刮目しろ
「このまま話してあなたに届くのかわからないけど、他にどうしようもないから、このまま話すね。あなたは私のことを『邪悪』だと言った。確かにそうだったかもしれない。私のやり方はいろんな人に迷惑をかけた。人を助けることが、いつしか義務感に代わって、依頼の数さえこなせればいいじゃないかなんて思い始めてもいた。でもね――。私も最初からそんなんだったんじゃないんだよ?」
私は俯き気味に、ぽつりぽつり語る。上からは坂下の訝しむような視線を痛いほどに感じていた。
急に何を言いだすんだコイツは、と思っていることだろう。別にそれでも構わない。
たとえ「坂下」に伝わらなくても、「坂下くん」に伝われば。
「私、高一のときに、本当に、本っ当に困ったことがあって、でもそれを牧野先輩があっさり解決してくれて、救われたことがあったの。それが始まりだった。私もこんな風に人を救えたらどんなにいいだろうって、心から思った。結果私も『よろず部』に入って、牧野先輩と一緒に頑張ることになって、ほんのちょっぴりだけど私も依頼をこなしたりして、人から感謝されたりした。それがすごく楽しかったし、うれしかった」
私は右手で持っていた『遊楽』を、左手に持ち変える。そして右手でそっと表面をなぞった。
「私は、自分自身のために『よろず部』で頑張ってるの。言ってしまえば自己満足。でも、それが私や牧野先輩のやり方。これが私たちの正義の形だよ。そういうわがままなヒーローがいてもいいと私は思う」
「戯言はそこまでにしろ。次に喋るのはイエスかノー。それ以外ならお前は次の瞬間天涯孤独の身となるぞ」
私は顔を上げ、上を見上げる。
坂下は冷徹な表情を浮かべていた。しかし、それを見ても怖いと思わなかった。
「笛が欲しいなら、腕づくで奪えばいいよ」
「まずは妹だ」
「家族に手を出したら、この笛叩き折るから」
「あまり私をなめるな」
坂下はギターに手をそえた。万事休すだ。でもどうしようもなかった。このままサタケさんを見捨てるなんてできなかった。
それでもヤケクソで、私は『遊楽』の歌口に口をそえる。とにかく音を出せば、何か起こるかもしれない。そう考えた瞬間だった。
「ぐぁ……な、に」
驚くべきことが起きた。
坂下の首に、一匹の黒蛇が巻きついていた。
「き、さま……これは自分の体だぞ……自分のやってることが……わかってるのか……」
『知らないのか。自己犠牲精神はもはやヒーローの属性の一つだぞ。悪玉との道連れエンドも悪くない』
そんな中、その黒蛇――中身坂下くんがこちらに顔を向ける。
『お前のヒーロー論、聞かせて貰った。確かに理解できなくもないが、やはりまだまだだな。俺には遠く及ばない』
ぞくりと体が粟立つような感じがした。これから坂下くんがやろうとしていることが、私にも何となくわかったのだ。
『刮目しろ佐々野沙良。今から見せてやる、真のヒーローの姿ってやつを』
黒蛇の尻尾の先は的確に坂下の両手をしばりあげ、『諸行無常』から引き離されている。あれがなければ奴も無力だ。そして首。人間の体を借りている以上、あそこを締められてはもうどうしようもない。
しかし、それは坂下くんも同じだ。あの肉体が死んでしまえば、彼の精神の帰る場所がなくなってしまう。
「待って坂下くん!」
私は叫んだ。しかし首の締め上げを弱める様子はない。
「坂下くん! 自分の体とその体で、口を合わせて! そうすればあなたの精神は元の体に戻るから! お願いだから自分の体を殺さないで!」
そこでようやく、黒蛇は動きを止める。
『それは本当か?』
「うん! 私を信じて!」
すると黒蛇は迷いもなく動いた。まず『諸行無常』を体の締め上げで真っ二つに叩き折り、次に坂下の体からするすると体を離していく。坂下の体に蛇の体を巻きつけた状態で体を入れ替えてしまっては、次の瞬間に形勢が逆転してしまうからだろう。思いのほか彼は冷静だ。
そして口合わせ。
一拍後、坂下の姿をした坂下くんが目を剥いた。黒蛇の体を私の家の外へと放り投げる。
そして坂下くんは、へろへろの様子で私の部屋のベッドへと飛び降り、そのまま倒れ込んでしまった。私は慌てて駆け寄る。
「大丈夫⁉」
「ああ……いや、結構やばいかもしれん。さっきは俺自身を殺す気で思い切り締め上げてしまったからな。多分骨も何本かイってる」
坂下くんはときおり呻きながらそう言った。最後のは多分、死ぬまでに言いたかったセリフの一つだろう。しかしそれは大げさではない。首には痛々しい締め上げた跡がくっきりと残っているし、腕や足に無数の傷あとや痣がある。満身創痍だ。すぐにでも手当するべきであろう。
幸い、この場にはそれができる人間がいる。
「お母さん! 診てあげて!」
後ろの方でお父さんの手当を終えた様子のお母さんに、私は呼びかけた。お母さんは小学校の保健室の先生だ。
私の呼びかけに頷き、お母さんは駆けてくる。そして坂下くんの体を見回しつつ、
「手当はするけど、その前に確認しておいていいかしら。この人さっきお父さんに怪我をさせた人よね?」
冷たい声色だった。
無理もない。誰の目にもそう映ったことだろう。この坂下くんが、お父さんを攻撃したのだと。
でも違うのだ。私は大きく頭を振った。
「それは違うよ。今は説明してるひまないけど、それは違うから。むしろこの人は自分を犠牲にして、私たちを助けようとしてくれたの」
診断の手を止め、お母さんは私の目を見た。少し驚いたような顔だったが、すぐに手当てを再開する。
「そう。わかった。じゃあ丁寧に処置しておかなきゃね」
「うんお願い」
私は頷き、今度は坂下くんの顔の傍により、話しかける。
「坂下くん、ほんとにありがと」
「礼は……後でいい。それよりやつはどうなった?」
「あ、そうだ」
言われ、ようやくハッとする。私は慌てて立ち上がり、部屋の窓に飛びついた。坂下くんは黒蛇を家の前の道路に向かって投げつけていた。頼むから、そこで倒れていてくれと心の中で願いながら、視線を走らせる。
願いは通じた。道路のど真ん中で一匹の黒蛇が力尽きたように倒れていた。
私はホッと胸を撫で下ろす。
その束の間であった。その黒蛇の体がぶるっと震えた。




