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開幕宣言

・田舎ではセミの声がする季節になったが、都会の真ん中では、 機械音と人の喧騒しか聞こえない。


自然の中で育ち、 人の心のつながりを明確に感じ取り、表現を志して生きてきた彼にとっては、いささか風情に欠ける。


この数年に一度の灼熱地獄さえ、少年は気にも留めず走り続けていた。

彼は、人を探していたのだ。この都会のラビリンスで、誰の手を借りることもなく、 ビルの谷間を風のように駆け抜ける。


「急がなきゃ……急がなきゃ!」


黄色いTシャツに短パンという、田舎者むき出しの出で立ちで走る少年。


道行く人の視線など気にも留めずに、目的地へひた走るその姿は、さながら旋風のようだった。


彼には、それだけ焦る理由があったのだ。


手には、東京のとある劇場で行われる、舞台劇のチラシがあった。 記載されている簡単な地図を何度も見直したらしく、 紙はくしゃくしゃになり、彼の汗によって少し色褪せている。


『舞台 ロジー 主演 川妻鳴波(かわつまなるは)


「すぐ、行くから……!」



改めてチラシをじっと見る彼。


故に、真後ろから迫ってくる大型トラックの陰にすら、気づくことはなかった。

そう、無残にも彼の小さな体に直撃するその瞬間まで。


……。


「あれ……!?」


少年はゆっくりと体を起こす。 そこは、見知らぬ草原だった。


自分が今までいた東京、都会のジャングルでは、まず見られない光景である。


遠くには、白いレンガで積み上げられた城壁のようなものが見え、 空には巨大なクジラが浮かび、 何やら周りに羽虫のようなものが飛んでいる。


よく目を凝らして見ると、羽虫のように見えたのは、一人の女性だった。


白銀の鎧を身に纏い、光輝く剣で、空飛ぶ巨大魚に立ち向かう勇猛果敢なその姿は、遠くで見ていただけの彼にすら、羨望を覚えさせた。


何が起こったのかわからなかった理由は、突然景色が転換しただけではない。


その光景が、現代日本で見られるはずのない光景であったこと。

景色、草村の感触、音、匂いに至るまでの全てが、夢と言うにはあまりにリアルであったこと。


そして、 今ここに至るまでの、『シズク』という名前を除き、自身の記憶が完全に欠落していたこと……。


「僕は何者だろう……いや、それより……。彼女(・・)は誰なんだろう……?」


普通の感覚であるならば、目の前に現れた光景に混乱し、状況を整理しようとするだろう。


だが彼は元来、俗に言う『普通』からは逸脱していた。


あるいは、 遠くの上空で戦っている彼女が、あまりにも神々しく、魅力的だったということであろうか?


「とにかく……行ってみよう。」


呆然とし、生気のない目をしたまま歩き出す彼。


それはまるで、背中の羽を失ったまま、たった一人、孤独に下界に降りてきてしまった天使のようだった。



とある年の夏も、やはり殺人的な暑さであった。


「あづい〜〜!」


その女が自宅から、 町外れの演劇シアター『リボン』につくまで 何度同じ愚痴を零したか分かったものではない。


手入れした茶色の髪も暑さでベタベタになり、昔から可愛げがあると褒められてきた目は、照りつける太陽光の眩しさに半分閉じている。

ピンクのTシャツと短パン姿でふらふらと歩く姿は、 とても『最強クラス』の肩書きを誇る舞台女優とは思えない。





加藤伊織、24歳。舞台女優。

親に役者業を辞めて実家に帰って来いと言われ始めたのは、先月の上旬を含めて累計74回。

中途半端に忙しい女優である。とはいえ一個の舞台に出るのに、全力を注ぐ必要があるこの世界。


消費者、視聴者側からはともかく、他の同業者から見れば、彼女は『売れている』方である。


いや、だったと言った方が正しいだろう。

彼女が、

()()()()()()()()()()()()()の話』である。


「こんなん稽古場に着く前に溶けちゃうよ……稽古場が北極にあったらな〜。」


もしそうだったなら、彼女は性格上、何の準備もせずに北極へ飛び込むことだろう。

1日と持たず凍死すること請け合いだ。


稽古場が見え始めてきた頃。

虹色インコのヘンリーが手紙を運んできた。

劇団の手紙等のやり取りは、全てこのインコを介して行われる。


発信したのは、演出脚本のヨゼフだった。


常備していた鳥の餌をカヘンリーに与え、彼が飛び去ると同時に手紙を開く


『諸事情により稽古の開始時間を5時間ほど遅らせる。連日熱中症の注意を促されているご時世なので、 近くの喫茶店で時間をつぶすように。』


このたったの3行の文言に、伊織はテンションをガクンと下がらせた。


「まじか〜〜!!朝ラジオの占い聞かずに来たってのに……時間返せっつーの、あのハゲおやじ!!」


水筒をぐいぐいと飲みながら、稽古場の看板を蹴飛ばす伊織。


だが、彼女はさらにテンションを下げることになる。


手紙の最後に『Warning』の文字があったからである。



ヨゼフは時たま、の文末にこの文字を入れることがある。

劇団員及びゲストアクターのほとんどには、これをヨゼフのユニークな挨拶だと思われているが、実はそうではない。


伊織と他数名の、『特別な事情』を抱えた劇団員にのみ与えられる、緊急任務のサインであった。


「大体、ヨゼフさんの役名(キャラ)は、『イーリアス』のアキレスじゃない!自分で狩れっつーの。 その方が秒殺のくせに。」


劇団の裏手にある階段を上っていくと、丘の上に出る。


見晴らしのいい丘で、『プラチナウェイの町』が一望できる。

太陽に照らされたレンガの屋根や、早くから食事の準備をしている家の、煙突から出る煙。

今日のように暑い日でなければ、優しい風になびいている風車。

その向こうに広がる、『アンダーノース山脈』の雄大かつ荘厳な山々。

ここに来ると、どんな嫌なことがあっても、気分を変えることができるのだ。

そう、その景色の中に、巨大な怪物の姿などがなければ……。



目の前の空に浮かぶ、巨大ピンクのな空飛ぶクジラを睨む彼女の目は、憎悪とストレスに満ちている。


「フン……化け鯨(ケートス)が。 まあいいわ、 集中稽古前のいい肩ならしよ。」




彼女は今、異世界にいた。


エチュードワールドについて説明するとすれば、簡潔にまとめると三つ。


1、文明の発達は19世紀程度。


2、剣と、魔法が存在し、人々の生活の中に溶け込んでいる。 時に魔物と呼ばれる存在が人々を襲うことがある


3、魔物を祓う最大の戦力こそが演劇戦士(アクター)。彼らは 戦士としてまた国内最大の娯楽として、 国から重宝されている。


文字通り、『()()()()()の世界』である。








伊織もまた、演劇戦士の一人。


鞄の中から銀色の腕輪を取り出し、右腕にはめる。


開幕(プリミエーロ)……!』


伊織の呪文詠唱に反応して、腕輪は、役者の魂の中に宿っている未知の『演技力』を、魔力に変えて具象化する。


「戯曲…『オルレアンの乙女』、私の名は……ジャンヌ・ダルク!」


戯曲に宿るオルレアンの乙女の魂と、演者である伊織の魂が一致する。


『私たちが戦うからこそ、神様は勝利を与えてくださる。』


戯曲を呪文の如く詠唱すると同時に、 茶髪だった伊織/ジャンヌの髪型が、金髪に変化。


白銀の鎧が出現し、腰にはレイピア、右手には十字架のマークを描く巨大なオレンジの旗を持っている。


「加藤伊織プライベート公演、本日の第1幕。主演 ジャンヌ・

ダルク役、加藤伊織、参ります!」


伊織と(キャラ)の意識は、 彼女の中で二人で一つになっていた。

その場から思い切り走り出し、丘の柵を飛び越えて空中へ。

常人ならば町に落下して即死だが、 空中で思い切り手を広げ、大の字に降下したジャンヌ/伊織の背中には、翼が生えていた。


『私は全く怖くない。だって…これをするために生まれてきたのだから。』


再び戯曲の一節を詠唱する。

翼が大きく広がり、 通常の化け鯨に向かって羽ばたく。


『勇敢に進みなさい。そうすれば総てがうまくいくでしょう。』


3度目の詠唱と同時に、ジャンヌ/伊織の目が金色に光る。

それは、さながら神の啓示のように、 目の前の敵の情報を彼女に与える。


「オーケーオーケー、弱点(ウィークポイント)は顎か目玉ね。こりゃあ突き刺した方が早いかな……。」


右手の旗を空中に投げ捨てる。旗は光の粒子となり、空中でバラバラになって消えた。


代わりに腰に差したレイピアを取り出し、 空に向かって突き立てる。


と、敵はジャンヌ/伊織に感づいたのか、本来潮を吹く器官から光の弾丸を発射した。


「マジ……!?」


たくみに翼を操りながら、 降下してくる弾丸をよける。

幸い着地する前に空中で弾け飛び、町民に被害はないようだ。

これ以上リスクにビビりながら戦うのはごめんだと、山脈の方まで敵を誘導することに決めた。

だが……。


どうあってもジャンヌ/伊織を殺したいらしい。


大口を開け、 大気が振動するのが全身で分かるほどの大声を上げた。 まるで、群れの仲間たちを誘導するクジラの長のようだ。 前から先導し始めたジャンヌ/伊織には、たまったものではない。


耳を塞いでもなお、つんざくような大声は止まない。


「うるっさ!あんなの、どうしろってのよまったく……あの十字旗捨てるんじゃなかった!」


と、その時……。


「お〜い!こっちだよーだ!」


まるで化け鯨を挑発するように、遠くから誰かが叫んでいる。


「は!? あの人何やってんの、バカなの!?」


化け鯨は、急に視点を伊織から遠くの人物に変え、 体をくねらせて降下する。


「ったく……!」


とは言え狙い通り、敵は街から離れつつある。


徐々に人命に近づくにつれて、叫んでいるそいつの姿がよく見えるようになってきた。黄色いTシャツに短パンを履いた少年。


「ちょっと待って……あの格好……!」


その風貌が、どうも彼女が以前までいた世界のものに見える。


町を出てすぐの草原まで、敵を誘導する。


不幸中の幸いに、まんまと少年の誘導に乗ってくれた化け鯨。

だがこのままでは、下にいる少年は食われてしまう。

その時、ようやく叫ぶのをやめた化け鯨が、今度は伊織に向かって突進してくる。


最初に食い殺すべき対象が誰なのか、このタイミングで理解したらしい。


ジャンヌ/伊織の視界を覆うほどの大口を開けている。


「へぇ……私を喰おうっての?上等じゃない。やったるわ!」


レイピアを胸の前に構える。完全に、『ジャンヌ・ダルク』の気持ちとなって祈り始めた伊織。


『私以外に、この国を救えるものはありません。』


刃を正面に向け、突き出す。刃は黄金に光り輝き、より強力な力を宿した。


真正面に鯨の喉の奥が見え始めた時。


ジャンヌ/伊織は最大限の速度で、 クジラの口内へと突撃する。


聖なる女騎士の裁き(ラース・ジャジメント)!!』


バクン!!!


『ブゥォォォォ!!』


敵を完全に飲み込み、勝利の雄叫びをあげる化け鯨。


それは、突然断末魔に変わった。


ザンッッ!!


突然クジラの頭と胴体が分断され、体内からジャンヌ/伊織が飛び出した。


『ブゥォォォォ!!』


「ハァ……ハァ……!!」


死骸が落下する頃には、粉々になっており、季節外れの雪が降るような、とても幻想的な光景だった。


『これにて閉幕(フィナーレ)……ありがとうございました。』


砕けずに残った破片が一つ、まだ下にいる青年に向かって落ちていく。


「……ぁにやってんのよ!!」


焦りと苛立ちから表情を歪ませる伊織は、全速力で降下し、地面の直前で青年の背中をつまみ上げ、そのまま丘の上までかっさらった。




再び丘に降り立った伊織は、 腕輪を外して変身を解除。


元の舞台女優の姿に戻る。


「ハァ……ハァ……!」


だが彼女は、眼光を鋭くしたままだった。 目の前の少年は、あっけにとられながらも伊織に向かって目を輝かせている。


「空から現れて、僕を化け物から救ってくれなんて……。あなたは天使様ですか!?それとも女神様!?」


「言ってる場合じゃないでしょ!死んでたとこよ? 何で、あんなことしたのよ……!」


ついさっきまで、化け鯨に食い殺されかけていた人間とは思えない。


「ついさっき、草原の向こうから、戦ってるのが見えたんです。 あなたみたいな綺麗な人初めて見たから、 近くで見たくて、いてもたってもいられなくなって……。」


屈託のない笑みで褒められ、 少し赤くなって照れる伊織。


「だっ……だからって、あんな危ない事、二度とすんじゃないわよ?」


「はい、すいません!」


「無駄に元気ねアンタ……家まで送ってあげるから、住所言いなさいよ。」


そこまで言って伊織は、あれ?と思ってしまった。


住所、本当にどこなのだろう。この世界の文化はいわゆるRPGゲームに酷似している。 西洋風の衣装がほとんどだ。

ところが、 彼はまるで、伊織が()()()()()()()世界の衣装によく似ている。


「ごめんなさい……覚えてなくて……」


「……?」


「新宿の交差点を歩いてたんです。車に轢かれそうになって……。 眩しい光に包まれたと思ったら、草原に……。」


ああ、これは自分の時より厄介なパターンだ。

そう確信した伊織は、頭を抱える。


どこで生まれ、いつ東京に出てきた、なぜ役者になった……。


そういうバックボーンは、きちんと覚えた上でこの世界にいる。おそらく、彼はそうではないはずだ。

これでは元の世界に戻るどころか、この子が誰なのか証明することも難しい。


「名前は?」


「……シズクです。」


「じゃあシズク、 お父さんとお母さんは?」


「ごめんなさい……。」


その反応から、やはり両親のことも覚えていないらしい。


「困りますよね……すいません。」


「子供が余計な気遣ってんじゃないわよ。ところで……いるんでしょ?ヨゼフさん……。」


どこへともなく声をあげると、木の陰から、初老の男が現れた。


ワイシャツに黒いズボンを履いており、 鋭い眼光を隠しているようで、余計に演出している金縁メガネが印象的だ。


「この人は……?」


「ヨゼフ・北上(きたがみ)。劇団ソードオラクルの主宰で、私らのボス。……またいつもみたいに隠れてたワケ?」


「相変わらず鋭さだけは一人前だな子娘。」


「愛弟子に仕事押し付けて高みの見物してる、くそオヤジの悪臭がしたもんでね。」


「バカヤロウ修行だ! テメーもいきがっちゃいるが、あの程度俺なしで処理できなきゃ、 いざって時に困るんでな。」


威圧感や、この男を前にした時のプレッシャーは、初めて会った時と何も変わらない。シズクは、思わずあたふたしながら二人のやり取りを見ている。


伊織は疑問に思っていた。


我が師が、近頃何かに怯えている気がするのだ。


「最近よく言う『いざって時』ってさ……『何かが起こる』ってことなの?」


「俺の口から言うには重てぇな。」


「またそれ!?そういうとこあるよね?ずるいとこあるよね〜!」


「いずれ嫌でも分かるってことだ。 早く荷物の用意しろ、日暮れまで、『モランボン』で待機だ。

それからその坊主は稽古場に連れて行け。」


「はぁ……しゃーないわね!ほら来て。」


大事な事をきくとすぐはぐらかす、そのような師の背中が、以前から苦手だった伊織。

それでも必死に食らいついていく。

そんな二人の背中が、シズクには、親子にも似ているように見えた。



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