きっと、私なんかより、ずっとずっと前に佳香はその答えに気づいていたはずだ
「あの鬼副会長を名前で呼ぶとか、沙良ってほんと見かけによらず度胸あるよね。あの権田浦先生も味方にしようとしてたりしたし」
「そんなことないって。あー、でもいきなりの名前呼びはまずかったかな……」
「いや、結果的にはよかったんじゃない? なんかデレてたし」
「え⁉ デレてた?」
「もう完全に。向こうも『沙良』って呼んでたじゃん。デレデレだよ、デレッデレ」
「うーん、そうかなぁ……」
校門前、私たちは自転車を押しながら進んでいた。三春と佳香はこれから一度家に帰って、着替えなんかを取りに帰るそうだ。
とは言っても、二人の家は私の家とそんなに離れてはいない。三春の家なんかは歩いて二、三分の距離だし、佳香の家は私の通学路の途中にある。
ちなみに佳香の家はかなりでかい。豪邸だ。三春と一緒に泊まりに行ったことがあるけれど、その辺のホテルなんかよりよっぽどゴージャスだった。佳香はお嬢様なのだ。
小中学校もお嬢様学校だったらしい。今私たちとこうして一緒に帰ってるのが不思議なくらいである。まあ、そのお嬢様な雰囲気が合わなくて、うちの高校を受験したらしいけれど。お嬢様にはお嬢様の悩みがあるのだ。
「そう言えばよっしーの家に泊まりにいったときに食べた料理は美味しかったなぁ……名前とか全然わかんないけど」
私が見上げた夜空にあの日のディナーの数々を思い浮かべていると、それを打ち消すように佳香は素気無く言った。
「そうかぁ? 私はあんま好きじゃないけどな、ああいうの。高い食材使えばいいってもんじゃないんだよ」
「今はお嬢様でも、育ちの貧乏性は根強く残っているわけか」
三春がからかうように言うと、案の定佳香が噛みつく。
「うっせ。逆よりマシだろが」
そう言い捨て、佳香は歩くスピードを少し速めた。だが、別に怒っているわけではない。私にはそれがわかったし、恐らく三春も分かっている。
「お父さんとは上手くいってるの?」
三春はなおも質問を重ねた。
「……まあまあじゃねぇの」
「それはなにより」
「ま、うざいけどな。やたら干渉してくるしさ」
続く佳香の愚痴を、私たちは静かに聞いた。
「学校のこととかすげぇ聞いてくるし。『友達はできたか?』とか、『学校は楽しいか?』とか。小学生かっつの。母さんのことも溺愛してて、私の目の前でもベッタベタだよ。娘の目の前でくらい自重しろよなって話だ」
「いいお父さんじゃない」
「別にそんなことは…………いや」
不意に佳香は立ち止まり、夜空を見上げた。
「多分そうなんだろうな。だからこそ腹立つんだ。こんな出来損ないの娘ほっときゃいいのに。逆にそれが……重いんだよ」
――佳香はお譲様だった。
しかしそれは小学校の頃からの話だ。それ以前――前のお父さんと一緒にいた頃は、大変貧乏だったらしい。それどころか酒に荒れる父親に翻弄される毎日で、ろくな思い出が残っていないそうだ。
そんな中、佳香とそのお母さんの前には、今のお父さんが現れた。お金持ちだが、それを威張らない優しい人だったという。『父親』という存在を受け入れられなかった佳香とは中々馴染めなかったようだが、今やっと、今のお父さんの愛情が彼女に届きつつあるらしい。
「別にそんなに深く考えなくていいと思うけどなぁ」
私が呟くように言うと、佳香がこっちを向く。じとっと睨むような表情だ。
「お前に、急にお嬢様にされた私の苦労がわかるか?」
「それはわかんないけど…………でも」
今のお父さんは、佳香が『夕静海高校』を受験することを話したとき、あっさり受け入れてくれたという。
それが全ての答えではないだろうか。
「よっしーの今のお父さんは、別によっしーに優等生になってもらいたいなんて思ってないと思うよ。思ったことはすぐに言っちゃうし、腹が立つとすぐに手が出ちゃう。でも根は優しくて素直な今のよっしーが、お父さんは好きなんだと思う。よっしーにこうなって欲しいとかなんて、全然考えてないんじゃないかな」
私を見る佳香の目が、そっと大きく開いた。
きっと、私なんかより、ずっとずっと前に佳香はその答えに気づいていたはずだ。
ただ、そこに確信が持てなかった。一度大きな裏切りを経験してしまったから。
でも、今の佳香は、そんなちっぽけな喪失など軽く埋めておつりがくるほどの新たなつながりを手に入れたはずだ。そのことにどうか気づいて欲しい。
「そう……かもな」
佳香は視線を外し、前へと向き直る。
「佐々野、お前やっぱすげぇよ」
「へ?」
「なんだかんだ言って、佐々野は誰よりも『よろず部』部長にふさわしいのかもしんない」
よくわからなかった。でも人を滅多に褒めることのない佳香が私を認めてくれる発言をしてくれたことは、素直に嬉しい。何となくこそばゆくもあるが。
そしてそれは佳香も同じらしい。今頃照れが回ってきたのか、急にそわそわしだした。




