音の無い恐怖
「俺たち部隊はジャングルの中を歩いていた。ベトナム戦争の中じゃ日常的なことさ。その日も別に特別な作戦でもなく、そんな日常の延長だった。トムにクリス、ジェスに・・、全部で十人。今でも顔も名前もはっきりと思い出せる。いい仲間だった。白人と黒人の混成部隊だったが、アメリカでありがちな差別もいじめもなく、中々いい部隊だった。リーダーのクリスも、インテリでちょっと頼りなさはあったが、威張ることもなく、からかわれながらみんなとうまくやってた。戦争ってのは、はっきりとした敵を作ってくれるから、仲間意識を持ちやすかったんだろう。俺たちは、家族よりもお互いを信頼し合っていた。ほんと、いい仲間だった」
ベンは、学生時代の楽しかった思い出を語るみたいに楽しそうに話した。
「いつか誰か死んじまうかもしれないって、頭の隅で考えながら、でもそんなのは他人事だった。俺たちは若かったし、くよくよ考えてる暇なんかなかった。とにかく今が楽しくなきゃ人生じゃなかった。だから、戦争中だって、俺たちは陽気にジャングルを歩いていた」
ベンは陽気に僕を見る。
「だが・・」
「だが?」
ベンの表情が急に変わった。
「その時、ふと、別になんてことないその時に、ほんのちょっとした何かで、ほんとにちょっとした何かで、俺はタバコが吸いたいと思った。なぜその時、そんなことを思ったのか今考えても分からない。普段俺は歩きながらタバコを吸うことは絶対にない。その時も別に、何か特別な何かがあったわけじゃない。ただ、ほんとにほんのちょっとした何かで、ふと、タバコを吸おうと思ったんだ。ただ、それだけだった・・。そして俺は、いつもの赤い箱から一本煙草をつまみ出し口に咥えた。それに火を付けようと、愛用のジッポーライターをポケットから出して、いつもの慣れた調子で擦った。俺の長年使ってるジッポ―は、使い慣れててメンテも欠かさない。だからいつも一発でつく。だが、その日はつかなかった。そんなことは記憶にないくらいないことだった。そこで俺は一瞬立ち止まった。回りが歩いている時に、自分だけ立ち止まるなんてことは、まずありえないことだった。命令でもない限り。だが、その時、俺はなぜか立ち止まった・・」
「・・・」
僕は黙ってベンの話を聞いていた。
「その瞬間、目の前で、音もなく突然仲間が全員消えた」
「消えた・・?」
「一瞬のことだった。一瞬で全員が消えたんだ」
「・・・」
「さっき、ついさっきまですぐ近くに一緒にいた仲間が、一瞬で全員消えたんだ」
ベンは、当時の映像を今目の前で見ているかのように、瞳孔が縮小した目で、目の前を見ていた。
「静かだった。何の音もしないんだ。時が止まったみたいに、音が、空間が、止まっているんだ。虫の声や鳥の声が点になっていた。音が連続性を失い、点になってそこで止まってるんだ。熱帯のジャングルが凍ったみたいに静かだった。それはものすごく恐ろしい世界だった。背中が氷柱が刺さったみたいにぞくぞくした。熱帯の蒸し蒸しした暑さが、死んだ世界みたいに冷たかった。不安で気が狂いそうだった。静か過ぎて、訳が分からなかった」
そこでベンはガタガタと震えだした。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。昔を思い出すと始まりやがる。いつものことだ」
しかし、その震えは歯がガチガチとなるほどまでに激しくなった。
「俺は一瞬何が起こったのか分からなかった。しかし、しばらく経って、目の前に広がる大きな穴を見て全てを理解した」
「穴?」
「ああ、巨大な穴さ」
「・・・」
「トラップさ」
「トラップ?」
「ベトコンがよく使うジャングルに仕掛ける罠だ」
「・・・」
「全員死んでた。穴の底で・・」
「・・・」
「静かなんだ。音がないんだ。敵もいない、見方もいない。俺一人。たった一人。広大なジャングルの一角に俺だけがいる。不気味だった。本当に静かなんだ。みんな死んでるのに、俺一人がその場にバカみたいに突っ立ってるんだ。目の前で俺の仲間は全員死んでる。でも、その現実と静寂が全然理解出来ないんだ。何が何だか分からなかった。理解が出来ないんだ。頭に入ってこないんだ。その現実は厳然と目の前にあるのに・・」
「・・・」
「俺はあんなに恐ろしい経験をしたのは初めてだった。本当に静かだった・・、ものすごく静かだったんだ」
ベンは頭を抱えた。
「俺は半分狂乱したまま、仲間のキャンプへ帰った。どこをどう歩いたのかも覚えていない。そして、心神喪失でそのまま戦線離脱。沖縄に返された」
「・・・」
「俺は沖縄の基地に帰ってからも、ただ茫然としていた。本当に廃人のようだった。そして、俺はただ一人生き残ってしまったそのことに罪悪感を感じ始めた。そして、段々そのことに耐えられなくなっていった。俺も一緒にあの時死ぬべきだった。そう思うんだ。朝も昼も晩も、そのことを考えない時は無い。寝てる時も、四六時中その思いが頭を支配しているんだ。俺は気が狂いそうだった。酒を浴びるほど飲んだ。麻薬にも手を出した。でも、消えないんだ。俺はあの時、仲間と一緒に穴に落ちるべきだったっていうその確信が・・」
「・・・」
「頭では分かってる。それはおかしなことだって。でも、確信があるんだ。俺はあそこで穴に落ちるべきだったって」
「・・・」
「そして、俺は基地から逃げ出した。でも、逃げても逃げても、その確信からは逃げられなかった。そして、気づけば、俺は流れ流れてこの町に来ていた」
「・・・」
ベンは、顔を上げ、黙ってしばらく向野川の川面を見つめた。
「クスリをやり過ぎて、今じゃあれが現実だったのか、幻想だったのかすら分からなくなっちまったが、その確信だけは今もある」
「・・・」
「この町はいい。俺は大好きだ・・」
ベンは川面を見つめながら、呟くように言った。
「キャンプへ帰る時、ただ一つだけ覚えていることがある」
しばらくまた黙って川面を見つめていたベンが、突然言った。
「覚えていること?」
「ああ、そのことだけはなぜか覚えている。途中に村があった。ジャングルの中によくあるベトナムの貧しい田舎の村さ。そこを通った時だった。その村の子どもたちが、俺を見ているんだ。全員が俺を見てる。無表情で、なんの抑揚もない死んだような目で俺を見ている。ただ見てるんだ。ずっと・・、俺を見ているんだ・・」
「・・・」
「俺は最低だ」
ベンは組んだ腕の中に頭をつっぷし、突然泣き出した。
「俺は最低なんだ」
「・・・」
「俺は最低なんだよ・・」
僕にはかける言葉がなかった。僕は、ベンの抱えているそのとてつもない苦しみを共有するほどの何かを持っていなかった。僕はただ、泣きじゃくるベンの隣りにいることしかできなかった。




