7-6.二界巡りⅣ(コノスル州編)
二界巡りは次で終わりです。その後は、農園回に移ります。
翌朝、日の光を浴びて目を開ける。ケビルソとの約束を思い出して飛び起きる。着替えを済ませて宿屋の一回に降りていくと、ケビルソはすでに食堂に来ていた。
「おはよう! よく眠れたかい」
「ああ」
「じゃあ、行こうか」
グルナッシュ山脈に向けて緩やかな坂を上っていくと、途中から葉の生えていない枝が広がりはじめた。どうも、葡萄畑のようだが、恐ろしく殺風景な光景だった。
「葡萄は挿し木といって、木の枝を地面に挿して増やしていくんだ」
「へえ。うちでも出来るかな?」
「どうだろうね。環境さえ合えば大丈夫じゃないか?」
そんな殺風景な葡萄畑を更に進むと、正面に小屋が見えてきた。そこがケビルソの家のようだ。小屋に着くと椅子をすすめてくれる。ケビルソは自分は座る素振りを見せずに言う。
「そうだ。挿し木用の枝を持ってくるから少し待っていて貰えるかい?」
「冗談だったのに。良いの?」
「ああ、いいさ。おいらはサトルと同じような考え方を持っている。良い物は広めた方が良い。多くの人がそれを楽しめるようにね」
「今度、代わりに野菜の種を持ってくるよ」
「ああ。楽しみにしてる」
そう言うと、ドビーは小屋を出ていった。葡萄畑を眺めようと窓の方に向かう。窓の外には葡萄畑が広がっているが、葉のついていない葡萄の木が連なる姿は寂しさを感じさせる。きっと春から夏にかけて葉をつけて栄養を蓄え、葡萄が実っていくのだろう。ふと、下に目を向けると手紙のようなものが目に入る。窓際に置かれた机に置かれていたのだが、丸めた書簡の一部が開いてしまっている。
<中央の独裁政治を終焉させ、透明な民主主義政治を実現せん>
そこに書かれた文字を目で自然に追ってしまう。中央への明らかな敵意が感じられる言葉に、人の手紙を盗み見るものじゃないという感情とは裏腹に、釘づけにされた目線を外せずに固まる。
民主主義……?
ケビルソ、もしかして反体制派なのか?
人の手紙を見てしまったバツの悪さと、友人が反体制派かもしれないという不安に苛まれながら、そっと窓から離れて元いたテーブルに向かう。
少しすると布でくるんだ何かを持ったケビルソが帰ってきた。こちらの気持ちはつゆ知らずという様子で明るく声を掛けてくる。
「湿らせた布でくるんでおけば大丈夫だと思うけど……おいらも挿し木を移動させるのは初めてだからうまくいかなかったらごめんな」
「あ、ああ。ありがとう。土に挿しておけばいいんだよね」
「あとでやり方を説明するよ」
その日は挿し木のやり方を教えて貰ったり、葡萄畑を見せてもらったりしたのだが、内容がどうしても頭に入ってこなかった。
「ところで、サトルにあってもらいたい人がいるんだ。明後日は空いているかい?」
「ああ。空いているよ。朝で大丈夫かい?」
帰り際にそんな約束を取り付けるとケビルソは葡萄畑に帰っていった。
□
翌日、ヒューリックとの約束の時間にギルド支部へと向かう。ギルド支部に入ってすぐの共有のホールにはケビルソがいた。
「おはよう。サトル、昨日来た時においらの部屋をいじったりしたかい?」
昨日の手紙のことか? いや、触れてもいないのだからケビルソには確信はなく、鎌をかけているだけだろうと結論付ける。
「いや、何もしていないよ。急にどうしたの?」
「あ、え、いや。良いんだ。物を無くしちゃったからさ」
「真っ先に友人を疑うなよ」 出来るだけ冗談めかして言う。
「悪い悪い。あ、ワインを渡そうと思ってきたんだよ。」
バツの悪そうな表情をしながら、ボトルを2本渡してくれた。とてもありがたいんだけれど、これから農場の視察をする立場としてはワインを持っていくのは邪魔だったのでギルドに置かせてもらうことにした。しかし、咄嗟に隠してしまったけれど、別に見たと言っても良かったのかもしれない。でも、もしそうなると万が一ケビルソが本当に反体制派だった時に巻き込まれるんじゃないか、という保身が先に出たのだ。
少しするとヒューリックがやってきて農園の候補地に案内するから付いて来るように言われた。それに従ってギルド支部を出る。
「このような形で、希望した村に展開していこうと思っております。漁村以外の村からは好意的な反応を貰っていますよ」
ヒューリックは農園の候補地を案内しながらそう言っていた。ダボリス州やジャメナ州とは違い、小規模な農園を複数個所に設置するという方向で考えているようだ。狩猟や林業、あるいはワイン農家が兼業でやる形を考えているようだ。
土地も見てみたが、コノスル州は特に野菜の育成上は問題なさそうだ。
「それでは予定通りダボリス州から鬼人を派遣します。ただ、複数個所を同時にというのは難しいので、どこかのタイミングで希望者を集めて説明する形にしても大丈夫でしょうか」
「もちろんですとも。予定が固まったらご連絡ください」
「それでは、後日、書簡をお送りいたします」
そんな約束を取り付けると、再びカベルネの町へと戻っていった。
□
翌日、ケビルソに案内されて、この地域の占い師のムルという人に会った。二界の過去について聞いてみるように言われた。ケビルソには何か意図があるのだろうけれど、先日の手紙があった手前、少し警戒をしてしまう。
目的地は運河の真横の建物だった。その建物に入ると部屋の中の半分ほどまで運河が入り込んでいたのだが、その水には老齢の人魚が佇んでいた。部屋には一人で入るように言われていたので、老年の人魚に向かって歩いていくと、向こうから話しかけてくる。
「どうも、おいはこの近くの転生地で占い師をしているものでごわす」
え? 何その話し方。
「貴殿がサトル殿でござるか? ケビルソ殿からは聞いておったが、他州から来た人が来るなんてめずらしいでごわすな」
「ええ」
「して、ご質問とは?」
その言葉に、改めて向き直って答える。
「昔の話を聞きたいと思っています」
「それは話せないでごわす」
「え?」
思わず気の抜けた言葉が出てしまった。ケビルソに言われたから何らかの話を聞けるものと思っていた。その予想に反するリアクションに気まずい沈黙がその場を支配する。気まずさを紛らわせるために、他の質問をすることにした。
「占い師って、どうやって職業を占うんでしょうか」
「ぼんやりはしておりますが、転生者の情報が分かるのでごわす」
その後も、占い師の仕事について当たり障りのない質疑応答を繰り返し、タイミングを見て別れの挨拶をする。占い師は、近くにやってくる転生者の情報を何となく把握することが出来るようだ。職業やざっくりした特性などが分かり、占い師の腕前によって把握できる情報量が変わるとのことだった。
そんな情報にお礼を言いながら部屋を出ようとすると、ムルは意味深な言葉を掛けてきた。
「サトル殿、一つだけ申し上げよう。この件には深入りせぬように気を付けられよ」
「え?」
しかし、それに返答する前にムルは運河の中に潜っていってしまった。結局、釈然としない気持ちの中で建物を出るとケビルソがそこにいた。こちらの姿を見るや声を掛けてくる。
「何も話してくれなかったんじゃないか? おいらの時もそうだったよ」
「ああ。残念ながら何も教えてくれなかった」
「気にならないか? 過去に何があったのか。口止めでもされているのかな?」
「そうだな……」
ケビルソ、何で俺とムルを引き合わせたんだ? もやもやした気持ちを心に秘めながらも出来るだけ平静を装って答える。
どことなく心に不穏さを感じながら宿に戻る。宿に戻るとドビーが食堂に座っている。こちらを見ると俺に声を掛けてきた。その言葉に応じるように近くの席に座る。
「どうした?」
「そろそろ次の場所に行きましょう。正直長旅で疲れてきました。早く、戻ってのんびり農園ライフに戻りたいんす」
「そうだね。明日出発しようか」
「サトルさん、様子が変ですけど大丈夫すか?」
「ああ。大丈夫だよ」
その言葉に一瞬訝しそうな表情を浮かべたが、再び食事と晩酌に集中を切り替えたようだった。俺も一緒に食べることにした。簡単にコノスル州での農業支援の方針を話す。ドビーは面倒くさそうに、それでもしっかりと話を聞いてくれていた。
翌日、出発の準備をしていると、ギルドから使いがやってきた。ラニストル州から俺宛に手紙が届いたようで、それを渡しに来てくれたということのようだ。
それは、ラニストル州の上級宣教師のヴェリトナからの手紙だった。上級宣教師は正教会の本拠地があるラニストル州では、師団長にあたる人だ。正確には正教会そのものがギルドなので、正教会の役職をギルドに置き換えた場合の地位ということになる。今回の協定の責任者はヴェリトナになっているので、ヴェリトナから手紙が来たのだろうが、その内容はえらく簡潔なものだった。
<すまない。今はギルドが対応できる状態では無い。故に、ラニストル州への立ち寄りは不要。ダボリス州で落ち合おう>
元々はダボリス州の出身の鬼人なので、ダボリス州を指定したのだろうか。本当は候補地を見ておきたかったのだが仕方がない。目的地をラニストル州からダボリス州に変更して旅を再開することにした。
「また、いつでも来てください」
去り際にヒューリックはそう別れの挨拶をした。それに感謝の気持ちを伝えて応じると馬を走らせる。来る時と同じように丘陵地帯をずっと広がっていた。しかし、ジャメナ州からカベルネまでの道は草原を切り開いただけの道だったが、カベルネからダボリス州に向かう道は街道が整備されているようだ。そのため、馬での旅の速度は格段に上がった。
「ねえ、反体制派だと中央に認定されるとどうなるの?」
「どうしたんですか?」 急な質問に驚いたような表情を浮かべている。 「俺は見たことがありませんけど、中央区に連れていかれるらしいっすよ。その後帰ってくる人はいないとか」
「そっか……」
友人への心配を胸に抱えながら、遠くに広がる海を眺める。カベルネまでの道と同じように美しい景色のはずなのに、胸に掛かったモヤのせいで今は色あせて見えた。
「先生、反体制派活動をするなら早めに言ってくださいね。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんなんで、里帰りするんで」
暗い俺の様子を見て、ドビーなりに茶化してくれたのだろう。いつになく明るい口調で話しかけてきた。気を使わせてしまったようだ。
「いや、その時は一蓮托生だな」
「うわー、面倒くさ」
最後の一言はいつも通りのドビーの口調だった。少し気分が晴れたところで、前を向いて街道を進んでいく。次の宿屋の食事も美味しいと良いな、とそんなことを考えながら。