4-3
「…っ!!」
幻影でしかない瓦礫の影に転がり込むように身を隠す。
バックリ切られた脇腹を押さえながら、流れ出る脂汗を乱雑にぬぐった。
あぁもう痛い。痛すぎる。最悪だ。
「ハハハハハ!なんだよ!逃げるしかできねえの?弱いなぁ化け物!!!」
ゲラゲラと下品に嗤う男の位置を確認し、小さく息を吐く。
一応、子供達からはだいぶ離せたみたい。
ワンフロアぶち抜きの地下室は思っていたよりも広く、少しずつ幻影の風景を変えて位置感覚を狂わせていれば大樹くん達にたどり着く事はまずないだろう。
能力を行使している本人である私と違い、アイツには『開示』で見せている"記録"の世界しか見えていない筈だから。
問題なのは…言わずもがな私だ。
この作戦は私が死んだ時点で破綻するもの。
そりゃ、一回死んだら能力は解けるのだから当然といえば当然だろう。
例え生き返るとは言ってもさすがに瞬時にぱ!とはいかないし、タイムラグの間に確実に大樹くんは見つかる。
そうなれば作戦は失敗というか私の大敗だ。
そんな事は分かっているのだけど…
「みぃつけた」
「っ!?い"!!!」
男の、無駄に高そうな革靴の硬い爪先が下から臓腑を抉るように蹴り上げた。
飛びそうになる意識を、このくらい"アイツ"に潰された時よりマシだと無理矢理引き留める。
運良く受け身は成功し、着地によるダメージは最小で済んだ…けど。
「コプ…っ」
内臓はそうはいかない、か。
口紅にしては悪趣味な色を袖で乱雑に拭う。
大丈夫、"アイツ"に殴られて臓物破裂させられた時よりはマシ。
なんて、いちいち思い出したくもない痛みを引き合いに出しながら堪えているけれど…これはこれで精神ダメージが酷いな。自業自得か。
太陽も見えず鳥の一羽も飛びやしない曇天の空は寂しいと言うよりもはや不気味で、泣き出しそうなクセに雨の一粒すら溢しやしない。
取り残された私の心が映されているみたいで心底嫌いなその光景を見なければならないストレスもまた、心を疲弊させていく要因だ。
痛みに纏わり付く気持ち悪さで再び血を吐いた。あぁもう、頭がぐらぐらする。
「ハハハハハ!なんだぁ?もう終わりか、よ!!」
「っが!?…ぐぅ…!!」
ナイフの柄で横っ面を殴られ、バランスを崩した私を男は容赦なく踏みつける。
それでも"記録"の世界では砂埃ひとつ舞いやしない。
硬くて冷たいコンクリートがあるだけだ。
ふと"記録"ではなく現実に目を凝らしてみれば、視界の端で今にも泣きそうな大樹くんが見えて申し訳なくなった。
やばい、絶対にトラウマ案件だこれ。
恐怖にすくんでいるせいか身動きがとれない様子なのがせめてもの幸いかな。
ごめんね、大樹くん。悪いけどそのまま動かないでいてね。そうじゃなきゃ…私には君が守れない。
「決めた。じっくり指先から刻んで、次に足先。四肢が終わったら腹を開けよう。能力者のナカミなんて超貴重だからなぁ。高値が付くぞ!!ハハハハハ!!!」
ギラギラと正気を失った目が私を舐め回すように見る。あぁ気持ち悪い。もう一回吐きそう。
「ほら、怖いか?泣いてもいいんだぜぇ?命乞いしてみろよぉ!!!」
スウッと首の薄皮が切られ、血が滲むのを感じた。
馬鹿じゃないか。命乞い?するわけがない。その行為がいかに無意味なものか私はよぅく知っているのだから。
それに何より…誰が、こんなやつを悦ばせてなどやるものか。
「この、程度じゃ…折れ…ないよ…クソ野郎」
「あ"ぁ?」
「…っ"!!」
ギラリと鋭いナイフが掲げられ、右の腕を叩き付けるように貫いた。それを少しずつずらして2回、3回…
「…ッチ。本当に化け物だな!!」
悲鳴すら上げない私が癪に触ったらしく、とうとう切っ先が体の中心に向く。
それが突き立てられたら…さすがにまずい。
けど諦めるな。たった一秒でも、コンマ一秒でも稼ぐんだ。
…あの人さえ間に合えばそれでいいのだから。
「ハハハハハ!地獄に送ってやるよ!!」
「…は?」
しかしとて、その言葉はいけなかった。
振りかぶったナイフが下ろされるより先にぶわりと私の身体から吹き荒れた力の奔流が男を吹き飛ばし、辺りの風景を急激に塗り変える。
真っ赤な空と、夕陽か血かもわからない真っ赤な瓦礫。遠くに一つだけ真っ黒な影が不気味に立っていた。
幽鬼のようにゆらりと立った私の傍らで、バサバサと激しく音を立てながら本がひとりでに捲られていく。
今まで固定していた"記録"のページが変わっているのだ。
「お前、灼熱に焼かれた事があるか」
「ヒッ!!」
男の側でビシリと裂けた空間から、幻影の炎と熱さに呻く人々の声が響く。
「脳漿をぶちまけた事があるか」
また別の空間が裂け、ぐちゃりという音と共に男へ血とソレが降り注ぐ。
「形が無くなるまで切り刻まれた事は?肉片になるまで殴られた事は?生きたまま薬品で溶かされた事は?ぺしゃんこに潰されたり風船のように破裂させられたり引きちぎられたりした事は?あるのかよ!!!!」
男を埋め尽くすような無数の裂け目から、怨嗟と悲鳴と体液と肉が溢れた。
「何も知らないお前が!!私の前でその言葉を軽々しくほざくな!!!!」
激情にかられた頭の隅で、大樹くんにこれらが『開示』されないようにとただ願う。
今の私では正直、制御出来てるか自信がないから。
「ハ、ハ…ハハハ!ど、どうせ幻だろ!?」
「仮にそうだとして」
すべての裂け目がかき消え、代わりにガシャァンと男と私を間を遮るような巨大な柱が吹き飛んできた。
現実を侵食した"記録"は、舞うホコリの香りも肌を撫でた風すらも感じさせる。
「お前は、恐れずにいられる?」
《テメェ、目障りなンだよ!!!》
「…は?」
突如男の前に"アイツ"が現れ、その鋼鉄の拳がふるわれた。
実際当たりはしない。勿論死にもしない。
ただその衝撃は…脳が勝手に理解するだろう。
"記録"というのは私が見聞きしたそのままを切り出しているもの。
"私の体験"そのものを写し取ったもの。
であれば、そのリアルさは想像に難くないだろう。
真に迫った幻というのは、往々にして錯覚を引き起こすと聞いたことがあるでしょう?
まぁ、実際はそれとは少しばかり理屈が違うんだけどね。似たようなもの似たようなもの。
血飛沫の幻とぐちゃりという音と共にビクリと男の身体が震え、脂汗をかいて尻餅をつく。どうだ、本物の化け物らしい能力者の姿は。
今男に『開示』した"記録"はただの風景ではなく…"私の死の追体験"。本来ならば痛みすらも記された…私が抱える地獄のほんの一端だ。
私が持つ"記録"におけるメインジャンルである。ついでに滅茶苦茶種類豊富だ。嬉しくない。
"痛み"は伝わらないようにしているけれど、血の香りや自分が潰れる音まで私が死の間際に得た情報をバッチリ感じられる筈である。というか、感じさせている。
そんな"記録"が…本物の情報が視覚,嗅覚,聴覚を通して頭に流れ込むのだから、脳が勝手にバグを起こすには十分だろう。
「…っげほ」
とは言え、正直こちらも満身創痍。
いい加減血が足りなくて倒れそうだし、右腕なんて使い物になりやしない。
ただまぁ…成功して良かった。
あの男が思ったより"普通の人間"で助かったよ。
やっぱそういう反応が普通だよね。うん。
こんな殺す気満々の一撃とか怖いに決まってるし、能力者に恐れを抱いているらしい彼にとっては劇物だ。
失神しないのが凄いくらいだとすら思う。
ちなみに、"あっち"の奴らはこのリアルさを喜び、最新式の映画みたいだとキャッキャしながら楽しんでいたよね。誰が歩く映画館だよクソ。
やっぱ精神力がおかしいというか頭がぶっ壊れている奴がほとんどだったからかな。
本当にどうかしてると思う。
と、再び"記録"の中に現れた"アイツ"が男のいる場所へ拳を振り上げる。
やたら短気だった"アイツ"に殺されたのなんて一度や二度じゃないからバリエーションは豊富だ。
ちなみに一番私を殺した回数が多いのは誰か、なんて…言わなくとも分かるかな。
「ヒィッ!!来るな!来るな来るな化け物!!」
怯えて逃げ惑う男がナイフを振り回そうが、当然"記録"は消えないのだけれど。
「クソ!!クソ!!!なんなんだよ!!幻のクセに…っうぐ!!」
またも視覚情報に翻弄され、勝手に痛みを妄想してゴロゴロ無様に転がった男を眺めながら私は己の痛みを逃がすようゆっくり息を吐く。
時間、どのくらい経ったかな。
七尾さんは近くまで来ているかな。
そもそもあの通話…届いていただろうか。
「ヒィッ!!止めてくれ!!…っぁ!」
男がこの部屋に入るべく扉を開けた瞬間、私は七尾さんの番号を打ち込んだ端末を扉の向こうに放り投げた。
電波が一本だけ立ったのは確認したけど、その後はわからない。完全に賭けだ。
「っお"ぇ…!!」
というか、知らない番号だからって出なかったりしないよね?
今日も任務だって聞いていたし、煩わしいって通話を切られていたら最悪も最悪なのだけど。
そもそも繋がるまで充電もってる?残量とか確認してな…
「栞里ねぇちゃん!!!」
大樹くんの声にハッと我に帰る。いけない、朦朧としてた。
後ろに跳んだのはほぼ反射。
…でも、それで正解だったみたいだ。
ピリッとした痛みが額に走り、ハラリと僅かに舞った髪と血に顔をしかめた。
少しばかり垂れてくる血を乱雑に拭って前を向けば、精神的なダメージからか顔色の悪い男がややふらつきながら順手に持ち変えていたナイフを向けて私を睨んでいる。
「お前さえ…お前さえ殺せば!!」
あぁ、うん。
当たり前の解ではあるけれど…そっか、気付いちゃったか。
まぁ思いの他錯乱してくれたおかげで少しくらい時間は稼げたかな…
不意に男の遥か向こうからガラガラと何かを壊すような音が鳴り響いた。
「ハッ!!どうせ幻だろ!!お前さえ先に殺せばいいんだ!!!」
振り向きもせず、男がこちらへ突っ込んでくる。
世界が、スローモーションのように見えた。
大樹くんの悲鳴や、誰かが叫んでいる声が聞こえるけれど…もはや逃げる気力も体力もなく右腕を押さえながらぼうっと景色を眺める。
あんな大きな音がしたのに赤く燃えるような夕焼けの世界にはなんの変化もない…いや、遠くにぽつねんと立っていた筈の影が急速にこちらに向かっているような気が…
あれは、"アイツ"?
こんな"記録"あったかな?
「綴戯!!!」
…違う。違う違う違う違う違う違う!!!
"アイツ"は、私の名前なんて呼ばない!!
瞬間、現実と"記録"の境目を失っていた私はしかし、急激に現実へ引き戻されていった。
集中が切れ、"記録"の能力が解けてただの地下室に戻りゆく世界。
その中で僅かに残る夕陽の残滓に照らされ逆光を纏う彼は、ナイフ男の向こうで能力を纏わない拳を振りかぶり…
「失せろ!!!!」
「ぶべっ!!!」
気配を感じてか振り返った男の横っ面を、盛大にぶっ飛ばした。
緊張が溶け、ペタリと座り込んだ私に彼が駆け寄る。
上を向くのも億劫で下げたままの視界に質の良いよく手入れされた革靴が映り込んだ。
「…綴戯!!遅くなって…すまなかった!…っありがとう!ありがとう!!」
あぁ、良かった…この無謀すぎる勝負は、私の勝ちだ。だって彼は間に合ってくれたもの。
思わずへにゃりとだらしなく顔が緩む。
「まって、ました…」
「っ!ああ!ああ!!」
私に触れていいものかとわたわたする手がちらつくのが可笑しくて、クスクスと笑ってしまう。
きっと今、見たことない顔してるんだろうな。
折角だから"記録"しようとゆっくり顔を上げた私の目に飛び込んできたのは…
「…」
「綴戯?」
紙袋を被った、誰か。
「???え、誰???」
「ぶはっ!!!あっははははは!!!台無し過ぎでしょ!!」
急に響いてきた一ノ世の声にぎょっと目を向ければ、いつの間に現れたのかゲラゲラ笑いながらベシンベシンと紙袋スーツ男(仮)の広い背を叩いているではないか。
うっわ痛そう…
と、後ろにとんっと軽い衝撃がきた。
次いでぎゅうっと抱き締めてきた小さな手と暖かい体温に、大樹くんだと悟る。
「不審者め!!栞里ねぇちゃんに近寄るな!!!」
ピシャアァン!!と目の前の紙袋スーツ男(仮)が衝撃を受けたようなエフェクトを幻視した。
それに更に大爆笑の一ノ世。
そして、その向こうには男を簀巻きにした二菜ちゃんと子供達を助け出した至くんもいて…憐れむような視線を紙袋スーツ男(仮)に送っている。
えっと、違うと思いたくて目をそらそうとしてきたけれど、やっぱり…
「こ、今度こそおれがねぇちゃんを守るんだからな!!あっちいけ不審者!」
「えっと…大樹くん、あのね、大丈夫だよ」
ポンポンと頭を撫で、大樹くんの顔を覗き込んで笑う。
「この人は、ヒーローだから」
暫しの沈黙。
「…ヒーローぉ?」
おっとさすがに誤魔化せないか。
そんなに怪訝な顔しないであげて。
「ち、ちょっと急に呼んじゃったせいで変身に失敗しちゃったみたいなんだよ、うん!ね?そうですよね!?ね!?」
「そ、そそそそそその通りだ!!」
そんなわけあるか、と自分に突っ込みたくなったが我慢した。
「そ、そうなんだ!?そうだよな!!さっきのパンチ凄かったもんな!カッコ良かったし!!!」
嘘じゃん信じるの??
大樹くん、私君の素直さは美徳だと思うけれど…ものすっごく心配になるよ。
「あっははははははは!!!」
あと、一ノ世五月蝿い。
ホコリ立つから転がんないで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「お姉さぁぁぁん!!無事で、よ…よ"か"った"でずぅ!!!」
「いやいやいや馬鹿じゃんどうみても綴戯さん無事じゃないしっていうか早く止血薬渡しなよ馬鹿」
「馬鹿って2回も言った!!!」
「あ、ははは…」
わあわあ言い合う二人を見ると、助かったんだなと実感する。
まぁ無事も何も私は死なないから心配は無用なんだけど…それを口にするのは不粋ってものだろう。
だって、本気で心配してくれているのが痛い程分かるから。
「お姉ちゃんのてあてするー」
「ずるいー!ぼくがするもん」
「いたいのいたいのとんでけー」
「はわわわわ!!ま、まって!返して!」
わらわらと子供達が私に群がり、二菜ちゃんが持っていた救急箱から持ち出した絆創膏や包帯を掲げた。
皆元気そうでひと安心だけど…さすがに傷は、この子達にはとてもじゃないが見せられない。
今は服で見えにくいけどかなり酷い自信があるからね。嫌な自信だけど。
「ありがとう。でも、皆はおうちに帰るのが先だから、ね?」
「「「ぶー」」」
揃って膨れっ面になる子供達に笑みを溢した。
と、皆から少し離れた所にいる少女を見つけ、手招きをする。
自分が狙われた理由を唯一知っていて、一番に怯えていた彼女だけれど…どうやらずっと他の子供達を落ち着かせてくれていたみたいなんだよね。
大きな音も怒鳴り声も飛び交っていただろうに、誰一人パニックにならずに済んだのは彼女のおかげだ。
「…ありがとね。怖かったでしょうに」
「い、いえ。ありがとう、は、私の台詞です、から」
私のボロ雑巾な有り様に泣きそうな顔をする小さな頭を優しく撫でて、もう一度ありがとうと口にした。
子供達を至くんに任せ、私は手の届く範囲だけ怪我の処置をしていく。
「て、手慣れてますね!!」
「あはは、まぁね…。おーすごい、本当に止まった!」
二菜ちゃんからもらった治療薬はどれも効き目が凄く、傷が塞がったりはしないけれど血はピタリと止まった。痛みも引いてる。
バッジや眼鏡もそうだけど能力者の技術力って凄いよね。
…というかヤバい。私やりあってる最中に眼鏡どっか吹っ飛ばしたな…絶対壊れてるよ。
「あの!本当に一時的ですからね!早くちゃんとした治療受けてくださいね!!」
「ふふっわかってる。…ね、二菜ちゃんも至くんも、来てくれてありがとう」
ぱちくりと大きな目を瞬かせた二菜ちゃんは、にへーっと可愛らしい顔を蕩けさせて笑ってくれる。
至くんも、酷く優しく瞳を緩ませてコクリと頷いてくれた。
「ねー、俺には?」
「呼んでない」
「はー…うっざ。君さ、本当に可愛くないよね」
そう言ってひょいっと無遠慮に覗き込んできた一ノ世に短く悲鳴を上げ、僅かに距離をとる。
いきなり動いたせいか傷がズキズキと痛んだ。
というか、ただでさえ"記録"を見て精神削られてるんだから止めて欲しい。
一ノ世はつまらなそうに私を見て、はんっと鼻で笑った。
「ひんそー」
「死ね!!!!」
手元のガラクタをぶん投げたがあっさり重力に潰される。チッ!!
今の私はズタズタのブラウスを辛うじて引っ掛け、際どい所まで裂けたスカートに穴だらけのストッキング姿。
クソ!!悪かったな貧相で!!!
どうせ出るとこも出てない残念な体型ですとも!!
あ!?と気付いた二菜ちゃんが超特急でスーツの上着を持ってきてくれたよ。優しい。ありがとう。
やがて至くんが他の子供達を家に送りに行くためにこの場から離れ、残った子供は大樹くん一人になった。
「なぁなぁ!さっきのパンチ教えてくれよ!」
「あ、ああ、いいぞ!まず腰を落としてだな…」
私達から離れた場所で楽しそうに話す二人の姿を見て、小さく息を吐く。
いや、台詞だけなら微笑ましいのだけれど…なにぶん絵面が酷い。
片やキラッキラの眼差しで教えを乞う子供。
片や目だけくり貫かれた紙袋被った不審者。
どこからどう見たって通報案件でしかない。
何故こんなことになっているのか…
私は朽ちたテーブルの残骸に座ってポチポチ端末を弄る一ノ世をジトリと睨む。
「七尾さんのアレ、お前の仕業?」
「はぁ?君さ、真っ先に俺を疑うとか酷くない?俺ってば無実よ?」
「ダウト」
「はー…ヤダヤダ。俺はただ、そんな怖い顔で子供の前に出るの?って土産の入ってた紙袋掲げて言ってみただけだし」
「え、まってそれが原因!?嘘でしょ!?」
「あっははははは!!センパイってさ、ああ見えて単純だからね!いやー傑作!!」
単純という次元だろうかそれは。
というか、やっぱり一ノ世のせいじゃないか!!
私からの冷ややかな視線なんて気にも止めず、気が済むまでゲラゲラと笑った彼はさて、と雰囲気を変えてテーブルから下りた。
「ところでさ、なーんで栞里はここが分かったの?」
「名前で呼ぶな。…で、どういう意味?」
「はー…面倒くさ。ここさ、俺らでさえ見付けられないよう細工されてたの。そんな場所を君が知ってる理由は何って聞いてるわけ」
スッとこちらを探るように細められた瞳に心臓がギリッと痛む。
大丈夫、害されはしない筈だ。
そう分かっていても、やはりあの金色は容赦なく私の心を抉ってくる。
怖い。怖い。怖い。怖い…!
貧血気味の頭が負荷に耐えかねてぐわんと揺れ、慌てて左腕をついて体を支えた。
「っは…!は、は…」
途端、呼吸を忘れていたと気付いた脳が酸素を求める。
一歩寄ろうとしていた一ノ世にダメもとで手のひらを向けると、意外にも思い留まったように足を引いてくれた。
「お姉さん…あの、大丈夫ですか?」
「大、丈夫。話せる。ただ、一ノ世はそれ以上近寄らないで。今は、ちょっと無理…」
「あー…ハイハイ。まぁいいよ。"記録者"として話してくれるならさ」
コクリと首肯を示し、私は数度深く呼吸をした後口を開く。
「凄く…凄く"よく似た事件"をニュースで見た事があったの」
嘘にならない言葉はずっと考えていたから抜かりはない。
正直これは私の記憶にあったあの事件だと確信はしているけれど…それはあくまでも私の主観であり、実際には日付も年も全く違う。結局のところ別物なのだ。
だからこそこれは"似た事件"と言う他無い。
「良く似た事件…ね。君が知ってるならさ、それってつまり過去の話だよね。こっちじゃそんなの聞いたことないんだけど」
「私だって驚いたよ。まぁ…既に私の存在や『ソノヒ』の有無が違ってるんだから、世界の違いって言うしかないんじゃないの。都合のいい言葉かもしれないけど」
「あー…ハイハイ。成る程。そりゃ確かにその通りか」
「埼玉県かその周辺、子供をバラバラにするって手口、地下室という現場、それで気付いてカマかけたらビンゴだった。私が既視感を感じた時点でほぼ確信してはいたけどね」
「それで、私の記憶をなめるな!…なんて言ったわけね。あはっ、やるじゃん!」
愉しげに笑ったのは束の間で、一ノ世は曖昧な表情を張り付ける。
それは雨が降るのか晴れるのか、それとも嵐でも起こるのかさっぱり予測がつかない空のようでどこか居心地が悪かった。
しばらく悩んだように沈黙し、七尾さん達の様子を見ながら彼は呟く。
「…あのさ、どこまで同じだった?」
それが一ノ世という人間にとってどれ程の意味を持つ問いなのか、私にはまだ分かれない。
けど、凄く重要な事である事は察せた。
だってあの一ノ世がわざわざ悩んで口にしたのだから。
というか、真剣に悩むとか出来たんだ?
エブリデイブレーキぶっ壊れ野郎だと思ってたのに。なんて。
…コイツは察しているんだ。
勿論、中身すべてが全く同じ事件だなんて事はさすがの一ノ世でも思っていないだろう。
それは私しか知り得ない、かつ信じられない話だもの。
しかし、この地域周辺で能力者の血縁を狙った誘拐と虐殺…それが例え今とは違う時期に違う形で起きたのだとしても、狙われる存在に大差は無い。
それを、彼はきっとわかっている。
ところで…これって話しても良いのだろうか。
なんちゃらパラドックスとか…あぁいや、別にタイムスリップして過去を変えてる訳じゃないから良いのかな?
むしろここ未来だし、そもそも世界違う…考えたら今の状況かなりややこしいな?
まぁ取り敢えず大丈夫だろうと楽観的に結論付けて、私はそっと口を開いた。
正直あまり言いたい話ではないんだけどね。
「…私が気付いた一番の要因は…ある被害者の名前だったよ」
言外に、"彼"が被害者であったことを告げる。
私なんかより七尾さんを良く知っているだろう一ノ世はこの事実をどう捉えるのだろう。
そっか、と少しの間瞑目した後、彼は私を真っ直ぐ見た。
「…ありがとね」
それは、私の見たことない…綺麗な笑顔。
何それ…そんな顔、出来るのかよ。
「…き、気持ち悪っ!!天変地異??」
「…君さ、俺の事なんだと思ってるの?はー…うっざ」
いけない。驚いてついつい反射で暴言を吐いてしまった。
拗ねたように頭の後ろで手を組んでそっぽを向いてしまった一ノ世をチラ見し、どこかムズムズする気持ちを落ち着かせようと細く息を吐く。
"記録"に無いからだったのだろうか。
あの顔には…不快感も恐怖も感じなくて。
ただ、本当に、綺麗だと思った。
「何見てんの、貧相女。つーかさ、気になってたんだけど君ってブラする必要ある訳?要らなくない?」
「お前やっぱり嫌い!!死ね!変態!!!」
訂正。不快感も怒りも際限なく湧き出る面だよコイツは。
あわあわする二菜ちゃんにフォローされながらもイラついていると、不意に皆の気配が変わった。
それを察すると同時に覚えのある能力と浮遊感が体を包む。
刹那、何もなかった空間がぐしゃりと歪み…今まで私がいた場所が突如爆ぜた。
私は間一髪無事である。
というのも、何事かと頭が理解するより先に軽く蹴られた感覚を尻のあたりに感じ、気づけばポーンと紙風船よろしく宙に飛ばされていたのだ。
そして、月面に降り立つ宇宙飛行士のようにふわりと離れたところの地面に落ちる。
何をされたか理解して、トラウマを刺激された恐怖が指先を震わせた。
しかし、それを無理やり抑え込みながら、ダルそうな後ろ姿に向けて口を開く。
「…っ!!一ノ世!!おま、蹴ることないじゃん!!!」
「はぁ?ちゃんとさ、怪我しないようにやっっっっさしくしたじゃん。俺ってばちょー良い子」
「そりゃ助かったけど喜びにくいんだよ!!!そもそもこちとら怪我人だぞ!!」
「ほーん?何?抱っこがよかった?」
「それは絶対無理」
「はー…面倒くさ。取り敢えずさ、離れてなよ」
もうもうと上がる煙の向こうで、何かが蠢いた。
ぬるりと現れたのは…異形の化け物である。
天井近くまで届きそうな長い四本の足。一度折れ曲がって地を踏み、中央の球体を支えるようにして立つ姿はどことなく蜘蛛を彷彿とさせる。
その球体からはマネキンの頭部に似たものが5つほどぶら下がっていて、それぞれが口から覗く歯をカチカチと鳴らして笑っていた。
吐き気を催すほど気持ち悪いそれは、どうやら七尾さんの背中に守られている大樹くんには見えていないらしい。
ならばあれは…間違いない。怪異だ。
【Voooooooooo!!!!】
そこでふと思い出すのは、記憶にあるこの事件のニュース。
そうだ…なんで忘れていた!
あの男の死に関してだけは、間違いなく怪異が絡んでいたじゃないか!!
あれ?というかあの男は…?
キョロリと辺りを見渡すと、怪異の近くに気を失ったまま転がっているのが見えた。
あれじゃあ直接襲われなかったとしても巻き込まれて死ぬだろう。
そんな…そんなの……ダメだ。
「ねぇ!あの男…死なせないで!!」
叫んだ瞬間、ぐるん、と皆の目が私に向いた。
こっわ。特に紙袋の人。
それらの目はあまりにも無機質で、まるでぬいぐるみに縫い付けられている安いビーズか何かみたいだ。
「何故だ?助ける価値はないだろう」
「嫌です。二菜、アイツ嫌いなので!」
「意味わかんない。死ねばよくない?」
彼らは迷いの欠片すらなく、いっそ興味すら感じられず、人の生死をただの○✕問題のように容易く決めた。
良くもまぁ子供の前でさらっと言えるものだ。
いや、七尾さんちゃっかり大樹くんの耳塞いでるな。さすが。
「つーか何?君さ、偽善者?そんな怪我させられても、殺されかけても、悪者でも命は大事ですってか?馬鹿なの?ドマゾ?」
気持ち悪いと言わんばかりに顔をしかめた一ノ世にそれはもうカチンときた。
そうじゃないんだよ!!
だいたい、私をあれだけいたぶって、大樹くん達に酷いことをしようとしてた奴を…許せるわけないでしょうが!
もしや彼らは私のことを優しい優しい聖人だとでも勘違いしてる?
だとしたらその誤解こそ…最っ高に気持ち悪くて吐き気がする。
"助ける"だなんて、私は一言も言っていないぞ。
「さっきから聞いてれば…!!馬鹿はそっちでしょ!!助ける?偽善者?…否!!誰が、誰が、誰が、あんなやつに…!」
どうか七尾さん、そのまま大樹の耳を塞いでいて欲しい。
私は彼の望む優しいピンクにはなれないのだから。
「"死"なんて救済をくれてやるものか!!!」
皆が目を見開いたのが分かったけれど、一度吐き出したらもう止められそうにない。
溜め込んできた思いが、箍がはずれたように溢れてくる。
「死がどれ程生温い罰だと思ってるんだよ!!ふざけるな!!私が、私がどれ程…その、死を願ってきたと思ってるんだよぉ…!」
だって、私はどんなに願っても死ねないのに。
あんな男が簡単に終われるなんてずるいじゃないか。
カタと怪異が蠢き、不気味なその足の動く音の間にカチンカチンと石を擦るような音が混ざる。
瞬間、皆のいた場所がチカッと光ったかと思えば…轟音と共に爆ぜた。
「っ!!」
ぶわりと衝撃が届き、息を詰める。
まってヤバい。このままここにいたら絶対邪魔だ私。
今の怪我じゃまともに逃げられやしないし…
そもそも皆は無事なのだろうか?
心配になって煙に目を凝らしたその時、弾けたような笑い声が地下室に反響した。
「ぶはっ!あっははははは!!!成る程ね。死は救い、か。いいよ。君にさんせー!」
いつの間に回収したのか、一ノ世は男の髪を鷲掴みにして引き摺っている。
どこかのヤがつく職業かお前は。
大樹くんの教育に悪…あぁ、七尾さんご自分の胸筋で視覚をシャットアウトさせてる。抜かりない。
「丁度バックも吐かせたいしさ。死なせないでやるよ。…おいくま子」
「はわわわ!?な、なんでしょうか!!」
「あの三ツ星はこっちでやるからさ、君は栞里とガキ連れて外に避難ね」
「はい!了解です!!」
一ノ世の奴また勝手に名前…!!
しかしアイツにイラッとしたのは一瞬で、すぐに二菜ちゃんに連れられた大樹くんに笑いかける。
だって凄く不安そうな顔なんだもの。
「何かと、戦うの?」
「そうだね。皆には見えない悪いやつと戦うの。だってヒーローだからね」
大樹くんはチラリと七尾さんを見て、きゅうっと何かこらえるように口を閉ざす。
「じゃあさ、センパイ頑張ってねー」
「お前な…」
「俺、元々今日の任務は終わってるしさ、もう閉店閉店」
「それは私もだが…まあいい。憂さ晴らしだ」
背を向けた彼に、意を決したように瞳を煌めかせた大樹くんが大きく息をすって叫んだ。
「お…っ、ヒーローのおじさん!負けるな!頑張れ!!」
ビクリと肩を跳ねさせた七尾さんが、相変わらず紙袋のまま振り返る。
しかし今においては、開いた穴から見える瞳だけで彼の表情を察するのは難しくなかったけれど。
「あぁ!任せろ!」
頼もしいその言葉を信じ、私は大樹くんに支えられながら二菜ちゃんと共に地下室を後にした。
…
一階に上がり、ろくに役目を果たしていない扉を開けば、眩しいくらいの斜陽が私達を包み込んだ。
手で目元に影を作りながら外へ足を踏み出した途端、不自然なまでに辺りは静まり返る。
たった一歩手前では戦闘音だろう激しい音が聞こえていたのに、だ。
成る程これが一ノ世が見付けられないと言っていた所以か…
そう言えば、"あっち"でも避難用シェルターがそうだったかも。
まぁ…隠そうが何しようが見境なく攻撃撃ち込まれるから、こんな小細工ほぼ意味なかった気がするけれどね。
「お…じさん達、大丈夫かな…」
私の左手をぎゅうっと握りながら、そわそわと落ち着かない様子で足を動かす大樹くん。
暖かい筈の手のひらが冷たくて、私は動かせない右腕を恨んだ。ぎゅっと抱き締めてあげたいのに。
だってそりゃ怖いし不安だよね。
怪異そのものが見えはしなかっただろうけど、急に柱が崩れたり爆発したりしたんだから。
今日彼はいくつの嫌なものを見てしまったことか…まぁかく言う私も嫌なもの見せちゃったダメな大人の一人なんだけど。
私はなるべく柔らかく笑みを浮かべ、彼の目線に合わせるようしゃがむ。
「大丈夫だよ、大樹くん。あの人は凄いんだから。ね?二菜ちゃん」
今私に出来る事と言えば、彼を少しでも安心させることだけだ。
「はい!勿論です!先生は強いので!!」
二菜ちゃんの自信満々な笑顔に少し落ち着いたのか、大樹くんは小さく笑って頷いた。
と、何かに気付いた二菜ちゃんが私と大樹くんを背に庇う。
耳を澄ませるとバタンと車のドアを閉める音、次いで砂利を踏む音が近付いてくるのが分かった。
「…は?え、人でさぁ!?なんでここに!?」
小者感のある薄っぺらい男の声が響く。
聞き覚えのある声だと思いチラリと顔を覗かせると、大樹くんも気になったのか私と共に体を傾けた。
見る角度を変えれば逆光だった顔を夕焼けが照らす。
「あー!!!」
ちょ、大樹くん耳元で叫ばないで欲しいかな!
めっちゃキーンとしたのだけれど。
当の本人はピシリと人差し指を男に向け…こら、指差さないの。
指を下ろさせて尚大樹くんの目はきっと男を睨んだまま、膨れっ面で叫んだ。
「ねぇちゃん殴っておれを拐ったわるいやつめ!こっちくんな!!」
「…へー?そうなんですかー??」
ミシリ、と鳴ってはいけない音が二菜ちゃんの方から聞こえた気がする。
彼女は少し離れた場所で朽ちていた自販機へすたすたと歩み寄り、ヒョイとそれを持ち上げた。…片手で。
「「「え」」」
「そぉーれ」
固まる私たちを余所に、ボールでも投げたのかと思う軽々しさで彼女はそれを放った。
ガシャァン!と盛大な破壊音を響かせ、自販機は男の物だろう車に直撃する。
近所迷惑も良いとこだが、幸か不幸かこの廃ビル周辺は倉庫と稼働の止まっている廃工場ばかり。
「さて!二菜も頑張りますね!!」
心中を察せたからだろうか…私には表面が茜に染まっていようとも男の顔から色が失われていく様が見えた気がした。
御愁傷様である。
「ふおおおおお!!かっけー!!」
「あー、えっと大樹くん、私あっちで休みたいな」
「まかせて栞里ねぇちゃん!!おれにつかまっててな!!」
まぁ、殴った恨みも誘拐された恨みもあるから、私は無視を決め込んだけどね。南無三。




