外国人ベンの話
「俺はいつも畑仕事をする前に、ここで朝飯を食うんだ。一緒にどうだ?」
「うん」
ベンは川端の草っぱらに腰かけた。僕もその隣りに座る。目の前にはゆったりと流れる向野川があった。
「サンドウィッチとコーヒーだ」
アメリカンサイズのかなりボリュームのあるサンドウィッチに熱々のホットコーヒー。ホームレスにしてはかなり豪華な朝食だった。僕はサンドウィッチを一つもらい、水筒からコーヒーを注いでもらった。
「うまい!」
サンドウィッチはおいしかった。厚切りのハムにたっぷりの野菜とマヨネーズ。シンプルでおおざっぱだが、それが逆に素材のうまさが生きて、絶妙にうまかった。これに熱々のコーヒーがよくあった。甘過ぎず、ほどよい苦みが丁度よかった。
「こんなところに畑を作っていたんですね」
僕は左右の畑を見回す。
「ああ、趣味でな。若い時、故郷のアメリカでは俺は農業をしていたんだ。日本みたいなこんな狭い土地じゃないぞ。バカでかいトラクターで、地平線が見えそうなくらいの信じられないくらい広い土地を耕していたんだ」
ベンがどうだと言わんばかりに自慢気に言う。
「へぇ~」
ベンが大型のトラクターで広大な農地を耕す、そんな喉かな光景が僕の頭の中に浮かんだ。
「ももちゃんの畑もここなのかな?」
僕が畑を見回し呟く。
「お前さんはももの知り合いか」
ベンが少し驚いて僕を見る。
「はい」
「もももここで野菜を作っている。あっちの畑がもものだ」
ベンは、畑の連なりの一番端の方を指さした。そこは、ももちゃんの性格を表すように、きっちりときれいに均等に整地された畝が並び、輝くように美しい色とりどりの野菜が見事に育っていた。
「それにしても危なかった」
その時、突然ベンが言った。
「えっ」
僕はベンを見る。
「もう少しで君を殺すところだった。俺は背後からつけられているという強迫観念が常にあるんだ。だから、実際につけられているのか、強迫観念なのか区別がつかなくなる時がある。だから、恐怖のあまり何をするか分からない。実際、過去に殺しそうになったこともある」
「・・・」
僕の背中に冷たいものが流れた。僕は実際、ベンに絞められている時、本気で死ぬと思った。しかし、後をつけた僕も悪い。僕は何も言えなかった。
「俺は元軍人。沖縄の米軍基地にいた」
「えっ、そうだったの」
僕はあらためてベンを見る。今は全くそんな雰囲気はない、ただの陽気なデカイ初老のおっさんだ。
「そして、俺はベトナムに行った」
「ベトナム?」
「ああ」
そこで、ベンははるか昔を見ているのだろう遠い目をした。
「俺はそこで死んだんだ」
「死んだ?」
「ああ、俺は死んだ」
そこでベンは何と言えない、悲しいとも苦しいとも寂しいとも言えないそんな目をした。
「戦争ってのは人を殺す。色んな形で。体だけじゃない。心だけじゃない。魂も殺すんだ」
「・・・」
「人間としての形を失うんだ」
陽気なベンが、少し寂しそうな顔をした。
「俺はバカな若い愛国者だった。あんなクソみたいな戦争に自ら志願したんだからな」
ベンは笑って僕を見た。
「ベトナムに行くことを拒否して刑務所に入れられる奴もいた。でも、その時は、そんな奴らを腑抜けか腰抜けくらいにしか思っていなかった」
ベンはさらに自嘲気味に笑った。
「でもな、実際の戦争なんて、愛国だとか何だとかそんなもんじゃない。実際に戦争に行ったこともない奴が、愛国だとか国防だとか言って、訳知り顔に戦争だとかを語っている。そんなのは吐き気がする。本当の戦争っていうのはそんな生易しい、頭の中で起こっているお花畑みたいなもんじゃないんだ。目の前にある地獄だよ。地獄そのものなんだ。殺し合いなんだ。生身の殺し合いなんだ。ベトナムは人が殺し合う地獄だった」
「ベトナム戦争・・?」
僕はベンを見る。
「そうだ」
ベンは大きくうなずいた。
「・・・」
ベトナム戦争は、大量の銃火器を消費し、苛烈な殺し合いが繰り返され泥沼化したという悲惨な戦争だったということは知っていた。しかし、それはテレビとか教科書とか映画の中でしか知らない、僕にとってはまったく遠い世界のお伽話だった。そんな歴史的な戦争に、目の前のベンが参加していたなんて、話を聞いても全く実感がわかなかった。
「ベトナムのジャングルってのはな、戦争じゃなければ結構良いとこなんだぜ。もううるさいくらいに生き物に溢れててな、なんかそこにいるこっちまでなんか元気になっちまう。そんなとこだ」
ベンは懐かしむように、真っ青に晴れ渡った空を見つめた。
「そこが一瞬で静まり返ったんだ。静寂。いや、無音。完全な無音」
「無音?」
「そうだ。全くの無音。音のない世界・・」
そこでベンの表情が、恐怖に震えた。
「あんな恐ろしいものはない・・、あんな・・」
そして、ベンは恐怖にかられた目を、中空に彷徨わせ呟いた。




