初演・中の伍幕
「お前……正気か?」
伊織が取り出したのは、紛れもなくキネマリングだ。 無論、演劇戦士である彼も所持しているが、 それをこの場で出したことに驚愕していた。
演劇選手同士の決闘は、国務大臣直下の演劇戦士管理局の許可がなければ禁止されている。
無許可での戦闘が王宮にバレれば、キネマリングは没収。 四天王劇団から除外され、国からの資金援助が打ち切り。
ヘタをすれば、劇団の解散もあり得る。
看板女優としての責任感は人一倍強い彼女が、それを理解していないはずがなかったのだ。
だが……。
伊織が自分を挑発して、セントミュージカルの法を犯す様に誘導しているわけではないのは分かった。
端から自分に勝つつもりしかない。
勝って、この逆境を乗り越えようとする強い意志しかない。
四天王劇団において、 以前より西村が最も警戒していたのは、伊織だった。
目の前の、どんな強敵にも動じることのない精神力。
法律や常識をも覆す行動力。
もしもこの国に四天王劇団の代表やまたは看板俳優だけで争う機会があったなら、自分の脅威になり得るのは大きく二人。
劇団 春天歌劇団の主宰兼看板女優か、または伊織だろうと踏んでいた。
「まさか……こんなにも早くぶつかる日が来るとはなァ。」
「ブツクサ言ってんじゃないわよ!こっちはもう弟弟子やられてんの。この上、更に私の推しをどうこうしたいってんなら、 それなりに覚悟してもらうわ!」
「なるほどなァ……ソードオラクルの看板女優は血気盛んなようで、主宰のご苦労が伺える……。」
西村は客席に一瞥をくれた。
ロビーですれ違ったヨゼフが、最前列中央の席に座って様子を眺めていた。
ホール運営の瀬戸際に誰も文句を言うまいと、 ヨゼフは無遠慮に葉巻を吸っているが、 その余裕ぶりからは自分の育てた看板女優が負けるわけはないという、絶対の確信が伺える。
「構やァしねェよ。やるだけブチかませ伊織……。」
※※※※※
止められるかと思いきや、 代表自ら背中を押された。
さすがにこのリアクションは予想外だったが、ニヤリとほくそ笑む伊織。
「いーの〜?私思いっきりやっちゃうよ〜?管理局にばれたら、ソードオラクル解団令でしょ?」
「ケツの青い小娘が……クソみてえなこと気にしてんじゃねぇよ。解団気にしてんな……てめえの仕事ァなんだ?」
「こいつに勝つ。」
西村を意気揚々と指差す伊織。 その表情に、不安は、微塵も感じられない。
「宜しい。さっさと片付けろ。」
※※※※※
キネマリングを獲得している強力な演劇戦士が、敵意を持って至近距離で変身した際、 キネマリングに込められた特殊な術によって、 演劇戦士は両者とも特殊な空間に転送される。
白い床と、数秒ごとに色を変える壁のみの異次元世界。
舞次元において、演劇戦士は神をも凌駕しうる存在となるのだ。
「お前にゃあ……『覚悟』があると?」
「わかってんならさっさと抜けタコ」
伊織の挑発に乗ったわけではない。 本来演劇四天王同士の看板がほとんどぶつかることのない国において、西村は待っていたのだ。 何一つ遠慮なく、純粋な表現力で伊織と戦える機会を……。
「この決闘がバレたら罪はお前達が被ってくれるらしいな。ちょうどいい。思う存分やらせてもらうぞ。」
「わかったからあたしが勝ったらこの劇場私に寄越せ」
「良いだろう!!かかって来な!加藤伊織ィ!」
【決闘公演第一幕!!月下の古城の剣戟!】
「戯曲!『オルレアンの乙女』・私の名はジャンヌ・ダルク!」
「戯曲!『風林火山』・俺の名は武田信玄!!」
名乗りを終えた2人は、誰に止められることもなく激突する。
神の加護が宿る伊織/ジャンヌ・ダルクの聖剣と、具象化された爆炎を刃から吹き出す西村/武田信玄の名刀鬼鹿毛。
激しい剣戟の中で、2人はただひたすらに相手の首を狩ることのみを考えている。
冷酷にして鋭い金属音、衝突する両名の息づかい、ステージの冷たい床に擦れるブーツ、貪欲に勝利のみを取りに行く怒声が、もはや一つの芸術的な曲に聞こえる。
「侵略すること火の如く」
ここで西村/信玄の詠唱が発動する。刃に伝う炎が蛇のようにとぐろを巻き、毒牙で噛み付くように伊織の腕に襲い掛かる。
「な……!」
「ボサッとするな焼け死ぬぞ!!」
かろうじてヒラリと身をかわしたものの、ローブの袖に僅かな焦げ目と切り傷がつく。
「ってぇ……!!」
「なかなかやるな。今のをくらって、痛いで済む奴は滅多にない。」
「お気遣いどう……もっ!!」
伊織/ジャンヌは2歩下がるとそのまま床を蹴り上げ、 ウサギのごとく華麗に跳ねた。
上から斬りつけようとするが、信玄の具象化した兜は 刃の重みを完全に吸収した。
次こそ信玄のターン。
今度こそ伊織を完全に焼き斬らんと刀を振り下ろす。
飛び退いた伊織は詠唱技を叩き込もうとするが、 刀を振り上げた直後に右肩の痛みを感じた。
「当たったことには当たったらしいな。」
「っさいよ……」
「 つまらん意地を張るな。そのままでは死ぬぞ。」
「それ自分は死なない前提で話ししてるワケ?」
西村はため息をつく。
彼は己を獅子だと思っていない。せいぜい狼か、ハイエナくらいのものだろう。
己の、ビーストファングの利益の為に最善を尽くし、 その行動原理を阻む者には容赦なく制裁を加える。
戦う価値のないものは捨て置く。 興味のないものは殺さない。
ボロボロになりながら虚勢を張る子うさぎに、 全力を尽くす理由はどこにもなかった。
「この状況で俺が負ける要因はどこにもない。貴様も演劇戦士なら分かると思うが?」
「100%の勝負なんてない。子供でも分かるんじゃない?」
突然はらわたが煮えくり返るのを感じた。
なんだ、この小動物のような女は。
なぜこんな貧弱な女に、 俺が時間を取らされているのか。
完全勝利主義を掲げる自分が、決闘の最中に言い負かされているという事実。
西村が王国内でも稀に見る、負けたくない演劇戦士だ。
ようやく戦うことが叶った。
ようやく打ち負かすことができた。
西村が感じていたその苛立ちは、 自らの弱さを知った時の内向的なもの。
敗北の苦味を伴う怒りだ。
「なぜ……お前のような……!!」
「ボサっとすんなクソ野郎っ!!」
はやぶさのごとき突きを放つ伊織。兜の角飾りは割れて転がり落ち、右頬に斬り傷を追うが、 黒い苛立ちの顔色は一ミリも変わらない。
「うっそ……!」
「なぜお前のような小動物に俺がァァァァ!」
「ゴチャゴチャ吐かすな木偶の……」
伊織は、突然声がでなくなった。
両足の膝に、電気ショックを浴びせられたような痛みが走ったからだ。
「坊……」
伊織も気づかぬ一瞬のうちに、 彼女の両足は切りつけられていたのだ。
斬られると同時に怪我をするなど、中々ある事ではない。
「……ちくしょー……!」
「ハァ……ハァ……!俺の……勝ちだ!」
息も切れ切れ、体力もほぼ底を尽きている。
こんな短時間の戦闘でここまで追い詰められたのは、今回が初めてだった。
「ハァ……シアターは……ビーストファングが貰い受ける……あの女、安心しろ。 俺のコネクションで王宮まで登らせてやるよ。自由な時間など与えねーがな……」
瀕死の伊織から全てをひったくって奪い去るように、キネマリングを外した西村。
異変に気付いたのは、腕からリングが離れた直後だった。
舞次元が解除されない。
そればかりか、西村の鎧兜も消えない。
キネマリングの効力は、周囲から敵がいなくなる事で収納される。舞次元も、 どちらかの演劇戦士の精神力が消滅することで消え去る。
どちらも形を保っている……ということは、すなわち決着が未だついていないということ。
「させるかよ……させるか……!!」
瀕死の伊織は、 薄れゆく意識の中でただひたすらに、右手の力を一点集中した。
彼を舞次元から出すまいと、必死にその足首を掴んで……。
「勝負はまだ、終わってない……!!」
「見苦しいんだよ下級戦士が!! 俺に止めを刺させるな!!!」
「まだアタシは……戦える!!」
「貴様ァ……!!」
鬼鹿毛を再び鞘から抜き、伊織に向けて突き出す。
「なら……望み通り殺してやるよ!バラバラに斬り刻んでな!」
火傷と切り傷だらけの伊織に、刃が届こうとしたその時。
ガキィン!
この舞次元が発生してから一際激しい金属音が轟き、西村の刃は弾き返された。
弾き返したのは、雪のように麗しい白銀のレイピア。
長身と長髪の人影は、凄惨な決闘に臨んだ傷だらけの二人に、全く物怖じしない。
「そこまでにしてもらおう。両者ともキネマリングを捨てろ。」
西村や伊織に並ぶ長身に、深緑色のロングヘア。
セントミュージカル劇団四天王の一角、劇団春天歌劇団のトップにして、 国内最強は誰か?の問いに毎度候補として挙がる演劇女戦士、サティ・ハルトマン・円がそこにいた。