35話 ハワード・クラウドの咆哮
壱の詰所*15:30
その時、何かを感じ取ったのはハワード・クラウド一人では無かった。
何人かが ガタリ と椅子を跳ね退け、テーブルから立ち上がった。
それとほぼ同時に、警鐘が響き渡った。
この詰所の物見櫓から鳴らされている物だ。
カンカンカンカンカン と5回ずつ打ち鳴らされて行く。
「5の鐘か…、マルセル!物見にもう一人上げろ!ゲイリー下の者達の装備を整えさせろ。出来た者から外回りの警戒だ!一人で行かせるな!常に3人以上で行動させろ!!」
ハワードが立て続けに指示を飛ばした。
「御頭首!これは…、5の鐘って事はありませんよ!」
ライダーがハワードに近づき、押し殺した声で警告を発した。
「分っておる。ライダー、お前も装備を整えろ。マルセル!物見に森の中だけでなく村全体を見渡すよう伝えろ!ゲイリー!今、詰所に団員はどれだけいるか?」
ハワードが指示を出しながら、自らも周りに居る者の手を借り、装備を身に付けて行く。
スラックスの上からブーツの様な脛当てを履き、カットシャツの上から胸部の左半分を覆う胸当てを装着し、左腕に肩当てまで一体化している腕当てに腕を通し、胸当てに固定する。右腕には肘まである腕当て、手甲を着けた。
どれも魔獣の革を何層も重ね固めた、軽く堅固な革鎧だ。
更には鉄鋲や鉄板も嵌め込まれ、依り頑強になっている。
そして革鎧のいたる所には、荘厳な装飾の様に細かな魔法印が、幾重にも刻み連ねられていた。
この魔法印に魔力を流す事で、装着者の基礎能力を向上させ、革鎧の防御力も大幅に上昇させる。
夏の初めにこの装備でボアに出くわしていれば、躊躇いも無くそのまま殴り倒していただろう。
そして、その手にする武器は大型の剣ツヴァイヘンダー。
それを背側に背負い、愛用のロングソードは腰に吊るす。
ハワード、ライダーが装備を整えたのと同時に、再び警鐘が鳴らされた。
鐘が、4回と2回を分けて何度も打ち鳴らされる。
『報告!対敵を確認!シャドウドックの群れ総数およそ30!』
伝声の魔道具を使い、物見から届く声が室内に響いた。
「4-2の鐘?30だと?!ゲイリー!ありったけの防柵を運び出せ!ライダー!先頭で指揮を取れ!マルセル!道を開けさせろ!直接見る!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすとハワードはそのまま駆け出し、物見櫓の梯子を一気に登り上がった。
物見櫓は3メートル四方程の広さがある、そに居た三人の若者は、突然上がって来たハワードに驚き、目を見開いた。
「貸せ!ワシが確認する」
そう言ってそこに居た者を押し退け、櫓に取り付けられている石板に右手を乗せた。
これは『索敵魔法』が込められた石板だ。
森の中各所に設置されている『探査の魔道具』が捉えた状況を、これを通じ操作者へ伝える事が出来る魔道具だ。
物見櫓では常に目視とこの『索敵盤』を使い、森の動向を監視している。
今はハワードは意識を集中し、魔道具が送り込んで来る情報を吟味していた。
やがて半眼だったハワードがカッと目を見開いた。
「この馬鹿者どもが!何が30か?!100は下らんぞ!更に空からも来る!!」
『索敵盤』を扱っていた者は、忽ち顔色を失い震えだしてしまった。
他の二人も同じ様に顔を蒼ざめさせた。
恐らく対敵の多さに探査魔法の処理が、この若い団員では追い付かなかったのだ。
これは経験の無さ故の物だ。
その事が分っているハワードは、それ以上は追及しない。震えている若者の肩に手を置き。
「今は集中しろ。慌てるな?とにかく集中して森の中の動きをお前が把握するんだ。そして逐一マルセルに報告しろ。出来ぬ者にマルセルは此処を任せはしない!やれるな?」
落ち着いた声で目を見ながら、言い聞かせる様に若者に話す。
肩を叩かれた若者は勢い良く首肯し やってみせます! と声を上げた。
ハワードは頷き返し、他の二人に。
「空からも来るぞ。此処にも来る!お前達は目視もしながらコイツを護れ!」
二人が同時に ハイ! と返事を返す。
「マルセール!!空からも来る!あと3人!弓と矢を持って上がらせろ!槍も忘れるな!残りの弓は東西に展開だ!ありったけのジャベリンを外へ出せ!!煙弾を上げろ!赤三つ!!第三種特別警報だ!鐘を鳴らせーーーーいっっ!!!」
再び立て続けに指示を叫び飛ばしたハワードは、そのまま櫓の手摺に手をかけ、ヒラリと外へと飛び出した。
物見に残った三人が あっ! と声を上げるが、ハワードは櫓の5メートルはある壁を降下して詰所の屋根に着地する。
全身の発条を使い衝撃を和らげ、その勢いを乗せたまま屋根を駆け下り1階のひさしへと更に飛び降りた。
そしてそのまま地上まで降下した。物見の上の3人は目を見開き固まっている。
「ゲイリー!ジャベリンを持って来い!!」
ハワードは詰所を背に森を睨み立った。
詰所と森の間には凡そ20メートル四方の敷地が広がり、詰所の正面には5メートル幅の道が、森の中へと拓かれ延びていた。
道の両側の森の端には、木々を阻む様に太い丸太を打ち込んだ防御柵が、延々と連なっている。
詰所の後ろにも、かなり古びてはいるが同じような防御柵が森と平行に連なる。
この柵と柵との距離は、およそこの半世紀で村人達が森を切り拓く事で得た領域だ。
アムカムの森は、イロシオ大森林が常に侵食を続ける、魔境の末端だ。
常に森を拓き魔獣を駆逐して行かなくては、森に隣接する村々は何れ、この大森林に侵食される。
もし森を抑える者が居なくなれば、簡単に此処は森に埋もれる。
50年前、後ろの防護柵がある場所までがアムカムの森だった。
今、森の中から迫る魔獣共に、易々とこの50年で得た領地を押し戻されてやるつもりは無い。
ハワードは自分の周りにジャベリンが突き立てられていく中、腕を組み仁王立ちをしたまま、厳めしい面持ちで森の奥を睨めつけていた。
そのハワードの元へ、やはり全身を革鎧で包み、黒い顎鬚を蓄えた壮年の男が近付いて来た。
「御頭首、戦力は低団位者21名、中団位者10名、上団位者は私と御頭首を含め7名、全員で38名。半数以上が低団位者です」
とゲイリー・メイヤーズが真剣な眼差しで団員数を報告する。
「ふん!上中団位者が半数近くも居るではないか?」
ハワードが事も無げに鼻を鳴らす。
その時、伝声の魔道具から声が届いた。
『報告!対敵、シャドウドック120!ブルータルバット70!正面林道より凡そ60、遅れて東西の森の中に30ずつシャドウドック接近中!ブルータルバット正面に30、東西におよそ20ずつ展開して接近中!』
「よーーし!良くやった!良く見極めた!!」
ハワードは、物見の報告に拳を上げて激を飛ばした。
櫓の上から ありがとう御座います! と嬉しげな声が響いてくる。
と、そこへライダーも近付いて来た。
「御頭首、この数は…」
「どう見る?ライダー、ゲイリー。これは魔獣の暴走かスタンピードの類だとでも思うか?」
「まさか!こんな統率された動きがですか?」
ゲイリーが 考えられない と否定する。
「複数種の魔獣が無秩序に暴れているなら分ります。ですがこの集団は明らかに一つの意志の元に動いている」
ライダーが森を見据えながら答える。
「ああ、ワシもそう思う。間違い無く何者かの意志がある。ご丁寧にも村の主力が殆ど居ないこのタイミングで襲撃だ。ヘンリーも村には居ない。祭壇で祭司官の祈祷に依る大規模防護結界も展開できない。コレが偶然か?はっ!狙いは何だと思う?」
「村の殲滅……、ですか?」
目に敵意を露わにしたゲイリーが問い返す。
「最終的にはそうなのだろうな。だが、この程度の戦力で村の殲滅など烏滸がましいにも程がある!今ここへ向かって居るコイツらの目的は、恐らくワシらの足止めだ。ということは…居るぞ主力が!」
ゲイリーとライダーが、ハワードの言葉に一層表情を厳しくさせた。
「この犬共がこれだけなのかも怪しいが、今ワシらがしなければ成らぬ事は、向かって来る敵を、出来るだけ速やかに殲滅する事だ。とは言ってもこれだけの範囲だ、全て止めるなど不可能だろうがな」
そう言ってハワードは肩を竦める。
「だから抜けた物は放って置け。そいつらは村の者達に任せる。ワシらは抜けた物を追うのでは無く、向かって来る物を一匹でも多く屠るのだ」
「その為の特別警報ですか?」
「そうだ!アムカムの村の人間を甘く見ている者が居るのなら、この村が一筋縄ではいかんと云う事を、そいつらに思い知らせてやれば良い!」
ハワードが髭に埋まった口元を釣り上げ、猛然たる笑みを浮かべ語る。
それを見てゲイリーとライダーも、釣られた様に笑みを零す。
「低団位の小僧共にはちと荷が勝ちるかも知れんが、中上の団位者ならば一人一殺など、どうと云う事もあるまい?何、一人20も屠れば釣りが来る」
余裕であろう? とハワードがにこやかに問いかけると。
「御頭首は相変わらずお厳しい」
いやはやとゲイリーが笑いながら頭を掻く。
「なんだ?20は厳しいか?何ならワシが半数片付けてやっても構わんぞ?ん?」
「そうは行きませんよ御頭首!半分は私の獲物です!」
おどけた様に提案するハワードを、ライダーが笑顔で制する。
「ふん、ならばお前が主力だライダー。最前列で屠り切れ!ワシは此処からジャベリンが尽きるまで空を射抜く!その後は遊撃に回る。ゲイリー、低団位の者達は必ず3人一組で当らせろ!犬共を足止めをさせ確実に仕留めろ!そろそろ来るぞ。行け!戦闘開始と同時に第一種特別警報だ!2の鐘を打ち鳴らせ!!」
ハッ! と一礼しゲイリーとライダーは其々の持ち場へと走り去る。
ハワードは背に携えたツヴァイヘンダーを抜き、地面に剣先を向け突き立てた。
そのまま手近にあるジャベリンを引き抜き、重さとバランスを確かめる様に一、二度手の中で弄ぶ。
そして徐に胸を反らし、ジャベリンを振りかぶった。
ぬぅん! 全身の筋肉をその一瞬だけ爆発させ、砲弾が撃ち出される様に、ジャベリンが前方斜め上空へと投げ放たれた。
ジャベリンはそのまま一直線に飛び進む。
そしてそのまま、森の枝葉の間に打ち込まれると思われたその時、突然木々の間から飛び出し現れたブルータルバットの身体を、容易く貫き射落とした。
ブルータルバット、体長は1メートル程で、翼長は5メートル近い巨大な蝙蝠だ。
黒い体色に、鼻面の伸びた口元の牙は長く鋭い。
性質は凶暴で、目に付く獲物には見境なく襲いかかり、その牙を突き立てる凶悪な魔獣の一つだ。
その黒い大蝙蝠が、甲高く引き絞る様な声を発しながら、地上へ落ち息絶える。
それを合図にした様に、森の中から次々と獣達が飛び出して来た。
シャドウドックはその名が示す通り影の様に黒く、毛足の長い山犬だ。
群れで獲物を襲う獰猛な魔獣が今、赤い目を光らせ牙を剥き出しにした大集団で、アムカムの森を駆け抜けて来る。
たちまち林道は、シャドウドックに覆い尽くされて行った。
しかしライダーは目の前に迫るシャドウドックを、次々と一刀の元に切り捨てて行く。
他の者達もそれに続き、林道を抜けようとするシャドウドックに打ちかかる。
上空を抜ける蝙蝠は、ハワードのジャベリンで次々と貫かれ、弓の装備者に矢で射落とされた。
詰所前の空間は忽ちの内に喧騒に包まれ、血しぶき舞い散る戦場と化した。
その戦場の中、警鐘が激しく2回ずつ打ち鳴らされ、村の中へと鳴り響いて行った。
「索敵を怠るな!全方位の視認も続けろ!決して何も見逃すなよ!」
ハワードが物見に向かい声を張り上げると、櫓の上から了解の返事が返って来る。
20数本あったジャベリンを投げ尽くしたハワードは、突き立ててあったツヴァイヘンダーを抜き取り、そのまま前線へと駆け抜けた。
自身の身長にも匹敵し、重量もある大型剣をその体躯から軽々と操り、次々とシャドウドックを両断して行く様は正に鬼神の如し。
目の端で一人の低団位者が転ぶのが見えた。
そこへ透かさず3頭のシャドウドックが襲いかかり、牙を突き立てようとする。
ハワードは腰のロングソードを引き抜き、牙を立て様とする1頭へ投剣し、その脇腹へロングソードを突き立てる。
ロングソードを投げ付けたのと同時に走り、ツヴァイへンダーを右手一本で振り抜き、2頭目の胴を両断する。
そのまま左の拳を振りおろし、3頭目の脊髄を砕いた。
上中団位者の鎧なら、シャドウドックの牙如き通しはしない。
だが低団位では鎧に練り込める魔力が拙い。
そこまでの強度が期待できないのだ。
「無理に前へ出る必要は無い!防御を確実に、仲間で1頭ずつ確実に仕留めろ!」
ハワードは、転んだ低団位者が仲間に助け起こされたのを一瞥し、ロングソードを回収しながらそう言葉をかけ、次の獲物へと向かって行った。
ライダー・ハッガードは、騎士団時代から愛用しているナイトソードを振るい続ける。
その刀身に添う様に穿たれた血抜き溝には、装飾の様に魔法印が刻み連ねられ、使用者が魔力を籠め続ける限り、聖気を纏い、強度を上げ、切れ味を落とす事無く振るう事が出来る。
所詮相手は4足の獣だ。
前脚を斬り落とすだけで機動力を奪える。
堅固な鎧も無い、刃を通せば致命傷を与えられる。
後は如何に効率良く斬り伏せるかだけだ。
数の暴力?そんな物は関係ない。
ハッガードの男は、一度敵と向かい合ったなら引く事などしない!
ハワードに、半分は自分の獲物だと大口を叩いたのだ。
少なくとも目の前に迫る黒い波は、全て斬り伏せる!
それでも足りなければ、左右に散った残りの影犬を追わねばならんな と考える。
この程度の獣の群れで怯むほど、ハッガードの男は温くは無いぞ!とライダーは歯を剥きだして猛然たる笑みを浮かべ、片端から血飛沫を舞わせて行った。
『煙弾を確認!黒と黄!弐の詰所です!』
伝声の魔道具からの声が響き渡る。
「ぬぅ、やはり抜かれたか!」
ハワードが影犬を斬り伏せながら、東の空に目を向けた。
彼方の空に上がった、黒と黄色の煙の柱を確認した。
黒と黄の狼煙は、詰所の防護柵を魔獣が突破した事を意味する。
(戦闘が始まって30分と言った所か…、持った方だな)
その時、ザワリとハワードは背筋を走る物を感じ取った。
咄嗟に林道の奥を鋭く睨みつける。
「ライダァーーー!下れぇーーーーぃ!!!」
ライダーに声高に警告を発しながら、前線へと向かおうと目の前の影犬達を斬り飛ばす。
ほゞそれと同時に、ライダーが何かに弾かれた様に林道入り口まで飛ばされて来た。
ライダーは咄嗟にナイトソードの腹を盾にして、衝撃を受け流し、後方へ跳び退いたのだ。
後方に飛ばされはしたが、ライダーは両脚で地を捉え、踏み締め制動をかけ、直ぐ様戦闘態勢を取り直す。
ザワリと、影が林道から溢れ出る様に見えた。
「やあ、驚いたな。これに耐えちゃうヤツが居るんだ?ビックリだよ」
影が言葉を発した。
やがて影が人の形を取り始めると、戦場の空気が一変した。
今まで、血肉が飛び散る生臭さが立ち込めていた戦場の匂いとは別次元の、重く吐き気を催す様な腐臭が漂い、息が詰まる気配が辺りを包み込んで行く。
「ローレンス、先走るな」
影がまた一つ、人の形を取る。
「そうよォ、ローレンスってば直ぐ一番に手を出しちゃうんだものォ!ずるいのよォ!」
また一つ影が増えた。
「だって、この犬たち全滅しかけてるじゃないか!やっぱり此処の層は結構厚いよ?」
「確かにな、我々の介入には良いタイミングだったんじゃないかな?」
「それでも、誰が最初に手を出すかは、別のお話じゃないかしら?バーニーはローレンスに甘いわ」
影が一つ増える程、悪念に満ちた気配が濃厚になって行く。
人影は全部で5つ、等しく同じ様な執事服に身を包み、銀の髪を持っている。
見た目は美しい姿形を取った少年少女だが、その存在感は不浄物の様に毒々しい。
既に魔獣の群れは、ほぼ壊滅に追い込んでいた。
団員の士気は上がり、勝ち戦の様相を示していた。
だが状況が一転した。
低団位の者達は気配に飲まれ、身動きすら取れずに居る。
中位の者達も、動きに精彩を欠く者も居る。
数頭とはいえ、生き残った魔獣たちは村へと向かってしまった。
上位の者達は警戒を強め、動きの隙を覗っている。
「なんだかコレ!さっきから鬱陶しいわ!」
最後に現れた少女に見えるその銀髪の執事服が、自らの長い髪を払い除ける様な動きをする。
と、物見の上から弾かれた様な叫びが上がった。
「イカン!『索敵盤』から離れさせろ!!」
物見の上の索敵をしていた団員が昏倒したようだ。
取敢えず意識を無くしてはいるが、無事な事を上から伝えられた。
「マルセル。索敵はもう必要ない。低団位の者達を魔獣の追撃に向かわせろ」
ハワードの指示に、低団位者達が纏まって村へ向かおうとするが…。
「行かせるワケないだろ」
最初に現れたローレンスと呼ばれた執事服が、その手を振る。
すると足元の影が蛇の様にのたうち、素早く伸び、進もうとしていた団員達の肩を、脚を貫き、そのまま影は水に溶ける様に消えて行った。
身体を貫かれた者達は、その場で倒れ悶絶する。
「ま、陽に当たると直ぐ消えちゃうんだけどね」
その執事は倒れた者達を薄笑いをし眺めながら、そう言って肩を竦めた。
「ローレンス、分ってると思うが、まだ死なすな」
「分ってるよエイハブ。ちゃんと加減は心得てるよ」
「貴様らぁぁ!!」
ハワードが怒りを隠そうともせず、歯を剥き出し睨みつける。
「さあ!諸君、前座は終わりだ!ここからはボク達がお相手してあげるよ!」
ローレンスと呼ばれた執事服が両手を広げ、芝居がかった口調で、その場に居る者達に宣言した。
5体の執事達が並び広がり、その足元の影がユラユラと幽鬼の様に蠢く。
団員達に緊張が走る。武器を握り直し隙無く身構えた。
だがその中で一人だけ身動ぎもせず、只ひたすらローレンスと呼ばれた銀髪を、憤怒の表情で睨み続ける者が居た。
ライダー・ハッガードだ。
「貴様だ……、忘れんぞ…忘れんぞ貴様ぁ!!」
「…どうした?ライダー」
ハワードが執事達から目を離さず、絞り出す様に声を発したライダーの肩に手を置き問いかける。
「御頭……、いえ、クラウドさん。奴です間違いない!忘れる物かっ!!」
「ライダー?」
「10年前のあの時!俺を抑え込んでいたのは奴です!この顔この声!忘れる物か!!!」
ライダーの脳裏に甦る。
その時の情景が、感情が、口の中に広がる血の味が。
雷鳴轟く中、神殿の祭壇は破壊され、神殿長は吹き飛ばされ瓦礫の下だ。
何人もの子供達が目の前で犠牲になり、それを止めようと立ち向かった護衛の筈の団員達は、悉く打ち倒された。
自分とラヴィも怒りに任せ立ち向かったが、難なく組み伏せられてしまった。
「貴様ーーー!離せ!離せ畜生!!!」
「うるさいなー、直ぐにキミの番になるからさ、大人しく待っててよ」
ライダーは抑えられた頭を更に床に押し付けられ、砂を噛む。
「くっそ!ラヴィ!ラヴィー!!」
「なに?そんなにあの子が気になる?なら見てる?すぐ終わるよ?」
ライダーは背中を踏みつけられ、身動きもとれぬ状態で髪を掴まれ、頭を上げさせられた。
ぐぅ と呻き声が漏れる。
顔を上げさせらたその先に、ラヴィニア・クラウドが居た。
ラヴィニアはその身を仰け反らせ、宙に浮いている様に見えた。
だがその腰部には腕が差し入れられ、その腕一本に支えられていた。
ラヴィニアの身体は、見えない力に押さえつけられている様に、そのまま微動だにしていない。
床には、ポタリポタリと血の滴が落ち、血溜りを作っている。
見るとラヴィニアの右腕が、在らぬ方向に捻じれ曲がり、力無く垂れ下がっていた。
そこから骨が皮膚を突き破っているのだろう、血が腕に幾本もの筋を作り、滴り落ちていた。
そんな大怪我を負っているにも関わらず、彼女の眼の力は失われていなかった。
力在る眼でライダーを見据えていた。
「ラヴィ…畜生!ラヴィ!ラヴィ!!」
「ライダー……」
「ラヴィ!ちっくしょう!今助けてやる!待ってろラヴィ!畜生!離せ!離せよ畜生ぉぉ!!ラヴィーー!ちくしょーーー!!!!」
ライダーを踏みつけている脚が、更に力を籠め彼を床へと押し付ける。
「はは!バカだな助けられる訳無いじゃない!ちゃんと見てなよ!」
「く、くそ!くそっ!くそぉぉーー……!」
ライダーの眼に涙が溢れ、視界が歪む。
歯を食いしばり顔を床に押しつけながら、悔し涙を零して行く。
「ラヴィ……!ちくしょ…ぉ」
「ライダー…!」
ラヴィニアの、力と暖か味のある声に、思わずライダーは彼女に目を向ける。
「ライダー……お願い、お願いだから…、諦めないで!みんなを…護って、お願い!ライダー…ぁああっ!あぁあぁーーーーーーーーーぁぁぁっっっ!!!!!!」
ラヴィニアの喉元に、この惨劇の首魁がその牙を突き立てた。
彼女の声が、いつまでも絞り出す様に響き続ける。
やがてその声も小さく途切れ、その肌も血の気を失い、蝋の様に白くなって行った。
ゴトリ とラヴィニアの身体が床へ放り投げられた。
彼女にその牙を突き立てた者は、口元をモゴモゴと動かし、やがて血の様に赤い舌先の上に、小指の先ほどの美しい紅玉を乗せ出した。
それを指先で摘み、明かりに透かす様に覗き込む。
「凄い…!こんな綺麗な星珠は初めてだっ!こんな純粋に澄み切って……魔力もこんなに上質で濃厚な…完璧だっ!こんなの見たことが無いっ凄い!凄いよっ!!こんな掘り出し物が手に入るなんてっ!最高だよこの村はっ!ハハッ!アハハハ!!」
オルベット・マッシュ。子供を喰らい星珠を得るトゥルーヴァンパイア。
この惨劇の首魁だ。
『星珠』それはアストラル体とマナスを封じ固め、その者の魂の輝きを秘めた魔力と生命力の塊だ。
オルベットは今、手に入った最高のその品を興奮した様子で讃えている。
「おめでとうございます!オルベット様」
「ありがとうローレンスっ。今日は最っ高の日だよっ」
祝いを述べるローレンスの足元で、ライダーが足掻く。
「うあーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!ラヴィラヴィラヴィラヴィ!!ちくしょちくしょちくしょーーー!!貴様貴様貴様貴様貴様貴様っ!!!許さん!許さんぞ貴様ぁぁ!!殺してやる!殺してやる!!殺してやる!殺してやるぞ!!ちくしょーーーーちくしょう!!ラヴィ!ラヴィラヴィーーーーっっ!!!!」
床の上で足掻き続けるライダーを見下ろしながら、オルベットは…。
「お?コッチも良い感じで煮詰まってるじゃないかっ!いいねっ!期待できるねっ!今日は本当に最高の日になりそうだっ」
ライダーはオルベットを睨み、ひたすら怨嗟を零し続ける。
頭の中が、怒りで真っ赤に染まるのを感じていた。
だがそれも、その直後オルベットの後ろの壁が、白光と共に弾け飛んだ光景を最後に途絶える。
次に彼が意識を取り戻したのは、惨劇より1週間後。
既にラヴィニアは帰らぬ人となっていた。
ライダーは彼女の墓石の前で、声を上げて泣き続けた…。
彼女との最後の約束を胸に。
「なぁにィ?ローレンス、アンタの知り合いィ?」
「さあ?昔の事だろ?そんなの一々憶えて無いよ。わかんないよ」
「それはそうだな。憶えている方が珍しいな」
銀の執事たちが気怠げに会話を続けている。
それを見るライダーの眉間には、深く激しい皺が刻まれて行く。
ギリギリと音を上げそうな程、歯が食い縛られていく。
「ライダー…まさか、まさか此奴は……?」
ハワードがライダーに問いかけようとしたその時、村の中から鐘の音が鳴り響いて来た。
それは詰所が鳴らす警鐘の様な重い音では無く、澄んだ響きを帯びた鐘の音だ。
だが、澄んだ音色にも拘らず、その鐘は何度も何度も勢い良く鳴らされ、一刻の猶予も無い様な切羽詰った響きを帯びていた。
「この鐘…まさか!学校か!?」
ゲイリー・メイヤーズが驚きの声を上げた。
「そうか…そうだ、此奴らがそうならば…狙いは、子供等か!!」
ハワードが憤怒の表情で執事達を睨めつける。
そして、それと同時にその奥から、更に深い暗闇が染み出す様に溢れて来た。
「やあっ実に良いタイミングじゃないかっ!イライザ達良い仕事をしたねっ」
濃厚な闇が形を作る。
色味の無い白い髪。
冷え込む様なセルリアンブルーの瞳。
黒のアウターに白いシャツ。
その胸元には貴族の様な襞の多いジャボを着け、その中心には瞳と同じ色の宝玉が光を放っていた。
ソレが現れた瞬間、その場の悪念が深く濃度を増し、その場に居た者達を飲み込んで行く。
最早、低団位の者達は顔色を失い動く事さえ出来ない。中団位の者も脂汗が止まらない。
そんな中、只独りライダーが叫ぶ。
「貴様ぁー!!貴様だ!忘れんぞ!!忘れる物かぁぁ!貴様は!!貴様はぁっ!!」
一層憤怒を深め、肚の底から血を吐く様に怒りを絞り出す。
ナイトソードを握り締め、今にも飛び掛らんと身を低く構えて行く。
「いきなり失礼なやつねェ。コイツは殺しちゃって良いですかァ?オルベット様ァ」
銀髪をミディアムボブにして、黒いリボンを巻いた少女の姿を取る執事服が、不機嫌な様子で許可を求める。
「まあ待てライラっ。でも面白いねっボクを知ってる奴が居るんだっ?」
オルベットは胸元の宝玉を触りながら、楽しげな様子でライダーを眺めた
「ふ、そうか…、コイツか…、コイツがそうなのだな?ライダー……」
ハワードが静かにライダーに問いかける。
「そうですクラウドさん!コイツです!コイツが!コイツがラヴィをっ!!!」
ライダーもオルベットを睨みながらハワードに応える。
「ク、そうかククッ…クッ、クック……、そうか、…ついに、ついにか……クックック」
「ナニィこの爺さん?いきなり笑い出してェ。気持ちワルッこれもアンタの知り合いなのォ?」
「だから知らないよ!」
ライラと呼ばれた執事が、ローレンスと呼ばれる執事へ嫌そうな視線を向けて訊ねた。
「マルセーーール!!戦唱を唱えよ!!戦意を上げーーーーぃっっ!!!」
ハワードはツヴァイハンダーを勢い良く地に突き立て、胸を反らし声を上げた。
「フ、フハハ…フハ、ハハ、ハハハ!ハーーッハッハッハッハァ!!!会いたかったぞ!会いたかったぞォ!!チャイルド!イぃぃーータあぁぁぁーーーーッ!!!さあ!遠慮なく来るが良い!!ワシがこの手で!!!今こそ!ワシがこの手で滅殺してくれるっっ!!!!!」
歯を剥き出し、獰猛な笑みを浮かべながら、『灰色の鉄鬼神』ハワード・クラウドが吠え上げた。
子供達の防衛戦。
次回「アムカムの子供たち その1」





