8-0.局長室にて
第8章 『新米農家、王と呼ばれる』 が始まります。
この章で物語は一区切りになります。
取り付けられたドアノッカーを使い、木でできた重厚な扉を叩き、名を名乗る。
「広域自治管理局統括管理部長のシュンスケ=サイト―でございます」
その挨拶に対して少しの間を置いて、入れ、という言葉が返ってくる。その言葉を受けて重い扉を開くと広い部屋が広がる。
余程の事情が無ければ、局長室に入ることは無い。局長は二界においてはナンバー2の役職なのだ。高級そうなカーペットの先には、高級感の漂う木製のデスクがあり、その向こうにはスリーピースのスーツを着た白髪の混じった鬼人の男が座る。髪をしっかりと分けて、鼻の下にひげを生やしている。
「君が上げた稟議のことだ」
手元にある書類の束を人差し指と中指で叩く。そんな何ということも無い動作であっても、その動きには一切の無駄が感じられない。油断というものを全てそぎ落として生きてきたような隙の無さだ。
「稟議事項は理解した。手短にその意義を説明したまえ」
この男の名はシン=マクベス。中央の官僚機構において保守本流と呼ばれ、堅実な仕事ぶりで知られる。マクベスは長い時間をかけてこの地位を得たと噂されている。局長級以上の人事は統括官の裁量次第だ。したがって、統括官の目に留まれば、あっという間に出世する者も多い。しかし、そういう勢いでのし上がった者は周囲に足を掬われるようで短命なようだ。それに比べて、この男はどっしりと地面に根を張っているようだ。事実、この男の局長としてのキャリアは200年を超えるという。
出世が遅れた理由について、保守的すぎる考え方が統括官に受け入れられなかったのではないか、と噂されることも多い。
しかし、シュンスケは知っている。この男は決して保守の塊では無いことを。むしろ、その革新的な考え方が、統括官の反感を買ったのではないか、と読んでいた。転生者管理局にいたころ、サトルへの接触のきっかけとなる稟議を承認したのは、他でもないこの男だからだ。元々、危険人物と見なされる人間ならつゆ知らず、あのような善良な活動を行っている者に対して攻撃的な接触を取る必要などない。
それでも、要経過観察者でありながら農家という役職が割り当てられた特異性をシュンスケが説いたところ、最終的には承認を出した。つまり、例外的な対応を取ったとしても早い段階で危険の種を見極めるべきだ、と判断したということだ。
その時に思った。この男は例外を好まぬのではなく、メリットとデメリットを天秤にかけ、冷静に判断を下しているのだ、と。革新的な提案というのは、概ね、期待できる効果に対してリスクが高すぎる。だから、この男はそうした革新的意見を却下し続けてきたのだろう。しかし、見返りもしくはリスクに対して、その行動を取ることの損失が限定的であれば必ずその選択をする。
「デメリットに書いてあるが、本件は不確実性が高い。この点にはどのように対処するのだ」
すでに稟議書の内容を読み込んだであろうこの男は、判断に必要な最低限の質問だけをする。もしも内容に納得していなければ、このような時間すら取られずに却下されるのだ。それでも、シュンスケの意見は通っている方だった。マクベスが広域自治管理局に異動になったタイミングで、この男がシュンスケのことを部長格に昇格させたのだろうとみている。とは言え、油断は出来ない。
「そうせざるを得ない状況に追い込みます。具体的には……」
シュンスケは用意していた腹案を述べる。それは、想定していた質問だった。スムーズに、かつ無駄が無いように回答する。そして、最後に自分の覚悟の度合いを表すための一言を添える。
「仮に上手く行かなかった場合は私を越権行為で処分して頂いて構いません」
その言葉には返事が無かった。この男に対しては覚悟を見せたところで意味など無いだろう。ただし、それだけ綿密に計画を練っていることは伝わったはずだ。ここで揺らぐ程度の確信なのであれば、この男は何か欠点があるはずだ、と考える。
「では、最後に問う」
そして少し間を空けた。そのわずかな間であっても、この男がシュンスケを見つめる目線はこちらの体を貫くのではないかと思うほど鋭いものだった。
「そもそも、現在の農業のあり方は中央の指導による農業政策の結果だ。その点はどのように考えている」
そんな話は聞いたことが無い。さすがのシュンスケであっても、これには驚きを隠せなかった。しかし、そんな動揺は見せないようにしながら、シュンスケは慎重に、しかし、間を開けないように答える。
「二界では現在の12州における統治体制が始まってから長い期間が経っております。多くの州では農作物の供給が不足している現状もあり、現状維持の限界が見えております。ここで動かねば、二界は徐々に蝕まれていくでしょう」
この男には嘘やごまかしは通用しない。思ったことを質問に反さぬように答える。
その言葉を聞いて、マクベスはシュンスケを真っ直ぐに睨みつける。その視線に恐ろしいほどの圧力を覚える。シュンスケは思わずたじろぎそうになるのをこらえながら、マクベスをまっすぐに見返す。
バンッ。
シュンスケには長い時間に感じだが、実際にはほんの一瞬だったであろう緊張の時を切り裂くように、マクベスの手が動き、決済の判が押された。
「下がれ」
その言葉に深く頭を下げ、部屋を退出する。
今回の案件は大きな賭けだ。そして、絶対に失敗は許されない。