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6-4


NO side


稲荷田八丸は今しがた急激に変化した状況にペロリと舌なめずりをする。

その色違いの瞳は愉し気に煌めいていた。


綴戯栞里が五月雨夫婦の避難を試みても当の夫婦は動けず、しかし彼らを守る五月雨祈の『結界』が不安定な為八丸が下手に攻撃に出ることが出来ず…そんな停滞していた戦況がひっくり返ったようなものだ。

そりゃ興奮もしてくる。


祈の不調は勿論怪我のせいもあるが、何より問題だったのは心の不安定さ。

能力者の精神はある一点においてとりわけ脆く、それにより祈はつい先程まで間違いなく壊れる寸前だったのだ。

そんな状態で張られた『結界』などたかが知れていて、いつ怪異が破ってもおかしくないレベルだったのに…


それが今はどうだ。


ビリビリとプレッシャーすら感じそうな程の密度で張られた『結界』に不安定の面影はまるでない。

怪異が先程までのように体当たりを繰り返すもののその程度の攻撃ではビクともせず、八丸が暴れたって問題なさそうだ。

しかもどうやら祈は自分より後ろの建物を丸ごとすべて囲ったらしく、これなら屋敷の倒壊もここ以外は免れるだろう。

彼女は八丸の事をある程度分かっていたらしい。


【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii】


腹立たしげに雄叫びを上げる怪異を見上げながら、八丸は元の姿に体を戻した。

そして大人の体で悠然と腕を組む。


「ようやくオレサマの出番なのヨ」


その相貌はとてもじゃないが栞里には見せられないなと、彼は内心自嘲を溢した。


力自体は三ツ星相当ながら知能はそこそこ高いらしいこの怪異は弱い方を執拗に狙い、まともに八丸を相手にすることを避け続けていたのだ。

つまり、半ば無視されていた彼は思いの外機嫌が悪い。


「オレサマこの後お誘いが2件もあるのヨ。キサマなんぞにこれ以上くれてやる時間なんてないのヨ」


さて、何故今まで頑なに彼が攻勢に出るのを渋っていたのか…理由は単純。彼は狭い場所や街中での戦闘にあまり向かないのだ。

比較的温厚そうに見える八丸だが、その戦い方は規格外な同期達に負けず劣らず派手の一言。


『変化』による重火器戦闘機戦車その他高威力兵器のオンパレードで制圧するのだから、辺り一帯の被害は推して知るべしだろう。


そも、彼は戦いがあまり好きではない。

だからこそ手っ取り早く終わらすための戦い方を好むのだから。


「ま、近くに他の家が無いとはいえ…更地にするわけにはいかないから、手加減はしてやるのヨ」


そう言いながら八丸は右腕を丸い筒状の兵器に変える。

ぽっかりと前方に口を開けたそれは未だ八丸を見ていない怪異へひたりと向けられた。


「いい加減オレサマと向き合え、弱虫が!!」


煙を吐いたそれからは長細いミサイルが発射され、凄まじい爆撃音と共に今まで傷1つ付かなかった怪異の脚を二本容赦なく吹き飛ばす。

同時に爆撃に巻き込まれた周辺の壁もすべて吹き飛んだが。手加減とは。


「むむー、ちょっと外したのヨ。というか、バッジの機能切れてるから早く終わらせないと人目についてまずいのヨ」


本人はケロッとしているものの、とんでもない爆発を披露したそれは戦車の装甲を吹き飛ばす為の対戦車兵器の一種…所謂、対戦車ミサイルであった。辛うじて通常よりは小型だが、この場で使うには十分どころではない破壊兵器だ。


【Keeeeeeeeeeeeeee!?】


一気に開け、雨ざらしになった戦場で怪異がびたびたと黒い体液を撒き散らしてのたうち回る。


そんな怪異も爆風も防いでいる祈は『結界』の為の集中を保ちながらドン引いていた。

口には出さないが内心"躊躇なく人の家吹っ飛ばしやがってこの変態が"、くらいは思っている。

いくらある程度『修復』してもらえるとはいえ容赦がない。


栞里も『記録』の能力を解き、呆れたようなため息をつく。


「あー…八丸くんも災害系かぁ…」

「こ…これは化け物でもあってる、かも。い…言い逃れ出来、ない」


爆撃のおかげさまでバッチリ気絶した祈の両親に関しては結果オーライかもしれない。

祈と栞里は言葉なく頷き合い、これをすべて怪異のせいにすることを決めた。間違ってはいない。


【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!!】

「お、ようやくオレサマの相手をする気になった、のヨ…!」


鋭い風切り音を残して、咄嗟に後退した八丸の眼前に横一本の銀線が走った。

ハラリと切られたいくらかの髪が、遅れてきた衝撃でぶわりと散っていく。


「…へぇ、以外と早いのヨ」


元々短い前髪が一部更に短くなってしまったことにぷくっと膨れる頬には、薄く切れた額から流れる血が眼を通って涙のように線を引いていた。

彼はそれを乱雑に服で拭い、直ぐ様駆ける。瞬間、八丸のいた場所には怒ったように牙を剥き出しにした球体がクレーターを作っていた。


「残念だけど、オレサマすぐに同じプレイは飽きるのヨ」


そう言って再び横なぎに払われた鎌を上からハンマーに変えた片手で打ち落とし、そのままの勢いでくるりと飛び上がる。


鎌の腕と尾の変則的な動きなどものともせず、八丸は再び対戦車ミサイルを残っていた脚に打ち込んだ。


二度目の盛大な爆発が起こり、しかし八丸は避けるでもなくそのまま肉薄する。

飛び散る瓦礫の破片や爆風で体に細かい傷を負いながらも、彼は気にせずにたりと笑った。


八丸の腕を『変化』させた刀が、何故か『硬質化』に阻まれることなく怪異の腹部を深く切り裂き、振り向き様に迫り来る鎌も片方削ぎ落とす。


「オレサマ、イイとこ(弱点)探すのはベッドの上でも戦場でも得意なのヨ」


彼は一撃目の際に一瞬『硬質化』が切れたのを見逃さなかったのだ。

どうやら、脚が吹っ飛ぶなど『硬質化』を使った時から形状が変化すると解けるらしい。


【Keeeeeeeeeeeeeee!?】


びたびたと雨の水溜まりに怪異の体液が撒き散らされ、まるでタールのように辺りをぬめりとした黒に染めていく。


脚を失い身動きも取れない怪異は聞くに耐えない奇声をあげながら八丸へと球体を振り抜くも、当然の如くヒラリと距離をとられ躱された。


「あーあ…お誘い前に着替える手間が増えたのヨ。服ボロボロ」

「じ…自業自得か、と」


『結界』の側に立ってぼやく八丸に祈は小さな声で返す。前髪に隠れた普段とは配色の違う瞳には、隠すことなく呆れが滲んでいた。

そんな彼女の後ろでは栞里が心配の色を乗せながらむすっと怒っている。


「八丸くん大丈夫!?もう、ヒヤッとしたよ!」

「はっ!?シオリもしやオレサマのワイルドさに惚れたりとか…」

「あ、それはない」

「むむー、手厳しいのヨ」


とりつく島もなくNOを返す栞里に八丸はしゅーんとしょぼくれた顔をして項垂れた。

体が大人のくせに子供のような仕草と表情をするものだから栞里はつい笑ってしまう。

それが面白くなかったのか、祈は再び動きを見せた怪異へ八丸をしっしっと追いやるように手を振った。


「は…早く行って終わらせて下さ、い」

「イノリ?オレサマの扱い雑になったのヨ?まぁ行くけど…」


八丸が渋々怪異の元へ駆け戻ると、直ぐ様鋭い鎌が頭上から振り下ろされる。


「お熱い歓迎だ。寂しかったのヨ?だぁいじょうぶ。ちゃんとイかせてやるのヨ」


僅かに体をずらしてそれを避けた彼は、にたりと色気どころか狂気すら感じられる笑みを浮かべ、攻撃を外して無防備になった体へと銃口を合わせた。


「おやすみ」


三度目の攻撃は怪異の体を爆散させ、もはや悲鳴をあげる間もなく消滅…と思いきや、もうもうと視界を覆う煙の中から最後の足掻きのように球体が飛び出し、八丸の足に噛みついてきたではないか。


「…っ!この!!」


さすがに予想外で避けられず八丸は顔をしかめるも、足を振ると球体はすぐに力尽きてポロリと落ちる。


【Kiiiiiiiiイiiiiiiiiiiたiiiiいiiiii…】

「…は?」


そして彼が止めを刺す前に、奇妙な声を残して怪異は跡形もなく消滅した。


釈然としない思いはあるものの、まぁ終わったから良いやと考えを一度放棄して八丸はくるりと踵を返す。

と、解かれた『結界』から祈と栞里が駆け寄ってきた。祈の瞳はいつの間にか元の配色に戻っている。


「八丸くん!!」

「わ!?シオリ!?ちょ、待つのよ今姿を…」

「そんな事より足!!」

「ヒョワ!?」


何事かと八丸が狼狽えている間に栞里は彼の足をひっつかみ、何かの液体が揺らめくアンプルをペキリと折る。

それが何かを察した八丸は一気に顔色を悪くした。


「ちょ、それ…効き目はピカイチだけど滅茶苦茶痛い事で有名な回復促進薬なのヨ!?どこでそんなの…」

「わ…私のあげまし、た」


そう言って控えめにピースしているあたり彼女は確信犯であり、つまりは嫌がせである。


「よく分からないけど、治るなら良いよね?」

「まっ…いっだぁぁぁぁぁぁ!!!!」


液体は容赦なく傷口に垂らされ、八丸の断末魔が小降りになりつつある雨の中にこだました。


「だいたい、八丸くん怪我しすぎ。どうして爆発に突っ込むのかな」


子供の姿に『変化』し直してべしょべしょの顔で歩く八丸と共に屋根の残っている場所まで戻ると、栞里は彼の有り様をまじまじと見詰めてため息をつく。


「さっきのはタイミング的なところもあったけど、元々オレサマはあまり怪我は気にしないタイプなのヨ。ヒサヤとヒジリは怪我したくないタイプだけど、オレサマ怪我するとテンションあがるし」

「ドM…?」

「残念。逆なのよ。ヤル気出て啼かしてやりたくなるのヨ」

「ど…どっちにしろ変態は綴戯さんに近付かないでくだ、さい」

「え!?」


祈から追い討ちを食らった八丸は再びしょぼーんと項垂れるがその視界に影がさし、靴の先が見えて僅かに顔を上げる。

そこには栞里が目線を合わせるようにしゃがんで笑っていた。


「八丸くん。戦ってくれてありがとう」

「…あ、えと、どういたしまして、なのヨ」

「五月雨さんも。守ってくれてありがとう」

「え!!わ…私は、そんな、お礼なんて…」


あまりお礼を言われる経験などなかった二人は揃って顔を赤らめ、チラリと目を合わせて同じ心境らしいと互いにはにかむ。


「ごめんね。私本当何も出来なくて…」

「「本気で言ってる??」」

「え、何が??」


祈の両親を突き動かして戦況を覆した張本人のクセに、栞里にはまったくその自覚がなかった。

なにせ本人的にはただの自己満足の為に言いたいこと言っただけだし、むしろ五月雨夫婦をここから連れ出せなかった己の非力具合に落ち込んでいたりするのだから。


と、微かな呻き声が聞こえ、祈の表情がパッと輝いた。


「お父様!お母様!!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


五月雨side


「よ…良かった。怪我は無いですか?痛い所と、か。…あ」


気絶から目を覚ました両親に思わず抱き着いて、捲し立てるように話し掛けてからしまったと思いました。


何も言ってくれない二人はきっと嫌がってるに違いありません。

冷たい眼を想像して、胸がひきつるような痛みに泣きそうになりながら視線を下げると…その私の頭を何かが優しく抱き締めたのです。


目に映るのは…腕。


咄嗟に顔をあげて、私は別の意味で泣きそうになりました。

そこには想像とはまるで違う、かつてのような暖かい目をしたお母様が微笑んでいたのです。


そして、横から別の逞しい腕が伸びて私の頭を優しく撫でました。

期待と共にそちらを見れば、お父様も昔と同じように、しかし昔よりいくらか増えた目尻のシワを深めて柔らかく笑っています。


「良かった祈…!無事で…!本当に良かったわ!!」

「酷い爆発があった時はどうなるかと思ったよ。私達はどうやら気を失ってしまったみたいだけど…祈が守ってくれていたんだね。ありがとう」


その酷い爆発は仲間のせいだなんて事実は墓場まで持っていくことを決めながら、私は再びお母様の胸に飛び込みました。

拒絶されない暖かな体温にとうとう涙腺が耐えられなくなって…


「ぐず、お母様!お父様!」


笑いながらポロポロ涙をこぼす私はまるで天気雨みたいですね。


「祈。今までお前を見てやれなくてすまなかった。私達はもう恐れたりしない。…もっと恐ろしいモノを知ってしまったしね。ちゃんと祈と向き合うって約束するよ」

「ふふ!…祈、あなたの能力は人を守る素敵な力だったのね。恐れてごめんなさい。遅くなってしまいましたけど、あの時も今も…わたくし達を守ってくれてありがとう」

「私からも、ありがとう祈」


ぎゅうぎゅうと、昔雪の日に皆でやった押しくらまんじゅうのように私達は互いを抱き締め合いました。

暖かくて、暑すぎるくらいで、またいくらでも涙が溢れてしまいます。


「私達のしたことは最低だ。なぁ祈、赦してくれなくて良い。赦されてはいけないんだ」

「…え?」

「わたくし達は己の弱さと今日の罪を忘れませんわ。だから…一生をかけてあなたに証明させてくださいな」

「証明…」


二人はそれぞれ左右の頬にそっとキスをくれると、私の目を真っ直ぐ見て同じような顔で笑ってくれました。


「「祈を、愛してることを」」


なんて甘美な罰でしょう。困りました。これじゃあ、いつまでも赦せそうにありませんね。

ふとお父様がゆるりと辺りを見渡してホッと息を吐きました。


「そういえば…もう、怪異はいないのかい」

「は…はい!も…もう安心で、す」

「良かったですわ…」

「で…でも家が…その、すぐに直してもらいます、から」


嫌な予感がしましたから咄嗟に『結界』を出来る限り広げましたけど…書斎とその上の寝室は使い物になりません。

若干の恨みも込めてチラリと稲荷田さんを見れば、すぐ端末を取り出してくれたので明日には直るでしょうか。

手配を素早く終え、稲荷田さんが気まずそうにお母様に頭を下げました。


「あのぅ…も、申し訳ないのヨ…オレサマが…」

「いや。気にしないでくれ。本当にありがとう。君は勇敢な男の子だな」

「そうよ気にしないで頂戴坊や。命が助かったのですから」

「ヒョ?」

「お…お母様!?は…離してくださ、い!」


そうでした。両親は稲荷田さんを見たままの子供だと思って…!

お父様の撫で撫ではまだしも、お母様、ハグはいけません!!その人は変態の成人済み男性です!


「あら、祈ってばやきもちかしら?」

「そ…そうじゃなく、て」

「ふむふむ、これはなかなか良いご褒美なのヨ」

「い、な、り、だ、さん?」

「おっと、オレサマ用事を思い出したのヨ」


私の目を見てさすがにまずいと思ったのでしょう。恐らくゴミを見るような目をしていたはずです。

稲荷田さんは逃げるように両親から離れました。

恥ずかしかったのかしらと笑う両親を眺め、私はすうはあと深呼吸を繰り返します。そして、意を決して口を開きました。


「ぁの!!」


裏返った声に恥ずかしくなりながら、それでも私は止めることなく言葉を続けたのです。


「ぴ…ピアノを、聞いてくれます、か?」



私のピアノが静かに佇むサンルームにはさぁさぁとガラスに張り付く小雨の音だけが響いていました。


真っ直ぐかつてのパートナーに向かい、覆っていたカバーをドキドキしながら外します。

艶やかな黒の中に刻まれた懐かしい傷をなぞってそっと目を閉じれば、まだ生きたこの子の存在を感じられました。

あの日から一度も触れていないこの子はまるで化石のように眠り、今日という日を待っていてくれたのでしょう。


両親はかつてと同じようにガーデンテーブルを囲って座り、少し離れた場所には綴戯さん達が立っていました。

私は綴戯さんに笑いかけ、ピアノを準備していきます。


弾く曲は決めていました。


今にぴったりな曲はきっとあの曲に違いありませんから。


すべての準備を整え私が鍵盤に指を乗せると、今まで眠っていたこの子がゆっくり目を開けるような気がして…

ああ、そうですね。早く始めましょう。また、一緒に…!


激しくはないはじめの一音はしかし、この子の咆哮のように部屋の空気すべてを震わせました。


そのまま音を紡いでいけば、綴戯さんと稲荷田さんが目を丸くしたのに気付いて笑みを深めます。


そう、これは雨に降られながらも開かない彼女の家の扉の前で愛を歌い続ける男を描いたあの曲。

学園の音楽室で弾いたあの曲です。


けれど、あの時とは解釈が違うのですよ。


騒がず波立てず、ただつらつらと開かないと分かっている扉に、無駄だと思いながら愛を吐く()はもういない。


()は…


撫でるように弾いていた鍵盤を徐々に強く押し込んでいき、やがてジャーン!と曲調を一変させる。


愛してる!愛してる!愛してる!

こんなところが好き、こんなところを愛してる、あんなところだって大好きだ。


情熱的に、ただ幸せそうに。

()には諦めも悲壮もありはしない。


だってこの扉はきっと、きっと…!


サンルームに光が差し込んでいく。

いつの間にか降り続いていた雨は止み、厚ぼったい雲間からは美しい青が覗いていた。

ぼやけていた世界を暖かな日差しが引き裂いて、こぼれた涙のような雫をつけた草花が笑うように煌めいていく。


窓ガラスの水滴に乱反射した光は弾けるように音符と遊び、キラリキラリと舞い踊る。

そんな世界の変化に胸を躍らせて、私もパートナーと歌を歌い続けた。


あぁ、私の雨も、男の雨も、きれいな空へと消えていく。


泣きそうなほどの、はち切れそうな程の幸せを胸に、私の指はラストに向けて更に更に弾んでいって、私はアドリブでグリッサンドを入れた。


これは虹。

今私の目に映る七色の架け橋。


美しいそれと共に、曲は終わりに差し掛かる。

勢いを少しずつ弱め、しかしそこに悲しみなどなく。

ただただ甘い愛を囁き…最後のワンフレーズに全ての幸福を詰め込んだような煌めきを乗せて…


「お父様!お母様!愛しています!!」


「ええ、わたくし達も」

「ああ、私達も」

「「愛してるよ、祈」」


そう、扉は…諦めなければ開くのです。


かくして()の愛は思い人(家族)に届き、固く閉ざされていた扉は煌めく虹と共に開いたのでした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


窓の向こうから眩しいくらいの光が差し込んでいる。

まるで冬が終わったかのように世界に温度が戻っていき、命の息吹が一撫での風で雫と共に輝きを放つ。

そして雨上がりのまだ未熟な青空には、久しぶりに見た立派な虹が五月雨さんを祝福するようにかかっていた。


虹がこんなに美しいなんて、知らなかったな。

くっきりした七色の光が橋梁工の職人技のように美しいアーチを描く橋となり、どこか知らない大地同士を繋いでいるみたいだ。

そりゃ昔は友人と"わー、きれー!"なんて言ったりしていたけれど、本当に心からそう思えるのは始めてで…それは皮肉にも一度失ってしまったからこそなんだろう。


けれど、そんな虹やどんな風景より今は…両親に囲まれた五月雨さんの笑顔こそが一番に煌めいて見える。


「…オレサマ、あんなイノリは初めて見たのヨ」

「ふふ!凄く嬉しそう。…良かった」


八丸くんに相槌をうちながら私はこの光景を大切に"記録"へと焼き付けていた。


五月雨さんはもう"アイツ"のように一人寂しく雨に濡れることはないだろう。

だって彼女の隣には素敵な家族がいて、濡れないように寄り添って傘をさしてくれるだろうから。


ほら、見ているか、大嫌いな"五月雨祈"。


この"記録"はお前に送る私からの嫌がらせであり、五月雨さんに送る心からの祝福でもある。


うーん題名は、シンプルに…『家族記念日』?

ダメだな私ネーミングセンスがないぞ。


《あんなに愛されて…羨ましい》

どこかから羨望する幻聴が聞こえた気がする。


「つ…綴戯さ、ん」


聞こえた声に遠くへやっていた意識を戻すと、いつの間にか目の前に五月雨一家が勢揃いしていた。


「あ…あの、本当にありがとうございま、した」

「お嬢さん、君のおかげで私達は目が覚めたんだ。ありがとう」

「あなたがいてくれたから、わたくし達は祈に向き合おうと思えたのですわ。本当に、ありがとう」


あぁ参ったな。こんなつもりじゃなかったのに。

ムカついて紡いだ綺麗事ばかりの言葉で、一般人なら一生見る必要のなかった怪異まで無理やり見せて…

全部ただの自己満足だったのにこうも真摯にお礼を言われたら、どう受けとれば良いのか分からなくなる。


恐らく真っ赤だろう顔を隠すように、そして確かめるように…私は五月雨さんを抱き締めた。


「っえ!?」


あぁ、やっぱり。もう大丈夫だ。


「…五月雨さん、こちらこそありがとう。良く頑張ったね」

「…っ!!」


何より頑張ったのは、あれだけの仕打ちで壊れなかった五月雨さんだから。

おかげで今、私の中で"アイツ"と五月雨さんの"記録"が決別を果たしてくれた。


大丈夫。もう恐れない。

彼女の『結界』は人を殺すためではなくて、人を守る為のものだから。


「いーなぁ!イノリいーなぁ!ねぇシオリ!オレサマにもぎゅうってしてみない?…そのまま天国に連れていってあげるのヨ?」

「八丸くん、黙って」


五月雨さんのご両親がいるところで変な事を言うの止めて欲しい。


「つ…綴戯さんはあげませ、ん」


ぎゅうっと私を抱き締め返してくれる五月雨さんが可愛いのだけれど、ちょ、苦し…能力者って非戦闘員的な立ち位置でも力強いの??


「イノリ、シオリはか弱いから折れちゃうのヨ」

「え!?あ…あぁごめんなさい!!」

「げほっ!だ、大丈夫」


正直もう一度気絶するかと思った。


「ははは!君たちは仲がいいんだな」

「ふふっ本当に。…能力者も、本当に普通の子達と変わらないのね」


クスクスと笑っていた夫婦は、ふと真面目な顔で改まったように私へ向き合う。


「…お嬢さん。君には酷いことをしてしまったね。望むなら、どんな罰も甘んじて受ける覚悟だ」


彼の視線が私の首に向いていることに気付き、ああそういえば首絞めとかそんな事されたっけと今更になって思い出した。

忘れるくらいに気にしていなかったけれど、あちらはそうはいかないらしく深刻そうな顔をしているな…さてどうしようか。


とりあえず私は微笑みを張り付けてゆるゆると首を横に振った。


「その必要はありません」

「し、しかしそれでは…」


納得がいかないと雄弁に語る顔前にすっと手のひらを向けて言葉を続ける。


「私は別に怒っていませんから。その代わり、もし次に五月雨さんを悲しませたら容赦しませんので…彼女を大切にしてあげてくださいね」


謝罪も何も別に欲しくない。

彼女が彼女でいられる環境にさえしてくれていれば私には十分なのだ。

『ソノヒ』さえ阻止できるなら、他には何もいらないのだから。


まぁ、もしも次彼女を傷付けたとしたら…立場ある人間なら今日の"記録"を流すだけで社会的に殺せるから覚悟しといて欲しい。


「君は…いや、わかった。困らせたいわけではないからね。ただ、何かあれば遠慮なく言ってくれたまえ」

「わ…私が両親の償いもかねて綴戯さんの事一生守ります、ね」

「いやそれは重いかな…」

「う…ふふふふふふふ!」


何だろう。いらない地雷踏んだ気がする。


怪異事件の後処理やら調査やらの能力者達が来はじめた頃合いを見計らって、私と八丸くんは邸宅を後にした。

怪異を倒した張本人である八丸くんの証言はいらないのかと思ったが、どうやら後で報告書を書くから良いそうだ。


勿論今回のきっかけになった例の本も回収済みである。けど、何故か八丸くんが五月雨さんにゴミを見るような目を向けられていたような…もしや中身バレたうえに誤解されてる?

ま、私に害は無いならいっか。


「それにしても、シオリは優し過ぎるのヨ」


『転移』のゲートがあるポイントまで歩く道中、八丸くんは少し不機嫌そうな色を滲ませながら呟いた。


「えっと、何の話?」

「首」


とん、と自分の首を示しながら私を見上げる彼は不機嫌と言うより、どうやら怒っているらしい。


「シオリが言ってくれればアイツの腕ぐらいへし折ってやったのヨ。なのに…怒ってないなんて」

「いや、過激だな…」


私は苦笑を溢しながら肩をすくめる。

どうして毎度皆は私を綺麗に見るのだろう。


「ねぇ八丸くん。勘違いなんだよ」


私は優しい菩薩でも聖人でもない。

ただ腹底に飼った地獄の怨嗟で生きる、亡者なのだから。


「怒りも恨みも…もう私の中は一杯でさ、これ以上入る隙間なんか無いんだよね」


そりゃ、勿論その場では怒るしムカついたりするよ?

ロボットじゃないんだからそれは当たり前。

けれど余程じゃなければそれを長く持続させるなんて出来ない。抱える余裕がないのだから。


「この程度、どうせあの地獄の石ころ一欠片にもなりはしないんだから…気にするだけ無駄でしょ。そういう気持ちは…皆の方が良く分かるんじゃないかな?」

「…そうだね。物凄く納得いったのヨ」


"あちら"への感情がマグマ並みだから、小さな怒り程度飲み込まれて燃え尽きておしまい。だから抱えてはいられないのだ。

まぁ、つまり…そのあたりが物凄く麻痺しているみたいなんだよね。


元々一般人だから関係ないと思っていたけれど、こういう感じ方は東雲さんに聞いた能力者の精神構造に少し似ているのかもしれない。なんて。


「あーあ…虹、もう消えちゃったのヨ。残念」

「ふふ!でも"こっち"ならまた見れる…そうでしょう?」

「勿論なのヨ!」


ぴょこんと跳び跳ねる八丸くんに笑みをこぼし、私は空を見上げて目を細める。


雲間の濃い青空に夏の匂いを感じた。


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