7-7.二界巡りⅤ(ダボリス州編)
カベルネの町を出てからコノスル州の穏やかな丘陵地帯が続いていたのだが、山脈の切れ目が見える地帯に差し掛かったころから、モンスターによる襲撃を受けるようになった。ちょうど、ラニストル州に抜ける街道の分岐点があった辺りだ。ヒューリックが言っていた通り、ラニストル州との州境地域にモンスターの出現場所があるようだ。そんな地域をモンスターを倒しながら進んでいくと、再び山脈が見えるようになり、次第にモンスターの出現も再び減少していった。
ダボリス州との州境に到着すると、見張塔の上に見慣れた女の子が立っているのが目に入る。
「あれって、ターニャだよね?」
「そうっすね」
「何でこんなところに?」
「え、分からないんですか?」
「え?」
ドビーはやれやれという表情をしている。いや、分からないわ。
ターニャは俺たちの姿を捉えると手を振って自分の存在をアピールしている。遠くから見ていると可愛んだけどね。話すと社長だからなあ。
俺たちが関所の近くまで近づくとターニャが梯子を下りてくるのが見える。門に着くころには、ターニャは入り口のところまで来ていた。
そこで、社長口調を予想していた俺は出鼻をくじかれる形になる。
「サトル。元気にしていたかしら?」
「え? ターニャ。話し方どうしたの?」
ターニャはその言葉に明らかに動揺した様子になり、心なしか顔も赤くなっている。いや、恥を覚えるべきはいつもの話し方だと思うんだけど。
「え! いや、何を変なことをいっているんだね、サトル君?」
あ、元に戻った。
「ええと。ごめん。気のせいだった」
「では、用意した馬車でアイドリエンに向かうとしよう!」
そう言って、先に止めてある馬車を指さす。そして思い出すように言った。
「お、ドビー君も久しぶりだな」
「俺はおまけですか」
コノスル州の州境からアイドリエンまでの道のりは馬車での移動、ということで、コノスル州の長旅を共にしてきた馬に別れを告げて、ダボリス州の街道を進んでいく。
馬車の中ではターニャにサミュエル州に帰ってからと今回の旅について質問攻めにされた。果てしなく続く質問攻めに、好奇心旺盛な子どもか、と思う。しかし、話し方は社長なのでどちからというと面接を受けているような気分になる。そのお陰で、アイドリエンに着くころにはへとへとになっていた。
「よく来たな、サトル」
ウェズリーは、久しぶりの再会に親しみを込めた声を掛けてくる。見た目の怖さは今となっては感じなくなっているが、今日は眼鏡を掛けていたこともあり、よりインテリヤクザ感が増していた。そんなウェズリーと簡単な挨拶を交わしていたのだが、少し経ったところで本題に戻るようにウェズリーが言う。
「ヴェリトナは応接室に通している。向かいの部屋だ」
そう言って、ギルド長室の向かいを指さす。言われたとおりに向かいの応接室に入るとそこにはヴェリトナがいた。元々ダボリス州出身の彼女は、背が低く、かわいらしい顔をした鬼人なのだが、強さこそが全てのダボリス州出身ということもあって豪快な話し方をする。ただし、 『強者による弱者の救済』 を教義に掲げる正教会という宗教団体に志願して所属していることを考えると、利他的な心の持ち主なのだろうと推測できる。
「サトル殿。収穫祭以来だな!」
「ええ。お久しぶりです」
「ラニストル州に案内できず、すまんな」 そう言って頭を下げる。 「ちょっと大きな案件があってな。今はギルドのメンバーが少ないのだ」
さて、というとヴェリトナは農業支援について話始める。地図を広げて農園の候補地をざっと説明し、担当者の人数などを説明してくれた。
「ところで、作業者は力の弱い者が多いが大丈夫だろうか。その点が一番気になっているのだが」
「ええ。その点は大丈夫かと思います。良ければ、ダボリス州のエリエンの村を見学してみてください」
「ああ、ウェズリーの許可が取れたら寄るとしよう」
そう言うとウェズリーの部屋へとそそくさと向かう。行動が早いな、と思っているとあっという間に応接室に戻ってきた。
「許可が取れた。明日向かうぞ」
「え、あ、分かりました」
そんな急展開に巻き込まれるように、翌日にはエリエンの村に向かうことになった。収穫祭以来のエリエンの村なのだが、あそこの村民たちはアイドリエンから来る鬼人達にひどく恐縮している様子なので、提案しておいて何なのだが、少し気が乗らない。しかし、そんな不安は思わぬ形で裏切られることになった。
エリエンの村に近づいていくと、村の周りが広く耕されているのが見えた。そこでは村人たちが畑を耕している。収穫の時期では無いので春に向けて準備を進めているということだと思うが、村人たちの表情は活き活きしているように見えた。このことについては、事前に連絡を受けていたので知っていたが、ここまであっという間に広がるとは思っていなかった。
そして、村に入ると想像を超えるような歓迎を受けた。
「達人の師匠が来たぞ!」
最初に声を上げたのは男の子だった。その一声を皮切りに、村人たちの視線がこちらに集まり、こちらに駆け寄ってきて、口々に挨拶をしてくるのが聞こえる。
「すごい人気だな」 ヴェリトナはそんな様子を見て面白そうに言う。
「いや、何が何だか分からないよ」
いや、何でこんなことになってるんだろう?
そして、村長の家に着くころには村人たちが集まりすぎて、軽い人だかりができていた。そんな大騒ぎの村長の家の近くには銅像が立っているのが見える。鍬を持った男の像だった。嫌な予感がしながらも近くに向かうと、プレートに 『農園の創始者 サトル』 というタイトルが書かれている。
いや、悪い意味で仕事が早いわ! すごく気まずいんだけど。
しかし、周囲はそんな本人の気持ちとは反対に盛り上がっている。
「銅像と本人が並ぶ日がこんなに早く来るなんて」
「感激です……」
そんな言葉に曖昧に笑顔を見せながら、村長の家に入っていく。村長は深くお辞儀をすると挨拶をしてくる。
「サトル殿、このような辺鄙なところまでよくぞいらっしゃいました」
年長者に丁寧に話しかけられるのは落ち着かない。しかし、過去の卑屈にも見えるほどの平身低頭した様子はすっかり無くなっていた。こちらをしっかりと見つめながら話をしてくる。
「サトル殿のお陰でエリエンの地の認知度が上がり、そして農園が出来たことで収入源が出来ました。今までは支援に頼って生きるだけの村でしたが、ダボリス州に貢献できるようになり村民も明るさを取り戻しましてな」
「お役に立てて、良かったです」
その言葉は心からの言葉だった。正直、ここまでいい影響を与えられるとは思っていなかった。しかし、エリエンの村の人たちにとっては大きな出来事だったようだ。村長は感謝と尊敬の念を込めて続けた。
「サトル殿はエリエンの村の英雄です」
「いやいや。やめてください」
しかし、そんな否定の言葉に意外なところから反応があった。
「そういう名声を受けるのも、また、他の者のためになる。ここは素直に受けておけ」
そう声を上げたのは、ヴェリトナだった。そして、正教会の上級宣教師とはかくや、ということを続けていった。
「良いか、英雄というのは人々の精神的な支柱だ。絶望や苦しみの中でも心の拠り所になるものがあれば、人は心が折れずに耐えられることもある。我ら、正教会が 『強者による弱者の救済』 という救済を教義として掲げ、その教義を信じる者たちが心の支えにするようにな」
「わたくしめには難しいことは分かりませぬが、村人にとってサトル殿は心の支えになっていることは事実でございまする」
そんな言葉に釈然とはしないままではあるが、エリエンの村人たちの呼称は素直に受け入れることにしようかな、と思った。その日はエリエンの村に泊まらせてもらったのだが、代わる代わる色々な村民がやって来ては俺の話を聞きいていた。最初は慣れなかったのだが、来る村人が一様に嬉しそうな表情をしているので、だんだんとこちらの気持ちも変わり、気が付くと村人の輪の中で自分が心から笑っていることに気付いた。そんな様子を遠くで眺めていたヴェリトナと目が合うと、彼女は満足そうに頷いた。
翌朝になり、村人たちに惜しまれながらエリエンの村を出る。村を出て少ししたころに、ヴェリトナがおもむろに話しはじめた。
「君は正教会の教義を地で言っているような男だな。正教会に来る気は無いか? 相応の待遇を用意することを約束するぞ」
「俺は美味しい野菜を作りたいだけなので。お誘いは嬉しいですが、お断りします」
「はっはっは」 ヴェリトナは豪快に笑う。 「そう言うと思った。だが、気が向いたらいつでも歓迎だ」
アイドリエンに戻るとドビーが帰りの準備をして待っていた。早く帰りたくて仕方がない様子だった。ダボリス州は故郷なんだからもう少しのんびりすれば良いのにと提案したのだが、それを固辞していた。しかも、ターニャが馬車で送ってくれると提案してくれたのに、自分たちで馬に乗って帰るから大丈夫だときっぱり断っていた。そんなドビーをターニャが恨めしそうに見ていた。そんなやり取りがあって、そのまま馬に乗ってアイドリエンを去ることになった。
これからサミュエル州に戻ると二界の2つある島のうちの一つ、タイラー島を一周回ったことになる。今回の旅は確かに長旅ではあったのだが、前世の世界の広さに比べると二界はかなりコンパクトだということを、身をもって感じた。
街道を生きながら、ドビーがため息をつく。どうしたのかと思ってドビーの方に耳を向けるとぼそっとドビーが言うのが聞こえる。
「早くのんびり農園ライフに戻りたい」
「ああ、そうだね」
恐らく独り言だったドビーのその言葉に相槌を打つ。さすがに俺も農園が恋しくなってきていたようで、自然に言葉が漏れてしまっていた。
さて、この島を回って分かったことがある。この世界に普通に転生してきた人は、ギルドに所属しない限りはこうして他の州を見る機会などないのだ。だからこそ、サミュエル州のギルドは、外の世界の情報を意図的に隠しているのだろう。それは、優しさゆえの隠蔽なのだ。そして、それを隠し通せるというのは強さなのだろうな、とも思う。
俺は、カッパ農園の主として、どういう風に振舞えば農園の皆のためになるのだろうか。そんなことを考えながら、ようやく次の目的地となった我が家に向かって馬を進めた。
「父上。この前の手紙、内容を書き換えたでしょうね?」
「そのまま出したぞ」
「ええ? 『娘の想い人』 だなんて訳の分からないことを書いたまま?」
「大丈夫だ。そんな野暮なことを言う奴じゃない」
「そういう問題じゃない!」