6-2
投稿日程の調節の為本日二度目の投稿となります。
明日も投稿になりますが、その後の日程は予定通り10日に一回に戻りますのでご了承下さい。
五月雨side
私の生まれた場所は人よりもずっとずっと恵まれた、幸せに溢れた家でした。
「「あぁ、産まれて来てくれてありがとう!」」
一度流産を経験したという両親は私の誕生を心待ちにしていたらしく、産声を上げたその瞬間から惜しみ無い愛を雨のように注がれていたのです。
喜びのあまり、私の瞳の色が普通じゃないことなんて気にもならなかったのでしょう。
「チュ…わたくし達の可愛い子、愛していますよ」
「いのりも、いっぱいあいしていましゅ!」
「おやおや、私達は幸せ者だね」
私は優しい父と母が何よりも何よりも大好きでした。
抱っこも頬へのキスもさらさらと頭を撫でて貰うのも…愛しているという言葉と共に両親から与えられる愛情はあまりにも甘美で、私は幼少の時分に"依存"するものを決めてしまったのです。
あぁ、私はずっとずぅっと愛が欲しい…!
「誕生日は何がほしいんだい?私達のお姫様」
「おとうさまとおかあさまにぎゅっとしてほしいでしゅ!」
「まぁまぁまぁ!なんて可愛らしいお願いかしら!」
「あぁ!おいで!愛しているよ、祈」
可愛い服より可愛いぬいぐるみより何より両親が大好きで、プレゼントや欲しいものを尋ねられる度に二人をねだっては喜ばれ、また愛情を注がれるのです。
とはいえ成長するにつれ、両親もただ甘やかすだけではなくある程度の節度をもって接するようになりましたので、ずっとお姫様のような扱いだったわけではありません。
けれど、もうそれでは足りませんでした。
もっともっともっと私に愛を注いでほしくて、幼いながらも必死に考えたのです。
そして気付きました。
褒めてもらう時ならば、昔みたいにいっぱいの愛情がもらえるじゃないか、と。
そうと分かれば行動あるのみ。子供の行動力を侮ってはいけません。
「おかあさま、いのりがごはんはこびましゅ!」
「まぁ、いいの?ありがとう祈。お利口さんね」
両親の手伝いをするのは勿論初歩も初歩、あたりまえです。
「お利口さんな祈にはご褒美をあげなくてはね。何が良いかしら?」
「おかあさまになでてもらえればじゅーぶんでしゅ!」
「あら、ふふふ!ならお母様のお膝にいらっしゃい」
「…!はい!」
けれどそれで与えられる愛情でもまだまだ足りなくて、けれどもお手伝いにも限りがあります。
日に日に飢えていくばかりの私はやがて、気は進みませんでしたが他の人…張りぼてにしか見えない程度の存在にも目を向けるようになりました。
「おばあちゃん、いのりがおにもつはこびましゅ」
「おねえしゃんつらい?だいじょうぶよ。よしよし」
「けんちゃん、いいこいいこ。ほらねんねしましょ」
困っている人を見つけては助け、傷付いている人を見つけては助け、同年代のお世話もして…
「また祈に助けられたって感謝されましたわ。おいで、愛しい子。チュ」
「祈は私達の自慢だ!ほらおいで!次はお父様がぎゅっとしてやろう」
そうすれば、さらなる愛がもらえたのです。
気付けばそう、背景でしかなかった他人が好きになっていきました。
ただし、立場や心,力の弱い人限定ですが。
強い人に手を伸ばすと面倒なのです。
すぐ自分の優位を振りかざし、己に与えられたものを当然のように私物化するのですもの。そういう人達は私に愛を返してくれません。
一方で弱者は救いの為に伸ばした手にすがり付き、溺れるような感謝と時に尊敬をもって私に愛を返してくれます。
更には両親からの評価も良くなり、褒めてもらえる機会が増えるのですから…弱者は幸運を運ぶ存在なのです。
だからこそ、私は弱者を愛します。私が愛され、満たされるためのエサとして愛をあげるのです。
ふふ、家畜だって同じですよね?
私の思考はこの頃からすでに能力者のそれだったのだなと、今なら思います。
さてそんな私ですが、何よりも両親に喜ばれていた才は…ピアノでした。
私自身もピアノは好きで、二歳から触れ三歳から本格的に習い始めたそれは、両親に愛される以外で唯一私を満たしてくれるものだったのです。
私の思うままに歌うそれが、思うままに踊る音符が、好きで好きで好きで堪りませんでした。
口では言い表せない幸福感と愛を音にのせて言葉なく叫び、両親に素晴らしかったとその音楽を受け取ってもらえる高揚感。
悲しい曲は苦手でしたが、愛の曲なら私は無敵でした。
「お父様にとって祈のピアノは世界一だ!あぁ、自慢の娘!愛しているよ」
「えへへ!ありがとうございます!」
「祈の暖かい愛情を感じたわ。お母様も負けないくらいあなたを愛していますからね」
そうして毎年コンクールでは輝かしい金賞をもらい、お父様やお母様からは溢れんばかりの賛辞と愛情をもらうのです。
一年で一番、誕生日よりも大好きな日でした。
幸せだったんです。
ただただ溺れんばかりに幸せだったのです。
こんな日々がずっと続くと信じていました。
けれど、空がずっと晴れているわけではないのと同じこと。
変わらぬ幸せなど、所詮は夢物語に過ぎなかったのです。
崩れ始めたのは、六歳のある日でした。
「…なんですと?」
聞いたことがないくらいに棘を孕んだお父様の声が診察室に落ちました。
それはたまたま私が酷く足を捻ったある日の事です。
人より丈夫で健康優良児だった私にはあまり縁のなかった病院という場所で、私達家族は予想外の真実を言い渡されました。
捻った足とは関係のない、もっと別の話。
お医者さんはそっと息を吐いて、雨にぐっしょり濡れたかのような重い声で言ったのです。
「ですから、娘さんは能力者です」…と。
当時の私にはそれが何なのかさっぱり分かりませんでした。
しかし、両親の…特にお父様の狼狽え方は幼子の私ですらこれは普通じゃないと察するに容易かったのを覚えています。
「そんな、馬鹿な…何かの間違い…でしょう?」
「そ、そうですわ。娘には、祈には能力なんて…」
ひきつった笑みを浮かべながら震える手で私を撫でる二人に、お医者さんは首を横に振って私の瞳を指差しました。
「瞳を見てください。このチェリー色…間違いなく能力者の…」
「違う!!」
また、聞いたことのない色のお父様の声が今度は大きく破裂するように響いて、お医者さんの台詞を掻き消します。
ビクリと震えた私を、しかしいつものように大丈夫だと抱き締めてはくれず…お父様は座っていた椅子を蹴飛ばす勢いでお医者さんに詰め寄りました。
「認めない!!認めてたまるものか!!私の、私達の娘は…!娘は、能力者なんかじゃない!!」
「し、しかし…」
「そ、そうよ!わたくしの産んだ子が能力者だなんて、ありえませんわ!!」
お父様に続くように甲高いキィで叫びだしたお母様。
私はただただそんな両親を見ていることしか出来ず、知らない二人の姿に怯え、叫ぶのに夢中で私から離れた手の喪失感に酷く寒くなり…
「ぅ、うわぁぁぁぁぁん!!」
とうとう限界が来て泣いてしまいました。
当たり前ですけどね。
けれどそうすれば慌てた二人が謝罪と共に抱き締め、頭を撫でて、泣き止ませるべく目元にキスをくれます。
沢山のいつもと変わらない愛情を注いでくれるのです。いつもと変わらない…
例え、私に触れるその手が僅かな躊躇いを見せようと、私を見る瞳に微かな戸惑いが浮かぼうと…変わらないと信じていました。
ですが私の願いも虚しく、その日から二人からの愛情表現が目に見えて変わってしまったのです。
触れる前の一瞬の間も、撫でる手つきのぎこちなさも、愛しているという言葉に滲む怯えや言い聞かせるような願いに似た響きも…
皮肉なことに、純粋な愛だけを受け取り続けていたからこそ全部分かってしまいました。
一番酷い変化は目を合わせてくれなくなった事です。
両親は余程現実を受け止めたくなかったのでしょうね。
「…祈、愛しているわ」
目が合わないまま告げられるそれの、何と空虚なことか。
当然私は満たされなくなり、手伝いも手助けもいつも以上に努力しました。
しかし結局両親からの愛は質も量も減る一方です。
「祈ちゃんはいい子だねぇ」
「おばあちゃん、ぎゅってして下さい」
「ほほほ、こんな老いぼれで良ければいくらでも」
代わりに私は、他人からの愛でなんとか我慢をしていました。
日頃の善行と両親譲りの愛らしい顔もあって近所の人達には随分良くしてもらえましたから、何とかギリギリのところで飢えはこらえていられたのです。
けれど、それも長くは続きませんでした。
「ねぇ五月雨さん、祈ちゃんて変わった瞳をしてない?」
「いのりちゃんの目、へんなのー」
「御息女の目は何かの病気ですかな?」
やがて周りからも瞳の事を言われることが増え、両親は日に日に顔色を悪くしていく一方です。
私は理由も分からないまま、ただただ悲しいと思っていました。
そこで決意したのです。
「お父様、お母様、次のコンクールも私頑張りますね!だから絶対見に来てください」
きっと私のピアノなら、嫌なことすべて吹き飛ばせる筈だと信じていました。
けれど今となっては…私はこの事を酷く後悔しています。
だって、すべてが壊れたのはその、コンクール当日の事だったのですから。
その日の天気はあいにくの雨。
朝はそれ程でもありませんでしたが、帰る頃にはざぁざぁと大粒の雫がアスファルトに弾けていました。
しかし、悪天候など気にならないくらいに私は浮かれていたのです。
演奏自体は恙無く終え、結果も努力を裏切ることなくしっかりと金賞。
「祈、素敵な演奏でしたわ!お母様はとても感動しました」
「やはり私達の娘は最高だよ!おめでとう、祈」
「はい!ありがとうございます!お父様、お母様」
この時ばかりは両親共に昔と同じように私を褒め、久しぶりにいっぱいの愛情を注いでくれました。
欲しかったものをようやく取り戻せて、私はもうすべてが大丈夫だと思っていたのです。これからも、ずっと。
永遠など存在しないのだと、幼い私は知りませんでしたから。
傘の花を3つ咲かせながら会話を弾ませる私達は、横断歩道の前で信号を待っていました。
声が聞き取りにくいくらいざぁざぁと降る雨で…車の音も、よく聞こえていなかったのです。
並んで佇むお父様とお母様のその向こう。
雨の隙間に見えた大きな灰色と2つのライト。
それはまるで蛇のように右へ左へと不自然に巨体を揺らしながら…
「…っ!?危ない!!」
「「祈!?」」
派手な飛沫を立てて、真っ直ぐ、こちらへと突っ込んできたのです。
瞬間、まるでスローモーションのように世界のすべてが遅くなり、ぐらりと血が沸騰するように全身が熱くなったかと思えば…すぐに私は私の"力"を理解しました。
お願い、どうか私の"世界"を奪わないでと必死に手を伸ばし…迫る驚異に向けて叫んだのです。
「『結界』!!!」
形容しがたい轟音を辺りに撒き散らしながら、その恐ろしい鉄の塊は私の生み出した透明な結界の壁によってごしゃりと…腰を抜かした両親の目の前で止まりました。
まるで時間が止まったかのように、皆呆然とフロント部分がひしゃげたトラックを見つめるのみ。
やがて雨の音やざわめきが戻っていく中、私は震える声で両親に呼び掛けました。
「お父様!お母様!大丈…っ!?」
そして、すべてが終わってしまったのだと悟ります。
だって振り向いた二人は…
"化け物"を見るような顔で私を見ていたのですから。
雨は更に酷くなり、傘を手放した私達に容赦なく降り注ぎました。
飛沫が霧を立てる程の激しいそれは、まるで私と両親を隔てる幕のようで…ただただ冷たかったのです。
その日から私達の関係は完全に歪んでしまいました。
家は引っ越して知り合いが1人もいない土地の別邸へ移り、これまでお母様の趣味である料理以外の家事全般を頼んでいたハウスキーパーさんも解雇。
誰にも、私を知られてしまわないように。
お父様とお母様は娘が能力者である現実を拒み、否定し、私に"普通"を押し付けました。
いずれ学園に通うことは義務なので仕方がないとして、能力者の住むべき島へ渡ることを許さずに実家通いを押し通したのです。
二人は望む娘の姿を私に求め、少しでも理想からそれると「化け物」「お前は娘じゃない」「違う」と喚き散らして暴力をふるうようになりました。
能力なんて使ってしまった日は目も当てられません。
しかしそれでも、少しして落ち着くと謝りながら愛していると囁くのです。
暴力だって愛しているからこそなのだと、薄っぺらい音で嘯くのです。
けれど、例え嘘でも私はその"愛"すがりたかったから。
おかしいことくらい分かっていました。
それでも私は愛が欲しかったのです。
だって"家族の愛"こそが私の"世界"を形作るただ唯一なのですから。
私にすれば暴力をふるわれる事よりも愛をもらえない事の方が深刻なのです。
だから求められるまま、従順に。
私は化け物と娘の狭間でもがき苦しむのです。
あの日を思い出すピアノはもう、両親の前では触れることすら叶いません。
それでも…"私"を殺してでも。
私はただただ愛して欲しかったの。
もはや両親の表面だけの愛では到底足りず、私は他人からの愛情で隙間を埋めるべく今まで以上に求め、これまでよりも弱者を愛するようになりました。
けれど、それで返される愛をもってしてもまるで足りません。
長年積み重なった飢えは私を蝕み、"世界"に突き放されて壊れていくのみ。
ねぇお願い。お父様、お母様。
もう一度私を、愛してください。
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五月雨side2
「…っ」
体中の痛みで目が覚めました。
遠くに聞こえる雨音と薄暗い視界に一瞬ここはどこなのかと戸惑いましたけど、すぐにお父様の書斎にある隠し部屋だと気付きます。
元々はお父様が1人で静かに本を読むために設計されていた筈のここは、移り住んでからはすっかり私の折檻部屋へと成り果ててしまいました。
落ち着いた色合いの照明が気持ち悪い痣だらけの腕を照らします。
今日は一体何があったのでしたか。
そう、確か…久しぶりにお父様から話かけてもらえたのが嬉しくて、うっかり綴戯さんと楽しく過ごした時の事を喋ってしまったのでした。
勿論、あの人が能力者だとかそういった事は言っていませんけれど、私が誰かと親密に接するのをよしとしないお父様はそれはもう怒り狂ったのです。
「お前の気持ち悪い目を見られたらどうするつもりだったんだ!」、と。
なにせ、両親は娘が能力者だと他人に知られる事が恐ろしくてたまらないのですから。
いくら自分達を誤魔化して娘は普通の子だと現実を歪めても、他人の指摘1つでそんな薄氷の上の幻は壊れてしまいますからね。
だから、この痛みも愛なのです。
両親が私を愛するために怒り、与える暴力なのですから。愛、ですよね?
ただいつもとどこか様子が違っていたのは気になりますけど…
やっとの思いで体を起こして壁にもたれ掛かり、ほぅっと痛みを逃がすように小さく息を吐き出しました。
今回は特に酷かった気がします。もしかしたら怪異と戦った時より傷だらけかもしれませんね。
また『回復』の方に泣きそうな顔をされてしまうでしょうか。いえ、下手に治すとまた"化け物だ"と言われてしまいます。
まぁ1日でこれだけの痣が消えたら驚きますよね。
と、不意に誰かが本棚で仕切られた隣の書斎に来たらしい気配を感じました。
お父様かと思いましたがそれにしては絨毯を踏む音が軽すぎます。
泥棒?大変、家にいるお父様とお母様が危ないではないですか。
そう思って体を動かそうとしたその時…
「イノリ!?」
隠し扉が開き、聞き覚えのある声が鼓膜を奮わせました。
まさかと半開きだった瞳を開けば小さな体が転がるような勢いでこちらに駆け寄るところで、その色違いの目はまごうことなく稲荷田さんの色彩です。
「なんてこと!?ボロボロなのヨ!?」
「い…稲荷田、さん。ど…どうしてここ、に」
「イノリに用事があってシオリと一緒に来たのヨ。その様子じゃやっぱり知らされてなかったのヨ」
ぎょっと目を丸くする。
綴戯さんが来ているのですか?この家に…?
あの両親が人を招き入れるだなんて、普通なら有り得ません。
「あー…バッジ、やっぱりダメなのヨ。壊れちゃった」
「あ…あの、用事とはなんで、すか」
「え?あー、いや、まあ複雑な事情があって…イノリに貸した本を回収しに来たのヨ」
「あ…あのエロ本はやはり稲荷田さんのですか最低で、す」
「ご、誤解なのヨ!!」
おかしいとは思っていたのです。綴戯さんがあんな低俗なものを寄越す筈がありませんもの。
「あれはヒサヤが…って、そんな事より早くシオリのところに戻るのヨ!」
「ほぅ?どこに戻ると?」
「「!?」」
間違える筈もない声にびくりと体を震わせて錆びたブリキのようなぎこちなさで顔を向ければ、やはりと言いますかお父様が出入り口を塞ぐように立っていました。
「まさかもう一人連れがいたとは…計画が狂ったな。まぁ、子供などどうとでもなるか」
その腕に、ぐったりした綴戯さんを抱えて。
瞬間、身も凍りそうな程の殺気が稲荷田さんから放たれました。
「キサマ…!!その子に何をした!!!」
今にも飛び掛かりそうな彼に冷や汗を流します。万一暴走なんてされたらとても私の結界では止められず、それこそ一ノ世さんや三神さんでなければ…
お父様は牙を向いて唸り声を上げる稲荷田さんを怪訝そうに見ながら、肩をすくめました。
この殺気を受けて尚平気なのは、お父様が戦いに疎い一般人故でしょうか。いっそ羨ましいです。私はこんなにも恐ろしくてたまらないのに。
「口も態度も悪い子供だ。なに、少し気を失ってもらっただけさ」
よくよく見れば綴戯さんの首にはぐるりと趣味の悪い首輪のように痣があり、首を絞められたことは容易に察せます。
「な…なぜ、そんな酷いこと、を」
あんなに細い首を絞めるだなんて正気の沙汰とは思えません。
なにより綴戯さんのように無害な人を傷付けるなんて…
とにかく、早く綴戯さんを助けなければ…!
と、呆然と彼女を見つめていた私ですが、ふと濁りの無い知性を湛えた美しい藤色が片方覗いている事に気付いて目を丸くしました。
あぁ、あの人はわざと気絶したフリをしているのですね。
稲荷田さんも気付いたのか少し落ち着いたように殺気を緩め、しかしその瞳は獲物を食い殺さんばかりの鋭さを湛えたままお父様を見つめていました。
牙は引っ込めたものの、綴戯さんに危害を加えようものなら容赦なく飛び掛かるべくタイミングを計っているのでしょう。
「キサマ、シオリをどうしたいのヨ」
「…彼女には我々の罪を被ってもらう」
「つ…罪?お…お父様それはどう、いう」
お父様は綴戯さんをそっと降ろすと、その力が抜かれている真っ白い手に何かを握らせました。
不気味に黒光りするそれは彼女には到底似つかわしくないもので、現実味を欠いたまま淡い照明を鈍く冷たく反射しています。
「悲劇はこうだ」
しかしすぐに綴戯さんの手から抜き取られたそれは、いつの間にかお父様の後ろに立っていたらしいお母様に手渡されたのです。
「お客人として招き入れた女性が偶然お前の正体を知ってしまい、恐れを抱いて私のコレクションで…殺めてしまった」
それを大事そうに受け取ったお母様は静かに私の前までやって来て、目の前に膝をついて座りました。
「祈」
ねぇお父様、その物語は何なのですか。
ねぇどうして、二人とも普段しないような手袋をしているのですか。
ねぇどうして…"銃"なんかもっているのですか。
「わたくし達、もう限界なの」
「お…お母、様?」
いつも美しい筈のお母様はどうしてか酷く窶れた顔をしていて、目を真っ赤にしながら私を見ていました。
そして、くしゃりと顔を歪めて叫んだのです。
「もう、もう無理なのよ!!我慢できないの!目を背けていられないの!!娘が、能力者だなんて、"化け物"だなんて!!もう耐えられないのよ!!!」
「っ!?」
「な…!?」
ガツン、と殴られたような衝撃が耳から脳へと突き抜けました。
揺さぶられるような気持ち悪さで視界はぐらぐらと揺れ、倒れ込みたいくらいの脱力感に襲われながらストンと私は理解します。
あぁ…今この瞬間、娘と化け物の間を彷徨っていた私は明確な"化け物"となったのですね。
憎々しげに睨み付けるお母様も、侮蔑を込めて冷ややかに見下すお父様も…もはや私の知る両親の顔ではなくなってしまいました。
「その目がおぞましい!!あの力が恐ろしい!!わたくし達の天使だったあなたが、もう化け物にしか見えないの!!!」
「キサマ!なんて事を言うのヨ!!!」
「い…いいの、稲荷田さ、ん」
「けどイノリ!お前…っ!!」
パラパラと崩れ落ちていく。
足元が少しずつ、少しずつ、今まで必死に保ってきたものがひび割れて悲鳴を上げている。
これ以上はいけないのだろう。
それがわかって、稲荷田さんは止めようとしてくれましたけど…もう、いいのです。
もう、いっそ。
「だから、死んでちょうだいな?祈。まだあなたを愛せるうちに、わたくしの愛する娘のまま」
このまま、同期の誰かや仲間の誰かのように壊れるのなら…いっそその引き金を引いてほしい。
愛する家族の手で。
「祈、分かって?愛しているから殺すの。だって殺せば、永遠に一緒ですもの。わたくし達は愛する娘を心に刻めるの。もう、どこにも"わたくし達の祈"はいなくならない。奪われない」
壊れ始めた私に、一滴の雫のようにその言葉が落ちてきた。
ぽつり。
殺してしまえば永遠に、一緒…?
ぽつり。
まだ愛する娘のまま…?
ぽつり。
それなら私も…まだ私を愛してくれているままに、両親を刻めるのではないですか?
ぽつり。
今、ここで、ーーしてしまえば…
ぽつり。
そう、だって、愛しているから、ーーすのでしょう?
ざぁざぁと酷い雨のような耳鳴りの中。ひたりと向けられた銃口から凶弾が弾けるその前に、私は思いのままに手を伸ばして二人を囲う『結界』を…
「八丸くん!!止めて!」
「勿論了解なのヨ!」
「「な!?」」
さすがと言うべきか、稲荷田さんは早かった。
恐らく綴戯さんへ血を見せないための配慮か片手をスタンガンに『変化』させ、抵抗する隙すら与えずにお父様とお母様を無力化させてしまう。
銃もさっさと回収済みとはお見事ですね。
一瞬にして両親の計画は崩されたのです。
発動せず硝子のように散った、私の能力の残骸のように。
意識を刈り取られはせず、しかし痺れて動かない体のまま二人が呆然と同じところに視線を送る。
けれどその先はどこか得意気に胸を張る稲荷田さんではなく…
私の前に凛と立つ、綴戯さんでした。
「五月雨さん、その手を下ろしなさい」
「…っ、あ…」
彼女の背中越しに響く声にビクリと体を震わせて、"何か"をしようと中途半端に伸ばしていた腕をそろそろと下ろします。
知らない。
こんな、こんなに怒った背中を、私は知りません。
嫌われてしまっただろうかと涙が滲み、けれどなぜだか綴戯さんから目を離すことは出来なくて。
小さな背中。
でもそこに弱さなんてまるでなくて、私達には理解できないくらいに重い何かを背負っているみたい。
不意に、チラリと振り向いた彼女と目が合いました。
「ごめんね。邪魔、するよ」
ちっとも悪びれず、しかし口調のわりに酷く真剣な響きをもって私にそう告げた綴戯さんは、優しく目を細めて綺麗に笑ったのです。




