映見さん
「こいつはね。たった一回の肉体労働で挫折して働かなくなったんだよ」
ママが未来ちゃんに耳打ちするように言う。
「しっかり聞こえてますよ」
僕がママを睨む。
「そうか。はははっ」
絶対わざとだった。
「変なこと吹き込まないでください」
「事実だろ」
「うううっ」
「実際今、働きもせず真昼間っからビール飲んでるじゃねぇか」
「うううっ」
僕は真昼間からママの店に入り浸り、ビールを飲んでいた。
「お前も立派なこの町の人間になってきたな」
「うううっ」
一番言われたくない言葉だった。
「ママのバカッ」
僕はママの店を出て、町をぶらついていた。今日もお天道様は、分け隔てなくホームレスと犯罪の町、日本のたんツボと呼ばれるこの祝い町をも明るく照らしてくれている。
「ん?」
その時、僕はふと通りがかった公園の方に目が行った。
「あっ」
そして驚いた。あの美人歌手だった。あの美人歌手の映美さんが、公園のベンチに座っている。
「何をしているんだ?」
僕は映見さんを遠くから覗き見る。あんな若くてきれいな人が、いくら真昼間とはいえ、この町を一人で歩くなんて、ちょっと危険じゃないのか。僕は思った。日本で一番治安の悪い町。祝い町はそんな噂もある町だった。しかし、彼女は全く気にしている風もない。
「ちょっとあんた」
すると映見さんが、突然僕の方を見て大きな声を出した。
「えっ」
僕は辺りを見回す。
「あなたよ」
「僕?」
僕は間抜けな顔で自分に指を差す。
「そうよ。あんた意外いないでしょ」
「そうですが・・」
確かに周りに人はいなかった。
「ちょっとこっち来て」
映見さんは大きく手を振り、手招きする。
「は、はい」
映見さんに大声で呼ばれ、僕はひょこひょこと映見さんのもとに行く。
「ちょっとビール買ってきてくれない」
「えっ」
東北訛りでいきなり映見さんは僕に言った。
「あと、つまみもなんか適当に。そこはあんたのセンスに任せるわ」
「は、はあ」
そして、映見さんは僕に一万円を渡す。
「なんて、無防備な・・」
これが僕だったからいいようなものの、他の人間だったら確実に持ち逃げされていることだろう。映見さんはこの町を舐めている。そう思いながら僕は素直に、ビールとつまみを買いに行った。
「はい、どうぞ」
僕は真面目にビールとつまみを買って戻ってきた。
「おっ、ちゃんと買って来てくれたんだ」
映見さんがちょっと驚いた声で僕の買ってきたビールとつまみの入ったビニール袋を見る。
「えっ?」
「あんたで五人目」
「はい?」
「前の四人はみんな一万円持ってどっか行っちゃったわ。まあ、いいけど」
「・・・」
「あんたも飲む」
「えっ」
映見さんは僕に缶ビールを突き出す。
「あ、はい、じゃあ、いただきます」
僕は缶ビールを受け取った。そして、映見さんの隣りに座る。
「あの、ここで何をされているんですか」
僕はおずおずと訊いた。
「あんたこそ何やってんのよ」
「えっ」
「いい若いもんが、真昼間から何ぶらぶらしてんのよ」
「えっ」
映見さんはなんか思っていた人と全然キャラが違う。もっとやさしい人かと思っていた。どうもあの温かい歌の感じとは全然違うキャラクターらしい。
「まあ、いいけど」
映見さんは、そう言って缶ビールを勢いよく豪快に喉に流し込んだ。
「昼間から飲まれているんですか」
「いけないの」
映見さんが僕を睨むように見る。
「いえ」
僕ももうすでに飲んでいた。
「私普段、昼間は飲まないのよ」
「はあ」
「でも、この町に来るとなんか飲んじゃうのよねぇ」
映見さんは真っ青に晴れ渡る空を見上げた。
「はあ」
「そういうとこない?」
映見さんは僕を見た。
「はい?」
「この町って」
「はあ・・」
確かにちょっとそういうとこはあるかもしれなかった。僕だって昼間から酒を飲むような人間ではなかった。
「あっ、ちょっと」
「なんですか」
いきなり大声を上げる映見さんに僕は驚く。
「なんでつまみにマグロの刺身なのよ」
映見さんが買い物袋の中を覗いて声を上げる。
「えっ、なんか安かったんで」
「・・・、あんたすごいセンスしてるわね」
呆れ顔で映見さんが僕を見る。
「そうですか?」
「普通、買ってこないわよ」
「そうですかね」
「それになんでバナナなのよ」
映見さんは買い物袋から一房のバナナを取り出した。
「いや、小腹も空いてるんじゃないかなって」
「空いてないわよ」
即答された。
「こういう時はスルメとかさ、柿の種とかさ。そんなんでいいのよ」
「そうだったんですか。じゃあ、また買いに行ってきます」
「いいわよ。バナナ食べるわよ」
腰を浮かしかける僕に映見さんは言った。映見さんはビール片手にバナナを剥いてほおばりだした。
「生まれて初めてだわ。バナナ食べながらビール飲むの」
「どうですか?」
「滅茶苦茶あわないわよ」
「・・・汗」
率直な感想だった。
「すみません。あのマグロおいしいですよ」
僕はマグロの刺身を勧めた。これならビールには合うはずだ。
「醤油がないじゃないの」
「あっ」
「あっ、じゃないわよ。なんで今気づくのよ」
「それに箸もないし」
「あっ」
「ほんとしっかりしてよ」
映見さんがじろりと僕を見る。完全に映見さんに呆れられてしまった。
「・・・」
僕は昔からどこか抜けたところのある人間だった。ガソリンスタンドでバイトしていた時も、バイクのお客さんに、給油口ではなくオイル口にガソリンを入れてしまい、大変なことになってしまったことがある。あの時は、社長に多大なご迷惑をおかけしてしまった。
「うううっ、僕はなんてダメな人間なんだ」
僕は頭を抱えた。だから僕はこんな若くしてホームレスなんかになってしまったんだ。
「うううっ」
僕は一人自責の念に苦悶した。
「いや、そこまで、自分を責めなくてもいいわよ・・汗」
映見さんがそんな僕を奇異な目で見る。
「あっ」
僕はその時、突然閃いた。
「何よ」
突如顔を上げる僕に映見さんが驚く。僕は公園の片隅の段ボールハウスに目をやった。
「あの僕借りてきます」
「えっ、借りる?」
キョトンとする映見さんを残し、僕は段ボールハウスに走って行き、中を覗き込んだ。
「あのぉ」
「あ?なんや、兄ちゃん」
声をかけると、中からもそもそとホームレスのおっちゃんが出てきた。
「あの、醤油あります?」
「あ?醤油?」
「はい、醤油です」
「ああ、あるよ」
「ちょっと貸してもらえませんか」
「ん?ああ、いいよ」
ホームレスのおっちゃんは、気さくに貸してくれた。
「これお礼です」
僕はバナナを一本渡した。
「おお、あんがと」
おっちゃんはにこりとして、うれしそうにバナナを受け取った。
「醤油借りてきました」
借りてきた卓上醤油の瓶を指し示しながら、僕は再び映見さんの隣りに座る。
「あんたなかなかやるわね」
ちょっと、驚いた顔で映見さんは僕を見ていた。
「へへへっ、そうですかね」
映見さんに褒められてちょっとうれしい。
「箸はないんで、手づかみで」
「いいわよ」
僕たちは、マグロの刺身を手づかみで食べ始めた。
「手づかみってのもおいしいわね」
マグロのぶつ切りを豪快に手でつかんで映見さんは口に運ぶ。
「でしょ」
僕はちょっと得意になった。
「わさびが欲しいところだけど、それは言わないでおくわ」
「すみません」
「それにしてもたっぷりね」
映見さんはマグロの刺身のパックを覗き込む。祝い町近くのスーパー玉姫は、どういう仕入れの仕方をしているのか、すべての商品が異常に安くそして量が多い。マグロの刺身も豪快なぶつ切りで、大きめのトレーにてんこ盛りに盛られている。普通のスーパーなら、この三倍の値段はする量だ。
「まっ、いいけど」
僕たち二人は、しばし公園のベンチでマグロの刺身をたらふく食べながら、ビールを飲んだ。




