69話 北方の三博士
残酷な描写がございます。苦手な方はご注意ください。
「マヌーライトは、魔力伝導率が極めて高い鉱物だという事は、既に知っていると思うんじゃが……。その純度の高い鉱脈が、今此処に広がっている訳じゃ」
テントを出たモリス・バルタサルが、小型のバックを肩にかけ、周りを指し示しながら歩みを進めていた。
「随分前から試行錯誤してたんじゃ。地中から自由に目当ての鉱物だけ掘り出せんもんじゃろか?と……」
モリスの後ろには、ノソリとセイワシが、そして、その助手であるジョスリーヌ・ジョスランも、引きずられる様に連れられている。
セドリック達騎士団の者達は、その後を追う様に、張り巡らせたバリケードの外側まで来ていた。
その周りにはコーネルを始めとした堅固隊の者達が、周囲を警戒しながら歩調を合わせ進んでいる。
「まあ、そんな都合良くは行かんかったんじゃがな!……それでも!狙いの鉱物に影響を与える事は出来る様になったんじゃよ!後は、『アースウォール』の応用じゃ!」
モリスは、バリケードから5~6メートル離れた場所で 違う。 もうちっとじゃな。 などと呟きながら、何かを探す様にあちらこちらで地面に手を当てていた。
ある場所でモリスが うむ、ここじゃ! と呟くと、持っていたバッグを開きその中から、折り畳まれた小型のサバイバルスコップの様な物を取り出した。
モリスがそのスコップの太い柄と、後ろの取っ手を持ち、グイッと引くと、ジャコンという音と共にスコップが一段長く伸びる。
そのまま、先端の鋭角に尖ったスコップの刃先を、勢いよくザクッと根元まで地面に突き立てた。
「コイツのイカした所は、狙いの鉱物がある限り効果が及ぶちゅーとこじゃ!名付けて『大地起こし』こんな事もあろうかと持って来たものじゃ!これで盛大に壁を打ち建ててやるんじゃ!!だがまあ、魔力が無くなりゃそれまでなんじゃがな!……と云う訳で、セイワシ君出せ!あるんじゃろ?君にも取って置きが?」
話を振られたセイワシ・メルチオが片眉を上げ、助手のジョスリーヌに持たせていた丸い筒状の大き目なアジャスターケースの様なバックを受けとり、中から長さ30センチ程の真鍮色のスティック状のモノを取り出した。
スティックは、端が細い鎖で他の物と繋がっていて、ジャラリと音を立てながら、何本も繋がったまま取り出された。
「ふむ、この『魔力集積陣』の事だね。私も、こんな事もあろうかと持って来たものだけどね。これは此処の様に魔力圧と魔力流が膨大でなければ意味が無いし、制御は我々の様に魔力制御に精通していなくては使えないからね。実に局地的且つ使用者を選ぶこの上なく使い勝手が悪い代物なんだけどね。さあ、ジョスリーヌ君。準備は良いかね?」
「ふえー?わ、わたしですかーー?わたしもやるんですかーーー?!」
「ふむ、当然だろう?さあ準備を急ごうかね」
「うひょひょ!こりゃボヤボヤしとれんかのぉ!」
「当たり前じゃろう!ノソリ君、君もあるんじゃろ?さあ!出せ!出すんじゃ!!」
「うひょひょひょ!これかのぉ?!こんな事もあろうかと、密かに開発していた『魔核反発鍍金』かのぉ?!」
モリスに促され、ノソリ・カスバルも白衣の懐をごそごそと漁り、そこから薬瓶の様な物を取り出した。
「元々は魔力生成生物が持つ、瘴気が元になった澱んだ魔力を弾く為に開発していたんだがのぉ!アンデッドに対しては特効が期待出来そうだのぉ!!」
そう言うと、セドリックに向け薬瓶を放り投げた。
「それ、大隊長!この瓶を、壁がせり上がって来たら投げ付けてやるが良いのぉ!さすれば、モリス君の安っぽい土壁が、たちまち高級な白銀の壁に早変わりだからのぉぉ!!」
「なんじゃとぉ?!薄っぺらいのはノソリ君の頭部じゃろうが!」
「薄っぺらいとか言っていないがのぉぉ!?大体頭部の話などしとらんしのぉぉぉ?!!ついにモリス君は耳まで耄碌してしまった様だのぉぉぉ!」
「ふむ、二人共、此方の準備も整ったからね。迅速に始めてしまおうかね」
セイワシがジョスリーヌと共に、モリスの立っている場所を中心にスティック状の物を並べ広げ、半円形の蜘蛛の巣の様な魔法陣らしき物を描き出していた。
するとジョスリーヌが、スティックを置きながら恐る恐る素直な疑問を口にした。
「あ、あのーー…………。なんでー皆さんはーー、こんな都合よくー、そんな便利アイテムをー、ご用意されてるんですかーー?」
ジョスリーヌの言葉に、ノソリ、モリス、セイワシの三人は揃って呆れた様に口を軽く開き、眉を八の字に眉間には皺を寄せ、これでもかと言う程のジト目で彼女に視線を寄せた。
「な、なんですかーー?!なんでー、そんなーおかしなモノをーー見る様な眼でー、皆さんーわたしをーー見られるんですかーーー?!!」
「こんな当たり前の事が判らんとは……、呆れた娘じゃな……」
「全くだのぉ、全く持って嘆かわしいのぉぉ」
「ふむ、ジョスリーヌ君。君の師として私は実に恥ずかしいね」
「な、な、なんですかーー?一体なんだってー言うんですかぁぁーー?!」
「「「それが『定石』と言うモノだから」じゃ」のぉ」ね」
「い、意味がーー分りませんよぉぉーーー?!!」
「ふむ、さて、お遊びもこれくらいにして、始めてしまおうかね」
「も、もてあそばれたーーー?!」
セイワシが広げたスティックで作った蜘蛛の巣の様な魔方陣は、モリスを中心に扇状に広がっていた。
その蜘蛛の巣の端、一番外の線の内側のモリスの真後ろにセイワシが、その左手にはノソリが、右手にはジョスリーヌが其々立っている。
「やるぞ!準備は出来たじゃろうな?!」
「ふむ、問題無いね。我々三人で魔力制御を行うからね。モリス君は術の起動に専念するだけだね」
「あわわー、あわわわーーー」
「うひょひょ!モリス君。つまらんボケは必要ないからのぉ。とっととやってしまうがイイのぉ!あ、もう呆けは始まっておったかのぉ!」
「ヤカマシイんじゃ!ノソリ君は!やるぞーーーー!これがーー大地のーーーー雄叫びじゃぁぁぁぁーーーーっっっ!!!」
モリスが地面に突き立てた、スコップの取っ手であるグリップを握り、スコップの本体である『アースノッカー』に魔力を込め、術式を展開して行く。
それと同時に、モリスを囲む三人の足元が光を放ち、そのまま魔方陣へ光が流れ、中心のモリスへと光が集まって行った。
「ふむ、これの仕組みはいたってシンプルでね。イロシオの高圧魔力流の中に意図的に低圧の場を作りだす事で勝手に魔力が落し込まれると言うだけの話でね。その魔力流の経路を我々の魔力で形作る訳だから集中しないと一気に魔力が枯渇するからね。気を付けるようにね」
「あわー、あわーー!あわわわわーーー」
「ふむ、想定以上の魔力圧だね。魔導径を調節しつつ流速を押えないとイケナイね。一定速度を超えると乱流が発生してロスが多くなるからね。層流を維持しないと魔力がゴリゴリ削られるからね」
「ふぅわぁーーー、ふぅひぃぃーーー!け、血管がーーーキレそうーーですぅーうぅーー」
「うひょひょひょひょ!コリャ効くのぉ!肩が見る見る軽くなるのぉぉぉ!!」
「け、血管がぁー脳のー血管がーー切れそですー!切れてしまいますーー!は、鼻に!鼻がー鼻血がでー出るぅーーう!……ぅぶべボぉあぷぴぃ!!」
「うひょぉぉお!こ、こ、この娘!鼻血でなく!盛大に鼻水吹出しおったのぉぉぉ!!直視できぬ顔面になっておるのぉ……哀れな……可哀相にのぉ」
「びぼびぃーー、ばわいぼうぼかー、ズビィー、ぶぇっばばい、おぼってーー。ズビッ、びびゃいぶぜにぃーーズズビッズビュイッ!」
「汚ったないのぉ!鼻をかまんかのぉ!鼻水をのぉ!」
「ぅうーーうー、ズビビィイィィーーム、ズビィィム!ズビッ!もーー、お嫁にー行けませんーーシクシクシクーー、ずぶズビビィッ!」
「…………まだ、行く気でおったのか、……驚きだのぉ」
「ふむ、実に驚きのカミングアウトだね」
「酷すぎですーー!先生方がーひど過ぎですぅぅーーー!!」
「うほっほほぉーーい!来おったーーー!!滾る!滾る!!滾りまくりじゃーーーー!!!」
地に突き立てたスコップを中心に伸び広がる様に地面に亀裂が走り、その大地に出来た隙間から淡い光が漏れ出ていた。
「起きろ!起きろーー!とっとと、おっ立つんじゃーーーーいっっ!!!」
モリスが握るグリップを90度回し、太い筒状になった軸に向け、力一杯押し込んだ。
その瞬間、亀裂から溢れる光が大きく輝いた。
「そーれそれそれそれーー!がはははははーーー!!」
「ほぉ、モリス君乗って来たのぉ」
「ふむ、珍しくノリノリだね」
「わ゛だじばー、ぞれどごろでばー、あ゛びばーぜんーー!あ゛だま゛がーあ゛だま゛がーわでる゛ぅーーー!!!」
モリスが、ハンドルを押し込む速度を、まるでポンプで空気を送り込む様に上げていった。
それに呼応するかの様に、大地から溢れる光も大きくなって行く。
亀裂が更に広く大きく裂け走り、大地も送り込まれた魔力に依りボコボコと膨れ上がって行った。
「行っっけーー!行くんじゃーーーーっっ!!!」
辺りに雷鳴の様な轟音を響かせ、黒い岩壁が勢い良く地表を突き破り上がって来た。
黒い壁は、モリスを頂点とした円を描く様に、周辺に居た僅かなアンデッドを弾き飛ばし、樹木を押し上げ、薙ぎ倒し、扇を広げる様に、遥か前方にある『黒岩』に向かいせり上がって行った。
それは、『黒岩』前で蠢く悍ましき群体を囲い込む様に、急速に作り上げられて行く。
「今だのぉー!大隊長!!瓶を投げ付けるんだのぉーーー!!」
ノソリの叫びに、セドリックが手に持っていた瓶を、せり上がって行く壁に向け投げ付けた。
瓶は、未だ伸び上がる壁の頭頂部に当たると、そのまま容易く砕け散り、中味を辺りに撒き散らした。
「このコーティング剤はのぉ、ワシらの魔力を覆う様に0.02ミクロンの薄さで広がって行くからのぉー!こんな貧相な壁など、忽ち覆い尽くしてしまうからのぉーー!!」
「貧相とは何じゃー?!貧相とはーーーーっっ?!!」
ノソリが言う様に、黒い壁は見る見るコーティング剤に覆われ、白銀の壁へと変貌して行った。
それから僅か10分と経たぬ間に、騎士団の目の前には、高さ5メートルを超える白銀に輝く長大な壁が出来上がっていた。
「……これは、……とんでも無いな」
「コイツぁ、度肝を抜かれたぜ」
ハワードとコンラッドが、壁を見上げながら目を見開き、呆れた様に呟いた。
「この『魔核反発鍍金』はのぉ、持つ者の瘴気の大きさに比例して反発力が強まるからのぉ、内包魔力がデカい相手であればある程、近付くのが大変になってくるでのぉ!うひょひょひょひょひょ」
ノソリが大地に手足を投げ出し、力無く寝転がりながら、自らの制作物について飄々とした調子で語っていた。
その周りにはセイワシが、ジョスリーヌが、少し離れてモリスが同じ様に転がっている。
「ふむ、想定以上の消耗だね。さすがにゴッソリ持って行かれたね……。これは当分動けそうもないね」
「ぁーーうーー、死ーぬーーー、死んでーーしまいますぅーーー」
「こりゃ!なにボケっとしとるんじゃ!このままこの『壁』にも、『祝福』を与えるんじゃ!さすればアンデッドなんぞ、万の軍勢が来ようともビクともせん事請け合いじゃ!!」
「このままでも、5日やそこらは十分耐えきれるがのぉー!うひょひょひょひょーー」
モリスが寝転がったまま、力の入らぬ拳を上げ、『壁』の更なる強化への助言を叫んだ。
それを聞いたリサ・タトルが慌てて聖位者を集め、急ぎ壁を『聖成物』にする為の準備に走り出した。
◇
「フレッド!撤収準備急がせろ!リサ達の仕事が終わり次第出発するぞ!!トニー!ノーマン!生き残った馬を並べさせろ!!」
壁が出来上がってからの騎士団の動きは迅速だった。
セドリック・マイヤーが、各部隊の責任者に向け指示を飛ばし、撤退の準備を急がせる。
辺りは既に、深い夜の帳が降ろされていた。
街の中の日常であれば、人々は昼の疲れをいやす為、就寝の準備を始める頃合いだ。
だが、この深い森の中、此処にはその動きに精彩を欠く者など皆無だった。
「セドリック殿、行けそうか?」
「クラウド卿!コンラッド殿!三博士のおかげで何とかなりそうです」
声をかけて来たハワードに、セドリックは澱みの無い声で言葉を返した。
「うむ、撤収の見込みが付いただけでも奇跡だな」
「全くだ!アレを丸ごと封じ込めるとか、完全に想像の外だぜ!」
ガハハ、とコンラッドが豪快に笑い声を上げると、ハワードもつられる様に頬を緩める。
だが直ぐに佇まいを正し、セドリックに向かい語りかけた。
「村まで戻れば神殿が展開する『大規模防護結界』がある。あの強力かつ神聖な結界を前に、不浄物では村の中へは侵入出来ん。それは万を超える軍勢であろうと同じ事だ。村にさえ辿り着ければ最早一方的な防衛戦ではない。後ろを気にせず真っ向から斬り合える。『無事アムカムに戻り切る』それが今の我々唯一の勝利条件だと思われよ」
ハワードの言葉に正面から向き合い、セドリックが無言で頷いた。
「殿は我ら三人が引き受ける」
「しかしクラウド卿!それでは……!」
「フッ……、騎士団をイロシオへ導き、無事返すのが我らの務めよ!アンタらは後ろを気にせず、村への道を急げばいい!!それとも何か?俺達に背後を任せるのは不安か?」
「まさか!皆様に殿を務めて頂くなど、これほど心強い事は御座いません!」
「ならばその背を我らに預け、わき目もふらずに進まれよ!」
ハワードの言葉にセドリックは一歩下り、静かに頭を垂れた。
「当然俺も、お供しますよ」
「自分もご一緒させて下さい!お願いします!」
セドリックの後ろから、カイル・アーバインとトニー・イーストンが進み出て来た。
カイルは、自分がハワード達と共にするのは当然だと言いたげに。
トニーはコンラッドに頭を下げ、行動を共にする許可を求めて来た。
「ガハハハ!ココ数日で良い面構えする様になったじゃねぇか!ええ?トニーよ?!」
コンラッドが豪快に笑いながら、トニーの背をバンバンと叩いた。
「俺達で後ろから本体を追い立てて、先行したお前のダチに追いつかせちまおうぜ!」
「は、はい!!」
更に大きく、コンラッドの高笑いが響き渡る。
その二人遣り取りを、少し離れたハワードとセドリックが、静かに微笑みながら眺めていた。
ジャラリ……と、小さな音がした。
ハワード達の後ろでは、多くの者が慌しく動き回り、雑多な音が溢れている。
居並ぶ馬が踏み締める蹄の音。
兵站部隊の者が運ぶ武具が打ち合わさる事で鳴る、硬質で騒がしい金属音。
大きく重量ある物を引きづり立てる摩擦音。
多くの者が走り回り響き渡る、足早な足音。
そして、誰かを呼び答え応じる人々の叫びの声。
「ほんとーに身体が動かんのぉ?」
「むむ!不味いじゃろ!このままでは、只でさえヨボヨボのノソリ君が、ヨボヨボのヨボ~~になってしまいそうじゃ!大変じゃ!!」
「何を言っておるのかのぉ!ガタが来ているモリス君こそ、既に腰が大変な事になっているんじゃないかのぉ?!無理したツケはでかいからのぉぉ!!」
「あー、ぜんぜんー、身体がー、動きませんーー。でもー、こーしてー運んでー貰えるのはー、とってもーらくでー、幸せですーー」
「ふむ、全員意識の混濁は無い様だね。身体は暫く動かないけど、問題は無いね」
兵站部隊の者達に担架で運ばれる、三博士と助手の相変わらずなやり取りも聴こえて来る。
……ジャラリ
「リサ、もう仕事は済んだのかい?」
カイルが、白銀の壁を背に此方へ歩いて来るリサ・タトルに向け、声をかけた。
「ええ、終わったわ。凄いのよこの壁、聖気の吸収率がとても良いの。直ぐに壁全体が『聖成物』になるわ」
……ジャラ、……ジャララ
「ご苦労だったリサ。碌に休ませてやれず済まないが、直ぐに部隊の者と移動準備に入ってくれ」
「安心してくれリサ。我々殿が後方にいる限り、君に不浄な者達の手など届かせはしないよ」
セドリックが労いの言葉をかけ終わると直ぐ、カイルが白い歯を見せ、何も心配は要らぬとリサに告げた。
それを見ていたハワードとコンラッドが、目を合わせ、肩をすくめていた。
ジャラ!ジャララララ……!
リサは黒い大きな目で、一瞬カイルを見詰めると、クスクスと可笑しそうに笑いながら……。
「分かっていますよカイル。お願いし……っはぐゅっ?!……ぃ!!……ひぅ?!」
ドンッと、後ろから何かに突かれた様な衝撃を受け、リサの身体が前へと動く。
リサが驚いた様に衝撃を感じた下腹を見ると、そこからは蛇が鎌首を持ち上げる様に、リサの血に塗れた赤錆た太い鎖が突き出し、生き物の様にユラユラと伸び上がっていた。
「……あ、……ぁ、……ひ、ぁ!……くひぃ!ぃぎ!あ!ぎぅ!!」
リサが、自分自身に何が起きているのか分らぬと言う様、溢れる程に目を見開き、手は何かを掴もうとする様に何度も空を握り開く。
鎖が遠慮も無く、ズルッズルッとその太い輪が下腹部の肉を押し広げ抜け出て来る。その度に、リサの苦悶の悲鳴が喉の奥から絞り出されて行った。
清涼な蒼だったベルベットのローブの腹部は、溢れ出るリサの血が広がり、どす黒い染みを広げていた。
リサの脚はガクガクと震え、とても立っていられる状態では無い。だが、その身体が地に落ちる事は無い。
腰部を打ち抜き、下腹部から突き出ている鎖が、彼女の身体を吊り上げているのだ。
太腿を伝い垂れ落ちる血液で、彼女の足元に出来た血溜まりが広がって行く。
「ひっ!あぎぃ!!ひぃぎぃいいぃぃぃ!!!」
ジャララ……!と鎖が更に勢いよく伸び上がる。仄かに聖なる光を放ち始めた壁を背景に、リサの絶叫が暗い森の中に響き渡った。
「リサーーーーーーーーーッッッ!!!」
カイルがリサの名を叫びながら、彼女へ向け走り出した。
彼が地を蹴った直後、風を突き破る様に彼を追い抜く影が二つ。ハワードとコンラッドだ。
二人はカイル達よりも幾分後方に居たが、鎖がリサを貫いた瞬間に動き出していた。
カイルの初動が遅かったわけでは無い。彼とて、鎖を見てから動き出すまで1秒と経っていない。
それ以上に二人の動きが尋常では無いのだ。
疾風の如き速さで、二人がリサに迫る。
ハワードは、伸び上がる鎖を抑え、リサを保護しようと手を伸ばす。
コンラッドは、闇の中から伸び出る鎖を断ち切ろうと戦斧を振り上げた。
だが、二人がリサに届くより早く、伸び上がった鎖が瞬間的にリサの全身を絡め取る。そして、まるで足首を掴んだ巨人が嘲笑いながら一気に引き下げでもしたかの様に、右足首に巻き付いた鎖に引き摺られ、リサの姿は一瞬で森の闇の中へと消え去った。
「ひぃぐ!ぃあ!いやああああぁぁぁぁああぁぁぁーーーーーーー!!!!!」
リサの振り絞った様な痛ましい悲鳴が闇に消える中、ハワードの手は空を掴み、コンラッドの戦斧は只大地を穿ち、辺りに鈍い振動を響かせた。
だがもう一つ、闇を抜ける影があった。
魔を見抜くアイパッチの魔法印を仄めかせ、鎖の出所へと向かい走るジルベルト。
ジルベルトは身を低くし、その目が捕えた森の中で蠢く悍ましい何かへと突き進んで行った。
「ぬぅ?!イカン!避けろジルベルト!!」
ハワードがそう叫ぶのと同時に、仄かな光を発していた白銀の壁面が閃光に包まれた。
ジルベルトの目も同時に異常を捉えていた。瞬時にその場所から後方へ跳び退く。
直後、ジルベルトが直前まで居たその場所を、轟音を響かせ壁を吹き飛ばし、奔流の様な爆炎が飲み込んだ。
「く!火炎嵐だと?!」
セドリックが、伸び上がる炎に焼かれまいと顔を腕で庇い、それが上位魔法の一撃だと叫ぶ。
轟々と音を立て吹き荒れた炎の流れは直ぐに収まったが、壁の内と外の木々は燃え上がり、辺りの森の闇を切り裂いていた。
「やたらおかしな魔力の流れがあったので来てみましたけど……、随分と面白い事になっていますわね?」
いつの間に、何処から現れたのか……、大森林の奥に居るには似つかわしくない、いや、違和感しか感じぬ黒いナイトドレスを着た女が、破壊された壁の前、燃え上がる木々を背にユラリと立っている。
女は、ゆるくウェーブのかかった腰まで届くゴールデンブロンドの髪を、辺りを包む炎の熱に躍らせながら、悩ましげに口元に手を当て ホホホ と小さく笑っていた。
「へぇ……、随分強そうなのが居るじゃねェか!いいねェ!俺好みだぜ!!」
壁を背にする黒衣の女を見据えていたハワード達の右手側、森の東の闇の中からまた一人、女が姿を現した。
その女は褐色の肌を持ち、長い黒髪を頭の後ろで髪紐で結び、長い尻尾の様に垂らしている。
その身には肩当や手甲、脛当てを装備してはいるが、身体には細いストリングスと、僅かな面積しか持たぬビキニアーマーがあるのみだ。
そして、己の身の丈ほどもある鉈の様な片刃の大剣を肩に担ぎ へへへ と口角を上げ笑っていた。
「うふふふ、見てみて、聖職者がこんなに……、しかも乙女も釣れましたよ。ハルバート様への最高の捧げ物になります」
もう一人、今度は西の闇の中から、女がジャラリと金属音を打ち鳴らし現れた。
薄青い肌と僅かに尖った耳、白銀の髪は結い上げ、頭の上で纏めている。
その身は黒革のボンデージを纏い、細いベルトが辛うじて局部を隠す。
首輪と手首足首に付けられた枷から、共に武骨な赤錆びた太い鎖が垂れ付けられていた。
その鎖は女の周りを囲う様、周る様に地に置かれ、その場で脈動する様に蠢いている。更に鎖は、そこから幾本も外側へ向かい、伸び広がっていた。
そしてその内の一本の鎖が、ジャラジャラと音立て上方へと引き上がって行く。
そこには、先刻森の闇へと消えたリサが、くぐもった呻きを上げながら足から吊り上げられて来た。
気付けば他にも何本かの鎖が引き上げられ、鎖を纏う女の後ろで、幾つもの人影が鎖に吊るされているのが分る。
それは、リサと同じ騎士団の聖位職の者達だった。
今、大隊に4人しか居ない聖位職が全員、クスクスと笑う女の後ろで捕えられていた。
「馬鹿な……!いつのまに?!」
カイルが、捕えられた者達に目を向け呻いた。
目の前で襲われたリサに意識を取られていたと言え、他の者が襲われていたと一切気付けなかった事に動揺が隠せない。
それはカイルだけでは無い、セドリックも、ハワードもコンラッドも同様だった。
「うふふふふ、回復職を最初に潰すのは、集団戦の基本でしょ?」
鎖を鳴らし手を口元へ寄せ、手にベットリと付着している血を、艶めかしく舐め取りながら当然の事だと女が笑った。
いつの間にか他の二人も近くに寄り、三人の女が揃い立っていた。
三人共、血の様に赤い唇を持ち、森の闇の中で炭火の様に紅い眼を仄めかせている。
「ヴァンパイアか……」
ハワードが眉間の皺を深く刻み呟いた。
未だ消えぬ木々が纏う炎の灯りに照り出され、三人の女が赤い口元を吊り上げ怪しく嗤う。
燃え爆ぜる炎の音と鎖の響き出す金属音、そして吊るされた者達が漏らす苦悶の呻きをあざ笑う様に、女達の不敵な嗤い声が深い森の中で響き渡っていた。
次の投稿は暫くお待ち下さい。
来週くらいに上がると良いなぁ・・・(遠い目
次回「闇の森の囁き」





