1-4.残念なメンター
農家って。わざわざ転生してきて農業って。
いや、期待しちゃいけないって分かっていたよ。こういう経験って前世でも嫌というほどしたと思う。期待はたいてい裏切られるから恐ろしい。改めて胸に刻もう――
過度な期待はするべからず、だ。
落ち込んでいる様子が伝わったのだろうか。ナオがなだめるような声で話しかけてくる。
「まあ、この世界にいる人間のほとんどが転生者で構成されているから、いろんな職業の人がいて当然よ。別にその職業以外の仕事をしても問題ないから。あくまでも適正検査みたいなものよ。」
「ほとんど……転生者……のみ?」
励ましの言葉の中に、聞き捨てらなない言葉があった。
「あ、ジャック! あなた肝心なところを伝え忘れてたわね。マニュアルで伝えることに、第二階層は転生者による世界であることが書いてあるはずよ」
「転生者による世界……?」
いや、そんなことは聞いてない。
「お、確かに説明していないな。だってよ。マニュアルが長いから忘れちまってたわ」
おい、それは重要な情報だろ! てっきり自分が特別なのかと少し勘違いしたわ。余計なことを話さなくてよかった。
ただ、マニュアルが冗長で読むに堪えないものというのは自分の経験にも刻まれている。大抵は責任回避のために全ての情報を詰め込んだ結果、文書が長くなりすぎてそうなると記憶している。この点はジャックに少し同情する。
「いや、たった10ページのマニュアルじゃない。しかも、肝心な部分は最初の3ページ。あとは、異常事態が発生したときに対処するためのQ&Aよ。しかも、そのQ&Aの5割はあなたが転生してきたときに起こした異常行動によるものでしょ」
前言撤回だ。それだけにまとめているのは非常に優秀なマニュアルだと思われる。3ページくらいは読めよ。あと、かなりの部分がジャックのせいで作られたようだ。こいつ問題児っぽいな。
「ギルドとしては、導入ガイダンスの標準化と不安に陥った転生者が暴れることのリスク回避のために、長年の経験をマニュアルにまとめているのよ。それを守らないというのはギルドのメンバーとして許されないわ」
「だったら分かるようなマニュアルを作れよ」 ジャックは右の手でマニュアルをズボンの背中の間から取り出し、それを左手で叩きながら続ける。「こんな文書にされても頭に入ってくるわけがない」
しかし、標準化だのリスク回避だの、なんだか会社での会話みたいだな。この世界の雰囲気に馴染まな過ぎるよ。ジャックの導入ガイダンスの内容に不安を覚えた俺は、マニュアルを自分で読むことにした。
「ジャック、悪いけどマニュアルを貸してくれないか?」
「おう」
ジャックはマニュアルと呼ばれる紙の束を渡す。紙は羊皮紙というのだろうか。前世でよく見た白く薄い紙ではなく、一枚一枚、職人が作ったような分厚いものだ。こういうところはファンタジーな設定なのね。そこに、几帳面な文字で 『転生者受入れ時 導入マニュアル』 と書いてある。うん、タイトルにはファンタジーさの欠片もないな。
2ページ目には――
<目次>
1.マニュアルの目的
2.導入時の環境について
3.導入時に説明すべきこと
4.Q&A
丁寧に目次までついている。そして、マニュアルの本文は非常に分かりやすく記載されていた。特に重要と思われる『導入時に説明するべきこと』の内容は次のものだった。ところで、なあ、結構大切な情報が抜けているよ。
・この世界は前世である地球とは異なる場所に存在し、第二階層(通称、二階)と呼ばれている。二階の人間は、ほぼ転生者で構成されている。(みんな、一緒だよ!)
・転生の条件は詳しく分からないが、前世で亡くなった後に世界に転生すると広く知られている。概 ね、転生者には良心的な人間が多いことから、前世では社会に広く認められる行動を取った人間が多い と推測されている。(だから、安全だよ!)
・転生時に前世の記憶は無くなるが、知識や経験は残っているため、普通に生活は出来る。(つまり、楽 だよ!)
・この世界には寿命という概念がなく、原則として永久に生が続く。この世界では、人間は繁殖することはない。一人一人が長命であることから、人口が増加することに意味がないためと考えられている。(そして、死なないよ!)
・この世界に慣れるまでは、メンターが世話を焼くことになっている。(だから、やっぱり安心だよ!)
几帳面な文字の後に丸文字が書かれている。どうも書いた人が別のようだが、丸文字の安心や安全を押し出そうという意気込みが強すぎて、変な宗教感が出ている。ただ、内容はとても端的で分かりやすいものだった。
また、導入時の環境については、人間が安心できる環境でうさぎというファンタジーでも頻繁に登場するキャラクターに説明させることで警戒心を解く目的がある。
どうも転生先は特別な空間が指定されるようで、担当するギルドの人間のみがそこへの移動手段を持つことができるらしい。
また、その環境は受け入れの担当者が決めることができるようだ。例えば――
「私が転生してきたときは、真っ白な部屋に椅子と机が置かれていたわね」 とのこと。なるほど、確かに余計な視覚情報が無いほうが良いという考え方もありうると思う。 「ただ、やはり自然の中というのが、転生者を安心させる効果があることが経験上分かったの。それで今はこのような環境で受け入れることにしているわ」
「俺が転生してきた時も、同じような環境だったぜ。サトルみたいに大人していなかったけどな!」
ジャックはそんな自慢にもならないことを偉そうに言っている。そして、それを証明するように、最後のQ&Aセッションは見るに堪えない内容になっていた。
例えば、転生者が突然全裸になって草原を駆け巡りはじめたときの対処法、転生者が説明の途中で立ち小便を始めた場合の対処法などだ。この辺りを読んでいるときに、ふとナオの方を向くと何も言わずに首を縦に振った。
俺はだいぶ残念なメンターをもってしまったようだ。