絶対の誇り
一方、劉禅たちは綿竹城まで到達していた。皇帝旗の元に兵が集まり今では万を超える軍勢になっている。
「姜維将軍、綿竹城の大将に話をつけて参れ。朕はちと休む」
「はっ」といって姜維が駆けだす。劉禅は小便に木陰へと向かった。司馬師が付いて来る。ここで待てと声を掛け、茂みをかき分け前を出そうとすると、そこに一人の男が転がっていた。それは劉禅のよく知る人物であった。
「馬謖、どうした。しっかりしろ」
肩に矢が刺さっている。敵にやられたらしい。劉禅が体をゆすると馬謖はうっすらと目を開けた。
「馬謖、朕である。わかるか?司馬師、早く来い。馬謖がおる」
司馬師が慌ててやってくる。
馬謖の口が少し動く。
「何だ。」
劉禅が馬謖の口元に耳を持っていく。
「うん、わかった。朕に任せい。絶対に助けるであろう」
馬謖は微笑むと意識を失った。
「師将軍、医者だ。絶対に助けろ。これは命令である」
「はっ」
司馬師が馬謖をおぶり、走り出す。
「誰か、誰かおらぬか」
なんでございましょう。と騎馬隊の隊長が飛んでくる。
「朕は今から騎馬隊のみで成都へ急ぐ。姜維将軍に後から来るように伝えろ」
「はっ」
「騎馬隊、成都へと向かう。乗馬」
1000騎の騎馬が揃う。その中には途中で合流した滄海に鍛えられた30騎も加わっていた。
「成都へと急ぐ。決して遅れるな。遅れた者には罰を与える。」
全軍に緊張が走る。
「出発」
(今いくぞ。待っておれ)
劉禅は清流のスピードを上げた。
趙雲と李玩は死闘を繰り広げていた。しかし、蒼照の叫び声で二人の動きが止まる。
「今の矢を放ったのは我が弟分「甘光」です。そして、あそこに居るでかいのが「寧江」二人とも相当な手練れです。ほら、ご自慢のお弟子さんの槍が通じませんぞ。あ~ぁ、飛ばされちゃった。おっ、健気に小っちゃいのが向かっていった。無駄無駄、ほらね。あっ、死んじゃったかな?あれ、ご子息がかわい子ちゃんの前に立ってますよ。大丈夫かな?あの弓は相当な腕でないと弾けませんぞ。やっぱり・・・、あれご子息がもう一人、兄の方ですか?健気だなぁ~」
李玩がはしゃぎながら解説している。突然、趙雲が趙統に向かって跳躍した。
(しめた。矢を払う瞬間、趙雲は無防備になる)
狙いを定めた。李玩の飛刀が趙雲を襲う。趙雲が矢を払うのと飛刀が背中に刺さるのが同時であった。
(やった。でかしたぞ、甘光!)
李玩は心の中で叫んだ。趙雲はやはり本物だった。李玩は手を合わせてみて厳しい勝負になると思っていた。それがこの展開である。李玩は正直安堵した。
「老将軍、情に囚われましたなー。残念です」
趙雲はその言葉を完全に無視し、
「皆の者、下がっておれ」と一声叫んだ。
趙雲が口から血を流しながら、寧江に近づく。その背には飛刀が刺さったままだ。
「老将軍、それは無茶だ。寧江、手加減して差し上げろ。老人を労わりなさい」
李玩が茶化す。もう完全に勝ったつもりでいる。その言葉を趙雲は完全に無視し、ゆっくりと寧江に近づく。趙統は父の姿に違和感を持った。
「あれは・・・奥?」
趙統は趙雲の目が赤いことに気付いた。趙雲の目は血走るどころでは無く、完全に赤く光っている。
「おーーーーっ」
雄叫びを上げ寧江が趙雲に向かい突進する。趙雲が無造作に槍を突き出す。
「ドゴン」
凄い爆発音が響き、大気が震える。寧江の胸に巨大な穴が開いていた。寧江、一瞬で絶命。
甘光の矢が趙雲を襲う。趙雲はその矢を左手で掴むと倍の速さで投げ返した。甘光の胸から上が砕け散る。
趙雲は、敵軍を睨みつけると、
「我こそは常山の趙子龍なり、我が槍の錆となりたいものは向かって来るがよい」
と獣王が咆哮するような声で怒鳴り、槍の柄で床を一突きする。ドカンと音がして床が砕け地響きがした。
恐怖・・・、趙兄弟でさえ、父を怖いと思った。ひぃ~という叫び声をあげながら敵が逃げていく。そこにいるすべての人間に底知れぬ恐怖が伝わった。敵の隊長、李玩も逃げ出す。
「李厳、待たせた」
遠くで戦況を見守る李厳に向き直る。その赤い目で睨まれた李厳は動けない。
「参る。そこを動くな」
趙雲がゆっくりと歩き出す。歩くたびに背中から流れる血の跡が床に付く。李厳は必死で逃げようとするが、体がいうことを聞かない。
(このままでは殺される・・・)
渾身の力を込めるがぴくりとも動かない。体中から汗が出る。李厳の汗は尋常ではない。
「李厳、命だけでは償いきれんぞ。あの世でも償え」
気が付くと趙雲は李厳の前にいた。槍を低く構える。渾身の突き。もの凄い音がして李厳の身体は砕け散った。
劉禅が成都の宮殿に到着すると中から大量の敵兵が現れた。
「謀反人である。皆殺しにせよ」
敵は、後ろを気にしていて戦いどころではない。その顔は恐怖で引き攣っている。楽々と劉禅の騎馬隊はすべての敵を打ち殺した。劉禅の前に女のようなひょろっとした男が現れた。その顔は恐怖にゆがみ、悲鳴を上げながら小さな刀でうちかかってくる。
「邪魔だ」
劉禅はその男を一刀のもと斬り捨てた。
(敵どころではない。急がねば)
劉禅は愛馬清流に鞭を打ち宮殿の中を走った。宮殿の奥に趙雲が居る。
劉禅は急いで清流から飛び降り、趙雲の元に駆け寄った。
「大将軍、大丈夫か?大将軍」
呼びかけると仁王立ちしていた趙雲はゆっくりと倒れた。慌てて劉禅が抱きかかえる。その体は非常に軽く痩せていた。
「大将軍、朕だ。わかるか?阿斗が参ったぞ」
趙雲はうっすらと目を開けると劉禅を見つめて、
「陛下の御前、拝礼できぬ無礼をお許し下され」
劉禅は、趙雲の透き通るような真っ白な目を見つめて、
「何を申す。大将軍は朕の命の恩人ではないか。今度は朕が大将軍を助ける番じゃ。黙って呼吸を整えておれ。趙統、医者じゃ。国一番の名医を呼んで参れ。これは命令ぞ。大至急・・・」
劉禅はしゃくりあげてしまいうまく言葉が出てこない。趙雲の命が残り少ないのを全身で感じた。
「陛下・・・、その命令はご無理があります。臣の命は幾ばくも無い」
「な・・・何を申す」
劉禅の声は涙声だ。
「臣、先帝から蜀に仕えること長きに渡りましたが、これという功も無く、ただただ恥じ入るばかりです」
「謙遜するでない。大将軍の功は丞相に匹敵する」
趙雲がゆっくりと顔を左右に振る。
「いやいや、丞相と並べられるとは恐れ多い。ただ一つあの世に行っても自慢できることがあるとすれば、陛下を長坂橋でお救いしたこと、これだけは胸を張って自慢できます。
陛下、どうかこれからも英雄であって下され。蜀の天下統一、それを楽しみに臣は逝きます」
劉禅は、涙を流しながらも胸を張り、
「おう、任せい。朕が必ずや天下を統一してみせよう。大将軍よ、心配せず見守ってくれい」
趙雲は微笑む。
「我が息子たちよ。陛下を頼む」
言い終わると両手を空に向かって伸ばす。
「玄徳様、いまお側へ・・・」
趙雲の両手ががっくりと地に落ちた。皆が号泣する。劉禅は、がっくりと両手を地面に着く。
「皆の者すまぬ。朕は大恩ある大将軍を助けることが出来なかった。朕はいつもそうだ。助けられてばかり・・・。不甲斐ない。こんな自分が嫌になる。すまぬ。すまぬ」
涙を流しながら平謝りを繰り返す。
「陛下、おやめください」
趙統が劉禅の元に駆け寄る。
「陛下は父の胸に絶対の誇りを与えてくださいました。そのような陛下のお姿を見ては父は安心してあの世に行くことが出来ませぬ」
「そうだな。あい分かった」
劉禅が拳で涙を払い、片足を立てた。
「しかし・・・しかし、朕の胸は張り裂けそうじゃ・・・」
そういうと劉禅は床に突っ伏して大声で泣き始めた。まるで体の中から何かを吐き出すように・・・。
偽の劉禅は、趙雲の槍の風圧で眼球が飛び出し死んでいた。今となっては彼が謀反の首謀者だったのか李厳に利用されたのかを知る由も無い。謀反は完全に鎮圧され成都に平和が戻った。李厳の義娘、李星彩は李厳の屋敷の牢屋に閉じ込められていた。義父の謀反を最後まで止めようとした彼女は義父の怒りにふれ牢屋に監禁された。彼女は劉禅の前に引き出されると、自分の死と引き換えに一族の存続を願った。謀反は重罪中の重罪、一族死罪、お家取り潰しも当たり前である。星彩の要求は無理がある。後で分かったことだが、李厳の謀反は魏の工作によるものだと分かった。魏の策士陳羣は、李厳が反乱を起こしたら20万の大軍で攻め込む約束をしていた。そのタイミングで孔明が司馬懿に2度負けた。これが李厳の背中を押したのだろう。この反乱は完全に李厳一人の暴走である。そのため、李一族は誰も謀反に手を貸していない。その点を劉禅は考慮した。
「星彩、面を上げよ」
星彩の顔は涙できらきらと光っていた。泣いている姿も美しい。
「さて、そちの要求だが、許すわけにはいかん。謀反は重罪、そちも分かっておろう」
星彩は、かぶりを振って
「いえ、今回の謀反は父の独断、一族の者は一人も関係しておりません。しかし、義娘である私には止められなかった落ち度があります。どうか私の命だけでお許しください」
「ふむ、そういわれると朕もつらい・・・、が古来より謀反は重罪、お家取り潰しが慣例である」
「そこを・・・、どうかお許し下さい」
星彩が深々と頭を下げる。
「そちには剣術を習った恩もある。何とかしてやりたいが・・・」
胸の鼓動が早くなる。心臓が破れそうだ。劉禅は立ち上がり深呼吸をした。
「ならば星彩よ、我が妻となれ。さすればこの件は不問に致す。誰にも文句は言わせん」
劉禅は一気に捲し立てた。顔が火照る。きっと真っ赤だろう。星彩は始めきょとんとしていたが、意味が分かると顔を真っ赤にして、
「恐れながら・・・、わたくしも陛下をお慕い申しておりました。こんな嬉しいことはございませぬ」
嬉しそうに微笑み涙を流している。
「そうか。ならばよかった」
劉禅はまともに星彩の顔が見られない。
「陛下、お側にいってもよろしいでしょうか?」
星彩が嬉しそうに尋ねる。
「うむ、許す」
星彩は立ち上がると劉禅の腕に抱きついた。劉禅は茹蛸のように真っ赤な顔をして立ち眩みを覚えた。
(し、しあわせじゃ~~~~)




