不思議な安心感
「あれっ?」
気付くと僕は、六角公園のど真ん中の地べたで寝ていた。真上では太陽が煌々と照っている。
「・・・」
僕の上には女物の白いカーディガンがかけられていた。多分大きさからいって、ももちゃんのものだろう。
「うううっ」
強烈な二日酔いの何とも言えない、どん底な気分の悪さと不快さを抱えながら、僕は起き上がった。それと同時に何とも言えない絶望感が湧き上がってくる。酔っぱらって忘れていた辛い現実が、一気に、酔い覚めの不快感と共に目の前に迫ってくる。
「はあ」
思わずため息が漏れる。
仕事は見つからず、せっかく作ったテントは飛ばされ、パーカーは盗まれ、何もかもがうまくいかず、酒に溺れている自分。自己嫌悪と、絶望がないまぜになり、吐くことのできない腐臭を放つゲロが心の中で渦巻いているような、最悪な気分。もう心が折れそうだった。
僕はよろよろと立ち上がりとりあえず、公園の端に設置されているベンチに座った。近くのベンチには、ザ・浮浪者といったいで立ちの方々が寝ておられる。
「・・・」
そういう人たちの姿を見て、あらためて自分の置かれている境遇に落ち込んだ。
「俺、ほんとダメだな」
落ちるとこまで落ちた。そして、這い上がれない。
「・・・」
空を見上げると、空だけは、これ以上ないくらい美しく晴れ渡っている。その対比に、よけい僕の心は沈んだ。
「青年、悩みごとかな」
ふいに至近距離から声をかけられ、僕は驚いた。
「えっ、あっ」
慌てて横を向くと、にこにことしたいかにも好々爺といった感じの小柄なじいさんが立っていた。
「い、いつの間に・・」
まったく人の気配を感じなかった。僕の驚く顔を見つめながら、そのじいさんは、やはりにこにこと笑っている。
「・・・」
この人は見たことがある。
「たしか・・」
確かブッダさん・・。インテリさんと町を見て回っていた時に見かけた人だ。
ブッダさんは物腰軽く、僕の隣りに座った。その動作も、一切の無駄がなく、流れるような自然な動きだった。ほんのちょっと、枯葉が舞ったようなほどの軽さだった。
「・・・」
ブッダさんは、僕の顔をにこにこと見つめる。気分は最低で、あまり人と話をする気分ではなかったが、しかし、ブッダさんのその口元にある、何とも言えないやさしい微笑みが、なぜか僕の心に、不思議とやさしさと穏やかさを与えた。
「青年、だいぶ悩んでおるようじゃのぉ」
「あっ、いえ・・」
ブッダさんは、にこにこほわほわとした何か独特の平和な雰囲気を放っている。
「僕・・」
「ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ、青年。相当悩んでおるな」
ブッダさんは笑った。それは子供のような、本当に無邪気な笑いだった。
「僕は・・」
その笑顔に吸い込まれるように、僕は不思議と見ず知らずのブッダさんに悩みを語っていた。
全てを失いこの町に来て、そして、何もかもがうまくいかず自堕落な日々を送っている、そんなくだらないどうしようもない、他人からしたどうでもいいそんな話をとうとうと僕は語った。
ブッダさんはただにこにこと、僕のそんなくだらない話を聞いくれていた。ただそれだけだった。でも、不思議な感じだった。ただ話をしているだけなのに、話を聞いてもらっているだけなのに、何か大きなやさしさに包まれているような、今までに感じたことのない、ものすごく深い安心感を感じた。
「人はどうせ死ぬ」
「えっ?」
僕が話し終わると、ブッダさんは唐突に言った。
「どうせ人はみんな死ぬ」
「はあ・・」
にこにこと笑いながら、ブッダさんはなんてことないみたいに言う。
「お前さんは全てを失った」
「はい」
「だが全ては最初からないんじゃ」
「はあ・・、えっ?」
「結局、何もないのじゃよ」
「はあ・・、はい?」
「じゃから、悩む必要もない」
「はあ・・」
「ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ」
戸惑う僕をよそに、ブッダんさんは笑っている。
「・・・」
しかし、僕には何が何やらまったく意味が分からなかった。
「悩みなど最初からないのじゃよ。ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ、じゃから悩むことは無駄じゃ」
ブッダさんは、ぽかんとする僕を置いて、最後にそれだけ言うと笑いながら行ってしまった。
「・・・」
なんだったんだ・・。
しかし、ブッダさんのあの不思議な雰囲気は、僕の心に強烈な何かを残していった。
そして、心がどこか軽くなっている自分がいた。
「・・・」
僕はブッダさんの言っていたことを反芻しながら町を歩いていた。意味は分からなかったが、でもそこに何か大きな意味があるような気がした。
「どうしたんだ?」
ふいに声をかけられ、振り返るとインテリさんだった。
「ああ、インテリさん」
「どうしたんだ。また深刻な顔して。昨日置いて行ったの怒ってるのか。あれは君がどうしても起きなくて・・」
「いえ、それはいいんです。そうじゃなくて、あの・・、前にインテリさんが言っていたブッダさんが・・」
「ああ、ブッダさんに会ったのか」
「はい」
「雰囲気あっただろ」
「はい、なんか、こう、不思議な・・」
「そうなんだ。なんかあるんだよな。あの人」
インテリさんも感慨深げに腕を組む。
「話したことことあるんですか」
「直接話したことはない。でも、青空瞑想会には参加したことあるな」
「青空瞑想会?」
「ああ、月一回、あのテント広場の芝生のとこでやってるぞ」
「そうなんですか」
「君は直接話をしたのか」
「はい、さっき、そこの六角公園で、突然話しかけてきて・・」
「へぇ~、そうなのか」
インテリさんは、少し驚いた表情をした。
「どうしたんですか」
「それは貴重な体験だったな」
「えっ、そうなんですか」
「ああ、ブッダさんはあまり、直接人とは話したりしないからな」
「そうなんですか」
「うん」
「・・・」
ブッダさんのあの、何とも言えない人好きのする微笑みを浮かべた丸顔が思い出された。
「あの人はいったい・・」
変な人だったが、やはり何かが僕は気になった。




