17話-変異細胞-
突然の怒号に辺りは騒然となった。
警備員が市民を屋外へ避難させる中、イルとラースが睨み合う。
使用人の男たちが静かにその場から離れ、ロビーに残ったのは二人のみとなった。
異常な程のスピードで乗り込んで来たラースに対して、一切動じる素振りを見せないイル。
これもまた想定内という事か。
まるで少女とは思えない落ち着き様に、総長の風格を感じざる終えない。
「早かったわね。」
イルが静かにフードを脱ぐ。その姿があらわになる。
ラースは驚いた。
少女は白猫の擬人。
ランの特徴である前髪の中央から上に飛び跳ねる癖毛は無いものの、見た目はランと瓜二つ。
冷静沈着な表情に残るあどけなさ。右目は橙色。左目は黄色く反射する。オッドアイだ。
白く長い尻尾の先端に金色のリングを装着している。
細かい模様が彫られたリング。中央の窪みには青黒い半透明の球体が埋め込まれている。
イルがゆっくり階段を昇り始める。
「あの狐、反逆罪で処罰しても良かったんだけど。一つ、質問いいかしら?」
二階の踊り場の手すりに寄りかかり、ラースを見下ろす。
歯を食いしばり、イルを睨む。
「"貴方達"は、天使に何を望む?」
「…世界を救う。」
人間は世界を支配し、命を私利私欲の為に利用する害悪。
長年多くの擬人が苦しみ、命を落としてきた。
憎しみを生み続ける世界に、唯一照らす光。
母国は総力をあげて行方を追っている。
人間の支配から世界を救う。ラースはその志を胸に軍服を羽織った。
「そう…。そっちの世界はそうなってるのね。」
小さな声で呟くイル。
尻尾のリング。その窪みの中の球体が青白く強弱しながら発光し始めた。
心なしか寒気がする。室内が冷えてきたのだろうか。
ラースの身体が一瞬、身震いした。
吐く息が白い。
「"貴方達"にその天使を"扱える"かしら?」
次の瞬間、
<<カチカチカチ…!>>
周辺の床や壁が白く変色し始め、冷気が漂う。霜だ。
「変異細胞。HA計画により手に入れた力。」
<<キィーッ…>>
ラースを刺激する微かな耳鳴り。
球体が更に強く発光する。
イルが左手を前にかざすと、突如、何もない空気中から水蒸気が発生。
続けて水蒸気は渦を巻いて集合し、水玉となる。
手を水玉の中に入れて強く握りしめた途端、水玉の形が氷柱のように細長く変異。
そのまま一振りして空を切ると、余分な氷が剥がれ落ち氷の短剣が精製された。
階段を下り、ラースの目の前に立つイル。
身構えたラースが周辺の異変に気付いた。寒い。
周囲の温度が極端に低い。
呼吸をする度、胸が痛む。身体が凍り付きそうだ。
ラースは耐え切れず跪く。
視界が暗くなり、意識が遠くなる。
その場に倒れ、応答が無い。気を失ったようだ。