4-2
七尾side
私にとって彼女はそう、"ヒーロー"だった。
私が能力に目覚めたのは中学二年の終わり頃。
能力者かどうかというのは大体小学生くらいまでには分かるものらしいが…そんな一般論から比べてみれば、俺のそれは遥かに遅い発現だ。
運命がガラリと変わるその時が訪れるまでの私の…俺の生活は酷いの一言につきる。
蒸発した顔も知らない父親。
勝手に産んだくせに人を邪魔だと罵る母親。
家族や家庭に期待を抱くことなんて、物心ついた頃には止めていたさ。
いや、端から期待すらしていなかったかもしれない。
母親が帰らないのは当たり前。
たまに家にいると馬鹿みたいに酒を飲み、悪いのは全部俺だとヒステリックに喚き散らして手を上げる。
抵抗しても良かったが、煩さが増すだけだからと諦めた。
母親の口癖は、"お前なんて早く居なくなればいいのに"だった。
ご機嫌な時は基本男連れ。夜の仕事って奴の延長だとか、そんなどうでも良い理由を並べて甘ったるく媚を売る母親は…子供ながらに気持ち悪いと思った。
で、そういう時は当たり前のように外に放り出される。
雨風酷い時も身も凍るような雪の日も関係なく、だ。
母親の口癖は、"あら、居たの"だった。
そんな生活を小さい頃から続けていた俺が、まっとうに育つはずもなく…
ドカッ。バキッ。
「ヒィッ!も、やめ、止めてくれぇ!!」
「チッ!うぜェんだよ!!」
中学一年で既に手のつけられない不良のレッテルを張られた。
まともに学校には行かず、日夜憂さ晴らしの喧嘩に明け暮れる。
殴り殴られる痛みだけが、生きている実感だった。
そんな風に過ごした所で母親はやはり我関せず。
大きくなった俺が怖いのか段々と手は上げなくなったが、それ以外は何も変わらなかった。
喚いて、暴れて、媚びて、啼いて…
俺の事で学校から呼び出しがかかっても知らんぷり。
家まで押し掛けて来た熱血教師と運悪く鉢合わせ、あれこれ言われていた時もあったが…その時でさえも右から左に聞き流してそのまま仕事に行った。
どこにも居られず。
誰にも期待できず。
1人で暴れ続けて、その末路なんて…まぁ分かりきっていたようなものだよな。
「…ッガァ……っ…!」
「おら!七尾ぉ、どうした?立てよ!ほら!!」
「寝てんじゃねぇ、よ!!!」
報復という名のリンチにあったのは、中二の夏ごろ。
馬鹿みたいに生き急ぎながら蝉が合唱して、太陽に焼かれたアスファルトがどうしようもなく熱い日だった。
何人いたか。十はいた気がする。
まるで人を玩具みたいに殴って蹴って踏みつけての繰り返し。
罵詈雑言を吐かれ、しかし内容を理解できる余裕もない程痛めつけられた。
世界なんて、どうしようもなく嫌いだ。
何もかもが色褪せていて、つまらなくて、関心も意味も見出だせない。
ただ、痛いだけのクソみたいな世界。
やがて動く気力もなくうめき声すら上げられなくなった俺に、リーダー格と思われる顔も覚えていない上級生が殴りかかる。
死ぬかな、と思っていた。
目の前に紺のプリーツスカートがヒラリとはためき、その声が聞こえるまでは。
「何をしてるー!卑怯者共!!」
それはやや低めの女の声だった。
「な、なんだよお前!!」
「すっこんでろ!」
「あぁん?こんな場面で引っ込むなんて冗談でしょ!弱いものいじめは許さないかんね!」
バチィッと女が持っていた竹刀がアスファルトを叩く。
その先端が、足を入れたらくるぶし辺りまで入りそうな程地面を抉っていることに気付き、は、と間抜けな音を漏らした。
「だってアタシは優等生なんだもの!」
野生の熊にでも追いかけられてるみてぇに逃げ回る男共を竹刀を振り回して追いかけながら、ソイツは夏空の如く笑ってた。
ただ…俺はピイピイ泣いて許しを乞う不良共を容赦なく薙ぎ倒す優等生なんざ始めて見たけどな。
どんなに派手に暴れようが俺というこの場の弱者を絶対守るのだと雄弁に語る背は…まぁ、カッコいいなと、そう思っちまったけど。
「なんでアンタ不良なんてやるのよ」
奴等が顔中ボコボコの痣だらけにして逃げ去った後、慣れてしまった己の手当てを黙々としている俺を興味深そうに眺めながら、息切れ一つ起こしていない女は首をかしげた。
「関係ねェだろ」
別にやりたくてそう振る舞ってる訳じゃない。
他にどうすれば良いのか、その答えが無いまま生きてるだけだ。
「えー?真面目くんスタイル似合いそうなのに勿体ない。見た目だけでも七三撫で付け瓶底眼鏡に変えない?」
「何言ってんだ」
俺はソイツを変な女認定した。
「そういうテメェはなんで俺を助けた」
「アタシはヒーローでありたいから!丁度いいアンタをだしに使わせてもらった!」
にぱっと無邪気に笑う姿に絆されそうになったが、今この女凄ぇ子供の夢ぶち壊すこと言ったよな?
「だしに使うなんて、ヒーローが言う言葉かよ」
「えー?ヒーローなんてのは、エゴの塊でしよ?」
なんて事無い顔で言い放ち、女はよっと軽い掛け声と共に竹刀をアスファルトに突き刺した。
…突き刺した?
竹刀って刺さんのか??アスファルトに??
混乱する俺を置き去りに、女は危なげもなく直立する竹刀の柄に飛び乗る。
「勝手に誰かを己の庇護に置き、世の為人の為を免罪符に大衆が悪と呼ぶ誰かを下す。それって傲慢でしょ?」
座ってる俺より遥かに高い位置でコロコロと笑っていたソイツは、ばっと両手を広げて器用にもクルリと回って見せた。
「でもアタシは、そのエゴにまみれた姿をカッコいいって思ってんのよ!」
強い夏の日差しに照らされて、女の顔に合ってない眼鏡がキラリと反射する。
それに負けないほどに、いや、俺の目にはそれ以上に…
「弱い者を背に庇って、助けて、守る。そんなアタシは…絶対カッコいい!!」
ソイツの表情は煌めいて見えたんだ。
なんでそんなに真っ直ぐ立っていられるんだ。
なんでそんな簡単に自分の立ちたい場所を作れるんだ。
あぁクソ。こんな変な女なのに…
カッコいいじゃねぇか、本当によ。
鮮烈に色づいた世界なんて俺は今まで知らなくて。
夏の空が突き抜けるように青いことも、その辺に咲く向日葵の黄色が眩しいことも、こちらを見る臙脂色が美しい事も…全部初めて、記憶に刻まれたんだ。
それが後の妻。成宮大和との出会いだった。
その日から俺は学校に行くようになった。
とはいえ、身に付いた素行の悪さが一日二日で直る訳はないし、別に良い子になりたかった訳でもない。
だから、登校はするが今までの自分と大差はなかった。
サボりは常習。
だが、たまに気が向いたら授業も大人しく受けてみるってとこだ。
世界に色がついてから、ただ漠然と…知ってみたくなったんだ。
学校には俺が知らない、知ろうともしてこなかった事が溢れてる。
喧嘩以外でまともに誰かと会話してみたり。
喧嘩以外でまともに身体を動かしてみたり。
図工の彫刻刀で喧嘩以外での怪我をしてみたり。
しばらくしてようやく気付く。
喧嘩なんぞしなくても…殴り殴られる痛みがなくても、俺は俺としてそこにあれたんだ、と。
いつの間にかこんな俺に近寄る物好きも出来て。
いつの間にかソイツ、俺を友達だと言い張って。
人の事怖い怖いとか言いながら、冗談言ったり一緒に飯食ったり遊んだり。
昔はあんなにも周りに無関心で一匹狼気取ってたクセに、ソイツといるのが楽しくなってつるむのが当たり前になった。
悪くない日々…だったんだ。
それなのに…
冬の、滅多に降らない筈の雪が積もるくらいに落ちる日だった。
鉛色の空にうんざりしながら、身を刺す冷気を薄っぺらい毛布でしのいでいた休日の事。
プルルル、プルルル…
大概ろくでもない用件しか吐き出さない家庭用通信端末が鳴った。
また母親に貢ぐ男からか、はたまた借金取りか、警察か。
無視してしまおうと背を向け、六コール、七コール…
「ああ、うっぜェ!!」
十コールに差し掛かって、苛ついた俺は通話に出た。
「あ"?」
うちの古い端末は映像が出ない。音だけだ。
しかし無音…?悪戯か?
いや、まて。微かに何かが聞こえる。
誰かを馬鹿にしながら呼ぶ声。
雪を踏み潰す独特の音。
それと…風の、違う、この音は…呼吸音か?
「おい、誰だ」
何故かは分からなかったが、まるで体の内側をかき混ぜられているかのような気持ち悪さが渦巻いた。
寒かったはずなのに、じとりと背に汗がにじむ。
そうして、少しした時。ようやく俺は通話の相手を知った。
〔…す、けて…はる…〕
〔…いたぞ!!〕
〔っ!!〕
ブツリと切れた通話。家の端末はもうツーツーと機械音しか吐き出さない。
気付けば俺は、ただがむしゃらに家を飛び出していた。
どこか、なんて分かるはずもなく。
しかし確信していた。
これは俺関連の何かだ、と。
そうじゃなきゃ、人の良いアイツが変な事に巻き込まれるはずがない。
だから探す場所は自ずと絞れていた。
荒れていた頃に根城にしていた廃墟廃屋空き地に工場跡地。そして…
未だに降り続ける雪にまるで世界が喰われたかのような静けさの中。
町の外れにポツンと一棟だけ建っている古い倉庫の回りだけは、静寂を踏みにじる賑やかな足跡が続いていた。
冗談であってくれ。
ぽつりぽつりと白に紛れ込む緋を、違うのだと笑ってくれ。
けどその願いも虚しく、倉庫から馬鹿みたいな笑い声が響いてきた。
聞こえたのは、要約すれば俺への恨み言。
自分達をボコボコにしておいて、最近では喧嘩もしなくなった…イイコチャンぶる俺が気にくわないんだと。
なんだよ。何しても気にくわないんじゃねぇか。
そして、俺を苦しめる為に…見せしめをするのだと。
倉庫のボロい扉を力のままに蹴破った。
そこで見たのは、武器を手にわらわら群がる輩共と…その真ん中であまりにも鮮やかな赤を流すソイツ。
喚く声も下卑た笑い声もだらだら嫌味を垂らす声もどうでも良くて、ただ、ただ、俺を友達だと言ってくれたソイツが…
「きて、くれた…」
そう言って、笑ったんだ。
「テメェらァぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
血が沸騰したようだった。
体中が熱くなったような気がして、しかし頭は酷く冴え冴えしていて…
沸き上がった"力"の使い方を当たり前のように理解していた。
力を手に纏わせれば、血が滲む程に握られた拳は鉄球のように固くなる。
頭に纏わせれば、何やら喚き散らしながら振りかぶられた金属バットが勝手に折れた。
バット鉄パイプナイフ拳鍔警棒クラブ…良くもまぁ揃えたなと思う武器を尽く殴り壊し、倉庫に風穴を開け、獣のように暴れまわり…それでも理性が"力"を人間に向けることだけは止める。
気付けば奴らは残らず逃げていて、後には荒い呼吸を繰り返す俺と外から吹き込む吹雪だけがボロボロの倉庫で動いていた。
「っ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
でもソイツはもう、動いてくれなかったんだ。
すぐに病院に連れていけば。
すぐに見つけてやれていれば。
すぐに通話に出ていれば。
ありとあらゆるたらればが俺を責める。
けど、何を言おうが事実は1つ。
ソイツは死んだ。
来てくれたと笑ったソイツを、俺は助けてやれなかったんだ。
後に知ったことだが、ソイツは暴行されながらも映像を隠し撮っていて…犯人扱いされそうになった俺を、最期まで助けてくれたってのに。
俺は、あの女みたいなヒーローにはなれなかったんだ。
あの時発現した"能力"とやらについて、俺は警察にいたらしい関係者から話を聞いた。
作り話だと思っていた"能力者"や"怪異"の事。
『学園』とやらに籍をおかねばならないこと。
他にもまぁ、小難しい話を沢山。
色々聞いて、頭のあまり良くない俺なりに考えて…チャンスだと思った。
"強くなりたい"と、初めてそう思ったから。
そして、母親に清々すると送り出されて辿り着いた島で…
「あれ?アンタが編入する後輩くん?なんだ、前にボコられてた奴じゃん!おひさー」
黒髪三つ編みのお下げにサイズ感の合わない丸眼鏡。
量産タイプのセーラー服に膝下までの紺のプリーツスカート。
そして装備品の竹刀。
「げ、あん時の変な女!?」
「はぁ!?どこが変だって!?大衆に求められる由緒ある優等生委員長スタイルだろうが!!」
「台詞と竹刀で台無しなんだよ!!」
俺はまた、彼女に会ったんだ。
「しっかし、来ちゃったかー。ま、能力者かなとは思ってたけど」
「あぁ?何でだよ」
とんとん、と目元を示しながら、彼女は臙脂色の瞳を瞬かせる。
「虹彩はアンタみたいに能力の開花の時変わる人が多いけど、瞳孔は生まれつきってパターンが多いの。どっちも能力開花後って子もいるけどね。まぁ、だから能力者って生まれつき分かるのが殆どなわけ」
「…意識して見たことなんかなかったからな」
俺も、母親も。
黒に深い青なんて気にしないと気付かねぇし。
「ま、これからは仲間って事でよろしくね、後輩クン!」
真っ直ぐ堂々と歩く背を追う。
しかし彼女は少し歩いて足を止めた。
「何してんの。アンタがいるべきはソコじゃないでしょ」
手招きをされ、導かれた先は…隣だ。
怪訝な顔をしているだろう俺に、彼女はにぱっとあの夏の日を思わせる笑顔を浮かべる。
「アンタはもう、ヒーローに守られる弱者側じゃなくて仲間じゃん?だからさ…一緒に立ってよ」
「…おぅ」
優しくもない、彼女にとってはなんて事もない台詞だったのだろうが…俺にとってそれは初めて己が居たいと思える場所になり、目標になったんだ。
それからの日々は今まで生きてきた十数年が水かと思うくらいに濃い極彩色で彩られていく。
「オラオラー!立てよ後輩!」
「っぐ!」
「こんなんじゃ、準備運動にもならないぞー!ほらほら!」
「クソっ!!」
「あ!あと三回倒れたら三日間一人称"私"に変更ね!」
「っん、でだよ!!!」
1つ上の彼女は俺よりずっと強かった。
「っう"ぇ…!!」
「七尾、大丈夫?ほら、吐いちゃえ吐いちゃえ」
「怪異に食われんの見ちゃったんだって?」
「まー、アレは確かにキツいよな」
「わ、るい…俺、が、もっと…!!」
「…後悔するなら、強くなりな」
怪異は想像よりずっと恐ろしかった。
「七尾ー飯行こうぜ」
「あ"ァ?1人で行けや」
「つれねーな!あ、あれヒーロー先輩じゃん!おーい!」
「やや?なにかな哀れな下民たち!」
「あれ、ヒーローが暴君にジョブチェンジした?」
「ハッ!元々だろ」
「何言ってるの?アタシは優等生!それ以上でも以下でもない!」
「「嘘つけ」」
「仲良く否定してくるじゃん後輩諸君」
何だかんだ仲間達とは仲良くやれた。
「…七尾。泣こ。アタシも、泣くから」
「…っ……」
何人もの仲間を失った。
「センパイさ、罰ゲームで言葉遣い矯正中ってマジ?」
「ア"ァン!?誰から聞いた!?」
「おやおや?聞いた話と違うようですが、これはどうしたことでしょう」
「こら七尾ー!まだ罰ゲーム中だぞ!二日延長な」
「ん"ん!!…一ノ世クン、三神クン、ダレカラキキマシタ?」
「ぶはっ!あっははははははは!!!気持ち悪っ!!」
「んっくくくくく!!ひ、久夜っくく!失礼です、よ!くくくく!」
「このクソガキ共!!」
「はい三日延長ー!」
気付けば生意気な後輩も出来た。
「…好きだ!付き合って欲しい」
「んー…良いけど条件。言葉遣い直して!」
「は?なんで」
「アタシの好きな奴を、理想の優等生にしたい!」
「いや性癖歪みすぎだろ…って、え?好きな奴?」
「あれ?アタシ七尾の事滅茶苦茶好きだよ?勿論LOVEね!知らなかった?」
そして気付けば、彼女を好きになっていた。
いや違うな。
たぶん俺は…初めて会ったあの夏からずっと、好きだったんだ。
付き合い始めてから俺は…私は言葉遣いをある程度なおした。さすがに常に敬語は無理があったが。
見た目だって、スーツが似合う男が性癖とか言っていたから髪型も落ち着かせたしピアスは全部外したんだ。
隣に立つために死に物狂いで稽古と実戦を重ね、何度も己の不甲斐なさに憤りながら彼女に並ぼうと走り続けた。
そんな努力が出来るくらいには愛して、大切にして、一緒にいて…
やがて、私達の間には息子が生まれた。
いくつもの検査を経て"一般人"であると断定された俺達の宝物。
この危険だらけの世界に足を踏み入れなくて良かったという安堵と、少しの寂しさ。
二人の名前から一文字ずつとって"大樹"と名付けられたその子は、彼女に次ぐ私の"世界"になった。
しかし、その幸せは一年も続かなかったが。
「…大和」
仲間が死ぬ度に、幾度となく訪れていた学園の死体安置所。
いつも彼女と並んで死を悼んでいたソコに、俺は初めて一人で立っていた。
三ツ星の討伐。
彼女の実力であれば、その任務は一人でも然程問題なく終わるはずのものだった。
そこに、逃げ遅れた一般人さえいなければ。
他の連中なら…たぶん私もだが、そんな奴ら気にしなかっただろう。自己責任だ。
能力者であれば皆己が内に入れたもの以外眼中になく、そう割りきるのが当たり前。
教えでも洗脳でもなく、元よりそういう精神構造なのだ。
だが、彼女は違う。
彼女の執着は…いや、"世界"はヒーローであること。
それこそが彼女を形作る中心であり、悔しいことに私と息子が越えられなかった"一番"だった。
だから、放っておくという選択肢は皆無だったのだろう。
彼女は逃げ遅れた一般人三人を守りながら三ツ星と対峙し…結果相討ちしたという。
一般人にはただの一人の犠牲も大きな怪我もなく。
やはり私の妻はどこまでも優等生だった。
だが…私は、私は…どうだ?
また、大切な人を守れなかった。
私では彼女のヒーローにはなれなかったんだ。
一人で家に帰り、ぐずる大樹を抱き締めて彼より酷い有り様で泣いた。
あやす事も出来ないまま、ただ一緒に泣き続けたんだ。
残った私の"世界"。
この子だけは守らなければいけない。
そう強く心に決めて、しかしと決意に影が落ちる。
私で、守れるのか?
怪異から、能力者を快く思わない人間から守れるだけの力が、本当に私にあるのか?
己の命より大切だと言える。断言出来る。
だがそれは妻に対してだって同じだったんだ。
でも、結局私は守れなかったじゃないか。
ポトリと水面に落ちた一滴の黒が、昨日まで鮮やかだった世界を不安に染め上げていく。
「…本当にいいの?」
「はい。お願いします」
「七尾くん。この子はいつか必ずキミに会いたいと願うぞ。そうしたらどうするつもりだい」
「…」
そうして私は、大樹から離れる決意をしたんだ。
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「ちょっとセンパイ?起きてる?」
「…あ、ああ。すまない」
「はー…別にいいけどさ」
綴戯の監視がどういう訳か外れている。
そんな話を一ノ世から聞き、いてもたっても居られずについてきてしまった。
何せ今日の彼女の側には、私の大切な宝物がいるのだから。
さも面倒くさいと言わんばかりに待合室の椅子に横になっている彼と共に、先に状況確認に動いているという熊ヶ峰と九重の報告を駅で待っているんだが…どうやらぼうっとしてしまったらしい。
我ながらずいぶん懐かしい思い出を掘り返したものだ。
それもこれも、この町にいるであろう大樹を思うが故か。
時間的にもう綴戯と一緒に家に居ても良い筈だが…いや、まだ遊んでいるのかもしれない。
どうか、何事もあってくれるなよ。
義姉夫婦への土産の入った紙袋をがさりと握り締める。
いつかの冬の日に似たぐるぐるとした気持ち悪さに、思わず爪先でカツカツと床を叩いた。
「はー…うっざ」
それが気に触ったのだろう。
一ノ世が舌打ちをしながら体を起こし、私をジトリと睨み付ける。
「あのさ、俺どーしても分かんないんだけど」
「何がだ」
「センパイがガキから距離置く理由」
スラリとした足を器用にたたみ、行儀悪くも椅子の上で胡座をかいた後輩はそう端的に言葉を吐き出した。
「今更だな。危険から遠ざける為だ」
「ほーん?それさ、意味あるの?」
「は?」
ポケットから飴玉を取り出して口に放り込み、不思議そうに首をかしげる彼に、私は思わず間抜けな声を出す。
意味だと?そりゃあるに決まってる。
私が近くにいなければ、あの子と能力者が結び付かなくて済むだろう。
そうすれば、狙われる心配を減らせる筈だ。
「だってさ、センパイがそこにいようがいまいが能力者の子供に変わりは無いじゃん?なら、やっぱ危険なままじゃね?」
「どういう意味だ」
「目ぇ背けるなよ、センパイ」
ぐんと重くなった空気に、一ノ世がこちらの思う以上に苛立っていたことを漸く悟る。
「怪異なんかからはさ、そりゃ襲われる確率を減らせるかもしれないよ。…でも人間はどう?」
目を背けるなと言った言葉通り、闇に浮かぶ金色が逃がさないと言わんばかりに私を捕らえる。
珍しく真剣なそれに気圧されながら、次の台詞を死刑宣告でもされるかのような気持ちで待った。
「祖父母より上の先祖が能力者だったから狙われました…とかさ、俺らでも把握していないレベルの血縁者が誘拐拉致殺害各種の被害者だった事すらあるわけ」
「それは知っているが…」
「なら分かるじゃん。そのガキがセンパイの…能力者の子供って情報が漏れない保証なんて、小指の先程度も無いって事くらいさ」
全身から血が引いたような気がした。
何か言い返そうと開いた口から、音にもならない空気が漏れる。
目を背けていた現実が、今更か?と嘲笑うようにそびえ立つ。
本人や両親どころか、祖父母や周りの親戚すら誰も知らなかった能力者との血縁関係を相手方が知っていた。
それが意味する事は?血縁だと分かった理由はなんだ?
一ノ世の言うとおり、情報の漏洩以外あり得ないじゃないか。
「はー…面倒くさ。俺ならさ、大切なもんは自分の手の届く範囲から出さないね。というか、監禁する」
混乱してるところにいきなり過激なワードを突っ込まないでくれ。
何より…成る程絶対やるだろうな、と思えてしまう事が恐ろしい。
「それをセンパイがしないのはさ、なんで?」
ガリッと一ノ世が飴玉を噛み砕く音だけが、ほんのり西日の差し始めた懐古的な待合室に響いた。
「は、ははは…」
ひきつった自嘲がポロポロとこぼれ落ちる。
なんで?なんで、か。
まったく一ノ世らしい言葉だ。
なんて傲慢で自信に溢れた…強い台詞だろう。
「…大樹はな、ヒーローが大好きなんだと」
「うっわ、遺伝子こわ」
「私の事も人助けをするヒーローだって思ってるらしい。だから余計に、重くてな」
どこか空虚な待合室の中で、足元の影が1人酷く頼り無さげに揺れた気がした。
「私はな、一ノ世。ヒーローになれる自信がないんだよ」
妻のように、己が守ると決めたものを守れる自信がない。
だって私は一度たりともそう出来た事が無いのだから。
守る自信がないから、守る必要がない"安全"にすがりたかったんだ。
「呆れたか?」
「べっつにー?センパイがそうしたいならいいんじゃない?正直ガキには興味ないし」
「テメェ親の前で堂々と…」
「でもさ」
一ノ世が立ち上がり、待合室の出口へ足を向ける。
「その選択が"俺のセンパイ"を壊すなら…許さないよ」
温度のない、背筋を凍らせるような声だった。
その台詞をどんな気持ちで吐いたのか…どんな顔をしていたのか、逆行のせいで塗り潰されて見えなかったが。
「センパイ、くま子達帰って来たみたいだよ」
「…ああ」
次の瞬間にはもう、普段通りの飄々とした様子でへらへら笑っていた。
私を壊す、ね。
そうだな。もし大樹まで失ったなら私は…間違いなく壊れるだろう。
だから間違えてくれるなよ、と彼は言ったのだ。
何故そんな事をわざわざ?と考えて、ふと綴戯の姿が浮かぶ。
あぁ、そうか。
一ノ世は察したのかも知れない。
彼女の知る"私"とやらに、私がなり得る可能性を。
駅舎から出ると、パタパタと教え子達が駆け寄ってきた。
「一ノ世さん!あ、七尾先生もお疲れ様です!!」
「…」(ペコリ)
「あー…ハイハイ。そーゆーの良いからさ、報告して」
ひらひらとやる気なく手を振る一ノ世に、二人は顔を見合わせて眉を下げる。
待ってくれ、なんだその顔は。
ぐるぐると体の内側で不快なヘドロが渦巻いていく。
「あの!二菜達で一通り辺りを探しましたが、お姉さんは見つかりませんでした!」
「は?何?マジで逃げたのアイツ?」
「七尾先生のご子息も帰っていないみたいで家はもぬけの殻って言うか学校出て以降目撃したって人もいないんですけど」
「なんだと…?」
ガツン、と殴られたような衝撃を受けた。
大樹が、いない?どういう事だそれは。
思わずよろけそうになるが、寸でのところで持ちこたえる。
そんな私を見ながら、言っても良いものかと熊ヶ峰がマフラーを握って視線をさ迷わせた。
「…熊ヶ峰」
「はわわわわわ!え、あ、あの…ですね…」
挙動不審な彼女にため息をつきながら九重が前に出る。
「実は最近この辺りを中心に子供の誘拐騒ぎや行方不明者がちらほら出ているみたいで念のため学園のデータベースで調べてみたらまだ見つかっていない子供の殆どが…」
すらすら述べていた九重がきゅっと口をつぐみ、嫌でも察してしまった。
カタカタと指先が震える。嘘であって欲しい。
ただ少し、どこかの公園で遊びに熱中しているだけだと笑って欲しい。
「血縁者、かよ」
チッと盛大な舌打ちが隣から響き、地を這うような声が鼓膜を震わせる。
「はー…最っ悪!」
「綴戯さん達は一緒に校門を出て最初の十字路までは仲良く手を繋いで歩いていたと確認がとれていますがその先は不明です」
「あの!途中の公園の防犯カメラ…三神さんに確認をお願いしましたが、二人共映ってなかったそうです!」
「あー…ハイハイ。ほぼ黒じゃん」
大樹が、何か事件に巻き込まれた…
そう頭が理解した瞬間、駆け出しそうになった私に強烈な重力がかかる。
ぐちゃぐちゃな思考のままその原因を睨み付け、獣の咆哮のように怒鳴り声をあげた。
「何故止める一ノ世!!!!」
「センパイの為だろうが!!」
更に強い圧にたまらず膝をつく。
「今アンタが滅茶苦茶に動いて…何が出来るのさ」
「なら黙って待てとでも言うのか!!大樹が危険かもしれないってのに!!」
「くま子も、九重も、ひじりんもいながら痕跡すらない相手だよ。がむしゃらにやって見付けられるわけ無いって分かんないの?」
そんなの、言われずとも分かってる!!
だが、それならどうしたらいい!?
どうしたら私は、大樹を守れるんだ…!
キリキリと音が聞こえてきそうな程張りつめた空気に、あの、と誰かの震える声が落ちた。
目だけで確認すれば、私達の殺気に青白い顔をしながらも九重が小さく手を上げている。
「すすすすすみませんお二人のどちらか端末ななな鳴ってませんか合流してからずずずっとなのでさすがにおかしいんですがどうですかかか」
端末…?
「あ"?俺の…じゃないみたいだけど」
一ノ世でないのなら私か…?
チラリと目配せをして重力を解いてもらい、ずっとしまっていた端末を取り出した。
たまたま音を切りバイブも最小にしていたそれには確かに着信中の文字。知らない番号だが…
今は構ってる場合じゃないのが正直だ。
しかしなぜか使命感に似た何かを感じ、俺は通話のボタンをタップした。
〔ザ…ザザ…〕
ノイズが酷い。見える映像は真っ暗だ。
イタズラか?と思ったが、私は辛抱強く耳を澄ませて待つ。
「電波でも悪いみたいですね!」
「はー…面倒くさ。切っちゃいなよセンパイ。時間ないし」
一ノ世の言う通りだ。
しかし通話終了を押そうとしたその時…
〔ハハハハハハ!〕
不快極まりない色を孕む狂った笑い声が端末から飛び出してきたのだ。
恐らく一時的に電波状況が良くなったのだろうが…これは何だ?画面は変わらず真っ暗だが。
〔傑作!!あー気持ち悪い!!どっちかと言えばヒーローは俺だろ?化け物退治してるしなぁ!〕
この通話が何なのか理解できないまま私達は顔を見合わせたが、次に聞こえた声が全ての状況を一変させた。
〔能力者を相手取る勇気も無いくせに、よく喚くね〕
「「「「っ!?」」」」
皆で息を飲む。
未だノイズは酷いものの、今聞こえたのは間違いなく綴戯だ。
ならこれは…まさか…!!
〔この子達は何も力の無い一般人なんだよ!!お前は"ただの"人殺しで、弱虫だ…っ!!〕
ガシャーン!と嫌な音が響く。
熊ヶ峰がヒィッと泣きそうな顔でマフラーに顔を埋めた。
一ノ世はどこかに連絡をしている。恐らく三神に発信源を探させているんだろう。
私は最初の友人を思わせるそれに腰が浮くが、同時に聞こえた悲鳴に似た叫びに意識を持っていかれる事になった。
〔化け物は…化け物はおまえだ!!わるいやつめ!!怪人め!!これ以上ねぇちゃんにひどい事するな!!!〕
〔おーおー、一丁前にヒーロー気取りか?〕
「た…!!!」
息子の名を叫ぼうとして、慌てた様子の九重に口を塞がれる。
ダメだと言いたげに首を振る姿にハッとなった。
そうだ。これは通話だ。
もしこちらの声があの男に聞こえてしまえば…二人の身を更に危険に晒してしまうのは明白だろうに。
それを教え子に諭されるとは…みっともない話だ。
しかしこれでハッキリした。
大樹と綴戯は…能力者の血縁を狙う輩に捕まっている。
更に彼女の台詞から察するに、他にも子供がいるのだろう。
そこまで分かっているのに…!!
「あー…クソ!見つからないって、なんでさ!!」
「知覚妨害装置使ってるならあり得ると言うかそうとしか考えられません」
「えぇ!?それって軍とかが使うやつじゃないの!?」
知覚妨害装置って言えば、人間の知覚を狂わせる電気信号を膜のように張りめぐらせ、"内部には何もない"って錯覚させるあれか。
入手は困難だし防御力は皆無だが、軍事レベルになれば機械すら誤魔化せる性能すら併せ持つ厄介なものだ。
最悪過ぎる。もしそうなら生半可な捜索じゃ見付けられない。
打つ手を見付けられず影を落とす私達を嘲笑うように、男の哄笑が再び端末から響き渡る。
〔しぶといねぇ。なーんでそんな頑張るのかなぁ?大人しくしてりゃ俺、痛くないようにしてやるのに〕
綴戯は、1人で戦っているのか?
不老不死とは言え、あの簡単に折れてしまいそうな小さい体で、この狂気を受け止めているのか?
〔私、ロマンチストだから助けを待ってるの。ね?大樹くん〕
〔そ、そうだ!おまえなんて、すぐにヒーローが来てやっつけてくれるんだからな!!〕
あぁ、分かってしまった。
綴戯はこの通信の為に…助けを呼ぶために何らかのアクションを起こしたのだ。
だが…私達は…!
〔助けなんて来やしないんだよ!!!〕
〔いいえ。くるよ。ここに〕
〔夢見る馬鹿が!!第一ここが分かるわけ無いんだよ!今までだって何人もここで捌いてきた!だが、バレたことなんて無いんだからなぁ!!〕
通話がやたら大きく響いたせいか、はたまた不機嫌な空気を膨らませた一ノ世に当てられたのか。
バサバサと煩わしい羽音を響かせて、周辺にいたであろう鳥達が太陽を覆い隠さんばかりの勢いで一斉に空へ逃げ去っていく。
それはあまりに不気味な有り様だった。
私達を少しの静寂が包む。
だが、ざぁざぁと鳴る非楽音が再び端末から漏れ始め、その中から飛び出した一閃が沈む空気を容易く引き裂いたんだ。
〔ここは、埼玉県日出路市5丁目23番地の廃ビル地下室〕
凛と響いた、彼女の言葉。
理解が追い付いてこない。
今綴戯は何を言った?
私だけじゃない。熊ヶ峰も九重も呆然とした顔で端末に映る暗闇を凝視している。
〔私の記憶、なめないでよね〕
「……ぶはっ!はは…!アイツさ…すっげぇわ!!最高じゃん!」
一ノ世がたまらずと言った様子で笑い出した。
空の端にうっすら浮かび始めた白い月とは似ても似つかぬほどに金色が煌々と燃え、常軌を逸した興奮具合はいっそ禍々しさすら覚える。
ここまで愉しそうなコイツは珍しい。
「何してんの。君らさ、準備しなよ。特に七尾センパイ」
開ききった瞳孔のまま一ノ世は己の端末でマップを開き、先ほどの綴戯の唱えた言葉を打ち込んだ。
隣町の地図にピコンと立つ旗印。
それは、即ち…
〔ヒーローは来ます。そうでしょう、七尾さん!!〕
"気付けば俺は、ただがむしゃらに家を飛び出していた。"
気付けば俺は、ただがむしゃらにその場を飛び出していた。
涙が出そうになるのを、今じゃないと堪える。
なんて子だ。彼女は、綴戯は…!!
速く行かなくてはならない。
今度こそ、この手から溢れてしまわないように。
これは綴戯が私に、俺にくれたチャンスなんだ。
俺が、ヒーローになる為のチャンスなんだ。
「必ず、間に合ってみせる!!!」
視界の端に懐かしい三つ編みが見えた気がする。
あぁ、相変わらずお節介だな。優等生の性か?
お前の背は追わないと決めている。
だからお前が隣にいるのなら、俺は誰より速く走れるんだ。一緒に行こう。大和。
待っていてくれ、大樹!!綴戯!!




