仕事初日
次の日の朝七時前、僕は恐る恐る昨日面接を受けたアルバイト先の事務所まで行く。久々の仕事だったし、初めてのアルバイト先なので、ものすごく緊張していた。というか恐怖に近いものを感じていた。
僕の頭の中に前回の苦い記憶が蘇っていた。ガラの悪い若者。危険できつい労働。それに対してのまったく労働対価としてなりたたない恐ろしく安い給料。
「・・・」
そして、ここは泣く子も黙る祝い町・・。
僕は、後悔し始めていた。僕はとんでもないところに、一人のこのこやって来てしまっているのではないだろうか。前回以上に過酷な現場にわざわざ自ら向かおうとしているのではないか。そんな不安が僕の心を支配する。
「おはようございます」
事務所に着くと、事務所にいた梶原さんに僕はおずおずとあいさつをする。大分早く着いたのか、他にはまだ誰も来ていなかった。
「ちょっと、ここで待ってて」
「はい」
そう言われ、僕は事務所前の高架下の多分普段は駐車場になっているのだろう空きスペースに立つ。
「結局来てしまった・・」
不安を抱えながら、しかし、結局マジメに来てしまっている僕だった。
「・・・」
一人待っていると、緊張と不安がさらに大きくなってくる。この時、長いこと自分が労働をしていなかったことを実感する。自堕落な生活は一度はまるとなかなか抜け出せないものらしい。気づけばその歳月は、かなりのものになっていた。僕の体も精神も完全になまり切っていた。
「おはようございます」
「あっ、おはようございます」
しばらくそこで手持無沙汰で待っていると、ちょろちょろと人がやって来始めた。その人たちも、突然現れた僕をチラチラと見ながら、僕の周辺に立ち、何かを待つ。
「・・・」
僕は、緊張気味に立ちながら、そのやって来た人たちを横目でどんな人たちなのか観察する。年齢はバラバラだが、全員女性だった。ガラの悪い男たちがいないことに僕は少しホッとしながら、しかし、驚いていた。
「どういうことだ?」
この後から、遅れて男たちがやって来るのだろうか。だが、そんな雰囲気はない。
すると、そこに、白いハイエースが一台やって来た。そこにみんなぞろぞろ乗り始める。
「君もこれに乗るんだ」
梶原さんが言った。
「えっ、は、はい」
僕も遅れて一番最後にその車に乗り込んだ。そして、車のスライドドアは閉まった。
「えっ、これで全部?」
僕は車内を見回す。
「そうだよ」
僕の隣りに座っていた若い女の子が人懐っこく答える。
「そうなの?」
僕はその子を見る。
「うん」
「・・・」
僕以外全員女子だった。
そして、僕はその女の子たちと一緒に、そのハイエースでどこへ行くのかそのまま運ばれて行った。
「・・・」
車に揺られながら、しかし、不安はまだ払しょくできない。仕事先に男がいるのだろうか。やはり、前回の労働の時のガラの悪い男たちの姿が浮かぶ。そして、どんな仕事が待っているのか。それがまだ分からない。
「・・・」
事務所を出発してから三十分も経たず着いた所は、海沿いに面する港の倉庫だった。僕はそこに林立する巨大な倉庫群を見上げる。ここでどんな労働が待っているのか・・。やはり、僕の胸には不安しかなかった。
「このお菓子をこの箱に詰めてください」
あの車で隣りに座っていた女の子が僕に言う。
「えっ、これだけ?」
倉庫内に入り、奥へ奥へと通路をクネクネ行った先の奥の作業場で言われたのは、座りながら小さなお菓子を小さな箱に詰める内職のような仕事だった。
「そうです」
「・・・」
めっちゃ楽だった。しかし、これで終わるはずがない。こんな楽なまま終わるはずがない。この後、ガラの悪い男たちが出てきて、きつい労働が待っているはずだ。きっとそうだ。
「これの後、何か別の仕事があるの?」
僕はその子に訊いた。
「はい?」
その子は、首をかしげながら僕を見る。
「いや、だからこの後・・」
「かすみちゃん、ちょっと」
しかし、その子は主任らしきおばさんに呼ばれて行ってしまった。
「・・・」
僕は黙って言われた仕事を始めた。滅茶苦茶楽だった。
「・・・」
しかし、僕は警戒していた。これで終わるはずがない。絶対ない。こんな楽な仕事のまま終わるはずがない。ここは祝い町。祝い町だ。
しかし、その仕事は続いた。しかも、一緒に働いている一緒にやって来た女性たちがやさしい。前回のあの恐ろしいほどの過酷で、厳しい職場環境とは全然違っていた。みんな恐ろしくやさしく、気さくで、明るい。職場環境は完璧だった。
「もしかして・・」
ここは・・。そう、ここは本当に素晴らしい職場らしかった。ここに来て僕はやっと気づいた。
「やった。なんて素晴らしい職場なんだ」
僕は信じられない思いで、しかし、確信していた。
「はい」
そして、お昼休み、かすみと呼ばれていたあの子から封筒を渡された。
「え?何これ」
僕は訳が分からない。
「えっ、お給料ですよ。今日の分の」
何言ってるの?と言った感じでかすみちゃんが答える。
「えっ」
中を開けると、そこには、七千五百円が入っていた。まさに取っ払い。しかも、まだ、昼。仕事終わっていないのに・・。
このまま持ち逃げしたらどうするんだ。しかし、すばらしい職場であることは分かった。
「今日は五時まで?」
お昼休み、また食堂でも隣りの席に座っていたかすみちゃんに訊いてみる。
「えっ、三時半じゃないんですか?」
逆に驚いて僕を見る。
「えっ、三時半で終わりなの」
僕も驚く。
「そうですよ」
「五時までじゃないんだ」
八時から三時半まで。それで、日当七千五百円保証されるのか・・。しかも、何度も言うが取っ払い。
「す、素晴らしい。なんて素晴らしい職場なんだ」
僕は感動していた。仕事は楽、女の子たちもみなやさしい、労働時間短い、給料取っ払い、以前のあの職場とは雲泥の差だった。僕は祝い町を恐れ過ぎていた。見くびり過ぎていた。ちゃんとしているのだ。祝い町だって。ちゃんとしているのだ。
「ごめん、祝い町」
「どうしたんですか」
かすみちゃんが、不思議そうに僕を見る。
「い、いや、なんでもない」
僕は取り繕うようにかすみちゃんを見る。しかも、こんな若いかわいい女の子が普通にいる。
「天国や。ここは天国や」
僕は興奮し過ぎて、関西弁になっていた。
「明日も来れる?」
倉庫での仕事が終わり、事務所に帰ると、梶原さんに訊かれた。
「もちろんです」
僕は勢い込んで答えた。
「じゃあ、明日ここに六時な」
「はい」
「じゃあ、今日はお疲れさん」
「お疲れ様です」
僕は元気よくそう答えて、意気揚々と帰路についた。
「あれ?明日は六時?今日と時間が違うな」
僕は疑問に思いつつ、しかし、あまりに素晴らしい一日に高揚していて、そんな疑問もすぐに吹っ飛んでいった。
「こんな楽なハーレムな仕事があるなんて、しかもとっぱらいで七千五百円もくれるなんて」
僕は、封筒の中身を胸に、ほくほく顔で帰りに道を歩いて行った。
「素晴らしい。人生は素晴らしい」
僕は感動していた。
「生きていればいいことがあるな」
僕は夕日に向かって呟く。隣りを追い抜いていく女子高生と小学生が怪しげな目で、そんな僕を見つめていく。でも、そんなこともまったく気にならなかった。
すべての僕の人生が華やいでいた。僕の人生に未来が見えていた。明るい未来が――。




