64話 アムカムの聖域
そこは、30メートル四方に草地が広がる小高い丘だった。
森の入口から5キロ程進んだ場所で、既に中層と言われている領域だ。
だが、この丘に魔獣は侵入して来ない。
アムカムの森に於いて、唯一と言って良い安全地帯だ。
此処までの道のりで、魔獣の襲撃はそれなりにあった。
だが騎士団の中に、ここまでの領域で、魔獣に後れを取る者は居ない。
順調に、一日目の道程を熟して来たと言える。
「おお!此処が名高い『勇者の丘』ですか!」
第3班班長トニー・イーストンが、丘に足を踏み入れるなり感極まった様に声を上げた。
その顔は歓喜に溢れている。それはまさしく、少年が憧れの英雄を前にした時に浮かべる表情だ。
勇者の物語は、この国の者なら、子供の頃から何度も聞かされて来た御伽噺だ。
トニー・イーストンも当然その例外では無い。勇者物語に憧れた少年時代を過ごして来た。
恐らくは、騎士団に属する者の殆どが、彼と同じ様に勇者の物語に胸躍らせた覚えがあるのだろう。皆一応に瞳を輝かせている。
「此処は、そんな偉そうな名前の場所じゃねぇぜ」
するとトニーの後ろから、ぶっきらぼうに野太い声が掛けられてきた。
突然の声に驚いたトニーが振り向けば、そこには巨大な戦斧を担いだ大男が立っていた。
男は、頭髪と同じ白髪交じりのキャロットオレンジの顎鬚を、左手でショリショリと摘み上げながら、静かな面持ちで丘の周りに視線を巡らせている。
革の胸当てを押し上げ、戦斧を担ぐ隆々とした肉体は、とても70を迎えようとする老人の物では無い。
その内から圧倒的な強者の闘気が漏れ出ている事に、その場に居る者全員が感じ取っていた。
そこに立つのは、アムカム12班の一つ、ブロウク家の前家長コンラッド・ブロウクだ。
コンラッドの存在感に圧倒されたトニーは、一瞬、呼吸を忘れ生唾を飲み込んだ。
「あ……、いやしかし!此処は嘗て勇者が顕現したと……」
「そんな御大層な場所じゃ無ぇんだよ!」
それでもトニーは、この場所の名を知る者は多いと、自分を含めこの地に憧れを抱く者は数多い、と告げようとしていた。
決して、この場所を軽んじている訳では無い、と伝えたかったのだ。
だが、その言葉を遮る様に語気を強めたコンラッドに、トニーはその先を続ける事が出来ない。
「よせ、コンラッド」
ハワードがコンラッドの肩に手を置いた。
コンラッドは一つ舌打ちをして目線を逸らし、そして誰ともなしに言葉を紡ぐ。
「此処はな……何の事は無い、一人の娘が、故郷へ帰る事を、家族に会う事を、唯々願っていただけの場所だ。大昔、そんな事があったってだけの場所だ。そんな仰々しい名前で呼んでくれるな」
そう言うとコンラッドはその場を離れ、大荷物を背中から降ろしたジルベルトの所へ行ってしまった。
「すまないマイヤー殿。気にしないでくれ」
「いえ!此方こそ皆様のお気持ち考えず……、申し訳ございませんでした」
ハワードとセドリック・マイヤーが、互いに身内の無礼を詫びていた。
「ただ、分ってくれマイヤー殿。此処はアムカムの者にとって、思い入れのある場所だ。村人以外に使わせる事に幾分抵抗を感じる者も居る」
「それでも使わせて頂ける事に、感謝の念が堪えません。出来うる限りの礼節を以って、使用させて頂きます!」
マイヤーの硬い言葉にハワードの顔が綻ぶ。
「とは言った物の、遠慮などせず普通に野営場所として使ってくれて構わんよ。なに、コンラッドもああ見えて、根は只のお人好しだ。今頃ばつが悪い思いをしている筈だ。後で野営設営の手伝いに行かせよう」
「はい、ありがとうございます、クラウド卿」
コンラッドに、悪印象を払拭する機会を与えて欲しいと言うハワードに、マイヤーも笑顔を浮かべて承諾した。
◇
「ま、まったく……何て所だ……、何て所なんだ此処は?!」
コナー・クラークが、顔を蒼ざめさせながら呟いていた。
王都からアムカムへ辿り着くまでの間、整備された街道での旅は快適だった。
それでも人里から離れた地では、それなりに魔獣との邂逅も経験していた。
王都生活しか知らぬクラークにとって、初めて目にした魔獣は恐怖その物だった。
赤い目をした山犬。奇声を上げて襲って来た猿の様な魔獣。仔牛ほどもある猪。
ゴブリンの集団に出くわした事もあった。
とてもではないが自分達普通の人間が出くわせば、魔獣がたった1体でも確実に命を落とす確信がある。
しかし、そんな恐ろしい相手を騎士団の者達は、ほんの一人や二人で次々と打ち倒して行ったのだ。
その様子を見てクラークは、やはり騎士団は最強なのだ。と、そんな者達に守られている自分は特別なのだ。と、己の自尊心を満足させるのと同時に、この旅の安全さも確信していた。
だが、この森へ来てからはどうだ?
まだ半日しか経っていないが、この森の異常さは何だ?これまで通って来た道のりとは明らかに違う。
決して騎士達が苦戦している訳では無いが、魔獣達の現れる頻度が違う、数が違う。
この半日で、一体どれ程の魔獣が襲って来たというのか?
この森の旅路では、今まで我が身を守っていた馬車など無いのだ。
あの巨大なサソリは一体何なのだ?あんな大きな灰色の狼など見た事も無い!それにあの頭が二つもある巨大な蛇!
あの中の1体でも、騎士団の包囲を抜けて来たら……。想像するだけで、嫌な汗が背中を伝って落ちる。
此処は、彼の想像を遥かに超える魔境だったのだ。
たった半日で、クラークはこの旅に出た事を後悔し始めていた。
「……クラーク様、此方の確認を……お願い出来ますか?」
臍を噛むクラークに、彼の補助と言う名目で連れて来られた部下二人が声を掛けて来た。
彼等は手に、水晶球が取り付けられ魔法印の刻み込まれた筒状の物を持っていた。
これは、僅かな魔力を流し込む事で映像を記録出来る魔法道具だ。
「なにっ?!そんな事はお前達でやっておけ!一々私の手を煩わすな!!」
「い、いえ、申し訳ありません……、し、しかし、クラーク様に決裁をして頂かないと、記録の保存が出来ません……」
遠征の記録を取る事は、彼らが騎士団と同行している理由である。
流石に、その本来の仕事を疎かにする訳には行かない。
「ちっ!ええい!貸せ!!」
クラークが忌々しげに舌打ちをすると、職員の手から乱暴に記録装置を奪い取った。
そのまま装置の記録を読み取って行くが、内容など頭には入って来ない。
如何にしてこれから数日間、無事に過ごし帰還出来るかと云う事にしか思考が動いていないのだ。
改めて記録装置から流れて来る魔獣の姿に、コナー・クラークの生存本能が悲鳴を上げた。
いざとなれば、此奴らを盾にしてでも生き延びなければ。最も重要なのは私の命なのだ!と焦燥感に苛まれながら、血走った目で二人の職員を覗き見ていた。
ほんの半日、たった半日アムカムの森を通り抜けただけで、コナー・クラークの精神は軋み始めていた。
◇
「うひょひょひょひょ!愉快、愉快。実に愉快!じゃのぉ!」
「ノソリ君、随分楽しそうじゃな?何か良い事でもあったのか?」
「何を言っておるのかのぉ?モリス君は?こんな最高の場所におると言うのにのぉ!やはりボケてしもうたかのぉ?!」
「ば、馬鹿モン!ボケてなどおらんわ!!大方、次から次へと押し寄せる魔獣にヒートアップしとるだけなんじゃろうが!!」
「まったく!全くじゃのぉ!此処は凄ンい場所じゃのぉぉ!」
「なんですかー?随分楽しそうに騒いでますねー。お二人共ー」
「おお!セイワシ君の助手君ではないか!何とかしてくれ!ノソリ君が喧しくて敵わんのじゃ!」
「はぁー、何とかと言われましてもー、どうかなさったんですかー?ノソリ先生ー」
「キミは此処まで何を見て来たのかのぉ!此処は魔力生成生物、つまり瘴気と化した魔力から生まれる魔獣の宝庫じゃからのぉ!森の浅い部分にはまだ外と同じ様な、魔力変性生物。つまい普通の生物が瘴気で変質した魔獣も幾分おったがの、奥に行けば恐らく生成生物ばかりになるじゃろうのぉ!魔力生成生物をこんな間近に、しかもこんな大量にお目にかかれるなんぞ、王都ではあり得んかったからのぉ!これが興奮せずにおられるかのぉぉ!!」
「あ、ぁー、そーですかー。でも落ち着いて下さいノソリ先生ー。血圧が大変な事に事になってしまいますよー」
「ふむ、どうかしたかねジョスリーヌ君」
「あ、セイワシ先生ー。ノソリ先生が大変なんですよー」
「ふむ、ノソリ君が興奮するのも良く分るね」
「そーなんですかー?」
「ふむ、この地の魔力量、そしてその流れは尋常では無いからね」
「むむ!セイワシ君まで興奮気味じゃな?!」
「ふむ、此処にはまるで世界中から魔力が集まっている様だからね。奥へ進むほどに魔力の密度も増している。此れだけの魔力流の中で生じる澱みも相当な物になる筈。強力な魔獣が発生していて当然の場所と云う事だね」
「あー、セイワシ先生もー、何気にヒートアップしてますねー」
「そうじゃろ、そうじゃろ?だがセイワシ君。そんな魔力の濃い場所で、普通の人間は大丈夫な物なんじゃろか?」
「ふむ、あの文官君達だね?ま、この辺りならまだ問題無いだろうね。しかし、後4~5千メートルも深く潜ったら、我々や騎士団の様に魔力を扱う事に長けた者でなければ只では済まないだろうね」
「えぇーー、それー、大変じゃないですかー。あの人達ー、魔力圧に押し潰されちゃいますよー」
「ふむ、ジョスリーヌ君、相変わらず君が言うと緊張感が無くなるね。まぁ、どちらにしても問題は無いのだけれどね。私が貸し与えた防魔装備であれば十分耐えられる筈だよ」
「あぁー、あのマントがそうでしたねー」
「なるほど!それなら安心じゃの!」
「ふむ、まあ後3~40キロは持つだろうからね!我々だって何も対策をしなければ50キロ辺りまで持てば良い方だろうからね」
「なるほど、そら大変じゃな!大変じゃが……今はワシはこの足元の構造物の方に気が惹かれるんじゃがな!」
「ふむ、村でヘンリー君が教えてくれた地中の構造物の事だね?確かに興味深くはあるね」
「一体何で出来ておるんじゃろうか?どっから採掘して運んで来て、どんな加工をしたんじゃろうか?」
「ふむ、この場所だけ魔力濃度も希薄で流れも実に穏やかだね。地下の構造物と因果関係があると考えても可笑しくは無いね。ふむ、調査する価値は十分あるね」
「そうじゃろ、そうじゃろ?調べさせて貰えんじゃろか?掘り返しても良いじゃろか?」
「止めて下さいよー、お二人共ーー、そんな事したらー、村の方達に御迷惑かかりますよーー」
「ふむ、そうか、教えてくれたヘンリー君にも申し訳が立たないかね」
「むむ、ヘンリー君か、確かに此処の研究をしていたのは彼じゃったからな。勝手に掘り起こす訳にはイカンじゃろうな」
「そうですーそうですよーー。それにしてもー、あの神殿長と皆さんお知り合いだったんですねー?」
「ふむ、君は知らなかったかな?ジョスリーヌ君。ヘンリー君は前に大学で教鞭を取っていたんだがね」
「10年も前の話じゃ、助手君は知らんじゃろうよ」
「へー、そーだったんですかー。初耳ですーー」
「相変わらず、クソ真面目な男じゃったのぉ」
「ぅお!ノソリ君生きておったのか?!」
「生きて居るからのぉぉ!人を勝手に殺すんじゃぁ無いモリス君!!」
「てっきり頭の血管が切れてしもうたと思っていたんじゃが、生憎無事だった様じゃな」
「生憎とはどういう事かのぉぉぉ?!!」
「ノソリ先生ーノソリ先生ーー、やっぱり血管が切れそうなのでー、落ち着いて下さいーー」
「ふむ、ジョスリーヌ君、君はやはり緊張感が感じられないね。ふむ、それでヘンリー君だけどね。彼も結婚したので少しは砕けたかと思っていたんだが相変わらずだったと云う事だね」
「うひょひょひょ、何と言っても、教え子と引っ付いた位だからのぉ」
「ぅえぇーー、そーだったんですかーー?あの真面目そうな方がー教え子に手を出してたんですかーー?」
「まぁ押し掛け女房だったそうじゃからな。村に旅立ったヘンリー君を追いかけて行って、居座ったそうじゃよ」
「へーー、どっちにしてもー意外ですーー。あー、皆さんー、テントが組み上がったみたいですー。お早く荷物を移してくださいねー。ほらー、とっとと移動ですよー」
「むむ、押さんでもちゃんと動くわい!セイワシ君!君の助手は相変わらずワシらに遠慮が無いんじゃな?!」
「ふむ、ジョスリーヌ君は我々に対して敬意と云う物を持ち合わせていないからしょうがないね」
「はいー、キリキリ歩いて下さいねーー」
「全くもって嘆かわしいのぉ。うぉ!引っぱ……、引っ張らなくても歩けるからのぉぉ!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その日の夕食は、キャメロン・フーリエ使節団代表からお誘いを受けていた。
まあ、実質的には『今日も』なんだけどね……。
今日は2の紅月4日。ハワードパパ達が出発してもう六日が経っていた。
わたしの『探索』は、半径10キロ程までは認識できる。
アムカムハウスから森の端までは凡そ4キロ。
ハワードパパ達が初日に野営した『嘆きの丘』までは、其処から更に5キロの場所にあった。
翌日に『嘆きの丘』を出発して直ぐ、わたしの探索範囲から出てしまった。
壱の詰所前まで行って探っても見たけれど、やっぱりその翌日には探索範囲から外れてしまっていた。
何度もコッソリと森の中まで入って、確認しようかと思った。
でも『インヴィンジブル』を使ったら、アンナメリーには気付かれてしまう気がする。
尤も、アンナメリーなら気付いたとしても、黙っててくれると思うけど……。
いっそ、森の奥まで気配を消して入って行って、ハワードパパ達に危害を加えそうな魔獣が居たら、先んじて速やかに排除してしまおうか?とも考えた。
だけど、それはハワードパパの矜持を傷付ける様な気がして、どうしても出来なかった。
なまじっか自分が、『男の尊厳』的な物が理解出来てしまうだけに、ハワードパパを止める事も、手助けする事にも躊躇を感じてしまう。
逆に、そんな物はどうでも良いからお家に居て欲しい。
ソニアママの傍に居て欲しいと言う想いも大きくて、わたしの中で激しくジレンマが生じていた。
それでも完全装備のハワードパパなら、森の深層50キロ位の魔獣相手でも、危なげなく屠ってしまうと思うんだよね。
50キロ地点の魔獣で確か、脅威値が100位だった筈。
その程度の相手となら1対1で戦っても、ハワードパパもコンラッドさんも何の心配も無い。
でも、騎士団の方達には相当厳しいかな。
なので、今回の探索では、そんな深くまでは進まないだろう……と言うのがハワードパパの見解だった。
だから心配する必要は無い筈、…………無い筈なのだ。
無い筈なのに、わたしもソニアママも、何故かこの話を聞いた時からズッと、胸元にしこりが在る様な引っ掛かりを感じている。
そのしこりは勿論今もあるし、寧ろ少しずつ大きくなっている。
森に調査団が入ってもう直ぐ一週間なのだから、伝令とかで何かしらの連絡があっても良い筈なのに、何も無いと言うのがこの気持ちを更に大きくしている。
明日で丁度一週間だからね!
明日一日何も報せが来なかったら、わたしは明晩、森に突入する所存ですよ!もう!
そしてキャメロン・フーリエ氏のお誘いは、そんな憂いを持ったわたしの精神を、更に逆撫でして来る。
フーリエ代表のお誘いは、別にこの日が初めてと云う訳では無い。
もうね、調査団が出発した当日の夕食から続いてる。
最初の晩は、ダレス家やクロキ家の御三家の家族ともご一緒だったから良かったけれど。
その後は、わたしとソニアママの二人だけでお相手をする事になってしまった。
流石に毎晩はご遠慮願いたいと、ソニアママが理由を付けてお断りを入れていたのだが、それでも、どうしてもわたしと二人で食事をさせろと言って来た。
ソニアママは、その求めも断っていたのだが、随分しつこく食い下がってきていた。
なのでわたしは、これもアムカムのホストであるクラウド家の娘の役目として、受けさせて貰った。
ソニアママは心配したけどね……。
それに、このオッサン、わたしが目的って言うのはとっくに気付いてたしね!
それがドンドンあからさまになってるんだけどね!!
わたしを見る目が露骨なのよ、実に!
女の身になって初めて知る、男の視線のネバっこさ!
ナイトドレスの開いた胸元や背中、腰回りやお尻のラインへ送って来てた視線って、シッカリ判るもんなんだよね!
見てない振りしてチラ見してても、ちゃんと視線を感じるんだって事が良く分ったよ。
ウン!取り敢えず昔の自分のコメカミを、コノバカヤローってな具合に、拳骨でグリグリしてやりたくてしょうがなくなった!!
ま、そうは言ってもフーリエ氏に見られると分っていて、態々見せてやるほど、コチラもサービス精神旺盛では無い。
胸元や背中が開いていたドレスを着ていたのは、歓迎の宴の一回こっきりだ。
後は、胸元がシッカリ閉じている衣装ばかりなのだ。
ホイホイと唯で素肌を晒すほど、安い女では無くってよっっ!!フーーンだ!
それでも衣服の上からその内側を透かして視ようとする様に、視線を這いずらせて来るのには恐れ入るよね、もう!
男の妄想眼力を忘れていたわよっ!くぁあぁぁぁ~~~っ!ゾワゾワしてくりゅっ!
それにしても全く!いい歳こいて!14の小娘をエロい目で見るとか……とんでもねぇーロリコンだわよ!
こんなお子ちゃまにムラムラしてんぢゃぁ無ェよっ!
…………ン?ウン?あれ?可笑しいな。今、盛大にブーメランかました気がしたけど……、気のせいだよね、ウン!ダイジブ問題無い!本人だしネ!!ウン!!ダイジョブだ!!
で、そんな腹に一物、背中に荷物、下心はガラス張りなフーリエ代表との会食は、実に苦行に他ならない。
話す事は自分の自慢に始まり、王都生活の事、街がどれだけ整備され住み良いか。建築物も荘厳で、街並みも大きく美しい。
住む人々もとてもスマートで、皆、最先端のファッションを身に着けている……と。
まぁ、そんな事ばかりがフーリエ氏の口からダダ漏れてくる。
「如何ですかな?王都に興味が湧かれたのではありませんか?」
「……そうですね、素晴らしい都市だと云う事は、お話を聞いていて、伺えまし、た」
「そうでしょうとも、そうでしょうとも!スージィ姫さえ宜しければ、私めが何時でもご案内致します。いや、いっその事、王都の学校へ留学されては如何でしょうか?私、姫の為であれば援助は惜しみません!直ぐにでも屋敷を用意させましょう!」
「いえ、お気持ちは大変嬉しく思います、が、わたしは来年、デケンベルの学校へ行くつもりでおります、ので」
「……成る程、ミリアキャステルアイ寄宿校ですな?確かにあの寄宿校は、王都にも姉妹校を置く名門ですな……。しかし!僭越ながら、姫はこんな田舎に燻って居て、良いお方ではありません!」
「……はぁ、田舎……です、か?」
「左様です!王都でこそ、姫の才能を開花させる事が出来る筈です!華やかな王都こそ、貴女に相応しい!!」
どうやらこの御仁、わたしを王都へ誘っているらしい。
しきりに王都がどれだけ素晴らしいか、アムカムがどれ程田舎なのかを説明して来る。
ハッキリ言ってね、王都なんかどうでも良いんですよ。
唯でさえ、デケンベルに行く事すら気が重いと言うのに……、更に遠い王都へ行く何て、どうやったって無理!!
アムカムから離れるなんて……、ソニアママやハワードパパと長期間離れて暮らすなんて、金輪際考えられませんから!!
そんな此方の胸の内など、この方は察する事も無いのだろう。
ひたすら王都推しを、ゴリゴリと押し込んで来る。
……ヤバいなぁ、段々苛ついて来たぞ。
コイツ、王都を賞賛して来るだけで無く、アムカムをこんな辺境だ田舎だと貶め始めた。
「それにですな、こう申し上げてはなんですが、お父上であるクラウド卿は、十分お年を召されておいでです。出来得る事なら一刻も早く、王都で洗練された姫のお姿をお見せするのも、親孝行と言えるのではないのでしょうか?」
あ、マジムカ付いたぞコノヤロ。
ハワードパパを言うに事欠いて、老い先短い老人呼ばわりしてやがりますよ、こンの豚はっ!!
あの凛々しく覇気のあるお姿を目にしていないのか?この野郎ォ……。
その無駄にデケェ鼻、千切り取っちまおうか……?
…………っと、イケナイ、イケナイ。ちょいと思考が剣呑なモノになってしまった。反省反省。
付き添っているアンナメリーも、目付きと醸し出す雰囲気が、不穏な物になっている。
危ないですね、此処はとっとと引き揚げさせて頂きましょう。
と言う訳で、適当な所で話を切り上げ、フーリエ氏にお暇を告げた。
もうねっ、ホント疲れっちゃうんだよねっ!フーリエ氏との会食はっ!!
自分の話を、相手の意志関係なしに、ズイズイ畳み掛ける様に押し付けて来るのって、もう怪しいサークルや、宗教なんかの勧誘の手口だよ!
……はっ!!って事は、キッパリ断らない限り、まだいつまでも続くって事?
うぎゃぎゃぁぁあヤメテェぇ……。
そんな事を考えて悶絶しそうになったので、取敢えず少し落ち着く為に、わたしたち家族の居間でお茶を入れて貰う事にした。
居間に入ると、既にソニアママがソファーにいらっしゃった。
ソニアママは手にフープを持ち、刺繍をされている様だった。
わたしが居間に入るのに気が付くと、ソニアママは刺繍の手を止め、ソファーの座面のソニアママの隣をポンポンと叩き、隣へいらっしゃいとニコリと細めた目で仰っていた。
わたしは広い居間の中を、テーブルを迂回して足早にソニアママの傍に移動した。
そしてそのままソニアママにくっ付く様に、そのお隣に腰を降ろした。
「大丈夫だった?スージィ……。イヤな想いはしていない?」
「はい、大丈夫ですソニアママ。何も問題はありま、せん」
ソニアママが隣に座ったわたしの手に、ソッとそのお手を重ねて心配そうに聞いて来た。
わたしが心配無いと答えると、ソニアママはアンナメリーへと視線を向けた。
「お任せ下さい奥様。必要であれば、何時でも速やかに処理致します」
等と、まるで狩りとった獲物の下処理でもするかの様な調子で、アンナメリーは淡々と答えていた。
で、ですから止めて差し上げてってば!そんな剣呑な事は!!
ソニアママも、そのアンナメリーに困った様な微笑みを浮かべた後、そのままわたしに視線を落し 、一息つきましょうか? と仰って、エルローズさんにお茶の用意を頼まれた。
今、わたし達の居るこの居間は、わたしの部屋とソニアママ、ハワードパパの寝室の間にある。
勿論、アムカムハウスの居間なので、お家にある居間より何倍も広い!
此処だけで学校の教室くらいある。
マントルピースなんかも、凄く大きくて豪華だ。
お家にある物より、倍は大きいんじゃないかしらん?
今座っているソファーやテーブルも、シックだけどやっぱり壮麗な代物だ。
フレームは緩やかな曲線で作られ、職人技を見せつけると言わんばかりに、絡みつく様な植物のレリーフが細かく丁寧に彫り込まれている。
レッドベルベットで張り込まれたソファーはフカフカで、庶民なわたしには豪華過ぎる座り心地だ。
あぁ~、早くお家の居間でユックリしたひ~~……。
「ハワードはね、昔は落ち着いて村に居る事なんて、殆ど無かったの……」
ソニアママが、手に持ったカップソーサーにティーカップを置きながら、静かに呟く様にお話を始めた。
話はハワードパパの事だ。
わたしもソニアママも、フーリエ氏については特に重要視していないからね。気持ちは直ぐ様切り離されてしまう。
やはり気になるのはハワードパパの事だものね。もう一週間経つものね。二人とも気持ちはどうしてもそっちへ行ってしまう。
わたしはソニアママの右側で、身体を預ける様に寄り添いながら、そのお顔を見上げてお話の続きを待った。
「余所からの依頼で村を離れる事も多かったけれど、大体が森の深層へ挑む探索だったわ……。あの人、イロシオを少しでも開拓して行く事が自分の使命なのだと、子供の頃から言っていたのよ?」
ソニアママは少し可笑しそうに笑いながら、ティーカップの中へ視線を落し、茶面に過去の面影を見出しているかの様だった。
「今回はまだ一週間だけど、一ヶ月や二ヶ月連絡が付かない事はざらだった……、酷い時は半年もイロシオから帰ってこない事もあったわ。その度に私がどれだけ心配していたかなんて、これっぽっちも思い至らないのよ?いっつも『ソニア、今戻った』って、そう言って抱き寄せて、嬉しそうに笑うの。私は『お帰りなさいハワード。お疲れでは無くて?』っていつも答えていたわ。だって私がどれだけ心配していたか、態々知らせるなんて癪じゃない?だから出来るだけ素っ気なく答えてあげてたの」
ソニアママが少し拗ねた様な口ぶりで話すのが、何だかとても新鮮で可愛らしいと思った。
その時の、ハワードパパとソニアママの遣り取りが目に浮かんでしまう。
「そんなハワードも、ラヴィが生まれてからは家に居る事が多くなったわ。それからラヴィが5つになった時、引退を宣言して前線を退く事を選んだの……」
そう言ってソニアママは、マントルピースの上に置いてある写真立てに視線を向けた。
そう、この世界にも写真があるのだ。モノクロですけどね。
元の世界に在る物より、ずっとピントが甘い感じだ。昔の武士とかが写ってる様な、まだ技術の拙い写真だ。
今、この居間のマントルピースの上には、お家から持って来た写真が幾つか置かれていた。
暫くはお家へ帰れないだろうからと、ソニアママが持って来られたのだ。
わたしやソニアママ、ハワードパパが其々1人ずつ写っている写真。三人で揃って撮った家族写真。お若い頃のハワードパパ。やっぱりお若い頃のソニアママ。そして……ラヴィさんのお写真。
ラヴィさんのお写真は、ずっと飾らずに仕舞い込んでいたそうだ。何年もまともに見る事が出来なかったと仰っていた。
それを家族写真を撮った後、一緒に並べて置きたいとソニアママが仰って、机の奥に仕舞われていた写真を取出し、わたしの写真の隣へ並べて置く様になった。
此れで家族が一緒に居られるわ とその時のソニアママのお言葉が嬉しかったのを良く覚えている。
今、そのラヴィさんのお写真に視線を送りながら、ソニアママはお話を続けていた。
「それからは、後進の育成に生き甲斐を見出していたみたいなのだけれど……、やっぱり子供の頃からの想いと言うのは、そう簡単に消える物では無いのよね……。イロシオへ行くと言い出したあの人の眼には、あの頃と同じ光が宿っていた。本当は……本当はね、イロシオへ行って欲しくは無かったのよ?本当は止めたかったの……でもね、あんな眼を見てしまうと、とても止められなかったわ。やっぱりあの人は……ハワードはアムカムの男で、私はアムカムの女だから。何処まで行ってもそれは変わる事の無い事だから……」
茶器をテーブルに置き、ソニアママは寄り添っているわたしの頭を、優しく労わる様に撫でてくれた。
わたしは、もう一つのソニアママの手を両手で握り、より身を寄せる。
「でも大丈夫……大丈夫よ。ハワードは何時も何事も無く帰って来たもの。今回だって同じ……。いつもの様に『今戻った』って笑顔で帰って来る。だから…………大丈夫」
ソニアママは何度も『大丈夫よ』とわたしに言い続けた。
まるでご自分自身にも言い聞かせる様に、何度も何度も……。
わたしは黙ってソニアママを見上げ、その手を握り続けていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2の紅月5日 AM4:05
まだ夜明け前の薄闇の中、『嘆きの丘』駐在中の機動重騎士団後詰め部隊が、突然の出来事に喧騒に包まれた。
7班から10班までの後詰め部隊中、9班10班はアムカム村にて待機中だ。
現在、7班8班の10名、兵站部隊10名の合計20名が『嘆きの丘』をキャンプ地として、前線からの連絡を待ち、補給準備の為の待機任務に就いていた。
今、そのキャンプ地に黒い馬に乗った騎士が一人、森の奥から猛烈な勢いで駈け込んで来たのだ。
急ごしらえの防柵を踏み倒し、かがり火が打ち倒され、馬はその場で泡を吹き倒れた。
馬上の者も血に塗れ、地上に投げ出された。
「出血が酷い!衛生班!急げ!!」
「帰還?たった一人でか?!他の者は?!」
「トレバー班長!コイツは2班のケイシーです!ケイシー・ギネスですよ!!」
「先行隊の一人だと?伝令では無いのか?!」
「班長!ギネスが目を開けました!」
「大丈夫か?今、話が出来るのか?」
「班長を呼んでいます。動かさない様にお願いします」
「ギネスわかるか?何があった?お前以外の部隊の者は?大隊長はどうされた?!」
「……さ、昨日……、17:00……、此処より凡そ……30キロ…地点にて……、て、敵戦力と……接触…………。戦闘を……開始するも……戦力差は……甚大…………。速やかなる……防衛準備を…………要請します」
「防衛だと?!増援ではないのか?!此処に居る者は直ぐにでも向かえるぞ!」
「防衛線の……構築…を……。敵の……数は……2千までは…確認……。しかし……総数の……把握は……成らず…………。防衛線を……早く!!奴らが……溢れて来る!!!」
次回「キャメロン・フーリエの動揺」





