悩み
「・・・」
僕は映見さんに返し忘れたお釣りを見つめていた。約六千五百円ほどあった。今の僕にとってはかなりの大金だった。
「・・・」
これも慈善事業なのだろうか・・。僕は悩む・・。
「・・・」
そして、僕はまた、人生にも悩んでいた。この町に来て色んな人を見て、いろんな話を聞いて、何か人生が分からなくなっていた。人生とはなんなのだろう。そして、僕はこれからどう生きればいいのか。僕はまったく分からなくなっていた。
「どうした。青年。また悩んでおるな」
「ん?」
ふいにすぐ隣りで声がして、僕は横を向いた。
「あっ、ブッタさん」
あの丸顔のにこにこ顔がそこにあった。
「い、いつの間に・・」
やはりまた、気配を感じなかった。ブッダさんはしかし、驚く僕を見て、またにこにことその人のいい丸顔をさらにほころばせる。
「・・・」
何者なんだ。一体この人は。と思うが、やはり、このにこにことしたなんとも無防備な笑いを見ていると、なんか心の警戒が溶けていくように薄れてしまう。
「なんで人って生きているんですかね。なんか最近僕分からなくなってしまったんです」
そして、気づけば僕はまた、なぜか見知らぬブッダさんに悩みを打ち明けていた。
「なんか人生って苦しいことばかりな気がするんですよね。しかも最後には死んじゃうわけだし、なんて理不尽なんだろうって思うんです」
僕は最近感じている憂鬱な気持ちを言葉にしていく。ブッダさんは、やはりにこにこと僕の話を聞いてくれている。
「ブッダさんはどう思います?」
僕は話し終わり、ブッダさんを見た。
「ほぉっほぉっほぉっほぉっ」
しかし、ブッダさんはにこにこと笑っているだけだった。
「ダメだこりゃ・・」
ブッダさんはなんの役にも立たなかった。
そんな僕たちの頭の上を、なんの悩みもない大きな綿雲がほわほわと流れていった。
「はあ・・」
僕は大きくため息をついていた。結局、気づけば僕はまたいつものようにママの店にいた。結局、自分がどうしていいのか、何をすべきかまったく分からない。
「お前は悩んでねえでとにかく働けよ」
ママがそんな僕に呆れるように言う。
「はあ」
「若いんだからさぁ。体動かせ体」
「はあ」
しかし、悩める僕はなんのやる気も湧かない。
「こんないたいけな中学生だって働いてんだぞ」
ママは未来ちゃんを見る。未来ちゃんは、他の一般客の注文取りや、配膳、後片付け、皿洗いなど、忙しく働いていた。
「・・・」
確かにママの言うとおりだった。しかし、働く気は僕の中にまったく起こらなかった。
「ここは働かなくても生きて行けちゃうんですよ」
僕はため息交じりに言った。
「この町のせいにするのかよ。お前はまったく」
ママはさらに呆れる。
「あっ、そうだ。僕、今日お金あるんですよね」
僕は今自分がお金を持っていることを思い出した。僕はママの店の壁一面に張られたたくさんのメニュー表を見回した。
「お前はこの手の話をごまかすのだけはうまいな」
ママが呆れながら言う。
「今日はちょっとお金あるんで、他のものを頼んでみようかな」
なんだか僕は急に元気になる。やはり、お金があるということは素晴らしい。僕は、映見さんからの施しをありがたくいただくことにした。返したくても映見さんはどこにいるのかも分からない。これは仕方のないことだ。映見さん自身も慈善事業だと言っていた。
「ええとぉ」
この店いに来てから焼きそば以外食べたことがない。しかし、いざ他のものを頼もうと思うと迷う。
「ええとぉ、あっ、かつ丼もいいな」
「お前は焼きそばにしとき」
しかし、ママがそんな僕に鋭く言った。
「いや、でもお金はあるんです。今日はちょっとリッチに、前から気になってた手巻き寿司食べようかと思ってるんです」
「無駄遣いするんじゃない。あんたは焼きそばにしとき」
「ここのメニューなんでも出来るって言ったじゃないですか」
僕は店の壁一面に張り巡らされたメニュー表を指さした。
「あんたは焼きそばにしとき」
ママはしかし、キッと僕を睨む。
「ううっ」
「焼きそばにしときっ」
「は、はい・・、じゃあ、焼きそばで・・」
「うん、それでいい」
ママの勢いに押され、今日も僕は焼きそばを頼んだ。
「僕は客だよな・・」
客に決定権のない店ってどんな店なんだよ・・。
「うまい」
しかし、今日もママの焼きそばはやはりうまかった。
「やっぱ、焼きそばだろ」
ママが僕をどや顔で見てくる。
「ええ・・」
確かに、うまいんだが・・、何かが違う・・。
「なんか違うような・・」
「ていうか、お前なぁ、金があるんだったら溜まったツケを払おうっていう、そういう考えはないのか」
「いや~、ママの焼きそばはおいしいな。最高です」
僕は焼きそばに集中した。
「まったくお前は・・」
ママは呆れる。
「こういう大人になっちゃダメだからな」
ママは隣りの未来ちゃんに言った。
「しかし・・」
僕は店の壁一面に張られたメニュー表を見た。本当に、ここに書かれているメニューが全部できるのだろうか。
「ママ、本当にここに書いてあるメニュー全部できるんですか」
「当たり前だろ」
ママは胸を張って言う。
「・・・」
本当なのだろうか・・。
「やあっ、久しぶり」
「ん?」
そこになんだか懐かしい声がした。僕は店の入口を振り返る。
「あっ、小田さん」
小田さんだった。
「おおっ、久しぶりじゃねぇか」
ママが言った。
「うん、ちょっと最近忙しくてね」
「大変なのか」
「うん、まあ、ちょっと、厄介ごとが立て込んだだけだけど」
小田さんは僕の隣りに座った。
「ママ、焼きそばとビールね」
「はいよ」
「小田さん久しぶりですね」
僕が声をかけると、小田さんは僕を見た。
「君はなんだかいろいろと悩んでいるみたいだね」
小田さんが僕を見るなり言った。
「えっ」
なぜ、分かったんだ。
「働きもしないくせにいっちょ前に悩みだけはあるんだよ」
ママが言った。
「うるさいですよ」
僕が、ママに怒る。
「はいはい」
ママは焼きそばを焼き出した。
「あっ、そうだ、もしよかったら、うちの病院に来てみないか」
未来ちゃんの出したビールを手酌でコップに注ぎながら、小田さんがいきなり言った。
「えっ、いや、僕はそんな心の病気じゃ」
「いやそういうんじゃないんだ。社会勉強になるんじゃないかと思ってね」
「えっ」
僕は小田さんを見る。
「ボランティアでちょっと来てみないかってことさ」
「・・・」
僕は一瞬固まる。
「おお、いい話じゃねぇか。働け。お前に今必要なのは労働だ。汗水流して働く労働だ。ちったぁ、世のため人のために働いてこい。そうすりゃぁ悩みなんか全部ふっとんでっちまうよ」
ママの方が乗り気になっている。
「う~ん・・、そんな単純なもんかなぁ・・」
「だから、悩んでんじゃねぇよ。とりあえず行って来いよ。暇なんだろ」
ママが僕をけしかける。
「はあ・・」
確かに暇だった。時間なら腐るほどあった。
「じゃあ、明日病院においでよ。場所は分かるね」
「は、はい・・」
なんとなくその場の雰囲気に流され僕は、はいと言ってしまった。ここが僕のいつもの悪い癖と弱いところだった。




