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華麗嬢の日々

作者: ウナル

 この店に居ついて私ももう長いけど、この新店長の料理の腕はお客様に出せるレヴェルではない。

 

 それは私の主観的意見でないことは、今しがたスプーンを手にしていたお客様が皿半ばに席を立ち、会計を済ませたことからも明白である訳で。

 

 レジの前で野口秀雄に別れを告げるお客様の嫌そうな顔を見ていると、この店がぼったくりであると噂を広めされそうである。


 あのカレー屋はやめとけ。あんなものはカレーじゃねえから。ココイチの10辛の方が人間の食い物だから。一回食ったけどさ、あの味で500円オーバーとかマジぼったくりだし。いや、罰ゲームには使えるかな。告白して振られた奴に食わせるの。失恋のショックも和らぐんじゃね。とかなんとか。


 はぁ。


 私はため息をつく。


 ため息をつきたくもなる。


 ここまで言われて傷つかないほど鈍感じゃない。


 でも、事実である以上文句も言えない訳で。


 店の店長が代替わりしてから客足は遠のく一方。帳簿は赤く染まり、材料費をやりくりしては味を落とす暗黒スパイラルに突入している。


 従業員も減り、店の電灯はチカチカと点滅を始めた。

 

 このままじゃいけない。

 

 そのくらいわかってるよな、清次郎?




◆    ◆    ◆




 件の男、伊坂清次郎はキッチンで絶賛うなだれ中である。


 この『カレー屋 きよし』は清次郎の父、伊坂清が一念発起して作り上げた店である。


 早い、安い、うまいの三拍子を揃え、なおかつ栄養バランスにも配慮しようと挑戦した店である。


 すなわち、大衆のための大衆による大衆食堂。


 これはジャンクフード三昧やコンビニ通いになっている若者にもっと良いものを食わせてやろうと考えた清の心意気のたまものだ。


 その願いは血と汗と涙の積み重ねの末、ライバル店への果敢な特攻作戦、乱闘騒ぎ、材料の現地調達と値切り合戦を経て、遂に完成された。


 それが『カレー屋 きよし』名物、ポークカレーなのである。


 じゃがいも、にんじん、たまねぎ、豚肉のオーソドックスなポークカレーであるが、それはただのポークカレーではない。厳選した材料と独自の調理法、そして店長のラヴが詰まったただ一つのポークカレーである。


 このカレーの誕生に立ち会えたことは私の人生の最大の行幸である。


 まったりとした若者向けの味。


 量は追加料金でいくらでも増加可能。


 辛さはほどほどだが、注文すれば真っ赤になるほど辛くしてくれる。


 ずっしりとした重みは店長の愛の重さ。


 その重みを感じるたびに私は喜びに身を震わせたものである。


 平日でもハラペコの学生がやってきて、ガツガツとポークカレーを食べたものだ。


 収益が少ない小さな店だったけど、『カレー屋 きよし』はみんなに愛された店であった。


 でも今は、そうじゃない。


 伊坂清はもういない。


 噂では交通事故で死んでしまったとか。


 死というのはもうカレーを作れないということだ。


 それどころか、野菜も肉も切れないし、炒められないらしい。


 もう、あのポークカレーは二度と戻ってこない。


 そして、代わりに店長になったのが伊坂清の息子、清次郎である。


 一応、清が生きていた時から下働きをしていたし、修行も積んでいたけど、その腕前は比べるのもおこがましい。 


 だいたいお客様が帰ったくらいでうなだれている時点で根性なしだ。清はお客様が残そうが、ケンカを売られようがカレーを作り続けた男だった。



「どうしてだ……。どうして誰も俺のカレーを食ってくれない……」



 まずいからだよ、ボケナス。


 がらんとした店の中、一人涙を堪える男一人。


 伊坂清次郎25歳の夏でしたとな。




◆    ◆    ◆




 なけなしの店員はみんな帰宅した夜の店。


 私の目の前で清次郎は黙々とカレーを作り続けている。


 こうして人目を避けて影ながら努力をするあたりやっぱり血は争えない。


 だけど、父の域に到達するまでにはまだ10年早いんじゃないかな?



「だめだ……。こんなカレーじゃ、客は満足しない……」



 うん、まあそうだろうね。無理して父のカレーを追おうとして、変な味になっているし。


 市販のカレールーに負けるような味じゃ、わざわざ金を出して食べに来る理由ないし。


 同じ大衆向けのカレーだったら他の店の方が味もコストパフォーマンスも上。これじゃ、食べに来る理由がない。


 せめて、清のレシピが残ってればねー。


 そんな私の言葉を無視して、清次郎は再び材料を炒め始める。


 私の言葉なんか聞いちゃいねー。


 この野朗。先人を敬う日本人の心はどうした。


 と、叫んでみたけど、意味の無いことはわかってる。


 私にできるのはこいつを見守るだけ。


 せいぜい、頑張りなさい。


 私にとばっちりが来ないくらいにね。




◆    ◆    ◆




 なーんて、余裕こいていたけど、どうやらそうも言ってられない状況になったみたい。


 店に黒服・サングラスのいかにもーな外見の団体さんがやってきたのだ。


 清次郎はその貫禄にタジタジ。


 貴重なお客様は金も払わず逃げ出すわ、で店内は騒然となった訳。


 彼らの正体は『地域住民に迷惑行為など行い収益を上げるため土地を奪い取る清く正しい不動産屋』、略して地上げ屋。


 昨今の不動産業不況にも関わらずこんな小さな店なのにやってくるとは、彼らにもノルマというものがあるのだろうか。


 人間社会とは深淵なものである。



「あんたが店長さん?」



「は、はぃい」



 ビビリ過ぎだろ清次郎。


 私は静かに事の成り行きを傍観することにした。


 文字通り手も足も出ないし。



「あんたの親父さんから聞いてるかも知れんけど、この店売って欲しいんや。どうせ、たいして客も来ん店やろ? こんままやとあんた自分の首絞めて死ぬで? ここで土地売ってその金で再就職とかした方がええって。あんたまだ若いし、就職先も見つかるよ」



 あは、まさしく正論。


 だけどもそれは許可できない。


 だって、ここは私の思い出の店だもの。


 清が建てた願いがこもった店だもの。


 それを売るなんてもってのほか。



「……少し考えさせてもらっていいですか?」



 おいコラ。ちょっと待てや。



「良いお返事をいただけるよう祈っとるわ」



 お前らもなんだそのしめしめ顔は。


 口の端に青のりついてんだよ、バーカバーカ。


 やーい、お前の母ちゃんでーべそー。



「それでは」



 私の罵倒を華麗に無視して不動産屋ご一行は店を出て行きました。


 ド畜生め。


 それからの清次郎はセミの抜け殻みたいになっていた。


 脳みそはどこかに飛んでいって、木の汁でも吸っているに違いない。


 いつも以上にドジをふみ、いつも以上に暗い顔し、いつも以上に元気が無い。


 はあ、見てらんない。


 閉店後も暗い顔は変わらない。


 日課のカレー修行もせずに一人、机の上で顔を埋めている。


 耳をすませばぶつぶつと愚痴のようなものが聞こえる。



「俺は親父みたいにはなれない……。俺は親父みたいな天才じゃないんだ……」



 その親父が、清がどれだけ苦労して店を建てたと思ってるんだ。


 言っちゃなんだけどあんたの3倍は頑張ってたよ。



「もともとカレー屋の店長なんて俺には向いてなかったんだ……」



 そんなことはないだろうけどなー。手先は器用だし舌も良い。足りないのは経験と自信なのに。



「親父……。店、たたんでいいか?」



 死んだ人は答えてくれないわよ。


 良く死人に問いかけて「あいつは許してくれる」とか「こんなことあいつが望むはずがない」とか勝手に納得する奴いるけど、ああいうの卑怯だと思うわね。


 死人は死人。


 骨は骨。


 勝手に逃げ道にすんじゃないねーわよ。



「俺、もう辛くて辛くて、どうにかなりそうだよ……」



 はぁ、相当病んでるわね。


 もうダメかしらね?


 私も年貢の納め時かも。


 この店がなくなれば私もお役御免だろうしね。


 あぁ、思い返せばポークカレー。


 ご飯おいしゅうございました。カレーおいしゅうございました。私は幸せでした。


 清次郎は店の額縁に近づく。


 それは開店したときの写真。


『カレー屋 きよし』ののれんをバックに歯を出して笑う大男が一人。


 今はなき偉大なるカレー巨人井坂清。その顔には希望が満ち溢れていた。


 でも、その思いは清次郎の小さな肩には重いのかもしれない。


 ……思いが重いなんちって。



「現実は厳しいよ……。親父」



 そんなニートみたいなこと言うなよ。店長だろ、男の子だろ。


 とはいえ、実際問題資金がなければ経営は成り立たない。経営は金を使って金を生み出すのが目的である。ギャンブルにしても掛け金が無ければ、席にすら座れないのだ。


 たとえどんな必勝法があろうとも。


 とはいえ、もう少し頑張って欲しいよね。

 

 清次郎だって頑張っているもの。ただ、いきなり父親と比べられて戸惑っているだけなんだから。

 

 きっと、清が後5年生きていたら立派な料理人になってただろうに。

 

 私だって丁寧に扱ってくれるし。他のみんなだって、みんな清次郎のことは好きだし。

 

 ああ、金か。

 

 私じゃ、大した金は稼げないだろうなー。

 

 清次郎が額縁に手を伸ばした瞬間。

 

 ズシンと地面が縦に揺れた。



「うっわっ!」



 !!



 でけぇ!  でけぇ地震だ!


 この私も生涯未だかつて味わったことの無い地震だ!


 グラグラと揺れる身体で必死にテーブルにしがみつく。


 清次郎は額縁を持ったままひっくり返っていた。



「痛ててて……」



 清次郎はぶつけた肩を押さえながら立ち上がった。


 額縁は見事に外れ、地面に転がっていた。



「やべ……」



 そろそろと額縁に近づく清次郎。


 そこで清次郎は額縁の端から飛び出した白い紙を見つけた。



「これ、親父のレシピ表?」



 黄ばんだ紙にはびっしりとポークカレーの調理法が書かれていた。


 清め、こんなところにレシピを隠していたか。相変わらずというかなんというか。いやらしい奴っ。


 だけど、これで清次郎もこの店も救われる。


 レシピだけじゃ料理は完成しないけど、清次郎ならあのレシピをヒントにきっと素晴らしいカレーを作ってくれるはず。


 うん。良かった良かった。


 清次郎はレシピを片手にキッチンに走ってきた。


 さっそく調理に取り掛かるつもりだろう。


 その顔は今まで見たことのないくらい真剣そのものだった。


 ガタガタと包丁と材料を取り出す。


 いざ、にんじんを切り分けるのかと思ったところで、清次郎は私に気づいた。



「ああっ!!」



 青い顔をして、私に駆け寄る。


 そんなに急いで、包丁を落としたらどうするんだか。



「な、なんてこと……」



 おおっ、びびってやがる。顔が青いぜベイビー。


 私の身体はさっきの地震で強かに打ち据えられた。


 こう見えても繊細な私の身体はもう取り返しがつかないくらいに破壊された。


 まあ、もともと体中にガタは来てたから遅かれ早かれ、似たようなことになってたでしょうけどね。


 清次郎が私にふれる。


 丁寧に私を拾い集める。


 床に散らばる私の欠片。


 まあ、綺麗に壊れたもんだ。ここまで来るともう清々しいくらいよ。



「なんてことだ……」



 って、なに泣きそうな顔してんのよ。


 別に私が居なくなっても構わないでしょう?


 新しい子はいっぱい居るし。


 そりゃ、この店とは長い付き合いだったけど。



「……………」



 清次郎は私をテーブルに置いたまま、調理を再開した。


 それでいいのよ。


 あんたはカレーを作ればいいのよ。


 あんたのカレーを乗せられないのは残念だけど。


 私はカレー皿として満足した人生だったわ。


 せいぜい、頑張りなさいよ。





    END



作者HP

http://blackmanta200.x.fc2.com/

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何故主人公は店主にそれを教えないんだろうかと思ってたら、最後に理由が分かってなるほどなと思いました。 [一言] 面白かったです。
[一言] のびのびと楽しそうに文章を書いている感じがいくらか伝わってくるようで、安心して読めました。 物語の構造をもう少し練ることが出来ればもっと面白くなりそうな気がします。
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