4-2.試飲会に向けて
今、手の中にはイーストの入った袋がある。これを麦汁に入れれば、その麦汁に含まれる糖分が分解され、アルコールに変わり、ビールが出来上がる。
ハル、ミナミちゃん、マルロの3人がその様子を、固唾を飲んで見守っている。
「よし、入れるよ!」
■■
王都から帰ってきた翌日、朝早く起きた俺は、今日の騒動を防ぐために森の小道を抜けて、街道から森の小道に入る道に看板を立ててきた。
<農園での直販は致しません。バーニャの市場でご購入下さい>
毎日あんな騒動になったら大変だからね。
そんな大切な用事を済ませた後、農園に帰ってくるとハルが起きてきていた。
「お師匠様、おはようございます!」
「おはよう!」
「今日はどうしましょうか? 王都の旅でお疲れでしたら休んでいても大丈夫ですよ」
「いや、大丈夫だよ。昨日はぐっすり眠れて、ばっちり回復したから。それより、麦芽ってどうなってるかな?」
「ばっちりですよ。発芽したところを乾燥させておいてあります」
「さすが! 忙しかったのにありがとう」
ハルの肩をポンポンと叩く。ハルは少し照れたような表情をしていた。人間の世界から離れていた期間が長いから、お礼を言われ慣れていないのだろう。
「今日はビールの仕込みをしようと思うんだ。その前に、今日の分の野菜を収穫しちゃわないとね」
「はい!」
そういって、二人で野菜の収穫を始める。少しするとマルロが起きてきて手伝ってくれた。ミナミちゃんはさすがに疲れたのだろう、まだ寝ている様子だった。
作業がひと段落したところで、農園の小屋で朝ご飯を食べることにした。トーストにベーコンとサラダのシンプルな朝ご飯だ。用意をしているとミナミちゃんも起きてきた。
「師匠、ハルちゃん、マルロ、おっはよー」
みんな、それぞれ口々に挨拶を返す。
「さて、今日やることを整理しようか!」
そういって、ボードにやることを書いていく。
・畑の仕事(午前中)
・昨日配布した整理券分の販売(昼から、バーニャ市場にて)
・市場での野菜の販売(昼から、農園にて)
・ビール造り(夕方から)
「ところで、王都に行ったときに知ったんだけれど、二界では農業は錬成でやるらしいね。他の食品関係の仕事も同じかな?」
「師匠、それは私には分かりません! ずっと占いの館にいたので」
「私も川でほとんど生きてきたので分からないです」
いや、二人そろって偏った生き方だな。となると、頼みの綱はマルロか。
「僕も分かりません。あまり、そういうことに興味がなかったので。気にすることがないような環境でしたしね」
お、おう。あっさり否定されてしまった。君、うちで働きたいのに興味が無かったって、地味におかしいからね。とは言え、農園メンバーは全滅というわけか。
「そっか。まあ、それは仕方ない。でも、多分酪農や漁業は前世と同じやり方が残っていると思うんだ」
そう、白鯨亭で食べた肉は前世と同じ味だった。でも、町で安く買うと味が薄い。きっと、野菜と同じような秘密があるはずだ。
「そこで、お願いがある! そういう昔ながらの方法で食べ物を作っている人の噂を聞いて来てほしいんだ」
ということで、午前中はみんなで畑仕事をし、午後の作業は二手に分けることにした。ミナミちゃんとマルロはバーニャの町で収穫した野菜を販売し、ハルと俺は農園で整理券を持ってきた人への野菜の販売とビールの仕込みを進めるという分担だ。ミナミちゃんとマルロはバーニャで酪農と漁業について聞き込みをしてくれるとのことだ。
ミナミちゃんとマルロがバーニャの市場に向かう頃には、村の人が何人か集まって来ていた。その人たちに、午前中収穫した野菜を販売していく。王都では3Gで売られていたトマトだが、ここでは2Gだ。その値段設定を変えるつもりはない。
お客さんは野菜を買う時にとても喜んでくれて、声を掛けてくれる。
「ここの野菜は本当に美味しいわ」
「この値段で、この美味しさの野菜が食べられるなんて驚きだよ。俺は昔王都に住んでいたからなおさら痛感するね」
「あれ、ミナミちゃんはいないのね」
農園の方を見ながら、そう背の高い女性が言っていた。どうも、ミナミちゃんにはファンが付いているようだ。
そうやって、ハルと俺は整理券を持ってきた人たちに対応しながら、小屋で交代で麦芽を煮詰めて麦汁を作る。合わせてホップもお湯に浸してその味を引き出す。一口味見してみたところ——
「お師匠様、これは、苦すぎますね」
「う、うん。ホップ、恐るべしだ」
そんなホップで出した苦い液体と麦汁を混ぜてビールの元を完成させた。ところで、師匠から受け取ったイーストの袋には、一言だけコメントが残されていた。
<砂糖を入れるとアルコール度数が高まりますよ。少し加えてみてはいかがでしょうか>
なるほど、確かに糖分を分解してアルコールにするわけだから、砂糖を加えることでアルコール成分を増やすことが出来るということか。さすが、師匠!
ということで、ミナミちゃんとハルには市場で砂糖を買ってきてもらう手はずになっていた。ちなみに、出来上がったビールは『ブレッドビア』として売り出すつもりだ。パンイーストで作ったビールだから『ブレッド』ビアなのだけれど、意外と響きがいいんじゃないかと思っている。
さて、後は砂糖を待つだけだ。そろそろミナミちゃんたちが帰ってくるはず、と思っていると小屋のドアが開いた。
「師匠! たっだいまー」
野菜の売れ行きは好調だったのだろう。野菜の持ち帰りは無く、手には砂糖が入っていると思われる袋だけが握られていた。マルロ君は疲れた表情をしている。
「す、すごい売れ行きでした。息つく暇もなく……気づいたら野菜が無くなっていました」
「そうか、お疲れ様! ちなみに、ミナミちゃん、その袋は砂糖かな?」
「そうですよー。ちゃんと買ってきました」
「ナイス!」
ミナミちゃんから砂糖を受け取ると、用意した麦汁に砂糖を加える。ホップが苦みを、麦汁がビールの味を、そして糖分がアルコールを作っていく。それぞれ比率を変えていくつかのビールの元を用意した。そして、最後の作業、イーストを加える作業に入る。
そんな時、ふと疑問が浮かんだ。何で俺はビールの作り方を知っていたのだろう。少なくとも前世では二十歳以上だったということかな? 前世の記憶がない以上、一生分かることはないんだろうけど、でも、周りの人たちも含めてそれぞれが違う人生を送って来たんだよな。
と作業が止まってしまっていたようだ。3人がこちらを見つめて待っていた。
「よし、入れるよ!」
そういって、麦汁の入った容器にイーストを加える。イーストを加えてから、4人でその黄金色の液体を見つめていたが、液体に変化が起こった様子はない。まあ、それはそうなんだけどね。そんなに魔法みたいに出来るわけはない。
ビールは一か月~一か月半くらいでできる。ということで、招待状に記した一か月半後に向けて、あとは熟成させる。出来上がったビールを適当なところに保管しておく。試飲会に向けて、あとはじっくり寝かせるだけだ。
楽しみだな~どんな味になるだろう。
□
ビールを作り終えて、晩御飯の用意をしていると、小屋のドアを叩く音が聞こえる
「失礼するわね~」
そういって、サマリネさんが入ってきた。いや、在宅確認しろよ、と思うが、この世界だとノックは「入るよ」 の宣言みたいなものなのかもしれない。今のところ、全員、家主に確認せずに部屋に入ってきているからね。
「サトル、王都への旅の疲れは取れたかしら……あら、皆さんはじめまして」
そういってサマリネさんは自己紹介を始める。農園のメンバーもそれぞれが自己紹介をしている。
「そうそう。サトルは二界のビールが薄いと言っていたわよね。私もそれには大いに賛成なんだけれど、ワインは美味しいものもあるのよ。それを持ってきたわ」
「ありがとう!」 そうなんだ。ワインは飲んだことが無かった。
「それで、王都での夜のように、また熱い夜を過ごせればと思ってね」
そういってウィンクしてくる。いや、誤解を生むような表現はやめて。この農園はわりと純粋な人が多いから。
ほら、マルロは訝しげな目で、ハルは不信感を全開にした目でこちらを見ている。
「いやいや! サマリネさん。一緒に飲んだだけですよね」
「そうね。ごめんごめん、ちょっとからかっただけよ」
いや、ほんと、そう言う冗談はやめてほしい。この農園では特に。誤解が解けたのかハルがほっとしたような表情をしていた。マルロもいつもの目に戻っている。
そのままの流れで、サマリネさんも一緒に晩御飯を食べることにした。
「ミナミちゃん、マルロ。そういえば、昔ながらの酪農の情報は手に入った?」
「師匠! 何と駄目でした!」 元気が良いのは良いけれど、結果は駄目だったのね
「そうですね。酪農などの手掛かりは見つかりませんでした」 そういってマルロは首を横に振る。「ただ、狩猟をやっている人はいるようで、その人は山の中に入って動物を狩っていると言っていました。それは、錬成とは違うやり方かもしれませんね」
「そうか、美味しい肉は野生の動物を狩ったものなのか」 酪農をやっている人はいないんだね。自分が異端であることを痛感する事実だった。
「あら、酪農に興味があるの? 確か、サミュエル州のケシャの町に酪農をやっている夫婦がいたと思うわよ」
「なんと!」
それは聞き捨てならない話だ。
しかし、思わぬところから情報が出てきた。そこは、さすが貿易を生業にしているヴェリトス州の元参謀長といったところだろうか。錬成じゃない方法で食べ物を作っている人、ぜひ会ってみたい!
「サマリネさん、その話詳しく!」