訪問者
雨に打たれ、ずっと外で風に吹かれて体を冷やしてしまったのが良くなかったのだろう。なんだか風邪気味で、僕はインテリさんから借りたキャンプ用テントの中で伏せっていた。
「うううっ」
体調が悪いと、なんだか心まで挫けてくる。なんだかとても惨めで寂しくて、何とも言えない堪らない不安が湧き上がってくる。
「パーカーは盗まれるし、苦労して作った僕の段ボールハウスは雨で壊れるし・・、もう最低だ」
自分の人生が堪らなく惨めで、だんだん自分が世界一不幸な気までしてきた。
「はあ」
僕は薄暗いテントの天井を見つめ、大きなため息をついた。このまま二度と立ち上がれないのではないかという、心の重さと絶望を感じた。
「こんにちは」
その時、テントの入り口で声がした。
「誰だよ。こんな時に」
僕は無礼な客に腹を立てながら、重い体を起こし、不機嫌に入り口まで這って行った。
「だれだよ」
そして、テントの入り口を怒りに任せ乱暴に開けた。
「こんにちは」
「あっ、・・みんみさん!」
そこにはあの美しい丸顔があった。
「うふふふ」
みんみさんはかわいく微笑む。
「ど、どうしたんですか」
「体調が悪いって聞いたから」
「そ、そうなんですか」
なぜ、みんみさんが僕の身を案じてくれるのだろうか。しかも、わざわざ、僕のテントまで来て・・。
「・・・」
僕の頭の片隅には、もしかして、もしかして、が激しく木霊し、体を熱くさせた。
「ちょっと入らせてもらうわね」
「え、ええ?」
みんみさんは、僕の戸惑いをよそに何の躊躇もなく、いきなり靴を脱いで僕のテントの中に入って来る。ファミリー用のテントとはいえ、中は狭い。必然的にみんみさんとの距離は近い。
「ん~、良い匂いが・・」
「えっ?」
「い、いえ、なんでもありません」
何とも言えない、いい香りが僕の殺伐としたテント内に広がった。
「・・・」
自然と目が、目の前のみんみさんのふくよかな胸のふくらみに行く。今日もそのふくらみは他を圧倒するがごとく立派だった。
ゴクッ
思わず喉を鳴らした。
「こ、これは現実なのか」
みんみさんが、僕のテントに・・、しかも目の前に・・、夢に見た世界が今目の前に広がっている。
「し、しかも・・」
狭いテントに二人きりだった。
「これは本当に現実なのか」
僕は茫然とみんみさんの顔を見つめた。
「うふふふ、どうしたの」
みんみさんがそんな僕の顔を覗き込む。
「い、いえ」
僕はそれだけでどぎまぎしてしまった。
「やっぱり顔色が悪いわね」
そう言って、四つん這いでさらに近づいてくるみんみさんのクリーム色のVネックのニットの間から、溢れんばかりの胸の谷間が覗く。
「おっ、おおおっ」
それはもうど迫力過ぎて、僕の脳みそは興奮でどこかへ吹っ飛んでいってしまいそうだった。
「ん?」
そんな僕にみんみさんがかわいく小首を傾げる。
「か、かわいい」
しかも、近くで見るみんみさんは超絶にかわいい。
「やっぱり僕はみんみさんが好きだ」
「ん?」
みんみさんがそんな僕の顔を、もう息がかかりそうな近さで覗き込む。みんみさんの厚く濡れた唇が僕に迫る。近くで見ると、その美しさは更に迫力を増して僕をガツーンと打ち付けた。
「食欲は?」
「食欲はあります」
僕はどぎまぎし、答えるだけで精いっぱいだった。
「そう」
そう言って、みんみさんはその温かくやわらかい手を僕の額に当てた。
「熱もちょっとあるわね」
みんみさんのやわらかい手の平の感触が、まるで天国の至高の幸福がそこに凝縮し、そこから放たれたかのように、僕を何か別の次元に昇天させた。その瞬間、僕の風邪は今までの体調不良が嘘だったかのごとく、すべて吹っ飛んだ。
「みんみさん・・」
僕は幸せ過ぎて、もう完全に別の世界にイっていた。
「みんみさん好きです」
「えっ?」
みんみさんは小首をかしげ、笑顔で僕を見る。
「えっ、い、いや、なんでもないです」
風邪だけでなく、危うく理性までぶっ飛ぶところだった。
「と、ところで、ど、どうして僕のテントに?」
「私はこの町の人たちの健康管理もしているのよ」
みんみさんは笑顔で答える。
「あっ、仕事だったんですか」
そう言えばみんみさんは看護師だった。僕は思いっきりがっかりした。
「僕はてっきり」
「えっ?」
「いえ、なんでもないです」
「こんにちは」
その時、テントの入り口の布が開いた。
「こんにちは、誠さん、あのこれあまりものなんですけど・・、よかったら・・、あっ」
ももちゃんだった。
「あっ、ももちゃん」
僕とみんみさんは至近距離で、テントの中に二人きりだった。
「ふ、不潔だわ。不潔だわ」
ももちゃんは僕とみんみさんを交互に見つめて、大声を上げる。
「い、いや、違うんだよ」
別に慌てる必要はないのだが、僕はなぜか慌ててしまった。
「なにやってるんですか。二人で」
ももちゃんは目を剥いて叫ぶ。
「だから違うって」
「きゃー、きゃー」
「だから違うんだよ」
僕はももちゃんに近寄って、弁解しようとする。
「近寄らないで」
「いや、だから」
「最低だわ」
「違う、だから違うんだ」
ふと見ると、僕の脇で当のみんみさんは、おかしそうにそんな僕らのやり取りを見つめている。
「最低です。誠さん。最低です」
「だから違うんだよ」
僕はももちゃんに手を伸ばす。
「触らないで、不潔だわ」
「だから違うんだよ」
ももちゃんは、何を言っても聞いてくれない。
「最低です」
そう言って、ももちゃんは行ってしまった。
「・・・」
僕はその後ろ姿を茫然と見つめることしかできなかった。
「じゃあ、私は帰るわね」
「えっ」
そして、みんみさんもそう言って立ち上がると、笑顔で手を振り、去って行ってしまった。
「・・・」
僕は開け放たれたテントの入り口で、遠のいていくみんみさんの背中を茫然と見つめた。テントの中にはみんみさんのあの何とも言えない良い香りだけが残っていた。
「みんみさん・・」
僕はしばし、突然終わってしまった天国のような時間を思い、一人茫然とした。
「おまんも因果な男じゃのぉ」
そこに熊さんが通りかかり、呆けたように茫然とする僕を見つめ、そんな言葉を残して通り過ぎていった。
「・・・」
ふと見ると、テントの入り口脇にももちゃんが置き忘れていったビニール袋があった。中をのぞくと、タッパーが入っている。
「なんだろう」
僕はそれを開けてみた。
「・・・」
中には卵焼きと唐揚げが入っていた。またバイト先のあまりものを持ってきてくれたのだろう。僕は唐揚げを一つつまみ、口に入れた。冷めて固まった脂が口の中で溶け出し、口の中で粘ついた。
でも、唐揚げはうまかった。僕は脂ぎった口の周りを手で拭いた。
「そう言えば・・」
本当に風邪が跡形もなく消えていた。
「すごい・・」
僕はこの時、恋の力を思い知った。




