四
いよいよ笛吹は小説を書かざるを得なくなった。彼は元来創作が好きだったわけだから書くからには全力を尽くそうと考えていた。しかし何も浮かばない。何も浮かばないから執筆をやめたのだからそれは当然ではあった。粗末な話でも思いつきさえすれば彼は喜んでそれを小説にしたかもしれない。彼のこの何も浮かばない状態というのはどういうものかというと、ほんのひとかけのアイディアすら浮かばない状態なのだ。彼の思索世界にある創作の源泉は底まで透き通っていて、中には何もなかった。その泉はあたらに湧くことはなく、日に日に水量が減るばかりだった。
笛吹は執筆を辞めてからもいつか再開することを望んでいた。できるかはともかく創作したいという気持ちだけは常に消えることはなかった。だからこれは彼にとっていい機会でもあったのだ。この状況でも書けなかったら本当に彼の創作人生は終わりなのではないか。そんなふうに彼はとらえていた。彼は試験勉強などそっちのけで創作と真剣に向き合った。
しかし書けないのが現実だった。何か原因があるはずだ。彼は世の人が事あるごとに「理由」を求めてくることに違和感を感じていた。理由なんてあるとは限らない。理由もなく部屋の中を歩き回ったり、何もない壁を見つめたっていいじゃないか。一方で「原因」はどんなものにもあると信じていた。何かが起こってそれが原因で別の何かが起こる。そうやって点が線になって人生が形作られていく。小説が書けなくなったのも何か原因があるはずだ。しかも全く書けないとなれば、これはもう根本的な部分に問題があるとしか考えられない。
創作のためにインプットが大切なのは創作人種の間では常識にあたるようなことだ。笛吹だってそのぐらいは承知している。承知しているどころか、自分ではインプットをしているつもりだった。それなのに書けない。ということはそのやり方に問題がありそうだ。
試験勉強の合間に彼は読書をした。いや読書の合間に試験勉強をしたといったほうが正確かもしれない。彼はそのとき地域活性化についての本を読んでいた。これももちろん例の完璧主義的な手順によって読むことが決定された本だった。この時彼が採っていた方法は文章中や巻末に出てきたタイトルを並べていき、それを順番に読んでいくというものだった。その本を読んでいると、文章中に中学生の頃に読んだ小説のタイトルが登場した。その小説のことなどすっかり忘れていたのだが、この時記憶の奥底から掘り起こされたのだ。当時あの小説の面白さがわからなかった。今読んだら理解できるかもしれない。試験が終わったらあの小説を読もうと彼は決め込んだ。順番を無視することになるが、それほど読みたかったのだ。
結局試験が終わるのも待たずにその本を大学の図書館に借りに行った。その前に読んでいた本は途中までしか読んでいないが返してしまった。彼は以前鵜飼と行った喫茶店に通ってはその本を読んでいた。古典的な作品なので設定や文章は古さを感じるが、話自体はとても面白い。中学生の頃の狭い視点ではわからなかったものが今となっては理解できた。彼はその作品をすっかり気に入ってしまった。
考えてみると彼は大学に入ってから小説をほとんど読んでいなかった。文学部の学生にもかかわらずである。彼はその間学術書ばかり読んでいた。そのほうが直接的に知識や視点が広がると信じていたのだ。しかしこのとき物語のほうが学べることが多いのではないかと思い始めた。登場人物やその作者が彼の知らないことや言語化で来ていなかったもやもやとした思いをそれとなく囁くのだ。彼は気づいた。小説を読まずに小説を書けるわけがない。なぜこんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。彼は何度も首を傾げた。でも気づけただけましじゃないか。
しかし小説なら何でもいいというわけではない。やはり古典的な名作から読むべきだろう。この世には小説が膨大にあるのだから「端から順に」読んでいてはいくら時間があっても足りない。時を経てもなお読み継がれている作品というのは時代に関係なく本当に面白い作品ということだろうから、そういった作品を優先的に読むほうが効率がいいはずだ。またそうすることで彼の完璧主義的な性格が多少なりとも改善されるかもしれない。
暫くはインプットに充てることにした彼は図書館で古典的な名作を借りて読み始めた。特に彼は日本の近代文学を読み漁った。彼はいつどこにいても小説を読んだ。次から次へと絶え間なく小説を読む、そんな夏だった。
八月も半ばに差し掛かっていた。そろそろ書き始めなければ間に合わない。彼はパソコンの画面に向かって何かを書こうとした。断片的なものは少し思いついたものの、全体の物語は浮かばなかった。何か一つでも取っ掛かりさえあればその先は心の赴くままに書けると彼は信じていた。
八月の猛暑の中、じめじめとした家の中にいると彼は身体の端からじりじりと焼かれていくような感じを覚えた。二、三日考え込んで何も思いつかず、頭まで燃えてなくなりそうになったので、場所を変えることにした。行き先はあの喫茶店である。メニューを見るまでもなくアイスコーヒーを頼み、暫く冷えた店内でだらりと身体をソファーに沈み込ませた。この数週間でだいぶインプットができた。する以前とは比較するまでもなく文章力も発想力も伸びているはずだ。しかし話の筋が思いつかなければ、せっかく伸ばしたその力を活かすことができない。別に筋なんかなくたって、書きたいことを書き連ねただけだって立派な小説だろう。けれどもそういう型にはまらない書き方は笛吹の今の実力では逆に難しかった。アイスコーヒーを半分ほど飲んで漸く身体の熱が逃げたので、彼は鞄から本を取り出して読み始めた。二冊持ってきたのだが、一冊目はもう少しで読み終わるといったところだった。本編を読み終え、巻末に載っていた、その作者の年表を何気なく眺めていた。有名な作家の人生ってそれ自体が物語みたいだなあと彼は思った。そこではっとひらめいた。彼はそのとき目を見開いて立ち上がったほどだった。この作家ほどではないにしても自分の人生だってちょっとした物語なのではないか? そう思い当たった。彼は座り直してノートを広げ、プロットを考え始めた。
しかし人生すべてを物語にしようものなら長すぎてだれてしまう。それに何を伝えたいのか主題を見失いかねない。そうなると人生のある一時期またはある一つの視点から見た人生を描けば物語として成立するかもしれない。今一番関心のあるテーマは何だろう。それは現に今こうして頭を抱えている、小説の執筆についてだろう。僕が小説の執筆をやめてからまた書き始めるまでの経緯を物語に仕立てれば小説になるかもしれない。彼はそう確信した。大いに脚色するにしてもそれは紛れもなくある側面から見つめた笛吹の人生だった。彼は思いついたことをノートに書き留めると残ったアイスコーヒーを飲み干した。
翌日自宅で喫茶店でのメモをもとにプロットを完成させた。そこから先は順調に進んだ。彼は完成したプロットに沿って文章を書き進めて行った。文章を書いているか、そうでなければ小説を読んでいるか。そんな日々が続いた。書きながらこの数週間名作を読んで蓄えた力を漸く実感できた。彼のその喜びは文章にも満ち溢れていた。彼は久々に創作を心から楽しんでいた。






