仕事内容
「落とすなよ」
一緒に働いていたおっさんが言った。
「えっ」
「傷つけたら、全部自腹だからな」
「えっ」
そんな・・。そんな馬鹿な。それはおかしいだろ。そう思ったが、それが言える雰囲気では全然ない。文句の言える相手でもない。
仕事は倉庫に積まれているお酒のケースを、渡された表に書かれている通りに仕分けし、パレットと呼ばれるフォークリフト用の木の板に積み上げていくというものだった。仕事自体は非常に簡単明瞭、単純な作業だった。
しかし・・、
「ううっ」
肉体労働はおろか、運動すらまともにしていなかった僕に、この仕事はかなりきつかった。一つ二つはそれほどの重みはなく、全然辛くはないのだが、それを、繰り返し繰り返し何時間もやっていくと、じわじわと腕の筋肉が疲労し、パンパンになって来る。そして、痺れた腕は力を失い、握力もなくなってくる。
「きつい」
それは地味だが、結構きつい仕事だった。酒のケースも落としそうになって来るし、自然とペースも落ちてくる。
「おらぁ、はしれぇ」
その時、倉庫内に怒声が響き渡った。見ると、電動のフォークリフトに乗った若いこの倉庫の元受けの社員に、また別の派遣先から来ていたおっさんが、追いかけまわされていた。
「うわああ」
僕はその光景を見て、さらにこの現場の恐ろしさを知った。
「・・・」
ここはマジでヤバイ。僕は完全にビビった。僕は疲労した筋肉に鞭を打ち、ペースを上げた。
「おいっ、なんだこの積み方。ちゃんと教えてんのか」
そこにさらに怒声が響き渡った。その声の方を見ると、元受けの社員たちの親玉みたいなおっさんが出て来て、社員たちを怒鳴っている。あのいかつい社員たちが軒並み委縮している。
「・・・」
どんな存在なんだ。僕はさらにビビる。その親玉みたいなおっさんは、身長が百八十以上あり、体重が百キロを超えたスキンヘッドの巨漢だった。
「マ、マジ無理・・」
マジで怖かった。もうほんと逃げ出したかった。
「うううっ」
仕事は滅茶苦茶きつかった。地味だが猛烈な肉体労働。ほとんど運動も働きすらもしていなかった僕には、まさに骨も軋む思いだった。しかし、まだお昼にもなっていない。僕は愕然とする。これが後何時間も続くのか・・。考えるだけで気が遠くなった。
―――
それでも、なんやかんや、やっとお昼になった。昨日は、一日が過ぎること自体があっという間だったのに、お昼にたどり着くまでだけで、心身ともにボロボロになっていた。
「ママの弁当だけが救いだな」
僕は食堂の席に一人座り、ママからもらった弁当箱の蓋を開けた。
「・・・」
中身は焼きそばだった・・。
「ママ・・」
唐揚げとか卵焼きを想像していた僕は、思いっきりカウンターパンチを食らった。
「おいしい・・」
でも、おいしかった。ママの焼きそばは、冷めてもおいしかった。
「うううっ」
ママの温かみがここに来て染みた。この余りに冷たく厳しい状況とママの温かさ・・。もう、なんだか泣いてしまいそうだった。
「あっ」
昼休みの終わり、そうなぜか挑むように一言だけ言っていきなり、朝一緒の車に乗って来た同じ派遣会社のまだ少年のようなあどけなさの残る若い男が、僕の下にやって来て封筒を突き出して来た。
「あっ」
若い男はさらに強く言い、さらに封筒を突き出す。
「ん?」
不愛想に差し出されていたのは昨日もらったのとまったく同じ茶封筒に金の入った給料袋だった。取っ払いの七千五百円。滅茶苦茶うれしい瞬間だったが、昨日と同じ額というのがなんか悲しかった。あまりにその仕事内容が違い過ぎる。
「早くとれよ」
イラただし気にその若者がそう言う。
明らかに僕よりも年下の人間だった。さすがに僕もむっとする。が、完全に悪いはずの男の方が僕を睨んでいる。
「何でだよ」
何で礼儀として間違っていることをしている方がキレてんだよ。ここの人間は終始意味が分からなかった。ここでは社会常識も基本的なモラル感覚もどれもまったく通用しないらしい。ここにはなんかよく分からない上か下かという個々の自我のぶつかり合いしかないらしかった。
「・・・」
若い男は僕が給料袋を受け取ると、愛想もクソもなく、さっさと自分の仕事へ戻るのだろう、行ってしまった。
そして、午後の仕事が始まった。午前中とまったく同じ仕事――。ただただ疲弊していく、それでいて、気の抜けない仕事。でも、さすがにお金の力はすごい。これだけ絶望的な状況にいながら、ちょっと、うきうきしている自分がいた。
しかし、もはや午前中で、腕の筋肉を使い果たしていた僕は、お酒のケースを一つ持ち上げるだけで、難渋する。しかし、落としてちょっとでも傷つけたら、自腹で弁償しなければならない。そうなったら、何しに来たのか訳が分からなくなる。辛い思いをしてお金を払っていたら、悲し過ぎて二度と立ち上がれないだろう。僕はない筋肉を振り絞って、酒のケースをせっせと運んだ。
「早く終わってくれ」
それだけが、今の僕の唯一の願いだった。僕はとにかく一刻も早くここから逃げ出したかった。この状況から解放されたかった。
「ふぅ~」
なんとか三時の休憩になった。しかし、腕だけでなく、足も腰もかなりの疲労が来ていた。体力的にもかなりしんどかった。
「・・・」
僕の腕は、完全に終わっていた。しかし、仕事が終わるまで後二時間ある。僕は絶望した。
「あっ」
その時、僕の頭にふとある考えが閃いた。
「もしかしたら、もしかしたら」
もしかしたら、昨日と同じ三時半に終わるかもしれない。そんな淡い考えが浮かんだのだ。昨日は実際、三時半に終わったのだ。そんな淡い期待と希望が僕の頭を支配する。
「もしかしたら」
僕は近くで休憩していた同じ派遣会社の男に訊いた。
「今日は何時に終わりなんですか」
「五時に決まってんだろ」
男はケンカ腰に答える。
「思いやりという概念はないのか」
ここの人たちは終始こんな感じだった。頭も性格も悪く、常に敵対的で会話にならなかった。それにしても・・、
「やっぱり・・」
やっぱり、五時か・・。それが当たり前なのだが、変に希望を持ち、昨日の天国を味わっているだけに、どん底に叩き落されるように辛かった。一瞬希望の絶頂に行った僕だったが、一気に奈落の底に落とされたように僕のテンションはマイナスまで下がる。
「後二時間・・」
それが永遠の時間にも思えてきて、愕然とする。そして、また始業のベルが鳴る。僕は重い腰を上げた。目の前は真っ暗だった。
「終わった・・」
終わった。ついに終わった。五時になり、就業のチャイムが鳴ると一斉に労働者たちはその手をとめた。
「終わった」
僕はやり切ったのだ。この地獄の労働を・・。
しかし、地獄は終わっていなかった。
帰りの車中――
「・・・」
また、僕の隣りに座ったあのクソガキが僕の肩にわざと肘を乗せてくる。
「なんなんだよ・・」
何で、こんなことをしてくんだよ。なんで常に人を傷つけよう傷つけようとしてくるのかがまったく分からない。ほんとに意味が分からなかった。
ここの連中にはやさしさも思いやりも、それ以前に、道徳も礼儀も倫理観も、というか一般的な社会常識すらがなかった。他者の人権など鼻くそくらいにしか思っていない、いじめられても、弱い奴は弱いからダメなんだと、そんな理屈にならない理屈が常識としてまかり通るそんな世界だった。
教科書には絶対に載っていない、人間社会の生々しいリアル。それを今僕は目の当たりに体験している。
「早く、早く」
僕は一秒でも早く事務所に着くことを、屈辱の中で願った。地獄は家に帰り着くまでが地獄だった。




