファーを見るも、そこにあるのはカラフルなクッションの山だけ。
いや、アイさん?は何処…
「アイ、お客様にご挨拶を」
「んー…?」
男がクッションに声をかけるとくぐもった声と共にもそもそと山が揺れ始めた。
よくよく耳を澄ませば、ピコン!やらピロリロリン!といった絶対にゲームだろう電子音も中から聞こえてくる。
少しして悲しい音楽…恐らくゲームオーバーと思われる音をきっかけにクッションの一部がポフンと床に落ち、中から女の子が顔を覗かせた。
「…はいどーも、主人の"記録者"のIです。好きなものはゲームとポテチー」
「え、あ、初めまして。私は綴戯栞里です。好きなものは、えっと…本?」
「うわぁ真面目ー。…よっと」
クッションの山をバラバラと崩してソファーに座り直したのは、二菜ちゃんくらいの華奢な女の子。
だるんとした大きめのシャツは襟が大きく開いていてブラヒモが…どころか片方の肩が出ているような有り様で、それに短パンを合わせているものだから良く言えばワンピース、見方によっては彼シャツ状態である。
おじさまとこの少女のツーショットは何と言うか…大丈夫?通報案件じゃないんだよね?
七尾さんが見ちゃいけないものを見たような渋い顔でそっと目線をそらし、祈ちゃんは凍てつくような視線を男に送っているけど…
そんな私達の心配など露知らず、彼女は寝癖で跳ねまくったボサボサの明るい茶色のロングヘアーを適当に手櫛で直しながら杏色の瞳を私に向けた。
「主人から"記録者"の友達を連れてきてくれるって聞いたけどー、あなたがそーなの?」
主人呼びはアウト寄りのアウト、つまりただのアウトだと思う。
「友達…?えっと、"記録者"なのはその通りだよ」
「ふーん…」
執事さんが持ってきた紅茶を当たり前のように飲み、アイちゃんはケーキをプスリと突き刺したフォークをくるくる回しながらまたじぃっと私の顔を見る。
顔に何かついてる?ってベタな質問をしたくなるくらいに見てくるんだけど…
あぁでも何となく…出された問題の答えを探す子供のようにも見えるから、もしかしたらどう接すればいいのか困っているのかも知れない。
まぁ正直私も困っているのだけど…膠着状態でいても埒があかないか。
私は少し身を屈めて彼女と目線を合わせ、なるべく柔らかく微笑んで見せた。
「えっと、あなたの事…アイちゃんって呼んでも良いのかな?」
「え、あー、勿論。あのー…そうだ。あなたの事はなんて呼んでいーの?」
「呼びやすいので良いよ。綴戯でも、栞里でも」
「…しおりんとか、ダメ?」
少し緊張したようにもじもじしながら私の顔色を窺うように上目で見てくる彼女は見た目よりどこか幼く、その姿がいじらしく映る。
私は思わずクスクスと笑って頷いた。
「ふふっ!良いよ。可愛いあだ名をありがとう」
「…!」
途端、ぱっと嬉しそうに表情を輝かせたアイちゃんは遊ばせていたフォークをぎゅっと握り直し、興奮気味に口を開く。
「ほ、ほんとーに良いの?しおりんって呼ぶよ?」
「うん。平気だよ、アイちゃん」
「…うぅ!やばー!しおりん超やさしー!!ね!ね!主人も思うよね!」
「はいはい、アイ。足をバタつかせないでおくれ」
足をバタバタと高級そうな絨毯に跳ねさせながらきゃっきゃとはしゃぐ彼女に面食らいながら七尾さんと祈ちゃんをチラッと見ると、 揃って何だコイツと言いたげな眼差しを向けていた。
というか、実際七尾さんはすっごい小声で言ったね。
どうでも良いけどフォークに刺さったケーキ落ちそうだよ、アイちゃん。
そう思っていたのが伝わったのか彼女は思い出したようにケーキをパクリと頬張り、むぐむぐと口を動かしながら私と残りのケーキを交互に見つめる。
そしてゴクンと飲み込んだ後、次の一口をプスリとフォークに刺し…ずいっと私に向けて差し出した。
「ねーしおりん、ケーキあげるー。ほらあーんしてー!」
「え!?いや、あの…」
「それはお前のだろう?客人には別のものを用意するから…」
「いーの。あたしのあげるんだからー。ほら立ってないで隣に座りなよー」
「わわ!?」
ぐいっと引っ張られ、バランスを崩した私はぼふんとソファーに包まれた。
いや、なんか表現おかしいように聞こえるけれど本当に包まれたんだよね。
高級(推定)ソファー恐るべし。
というか、毎回言うけどやっぱり能力者って皆力強いんだね?もういっそ断定するよ。
そりゃ、別に踏ん張ったりはしていなかったけどさ…こんな華奢な腕なのに私を軽々と引っ張ったからねこの子。
「しおりん、あーん!」
期待を滲ませた瞳はまるで小さい子にままごとをせがまれているようで小恥ずかしい。
そも、この年であーんされる事自体が恥ずかしいのだけど。
恐らくアイちゃんの為に誂えたのだろう絶対お高いケーキをいただくのは気が引けるし、何よりあまりお腹を膨らませたくないんだよね。
けど諦めそうもない様子に仕方がないと苦笑を浮かべて、その手からひょいとフォークを抜き取った。
そして、きょとんと目を丸くするアイちゃんににっこり笑ってふわふわのスポンジがついた先端を差し出し返す。
「これはアイちゃんのだからね。はい、あーん?」
パチパチと何が起きたのかとロードタイムを挟むと、事態を把握した彼女は嬉しそうに頬を染めて辿々しく口を開いた。
「あ、あーん…!んむ!んーーー!!」
「アイ、ホコリが立つから止めなさい。…すまないね。どうにもこの子は落ち着きがなくて」
「あはは…」
またしてもバタバタと暴れだしたアイちゃんに乾いた笑みを溢しながらフォークを皿に戻し、私は横からの刺すような冷気に冷や汗を流す。
「ず…狡い、狡い、狡い、そこ、代われ…!」
「五月雨、落ち着け」
丑三つ時にでも聞こえてきそうな小声の呪詛が恐ろしすぎる。祈ちゃんは本当に落ち着いてほしい。
「ねー、しおりんはどっから来たのー?『叡智の鳥籠』にはいなかったよねー?」
「彼女は最近本土から一ノ世くんが拾ってきたんだよ。…それで正しかったかね?教えておくれ」
ピリッと感じた違和感に、祈ちゃんからの寒気とはまた違う冷水を浴びたような冷たさが身体を走る。
ああ成る程と内心嘆息しながら私は笑みを崩さず言葉を紡いだ。
「ええ、その通りです」
「「!?」」
「…ふむ」
僅かに納得がいかなそうな顔をした男に私は気付かれない程度に奥歯を噛み締める。
七尾さんと祈ちゃんからざわついた気配を感じたけど、あちらには伝わってなさそうで安心した。
ささやかに軋んだ私達の空気とは裏腹に、アイちゃんはキラキラと瞳を輝かせてずいっとその身を乗り出す。
「あたしはねー、少し前までは『叡智の鳥籠』にいたんだけど…皆ノリ悪くてさー」
「それは…大人しい子が多いんだね」
「いやー辛気臭いっていうのー?皆ソロプレイ派で、マルチ派なあたしはだぁれも相手してくれなかったのー」
自分の事を考慮に含めず"記録者"をイメージすると私的には絵に描いたような文学少女が想像されるのだけど、もし本当にそんな感じの子達ならば確かにアイちゃんのテンションはキツいだろうな。
この子はどちらかと言えば二菜ちゃんと仲良く出来るタイプの子だ。
「だから寂しくてさー。そんで、話し相手になってくれるって言うから主人の専属になったんだけど…あんまり帰ってこないしー」
「ははは、すまない。最近は色々立て込んでいてね」
「ちぇー。まぁ仕方ないけど。必要な資料とか"記録"しときたいものがあったらいつでも言ってよねー」
「勿論。頼りにしている」
男が彼女の頭を撫でる様子は一見親子のように仲睦まじく見えるが、その実正面に見る男の目にそんな情などまるで無い。それこそ気に入りの骨董品でも撫でているみたいだ。
なんとも薄気味悪い光景である。
端から見たらこんなに気色悪い手なのに、平然と享受出来る彼女は何も知らぬが故かそれとも分かっていて受け入れているのか…私には判断出来そうもない話だ。
少なくとも私にとっては到底受け入れられない扱いであるのは確かだけどね。
こちらの心境などいざ知らず、男は無機質だった瞳に傲りの色を見せながら作り笑顔のままにアイちゃんから私へと視線を戻した。
「アイは記録の開示が長く出来る優秀な子でね。映像記録を連続で七分間も開示していられるんだ」
「ふふーん。『叡智の鳥籠』でもあたしに敵う"記録者"はほとんど居なかったからねー。皆五分でへばるんだからー。凄いでしょー」
…ん?七分?
自慢気な二人にワーソウナンデスネースゴイナーと上っ面を滑るような賛辞を口にしながら、私は内心でハテナマークを量産していく。
七分って、それ…長いの?
いや長いのだろうから自慢気なんだし、他は五分程度って言っていたけど…
私、『開示』に時間制限があるなんて知らないぞ。
これ…もしこちらの"記録者"の基準をアイちゃん程度の力とするならば、私の能力ってヤバいのでは?
今私が持つ知識だけで真偽の程を測れないのが痛いところけれど、少なくとも私の能力に関して慎重になるべきだということは察せた。
というか、今後自分の自由というか人権を守る為には目立ちそうな事柄は隠しておくに越したことはない。
…うん。それが知れただけでもこうしてのこのこついてきた価値はあったと言えるね。
そりゃ気は進まなかったけどさ、だからこそ来たからには何かしら自分に有益な情報を持ち帰らないと割に合わないじゃないか。
それに、己の復讐を成し遂げるために色々な方面の情報がほしいのは確かだし、お偉いさんや自分以外の"記録者"と接触出来る機会なんてそうそうないからね。チャンスだと思えば多少は気分がましになる。
何となく性格悪い気もするけど、このくらいの腹黒さなんて目の前の男に比べたら可愛いものだと許してほしい。
だってコイツは…
「ふむ、一ノ世くんは中々に難しい人物だが…そんな彼が気に入る君の事はどうにも興味深いね。君の何を買っているんだい?何か特別なのかな?それとも…弱みでも握っているから危なくて手放せない?どうだい?私にこっそり秘密を教えてくれたまえよ」
私という"記録者"から一ノ世の弱みを吐かせて握りたい、嫌がらせをしたいただの下衆なのだから。
心底馬鹿馬鹿しい。
弱み、ね。知らなくはないし、何より私の知る"アイツ"を開示してしまえばこういう連中は嬉々として危険分子を理由に彼を引きずり落とすだろう。
けれど、そんな事して何になる?
そりゃ、アイツの事は嫌いだけど…人生を狂わせてやりたい程の憎悪なんて"こちら"には抱いてない。普通にいけ好かないだけ。
それに一応恩もあるし…色々と、その、感謝してないわけじゃないもの。
まぁ何より私が一番気に入らないのは、こんな男が私を利用しようとしているという事だ。あまり甘く見ないでほしいよね。
だから私はあちらのお望み通り、またしても身体に走る不快感を隠しながら無害で無知な愚か者の皮を被って困ったように笑って欺いてみせる。
「さぁ…正直、皆目検討もつきません」
「…そうか。残念だ」
切り替えの早さはさすがと言うべきか、一瞬のつまらなそうな視線は瞬き1つで消え失せ、まるで喉元に向けられていた剣が収められたかのように空気が弛緩していった。
もう無意味と悟ったのか紅茶に口をつけ始めた男からはこれ以上話はないという雰囲気を感じられる。
震えそうになる身体と溢れそうな吐息を押さえ込み、代わりにゆっくりと瞬きをした。
…切り抜けた。頑張ったぞ私。
虚勢を張り続けてはいたけれど別にこういうの得意なわけじゃないし、何より本物のプレッシャーというか…"アイツ"から感じるそれとはまた別系統で怖かった。
ついでに色々な意味で吐きそう。それはもう、色々な意味で。
腿の上に置いた手でこっそり肉をつねりながら気を散らしているとそっと祈ちゃんの手が添えられ、その暖かさで始めて自分の手が酷く冷えていると気付く。
じんわりした熱と共に流れ込む安心感が嬉しくて、暖かくて、くすぐったい。
と、くいっと腕が引かれる感覚にはっとなってそちらへ顔を向ければ、拗ねたように口をつんと尖らせるアイちゃんが私を覗き込んでいた。
「もー、主人との難しい話はおしまーい。ねー、しおりんは本土行ったりとかしたんでしょー?いっつも何"記録"してんのー?」
面白いものを期待するような眼差しに何を答えるべきか迷う。
私が一番に"記録"しているのは"能力者"だけど…その回答は変な誤解を招きそうだ。
でも他に"記録"してるものと言ったら…
「怪異、とか…?」
「え、なにそれ苛められてんの?大丈夫?」
真顔かつガチトーンで心配された。
そんなにか。
「しおりんかわいそー。怪異ってめっちゃ怖いらしいじゃんー?」
「らしいって…もしかして見た事ないの?」
「あはっ、何言ってるのしおりんー!あるわけないよー!だって"記録者"は安全を保証されて当たり前だしー。ね、主人」
手近にところにあった本を戯れるようにパラパラと弄りながら、彼女は理解が出来ないとため息を吐く。
「その通りだね。君の扱いは正気の沙汰じゃない。むしろよく生きていたものだ」
「…まぁ自分で戦ってはいませんし、守られていただけですからね」
「それにしたってだ。"記録者"はね、情報という財を持つだけでなく能力者にとっては宝なんだ。易々と危険な外へ持ち出す事すら憚れるのに…怪異など。さぞ恐ろしかっただろう」
いや正直私はあなたの演技の寒さが恐ろしいのだけれど。
コンタクトレンズのように痛わしそうな色を張り付けた瞳を僅かに濡らし、こちらを懐柔せんと吐かれた優しい音の言葉。
え、これでいけると思われてるのだろうか。心外だ。
子供じゃないんだから…って、あれ?もしや私の年齢ご存知無い?そういう事?
「しかも学園の図書室に住まされているだなんて!私は君が哀れでならな…」
「きゃあああああああああ!!!!」
続く男の寒々しい台詞は、つんざくようなアイちゃんの悲鳴でかき消された。
驚きで思わず腰を浮かせて彼女を見ると、人差し指だけ伸ばした右手をもう片手で握りしめながら、可哀想なくらい真っ青になって震えている。
え、何!??敵襲…ではないし…持病とか??
いや右手が疼く持病とかちょっとアレなものが浮かぶけど!さすがに違う!
とりあえず怯え方が普通じゃないよね!?
しかし、何事かと焦る私とは対称的に七尾さんや祈ちゃん、果ては男までも落ち着いた様子で彼女を見ているではないか。
ここに来て能力者的無関心…?いや、その割には…呆れが浮かんでいるような。
「…こほん。アイ、どうしたのかね」
「主人!主人っ!どうしよう!!ち、血が!血が出、て…!あたし死んじゃう!死んじゃうよぉ!!助けてぇ!!」
…なんて?
私はアイちゃんがずいずいと男へ差し出したそれ…ほっそりしたきめ細かい"指"を凝視する。
その人差し指の先には恐らく本のページで切ったのだろう赤い線が一本走り、ぷくりと小さなビーズみたいな血玉がちょこんと乗っていた。
えっと、まさか血が出て死んじゃうって…
「そのくらい我慢しなさい」
「ムリムリ無理!!痛いし血が気持ち悪いし怖いぃ!!治してくんなきゃ家出して主人の事『開示』しまくってやるぅぅ!!」
「…わかった治療しよう。君たち、少し待っていてくれたまえ。アイ、おいで」
「びえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
本気で泣きじゃくる彼女を宥めながら男はこちらに断りを入れて退席した。
一気に静かになった室内に肩の力を抜き、私はお高いソファーの背もたれにぐたっと身を預ける。
そして壁紙とは違うパターンの星柄を眺めながら思わず呟いた。
「…え、あれ本気なんですか???」
こっちを油断させる罠とか色々疑ってみたけど、アイちゃんの様子も男の呆れも本物だったと思う。八丸くんの勘みたいな自信はないけど…
まぁ仮にアレが演技で今盗聴されているのだとしても、変な事を喋らなければ問題無いだろうと結論付けた。
「まぁ…本気だろうな。私が知る限り大体の"記録者"は血や怪我に対して子供以下の耐性だったぞ」
「こ…転んで擦りむいただけで失神する人も過去にはいたらしい、です」
「えぇっ!?嘘でしょ!?」
「「本当」」
ドン引きどころではない衝撃的事実だ。
そりゃ訓練の記録を頼めないレベルだとは聞いていたけど…ここまでとは思わないよね。
せいぜい殺気とか気迫とかにきゃーこわーい!ってなる程度を予想していたのに、これは想像の斜め上を行く勢いでヤバい。
物語に出てくるようなこってこての夢見るお姫様でももう少しタフだと思う。
あんな、こう言っては何だが唾つけときゃ治りそうな怪我で騒げるのなら私は一体何だというのか。
最近ではナイフによる滅多刺し、過去には幾度と無く死んで死んで死にまくっている…
「もしかして、私がおかしいんですかね…?」
「まぁ綴戯の生きてきた境遇を考えれば確かに普通とは言えないが…それはまた別だろう」
「き…"記録者"の甘ったれ具合は常軌を逸しています、から」
微妙に祈ちゃんが棘を出しながら扉を睨めば丁度カチャリとノブが回り、目を真っ赤にして鼻をすすっているアイちゃんとその後ろから少し疲れたような雰囲気を感じる男が帰って来た。
彼女の指には可愛らしい花柄の絆創膏が巻かれている。
私は彼らが席に戻るより先に人をダメにしそうなソファーから立ち上がる。意図を察してくれたらしい七尾さんにさりげなくふらついた体を支えられながら、囲んでいた机から数歩扉側へ離れた。
「やあ、すまなかったね。お客人の前で騒ぎ立ててしまって」
「いえ。構いません。…アイちゃん、大丈夫?」
「ぐすっ、まだ痛い、けど。ぐすっ」
あー…まぁ確かに紙で切った傷ってやたら痛く感じるよね。それは分かる。
しかもその後痒くなるっていう嫌なオプション付きってのがまた…いや、何の話をしているんだ私。"記録者"の紙っぺら装甲へのショックで現実逃避してる場合じゃない。
ぐずる彼女に苦笑を溢しながら、私はわざとらしく時計をチラリと眺めて男へ向き直った。
「すみません。長居してしまいました。この後約束事もありますので、そろそろお暇させていただいても宜しいですか?」
「ずびっ、えぇー!?もう!?」
まん丸く見開かれた杏色がすがるようにこちらを見つめ、無事な左手で私の服を掴みながらヤダヤダと駄々をこねる。
男はしばらく口をつぐんだまま私達を能面のような感情の浮かばない顔で眺め、やがてゆっくりとこちらを気遣うような色を装って口を開いた。
「綴戯くん、だったね。どうだろう、今からでもウチに来ないかね」
「はい?」
隣の七尾さんから小さく舌打ちの音が聞こえる。
成る程、情報を引き出せないのなら私ごと一ノ世から奪ってしまおうといったところか。
節操の無い話だ。気を引きたくておもちゃを奪う子供か何かかな。
「どうもそちらは"記録者"の扱いが良くない。私は君が心配なんだよ」
「ぐすっ、そうだよー!あたしと一緒にいた方がしおりん絶対幸せだってー!ずび」
「この通りアイも懐いているし…ここに居れば不自由はさせない。欲しいものは何だって用意する。それに…もう辛い思いなどさせないよ」
辛い思いをさせない、ね。
甘ったるく誘うようなそれは、裏側が透けそうな程薄っぺらく中身の無い…私にとっては臍で茶を沸かせる冗談でしかなかった。
我慢ならずクスクス笑みを溢せば、七尾さんは気遣わし気な眼差しを向け、祈ちゃんはアイちゃんとは逆側で取られまいと腕を絡める。
突然笑いだした私を訝しんだように見ている男に真っ直ぐ向き直り、手本のように謙遜の表情を張り付けた。
「お気遣いはありがたいですが、遠慮させていただきます」
「ふむ、何故か聞いても?」
一度目を伏せ深呼吸をする。
今、付け入る隙間もなくきっぱり断っておかないと二回目三回目とずるずる面倒事の回数が増えるだけだ。
こんな精神を削るようなやり取りはもうごめんだよね。よし、勝負どころだ。
私は取り繕うのを止め、一ノ世をイメージしながら瞳に侮蔑をのせてにたりと笑ってみせた。
「どんな安寧に身を置いても、私から地獄を取り去るのは不可能だからですよ」
「…は?」
「では、失礼します」
もうこの身体にははち切れんばかりの絶望を溜め込んでいるというのに、今更安らぎを求めたところで何になるというのか。
だったら業火に身を焼かれてでも行動し続けた方がまだ気休めになる。
私は未だに服を掴んでいるアイちゃんに離してもらおうと視線を向けた。
するとそこには酷くつまらなそうな顔でこちらを見る杏色があり、彼女は1つ吐息を溢すとぱっとあっさり手を離して男の側へ戻っていく。
「ちぇー。ほしい情報も無くこっちについてももらえないとかつまんなー。あたしが痛くて死にそうな思いしただけじゃんー。やっぱゲームみたいに上手くは行かないかー」
あぁ、そっか。
どうやら彼女のフレンドリーさも計算の内だったらしい。それは少しだけ…悲しいな。彼女個人は好きになれそうだったのに。
「でもさー、損な生き方だよねー?飼われた方がずっと楽なのにー。痛くもないし、怖くもないしー。ぐーたらしてられるしー」
昔の、就活だ何だと苦しんでいた頃の私ならば魅力的に聞こえたのかもしれない。
昔の、終わらない地獄でもがいていた頃の私にだってきっと魅力的だった。
でも、今の私にとっては…
「可哀想に」
それはただただ、深夜に砂嵐だけを映すテレビのように退屈で魅力の無い文字列でしかない。
「…は?意味わかんないー。もー、さっさと帰ればー?主人、いいでしょー?」
「…ああ。引き留めて悪かったね」
思い通りにいかなかった男の憎々しげな顔に胸がすく思いである。噛みつかないと思った?残念、ざまぁみろ。
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屋敷を後にしてすぐ私は七尾さんに抱き上げられて素早く移動したかと思うと、少し離れたベンチへと下ろされていた。
「体調は!?」
「…え」
「だ…大丈夫なんです、か!?」
二人の顔色は酷いもので、私の事を心から心配してくれているのが痛いくらいに伝わってくる。
どうやらバレているらしいと悟った私は、申し訳ない気持ちになりながらずっと腹で渦巻いていた不快感を外へと吐き出した。
張っていた糸がプツンと切れた、とでも言おうか。
「…ぅコプ。ゲホ!ゲホッ!!」
「っ!やはり…綴戯!」
べしゃりと地面に落ちた我慢していた分やや黒く変色しつつある、しかし未だに毒々しい赤が街灯にぬらりと反射する。
ずっと腹を揺蕩っていたそれは自分が思うより多く、あぁそう言えば"二回分"かと他人事のように内心自嘲した。
我ながらよくもまぁ耐えたものだと思う。
きっと屋敷にいる間は切り抜けなくてはという緊張感で脳内麻薬がどばどばの大盤振る舞いだったに違いない。
粗方血を吐き終えると気が抜けたせいか一気に疲れが押し寄せ、私を支える大きな手に甘えて寄りかかる。
キツイ。久しぶりにやったけど…まずったなぁ。
パーティーどころじゃないかもしれない。
「綴戯!綴戯!大丈夫か!?」
「み…水を持ってきます!!」
「い、い。祈ちゃん。ここに、いて」
何故と問う瞳に言うわけにはいかないよね。
…今、内臓が潰れてて飲めない、だなんて。
曖昧に笑って誤魔化した私に彼女は泣きそうな顔をして、ポケットから出した繊細な刺繍が施されたハンカチで私の口元を拭いてくれた。
あぁ、申し訳ない。汚してしまったな。
寒くて、あの時のように少しでも暖かさが欲しくなった私は祈ちゃんの手をすがるように握った。
何かを叫ぶ二人の声がやたら遠く聞こえる。
けれど気にする余裕は無かった。
何せ、呼吸する度に鉄臭い生臭さが鼻に抜けると同時に、弱った私を見計らったように"記録"が牙を剥いたからだ。
本当にこの能力は…私の事が嫌いらしい。
ノイズ混じりに現実の視界を食らい潰したこの"記録"は果たしていつのものだったか。
元は街だったのだろう降り積もったコンクリートの山の上で、乱暴に髪を掴まれた私は鈍い音を立てながら顔を瓦礫に叩きつけられていた。
そしてそのまま持ち上げられ、ろくに覚えてもいない木っ端の能力者の顔が眼前に晒される。
《おい、"記録者"。生き残りの場所、知ってるよなぁ?》
生き残り。この辺りから…目の前の化け物から逃げおおせた数人の一般人達。
彼らだけじゃなく周辺地域の皆が身を寄せ合う隠れ家へ、確かに私はつい最近足を運んでいた。
能力者共の動向を知らせる為だ。
そう、頼まれたから。
珍しく私を迫害せず罵ることもなく受け入れて、助けて欲しいのだと願われたから。
利用されているだけだとしても、それが私にとってどれ程嬉しかったことか。
《今すぐ殺しに行く。さっさと開示しろ!》
《…っ》
言葉に乗せられた強制力。"記録者"の抱える制約が私に応えよと囁いてくるけれど、私の心は最初から…彼らに頼まれ事をしたあの瞬間から決まっていた。
《聞いているのか。早くしろ!!》
がなりたてる声。私は、そう、確かこの時も…
《知りません》
今みたいに大量の血を吐いて、死んだんだっけ。
死にたがりが、と吐き捨てる声を聞きながら意識は黒く塗りつぶされ…
「「綴戯 (さん)!!!」」
「…っ!」
脳を揺さぶるような声に鼓膜をぶち破られそうになりながら、私は一気に覚醒した。
目を開ければ七尾さんと祈ちゃんのドアップで、二人共その独特の色彩を持つ瞳を水に沈めたかのように揺らめかせながら安堵の息を吐く。
"記録"に引きずられていたらしいと思って苦笑しながら、七尾さんに寄りかかったままの体を起こし…"違う"と悟った。
沸き上がった罪悪感と後悔に心臓を握り潰されるような心地のままに、私は二人へ頭を下げる。
「ごめん、なさい…!」
あぁもう私の大馬鹿者。最悪なものを、最悪の瞬間を見せてしまったじゃないか。
七尾さんがらしくないように、いや、本来の彼のままにやや乱雑に私を掻き抱いて、反対側ではすがり付くように祈ちゃんが抱き付いてきた。
「制約違反…だな」
「…はい」
確信めいた声に、観念するように答える。
制約。それはいわば能力に対するデメリットのようなもので、『記録』の能力のみならず各種能力に付く事があるものだ。
必ずではないし力の強さに比例するわけでもない。しかも内容だって同じ能力でも違うこともあるそれは完全に運であり、その内容によっては弱点足り得るものだった。
私の知る中でも分かりやすい制約で『炎』の能力者の例がある。ある能力者は水を被ると体から力が抜ける制約を持ち、また別の『炎』の能力者は水を被るのは問題無くとも全く泳げない制約を持っていたのだ。
大概は能力を使える回数だったり時間制限の制約がほとんどだが、『記録』には制約が必ず存在し内容も決まっている…らしい。
"あちら"でただの1人も『記録』の能力者には会わなかったから、私も自力で調べた範囲内で確証はないんだよね。
『記録』の制約は、求められた"記録"に関して"真実を語る事"。
普段の会話などでは制約は発生しないが、"記録者"としての情報を正式に求められた場合には嘘を紡ぐ事が出来ないのだ。
だからこそアイちゃんや『叡智の鳥籠』にいるらしい他の連中は囲われているのだろう。情報の漏洩を防ぐ為に。
しかし、私は知っている。
その制約を無理矢理破ることが出来ないわけではない、という事を。
理屈自体は難しくない。"記録者"として答えろという要求に対して"是"を返さなければ良いだけだ。そうすれば嘘を言葉に出来る。
ただし、相応のペナルティさえ覚悟できるなら、だが。
「せ…制約違反っ!?い…命の危険があるのは知ってました、よね!?」
「…勿論。知っていたよ」
少年漫画のように限界を越えろ!とは訳が違うのだ。一線を越えた先にあるのは成長ではなく、死やそれに近い苦痛。
しかし、それでも私は…
「何故、こんなことをした…!そんな、軽々しくやるもんじゃないだろう!!」
「…七尾さん。私にとってはね、制約違反なんて…軽いもの"だった"んですよ」
「な…!」
私は"アイツ"らが引き起こした惨劇の開示には映画館よろしく応えていたけれど、一般人の居場所や避難所、何かしようと練られた計画などはどれ程求められても教えたことは一度も無い。
つまり、求められた回数だけ制約違反を繰り返しているのだ。そのペナルティで死んだのだって一度や二度じゃない。
力なんてない私には、そうして抗い続けることしか出来なかったから。
まぁそれでも結局は皆"アイツら"に見つかって、私を指差しながら裏切り者と罵るのだけれど。
「それでも…!!そうだったとしてもだ!!俺はもう、認めないぞ!!!」
「わ…私も嫌で、す!つ…次なんてもうやらせま、せん!!」
私は身動ぎして二人の腕から抜け出した。
こう言うと真剣な彼らに失礼かも知れないけれど、ただ無性にその顔が見たくなって。
思った通りそこには怒りと悲しみの色をパレットでごちゃ混ぜにしたような表情があって、酷く胸が痛んだ。
あぁ、私は…分かっているつもりで、全然分かっていなかったのかもしれない。
私の身の振り方が、誰かをこうも苦しめるだなんて。
だから、いつものように死なないからを免罪符にしようとした口を一度閉じ、違う言葉を紡ぐことにした。
「…もうやらないよう気を付けます」
「…っあぁ、そうしてくれ。私達も、綴戯が"そう"しなくて良いようにしてみせる」
「わ…私も守り、ます。守ってみせます」
誰かに無茶を怒ってもらえることが、悲しんでもらえることが…こんなに嬉しいだなんて、不謹慎だろうか。
「でも、今回は…」
「つ…綴戯さん」
「「抗ってくれて、ありがとう」」
ほら、"こちら"はこんなにも優しい。
辛い思いなど、果たしてどこにあるというのだろうね。




