7-10.鬼教官
あと3話で7章が終了です。
ここからの3話は、ほのぼの日常回になります。
「お師匠様、おはようございます」
朝起きてログハウスに向かうと、小柄な女の子が声を掛けてくる。朝ご飯を用意してくれているようで、キッチンの方にその姿が見える。一瞬、ミナミちゃんと間違えそうになるのだが、ミナミちゃんの方が、背が低いし、見た目が幼いのですぐに分かる。あれはハルだ。
「あ、えっと、おはよう」
こんな調子で最初の頃はどうしても慣れなかった。ぎこちなさが抜けず、リアクションするたびに一呼吸おいてしまっていたのだ。しかし、そんなぎこちない期間は長くは続かず、今となってはこちらの姿が普通になっている。なんせ、中身は今まで通りのハルだったのだから。
ただ、いつかサマリネさんに指摘されたように、もしかしたら俺は女性慣れしていなかったのかもしれない。ハルが女の子だと分かって妙に意識してしまう部分があった。
そんな人の姿がすっかり定着したハルだったのだが、なぜか戦闘するときはカッパの姿に戻ってしまうようだ。この前のミスカの話を踏まえると、前世では戦闘の経験が無いから、戦う時のイメージがカッパで定着しているんじゃないだろうか。そう農園のメンバーの中では結論付けられていた。
それに加えて、ミスカの存在は存分に農園の日々をかき乱していた。もちろんいい意味でと言いたいところなのだが、巻き込まれた本人にとっては悪い意味でだ。
ドビーと俺は飛行の稽古を付けて貰おうと農作業の合間の時間を見つけて、ミスカに指南をお願いしたところ快く承諾をしてくれた。そこまでは良かった。内心ガッツポーズしたくらいだ。
しかし——
「良い? あなたが空を飛んでいるイメージをしっかり持って。はい!」
「はい?」 そんな指導とも言えないような言葉に思わず聞き返す。
「もう一回いうわね。空を飛んでいるイメージをしっかり持って。はい!」
ドビーはこんなタイミングで強き者には従うというダボリス州の思想が発揮されたのか、目をつむって集中している様子だった。しかし——
「わあああ!」
そんな変な声を上げながら、ドビーはロケットのごとく空高くまで飛んでいく。そんな様子を呆然と見つめていると、ミスカは悠々とそれを追いかけるように飛んで行った。その姿はくるくる回りながら飛んでいく無様なドビーの様子とは全く違い、優雅さを感じさせるものだった。そして、そんな圧倒的な余裕を見せるミスカがドビーの高度に追いついたと思うと、ドビーはものすごい勢いで落下し始めた。ミスカが何かをしたのだろうか?
「うおおお!」
さらに変な声を上げながら落下してくる。このままだとやばいと思い、と俺はドビーに重力操作を掛けようとしたのだが、それに先回りするようにミスカはドビーの落下地点まで降りてくると、ドビーをピタリと止めた。
「あら、寝てしまったようね」
ドビーは泡を吹いて白目をむいている。いや、それは気絶と言うんです、ミスカ先生。
「さあ、次はあなたの番ね。はい!」
その言葉は死刑宣告に等しかった。多分顔が引きつっていたと思うけれど、ミスカはそんなことに気を使うことも無く俺が動くのを待っている。指南をお願いした手前断ることが出来ずに、ドビーと同じ道を辿ることになった。そして、俺は硬い地面の上で目覚めることになる。
そんな命がけの訓練をしていく中で何とか空を浮遊できるようになった。しかし、飛べるようになってからはもっと厳しい指導が待っていた。
「サトル、ドビー、ちゃんと集中しないと落下死するわよ。まだ、1時間しかやっていないじゃない。集中しなさい!」
「あ、やばい、俺魔力切れで落下しそうっす。今までお世話になりました」
「ドビー! 集中が切れたら死ぬぞ。頑張れ」
そう。ミスカはスパルタの鬼教官だった。というより、自分が出来るから人に優しくできないタイプだ。出来ないなんてことは微塵も考えていないから、どれだけ無理難題を押し付けても大丈夫だと考えているのだろう。そもそも、こんなに魔力を消費する行動を1時間も続けさせるなんてどうかしている。
一応浮遊こそしているが、俺とドビーの空中浮遊は全く安定感が無く、気を抜くとすぐに落下したり上昇したりするので、不快なことこの上ない。風に飛ばされた紙をイメージして、それを俺やドビーに置き換えて貰えば良いと思う。正直に言えば馬での移動が恋しくて仕方なくなっていた。
ところが、一緒に訓練を受け始めたミナミちゃんはミスカの後ろを悠々と付いて行く。ミナミちゃんの魔力が強いことは知っていたけれど、ここまでの逸材とは思っていなかった。もしかしたら、ミナミちゃんの若さゆえの柔軟さがそうさせているのかもしれない。
「ミスカ! さすがに俺らは限界だから降りるよ」
そう悲鳴を上げるように宣言すると、ドビーと俺は少しずつ高度を下げる。しかし、挙動が安定せず上下に大きく乱高下しながらの落下になった。その結果、最後は地面に叩きつけられる結果になった。命が失われるほどではないが、かなり体力が奪われるのを感じる。
「いって…」
「うっ」
打ち付けられた衝撃に思わずうめき声が出る。そんな無様な様子を見下ろしながらミスカはこちらにふわふわ浮かびながらやってくる。
「あらら。ミナミちゃんも出来ているのにあなたたちは中々上達しないわね。いい? ちゃんと飛んでいる姿をイメージするの。はい!」
いや、無理だって!
そもそも空中を悠々と飛ぶ姿がどうしても想像できない。高度を上げるとどうしても恐怖から落下するイメージをしてしまうのだ。はるか下に見える草原は恐怖心を存分に掻き立ててくれた。すると、その想像を体現するように高度が一気に下がる。そこで、一生懸命宙に飛ばされるイメージをするのだが、今度は上に行き過ぎてしまう。ドビーも俺と同じような状況で、どちらも飛んでいるその姿は無様だった。
どうも、落下したら死ぬだ、重力の方向だ、風の影響だなどと考えているうちはダメなようだ。でも、落下死だと回復する余裕もなく消滅してしまうから、恐怖を無くせというのも無理な話だ。そこが戦闘との大きな違いだった。
そして、この飛行は何よりも消費する魔力がおかしい。あっという間に頭が疲れ果てたような感覚になる。これは魔力が切れた時の感覚だ。恐らく、消費魔力に関しては、余計なことを考えているからロスが多いのだろう。ミナミちゃんやミスカの姿を見ているとそのことが良く分かる。二人とも悠々と飛んでいる。そもそも、ミスカに至ってはブランドン州から飛んできているのだから、俺らと同じ消費量なわけはない。いや、それを超えるくらい魔力があるのか? そう考えると恐ろしすぎる。
地面に俺とドビーは並ぶように倒れていたのだが、ドビーが俺にしか聞こえない声で呟いた。
「俺、空飛べなくて良いや。誰にでも出来ないことってあるし。先生、頑張ってください」
そしてその直後、大きな声でミスカに話しかけた。
「ミスカ! サトル先生はもう少し頑張るらしいっすよ。俺は限界」
おい! さらっと俺の事売りやがったな。出来るだけ恨めしい目線でドビーを睨みつけるが、ドビーは大の字になって目をつむり、意地でも動かないという意思を全身で表現している。そんな様子を見て、ミスカはやれやれと首を振った後に、俺の方ににっこりと笑顔を見せてから言い放つ。それは、今の俺にとっては死刑宣告のようなものだ。
「さあ、続きをやるわよ」
そんな無慈悲なことを宣言するミスカを見て、いつかのカーミンさんの言葉を思い出す。
『全く、上司の体力が無尽蔵だと、一般人の部下には付いていくのが辛いです……』
ミスカが帰ると言うまでそんなスパルタ教育は続いた。正直に言えば、途中から早く帰ってくれと思い始めていたくらいだ。
□
そんな嵐のような日々が過ぎて少し経った頃、農園のメンバーを集めて、ログハウスで夏の収穫祭の準備をしていた。いつも通り、ミナミちゃんが宣伝をして色んな人を集めているようで、マルロがその予想される来客数に合わせて、農園に在庫として残しておく食材の量を調整しているようだ。今となっては、ダボリス州、ジャメナ州、ラニストル州の農園での栽培もあるので、そこも考慮に入れて対応しているようだった。より商流が複雑になる状況の中でも、てきぱきと作業するマルロはとても頼もしい。
ちなみに、今回は各州に農業支援に行っている関係で、ギルドのマナミを通じて各州のギルドのメンバーにも積極的に声を掛けているので、今までとは規模が段違いになる予定だ。とても楽しみな反面、とても不安でもある。農園の広さが足りないのだ。今までだってかなりぎりぎりだったのだ。しかし、マルロが準備している以上は大丈夫なのだろう。
農園で過ごす日々は長閑ではあったが、あっという間に過ぎていく。気付くと収穫祭の前日になっていた。