Nuisance Overthrow Animal
「大将よお。んな緊張すんなって。全部敵じゃあるめーし、南関東の連中もいるしさ」
「わかってっけど…」
扉の前に突っ立ったまま動けずにいる俺の背中を擦る墨染。頼もしいと同時に、小柄な彼女の小さな手の動きは擽ったさも感じる。
「もう開けんぞ?いつまでもそうしてちゃ怒られちまう」
そう言って墨染が重量を感じさせる音を奏でる扉を押し開けた。その中は白を基調にした飾り気の無い質素な広い空間。ただ中心にある47席が輪をなす巨大な円卓が威圧感を与えてくる。そしてその席に座する殆どがこちらへと顔を向ける。そうなってしまえばもう堂々と自らの席へ歩む他ない。
幸い―いや、本来は新人が最後に着席するのは宜しくないのだろうが、空席が一つだけだった為に迷う事なく『東京』の札が掲げられた席前へと赴けた。
「遅いじゃん。何やってたわけ」
「しゃーねえだろ、大将緊張しいなんだから」
「はっ。また墨染に甘やかされてんの?」
同じ南関東地区担当、神奈川代表の高粱が嫌味を言ってくるが、今はそれすら緩衝材だ。顔見知りに声をかけられると少し落ち着ける。
「何にやけてんだよ。さっさと自己紹介でもやりなよ」
「ああ、そうだ。えっ…と、この度」
「まて大将、ここ押しな。向こうまで聞こえねえぞ」
墨染が横から身を乗り出して机上のマイク横のスイッチを指し示した。それもそうだ。こちらから反対側の席、中国四国辺りにはよほど声を張り上げなければ声が届かない距離だ。
「この度前任に代わり東京代表に就任しました飛燕です。よろしくお願いします」
「よし上出来だぜ大将。練習どおり出来たな」
疎らな拍手を浴びながら墨染に頭をわしわしと撫でられる。事前にもっと何か言うべきではないかと相談はしたが、下手に噛むよりマシだと言われ、この短文しか練習していなかった。今ではそれが正しかったと実感する。値踏みするような視線が突き刺さり、尋常ではない汗が穴という穴から湧き出ている気がする。
「てか会長まだか?」
墨染は周りを見回し、誰ともつかない相手に尋ねた。
「まだ…いや、来てんな。ほれ、3、2、1」
それに応えたのは隣に座る千葉代表の万作。そのカウントダウンの終わりと共に、俺達が入ってきた扉とは違う、奥のひっそりとした簡素な扉から会長が入室して来た。
「すまない。待たせたな」
会長を実際に見るのは初めてだが、聞いていた通り両目は包帯のようなもので塞がれていて、視界に頼らず真っ直ぐ歩けている事に少々驚く。それもSEM故の能力なんだろうか、と思い至った所で、隣の人物が先程やった事もそれだったと改めて気づく。
「すげえな旦那。鳩だっけ」
「そ。鳩は耳良いんだぜ。習っただろ?」
「いや…覚えてねえ」
「おいおい。俺らが生物の特徴把握してなきゃ…っと、そろそろ黙るか」
万作はまだまだ語りたい様子だったが、円卓の中央に向かう会長を見て口を閉ざした。そして空気がピンと張り詰めた。
「それでは、これより枯金会定例集会を始める」
「やめろ墨染」
1時間以上に及ぶ報告会で明らかに墨染は飽きたようで、俺の髪束を只管ねじり始めた。NOAには席が設けられていない為に、墨染はうろうろふらふらと俺や他の関東担当を順々にいじって回る。
「はぁ…いつまで続くのかねぇ」
「もう最後だ。もう少しだろ」
現在報告を上げているのは沖縄代表。それが終わるまで十分とかからないだろう。
「ちげーよ。…それもあるけど、あっしらの仕事だよ」
「…それももうすぐだろ」
次々上がる各地区からの報告はどれも『駆除対象の減少』を示すものだった。主要発生源たる関東でも、他よりまだ駆除対象の数が勝るものの10年以上前からその傾向はあったようだし、俺が働きだしてからの数年でも減少している事は体感で理解できる。
「大将は…終わってほしいのか?」
「え?」
いつもの墨染の声色とは違う、哀愁を帯びたそれにどきりとする。まるで『終わってほしくない』と言っているようで。
「墨染…それはどう…」
「よろしい」
墨染にかけようとした言葉は、会長の凛とした声にかき消された。墨染に気を取られ気が付かなかったが、どうやら沖縄地区の報告が終わったようで、代表の酸葉は既に着席していた。
「諸君、日々の活動実にご苦労である。おかげで狂餐種の数は減り、完全なる撲滅まであとわずかだろう」
今回の報告会での情報を纏めると、やはりその結果に行き着くのは明白だった。
「だが一つ、新たな問題提起をさせてもらう。嫌NOA派の存在についてだ」
初めて耳にしたその言葉で、47の席で僅かなどよめきがおきる。しかし知っていたと言わんばかりに冷静な代表も見受けられ、当のNOAに至っては誰もが平然としている。
「墨染」
思わず墨染の方へ振り返ると、彼女もまた他のNOA11人と同じ様に、静かに、だが悲しそうな表情を浮かべていた。
「知ってたのか」
「…まあ、聞けよ大将」
墨染は顎で会長の方を示す。
「近々、狂餐種はいなくなる。するとどうなる?我々の存在意義は。仕事がなくなる?それは結構。私としては僅かな継続監視役を残し、他は別の役職を与えるつもりだ。荒れたこの地、この国を立て直す力はまだ必要だ。枯金会から離れ好きに生きても良いだろう。SEMも、NOAも」
俺自身も考え始めていた未来。狂餐種が完全に淘汰されたら。地上で安全に暮らせる。自由な貿易も再開され人々の生活がマシになる。多分そうなる。そう、そこに不安要素など生まれるはずがないと思っていた。
「だが、そこでNOAを排除するべきだとする派閥があるという報告をうけた。それが誰とまでは問い詰めない。しかしNOAの破棄は認められるものではない。SEMとNOA…我々は同志だ。間違っても…妙な気は起こさないでくれ」
会長の最後の言葉は、懇願か、警告か、俺には判断ができなかった。