2話-人間軍-
少女の名を聞くと、ラースの脳裏がうずいた。
どこかで似た名前を…。しかし思い出すことが出来ない。
辺りの森林はやけに静かだ。
実験体確保の為、動物には賞金がかけられている。
それが原因で、ランのように捕らえられる野生生物は後を絶たない。
また、実験にも相性があるようで、霊長類を除く哺乳類は特に狙われやすい。
対象外とされた数少ない種族の生物たちが、森の中で暮らしている。
くんくん。ラースによじ登り、しきりに匂いを嗅ぐラン。
彼の軍服から、美味しそうな匂いが漂う。
するとラースは、腰につけた黒色のポシェットの中から肉の干物を取り出した。
「これ、食うか?」
「うん!ありがと!」
ランは嬉しそうに鳴いた。光に照らされた瞳が橙色に輝く。
よほど空腹だったのか、無我夢中で硬い干物にかぶり付いている。
生後半年にも満たない小柄な身体で懸命に生きる姿。
自分にも、こんな頃があったのだろうな。
何度も思い出そうと試みたが、駄目だった。
固く閉ざされた記憶。
ラースは一部の記憶を一切思い出す事が出来ない。
左側の胸ポケットに付けられた母国の紋章に手を当て、静かに目を閉じる。
まだ計画が始動して間もない頃の話。
HA生命体は実験後すぐ、奴隷として労働の義務が科せられる。
労働環境は非常に醜悪で、多くが過労死、病死、餓死など、悲痛な最期を遂げる。
まさしく使い捨ての大量生産品である。
当然、逃げ出す者も数えきれない。
見つかった者は反逆罪で処刑される。
そんな中、逃げ切った者たちが遠く遠く離れた、大陸へ辿り着いた。
世界統一戦争により汚染され、人間に捨てられた地。
唯一人間の手が届く事の無いこの場所は、彼らにとっては楽園であった。
彼らはその地に住み着き、文明を持ち、やがて軍を結成し、人間に対抗し得る脅威にまで発展した。
一方人間もこの事態を踏まえ、人間軍として軍を再結成。
現在この世界は、人間軍とHA生命体の軍による冷戦状態にある。
ラース・ウィングは軍に所属し、ある目的の為にこの地で旅をしている狼のHA生命体である。
<<ターンッ!!!>>
大きな銃声と共に、近くの樹木の皮が砕け散る。狙撃銃だ。
とっさにランを抱きかかえ、身を伏せる。
辺りの音に全神経を集中させ、息を潜めた。
腕の中で怯えるランの身体の振動が伝わってくる。
先ほどの子供が軍に通報したのだろう。ラースの額から冷や汗が流れ落ちた。
このまま見つかれば二人の命は無い。
ラースは思いきり歯を食いしばって立ち上がり、全力で走り出した。
「いたぞ!撃て!」
<<タンッ!タタタッ!>>
無数の銃弾が飛び交う中、目視できない程の速さで銃弾を避ける。
「逃がすな!」
無数の銃声が森の中に鳴り響く。しかし、人間離れした瞬発力の前には無力だった。
ラースは森の奥へ姿を消した。
辺りに静けさが戻ると、武装した数人の人間軍が周辺を見渡す。
湿地帯の湿った地面にうっすら残る靴跡。
<<ブロロロロ…>>
人間軍の乗った軍用車が、森の中を走り抜けた。