囮
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山上から魏軍の包囲を見ていた馬謖と趙兄弟は、あきれ気味に
「いや、予想していたとはいえ、これだけの戦力差を見せられると、恐怖などは湧かないものですな」
「そうですね。戦うという実感が湧かない」
「我が兵士1人が500人倒しても、全滅させられないでしょうね」
敵の数はざっと10万くらいは居そうだ。そんなことを言っているとあっという間に魏の包囲が完成した。
「さすがは司馬懿、丞相が恐れるほどの人物である。迅速かつ完璧な包囲、蟻の這い出る隙間も無い。これは、お二人を陛下の所へ戻すのは至難だ」
馬謖は趙兄弟に微笑んだ。しかし、その目は血走っている。その柔らかい表情と血走った目が不釣合いであるため、趙兄弟は馬謖からの凄みを感じた。
「敵は、しばらく動かないでしょう。こちらは3日目に動きます。攻める気満々で陣取ったのに攻めなければおかしいと思われますから、仕方が無いから攻めます。さあ、今日は罠の設置などで疲れました。兵達も交換で休ませます。恩人も休んでください。」
一礼すると馬謖は兵士への指示に向かった。趙兄弟は、馬謖ほど落ち着けなかったが、気を張っていても仕方が無いので、幕舎に戻り休憩した。
馬謖の予想通り魏軍は攻めてこない。3日目に馬謖は趙兄弟のもとを訪ねて来た。
「御相談があり参りました。今日の夜、偵察のため行軍するのですが、その隊長をお二人にお願いできないかと思いまして参りました。兵は30名、お願いできませんか?」
大将の命令は絶対である。断る権利などは本来無い。馬謖はもともと義理堅い性格なのであろう。趙統が「承知いたしました」と答えると安心した表情を浮かべた。そして、作戦を説明し馬謖は去っていった。
その日の夜、趙兄弟は兵30名と山を下りた。闇夜である。進みながら絶えず罠の位置を頭で確認し続けた。この行軍は罠頼みである。もしも罠の位置を間違ってしまうとたったの30人、あっという間に全滅させられてしまう。一行は慎重に闇夜を進んだ。ある程度進んだところで全軍を止める。
「ここで待機、俺が戻りここを通り過ぎたら一斉に矢を放て、その後、俺についてこい。今回の任務は、敵に捕まらないことを第一の目的とする。捕まった者は、毒を飲んで自害せよ」
そういうと趙統は静かに下山を始めた。趙広はここに残り30名の指揮を取る。あらかじめ馬謖と決めていたことだ。この後、矢を放ったら、兄と30名は上に登り、趙広はここで敵をくいとめる。30名が指定の場所に移動したら、趙統は、趙広に合流し、罠に敵を誘い出す。これが馬謖の作戦だ。しばらく待つと敵の声が聞こえた。
「敵だ。敵襲だ」
「逃げるぞ。追え~」
趙統は、必死で登る。敵は大軍だ。捕まったら一巻の終わりである。敵は鎧を着けているが、こちらは着けていない。今回は速度が必要なので、鎧は着けなかった。そのため速度が全然違う。あっという間に趙統は、味方の待つ所を通り過ぎる。趙広は頃合いを見計らって、敵を引き付ける。
「放て」
鋭い声を放つ。30名が一斉に矢を放つと、何名かの敵が倒れた。暗闇なので効率が悪い。2度矢を放つと、「いくぞ」と趙統が声を掛ける。30名は弓矢を置いて、趙統の後を追い走った。敵は、弓矢から逃れるために木陰にいたが、敵が去る気配を感じて登り始める。そこに趙広が飛び出し、敵を斬りつける。一人二人と兵士を倒した。しかし敵は大軍、続々と登ってくる。趙広が居る場所は、細道になっていて、両側が切り立っているため、ここを通らなければ上には行けなくなっている。いや、明るければ他にも登れそうなところはあるのだが、暗いために気付かないのでここを通らなければならない。どうしても、一対一になる。普段から、守備の稽古をしている趙広が、左手に盾を持ち、右手に剣を持って、負けないことに徹している。いわゆるカチカチである。5人目の兵士が倒されたときに、矢が飛んできた。それを盾で防ぐ。すると敵将の、「矢は放つな。生け捕りにしろ」という命令が聞こえてくる。もう、他の者は趙統とともに逃げ切っているだろう。敵将としては、趙広を捕らえて、話を聞きだすしかない。当然の命令だ。しかし、趙広にとってはありがたい命令である。殺しにくる攻撃と生け捕りにする攻撃とでは、鋭さが全然違ってくる。敵は、剣を持つものが前、槍を持つものが後ろという戦法で攻撃してくるが、普段の稽古よりも生ぬるい。余裕を持って、敵を撃退してゆく。すると次に飛び出してきたのは大男一人である。2mくらいはあろうか。両手で強大なハンマーを振りかざす。左手の盾でそれを受けたが、盾が曲がってしまい、腕が痺れた。凄い力である。すぐに新たな一撃が来る。後ろに下がってかわし、そのまま前に出て斬ろうとしたとき、通り過ぎたハンマーが予期していない方向に向きを変え、趙広を襲ってきた。慌てて剣で受けたが、衝撃で剣が弾き飛ばされ、1m先の地面に落ちる。すぐさま次のハンマーが来た。何とか盾で受け止めたが、そのまま後ろに吹っ飛ばされた。
(やられる)そう思ったときに、敵の額に矢が刺さっていた。
「大丈夫か、趙広」
趙統は、矢を乱射して、次々と敵を射倒していく。趙広は必死に兄の方へ走った。一本道の障害が無くなった敵の大軍は、喚声を上げながら追いかけてくる。二人は必死で道を引き返し自陣に向かう。もう、攻撃する気は無い。追いつかれたら、抗うすべは無い。しかも、趙広のスピードが上がらない。さっきのダメージが残っているのだろう。少し眩暈がしているようだ。
「趙広、頑張れ。もう少しだ」
趙広が歯をくいしばって、懸命に走る。その時、どこからか「放て」という大声が聞こえた。大量の矢が飛び立つ音がして、魏軍が大量に倒れる。
「敵は乱れたぞ。一人も生かして帰すな。かかれ~」という馬謖の声が聞こえる。その後、もの凄い鬨の声が響き渡る。
敵は明らかに怯んだ。
「敵には備えがあるぞ。退け~。全軍退却」
敵将が退却を命じる。その背中に、またしても大量の矢が降りかかる。魏軍はその日、大量の損害を出した。
一息つくと、趙兄弟は馬謖のもとを訪れた。
「危ないところでした。さっきの鬨の声は?何万の声にも聞こえましたが?」
馬謖は、朗らかに笑って、
「そうでしょう。ここでは、決まった場所から音を出すと反響します。また、所々に工夫をして、さらに音を大きくさせる細工をしておきました。これならば、大軍がこちらにいると思わせられたでしょう。また、あの大量の矢です。木にくくりつけているために向きは変えられませんが、目の前に敵がいれば威力を発揮します。お二人には、本当に苦労をかけました」馬謖が慇懃に頭を下げる。
今回の馬謖の作戦は、趙兄弟を囮にして、敵を弓矢の前に立たせ射殺し、鬨の声を聞かせて戻った兵士から敵の大将司馬懿にこのことが大きく伝わることを期待したものであった。思惑通りにことが進み、馬謖は大得意である。趙兄弟も、なんて頭の良い人なのだと尊敬の念を持った。蜀軍は、疫病がはやらないように死体を回収し始めた。
当然、このことは司馬懿に伝わった。損害を数えてみると、千人以上である。しかし、水は奪われてはいないという報告を聞き、やれやれ危なかったがまずは良かったと思った。まだまだ血気盛んな敵の様子に司馬懿は持ち場を離れず水を絶ち弱らせるという命令を再び発した。
次回は「解放」です。楽しみにしていてくれたら嬉しいです。では!




